さてさて、目明きとは不自由なものだなぁ(塙保己一)今の境遇に合わせて、家に閉篭り、寝て暮らそうと考えている(葉隠)

2023年12月28日

「何れの道にも別れを悲しまず」剣豪・宮本武蔵の処世術に学ぶ

「葉隠」は「武士道とは死ぬことと見つけたり」というが、宮本武蔵の「五輪書」はもっとクールで合理的な武士道であり、「死ぬということ位なら、僧侶でも女でも百姓その他でも弁えている、武士に限ったことではない」と言い放つ。

「武士が兵法を実行する場合は何事に於いても他人より優れている事が第一の条件である。個人対個人の戦いに勝ち、数人の戦いに勝つのは主君の為、我が身の為、名を上げて身を立てる為である。万事に役立つ様に心掛けてこそ兵法の徳である」

 要するに、武蔵は武士が死ぬことを覚悟しているのは当然で、その本質は「常に勝つこと」であり、それによって名を上げる事が目的だと教えている。

「葉隠」の武士道が主従関係に重きを置いているのに対して、武蔵の武士道は戦国の世を如何に勝ち抜き、如何に生き抜くかの現実的な兵法であったのだろう。

「五輪書」には、「山水三千世界を万里一空に入れ、満天地とも攬(と)る」という一節が在る。「山水三千世界」とは、仏教の世界観に於ける宇宙の単位のことであり、「万里一空」とは「世界はどこまでいっても空は一つ」とか「全てのものは一つの世界に留まっている」という考え方である。

 万里一空の意味は、「どんなに遥か遠くまでいっても空は一つしかない。全ては一つの世界に留まっている」。これこそが、武蔵の実践した思想の根本でもある。

「何事も動揺せず、常に冷静な気持ちで事に当たる」「一つの目標に向かって精進する」などの意味として解釈される。頭では理解するもののコレをいざ実践するとなると実に難しい。人の死や別れに限らず、何か些細な事でさえも右往左往してしまいがちだが、何事も万里一空と思えば冷静にもなれるというものだろう。

 正統右翼浪人を自任している愚生は、世の中の由無し事に一喜一憂し、ブログやフェイスブックなどで尤もらしく時局厳正批判を披歴しているが、目先のことを語ることやSNSでの意見の一致を見ない喧々諤々の議論に何の意味もないことを悟る。

「自然体」とは普段通りではなく相手に合わせることでもある。読書などでの理論武装も好いが、それよりも天地自然や人間の大道を心得えや時の動きに従いつつも正義を踏み外さず、危機に際しても平時と同じ様に対処出来る心構えを日頃から意識することこそ大事であり、そういう意味では「日々修行」ということに尽きる。

 武蔵は弟子に「独行道」という21ヶ条の置文を遺した。その一部を列記する。

 一、世々の道に背くことなし
 一、身を浅く思い、世を深く思う
 一、一生の間欲心思はず
 一、我事に於いて後悔をせず
 一、善悪に他を妬む心なし
 一、何れの道にも別れを悲しまず
 一、神仏は貴し、神仏を恃まず

 この中に「何れの道にも別れを悲しまず」というものが記されてあるのに刮目する。それでは、宮本武蔵という人物は血も涙も無い冷血漢だったのだろうか。

 例えば、酒を嫌いな人が「我、酒を絶つ」とか、或いはタバコを吸わない者が「タバコを絶つ」などと書かない。飲みたいが、或いは吸いたいが止めようと自分に誓願した者が「絶つ」と言ってこそ、人に訴えるものがあるのではないか。

 そう考えれば武蔵は寧ろ、人一倍感情豊かで熱血漢だったのではないだろうか。別離に人並み以上の涙を流しながら、涙を見せまいと努力した人間に違いない。

 愚生の盟友だった蒼穹社代表の瀬野壽夫を思い出す。理由は解らぬが、死なねばならない悩みや苦痛が有ったのだろう。盟友として少しでも力になれなかった事を悔やむばかりだが、その苦痛や悩みが「渾身の悩み」なのかは調べる術も無い。

「渾身の悩み」とは、明日には必ず死に逝く特攻隊の方々の悩みである。この英霊の方々の悩みに比べれば、我々の悩みなんぞちっぽけなものだと思うのだが・・・。「何れの道にも別れを悲しまず」 。愚生も斯くありたいものだ。合掌。

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cordial8317 at 07:10│Comments(0)

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