尊皇精神なき「日本維新の会」への幻想を捨てよ!「福島の人達は命に怯えながら生きている」って大迷惑だよな!

2012年11月28日

「脱原発派」は繁栄を維持出来る具体的な道筋を示せ!

 又候「日本未来の党」なんていう胡散臭げな政党が結成された。次の衆院総選挙に向けて「脱原発」の政策を掲げる政党が目立つが、「脱原発」を掲げさえすれば票に繋がると思ってるところがイタイよなぁ。大衆迎合主義はいつまで続くのか。

 東京電力福島第一原発事故の影響をもろに受けている福島県民としては、「原発さえなかったら」という思いは誰よりも強いものがある。だが、果たして、資源の乏しい我が国が「原発」無しで現在の様な繁栄を維持出来るのか疑問である。

「脱原発」に因って産業振興の停滞や空洞化は避けられず、電力不足や光熱費の値上げなど不安は大きい。何よりも、「便利」という価値観に溺れた日本人が、石油や天然ガス、再生可能エネルギーだけでの生活に満足するとはとても思えない。

「反原発」「脱原発」の流れで原発が停止して、若し化石燃料だけの電力に移行した場合に、中東からの輸入経路であるシーレーンの防衛はどうするのだろう。

 その防衛を担う自衛隊の存在は憲法違反のままで好いのか。 万が一シーレーンを封鎖された場合、には、我が国の電力供給は数か月程しか持たないという。そうなれば、福島第一原発事故以上のパニックが起きるだろう。

 こうした我が国に押し迫る喫緊の危機管理の課題に対して「反原発派」からは全くそんな声は聞かれない。それどころか、シーレーン防衛に威力を発揮するオスプレイにも反対しているのだから、「反原発派」とは何を況やだろう。

 原発稼働の代替のエネルギーが、太陽光や風力といった不安定な電力供給で本当に大丈夫なのか。太陽光発電は夜間や雨天、曇天では効果は少ないし、風力は風が吹かなければどうにもならない。その点、原発は「プルサーマル」や「高速増殖炉」も実用化出来れば化石燃料に依存しなくてもエネルギーは自国で賄える。

「脱原発」の理想は分かるが、それよりも現存する原発の安全対策を施すことこそが喫緊の課題ではないのか。 将来的に原発依存から脱却を図るなら、安定的に電力を供給できる新エネルギーや、蓄電技術などへの莫大な投資が必要になることは自明の理だが、そんな話は「反原発派」からは全く聞こえて来ない。

「エネルギー供給の危機」をクリアした上で、太陽光や水力、火力、風力、或いはメタンハイドレートへの投資や、蓄電の技術開発に多額の資金を投じれば、将来的な脱原発への道が開かれるだろうが、実際には実現するにしても相当先の話だ。

 何より、既存している28000トン在ると言われている「使用済み核燃料」をどのように処理するのか。これを「再処理」した上で「最終処分」しなければならないのを知らないのか。 反原発派は「原発は危険だから即時停止しろ」「再処理はコストがかかるから再処理せずに廃炉にしろ」などととんでもないことをと叫んでいる。

 使用済み燃料を再処理せずに最終処分することは国民の安全が危険に曝されるばかりか、将来的に福島原発事故以上の環境被害を及ぼすだろうことは自明の理。

 使用済み燃料を再処理するとプルトニウムを含む酸化物が精製される。これを「プルサーマル」や「フルMOX」の原発で燃料として使わなければ国際公約に違反であり、余剰プルトニウムを持つことは国際的に許されないのだ。

 とすると、使用済み核燃料を再処理してしまうと我が国は、原発を動かし続けなければならなない。反原発派が使用済み核燃料の再処理に反対し、「即時停止」を叫ぶのもこうした理由からだが、軽佻浮薄とはこのことだろう。

 まぁうして色々と宣ったところで、「オマエは財界の手先」だとか言われるのがオチで、原発悪しの「脱原発派」は決して翻意することはないだろう。所詮は、反原発派には「馬の耳に念仏」「犬に論語」「兎に祭文」と言ったところか。

「脱原発派」は、我が国の繁栄を維持出来る具体的な道筋を示すことが必要だと思うが、国力低下が狙いだろう。「反原発派」も「脱原発派」も「原発推進派」も、愚生の様にテレビも殆ど見ず、夜は8時に床に入り、朝は5時には起床するという生活をすれば、電力問題も少子化問題もクリア出来るのになぁ。呵呵大笑。

cordial8317 at 05:39│Comments(0)

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