我が国が為さねばならぬことは米国からの自立である蹴散らして前へ!

2013年01月20日

教育再生の為には、先ず「正しい精神論」を創ることが必要

 大阪市立桜宮高校の体罰問題で、「体罰絶対悪玉論」が席捲している様だが、今回の自殺問題は体罰というより自殺した生徒の精神的な部分の方が問題だろう。  

「戸塚ヨットスクール」の戸塚宏校長も同じ様な認識を示しているが、自殺した生徒が何故そこまで思い詰めるに至ったか、両親始め友人や周辺にいた人たちはその兆候を何故見逃してしまったのか。

「体罰が自殺を招いた」と結論付けるのは容易なことだが、そんなことで体罰の問題や教育の荒廃という問題問題が解決するとは思えない。

 橋下は、体育科の入試を実施したり、他の体育系部活の顧問が同校に残れば人件費は執行しないとの考えを示しているが、こうしたやり方は混乱を招くだけだ。

 本末転倒とはこのことで、「校風、体質をいったんゼロにしないとダメ」と訳の分からぬ持論を垂れ流しているが、今やるべきことは、校風を重んじながら生徒と顧問らの信頼関係を深めることだ。

 体罰をした顧問とは何ら関係なく、熱心に指導していた顧問や他の体育系学科の生徒たちにとって、橋下のこうした「連帯責任的」手法はそうした人たちの努力を無にするもので、人格否定、人権無視の横暴だろう。

「教育委員会の決定に自動的に予算が付く訳ではない。予算執行は僕の権限だ」との発言は恫喝そのものであり、立場を利用したパワハラ。体罰顧問とどっこいどっこい、体罰を責める資格はない。

 橋下のやり方というのは、敵対する勢力を作って、過激な言辞で注目させ、マスコミを使い世論を煽るというのがいつものパターン。

「仲間が死んだのだから今何をすべきか考えて貰いたい。この状況で部活をやったら上手くなるかも知れないが人間としてはダメだ。それを言うのが教育だ」

「言うこと聞かなかったら予算削る」とか「悔しかったら選挙で落とせ」とか実にやりたい放題で、その言辞は飛躍的且つ論理の破綻、とても首長としては不適格な人物だと断じざるを得ない。 

 橋下のそうしたパフォーマンスに辟易している国民は多い。小泉が郵政族を遣り込めてから、政治ではこうした手口が目立つ様になったのが、これは日本の政治が大衆迎合主義に陥ってる証左であろう。

 その橋下と石原慎太郎が日本維新の会の共同代表に就いたが、石原は戸塚宏の教育論には大いに共鳴し支持しているのは周知の通り。「戸塚ヨットスクールを支援する会」のホームページ上で、石原は次の様なメッセージを寄せている。

「我々の手で教育改革を!という真摯の叫びが、日本全国で澎湃として湧き上がって来んことを願って止みません。日本の教育再生の為には、先ず『正しい精神論』を創ることが必要なのです」

 教育は国家の大本であり、教育論が根本的に違う石原と橋下が、どの様にして将来を担う子供達の教育を施して行くというのだろう。問題が発覚すれば教員を総入れ替えし、入試を中止すればそれでヨシとでも思っているのか。

 嘗て我が国は教育立国として、明冶の試練と昭和の国難を乗り越えた。極貧の中から多くの偉人が輩出したのは立派な教育の故であろう。

 だが、現在はどうだろう、国民の勤勉性、家族愛、愛国心、信義誠実の原則は失われ、心の中の高貴なものを失い、高邁さを忘れてしまった。

 有識者やマスコミが取り上げる胡散臭い問題に一喜一憂し、問題が出れば、その萌芽は日本にあると自国を貶め、それを煽るマスコミ御用達の言論人が大騒ぎ。

 政治家は平身低頭し謝罪を続け、頭にあるのは保身と次の選挙だけで、頽廃したマスコミは国益を擁護する気配など皆無で、国民の愛国心を蝕み続ける。

 高邁な魂を喪失した日本が喫緊にやらねばならないことは、将来を担う子供達へどの様な教育を施し実践させて行くか具体的な教育指針を定めることだ。

 安倍首相は先の総選挙では、「将来を担う子供達に如何にして誇りの持てる教育をするか」、「志の高い日本人を如何にして創るかが大事だ」と訴えたが、そうした教育をどうしたら実行出来るか早急に取り組んで頂きたいものだ。

 戸塚校長は、現在の日本の教育が抱えている問題を解決するには、「小学校の段階で正しい人間性の基礎を創ることが大事で、国語・数学・体育に重点を置いた授業、記憶力ではなく、考える力の重視、合宿などの課外授業の活用という」

 戸塚校長の「科学的精神論」による教育の実践こそ、現在学校で起こっている学級崩壊を始めとした諸問題を克服してくれるものだと信ずる。

cordial8317 at 08:27│Comments(0)

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