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2010年07月17日

神道と日本人

「豊葦原(とよあしはら)の千五百(ちいほ)秋の瑞穂の国は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地なり。宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(しら)せ。行(さきく)ませ、宝祖(あまひつぎ)の隆えまさむこと、当に天壌(あめつち)と窮(きわま)り無かるべし」(日本書紀)

 自然は人智の及ばない大いなる存在。雷雨や日照りや嵐を人間は制御することは到底出来るものではない。人々は、自然を征服すべく挑み続けるか、それとも自然と共に生きて行くかなのだが、賢明なことに我が古の人々は共生することを選んだ。

 何故なら自然は一瞬のうちに暴れ回り甚大な被害を出したりもするが、それと同時に無限の恵みを齎してくれたりもする。そこで我が祖先達は、自然の織り成す新羅万象を「神」と呼び、豊穣を齎してくれた「神」を称え、荒ぶる「神」を畏れ、鎮め、人々は「神」と共に生きて来たのである。

 新羅万象の全てが「神」の姿で、山の神、海の神、或いは岬、谷、森、石、水・・・そして人間も、その神の在る景色の一部に過ぎなかったのである。

 日本固有の信仰である「神道」は、こうした世界の中から生まれた。神と共にあるから「カンナガラ(惟神)」といい、神の命を与えられているから、人は「神の子」、生命は神の「ワケミタマ(分霊)」と考えられた。

 人は、彼等の暮らす土地の神「ウブスナガミ(産土神)」の御陰を被って誕生し、産土神や、その他諸々の神々と正しく付き合っていくことで四季の恵みを享受し、そして最後には、産土神に導かれて祖霊の世界に帰って行ったというものである。

 民衆レベルの神々の世界は、この様な意味付けを必要としないまでも、自然に体現し、「神」を感じとっていたのである。こうした神々の世界に、天上界の別格の神々の世界「高天原」が重ねられたのは、天皇による国家統一以降のことである。
 
 自然信仰の観念に重ねられた神々の天上世界が「高天原」だ。天に固有の住居を持つ神々は、高天原で育てた稲(ユニワのイナホ)をその苗裔に授けるという神話によって、この国の神々の世界に革新を齎した。

 地上の王権は、高天原の神々の苗裔である天皇の支配するところとなり、地上に住居を持つ国津神(クニツカミ)は高天原に住む天津神(アマツカミ)の支配下に入った。神祇(ジンギ)の世界の誕生である。

 高天原というのは、神道の中に生じた垂直思考の産物であるが、民衆レベルでは、自然と共にある神は、何処まで行っても水平に広がる世界だった。太陽の昇る東の方位には「命の源の世界」が在り、日の沈む西の果てには「死の世界」があった。

 この水平に広がる生と死の世界に高天原という垂直の軸が導入されることによって、その頭上に「高天原」、高天原の下には水平に広がる「中津国」と「海神(ワタツミ)の世界」、そして「黄泉の国」という三層構造が完備されることになった。

 古事記」や「日本書記」は、これらの世界が全て「高天原」の支配下に入るよう神話を整えた。高天原は天照大御神が支配し、中津国は、その苗裔である天皇(スメラミコト)の支配領と定められ、海はスサノオ、ないしキヨミノミコト、或いは神武天皇の兄である稲氷命(イナビノミコト)の支配下に入り、黄泉の国は、やはり天津国であるイザナギないしその息子であるスサノオの世界となった。 

「高天原」の登場によって、日本の神道はオカルト的なシャーマニズムから固有の神々(八百万)の世界と信仰が生まれていったのである。

cordial8317 at 09:50
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