日教組は我が国に巣食う「癌」である。「命を守る」最重要課題は国防である

2010年03月09日

福島民報新聞「みんなのひろば」に7回目の採用

 先日、友人の父親の葬儀があり参列したが余りにも過剰な演出が目に付いたので、「福島民報新聞」に「過剰演出は故人への冒涜」として投稿したら採用された。

 昨年9月に政治批評を中心に投稿を始めて以来、今回で7度目の採用だ。採用されると嬉しいものだ。「過剰な演出は故人への冒涜」とのタイトルが、「過剰演出やめて・葬祭場の告別式」 となっていたが、投稿した原文は次の通り。

「先週、立て続けに葬式があった。一人は同級生で、もう一方は友人の父親である。同級生は、日頃から明るい性格で、まさか自殺で亡くなるとは夢にも思わなかったが、死のうとするまでの悩みや苦痛に同級生として少しでも力になれなかったのが、返す返すも残念でならない。告別式は同級生の営む葬祭場で行われ他の同級生と共に参列した。残された娘さんが「お母さんへの手紙は、てっきり私は結婚式で読むものと思っていた」との別れの手紙を読み上げると、参列者の涙を誘っていた。派手な演出もなく、しめやかに行われた。その数日後に、友人の父親が郡山で倒れ、処置の甲斐なく幽冥境を異にした。告別式は二本松の葬祭場で行われたが、開式前から葬祭場の社長らしき人の説明が入り、故人の思い出話や来賓の挨拶と見間違うばかりの講釈を延々と聞かされたのには驚いた」
 
 今、どの家庭も手狭になり、便利さもあって葬祭場を利用する家庭が多くなった。葬祭場の関係者は、連日繰り返される葬儀に慣れっこになり過ぎているのではないだろうか。過剰な演出をして、泣かせるために美辞麗句を並べて悦に入ってる様だが、こうしたイベント的告別式に辟易している参列者も少なくない。

 参列者は下手な演出を見に来たわけではなく、しめやかに故人を見送ろうとしているのであって、こうした過剰演出に参列者や遺族が利用されるのはまっぴらだ。こうした過剰に演出された葬式は、故人を冒涜しているように感じる。 合掌

cordial8317 at 12:41
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