「喪に服する」とは門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず・・・「白虎隊」をどう変換したら「百虎隊」になるんだろう(笑)

2013年01月05日

父上様、母上様、「三日とろろ」美味しゆうございました

「三日とろろ」とは、福島をはじめとする東北や北関東の一部で正月の3日にとろろメシ(汁)を食べる風習のことで、食べるとその年は風邪をひかないと言われているが、まぁ風邪をひかない様にというより「七草粥」の様に、年末年始で飲み過ぎた胃腸を整えるという意味合いだと思う。

 この「三日とろろ」でいつも思い出すのは、福島県須賀川市出身で東京五輪マラソン銅メダリストの円谷幸吉選手のことだ。

 円谷選手の遺書の最初には「父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました」と認められ、家族皆への感謝、そして「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」で結ばれ、中でも「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい」の言葉はトップ選手故の苦悩の現れであり衝撃的だ。

 円谷選手が遺書は、世話になった方々から頂いた美味しい食べ物への感謝の言葉で綴られ、人となりが十分伝わってくる内容だ。(以下、遺書の全文)

「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました。干し柿、もちも美味しうございました。敏雄兄姉上様、おすし美味しうございました。勝美兄姉上様、ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。巌兄姉上様、しそめし南ばんづけ美味しうございました。喜久造兄姉上様 ブドウ液養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。幸造兄姉上様、往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。正男兄姉上様、お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になってください。父上様母上様、幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮しとうございました」

 遺書というのはその人の人物像が現れる。特攻隊員や靖國に眠る英霊の遺書は正に「神」そのものであり、その言葉には言霊が宿り、その精神は日本人の心の奥に響き、時空を超えて明らかに感応している。

 左翼という生き方はどんなものかは知らないが、28歳の元旦に自裁した連合赤軍中央委員会委員長・森恒夫の遺書には「自己の責任の重さに絶望し、自らに死刑を下す」と綴られていた。内容は次の様なものだった。

「御遺族のみなさん、十二名の同志はぼくのブルジョア的反マルクス的専制と戦い、階級性、革命性を守ろうとした革命的同志であった。責任はひとえにぼくにある。同志のみなさん、常に心から励まして下さってありがとう。お元気で。父上、ぼくはあなたの強い意志を学びとるべきだった。強い意志のない正義感は薄っぺらなものとなり、変質したのである。お元気で。愛する人へ、希望をもって生きて下さい。さようなら。荷物は坂東君に」

 森は逮捕されてからはキリスト教に関心を示していたというが、自ら行った罪を悔い改めている遺書からも、キリスト教に縋り、革命家を気取りながらも幼稚だった正義感を恥じている心境が伝わってくるが、遺族への謝罪は全くない。

 浅沼稲次郎社会党委員長を刺殺した山口二矢は、供述調書を取り終えると移送された練馬鑑別所で自裁する。その調書の中で遺族に対して心境を吐露している。

「浅沼委員長を倒すことは日本の為と堅く信じ殺害したのですから、行為については法に触れることではありますが今何も悔いる処はありません。しかし、浅沼委員長は最早故人となった人ですから、生前の罪悪を追及する考えは毛頭なく唯故人の冥福を祈る気持ちであります。又浅沼委員長の家族に対しては、如何なる父、夫であっても情愛に変わりなく、殺害されたことによって悲しい想いで生活をし迷惑を掛けたことは事実ですので、心から家族の方に申し訳ないと思っています」

 二矢は練馬鑑別所に於いて、「國のため 神洲男児晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅へ」「大君に 仕えまつれる 若人は 今も昔も 心かわらじ」の辞世を遺し、「天皇陛下万歳」と従容として死に就いた。享年17歳。

 二矢は、「私には日本人の血が流れており唯物論では到底割り切れない。持って生まれた日本精神という唯心論的なものが滾っており、天性からこういう人生観、思想などが形成されたと思っています。尚、本当の日本人であれば、私の様な人生観、思想というものが心の奥底には必ず在ると思います」と述べているが、極左暴力団との違いはこういうことだろう。

 17歳の二矢と28歳の森を見ても、人というのはどれだけ生きたかではなく、どう生きたか、どう生きるかが大事だと痛感する。合掌。再拝。

cordial8317 at 08:44│Comments(1)

この記事へのコメント

1. Posted by 求道者   2013年01月06日 22:56
 以前、森恒夫と高校で同級生だったという某大学教授から聞かされたことがあります。
「森は剣道部で熱心に稽古に打ち込んでいたが、一種独特の雰囲気があった。
いずれ只者ではなくなると予感していたが、とんでもない形で的中した」と・・・。
 先ほど故野村秋介氏の遺著「さらば群青」を久しぶりに読みました。
(昨年亡くなった)永田洋子に対面しに行かれた際の回想を思い出した為です。

 野村氏は彼ら連合赤軍幹部こそが
「日教組教育を最も真面目に受けた犠牲者だ」として朝日新聞幹部に道義的責任を激しく問うて居られましたが、全くその通りで
「彼らは、真面目すぎた」のだと思います。
 リンチ死を遂げたメンバーと、殉職警察官の遺族には申し訳ありませんが。

 他の多くがそうしたように「適当なところで身を引いていれば」何事も無く大企業か官庁に入り、今頃二世帯住宅で悠々自適の生活を送れたと思います。
 
 いや、もう少し悪知恵を使えば・・・今頃、岩波書店の「世界」あたりに連載して
信者を相手に「平和憲法を守れ!」「教育への権力介入阻止を!」とお決まりの
檄を飛ばし、原稿料・印税・講演料で稼ぎまくり非常に豪勢な生活が出来ていたに違いありません。
 しかし森も永田も他の幹部も、それが出来ずガチンコで
「行き着くところまで行ってしまった」のだと思います。

 山口二矢烈士については色々な資料を読みました。
激烈な信念を感じます。また武士道精神を理解しておられたと確信します。
 驚いたのは、「情況」という新左翼雑誌で(三年前ですが)元東大全共闘の最首(さいしゅ)悟ー確か安田講堂攻防戦で捕まったーという人が山口烈士を熱狂的に評価していたことです。
「短刀一つで突っ込んでいく・・・徹底した『潔さ』を感じる。激烈な闘いだった」
と。載せた方の度量にも感服しましたが、やはり本物は本物をわかるのかもしれません。
  合掌

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「喪に服する」とは門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず・・・「白虎隊」をどう変換したら「百虎隊」になるんだろう(笑)