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2010年11月09日

天皇皇后両陛下、明治神宮を御親拝

 畏くも天皇、皇后両陛下並びに皇太子殿下は、昨日、創建九十周年を迎えた明治神宮を御親拝なされ明治天皇と昭憲皇太后の御遺徳を偲ばれた。

 承知の通り、明治神宮は国民の総意により、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び大正4年(1915年)に着工し、その5年後の大正9年に創建された神社である。

 平成16年、明治神宮は神社本庁から離脱し一宗教法人となったことは記憶に新しい。明治神宮側と神社庁との確執の末の離脱したのは誰もが知るところ。

 明治神宮側は「離脱の理由」として、平成16年4月の陛下の御親拝なされる際の関係者への案内状に、有ろうことか「陛下」を「殿下」と誤記してしまった責任を取って離脱したとしている。だが、その理由は正に堅白同異の弁で有るのは明らか。

 明治・大正を生きた国民の総意で建立した神社(明治神宮)を私物化し、神職どもが明治神宮側が営利至上主義に奔っている現状は憂慮すべき事態であろう。

 本来、神社=神道とは宗教ではなく、日本人の心に清む惟神の道である。宗教法人の規定では、教祖と経典と布教活動の三条件が必要で有るが、明治神宮はその何れも該当しておらず、宗教法人に甘んずることは国民への裏切りだ。

 神社本庁から離脱し一宗教法人となること自体、建立の趣旨から鑑みても逸脱しており、先人の努力も、国民の総意も踏み躙るもので看過出来るものではない。

 それにも況して問題なのは、神職に携わる者が明治神宮を利用して営利に奔っていることであろう。「神社本庁に属さなくても独立採算出来る」と言うその邪な考えは実に醜く、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ神社としては不謹慎過ぎる。
  
 明治神宮側が一宗教法人となることは、未だに宗教法人となっている靖國神社や全国に在る護国神社とは根本的に違う。靖國神社や護国神社が宗教法人となっているのは、戦後GHQの「神道指令」を免れる為に已む無く採った智慧でである。

 本来ならば昭和27年4月28日の主権快復した折に、国が護持すべきものであったのだ。歴代内閣の不作為で未だ国家護持実現されていないことは憤激に堪えない。

 明治神宮の神社庁離脱と目に余る営利主義は、戦神道指令や占領政策を容認するばかりか、明治神宮建立の趣旨からも逸脱するもので猛省を促したい。

cordial8317 at 07:54
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