似非環境保護団体のテロに屈し調査捕鯨が中止になった我ら三人、死んだ後にオリオンの星になろう!

2011年02月22日

今日2月22日は「竹島の日」です

 我が国が主権を回復する昭和27年の1月、韓国初代大統領の李承晩は国際法を無視し、突如として軍事境界線である、所謂「李承晩ライン」を設定し、日本領土である竹島を取り込んで「韓国領」と宣言した。以後、韓国が実効支配している。

 終戦後のGHQの占領下で、無力な我が国の立場を見透かして、泥棒猫の様に竹島を掠め取ったというのが歴史的事実である。我が国の主権が快復される3ヶ月前のこの行為は明らかな侵略行為であり、断じて許されるものではない。

 戦後、李承晩ラインを侵犯したとして拿捕、抑留された日本人漁民は日韓漁業協定が成立する昭和40年の間に3929人に及び、船舶328隻、死傷者は44名に及んだ。

 韓国政府は日本人抑留者との引換えに、日本国内で犯罪を犯し収監されていた在日朝鮮人472名の放免と日本滞留特別許可を要求。日本政府は已む無くその要求に応じた。それ以降在日がゴキブリの如く殖え続け、在日特権が次々と与えられて行く。

 韓国が主張する根拠は、三国史記という古代朝鮮の歴史書に鬱陵島の隣の干山島が新羅の領土と書かれているとして「4~5世紀から韓国領だった」という。古地図では干山島は鬱陵島の西に接近していて、竹島は鬱陵島の東南92キロに在るのだから、干山島が竹島ではないのは誰にでも分かるが、韓国人はそれを理解出来ない。

 抑抑、李氏朝鮮時代には鬱陵島すら空島政策に由って居住が禁止されており、それより遥か先の島のことなど関心も認識も無かった。日本では徳川時代から魚採が行われ度々渡航していた事実があり、竹島は明らかに日本領土なのだ。

 竹島問題を紛らわしくしているのは、日本では当時は鬱陵島のことを竹島と呼んでいたことぐらいなものだろう。 昭和29年9月25日、日本政府は、この問題を「国際司法裁判所」に付託することを提議しているが、韓国政府は未だに応じていない。応じていないというより、応じられないというのが本音だろう。

 また、昭和26年に韓国がアメリカ政府に対し、ポツダム宣言の解釈として「日本が放棄した領土には竹島(独島)が含まれるべきである」と要求している。

 だが、「独島、又は竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人島である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことは決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島はかつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思いません」(ラスク国務次官補より梁韓国大使宛書簡、19511年8月10日付) と回答されている。

 領土問題が未だ解決の曙光すら見えないのは何故なのか。思うに領土そのものの重要性に対する認識不足と如何に不法占拠されたのかという真相把握の欠如、相手国への認識の甘さや歴代の政府や国会が領土主張を疎かにしてきた結果である。事の重大さを認識し、実力行使も辞さない覚悟で抗議と返還要求を断行すべし。

cordial8317 at 06:09
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