「放射能はごめんだ」脱原発集会と打ち上げ花火の中止「爆ちゃんの無事を確認する会」という酒乱会

2011年09月26日

釣りと酒を愛した作家・開高健が好んで使った故事

 一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい。
 一日幸福でいたかったら、床屋に行きなさい。
 三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。
 一年幸福でいたかったら、新しい家を建てなさい。
 一生幸福でいたかったら、釣りを覚えなさい。

 この言葉は、釣りと酒を愛した作家・開高健が好んで使った故事成語だ。

 釣りを覚えてからというもの、その奥深さと、愉しさは言わずもがなだ。昨日も今シーズン最後の渓流釣りに行って来た。昨日も一人の釣行となり、キャッチアンドリリースを繰り返しつつ、晩酌の肴に25センチと27センチのイワナを2匹キープ。

 イワナの腸を捌こうと思ったその時、釣友の哲ちゃんが現れたのにはビックリ。色々と悩みを抱え、今シーズンは同道出来ないと思っていたので嬉しい誤算だ。

 哲ちゃんの釣行に付き合い、あっという間にキープサイズを3匹確保(1匹はビミョー)。1時間程で納竿し、会津若松市内の「古川農園」の手打ちの大盛り肉そば食べて哲ちゃんと別れた。哲ちゃんの渾身の悩みが早く解消されることを祈る。

 開高健の故事に戻るが、床屋に行って幸せに浸りたくても愚生の場合、バリカンで自分で丸刈りするから関係はない。結婚が三日間だけってのは言い得て妙。家を建てたこともないし、建てたいとも思わないが、所詮は家なんぞ一年も経てば喜びも薄れて、厭きてしまうというのも何となく分かる気がする。

 無理して家を建てたところで固定資産税に窮して齷齪と働くしかないのは目に見えている。我が国は資本主義で自由主義というが、その体制は破綻している。所得税やら固定資産税やら相続税などの過度な酷税を見れば「日本的社会主義国」と言っても過言ではない。といっても愚生には所得税も固定資産税も関係はないか(笑)

 飲酒が1時間程度の喜びしかないのかと言えば、声を大にして「否、違う!」と反論したくなる。シナの六朝時代、東晋に陶淵明という詩人がいた。名は潜。貧乏だったから官途に就いたが、どうしても性に合わない。結局、41歳の時、県令を最後に官を退き、田舎へ帰って63歳で天寿を完するまで酒と詩を愛し続けた。

 陶潜は天性の酒好きで、酒さえあれば他に何の欲も無く、住まいは雨風をやっと凌ぐばかりのあばら屋。着衣も継ぎ接ぎだらけの穴だらけで、飯櫃も往々にして空になる。それでも一向苦にしなかった。周りの村人らは陶潜の暮らしぶりを見かね、時折酒席を設けてはこの貧乏詩人を招いた。招かれた陶潜は遠慮もせず御馳走に与り、酔いが廻ればさっさと帰り、興が乗れば酒を称える詩を作った。

 陶淵明の飲酒詩は男の浪漫を感じるものが多い。陶潜は酒を「忘憂物」と呼んだ。以来、忘憂物は酒の異名となり、酒好きを忘憂君と言う様になった。

 酒を飲めば忽ち良い気持ちになって、嫌なことなど忘れてしまう。だが、陶潜の凄いところは、自分が酒を飲むことで周りの人々の憂さをも忘れさせてしまうことにある。酒飲みは斯く在りたいものだが、愚生は未だ未だ修行が足りない。

 陶潜も愚生も社会からのドロップアウトという点では一緒だ。毎日ぶらぶらして飲んだくれているというのも似た様なものだ。こうした生き方を選べば周りからは次第に敬遠されがちになって行くのが普通だろうが、陶潜がそうはならずに天寿を完したのは、やはり人徳というものだろう。

 大らかに誘いを受け無心に酒を飲み、飲む程に、酔う程に一緒にいる人々まで愉しくさせる、そういう忘憂君になりたいものだ。明日は楽しみにしている酒席がある。今から待ち遠しい。ということで明日を思い浮かべて一献やるとするか。呵呵。  

cordial8317 at 08:44
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