停電は日本を救う!呵呵大笑!対中外交は冷徹で高圧的な対応で臨むべし!

2012年07月09日

盧溝橋事件は中国共産党の陰謀

 7月7日は「盧溝橋事件」が起きた日だ。支那事変(日中戦争)は日本の侵略戦争だと日本国内では未だ自虐史観が蔓延しているがこれは明らかな誤謬である。

 我が国は「北京議定書」に基づき在留邦人保護の為に軍隊を駐屯させていたのだが、盧溝橋でその日本軍を攻撃してきたのは中国共産党というのは歴史的事実。

 上海でも日本人保護のために合法的に駐留していた海軍陸戦隊に、正規軍10万人で一方的に攻撃を仕掛けてきて、日中戦争は本格化した。何れも中国共産党が仕掛けた戦争であり、つまり侵略者は日本ではなく中国共産党なのだ。

 以前、田母神元幕僚長が発表した論文には、「米英蘭などとの戦争は、どう見ても日本の自衛戦争であり、またアジア開放の戦争であったと思っている人は多い。しかし、中国との戦争については中国の本土に軍を進めたのだから侵略だ、と思い込んでいる人が意外に多いようだ。しかしこれは完全な間違いである。条約に基づいて他国に軍隊を駐留させることは国際法的に全く合法であり、侵略ではない。日米安保に基づき日本に米軍が駐留しているのは(好き嫌いは別として)侵略ではないのである。逆に合法的に駐留している米軍を自衛隊が攻撃して戦争になった場合、それが日本国内で戦われたとしても、侵略者は日本ということになるのである」と実に分かり易く説明している。

 日中戦争勃発前は果たしてどういう状況だったかというと、支那の新聞の大勢は「日本をやっつけるべし」という対日主戦論が幅を利かせていた。当時の主戦論には、過激な知識人・学生・都市市民、中国共産党、地方軍閥の3グループが在った。

 中国共産党と軍閥は知識人などに主導された過激世論を味方として、蒋介石政権に対しての立場を有利にしようと狙っており、特に中国共産党は反日を最大の政治的武器として使っていて、昭和6年(1931年)11月に江西省の瑞金に成立した中華ソビエト共和国は毛沢東の名により日本に対して「宣戦布告」を発している。

 この様に何時、何処で日本攻撃が起っても不思議ではない状況の下、昭和12年(1937年)7月7日に「盧溝橋事件」が起ったのだ。

 実は共産党にとって当時の状況は深刻で、西安事件により蒋介石は共産党攻撃を中止し、毛沢東と協力関係を作ることを約束した。しかし、その後蒋介石は次々に厳しい条件を突き付け、この窮地に大博打を打って出たのが中国共産党であった。

 国民党軍の中に大量に潜り込ませていた共産党軍に「反日」を煽り、そこに紛れてた中国共産党員が発砲事件を7月7日22時40分に起こしたのだが、中国共産党がこの事件を起こしたことは今や100%明らかだ。

 発砲事件の翌8日に、共産党は中央委員会の名で長文の電報を蒋介石や全国の有力者、新聞社、団体に発信している。実は日本軍は、8日午前5時30分に初めて反撃を開始したのである。当時の通信事情からしても8日に初めて反撃されたのに、8日に公式電報を作成し発信することなど絶対的に不可能だ。 その証拠が存在する。

 支那派遣軍情報部北平(北京)支部長秋富大佐は、「事件直後の深夜、天津の特殊情報班の通信手が、北京大学構内と思われる通信所から延安の中共軍司令部の通信所に緊急無線で呼び出しが行われているのを傍受している。

 無線で「成功した」と3回連続反復送信していたという。その時はこれが何を意味するものか解らなかったというが今ではそれが「盧溝橋事件」の明らかな証拠とされている。謀略が成功したことを延安に報告し延安では電文作りが行われたのだ。

 日中戦争の原因となった「盧溝橋事件」は中国共産党が起こした謀略であり、何時までも「日中戦争は日本の侵略だった」などというプロパガンダを鵜呑みにしないで、戦争の発端となったこの事件の「事実」を知ることが大事である。

cordial8317 at 13:21│Comments(0)

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