2012年07月26日
どんな子も みんな日本の 大事な子!
〈いじめられている子どもたちへ〉
今は本当につらいと思う、怖いと思う。
だから学校には行かなくてもいいし、転校してもいい。
逃げてもいいよ。
でも、大人たちの力を借りて闘おう、いじめに立ち向かおう。
明日の笑顔のために。
今、多くの大人たちがいじめられている君たちを守ろうと立ち上がっています。
泣いていい、叫んでいい、救いを求めてごらん。救いは必ず来ます。
いじめに気付いている子どもたちへ。そのことを、
まず親に、そして先生に話そう。
見て見ぬふりをすることはやめよう。怖がらずに。
それが君たちの大事な友達を守ることにつながり、
君たちの生きる力をつくってくれます。
いじめている子どもたちに。すぐにいじめをやめよう。
もしも君たちがいじめられたらどんな思いがしますか。
すぐに反省してほしい。
そして、自分のしたことを親や先生に話してほしい。
一切隠さずに。そして謝りに行こう。
いじめで傷付いた友だちのところへ。
すべての親にお願いです。この夏休み中に、
必ずお子さんに学校でいじめがあるのか聞いてください。
もしいじめがあった場合は、すぐに学校や教育委員会に連絡してください。
これ以上、いじめによって自ら死を選ぶ子どもをつくらないためにも、
ぜひ動いてください。
この文章は地元紙に載っていた夜回り先生・水谷修の投稿の一部。
水谷先生は、「いじめは我慢せず、見逃さず、必ず、その時に解決しないといけません」という。いじめ問題は他人事ではなく、誰にでも起こり得る身近な問題として全ての人が考えなくては根本的な解決は難しいと思う。
所属していた防共挺身隊が作った「日教組撲滅」のアジビラで、「どんな子も みんな日本の 大事な子!」というのがある。今見ても中々センスが好いビラだ。子供達は日本の宝です。どんな子供でも大人が守ってやらねばなりません。
反原発を訴えたアホなミュージシャンは、「未来である子供の命を危険に曝すな」と宣ったが、今、教育現場の荒廃が将来を担う子供達を危険に曝していることは御存じ無いらしい。何事も一面だけ捉えて論うのも如何だろうか。
会津藩には昔から「什(じゅう)の掟」という地域の訓えがある。同じ町内に住む六歳から九歳までの藩士の子供たちが十人前後で集まりを作りった。そのうちの年長者が一人什長(座長)となる。この集まりを「什」という。
毎日、什の仲間の何れかの家に集まり、什長が次の様な話を一つ一つ皆に申し聞かせ、全ての話が終わると、教えに背いた者がいなかったかどうか反省会を行った。
一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
「什」によっては多少違うところもあった様だが、最後の「ならぬことはならぬものです」との言葉は、どの什も共通だった。そして教えに背いた者がいれば、什長はその者を部屋の真ん中に座らせ、事実の有無を審問し、事実に間違いがなければ年長者の間でどの様な制裁を加えるかを相談し、子供らしい制裁を加えたという。
「什」も「制裁」も全て、大人達に言われて作ったものではなく、子供達が制約や強制を受けずに自分達が率先して自身で作り、それを実行した。「会津武士の子は斯く在るべし」ということを互いに約束し、励み合ったのだ。
今問題となっている「いじめ」は、卑怯以外の何ものでもなく、やはり今でも「卑怯な振舞いはしてはなりませぬ」「弱い者を苛めてはなりませぬ」「ならぬものはななぬもの」との教えは正しいのである。いじめをしてる子供だけじゃなく、その周りの友達も教師達も大人達も卑怯な振舞いをしていませんか。
今は本当につらいと思う、怖いと思う。
だから学校には行かなくてもいいし、転校してもいい。
逃げてもいいよ。
でも、大人たちの力を借りて闘おう、いじめに立ち向かおう。
明日の笑顔のために。
今、多くの大人たちがいじめられている君たちを守ろうと立ち上がっています。
泣いていい、叫んでいい、救いを求めてごらん。救いは必ず来ます。
いじめに気付いている子どもたちへ。そのことを、
まず親に、そして先生に話そう。
見て見ぬふりをすることはやめよう。怖がらずに。
それが君たちの大事な友達を守ることにつながり、
君たちの生きる力をつくってくれます。
いじめている子どもたちに。すぐにいじめをやめよう。
もしも君たちがいじめられたらどんな思いがしますか。
すぐに反省してほしい。
そして、自分のしたことを親や先生に話してほしい。
一切隠さずに。そして謝りに行こう。
いじめで傷付いた友だちのところへ。
すべての親にお願いです。この夏休み中に、
必ずお子さんに学校でいじめがあるのか聞いてください。
もしいじめがあった場合は、すぐに学校や教育委員会に連絡してください。
これ以上、いじめによって自ら死を選ぶ子どもをつくらないためにも、
ぜひ動いてください。
この文章は地元紙に載っていた夜回り先生・水谷修の投稿の一部。
水谷先生は、「いじめは我慢せず、見逃さず、必ず、その時に解決しないといけません」という。いじめ問題は他人事ではなく、誰にでも起こり得る身近な問題として全ての人が考えなくては根本的な解決は難しいと思う。
所属していた防共挺身隊が作った「日教組撲滅」のアジビラで、「どんな子も みんな日本の 大事な子!」というのがある。今見ても中々センスが好いビラだ。子供達は日本の宝です。どんな子供でも大人が守ってやらねばなりません。
反原発を訴えたアホなミュージシャンは、「未来である子供の命を危険に曝すな」と宣ったが、今、教育現場の荒廃が将来を担う子供達を危険に曝していることは御存じ無いらしい。何事も一面だけ捉えて論うのも如何だろうか。
会津藩には昔から「什(じゅう)の掟」という地域の訓えがある。同じ町内に住む六歳から九歳までの藩士の子供たちが十人前後で集まりを作りった。そのうちの年長者が一人什長(座長)となる。この集まりを「什」という。
毎日、什の仲間の何れかの家に集まり、什長が次の様な話を一つ一つ皆に申し聞かせ、全ての話が終わると、教えに背いた者がいなかったかどうか反省会を行った。
一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
「什」によっては多少違うところもあった様だが、最後の「ならぬことはならぬものです」との言葉は、どの什も共通だった。そして教えに背いた者がいれば、什長はその者を部屋の真ん中に座らせ、事実の有無を審問し、事実に間違いがなければ年長者の間でどの様な制裁を加えるかを相談し、子供らしい制裁を加えたという。
「什」も「制裁」も全て、大人達に言われて作ったものではなく、子供達が制約や強制を受けずに自分達が率先して自身で作り、それを実行した。「会津武士の子は斯く在るべし」ということを互いに約束し、励み合ったのだ。
今問題となっている「いじめ」は、卑怯以外の何ものでもなく、やはり今でも「卑怯な振舞いはしてはなりませぬ」「弱い者を苛めてはなりませぬ」「ならぬものはななぬもの」との教えは正しいのである。いじめをしてる子供だけじゃなく、その周りの友達も教師達も大人達も卑怯な振舞いをしていませんか。
cordial8317 at 05:59│Comments(0)
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