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2013年01月04日

「喪に服する」とは門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず・・・

「喪中はがきを出したのに年賀状を寄越すとは無礼千万!来年からは付き合い方を考えなければ」とか、「喪中なので初詣には行かない」という様な声を聞く。

 喪中の相手を気遣うという意味では思慮不足だったのかも知れないが、相手も悪気が在る訳でもないだろうし、喪中と言っても慣例に過ぎず、年賀状如きにそれほど目くじらを立てる様なことではないと思うがなぁ。

「初詣」にしても、神道なら50日を過ぎていれば問題はないし、仏教は抑々「死」は「穢れ」という教えではないから初詣に参じても問題はなかろう。

 近親者が亡くなった場合に、一定の期間、その死を悼み、身を慎むことを「忌服」或いは「服喪」と言う。

 古くは、門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲をなさず、嫁取りをせず、財を分かたずという様な仕来たりがあった様だが、今日ではそれらの都合のいい部分だけが慣例として受け継がれているだけなのだ。

 現在はここまで喪に服することはないし、そこまでした人を見たことも聞いたこともない。一等親の身内が亡くなられた場合でも、一週間も仕事を休めば会社から「もう、君は来なくていい」と誹られるだろう。

 日本では、喪中の規定に関する法律は奈良時代の「養老律令(ようろうりつりょう)」には既に見られ、江戸時代になると「服忌令(ぶっきりょう)」という法律によって喪中の規定が記され、これらによると父母の喪は12ヶ月~13ヶ月であると制定されている。

 明治7年に出された太政官布告(「忌服令」昭和22年に廃止)では、「父母、夫、50日、13カ月。妻、兄弟姉妹、20日、90日」などと「忌(忌中)」と「服(喪中)」の期間をこと細かく定めている。

 明治42年に制定された「皇室服喪令」では「12か月」と、こちらも「忌服令」などと粗同様の期間が決められている。

「忌」と「服」は、謹慎度の深さによって分けられるが、大まかには、「忌」は自宅に謹慎する期間、法要(四十九日)が終わる期間。「服」は喪服を着用する期間、死者を偲ぶ期間と考えていいだろう。

「忌中」とは、神道の「穢れ(ケガレ)である死を忌む期間」という考え方から、忌中時(五十日)は「出仕(仕事)を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、神社に参拝しない」としている。

 現在ではこうした法令は全て撤廃され、仏事の慣例としては今もこの太政官布告が一つの目安にされていて、喩えば父母の死亡に際しては七七忌(四十九日)までが忌中、一周忌(一年間)までが喪中とされることが多い様だ。

「喪」は抑々儒教から生じているもので、父母の死については,13ヶ月間喪に服するということになっている。この13ヶ月の数え方だが、昔は「0」という観念がないので、父母が亡くなった月が1ヶ月目となり、丸1ヶ月なくてもその月が終われば1ヶ月と数え、翌月は2ヶ月目になる。

 明治6年、日本で「ハガキ郵便配達」が始まったのを機に、遠方以外の人にも挨拶状を送る習慣が広まっていく。

「年賀郵便」の制度は明治39年に始まり、昭和24年には「お年玉付き年賀はがき」が発売され、年賀状の普及にして行った。

 服喪期間という個人の故人への思いはそれはそれでいいが、年賀状如きに、亡くなった人まで巻き込んで一喜一憂などする必要はないと思うがなぁ。

 尤も、「喪中だから」と門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲を成さず、嫁取りをせず、財を分かたず、出仕(仕事)を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、自らを厳しく律している方なら別だが。

 愚生の場合、「葬儀」も「年忌法要」も「偲ぶ会」も、身内や親戚、友人、知人らには「やる必要なし!」と断ってるので、喪に服する必要もないし、「死んだら無、忘れて結構!」と念を押している。

 もしも、この思いを無視するなら、化けて出るつもりだ。呵呵。

cordial8317 at 08:07│Comments(0)

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