2010年11月19日
いのちのバトン
相田みつをの詩に「自分の番 いのちのバトン」というものがある。
父と母で二人
父と母の両親で四人
そのまた両親で八人
こうしてかぞえてゆくと十代前で
千二十四人
二十代前では?
なんと百万人を越すんです
過去無量の
いのちのバトンを受けついで
いまここに
自分の番を生きている
それが
あなたのいのちです
それがわたしのいのちです
今の自分が存在しているのは、沢山の御先祖様のお蔭である。同じ様に、国にも歴史がある。日本は歴史上、人口移動の殆どない稀有な国である。
日本列島に存在していた人は皆我々の御先祖様である。その共通の御先祖様からの流れの中に今日の我々がいる。日本の歴史は正に我々の御先祖様の歩みである。
その日本の歴史を悪し様に罵る輩は御先祖様の歩みを否定していることであり、つまりそれは、自分という存在自体を否定していることと同じであろう。
こうした日本人らしからぬ自己中心的発想は「男女共同参画社会」を唱える連中に多く見られる傾向で、唯物論とマルクス・レーニン主義に冒された精神異常者やジェンダフリーを叫ぶ性的変質者らしい実に身勝手なものばかり。
福島瑞穂の著書に「生まない選択 子供を持たない楽しさ」という本がある。この本でそのキチガイぶりを発揮しているが、子供が出来ないなら兎も角として、「生まない」「持たない」とは恐れ入る。その福島には子供がいる(苦笑)
民主党の目玉「仕分け作業」では、男女共同参画社会関連の破格予算が仕分け対象にならないが、これ程の無駄で悪しき制度を仕分けせずに何が仕分けか。男女共同参画社会を排除し、国防費や教育の充実、景気回復予算に充てるべきだろう。
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という。人間の命は儚い。自分の短い人生の中での経験よりも、滔滔と続いて来た先人の多くの経験から学ぶことが懸命。
御先祖様の営為を学ぶことが歴史を学ぶことであり、そんな歴史に思いを馳せれば「子供は必要ない」という考えなど起こる筈もない。そう今が自分の番なのだ。
父と母で二人
父と母の両親で四人
そのまた両親で八人
こうしてかぞえてゆくと十代前で
千二十四人
二十代前では?
なんと百万人を越すんです
過去無量の
いのちのバトンを受けついで
いまここに
自分の番を生きている
それが
あなたのいのちです
それがわたしのいのちです
今の自分が存在しているのは、沢山の御先祖様のお蔭である。同じ様に、国にも歴史がある。日本は歴史上、人口移動の殆どない稀有な国である。
日本列島に存在していた人は皆我々の御先祖様である。その共通の御先祖様からの流れの中に今日の我々がいる。日本の歴史は正に我々の御先祖様の歩みである。
その日本の歴史を悪し様に罵る輩は御先祖様の歩みを否定していることであり、つまりそれは、自分という存在自体を否定していることと同じであろう。
こうした日本人らしからぬ自己中心的発想は「男女共同参画社会」を唱える連中に多く見られる傾向で、唯物論とマルクス・レーニン主義に冒された精神異常者やジェンダフリーを叫ぶ性的変質者らしい実に身勝手なものばかり。
福島瑞穂の著書に「生まない選択 子供を持たない楽しさ」という本がある。この本でそのキチガイぶりを発揮しているが、子供が出来ないなら兎も角として、「生まない」「持たない」とは恐れ入る。その福島には子供がいる(苦笑)
民主党の目玉「仕分け作業」では、男女共同参画社会関連の破格予算が仕分け対象にならないが、これ程の無駄で悪しき制度を仕分けせずに何が仕分けか。男女共同参画社会を排除し、国防費や教育の充実、景気回復予算に充てるべきだろう。
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という。人間の命は儚い。自分の短い人生の中での経験よりも、滔滔と続いて来た先人の多くの経験から学ぶことが懸命。
御先祖様の営為を学ぶことが歴史を学ぶことであり、そんな歴史に思いを馳せれば「子供は必要ない」という考えなど起こる筈もない。そう今が自分の番なのだ。
cordial8317 at 08:03