変節漢、山岡賢次天網恢恢疎にして漏らさず

2010年01月16日

卑しい思想と狂気の正気



 三島由紀夫曰はす。

『自己放棄に達しない思想は卑しい思想である』。

 つまり、思想を抱くということは、そのまま「死」を覚悟するということなのである。左翼も右翼も社会主義者も国粋主義者も関係なく、常に思想信条の為に命を賭す覚悟が大事である。が、しかし現在の右翼(思想家と言うには痴がましい)を気取る輩にその気概は視られず、唯唯口舌の徒に成り下がっている。思想家とは士(侍)であるべきと考える。

 吉田松陰曰はす。

 人生というものは極めて短いものであり、夢、幻の様なものである。誹りを受けることも、褒められることも一瞬である。栄えることも衰えることも瞬時である。儚い人生で、一つだけでいい、永久に朽ちない事柄を成し遂げられれば十分である。

 三島由紀夫は「檄文」でこう促した。

 『我々は戦後の経済的繁栄に現を抜かし、国の大本を忘れ国民精神を失ひ、本を正さずして末に走りその場凌ぎの偽善に陥り・・・ 政治は自己保身、権力欲、偽善のみに捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦汚辱は払拭されず誤魔化され、日本人自ら日本の歴史と伝統を潰してゆくのを歯噛みしながら見ていなければならなかった。』

 三島由紀夫の憂いた日本は未だ当時の儘で、国家百年の大計を外国に依存して恬として恥ていない。旧来の思想や社会構造を打破しようとする時、常軌を逸した行動が生まれる。その行動こそ「正気の狂気」であり、この「狂気」こそ閉塞状況を打破する力に成り得るのだ。

 「人は何の為に死ぬのか」
 「人は何の為に死なねばならないのか」

 日々この言葉と対峙しているのだが・・・

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cordial8317 at 18:21
変節漢、山岡賢次天網恢恢疎にして漏らさず