「女性宮家論」は所謂「天皇制廃止運動」の一環である大東亜戦争勃発から70年に想う

2011年11月30日

「袴田事件」を知っていますか?

「BOX(袴田事件 命とは)」という映画を観た。「こんな不条理が在っても良いのだろうか」と言うのが正直な感想だ。警察や検察の正義が在るということを信じてのことだが、この映画を観たらそんな考えは吹っ飛んだ。

「袴田事件」とは、昭和41年6月30日未明、静岡県清水市(現静岡市)の味噌製造会社の専務宅から出火し全焼。焼け跡から一家4人の死体が発見され、その後、味噌工場の二階の寮に住み込みで働いていた袴田巌さんが逮捕された。

 証拠品は、微量の血痕が付着したパジャマのみ。物的証拠が乏しい中、長時間の過酷な取調べによって、袴田さんは終に自白してしまった。

 一審の公判中の昭和42年8月31日、工場内の味噌タンクの中から麻袋に入っていた血痕の付着した衣類が発見され、パジャマから一転しこの衣類が証拠となった。

 パジャマの血痕。味噌タンクに一年も入っていたとは思えない衣服。犯行時に使用したと言われる切り出しナイフなど、誰が見ても不可思議な物的証拠が提出された。明らかなでっち上げだったが昭和55年に上告が棄却。死刑が確定した。

 翌年、静岡地裁に再審を申し立てるも、平成6年棄却された。現在は、東京高裁第二刑事部に即時抗告審継続中だ。

 冤罪を生む理由には、警察の固定観念と捜査のいい加減さや自白の強要や捏造、証拠品の不確かな鑑定など様々だろう。今の時代は科学捜査が当たり前になっているが、一昔前には信じられない様な驚く鑑定が相次いだのも事実。

 昭和24年、弘前大学の松永藤雄教授宅で妻が何者かに咽を斬られ殺された事件が起きた。近所に住む那須隆という男が逮捕され、彼の着衣から血痕が見つかり、それを証拠に犯人と断定され実刑判決を受けた。

 彼は犯行を否認していたが起訴され、検事らのメンツもあって「反省も無い」との理由から15年の刑を丸々務めることになった。 

 那須さんが釈放されて間もなく、「弘前大学教授夫人殺害は自分だ」と、滝谷福松という男が名乗り出る。彼の証言に因れば、教授宅はミシン修理に行って面識もあり、犯行時の詳細を供述した。紛れもなく滝谷福松の犯行だった。

 15年の刑を終えた那須氏は早速仙台高裁に再審請求するが、何故か高裁は棄却された。2年後、那須氏が再審請求すると今度はあっさり受理され、無罪判決が出た。鑑定の結果、当時証拠とされた着衣の血痕は別のものだったという。

 真犯人も逮捕され、そんな証拠品などはでっち上げだった事は始めから判りきっているのに、何故に2年前には再審請求が却下されたのか。何のことはない、血液鑑定を行った古畑種基東大教授が生きていたからだった。

 要は、事件の事実の解明よりも、科学捜査研究所所長も務め、文化勲章を授与された古畑教授の名誉が優先されたのだった。

 2年の間に古畑が鬼籍に入り、漸く無罪判決を得るが、こんないい加減な鑑定や判決が当たり前の様に行われていたという事実に驚きは隠せない。

「袴田事件」を担当した紅林麻雄も、やはり拷問による尋問、自白の強要、供述調書の捏造、自己の先入観による捜査方法の常習者だったという。

 二俣事件」「幸浦事件」「小島事件」など、紅林が主導した捜査での行き過ぎが指摘されている。その紅林もバチが当たったのか脳梗塞を患い鬼籍に入った。

 冤罪を生む元凶は、捜査に携わる人間の驕りや傲慢さ、更には、間違いを認めず、屋上屋を架すからだろう。「過ちて改めざる此れを過ちという」諺も在るし、「過ちては即ち改むるに憚ること勿れ」とも言うではないか。

 今からでも遅くはない、真犯人は勿論のこと事件を知る関係者は名乗り出て真実を語って欲しいものだ。袴田受刑者の健康を祈るばかり。

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cordial8317 at 15:13
「女性宮家論」は所謂「天皇制廃止運動」の一環である大東亜戦争勃発から70年に想う