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2011年02月18日

幕末の思想家・佐久間象山

 佐久間象山は愚生と姓が同じということもあり、気になる歴史上の人物の一人でもある。その尊大な物腰から毀誉褒貶相半ばする人物として知られているが、言動は兎も角として幕末に於ける最高の思想家には違いないだろう。

 象山は、自らを「天下の師」を任じて、その態度は人を見下す倣岸不遜な人物だったという。身長五尺八寸(174cm)、道行く時は萌黄色の五泉平の馬乗り袴を穿き、黒文字肩衣に白縮みの帷子を羽織り、備前長光の白柄の太刀を差していたというから、まるで自己顕示欲の俗物が歩いている様なものだったに違いない。

 元治元年(1864)7月11日、京都三条木屋町で「人斬り彦斎」こと河上彦斎に暗殺された際も、象山が仕えていた信州松代藩では誰一人として同情する者もなく、佐久間家は断絶の処分を受けたというから、地元でも嫌われていたことが分かる。

 だが、その暗殺者であった河上彦斎は、象山をして「絶代の豪傑」と呼び、幕末の傑物である山岡鉄舟は象山を「人傑」と慕っていた。吉田松陰は象山の弟子であるが、ペリー艦隊への渡航計画を企てたのも象山だった。

 その為に、松陰が囚われると象山も連座して同罪となり、国元(信州松代)で蟄居することになる。 その時書いた「省けん(侃の下に言)録」というものがある。(省けんとは、過ちを省みるという意味)その中の一つに次の様な一節がある。

「君子には五つの楽しみがある。一つは、財産や地位とは関係なく、一族の者が皆礼儀を心得て、親子兄弟の間に不和が無いこと。二つは、金品の授受をいい加減にせず、心を清く保ち、内には妻子に恥じず、外には民衆に恥じないこと。三つは『聖学』を学んで天地自然や人間の大道を心得え、時の動きに従いつつも正義を踏み外さず、危機に際しても平時と同じ様に対処出来ること。四つは、西洋人が科学を発達させた後に生まれて、孔子や孟子の知らなかった処の『理』を知ること。五つは、東洋の道徳と西洋の芸術(技術)と、この両方について余すところ無く詳しく研究し、これを民衆の生活に役立て国恩に報ずること」

 この教えが後に「和魂洋才」となって、アジアで唯一の近代化を成し遂げることが出来るのである。思えば敗戦後の我が国は、この和魂、つまり伝統的日本精神を忘却しているところに今日の悲劇が有るのではないだろうか。

cordial8317 at 05:18
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