本日は建国を偲び国を愛する心を涵養する日幕末の思想家・佐久間象山

2011年02月14日

石田梅岩という人を知ってますか?

 日本人は勤勉な国民だと言われて来た。何故勤勉なのかと問えば、多くの人は「貧しかったから」だという。だが、日本より貧しい国は沢山在る。それらの国民も勤勉かといえばそうとは限らない。日本人の美徳とされたものに「勤勉と貯蓄」があるが、それを提唱し、生活思想に高めた人物が石田梅岩(いしだばいがん)である。

 学者(学ぶ人)は、知識よりも心を磨くことを先にしなければならない。心を磨けば自らの行いを慎み、自らの行いを慎めば「礼」に合致し心は安らかとなる。

 心の安らかなのが「仁」。仁は天に備わる根本の「気」である。天の気は万物を生み出して養育する。この心を会得することが学問の初めであり終わりでもある。

 梅岩は「石門心学」の祖といわれているが、「石門心学」は然程知られていない。武士も大名も学んだが、梅岩自身が商人の出ということもあり「町人哲学」といわれ、今日でも関西では「事業に行き詰まったら梅岩を読みなはれ」と「都鄙問答(とひもんどう)」と「斉家論(せいかろん)」は経営者のバイブルとなっている。

「商人というとも、聖人の道を知らずんば、同じ金銀を儲けながら、不義の金銀を儲け、子孫の絶ゆる理に至るべし。実に子孫を愛せば、道を学びて、栄ゆることを致すべし」「不義の金銀を儲ければ、子孫もそれを倣う。一時的に儲けたと思っても、その結果は破綻を齎す」とは、商人が心に刻むべき金言である。

 江戸時代にあって商人は「士農工商」の最下位に置かれ「金儲け=賤しい」と軽蔑の対象にあった。商人の役割について「余ったものを足りない所に送り社会全体を過不足なくすることだ」といい、倹約の公共的な経済効果を打ち出した。

「倹約」は「ケチ」とは違う。「ケチは、貯めたカネを後で贅沢しようと思うことで、倹約は社会の為我慢すること」である。現在の経営者に至ってはケチが多い。

 3度のメシを2度に減らしてはいるが、その減らした分を足らない所や頑張っている人を助けてやれば良いものを、後で自分で食べたりバカ息子に譲ったり。日本の景気低迷の一因は経営陣のこうした心の乏しさも有るのではないだろうか。

 梅岩の終局の目的は、日常生活の仕事を通して「人格修行」をする処にあった。その答として、梅岩は「ボウフラは人を刺さない。だが蚊になれば人を刺す。此れは蚊に人を刺してやろうという心が有るからだ。また蛙は蛙だから蛇を怖がる。つまり全ては心が決める」と独自の見解を述べた上で更にこう付け加える。

「即ち心とは形となって表れる。何かの形はそのものの心を表している。従って正しい行いをしたければ先ず正しい心を持たねばならない」。これが「心学」と云われる所以である。そこで得られる結論は簡単に言えば「らしく」ということ。

 武士は武士らしく、農民は農民らしく、商人は商人らしく、夫夫の道が有りその役割と責任を果たすことによって、社会の秩序安寧を保つというものである。

 日本人の勤勉さというのは、先人からの教えが自然と身に付いていているのだ。先祖から連綿と受け継いできた日本人らしい教えを継承して行かねばならない。

cordial8317 at 07:24
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