何故支那人は人殺しが好きなのか東京・横浜「B級グルメツアー」に参加してみた

2010年09月03日

「支那脅威論」世界に溢れ出る漢族

 民主党政権下、中国共産党の策謀にまんまと嵌り、「観光立国」「ビザの簡素化」といった愚策を実行し、今や日本国土は支那人に蚕食されつつある。

 朝日新聞を始めとした売国マスゴミは、チャイナタウンと化した池袋北口付近を日本の新たな観光スポットで有るかの様に紹介している記事を度々見るが、実際は不法滞在、不法就労が罷り通った異常な不法地帯というのが事実である。

 米国やヨーロッパ、ロシア、アジアの国々はゴキブリ並みに繁殖力の有る支那人を警戒し、あらゆる策を講じているが、どういうことか我が国では積極的に支那人を受容れようと言うのだから狂気の沙汰と言う外は無い。

 抑抑、清朝は封禁制で漢族の移住を禁じていたから、満州やその北方のロシア領、沿海州に漢族が居ることは無かった。しかし、清朝の衰退に乗じ、漢族は大河沿いに進出し、売掛代金が返済出来ない土着民から「婦人を奪い取り、まるで家財道具か何かの様に、自分ら同士で分け合っていた」という。(同地を探検したアルセールニエフ著「デルスウ・ウザーラ」の解説から引用)

 それを遡ること約100年前、北方の樺太の地で、漢族は既に活動していた証拠が残っている。1807年、樺太からアムール河下流地帯を探検した間宮林蔵は、「漢族商人は、借金を払えない樺太・アイヌ人の其子、其兄弟を率い帰て質と成す」との内容を「東韃靼紀行」で報告している。

 その結果として、今日のロシア極東では合法・非合法を問わず、移住支那人の数は800万人~1000万人に達し、民族別では、今やロシア人に次いで第二位だ。イシャエフ・ハバロフスク州知事は「ロシア領土側に間断無く浸透しつつある支那人は、次第にロシア人をこの地域から追い出す様になる。

 シベリア・極東は最初は支那の影響圏に、やがて支那が事実上保有し、最後には法的に支那の領土になってしまうだろう」と眼前の危機を訴えている。

 南方のインドでも「支那脅威論」が噴出している。産経新聞に拠れば「東北国境地帯での水資源開発に対するアジア開発銀行の融資を中共政府が潰そうとした」「シッキム州ナトゥラ峠で中印両軍が衝突した」等の情報が交錯し、メディアは、インド政府が国境地帯で中共軍の活動を隠蔽していると非難している。

 しかし、問題は日本である。親中派の中国愛は逞しく、加えて戦後民主主義に洗脳された贖罪意識からか「日中友好」を推進し、「中国とは同文同種の関係」だとか「一衣帯水だから」と宣うが、これは全く誤った認識と言わざるを得ない。

 日本が支那との対等外交に踏み切ったのは607年の遣隋使であり、645年「大化の改新」を実現するも、663年の白村江(はくすきのえ)での敗戦を機に中華圏との外交を絶つ。その後1871年の「日清修好条規」を結ぶまでの約1200年に亙り日本は日本の中で日本文化を熟成させたのである。

 大陸からの漢字に音と訓を付け、ひらがな(後にカタカナ)を付け加え、大和言葉を表現し、支那とは全く別の文字体系と文化を創造したのである。一方の支那は戦乱に次ぐ戦乱、易姓革命の連続で、文字文化の発達は全く止まった儘だったのだ。

 日中友好など幻想に過ぎず、支那と朝鮮とは絶交するに越したことは無い。我が国は過去のロシアの轍を踏まぬ様に訪日する支那人(漢民族)の素行調査と徹底した取締りを怠ってはならない。ガンバレ公安・警察諸君!

cordial8317 at 08:43
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