迷走する民主党連立政権月日が流れても忘れない心

2010年01月27日

苦難や試練には大きな意味がある

 右翼浪人暮らしというのは金銭的には楽ではないが、「乞食の朝謡」というのと一緒で気楽なものである。防挺時代でも、金権右翼と揶揄された時代には未だ新入りで、オイしい思いをしたことが無いから耐えられるのかものかも知れない。

 最近、漸く「欲なければ足る」というものが、何となしに理解して来た感じがする。何のことはない、歳を取ったということでもあるのだろう(笑)

 若いうちの苦労や失敗は大きな財産を生むというのは間違いない。苦難というものは醜い顔をし厭な顔をして苦痛の姿を採ってはいるが、実は吾等の敵ではなく味方である。苦難は一番親身に吾が身の為を思って突っ掛けてくる正義の友でもある。

 苦難や耐えきれない試練というのは人を殺す為に有るのではなく、人をより善くし、より一歩を進ませ向上させる為に起こるのである。 豪傑、山中鹿之助は「願わくば吾が身に七難八苦を与え給え」と月に祈って修行をしたという。

 苦難は危険を教える慈悲の鞭である。幸福と苦難は表裏一体であり苦難の本質を弁えれば、人生の苦難はやはり「天の与えた試練」と考えるべきなのである。

 西郷隆盛は「艱難は楽しむものなり」と曰く。自殺未遂を経験した西郷は、2度の遠島処分、そして西南戦争と苦難続きの人生を送った人物だったが、真っ黒な目の巨漢というイメージとは裏腹に、その生涯は常に死の影が付き纏っていた。

 それでも西郷は、「いつ死んだっていい。人事を尽くして天命を待つだけだ」という処生観を持ち、開き直って生きている様なところがあったという。

 私利私欲や保身とは無縁で、清濁併せ呑む器用さもなく、その大人格故に多くの信望を集め、また自分の死に際でさえ実に潔い人物だったという。 苦難や試練には意味が有ると共に、逆に「常に開き直りの処世観」もまた大事なのである。呵呵

cordial8317 at 10:59

この記事へのコメント

2. Posted by 爆発五郎   2010年01月27日 14:58
中年の星さん、自分は8月で大台です。

先日、反省の意味を込めて、守餞奴の小沢に『西郷翁遺訓』でも送ってやろうと思い立ち、小沢事務所のホームページ覗いてみたのですが、西郷翁の言葉を記した色紙が「座右の銘」としてアップされてまして、大笑いしました。

ヤツには、西郷翁の理想は理解不能な様です。
1. Posted by 中年の星   2010年01月27日 14:11
爆発五郎様
「不惑最後の歳」私は3月で49歳になりますが、
爆発様とは非常に年齢が近いようですね。
西郷南州翁といえば「敬天愛人」であり、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に
困るものなり、この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」の
遺訓が胸に響きます。
今の「政治屋」どもに聞かせてやりたいです。
長々と大変失礼いたしました。
どうかお身体大切に頑張ってください。
応援しております。
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