「撃つぞ!」とか「殺るぞ!」といってやった例はない日露戦争「開戦記念日」に思う

2013年02月09日

明治37年(1904)2月9日、「仁川沖海戦」勃発ス


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 明治37年(1904)2月9日、「仁川沖海戦」を以て日露戦争の火蓋が切られた。世界最大の軍事大国ロシアとの民族の生死を賭けた戦いは1年半にも及び、日本が奇跡的大勝利を成し遂げた。

 固唾を呑んで見守っていた世界の人々の誰もがロシアの勝利を疑わず、そんな中での「日本大勝利」の報は極東小国日本の存在を世界に知らしめ、驚嘆させた。

  ロシアに占領・弾圧されていたフィンランド、トルコ、ポーランドの国々や、有色人種として差別されていた民族にとって、国家と民族の存在を決定的に変える影響を齎したのである。

 15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の滔々たる流れが、日露戦争で日本が勝利したことによって大きく変化し、全世界の有色人種に強烈な影響を与えることとなっていった。

 インドのガンジー、ネール、ビルマのオッタマ、ミール、フィリピンのリカルテ、ベトナムのファン・ボイ・チャウ、エジプトのムスタファ・カミール、トルコのケマル・パシャなど挙げれば限が無い。

 ファンはその衝撃を、「この時に当って東風一陣、人をして爽快足らしめる事件が起きた。日露戦役は我々の頭脳に一新世界を開かしめた」と記している。

 ファンは犬養毅に拝謁し、「朝貢もするから、軍を出してフランス人ど​もを追い出して欲しい」と懇願する。

 犬養は「自分の国は自分で守るものだ。日本はその為には協​力を惜しまないが、自分は何もしないで他人に血を流して貰おうと​いうのは料簡が違う」と諭した。

 犬養の言葉にファンは恥入り、ベトナムの若者を呼んで日本で学ばせ、世界を知り​、そして戦い方を知った。

 ベトナムの悲運とも言える抵抗運動は当時の日本に学んだところが大きく、日露戦争で日本が勝利したことによって自信が確信に変わったのだ。

 世界の各地で「日本大勝利」に狂喜し、有色人種が白人に劣らないことに確信を持ち、各地で独立運動が湧き上がり、米国内でも黒人に人種平等の自信を与え、黒人解放運動の支えとなったのだった。

 黒人誌、「インディアナポリス・フリーマン」は当時、次の様な社説を掲げた。

 「東洋のリングで黄色い男達のパンチが白人を打ちのめし続けている。事実ロシアは繰り返し何度も日本人にこっぴどくやられて、セコンドは今にもタオルを投げ入れ様としている。有色人種がこの試合をものにするには、もう時間の問題だ。長く続いた白人優位の神話が、遂に今突き崩され様としている」

 日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議に於いて日本の全権使節団は国際連盟規約に、「人種平等の原則」を入れる提案を行う為にパリに向かう。

 途中、ニューヨークに立ち寄った折に、黒人指導者4人が「世界のあらゆる人種差別と偏見を無くす事に尽力して欲しい」という嘆願書を全権団に提出するも、その願い空しく、議長を務める米国大統領ウイルソンに「全会一致」との詭弁を弄され拒絶されてしまう。

 結局、日露戦争が齎した歴史的課題であった「人種平等の原則」の本格的実現は、大東亜戦争後に漸く実現し、その歴史的大使命が果たされるのだった。

 「戦後レジームからの脱却」も結構だが、世界史にとっても日本史にとっても重要な「日清戦争」や「日露戦争」の意義と大勝利という輝かしい出来事が、何故か余りにも軽く扱われているのは国家の危機と断罪しても過言ではないだろう。

 安倍自民党は「誇りの持てる日本人を育てる」というならば、大東亜戦争の大義も然ることながら、先人が決然たる態度で一戦を決した日清・日露の大英断を、民族の魂の記憶として、誇り高く、永く後世に継承して往くことに努めるべきだ。

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cordial8317 at 07:58│Comments(0)

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