沢田研二の「我が窮状」を嗤うシュガーキングと呼ばれた男・松江春次

2012年05月09日

財政再建は薩摩藩の茶坊主「調所笑左衛門」に学ぶべし!

 消費税増税を柱とした社会保障と税の一体改革関連法案が審議入りした。消費税増税反対の小沢の党員資格回復も重なり、政局は一気に波乱含みだ。

 消費税増税は致し方ないような雰囲気が巷間漂っているが、社会保障と税の一体改革というなら、先ずは膨れ上がる国債の利率を先ずは廃止したら如何か。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というが、財政再建を歴史上の人物で見倣うべきなら、薩摩藩の調所笑左衛門(ずしょしょうざえもん)だろう。

 江戸時代も中期から後期になると、殆どの大名は藩の財政に苦しんでいた。算段は、市中の商人や金貸しから借りなくてはやりくり出来なかったという。

 七十七万石の薩摩藩も例外ではなく「武を以て尊しとする」薩摩藩は経済を軽視し、二十五代藩主の島津重豪(しげひで)は西洋被れもあり、大金を投じて「天文館」を建てたり、博物全書を出版したりと資金を湯水の様に浪費した。

 その結果は当然の如く、文政十年(1827年)の頃には、薩摩藩は五百万両もの借金を抱えることとなったという。この頃の薩摩藩の石高(税収)は年間十五万両程度だったというから、実に年間予算の33倍もの借金を負っていたことになる。

 現在、我が国の税収は40兆円余りで、借金は1000兆円程度だからその約25倍となる。そう考えれば今の我が国政府よりも財政的に酷かったというのが理解出来る。

 そこで登場したのが調所笑左衛門。元々は殿様の茶坊主だったが、経理の才能に秀でてた為に小納戸役頭取に抜擢され藩の財政再建を一任されることとなった。

 茶坊主らしく知恵を働かせた笑左衛門は、債権者に「借金の返済方法について相談したいことがあるのでお越し願いたい。証文の書き換えをしたいので持参されたし」との通知を出したという。債権者は疑いも無く城に上る。

 債権者らは幾ばくかの返済を当てにして赴いたのだろうが、笑左衛門は証文を出させると、何と火鉢の中に投げ入れてしまったのだ。唖然とする債権者らだ。

 そこで笑左衛門は必死の形相で、呆然とする債権者に向かって「借金は二百五十年腑で御返しする。但し、利息は付けない。無理は承知。それが否だというなら私を突くなり、斬るなり好きにしてくれ」と言い放ったという。

 債権者にしてみれば証文は既に灰となっているし、商人が武士に楯突ける訳も無し。「笑左衛門さまがここまで覚悟を決めたのは余程のことが在るのだろう」と、斯くして年二万両ずつ二百五十年かけての返済に同意することとなった。

 その後、藩内の経費を切り詰め、一方では南の島の黒砂糖貿易を独占して財政を立て直した。重豪の次の藩主の斉彬が藩内の工業化に成功したことで藩の財政は潤い、明治維新という日本の開国に大きく寄与して行くこととなった。

 因みに、年二万両の返済は笑左衛門の約束通り、明治初頭までは続けられていたが、廃藩置県により藩が消滅し、その約束は反故されたのは言うまでもない。

 現在の税収が40兆円余りしか無いのに社会保障や医療、教育費、防衛予算、公共事業などの一般会計予算は90兆円を優に超える。国債発行に伴う利息の支払いを止めるには調所笑左衛門のやり方を見倣って無利息の国債発行なんてどうだろう。呵呵。

cordial8317 at 07:29│Comments(0)

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