吉田松陰と会津藩とチョッとだけ国士舘1967年2月6日、ベトナム戦争で枯葉剤が撒かれる

2013年02月05日

人を育てるというのは日本刀が出来上がる過程と然も似たり


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 生徒から「ハゲ」とからかわれ体罰した教諭のニュースが出ていた。思わず笑ってしまったが、生徒からのこうした暴言はこれからも繰り返され、挙句は「殴れるもんならやってみな!」っていう生徒も出て来るだろうし、先生も言われっ放しで耐えるしかないのなら、教師なんぞやってられないだろうよ。気の毒だよなぁ。

 愚生の中学校時代にも同じ様なことがあった。校庭を整備してたソフトボールの小池顧問に、同級生が何を思ったのか「アレ、バカじゃね!」と言い放った。暫くするとその顧問が教室に入って来て、「誰だ!さっきオレにバカって言ったヤツは!名乗り出ろ!」と問い詰める。

 誰もが、同級生が手を挙げるのかと思いきや当事者は沈黙し続けた。

 「じゃ、連帯責任だ!」というと、その先生はクラス全員をビンタした。

 泣いてる女生徒もいたし、今だったら大変な騒ぎだったろうなぁ。その同級生、今でもその話題が出ると恥ずかしそうにしているが、まぁ卑怯な振舞いは一生消えることはないということだ(笑)

 人を育てるというのは日本刀が出来上がる過程と似ている。

 日本刀は先ず卸し鉄を「積み重ねる」ことから始まる。そして「鍛錬」し、更に「下鍛え」し、何回も何回も鍛え上げ、「芯鉄」を鍛え造り込む。叩いて叩いて鍛えることで強靭で立派な刀が出来上がるのだ。

 国士舘の創設者・柴田徳次郎先生も同じ様なことを訓示している。

 「刀というのはトンテンカン、トンテンカンと叩いて叩いて鍛え上げなければ五郎入道政宗とか村正といった立派な刀は出来ません。国士舘の生徒も先生だけの指導だけではダメで、学校も親も一緒になってお子さん方を鍛え上げて行かなければ立派な日本人に育てることは出来ません」

 日本刀を作る上で最も大事なのが「焼き入れ」で、焼き入れを行うことで刀に命を吹き込むのだが、焼き入れ一つで刀の出来も価値も変わってしまうという。

 本来「ヤキを入れる」とは鍛錬の一つなのだが、単に暴力になってしまっているのも事実。そのヤキ(指導)の在り方を体罰や暴力で片付けるのは容易だが、議論がチト違う方向へ行ってしまっているのではなかろうか。

 「反りが合わない」という言葉がある。これも刀剣に関する言葉で、「鞘(さや)は一本一本その刀に合わせて作られているオーダーメイドで、違う刀を入れようとしても「反り方が合わない」ので納められない。

 渦中の柔道の騒動を見ていると、もう「元の鞘に納まる」ことはないのだろうが、監督と選手も、顧問と生徒との関係もチョッとしたことから溝が出来て、反りが合わなくなってしまったということだろう。

 因みに、刀身に彫られた溝のことを「樋(ひ)」というが、その役目は「刀の重量を軽くする」「曲がり難くする」「衝撃を緩和する」などの働きがある。単なる溝かも知れないが、溝にはそれなりに意味が在るのだ。

 選手と監督や全柔連との溝も簡単に埋めることは出来ないかも知れないが、その溝を単に埋めることだけを考えるのではなく、溝になった要因をトコトン語り合い、今後の指導の役に立てるべきだ。

 人を育てるというのは実に難しく、「鍛錬」の仕方が悪かったのか、「焼きの入れ方」が足りなかったのか、何れにしても全柔連の騒動は、「角を矯めて牛を殺す」ことに成りかねない危険を孕んでいる気がしてならない。

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cordial8317 at 08:08│Comments(0)

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