明治22年2月11日、「紀元節」に大日本帝国憲法発布レスリングの除外は日本バッシングか

2013年02月13日

心の呵責なしに核兵器を造りうるのは、広島・長崎の悲惨さを知る我が国以外にない


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 北朝鮮が前日に米、中、ロシアに通告した通り、三度目の地下核実験に成功した。昨年12月の射程距離1万メートルのミサイル発射の成功に続いての核実験成功で、北朝鮮の恫喝外交は益々強硬なものになるだろう。

 安保理が緊急会議を召集し、非難決議をしたところで、北朝鮮にしてみれば馬耳東風。「今回の核実験は一時的対応措置。米国が最後まで敵対的なら二次、三次まで続ける」と示唆してる様に、要は米国との交渉が目的であり、そういう意味では乱暴ではあるが北朝鮮の外交戦略は強ち間違ってはいない。

 北朝鮮が核保有に向けて突き進んでいたことは誰もが知っていながら、今更ながら「断じて容認出来ない!」だとか「極めて遺憾だ!」だとか「暴挙だ!」とか言ったところでその言葉に何の意味が在るというのだ。

 批判や抗議ばかりしてないで、「北朝鮮が核保有するなら我が国も安全保障の観点から持たざるを得ない」とか、気の利いた台詞の一つ二つ言えないものか。

 それにしても、善し悪しは兎も角、何百万人もの餓死者が出ても歯牙にも掛けず、核開発と軍事力の整備に躍起になっている、あの依怙地なまでの強硬姿勢は日本外交も見倣うべきものがあるのではなかろうか。

 「核兵器は外交で大きな発言力を持つ」というのは世界の常識であり、イスラエルや北朝鮮が核武装をするのは、核兵器が外交交渉をする上での最高且つ最大の武器であり、周辺諸国に睨みを利かせることが出来るとの認識からだ。

 我が国が弱腰外交なのは「自国の防衛」という国家の大本を米国に委ねているからであり、発言力を高める為には今回の核実験を機に自衛軍備の確立を急ぎ、日米安保の見直しを図り、米国依存からの脱却することが肝要だ。

 尖閣周辺での中共軍のレーザー照射にしろ、北朝鮮の核実験にしろ、考え様によっては我が国にとって「国防とは何か」を考える好機であり、「天の風」と捉えるべきではないのだろうか。

 米中や既に核保有している国が容認され、新たな核保有は認めないというのは、北朝鮮でなくとも違和感を覚える。心の呵責なしに核兵器を造りうるのは、広島・長崎の悲惨さを知る我が国以外にない。

 いつまでも米国の核の庇護の下でまやかしの平和を享受している場合ではない。北朝鮮や中共、インド、パキスタンといった国々が核を放棄しないのならば、「アジアから核兵器が無くなるまで我が国は暫定的に核を保有する」と、我が国にも核保有という選択肢があることを示唆するべきだ。

 「核武装」こそ、アジア諸国の平和・安定に貢献出来る最強の外交官なのだ。

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cordial8317 at 08:04│Comments(0)

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