「手抜き除染」に係わったゼネコンを厳罰に処せ!安倍総理の提唱した「アジアの民主主義セキュリティダイアモンド」

2013年01月12日

教えるとは実に教えられることである

 大阪の市立高校生の自殺を受けて、巷では「ビンタも体罰」「体罰=暴力」「体罰絶対悪玉論」という意見が席捲している様だが、抑々「体罰」と「暴力」とは異質のもので、「ビンタ」や「体罰」は子供に善悪を躾けることが目的であって「暴力」とは言わない。「暴力」とは私的感情で利害が在る行為をいうのだ。

 戦後、日本では子供を褒めなければダメ、叱ったり、殴ったりすることはケシカラン、「ビンタ」や「体罰」はダメという考えが支配的になった。

「褒める教育」というものは日教組が「生徒の自主性」「自由の尊重」などと謳ったところから始まったもので、その為に非行を繰り返す不良生徒を批判せず、その不良生徒に体罰をした教師だけが吊し上げられ、現場から排除されてきた。

 今回の生徒の自殺に端を発した問題も同じで、自殺した生徒の心の問題より、体罰が自殺に追いやったと断定し、「体罰」だけを批判しているのを見ても、こうした問題の根本的な解決にはならないだろう。

 体罰によって部活動を辞めた生徒も少なくないだろうが、熱血先生の指導によって活躍し、或いは鉄拳制裁やビンタによって目覚めた生徒も多いだろうに、それら全てが「体罰」と一括りされ批判され、否定されるというのは如何なものだろう。

 自殺した生徒の苦悩を知る術はないが、全国大会常連校として学校側が指導者にそうした指導を期待し、任せてたのも事実で、そういう意味では顧問の指導方法の問題ではなく、学校側も、倅の悩みを見過ごした親も、無能な教育委員会も責任は感じるべきだ。

「学級崩壊」や「教育荒廃」の元凶は日教組であることは言うまでもないが、教育現場の実態も知らず、机上論や理想論を繰り返すばかりの文科省や教育委員会、興味本位でこうした問題を煽り続けるマスコミに在ると言っても過言ではない。

 日教組主導の「褒める教育」を推進する連中は「体罰は暴力」と決め付けるが、「ビンタ」「体罰」という「愛」が子供の理性を正しく鍛えるということを親や教師、そして無能な教育委員会は知るべきだろう。

 昨今、教師も親も社会全体が子供らをどう導けば善いのか解らなくなっているのが実情で、子供らも厳しく躾けられていないから善悪の判断が乏しく、その為に逆境に弱く、逆ギレする子供は少なくない。

 そういう意味では、「躾」もされず、「体罰」の意味も知らずに軟弱に育てられた子供達こそ現代社会の犠牲者なのかも知れない。

 学級崩壊や家庭内暴力を起こす様な子供達が大量に登場した原因を考えれば、戦後、日本が採用した「欧米型」の教育方針が間違っていたからだろう。失敗に失敗を重ねた文科省や教育委員会に教育を変える能力は無い。

 日本の教育が抱えている問題を解決するには、幼少期や小学校の段階で正しい人間性の基礎を創ることが肝要で、それには「ビンタ」や「体罰」というものは必要不可欠な教育の一環と考え、教師にもその権限を与えるべきだ。

 唯、言うまでもないが、そこには生徒との信頼関係は勿論、「愛」がなくてはならない。それがなければ「暴力」と断じられても致し方ないことだ。

 話しは変わるが、戦後、極東軍事裁判に於いて、所謂「BC」級の戦犯がアジア各地で「食事が粗末だ」とか「ビンタされた」他愛も無い理由で逮捕され処刑された。その数、実に1068名に及び、それ以外に待遇の不満を理由にリンチ等で亡くなった方が約100名いる。

 鬼の首でも獲ったかの様に体罰した教師を吊し上げ、したり顔で糾弾してる連中を見ると、「ビンタされた」と騒ぎ立てた性悪な捕虜と同じ匂いがしてならない。

 「教えるとは実に教えられることである」という言葉がある。

 親が子供の成長と共に親らしくなるのと同じ様に、教師も単なる人間、失敗することもあるだろうし、泣きたいこともあるだろ。それで結構、教師も生徒と共に成長し、立派な志を持った日本人を育んで欲しいと願うばかりだ。

cordial8317 at 09:04│Comments(1)

この記事へのコメント

1. Posted by イーグルス16   2013年01月13日 07:28
大阪、高校生自殺と体罰に関して色々な意見を読んだが、ようやく、ここに辿りつけました。感謝します。

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