満州事変の起因となった柳条湖事件勃発から80年日本国憲法の見直しなくして日本の再生はない!

2011年09月13日

蓮舫よ「日本の若者への歴史に関する教育が足りない」とは笑わせる

 蓮舫こと村田蓮舫参議院議員が、北京で行なわれた中国日報社と日本の言論NPO法人が共催する「第7回北京‐東京フォーラム」に参加し、次の様に宣った。

「日本は歴史上に於いて中国を侵略した歴史がある。これは非常に痛ましい事実。しかし一部の日本人はこれを認めていない。日本の内閣メンバーはたまに中国の人達を傷つける発言をしている。学校にしても家庭にしても、日本の若者への歴史に関する教育が足りないと思う」と、自らの無知を曝け出した。

 教育が足りないのは、蓮舫を始めとした中共に媚び諂う軽佻浮華の政治家どもであり、恥を知るべきだ。蓮舫に限らず「日中戦争は日本の侵略戦争だった」と多くの人が思い込んでいることは未だ日本が自虐史観から目覚めていない証左である。

 果たして、日中戦争(支那事変)勃発前はどういう状況だったのだろう。当時、支那の新聞の大勢は「日本をやっつけるべし」という対日主戦論が幅を利かせていたのは事実である。主戦論には、3つのグループが在り、一つは過激な知識人・学生・都市市民で、二つ目は中国共産党、三つ目は地方軍閥であった。

 共産党と軍閥は、知識人などに主導された過激世論を味方として、蒋介石政権に対しての立場を有利にしようと狙っており、特に共産党は「反日」を最大の政治的武器として使っていて、昭和6年(1931年)11月に江西省の瑞金に成立した中華ソビエト共和国は、毛沢東の名により日本に対して「宣戦布告」を発している。

 この様に何時、何処で日本攻撃が起っても不思議ではない状況の下、昭和12年(1937年)7月7日に「盧溝橋事件」が起った。共産党にとって当時の状況は深刻で、西安事件により蒋介石は共産党攻撃を中止し協力関係を作ることを約束した。

 然し、その後、蒋介石は次々に厳しい条件を突き付ける。この窮地に、大博打を打って出たのが共産党だった。国民党軍の中に大量に潜り込ませていた共産党軍に反日を煽り立て、それに紛れて発砲事件を7月7日22時40分に起こしたのだ。中国共産党がこの盧溝橋事件を起こしたことは今や100%明らかなのだ。

 発砲事件の翌8日に共産党は、中央委員会の名で長文の電報を蒋介石や全国の有力者、新聞社、団体に発信している。日本軍は8日午前5時30分に初めて国民党軍に反撃を開始したのだが、当時の通信事情からしても、8日に初めて反撃したのに、その8日に公式電報を作成し、発信することなど絶対的に不可能である。

 その証拠が存在する。支那派遣軍情報部北平(北京)支部長・秋富大佐は事件直後の深夜、天津の特殊情報班の通信手が、北京大学構内と思われる通信所から、延安の中共軍司令部の通信所に緊急無線で呼び出しが行われているのを傍受した。

「成功した」と3回連続反復送信していたという。その時は此れが何を意味するものか解らなかったというが、今ではそれが「盧溝橋事件」の明らかな証拠となった。謀略が成功したことを延安に報告し、早速延安では電文作りが行われたのだ。

 田母神俊雄元幕僚長のアパ論文の冒頭には、「中国との戦争については中国の本土に軍を進めたのだから侵略だ、と思い込んでいる人が意外に多いようだ。しかしこれは完全な間違いである。条約に基づいて他国に軍隊を駐留させることは国際法的に全く合法であり、侵略ではない。日米安保に基づき日本に米軍が駐留しているのは(好き嫌いは別として)侵略ではないのである。逆に合法的に駐留している米軍を自衛隊が攻撃して戦争になった場合、それが日本国内で戦われたとしても、侵略者は日本ということになるのである。日本は『北京議定書』に基づき在留邦人保護のために軍隊を駐屯させていた。盧溝橋でその日本軍を攻撃してきたのが中国軍である。また上海で日本人保護のために合法的に駐留していた海軍陸戦隊に、正規軍10万人で一方的に攻撃を仕掛けてきて、日中戦争は本格化した。何れも中国軍が仕掛けたことであり、侵略者は日本ではなく『中国』なのである」と実に分かり易く述べられている。

 支那事変の原因となった「盧溝橋事件」は、中国共産党が起こした謀略というのは歴史的事実であり、世界の常識である。日本国民は「日中戦争は日本の侵略だった」などという中共や米国のプロパガンダを鵜呑みにしてはいけない。

 戦争の発端となったこの事件の「真実」を知るべきであり、それを知らずに態態北京へのこのこと出向いて、「日本の若者への歴史に関する教育が足りない」などと中共を持ち上げ、自虐的歴史認識を垂れ流した村田蓮舫は国会議員の資格無し。早々に政界を引退し、お笑いタレントにでも転職したら如何だろう。 呵呵大笑。

cordial8317 at 06:52
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