2011年08月08日
悲憤慟哭・民族痛恨の日、昭和20年8月9日を忘れるな!
福島原発事故以来、「反原発」「脱原発」は国民に浸透し、その輪は益々脹らんでいる様だ。「被爆」とは原爆に拠るもので、「被曝」とは原発事故などで放射線の被害に曝されていることを言う。
今年は広島と長崎の被爆者と福島の被曝者が連帯し、「反原発」「脱原発」を訴えているのが目に付く。過去の「反核運動」には及ばないにしろ、現在の「反原発」「脱原発」運動は、後々「反核集会」同様、反革命運動に発展する危険を孕む。
先の大戦では我が国は、米国と国の威信を賭けて戦っていた訳で、勝利する為に新しい兵器を開発すれば、それ使用するのは当然で、米国が原爆を開発し、日本も毒ガス兵器などを研究していたのも事実。
広島、長崎の原爆投下を全て是認する訳ではないが、原爆投下は、当時の状況を鑑みれば、米国に三分の利を認めざるを得ない。
社民党系の原水協や共産党系の原水禁らは、原爆を投下したのが米国だから、執拗にこの古傷を暴き、国内の反米感情を煽り、日米離間を謀っているに過ぎない。
長崎に原爆が投下された同じ日、旧満州や北方領土で起きたロシアの蛮行には何ら抗議の声を挙げ様とはしない。マスコミは彼らを「平和団体」と報道するが、この何処が平和団体か。「平和」を利用する単なる「平和屋」「革命団体」ではないか。
昭和20年8月8日未明、ロシア(旧ソ連)はヤルタ秘密協定を忠実に遂行する。有効期限が残されていた「日ソ不可侵中立条約」を一方的に破棄し、満州や南樺太に侵略を開始する。
日本人同胞の虐殺、強姦、略奪がこの日を以て開始され、南樺太、全千島列島、北方四島が強奪されたのである。政府も平和屋も未だロシアの蛮行を糾弾したことは一度も無く、彼らに平和を口にする資格は無い。
この旧ソ連の鬼畜の如き蛮行で亡くなった方は、広島・長崎の原爆で亡くなった方を遥かに超える。更に不当にシベリヤに抑留され、極寒の地で亡くなられた方も数え切れない。抑留された日本人は、日本国内では約60万人と言われている。
この60万人の数字は軍属だけの数字で、民間人を含めると更に多い。ロシアの資料でも約70万人、米国の資料では約90万人と言われているが、その中で亡くなられた方はどれ程に上るのか、今こそ正式な被害者数を調査すべきだろう。
ソ連の北方領土の強奪、残虐非道、鬼畜の行為は終戦後も収まる事はなく、樺太では昭和20年8月20日、樺太真岡郵便局の女子郵便局員の伊藤千枝(23歳)、可香谷シゲ(23歳)、沢田キミ(19歳)、志賀晴代(22歳)、高石みき(24歳)、高城淑子(19歳)、松橋みどり(17歳)、吉田八重子(21歳)、渡辺照(17歳)の9名が最後まで職務を全うし、最後は従容として青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。
彼女達の悲劇を伝えた映画「氷雪の門」という映画が有る。その映画の上映が決定されると、日本社会党や日本共産党は猛反対し終には上映が禁止された。
外務省の外交文書に、当時のロシアの蛮行が生々しく書かれている。 「ソ連兵は30年来の怨みを晴らすはこの時なりとし邦人の所持品は一物をも残さず略奪し婦女子に対しては時所を弁えず暴行を加えるの暴挙に出て・・・」「ソ連進駐と共に市街の様は一変し、ソ連兵市内を横行し略奪を縦(ほしいまま)にして、9月1日女32名を監禁し、若き娘は毎日14,5名、年配の婦人は毎日10名交代に暴行を加えその結果6名は死亡し、然らざる者も負傷の為歩行の自由を失うに至る・・・」
悲憤慟哭・民族痛恨の日、昭和20年8月9日を忘れるな!
今年は広島と長崎の被爆者と福島の被曝者が連帯し、「反原発」「脱原発」を訴えているのが目に付く。過去の「反核運動」には及ばないにしろ、現在の「反原発」「脱原発」運動は、後々「反核集会」同様、反革命運動に発展する危険を孕む。
先の大戦では我が国は、米国と国の威信を賭けて戦っていた訳で、勝利する為に新しい兵器を開発すれば、それ使用するのは当然で、米国が原爆を開発し、日本も毒ガス兵器などを研究していたのも事実。
広島、長崎の原爆投下を全て是認する訳ではないが、原爆投下は、当時の状況を鑑みれば、米国に三分の利を認めざるを得ない。
社民党系の原水協や共産党系の原水禁らは、原爆を投下したのが米国だから、執拗にこの古傷を暴き、国内の反米感情を煽り、日米離間を謀っているに過ぎない。
長崎に原爆が投下された同じ日、旧満州や北方領土で起きたロシアの蛮行には何ら抗議の声を挙げ様とはしない。マスコミは彼らを「平和団体」と報道するが、この何処が平和団体か。「平和」を利用する単なる「平和屋」「革命団体」ではないか。
昭和20年8月8日未明、ロシア(旧ソ連)はヤルタ秘密協定を忠実に遂行する。有効期限が残されていた「日ソ不可侵中立条約」を一方的に破棄し、満州や南樺太に侵略を開始する。
日本人同胞の虐殺、強姦、略奪がこの日を以て開始され、南樺太、全千島列島、北方四島が強奪されたのである。政府も平和屋も未だロシアの蛮行を糾弾したことは一度も無く、彼らに平和を口にする資格は無い。
この旧ソ連の鬼畜の如き蛮行で亡くなった方は、広島・長崎の原爆で亡くなった方を遥かに超える。更に不当にシベリヤに抑留され、極寒の地で亡くなられた方も数え切れない。抑留された日本人は、日本国内では約60万人と言われている。
この60万人の数字は軍属だけの数字で、民間人を含めると更に多い。ロシアの資料でも約70万人、米国の資料では約90万人と言われているが、その中で亡くなられた方はどれ程に上るのか、今こそ正式な被害者数を調査すべきだろう。
ソ連の北方領土の強奪、残虐非道、鬼畜の行為は終戦後も収まる事はなく、樺太では昭和20年8月20日、樺太真岡郵便局の女子郵便局員の伊藤千枝(23歳)、可香谷シゲ(23歳)、沢田キミ(19歳)、志賀晴代(22歳)、高石みき(24歳)、高城淑子(19歳)、松橋みどり(17歳)、吉田八重子(21歳)、渡辺照(17歳)の9名が最後まで職務を全うし、最後は従容として青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。
彼女達の悲劇を伝えた映画「氷雪の門」という映画が有る。その映画の上映が決定されると、日本社会党や日本共産党は猛反対し終には上映が禁止された。
外務省の外交文書に、当時のロシアの蛮行が生々しく書かれている。 「ソ連兵は30年来の怨みを晴らすはこの時なりとし邦人の所持品は一物をも残さず略奪し婦女子に対しては時所を弁えず暴行を加えるの暴挙に出て・・・」「ソ連進駐と共に市街の様は一変し、ソ連兵市内を横行し略奪を縦(ほしいまま)にして、9月1日女32名を監禁し、若き娘は毎日14,5名、年配の婦人は毎日10名交代に暴行を加えその結果6名は死亡し、然らざる者も負傷の為歩行の自由を失うに至る・・・」
悲憤慟哭・民族痛恨の日、昭和20年8月9日を忘れるな!
cordial8317 at 18:07
この記事へのコメント
1. Posted by 男は狼 2011年08月08日 20:16
民族痛恨の日忘れません。
明日は露大使館に抗議に行きます。
明日は露大使館に抗議に行きます。