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2021年02月03日

文章の極意は難解なものは易しく、易しいものは格調高く(伊藤仁斎)

 儒学である「論語」「孟子」は、浅学な愚生には哲学的過ぎて理解し難いものがある。儒学を「日本の儒学」に確立した人物が伊藤仁斎。仁斎の儒学は、同じ儒学の朱子学とは一線を画し、庶民でも理解出来る様にと易しく説いている。

「読書百編義自(おのずか)ら見(あらわ)る」として「論語」「孟子」を読むのも好いが、儒学の入門書として仁斎の「童子門(どうじもん)」に優るものはない。

 真理の道は「仁・義・礼・智」であり、聖人(孔孟)は善を成し、悪を遠ざけ、徳を磨く様に勧め「忠・信、敬・恕」も人間の本性の善を維持する拠り所となる。「童子門」では、「仁」とは、徳のうちでもっとも最大最高のものであると説く。

「仁」について、「これを一言でいうなれば、愛そのものである。それは君臣の関係に於いては義といわれ、父子では親といわれ、夫婦では別といわれ、兄弟では序といわれ、朋友では信といわれるが、みんな愛から発したものである(三十九条)」
 
 仁斎は、寛永四(1627)年、京都の材木商の子として生まれた。石田梅岩と同じ町人出身ということが影響し、その教えは実に分かり易いものが多い。

 仁斎が登場するまで、日本の儒学は朱子学の独壇場であったが、仁斎はこれを孔孟説を歪曲するものとして「論語」「孟子」に戻ることを提唱したのである。朱子学が全盛の時代に「論語」「孟子」以外は無用というのも勇気ある提唱だろう。

「論語」も「孟子」は各章薀蓄のある名句が並ぶが、理解し難いものが少なくない。だが、仁斎の「童子問」を読むと孔孟の言葉が理解した気になるのは不思議だ。仁斎こそ、大陸の儒学を「日本の儒学」として確立したというのを理会する。

 今日でも大学教授や売文屋らが書いた儒学の書物に目を通すと、やたら難しい言葉を羅列し自分に酔っているが、結局何を言いたいのか分からないものばかり。右翼人の中でも四書五経を然も自分の思想であるかの様にひけらかす輩がいる。

 請売りばかりで自分の言葉になっていないから相手に響かない。武士道で一番嫌われるのが「衒学」だが、真に学問を積んでいれば衒学臭くはないものだ。 

 仁斎はこういうものを「邪説」を振りまく輩と喝破し、「難解なものは易しく、易しいものは格調高くというのが文章の極意」と説いている。弟子に「先生の説は余りにも卑近過ぎて平俗過ぎるのではないですか」と問われ、こう答えている。

「卑近で平俗ということは常識ということである。常識こそ真理なのだ。難しくて高邁なものは空理空論である。学問とは世の為人の為に役立つものでなければならないのだから、卑近であるのが当然である。日常生活を軽視する者は、道を究めることは出来ない。(二十四章)」。蓋し正論である。

「童子問」を読むと、解り難かった儒学というのが親しみ易くなるのは、これこそ仁斎の趣意であり、日本独自の儒教と謂われる所以なのである。

 本来、学問とは他人を説得したり、論破したりするものではなく、自分自身がどう生きて行くかといったことに答えを見出すものでなくてはならないという。

「石門心学」の祖といわれている石田梅岩は、学問とは「人倫を明らかにし、身を敬み、義を以て君を尊び、仁愛を以て父母に事え、信を以て友に交わり、広く人を愛し、貧窮の人を憐み、功あれども伐(ほこ)らず、万事約を守り、家業に疎からず、入るを量って出すことを知り、法を守って家を治めること」だと訓えている。

 吉田松陰は、「学問をする眼目は 自己を磨き自己を確立することにある」と訓え、頭山満も「沈勇を心掛けよ」と訓えている。学ぶことで自分自身を鍛え上げることが、自然に相手や周りまでも好い影響を与えるものとなるという。

 右翼のカリスマと言われた野村秋介は、「人を動かすものは決して理論などではなく、自分の謙虚な反省に基づく人間性以外にあり得ない」と教えていたが、学問や理論よりも何をするにもやはり人柄が大事なのは言うまでもない。

 右翼というのは愚生も含め、日本人としての正論を語っていながら世間から忌み嫌われるのは、人となりに問題があるのだろう。先ずは人格形成の向上を図り、一維新者として斯く生きるべきだということを学ばねばならないのだと痛感する。

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