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2010年06月11日

須賀川市出身の根本博元中将伝「この命、義に捧ぐ」

 福島県岩瀬郡仁井田村(現須賀川市)出身の根本博元陸軍中将が、死後40年余を経て注目を集めている。根本中将を主人公に描いた「この命、義に捧ぐ」(門田隆将著・集英社)が出版されているが、産経新聞にも根本中将の経歴が掲載さた。

 今日も、地元紙「福島民報新聞」に根本中将の特集記事が掲載されている。門田隆将著の「この命、義に捧ぐ」は、義を貫く生涯を送った根本博元陸軍中将(1891~1966年)の人物像を描いたノンフィクションの歴史記録である。

 産経新聞も春の特集記事の中で、「終戦直後、邦人保護のために蒋介石が手をさしのべてくれた恩義に報いるべく、密航までして身を投じた日本人将軍の秘話が戦役後60年を経て明らかになった」と、根本元中将のことを取り上げている。

 大東亜戦争末期の昭和20年8月9日、旧ソ連は、ヤルタ密約の実行から未だ有効だった「日ソ不可侵中立条約」を一方的に破棄し、満州、南樺太に侵略を開始した。

 終戦間際のロシアに因る鬼畜の如き所業は筆舌に尽くし難い。敗戦時に、駐蒙軍司令官だった根本博中将は旧ソ連の侵攻を食い止めつつ、軍上層部の武装解除命令を敢えて無視して、邦人保護の優先を部下に命じた。この根本の決断に拠って、支那・内蒙古に残された在留邦人約4万人を脱出させることに成功する。

 その在留邦人脱出の際に中国国民党の蒋介石から受けた恩義に報いようと、GHQの統治下だった戦後の昭和24年6月に、九州から老朽漁船で中華民国に密航する。決死の思いで辿り着いた根本は、国民党軍に協力し、そして軍事顧問に迎えられる。

 中国国民党と中国共産党との間で支那大陸の覇権を争って繰り広げた「国共内戦」の事実上の最終戦であった「金門島・古寧頭(こねいとう)の戦い」で、共産党軍を壊滅させる策を授けた。この戦いから三年後、根本は日本に帰還するが、晩年、根本は、自らのこの台湾での行動を誇示することは無かったという。

 台湾当局は台湾独立の先駆けとなった「金門島の戦い」に、先の大戦で敵対した旧日本軍の将軍が参画したことを認めては来なかった。否、出来なかったのだろう。

 然し、昨年10月、金門島で行われた「古寧頭戦役60周年記念式典」に、根本元中将と共に渡った関係者の子息と門田氏らが出席した際に、その席で馬英九総統や軍幹部が初めて謝意を伝えた。根本元中将もあの世で感無量だったに違いない。

 門田氏は根本元中将を「窮地にある蒋介石の力になりたいとの一心で台湾行きを決行した。根底にあるのはヒューマニズム。戊辰戦争で敗れ賊軍となった福島出身であることが影響しているのだろう。毅然とした生き方に学ぶべきだ」と評す。

 根本元中将は正に、会津士魂の教えである「譬え義に死するとも不義を以て生きず」の生き方を実践した武将だ。郷土の偉人の勇姿は時を経て今、光彩を放つ。

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cordial8317 at 07:28
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