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2021年02月07日

「北方領土の日」は2月7日ではなく5月7日にすべし!

 本日は「北方領土の日」。己の土地を他人に奪われて黙っている者はいないだろう。況してや父祖伝来の国土が強奪されて泣き寝入りする民族が何処にあろうか。

「北方領土奪還」は正に日本民族の悲願である。ところが、戦後65年以上経った今日でも、北方領土問題は未だ解決の糸口すら見えて来ないのは一体何故なのか。

 思うに、領土主権の重要性に対する認識不足と、如何に不法に占拠されたかの真相把握が欠如していること、更には、ロシアへ(ソビエト共産党)の認識の甘さと対応の甘さ等が綯い交ぜとなった結果が、未解決の根源であろう。

 北方領土は「日露和親条約」並び「樺太・千島交換条約」「日露講和条約」締結により、歯舞、色丹、国後、択捉の4島を含む、北は占守(シュムシュ)島から得撫(ウルップ)島の全千島列島と南樺太が固有の領土となった。

 領土問題では、共産党が「全千島、南樺太の主権」を訴えているが、この認識が正しく「4島返還決議」の返還要求こそ軟弱土下座外交の極みである。

 先人達の外交努力を無視し、全千島と南樺太の主権が在るにも拘らず、4島のみの領有権主張を明記し、見す見す権利を放棄するとは理解に苦しむ。領土問題などの外交での譲歩は「更なる譲歩を生むだけである」ということを自覚すべし。

 安政元年(1855年)2月7日、下田で「日露和親条約」が締結され、歯舞・色丹・国後・択捉4島と千島列島の間に境界線が引かれ、樺太を混住の地と決めた。

 その後、明治8年(1875年)5月7日には「樺太・千島交換条約」が交わされ、樺太の北側を千島列島と交換し、南樺太と全千島が日本に帰属した。

「北方領土の日」は、江戸幕府時代に締結した「日露和親条約」を論拠とする2月7日より、日本国として「樺太・千島交換条約」を締結した5月7日が相応しく、2月7日にしていることは国民への目晦まし且つ弱腰外交と断じざるを得ない。

 右翼民族派は、国際法規である「日ソ不可侵条約」が蹂躪された8月9日を「民族痛恨の日・反ロシアデー」として「北方領土奪還」を訴えている。

「北方領土の日」を8月9日にせよとは言わない迄も、南樺太・全千島が日本に帰属した5月7日に訂正し、北方領土の歴史の事実と悲劇の現実を啓蒙すべきだ。

 1945年(昭和20年)2月、米国のルーズベルト、ソ連のスターリン、英国のチャーチルがクリミア諸島のヤルタで密談。ルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄を進言し、ソ連の対日参戦を促した。

「ヤルタ協定」では、ソ連が日本との戦争に参戦すること、南樺太をソ連に返還すること、千島列島をソ連に引き渡すことなどが決められたという。

 この密約に従ってソ連は、ドイツが無条件降伏した約3ヵ月後の8月9日未明に「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し対日宣戦を布告、ソ満国境を越えて侵略。

 日本人を虐殺、婦女子を強姦、鬼畜の如き行為を繰り返し、軍人、軍属、一般人を含め80万人以上の人間をシベリアへ抑留し、半数以上を凍死、餓死させ現在に至っている。日本人はこうした悲劇を決して忘れてはならない。

 ロシアは「ヤルタ秘密協定」を楯に北方領土の主権を主張しているが、「ヤルタ秘密協定」こそが国際法的にも意味を成さない協定なのだ。

 日本は「樺太・千島交換条約」並びに「ポーツマス条約」を論拠に領土の主権を主張をすべきで、4島返還要求など言語道断と断じる他はない。

 ロシアに対し毅然と4島を含む南樺太、全千島列島の即時返還と国際法規の蹂躙と蛮行の謝罪要求すべきである。韓国に不法占拠されている「竹島」も然り。

 最近では沖縄県尖閣諸島の領有権を、支那や台湾が自国領だと主張しているが、これは戦後、歴代の政府や国会が、領土主張を疎かにしてきた結果だ。

 世界の各地で民族争いの中で国境紛争が頻繁に起きている。世界では寸土たりとも主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識。奪われたものは奪い返す以外に解決手段は無い。北の島々に眠る御霊と共に還れ北方領土!

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cordial8317 at 07:20
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