2023年05月

2023年05月31日

昭和40年代の左翼革命運動に比べれば近代珍左翼は単なる革命ごっこ

 1972(昭和47)年5月30日、イスラエルのテルアビブ空港で乱射事件が起きた。実行犯は日本赤軍幹部の奥平剛士(当時27歳)と、京都大生・安田安之(同25歳)、鹿児島大生・岡本公三(同25歳)の3名。このテロは世界を震撼させた。

 事件発生の日を「『日本赤軍(JAPAN RED ARMY)』結成の日」とした。その日本赤軍の最高幹部だったのが、昨年5月に手厚い介護を受けて出所した重信房子。

 日本赤軍は、1974年のオランダのフランス大使館が武装占拠されたハーグ事件に関与。重信は獄中で日本赤軍の「解散宣言」を出したが、ハイジャック事件の際超法規的措置で釈放された坂東國男と東アジア反日武装戦線で三菱重工業本社ビル爆破事件を惹起した大道寺あや子が、重信の「解散宣言無効宣言」を出している。

 アラブ諸国などからJAPAN RED ARMYと恐れられた日本赤軍の象徴こそが、「テルアビブ空港(ロッド国際空港、現・ベン・グリオン国際空港)乱射事件」だった。

 現役大学生の衝撃的な事件で、中学生だった愚生も鮮明に記憶が残っていて「革命」というものを朧げ乍らも感じたのはこの時かもしれない。その後、日教組の担任や副担任らの影響もあり、真逆の右翼思想に共鳴して行くことになった(笑) 

 国士舘大学に入り、縁あって防共挺身隊に所属する。初代総隊長は福田進。福田の父は福田素顕(本名・福田狂二。元社会主義者で弾圧を受け支那に亡命する。

 国民党と中国共産党との国共戦で敗退する蒋介石と共に台湾へ向かう。その後に日本へ戻り、国家社会主義者へ転向。初代防共新聞社社主)である。

 福田進著「日本人と油虫」に、「俺はまだアラブを知らない。アラブでは夜空に輝く星が今にも落ちて来るのじゃないかと思うくらい綺麗なんだってな。連合赤軍の兵士てえ自称する、共産主義の三匹の油虫のアンチャンは、イスラエルの空港で好き勝手に暴れ回ってユダ公をぶっ殺した。生き残った一匹は『我々三人は死んだ後オリオンの三つの星になろうと考えていた』。その言葉は稚拙ではあるが荒廃した日本にはないロマンを感じさせるんだなあ。アラブという国が、日本青年をして死を覚悟するまで革命に駆り立てる何かがあるとすれば、俺も夢多き一人として一度アラブへ行って見たい衝動に駆られる。きっとアラブの夜空に燦然と輝くオリオンの星が、油虫の俺を魅きつけるのかも知れない・・・ 」 との一節に感動を覚えた。

 大学時代にこの本に出会い、いつの日かアラブに行って燦然と輝く夜空を見上げてみたいという夢を抱いた。今でもその夢は潰えていないが未だ実現は叶わない。

 右翼人ではあるが、共産主義者にもチェ・ゲバラの様な慈愛溢れる人物もいるし、愚生がゲバラの様な本物の革命家に出会っていれば、行動を共にしたに違いない。カストロやビンラディン、カダフィといった革命家には共鳴を覚える。

 何故なら彼らは左翼ではあるが、祖国を愛する愛国者だからだ。国内の日本共産党や立憲民主党、極左やパヨクどもを見れば愛国者とは程遠い売国奴ばかり(苦笑)

 世界には多くの共産主義者や左翼がいるがその全ては愛国者だ。我が国の左翼の様な売国奴は世界でも稀で珍現象の一つ。珍現象といえば我が国の保守も然り。

 正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の意味を直視し、その中に価値を見出す発見に拠って未来を創造して行くものだが、我が国の保守派は「未来」が全てであり、完全な自由主義者ばかりで、歴史や伝統を過去に学ぶことない。

「退位」の実行を謀り、皇統断絶の序章である「女性宮家」「女性天皇」を、その危険性を知ることなく、党利党略から推し謀ろうとしているのがその最たるもの。

 現在の我が国の堕落した政治を救うには、正統な保守政治家と保守政党の出現を待望して止まないが、何より憂国の至情からのテロリズムの惹起こそ国を救う。

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2023年05月30日

衆議員の延長としての参議院は廃止して一院制にするべし!

 最高裁での一票の格差を巡って、与党は「参議院選挙制度改革」として、定数6増の公選法改正案を提出した。野党はこれを党利党略だと批判しているが御尤も。

 参議院は「良識の府」と言われるが、その良識とは政治的良識であり、何より日本国民としての良心が備わっていなければならないことは言うまでもない。だが、現在の参議院は、衆議院の延長として国民不在の不毛な政争を繰り返すばかり。

 旧帝国憲法下では、貴族院の議員の一部は満30歳以上の男子で国家に勲功がある者や学識のある者の中から勅任された。参議院とは「貴族院」の名残りである。

「勅選議員」でもあるのだが、現在の参院議員に「天皇に選ばれし者」という意識は無く、所詮は党利党略としての単なる数合わせと投票要員に過ぎない。

 参議院改革というのなら選挙制度そのものを変えるか、衆議院のカーボンペーパーと言われて久しい参議院なんぞ廃止するのが賢明だろう。何より税金の無駄だ。

 過去には、「参議院不要論」や「一院制」の意見が出あことはあったが、何故か「それこそが大衆迎合主義」だとか、「衆議院の暴走を食い止めるには二院制は必要」という、尤もらしい意見を並べ立てられ有耶無耶にされて来た。

 過去には、橋下徹が日本維新の会代表だった頃に「一院制」を訴えていたが、いつの間にやらダンマリを極め込んでしまった。財源が危機的状況だというならば、先ずは政治家が模範を示すべきで「隗より始めよ」とはそういうことである。

 政治家自身が自ら歳費などを削り、敢然と行財政改革を実行すれば役人も国民も右倣えするだろうし、国民から尊敬もされるだろうが、国民から詐取している政党交付金(助成金)さえも返納しない政党が身を削る政策なんぞする筈もない。

 イタリアでは上院は選挙で315人の議員を選出していたが、憲法改正の是非を問う国民投票が成立し、上院議員は100人の首長ら地域代表者で構成され、法案の審議や内閣の承認は下院のみが担うこととなり事実上の一院制となった。

 上院議員の100人は選挙ではなく、州議会議員からの74人と市・町長からの21人の計95人と、大統領が任命する5人を加えた総数100人で組織される。上院議員の手当は廃止し、上院事務局は下院に統合され政治経費は大きく軽減された。

 イタリアは過去に、排外主義者のムッソリーニが権力を掌握した教訓から、権限の分散を重視している。上院の権限が強く、議会の「ねじれ」が生じてしまい、2013年の総選挙後には約2カ月間も政権が樹立できない状態に陥ったことも。

 こうした過去の教訓に、上院は下院が持つ普通の立法権は持たず、内閣信任・不信任案を提出する権利も有せず、我が国の衆参両院で見られる様な「ねじれ国会」現象は起こることがなく、重要法案の可決が迅速になるという利点がある。

 我が国の政治審議の鈍さには定評があるが、その上に衆議院の延長として政争が優先され、あろうことか審議拒否してい乍ら、報酬はちゃっかりと頂く。

 我が国もイタリアに見倣って参議院議員を大幅に削減し、首長や地域代表の議員にして事実上の一院制にしたら如何だろうとは思うが、まぁ、党利党略、保身と次の選挙が最優先の我が国の政党や政治屋諸侯には到底無理なことだわな(苦笑)

 選挙制度改革を、憲法改正の是非で国民に問うということが果たして我が国も出来るかといえば限りなく不可能に近い。我が国の護憲派やインチキ平和主義者に共通しているのが、憲法9条を「世界で唯一の平和憲法」だと思ってしまっている。

「平和主義」を謳っている国は成文憲法が在る国で80ヶ国以上に上り、イタリア、スペイン、ハンガリー、エクアドル、フィリピンは日本と同じ規定が在る。

 そんなイタリアが、憲法改正を選挙制度改革を旗印に成し遂げたことも見倣うべきだと思うが、悲しい哉、我が国は何故か、憲法9条だけが問題にされる。これが憲法改正どころか、改憲議論も進まない大きな要因となっているのは言わずもがな。

 参議院の存在意義が問われて久しいが、存在意義どころか劣化甚だしい。先の総務省のインチキ怪文書を楯に高市早苗を糾弾してた小西洋之がその象徴。「原発要らない」「消費税要らない」というなら「参議院と日本国憲法こそ要らない」(笑)

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2023年05月29日

政治家は国民不在の党利党略の不毛な議論を改め隗より始めよ!

 総務省は過去に、有識者研究会で小規模な町村議会などを対象に、議員の兼業・兼職制限を条件付きで緩和するなどの地方議会刷新を提言したことがある。

「小規模な町村議会」や「条件付き」という限定ではなく、全国の各自治体の議会議員の全てに当て嵌めるべきで、「多数参画型」や「集中専門型」の導入に拠って、地方議会の活性化を促すことは住民にとっても大いに結構なことだと思う。

「多数参画型」は、議会は平日の夜間や土日に行い議員報酬を抑制するというもの。諸外国では地方議会というのは夜間や休日に開かれることが多く、それ故に幅広い住民自治が行われている。報酬もボランティア的要素が強く薄給である。

「集中専門型」は、議員数を減らす代わりに兼業・兼職制限は維持し、報酬も相応にするという。議会と住民が議論する場を設け、議員削減による弊害を無くして民意を反映出来る様にするという。選挙というのは民意の結果だが、更に住民との議論で民意を反映されるというのは専門型とは言いながら矛盾している様にも思える。

「多数参画型」と「集中専門型」の二つの良い部分を併用するのが好い。議員報酬や議員数を減らして、平日の夕方や夜間、会社が休みの土日に議会を開催することで、報酬目当てや肩書が欲しいだけの上昇志向著しいさもしい輩らが消えるだろう。

 議員の役割というものは行政のチェックと行政への提案機能である。だが、現在の地方の議会運営は議員の固定化が進み、新しい時代を読み解く考えが弱く、現行の地方自治法の中で十分にその役目を果たされているのかといえば疑問だらけ。

 どこの議会でもそうだが、同じ顔の連中が集まり、なあなあな議会に終始してしまっているのが現状である。議会が平日の夜間や土日ならば様々な職場で資格を持つ人が参画出来るし、専門知識を議会で議論しあえれば実りある議会となるだろう。

 だが、悲しい哉、先進国である我が国は、未だに昼間や日中の議会に拘り、選挙で平身低頭し乍ら、当選すれば偉くなったと勘違い。高給を頂き乍ら地方自治の何たるかも学ぶこともなく、旧態依然の議会運営が繰り返されているのが現状だ。

 自治体の財政事情を考えれば、安定収入のある人が最低限の報酬でボランティア的に議員活動するのが望ましい。その昔は、愚生の父親もそうだったが地方議員は仕事を持ちながらなる人が多く、報酬も微々たるもので名誉職の色合いが濃かった。

 それがいつの間にやら議員が生業となり、報酬だけで食える様になってしまった。選挙にしても供託金さえ払えばポスターや文書交通費、選挙カーに至るまで自治体丸抱え。法定得票を取ればその供託金も戻る。つまりタダで議員になれるのだ。

 議員という生業を求めて、候補者らは政治や地方自治など二の次で議員になる為だけに頭を下げ、握手して愛想を振りまく。議員報酬とは、奉仕的な議員活動に対する対価であり、無闇矢鱈に報酬を弾んで議員の生活を裕福にする為のものでもない。

 議員定数の削減をしたところで、議員報酬が上がるのでは意味はない。定数は地方自治法で決められてる議員数を上限で好いし、議員とは民生委員や保護司の様に、奉仕の心を以て行う究極のボランティア活動であるという認識を共有すべきである。

 議会の改革は何も地方議員だけのことではない。国会議員自ら身を削る意味でも、国民から詐取してる政党交付金を返納廃止し、国民不在の党利党略の不毛な議論を改めることこそ肝要である。「政治家は隗より始めよ」を肝に銘じ実践せよ。

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2023年05月28日

「四十歳迄は勝つ様に四十歳以降は負けぬ様に」

 戦国武将の武田信玄の言葉で「四十歳迄は勝つ様に。四十歳以降は負けぬ様に」というのがある。 若い頃と違い、無理が利かない年齢になって、頑張り過ぎて勝つことだけを追いかけてると、体力も消耗するし、思わぬ大敗を招きかねない。それなりの歳になったなら勝つことよりも、負けぬことのみを心掛けるべしという。

 この言葉は、未だ「人生五十年」の頃の言葉だから、今の時代ならば「五十歳迄は勝つ様に。五十歳以降は負けぬ様に」ということだろうか。還暦過ぎた愚生は「戦わずして勝つ」か、否、「余計な戦いはしない」というのが分相応か(笑)

 また信玄は「勝負の事、十分を六分七分の勝ちは十分の勝ちなり」とも訓える。勝負事は六分か七分の勝ちが好いと言うのだ。つまり、負けなしの圧勝は、次への局面への対処も遅れるし、何より、身内の驕りや慢心、そして油断を齎すという。

「もっと気合いを入れろ」とか「全力を尽くせ」とばかり言ってないで、「少しは休め」「明日に響くから程々に」と、「六分勝ちの哲学」に学ぶ方が効果は大きい。

 美空ひばりの「柔」の歌詞に「勝つと思うな、思えば負けよ」という一節がある。勝負事は「相打ち」で好いと思っていて、気負いの無い方が気が楽になり実力を発揮するもの。斯くいう愚生の場合、勝負事といえば専ら競輪競馬くらいなもの。

 愚生からすると、ギャンブルを否定する人や競輪や競馬なんぞやったことが無い人というのは人間的な魅力を感じない。それは無難な人生を歩んで来たという如何にも安泰した生活臭が、そういう雰囲気を醸し出しているからだろうが、何事も失敗を経験し、バカな事に打ち込んだ人というのはどことなく人間味に溢れている。

 六分の勝ちという教えはギャンブルにも当て嵌まる。色川武大こと阿佐田哲也はギャンブルから学んだ人生観を相撲の勝敗に喩え、「9勝6敗を狙え。8勝7敗では寂しい。10勝を狙うと無理が出る」と教えた。戦国武将の言葉よりも実に分かり易い。

「幸運が続き過ぎると危ない」という考えから、ギャンブルに大負けすると「ここで不運を消化しておけば安心だ」とよく語っていたというが、見倣うべき人生訓。

「満(み)つれば(か)欠くる」ともいうが、愚生の人生も40歳の頃がピークで、後はずっと欠けっぱなし。まぁ、月も三日月になってしまえば後は満ちて来るし、ツキは戻って来るものだから、今を凌げばどうにかなるだろうと楽観視している。

「勝つと思うな思えば負けよ」という。「勝とう」「勝たねば」と思うと実力を発揮出来ずに終わるということが多いが、これを「引き分けで好い」と思うと意外と気負わずに出来るもの。そんな精神的余裕が勝ちに結びついたりするものだ。そういう意味では「旅打ち」やギャンブルというのは精神修行でもある。分かるかなぁ(笑)

 阿佐田の他にも浅田次郎や伊集院静、山口瞳なんかも旅打ちを愛した作家だ。「旅先でギャンブルを行う」というスタイルは、江戸時代の博徒・国定忠治などの無宿人がそう。阿佐田や浅田、伊集院といった作家の作品がウケるのは、そうした経験から滲み出る人間性から発した生きた言葉や人生観が綴られているからだ。

「旅打ち」にも出たいと思うが、旅打ちに持参する程の資金も無い。という訳で、軽挙妄動を戒めて暫くはブログと筋トレに専念しているしかないか。呵呵。

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2023年05月27日

「海軍記念日」であり親父の命日でもある5月27日は様々な想いが去来する

 5月27日は「海軍記念日」であり、親父の命日でもある。父は昭和3年生まれ、成績優秀乍ら家庭は赤貧で末っ子が進学など出来るものではなく、尋常高等小学校を卒業すると15歳で海軍に入隊、横須賀海軍工廠で海軍軍人としての人生が始まった。

 その後、土浦の予科練を経て終戦に至る。想い出の地である神奈川県相模原の地で土木作業員として従事し、資金を貯め、帰郷し、古着などを扱う「相模屋衣料店」を起業した。屋号を見れば、横須賀や相模原への思い入れが深かったことが分かる。

 衣料店も放蕩と時代の流れで閉店に追い込まれる。それにもめげずに「これからは食堂だよ」と「相模屋食堂」を修行もせずに開業した。郷土に帰還後は4人の子供を育て、また町会議員を5期務めるなど地方自治や郷土の発展にも寄与した。

 若かりし頃は大日本帝国海軍軍人であり、何事にも厳しかったその父の命日が「海軍記念日」の5月27日というのも不思議な縁を感じ、決して忘れることはない。

 明治38(1905)年5月27日、日露戦争に於ける海上での戦い「日本海海戦」が行われ、東郷元帥率いる連合艦隊がロシヤのバルチック艦隊を撃滅し勝利した。

 ロシアとの戦争に勝利することで欧米列強に日本の地位を認めさせることとなり、幕末以来からの懸案事項だった不平等条約、畢竟、明治維新の真の目的であった「治外法権」「関税自主権」の二つの不平等条約の克服を達成することになる。

「治外法権」は日清戦争後の明治32年に克服してるが、「関税自主権」の回復を実現することで明治維新は成就し、真に独立を回復することが出来たのある。

 日露戦争での日本勝利は、植民地にされていた民族の独立心を掻き立て、後の大東亜戦争後の植民地の解放に繋がったのは言うまでもない。日露戦争の世界史に於ける歴史的意義は、有色人種が白人に勝利したという現実は、当時、欧米列強に植民地にされていた世界中の被抑圧民族を感動させ、独立への夢を駆り立てることとなる。

 日露戦争での日本勝利は、我が国と世界の有色民族にとって大きな意義を持つものだったのである。大日本帝国日本軍人のそうした先人の努力と苦労の上に、現在の我が国が成り立っていることを現代を謳歌している我々は決して忘れてはならない。

 大東亜戦争後、GHQの占領政策に拠って訳の幼稚な「平和主義」が蔓延り、戦争=悪といった短絡的思考が常識化しているが、「戦争」というのは政治の延長であり、国際法上、紛争を解決する手段としては認められている行為である。

 単純に、「戦争か平和かを選べ」と問われれば、誰でも「平和」を選ぶに決まっている。国家間の紛争が、武力の行使無しに当事者同士の話し合いだけで解決されるのならばそれに越したことはない。だが、国際社会に於いては、戦争回避が話し合いという外交手段だけで解決されるたことが殆んど無いのは歴史が証明している。

 戦争を放棄し、平和的解決や非軍事的措置を採った方が遥かに犠牲者も多く、非人道的な結果になってしまう場合が多い。「戦争=悪」という短絡的な思考こそが、寧ろ暴走を招く危険もある訳で、戦争を招き寄せる原因となることを知るべきだ。

 嘗て、三島由紀夫は「戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス(無防備の害)だ」と訓えているが、軽々しく「平和」を訴えている勢力こそが我が国の政治や外交を危ぶみ、戦争を誘発する最大要因となっている。

「日本国憲法」前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」というのは「念仏平和教」そのもの。そうした邪教を信仰するような状態こそ異常なことと自覚するべし。抑々、諸国民の公正と正義を重んじているなら警察も要らない(笑)

 戦後の日本人は、現憲法を妄信し「基本的人権の尊重」などと、国内に於いては権利を過剰に主張し続けているが、国際社会に於いて、国家の権利を主張せずに黙り込むというのは、余りにも論理の整合性に欠けていると言わざるを得ない。

 北朝鮮の国家意思に因る日本人同胞の拉致に対しても断固たる抗議もせず、拉致された同胞を奪還する手立てを打たず、我が国固有の領土や領域をロシアや韓国に不法に占拠され、また尖閣諸島や沖縄を併呑しようとする中共が存在している中で、指を銜えて傍観していることが果たして独立主権国家と言えるのだろうか。

 本日5月27日は「海軍記念日」であり、親父の命日でもあるこの日に改めて主権国家とは如何なることか、主権国家になるには何が足らないのか、主権国家になるには何を成すべきなのかを思い巡らさずにはいられない。南無大師返照金剛。合掌。

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2023年05月26日

「国際化」とは英語を話せ米国に擦り寄ることではないぞ!

 日本から外国に留学したり、海外に住んでる子供達が歴史問題、例えば「従軍慰安婦問題」や「南京大虐殺」などを韓国人から質され返答に窮し、苛めに遭うなどの事例は後を絶たない。要するに、自国の歴史を知らないから苛めに遭うのだ。

 海外に留学し、海外に住んでインターナショナルな人間を目指すなら、生まれた国の歴史や伝統、文化を先ず学ぶべきだろう。岡倉天心(覚三)は、自著「日本の覚醒」の中で、西洋文明に浮かれる軽佻浮薄な洋学紳士を痛烈に批判している。

「ああ、西洋開花は利欲の開花なり。利欲の開花は道徳の心を損じ、人身をして唯一個の射利器械たらしむ。貧者は益々貧しく、富者は益々富み、一般の幸福を増加さする能はざるなり」。この天心の教えは、正に現代に通じることでもあろう。

 天心は、日本の伝統文化に目を向け、日本文化を鼓吹した紛れもないナショナリストであり、奔放に生き、世界を放浪し、大勢の知己友人を持つインターナショナリストだった。天心の様な生き方は無理でも、せめて海外に住むのなら、また外国人との交流を深めるならば、自国の歴史や伝統、文化を確り学んで欲しいものだ。

 自国の歴史や文化を知らずに、英語だけを勉強したところで西洋かぶれになるだけ。英語という田舎言葉が世界語になったのは、武力で世界を支配し、富を独占したからに他ならない。世界では今、多くの外国人が日本語を学び始めている。

 英語も結構なことだが、日本人として日本語文化を世界に普及し、日本の「和の心」を伝えることこそ必要なことではなかろうか。岡倉天心を始め、明治の先覚者らは、外来語をそのまま使うのではなく、全て新漢字に翻訳して西洋文化を学んだ。

 現代人の様に外来語をカタカナにする軽薄な舶来趣味と比べれば、明治人の気骨と気概、そして高い見識を伺い知ることが出来る。日本語に自信を持ち、何事にも日本語で主張し、日本文化を重んじ貫いたからこそ独自の発展が得られたのだ。

「国際化」とは米国に擦り寄ることではないし、相手国を慮って譲歩したり歩調を合わせることでもない。夫々の国の歴史・伝統・文化を重んじ乍ら交流することが国際社会では必要なことだが、何か日本人は勘違いしている気がしてならない。

 真の国際人を創るには、小学校では我が国に伝わる「神話」の教えの素晴らしさと我が国の生い立ちを教え、更には日本語の美しさと日本人の心の豊かさを学ばせ、成長に従って我が国の誇るべき歴史やアジア近代史を公正に教えるべきである。

「公正」な歴史とは「是」と「非」の歴史である。一方的な偏った歴史教育は弊害しか生まないし、戦後教育の結果を見れば戦後教育こそ間違いなのは明らか。

 教育とは国の大本であり、日本という奇跡の国の歴史や伝統・文化、正しい日本語や日本人としての作法すら教えることなく、何故に英語教育なのか。何が国際化社会への人材育成か。要は更なる追米・従米政策、更なる米国の属国化ではないか。

 英語なんてのは、あれば便利なお金と同じで、話せれば便利というだけのこと。バチカンでは忌み嫌われてた英語が普及したのは世界の侵略史と比例する。国際化を穿違えてたら次には北京語や広東語やハングルも必修科目になるかもよ。呵呵。

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2023年05月25日

女川原発を再稼働し東北の復興を加速させよ!

 東北電力女川原発2号機の再稼働の差し止めを求めた訴訟の判決で、仙台地裁は住民側の請求を棄却した。当然の判決だが、反原発派のイチャモン的裁判に拠って再稼働が遅れれば遅れるほど、電気量と再生可能エネルギーへの賦課金が殖え続ける。

 何より、再生可能エネルギーは基幹エネルギーには成り得ず、再エネ発電賦課金は廃止するのが妥当。賦課金目当てで太陽光発電や風力発電でボロ儲してる事業者は造りっ放し。安全管理を放棄したこんなインチキ事業は見直さなければならない。

 国内6電力会社の平均値上げ幅が圧縮されたとはいえ、家庭の電気料金の値上がりは止まらない。夏の電力消費がピークを迎える前に原発を再稼働を実現するべきだ。再生可能エネルギーが増設されるほど「再エネ発電賦課金」が増える悪循環。

 東日本大震災震災時、福島県知事だった佐藤雄平は「県民の思い」だとして東京電力福島第一・第二原発全基の廃炉を訴え、次の内堀政雄知事も引き継いでいる。「県民の思い」というが、自称被災者や中核派らに洗脳された思いでしかない(苦笑)

 反原発に与するマスゴミは再稼働には反対の立場から、「未だ原発事故が収束していないのに」とか「福島の悲惨な状況が忘れ去られている」「故郷を奪われた儘で、第二原発を再稼働を許すことは出来ない」などという声を作為的に垂れ流す。

 大震災当日、民主党の菅直人政権下で福島原発の「炉心溶融」を予測した。翌日には放射性ヨウ素や高レベルの放射線を検出され、応急措置を執る方針が決まった。

 だが、翌日早朝、突然に菅直人が現地視察を強行することが決まり、応急措置に遅れが生じてしまう。当時の政府関係者は、「事故現場で『首相を被曝させられない』との判断が、ベントの遅れや現場作業に影響が出た」との事実を認めている。

 原発事故での初動ミスが事態を深刻化させたのは間違いなく、原発事故は正に菅直人に因る「人災」であり、外国人からの不法献金で四面楚歌だった菅のパフォーマンスが取り返しのつかない最悪の事態を招いてしまったというのが事実である。

 1号機の炉心損壊、その後の炉心溶融阻止に向け、即座に取るべき応急措置を優先し、「二の矢、三の矢」の対応を視野に入れて事態収拾を図るべきだったし、更には右往左往するばかりの佐藤知事のリーダーシップの無さが致命傷となった。

 福島県の復興が進まない最大要因は、当時の佐藤雄平知事の決断力の無さと無能に在る。県民の不幸とも言えるこの知事は、被害者意識丸出しで、「原発事故の責任は全て東電だ」と東電幹部を責め立てるそのヒステリックさは実に醜いものだった。

 福島第一原発事故の責任は、東電は当然のこと、設置した国や県、誘致を容認した自治体、そして東電におんぶにダッコで様々な恩恵と優遇されて来た地元住民にも在るし、便利というものばかりを追求してきた我々国民にも責任が無い訳ではない。

 佐藤元知事の、「15万人が避難し、約1400人が関連死の認定を受け、今も頻繁にトラブルが起こっている」との言い分は正に被害者意識丸出しで、加害者でもあったという認識は全く無い。抑々、数々のトラブルを起こし、問題のあった2号機、3号機を、民主党の政策に加担し、スイッチを入れたのは佐藤元知事自身だった。

 佐藤元知事の原発事故への他人事の様な言い分と責任転嫁には厭きれるばかり。今でも福島第一原発原発構内で未曽有の事故を一日でも早く収束させようと、命がけで闘っている英雄達がいることを我々国民は忘れてしまってるのではなかろうか。

 福島第二原発の稼働は不可能なのだろうか。被災者の多くが帰還出来ない理由には、「故郷に戻っても働き先が無い」というのがある。第二原発を再稼働することで東電の仕事に従事出来るし、原発関連産業も戻るだろう。福島県の復興と東北再生には、東京電力福島第二原発と東北電力女川原発の再稼働こそが最善である。

 安全基準に何ら問題の無い「女川原発」の再稼働申請は見送った儘だが、女川原発は震災後、被災者の避難所にもなりその安全性は世界でも注目されている。

 生き残った我々がいつまでも被害者意識丸出しで過去ばかりふり返り、その場に立ち止まっている訳には参らないのだ。未来に第一歩を踏み出さなくてはならない。その為にも先ずは東北電力女川原発を再稼働させ、東北の復興を加速させよ!

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2023年05月24日

「親父の小言」(福島県相馬市 大聖寺 暁仙 昭和3年)

 福島県相馬市の大聖寺の住職青田暁仙が、昭和3年に書き残したとされる「親父の小言」というのが在る。ウイキペディア(Wikipedia)に由れば、「親父の小言」は、江戸時代後期までに成立した格言集で、現存する最古の版本で全81ヶ条の小言が載ってるが、青田家の家訓としてそのうちの45ヶ条の小言を記したという。

 中々含蓄の有る言葉が多く、県内では「親父の小言」を額に入れ飾っている家庭も少なくない。今の大聖寺住職は無自覚左翼というか反原発派のアホ左翼そのもので、毎年8月になると「大聖寺盆施餓鬼並びに新盆供養会のご案内」という広告が出る。駄文を考えた本人はさぞや御満悦な様子なのがイタイほど伝わってくる(苦笑)

 アホ住職の説明文を読むと、政治や時局を揶揄しつつ語ってるが胡散臭さがプンプン。修行不足も然ることながら、世間とは隔たった環境に居る為に考えも軽軽しく、幼稚な正義感をひけらかし、偏狭な倫理観を押し付けてる坊主も少なくない。「親父の小言」を家訓として遺した同じ寺の住職とは思えない軽佻浮華ぶりは嗤える。

 大聖寺は真言宗。詩文にも秀でた開祖の空海(弘法大師)と比べるのも痴がましいが、こんな仏の道の訓えとは程遠い御粗末な文面を書いて悦に入ってるようじゃホント情けない。相馬藩主とも縁のある由緒正しき寺にしてはその浅識甚だしい。

 原発に近い浪江町の被災者として、もう十分な補償は戴いたのだろうし、その過分な金の一部を使って修行し直しなさいな。南無大師遍照金剛。Ω\ζ゜)チーン 合掌。

 『親父の小言』

 火は粗末にするな
 神仏をよく拝ませ
 人には腹を立てるな
 人には馬鹿にされていよ
 恩は遠くからかくせ
 女房のいうこと半分
 家業は精を出せ
 たんと設けてつかえ
 人には貸してやれ
 女房は早く持て
 生物を殺すな
 義理は必ず欠くな
 大酒は呑むな
 判事はきつく断れ
 貧乏を苦にするな
 塩もたやすな
 怪我と災は恥と思え
 小商ものを値切るな
 産前産後を大切に
 泣き言は必ず云うな
 人の苦労を助けてやれ
 家内は笑ふて暮らせ
 朝きげんをよくしろ
 不浄を見るな
 身の出世を願え
 年寄りをいたわれ
 万事油断するな
 子のいうこと八九きくな
 何事もかまわずしろ
 借りては使うな
 女郎を買うな
 難渋の人にほどこせ
 年忌法事をしろ
 ばくちは決して打つな
 大めしを喰うな
 世話焼になるな
 火事の覚悟をしておけ
 水はたやさぬようにしろ
 戸締りに気をつけろ
 物を拾わば身につけるな
 何事も身分相応にしろ
 小便は小便所へしろ
 病気は仰山しろ
 不吉は云うべからず

(福島県相馬市 大聖寺 暁仙 昭和3年)

 愚生的には「親父の小言」という日本酒が好きだ。「冷酒と親父の小言は後で効く」というが、中々シャレが利いているし、福島県産品としての土産に最適。

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2023年05月23日

言葉の多き・負け惜しみ・差し出口・言葉のすぐるは愛想なし(良寛)

「我仏 隣の宝 婿舅 天下の軍 人の善悪」とは、茶人・千利休の弟子・山上宗二の訓えである。人の集まる所では決して口にしてはならないものを並べたもので、いわば茶道の教えの一つである。この宗二の教えと同じ様に、人との付き合いの中での「戒め」を分かり易く教えたのが大愚良寛の「良寛戒語(九十戒)」だ。

 それを端折って書いてみよう。「言葉の多き・話の長き・表裏口・負け惜しみ・返らぬことを幾度も言う・人のことばを笑う・客の前に人を叱る・人を隔つることを言う・人の恥かくことを言う・人を嫉むことを言う・おれがこうした、こうした・もの言いのくどき・差し出口・手柄話・自慢話・減らず口・話の腰をおる・たやすく約束する・親切気にもの言う・酒に酔いてことわりを言う・己が氏素姓の高きを人に語る・人を敬いすぎる・神仏のことを軽々しく沙汰する・軽はずみにもの言う・さしたることもなきことを細々と言う・返事を聞こうとするはむつかし・人を侮ること・己の意地を言い通す・よく物の講釈をしたがる・田舎ものの江戸ことば・よく知らぬことを憚りなく言う・人の寝てからの大話・悟り臭き話・学者臭き話・茶人臭き話・言うこと言わぬ・くれると言うてくれぬ・あくびとともに念仏・・・」などなど。

 右翼人に多いのは「おれがこうした、こうした」。教育勅語には「恭倹己を持し」と、人に対してはうやうやしく、自分自身は慎み深く振る舞いなさいと教えているが、「おれがこうした、こうした」とか、自慢話が多いこと多いこと(笑)

「あゝ致しました、こう致しました、ましたましたのあまり重なる」「言い足らぬことは又つぎても言うべし」「言うたことは再び返らず」「ことばの過ぐるは愛想なし」。嫁に行く人に与えた戒語には、「ゲラゲラ笑い、ふくれ面、無駄口など固く止めなさい」と訓える。どうだろう、各各感ずるものがあるだろう。

 良寛和尚は、「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるる妙法にて候」とも訓える。災難に遭ってしまうことは誰でもあることだが、その災難が何処でいつ起きるかは誰もが分からない。

 起こってしまった災難を取り消すことは出来ないし、その災難に一々慌てふためいたりしてしまうと、過った対処をして災難を大きくしてしまうこともある。

 小さなことで慌てたり驚いたりしていたのでは、心の中で災難が大きくなってしまい、いざという時には冷静な判断は出来ないだろう。起こってしまった不幸には、「こういう時もある」と受け容れて、それを教訓にすることこそ大事なことだ。

 人間、成るようにしかならないものだ。良寛は70歳にして若くて美しい貞心尼と巡り逢い、純真な恋をしたという。「ロリコンだったのでは」という悪口も聞くが、その貞心尼に看取られながら亡くなった。辞世の句は「散る桜 残る桜も 散る桜」。

「もの言いのくどき」という戒めがあるが、「もの言い」とは「老人」という意味でもある。70にもなった良寛が若い尼僧を口説くというのは「オイッ!」とツッコみたくもなるが、「戒語」というのは自分自身に対する戒めというのを理解する。

 偉人の訓戒というのはその人の実体験でもある。例えば、少年の頃には手の付けられない不良だったという水戸光圀公は、18歳の時に司馬遷の「史記」を読み、学問と修養に励む出す。史記に負けない歴史書を作ろうと志を立てたという。

 光圀公の教えの一つに、「欲と色と酒を敵と知るべし」というのがある。酒を飲まない人や、欲の無い人が、こういうことは記さない。あの天下の副将軍でもある黄門様でさえ、若い時分には女と酒に溺れ、失敗を経験したのがよく分かる。

 宮本武蔵の「独行道」には、「如何なる別れも悲しまじ」という項目がある。こうした戒めは武蔵が冷血ならば、こんなことは敢えて書かない。武蔵というのは人一倍涙脆く、人情深い故に感情を表に現さない様に修行を積んだのだろう。

 自戒するのも好いが、失敗を自ら経験しなきゃその意味は分からない。失敗を警戒し過ぎると人は、器までこじんまりしてしまうので御注意為れたい。呵呵。

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2023年05月22日

この世を超え生き代わり死に代わりつつ「永遠」に生き続ける魂がある

「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし、生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」とは吉田松陰が高杉晋作に認めた手紙の一文だと言われている。

「喩え死んだとしても、朽ち果てることの無い意義があれば死を選ぶことも選択肢の一つ、生きることで己の志が達成出来るなら、どんなことをしても生き延びなさい」という意味だと理解する。要は、「死ぬ気で生きろ」との教えにも感じ取れる。

 獄中にいた師を、高杉晋作ら松下村塾の塾生らが懸命に助け出そうとしていた時に、松陰は晋作にこの手紙を託す。晋作は師が没した4年後、師の「草莽崛起」の訓えを受継ぎ「奇兵隊」を組織し、生きることで明治新時代の礎を築いたのだ。

 この世を超え、生き代わり死に代わりつつ永遠に生き続ける魂がある。南北朝時代の乱世に生きた楠木兄弟然り。正成は討死の直前、弟の正季(まさすえ)に「人は死ぬ直前の思いによって生まれ代わる先が違ってくるという。人が生まれ代わる先には九つの世界が在るらしいが、お前はどの世界に生まれ代わりたいか」と尋ねる。

 正季はカラカラカラと打ち笑いて、「七生までも同じく人間の世界に生れ代わり、朝敵を滅ぼしたいものです」と応える。この逸話こそ「七生報国」の原意である。

 正季の決死の覚悟を聞いた正成は、よに嬉しげなる気色で「罪深き悪念では有るが、私もそう思ってたところだ。さあ、共に人間の世界に生まれ代わって、その願いを果たそうではないか」と語り、二人は討死するのである。楠木兄弟は、死して不朽の見込みを確信していたからこそ「笑って逝く」ことが出来たのであろう。

 歴史上、その様な生き方をし、死に方をした人々は無数に存在する。何より、先の大東亜戦争で護国の鬼となり見事な最後を遂げた英霊も「義」を貫いた方々であり、その精神は決して朽ち果てることはない。あの若者達の最後は、我々の想像を絶する渾身の悲しみや苦しみの世界を潜り抜けた末の決断と行動だったに違いない。

 英霊の方々の出撃直前の様様な記録や写真などから感じるものは、悲壮感というより、正に楠木兄弟と同じ、「よに嬉しげな気色」の様な不思議な透明感である。

 特攻隊の若者達の最後は、余人の想像を絶する悲しみや苦しみの世界を潜り抜けたに違いない。出撃直前の様様な記録から感じるのは、正に「カラカラカラと打ち笑って」とでも「よに嬉しげな気色」とでも言いたげな不思議な透明感である。

 正に松陰の「不朽の見込みあらば」そのものの行動である。生き続けるしか出来ない我々は、「人は何の為に死ぬのか」「人は何の為に死なねばならないのか」ということを身を以て示した彼らの崇高な精神を忘れてはならないのではないだろうか。

 命を賭して行動した彼らの行為を論うことなど烏滸がましいことだ。だがそうした彼らを「犯罪者」呼ばわりし、敗戦の責任を被った方々を「戦犯」だと称し、或いは特攻隊を「無駄死」だとする輩がいることも確か。日本人として恥ずかしい。

 来島恒喜、山口二矢、三島由紀夫、森田必勝、野村秋介も同様であり、楠木兄弟と英霊の方々の護国・報国の精神は、時空を超えて明らかに感応している。

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2023年05月21日

伊藤博文暗殺犯は安重根ではないことは歴史的にも明らか

 韓国ソウル中心部には慰安婦像に続いて「強制徴用労働者像」が設置されている。事在る毎に「日本人に強制連行」されたと騒ぐが、多くの朝鮮人女性や男性が眼前で日本軍に連行されたとして、韓国人というのは抵抗もしないヘタレ民族だったということを世界に曝している様なものだろう。恥しいとは思わないのだろうか。

 韓国・ソウル近郊の京畿道議政府市内の公園に安重根の銅像が設置されているが、歴史も検証せず安重根を「反日」の精神的支柱として利用しているだけ。

 明治42年(1909年)10月26日、ロシアのココツェフ外相との会談の為ハルピンに到着した伊藤博文は駅構内で凶弾に倒れた。伊藤の他に日本人の随員も負傷。

 捜査の結果全部で13発の銃弾が発射されたことが判明している。安重根から発射された銃弾は5発だが、その全てが伊藤には命中していないことも判明している。

 伊藤の致命傷になった弾丸は、駅構内の二階から発射されたフランス騎馬銃の弾丸2発だった。一体誰が本当の犯人なのか、興味が灌がれる歴史の一幕である。

 当時の韓国では、人種差別的に日本人に反感を持つ欧米の宣教師達が、朝鮮の信者を焚き付け反日行動を煽っていたが、安重根もそんなカトリックの信者だった。

 日本の韓国支配が進むと、安重根は義兵闘争に参加する。列強が虎視眈々と狙っている国際背景に対する理解や韓国が独立国としての対応能力を失っている点に気付くことも反省をすることなく、安直にテロ行為の実行に至ったのである。

 この伊藤暗殺事件は日本は当然乍ら朝鮮国内を震撼させ、日本からの報復を怖れた韓国政府と民衆の反応は以前から取り沙汰されていた日韓併合に傾いて行く。

 日本国内でも日韓併合論が大勢を占めて行ったのだった。韓国併合に反対だった伊藤博文が暗殺された事で、皮肉にも日韓併合は急速に進んだのである。

 ハーグ密使事件で退位していた高宗は、伊藤博文暗殺事件について「伊藤を失った事は、我国と謂わず、日本のみならず、東洋の不幸である。その凶弾が韓国人と在っては赤面の外無い。日本天皇は唯一の重臣にして太師の伊藤を亡くされた。それなのに伊藤を害した兇徒を出した国の皇太子を、飽く迄も輔育する誠意を見せた。

 更に高宗は、「山よりも高く海よりも深い恩義有る日本皇室に、どう感謝の意を表すべきだろうか」と表明した。事在る毎に日本に敵対して来た高宗の言葉だけに、これを聞いた朝鮮民衆の日韓併合への抵抗は薄れたのは察するに余りある。

 翌年2月14日、日韓併合前に安重根は処刑された。現在、韓国では安重根を救国の義士として祀っている。愚生は安重根の純真な愛国心を否定するものではないが、日清戦争後、ロシアが南下政策を開始し、遼東半島に攻め入り、韓国までも触手を伸ばす。韓国独自でロシアと対峙することなど出来なかったのは歴史が証明している。

 その意味では寧ろ、日本による韓国保護の必要性を認め、日本と一体となった上で、民族の自立発展の道を模索しようとした、李完用ら「日韓合邦派」の主張の方が現実的だったと言えよう。韓国が非難して止まない差別と弾圧の「日帝支配」なるものも真実はその逆で、世界に例を見ない極めて公平で平等な制度だったのだ。

 第二次、第三次日韓条約、日韓併合に賛成し、朝鮮の近代化を遂げた李完用は「親日反民族行為者」と認定され、子孫の所有する土地、財産は没収とされた。

 韓国にとって真の愛国者だったかは明らかなのに、「反日」逞しい韓国は全く聞く耳を持たない。果たして韓国が冷静に歴史を判断する日は来るのだろうか。

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2023年05月20日

ヤクザが任侠道に立ち返り「暴力団」の汚名を雪ぐ日は来るのだろうか

 日本最大の指定暴力団・山口組六代目本家(司忍組長)と神戸山口組(井上邦雄組長)に分裂し、更に神戸山口組が再分裂し、任侠山口組(現絆会・織田絆誠代表)が結成された。その後、襲撃事件なども相次いだが、抗争事件は鳴りを潜めている。

 右翼団体の活動は縮小傾向にあるが、現在の右翼団体の殆どが暴力団と関わりがあり、組織が大きければ大きいほどヤクザの傘下団体に成り下がっている。斯くいう愚生もヤクザの友人はいるし、所属していた防共挺身隊は山口組のケツ持ちだった。

 破邪顕正や反権力、反骨精神では与するが、資本主義の落とし子の様なヤクザに、反資本主義の右翼が配下になるというのも可笑しなことだ。況してや、昨今のヤクザに任侠精神や勧善懲悪とは程遠い、カネが全ての世界となってしまった。

 正に「暴力団」という名前が相応しい。「仁」とは己に克ち、他人を労わり、思い遣ることである。男気に熱く、弱い者を思い遣って助け、悪事を働く強き者を挫き、義の為には命を惜しまない気風を仁侠という。それなら愚生の方が仁侠だ(笑)

「暴力団」という呼称は、戦後に警察やマスコミが命名した言葉だという。「任侠道」を自任しているが、やってることは覚醒剤やオレオレ詐欺やら違法行為と弱い者イジメ。そういう意味では「暴力団」という名前はピッタリだろう。

 任侠山口組発足した当時、織田代表の思想を垣間見た。在日三世(金禎紀)を公言し、「生みの親より育ての親」と「日本に育てて貰った事に感謝し、育ての親に親孝行する。これのどこが悪いのか」と、日本への愛着と忠誠を示して憚らない。

 任侠道にも篤く、田岡三代目が定めた「山口組綱領」の、「侠道精神に則り国家社会の興隆に貢献せんことを期す」との心得を重きに置き、地元の治安維持として不良外国人の排除などもヤクザの取り組むべき課題としていることに刮目した。

「脱・反社会的集団」との目標を掲げ、その為に「民間軍事会社(PMC)」設立という具体的なプランがあるとも語っていた。その理由を織田代表はこう述べる。

「国内にはヤクザという存在があり、不良外国人を跋扈させなかった。裏社会なりの秩序があった。それが今は、野放しに近い状態にある。これをなんとかしたい」。

 昭和の好き時代、何処の街でも地周りのヤクザが夜の治安を守っていたのも確か。今では暴対法や暴排条例の影響で、不良外国人や半グレが幅を利かせてる。

 歌舞伎町一つとっても、その昔はチャイニーズマフィアが席巻していたが、その後、イランなどの中東マフィアが台頭するも地元のヤクザに駆逐されて、今ではナイジェリアなどアフリカ系や南米系のマフィアが暗躍してるというから驚く。

 最近ではベトナム人の犯罪が殖えている。こういう不良外国人を警察だけに頼ってみたところで心許ない。そういう意味では任侠精神に立ち返り、地元の治安維持や社会に貢献したいという織田代表の心意気は認めなくてはならないだろう。

 ヤクザの本来の姿は、地元の町奴として地元住民に好かれなければならない。任侠の発祥は幡随院長兵衛は町奴でもあった。江戸初期、華美な服を着て、旗本奴に対抗した遊侠の徒をいうが、暴力団と揶揄されてていては任侠とは言い難い。

 囹圄の生活が長い人というのは読書量も多く、歴史などにも造詣が深いことだ。愚生の知るヤクザにもいるが囹圄の生活が長かった人は実に物知り。織田代表も強制連行や慰安婦問題についても在日や日本人に囚われず公正な立場で論じていた。

「実際のところ、朝鮮人の強制連行はパーセンテージでいうと、微々たるもの。肉体労働者の数が足りなくて、多少あったと思います。従軍慰安婦については、同じようなことが世界中であった、そういう時代やった、そうしないとご飯を食べられなかった人もいたと思います」と語っていたが、この慰安婦に対する認識は正論である。

「その中で所謂女郎屋の女衒も関係していたでしょう。それは日本国内でもあった話で、女を無理やりとか騙してとか、悪い人間もおったでしょうけど、全体でいうと、需要と供給の中で、各国で同じようなことがあったと思います。残念だけど仕方なかったことじゃないかと思いますね。まあ戦争が生んだ悲劇の一環じゃないかと」とは実に分かり易い。大成する人物に共通するのは物の見方が俯瞰している。

 防共挺身隊から遁ズラした後、山健組に籍を置いた後輩は織田代表を嫌っていたが、ネットなどで知る限りヤクザらしいヤクザだと思っている。通名を使用するより、朝鮮名を堂々と使用すれば、在日への偏見も無くなるのではなかろうか。

 ヤクザが任侠道の精神に立ち返り「暴力団」の汚名を雪ぐ日は来るのか、それとも暴力団の本能の儘で力こそ正義という本領を繰り返すのか。半グレの犯罪や特殊詐欺が横行する中で、破邪顕正や勧善懲悪の任侠こそ今の日本には必要だと思う。

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2023年05月19日

日本人への帰化の厳格化と「通名禁止」は急務である

 千葉五区の自民党候補者・えりアルフィヤが「本名非公開」で「通名」で自民党から立候補し、岸田文雄総裁や茂木敏充幹事長ら党幹部が総出で応援する姿に、自民党員でさえ違和感を覚えた国民は少なくない。帰化後のえりアルフィヤの戸籍名はカタカナの「アリフェヤー」。何故に通名を使うのかと問えば、単に便利だからだ。

 山口四区に出馬した岸信千代が、岸家の家系図をSNSに載せたことで批判されたが、愚生は、国政選挙に出馬する際には戸籍の開示を義務付けるべきだと思っている。米国では、上院下院議員は立候補時には帰化歴や国籍を開示する義務を負う。同時に帰化歴を明記し、二重国籍の疑いがある通名の使用は禁止するべきだ。

 大正15年、普通選挙法が施行され25歳以上の全ての男子日本国民に選挙権が与えられるようになり、日本本土に在住する朝鮮人にも日本国民として平等に与えられた。 こうしたことでも日韓併合とは植民地支配でないことが分かるだろう。

 昭和7年の衆議院選挙には、東京4区から朝鮮出身の朴春琴が立候補して当選している。選挙区には、朝鮮半島から出稼ぎに来ていた人達が多かったとはいえ、有権者数の1.5%にも満たない数で、多くの日本人が朴に投票したことが分かる。

 投票の表記に「ハングルで書かれたものも有効」と認めている。「植民地」の文字が宗主国の選挙で使用を認められたのは当時世界で唯一日本だけのことだ。

 この事でも、戦前の朝鮮人に対する偏見、差別はよく言われている様なものではなかったことが理解出来る。朴春琴は、昭和12年の選挙でも再当選している。

 尚、貴族院は華族と勅撰議員(天皇陛下から指名された議員)で構成されていたが、朝鮮人の華族、勅撰議員が何人もおり、「創氏改名」が行われてからも彼等は日本名に改名していない。この事実を見ても創氏改名が強制ではないことが分かる。

 朝鮮人を誇りとし「私は朝鮮人だ」と言って憚らなかった洪思翊陸軍中将然り、日本名に改名していない。創氏改名が如何に強制ではなかったことの証左だろう。

 在日韓国居留民団は「あの日帝の支配下に於いてすら参政権が認められていたのに現在認められないのは時代錯誤だ」とホザくが、二重の意味で見当外れである。
 
 一つ目は、韓国朝鮮人が非難して止まない「差別と弾圧の日帝支配」なるものは寧ろその逆であり、日韓併合は欧米の植民地支配とは全く違う世界に例を見ない極めて公平で平等な制度であった。例えば、日韓併合時には100校程しかなかった小学校は昭和17年には4945校になり、中学以上の学校を470校に増やしている。

 二つ目は、何故戦前に在日朝鮮人に選挙権が与えられていたのかといえば、その理由は明白で、日韓併合に由って彼等は当時「日本人」だったからである。

 日韓併合時代にも朝鮮名を名乗っていられたのに、何故に「通名」を使用する様になってしまったのか。それは日本名を名乗った方が優越感に浸れるからだ。

 そんな彼らは「朝鮮名を名乗ると差別される」「日本人にこそ問題がある」などと口にする。それは朝鮮人得意の日本への責任転嫁であり、見苦しい言い訳に過ぎないが、日本人に成り済ました方が何かと便利だからという理由に他ならない。

 日本人であり乍ら祖国日本を卑下し貶めてる珍左翼同様に、朝鮮人であり乍ら祖国にも本名にも誇りも愛着も持てないというのは実に悲しいことだ。

 日本に巣食う在日や外国人が執拗に参政権を求めるならば、帰化して日本人になれば良いだけの話なのだが、外国人の儘で日本の政治に参加したいというのも甘え過ぎだ。要は、日本と日本人の為に参政権が欲しいのではなく日本を貶めたいだけ。

 現在も執拗に参政権を求めるなら、日本に帰化をして日本人になれば良いだけの話でので、そうすれば、何の制限差別もなく100%の参政権が与えられる。

 そうした当たり前のことが出来ないのであれば、日本人に成り済ます「通名」を止めて、堂々と朝鮮名を名乗るべきだ。戦後の日本は余りにも朝鮮人に対し寛容過ぎた。朝鮮人である彼らには外国人であるということを自覚させるべきである。

 拙ブログでは過去に『外参権法案に反対し通名禁止法案をつくろう!』というアンケートを実施しているが、賛成が97%を超えている。アンケートに御協力を御願い致します。http://blog.with2.net/vote/?m=v&id=29906

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2023年05月18日

自民党がLGBT法案に躍起なのは「自由同和会」への忖度だろう

 性的指向というより、性的嗜好や性癖を理解し増進しようとは狂気の沙汰だ。LGBT法案可決は自民党崩壊の序章となるだろう。LGBTの次は皇位継承に口を挟み、ジェンダー平等やクオーター制を理由に女性天皇や女系天皇を謀ることは必至で、自民党どころか国體破壊の序章でもある。自民党の左傾化が留まることを知らない。

 自民党立党宣言には、「社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われらは暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃し祖国再建の大業に邁進せんとするものである」と明記されてある。過去の多くの姦策は自民党主導で可決されている。自民党員は立党宣言に回帰すべきである。

 抑々、日本国憲法第十四条第一項には「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とある。それを態々LGBT法案を可決させる理由は何なのか。

 LGBTQ推進派は、憲法第二十四条、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」という条項の「両性」を、「同性は否定していない」などとして憲法解釈で遣り過ごし、御粗末なLGBT法案を成立するつもりなら本末転倒である。

 自民党がLGBT法案に積極的なのは、支持団体の「自由同和会」の意向が大きい。同和団体の怖さを知ってる自民党議員は有無を言わずに賛成するわな。理解増進というより所詮は同和差別と同じ利権漁り。「差別」を利用した差別ビジネスである。

 流行りの「SDGs」も「LGBTQ+」も「アイヌ新法」も「困難女性支援法」も過去の同和利権と同じ利権漁り。LGBT法案を巡り、自民党の売国性が露わになったことで、コアな支持層を敵に回した。次期総選挙は大きな竹箆返しに遭うだろう。

「夫婦別姓」「選択的夫婦別姓」「LGBTQ+」「SDGs」「アイヌ新法」「男女共同参画社会」「人権擁護法案」「子ども権利条例」「困難女性支援法」「協働参画社会」「無防備都市宣言」「永住外国人へ地方参政権付与」「外国人住民基本法案」「女性宮家」「女系天皇」の全てが左翼活動家の陰湿な策謀の実行である。

 左翼勢力の謀るこれらの姦計に対峙するべき自民党が、逆にこうした策謀を推進する始末で、敵は外患ではなく、正に内憂に在り。自民党粛正は待ったなし。

 LGBT推進の陰で「自由同和会」の名が世に出て来た。自民党と連帯している保守系同和団体で、部落解放同盟や全国地域人権運動総連合と並ぶ三つの政府交渉団体の一つ。自民党と旧統一教会が騒がれてるが、自民党と自由同和会との闇は深い。

 同和とは一体どんな組織なのか。同和問題=部落差別だが、具体的差別はどうもピンと来ない。歴史の授業で「士農工商」という身分制度は習うが、その下の人間以下の存在とされた「穢多(えた)非人(ひにん)」のことは教わることはない。

 その理由は「差別はいけない」という単純なものだが、そうした存在を黙(もだ)し、歴史から消してしまうことが果たして好いことなのだろうか。

 歴史にそういう負の時代が存在していたのであれば、その成否はどうあれ、その事実を教えなければ「差別」の意味さえも理解することは出来ないだろう。

「穢多・非人」とは、江戸時代の幕藩体制下で所謂「士農工商」の更に下の下位層に位置付けられた人々のことで「賤民(せんみん)」とも呼ばれる階級である。

 大辞林には「皮革の製造、死んだ牛馬の処理、罪人の処刑・見張りなど末端の警察業務に従事させられ、城下外れの特定の地域に共住させられた」との説明がある。

 明治以降は、穢多非人の称が廃止されたが、この下位層は「新平民」と呼ばれ、現代では「同和」や「部落解放同盟」などが存在し、不当な差別を訴えている。

 その実は「不当な差別」を理由に利権が入り込む仕組み。LGBT法案の「不当な差別があってはならない」との修正案にしても、同和利権と重なってしまうのだ。

 江戸時代、下級役人の同心を手伝った岡っ引きや十手持ち、罪人の世話や処刑、牛馬処理などを担ったという。明治以降にも屠殺に関わり、精肉店や革製品製造などに従事してる人に多いと言われ、歌舞伎や芸能なども非人の起源と言われている。

 愚生の敬愛する現代の思想家でもあり評論家の新崎智こと呉智英(くれともふさ、ごちえい)は、氾濫する差別問題について逆説的にこう述べている。

「差別は正しい、差別と闘うのが正しいのと同じぐらい正しい。人類が目指すべきは『差別もある明るい社会』である。差別さえない暗黒社会にしてはならない」。哲学的ではあるが「差別もある明るい社会」とは実に示唆に富んでいる。呵呵。

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2023年05月17日

「併合時の日本政府から朝鮮総督府への通達 」と「脱亜論」

「併合時の日本政府から朝鮮総督府への通達」というものがある。真贋は兎も角として朝鮮人との付き合い方を分かり易く示したもので、内容も実に正鵠を射ている。「朝鮮人」の部分を「暴力団(ヤクザ)」に替えても通用すると思う(笑)

 一、朝鮮人は対等の関係を結ぶという概念がないので、
   常に我々が優越する立場であることを認識させるよう心がけること。
 一、朝鮮人には絶対に謝罪してはいけない。
   勝利と誤認し居丈高になる気質があり、
   後日に至るまで金品を強請さるの他、惨禍を招く原因となる。
 一、朝鮮人は恩義に感じるということがないため、
   恩は掛け捨てと思い情を移さぬこと。
 一、朝鮮人は裕福温厚なる態度を示してはならない。
   与し易しと思い強盗詐欺を企てる習癖がある。
 一、朝鮮人は所有の概念について著しく無知であり理解せず、
   金品等他者の私物を無断借用し返却せざること多し。
   殊に日本人を相手とせる窃盗を英雄的行為と考える向きあり、重々注意せよ。
 一、朝鮮人は虚言を弄する習癖があるので絶対に信用せぬこと。
   公に証言させる場合は必ず証拠を提示させること。
 一、朝鮮人と商取引を行う際には正当なる取引はまず成立せぬことを覚悟すべし。
 一、朝鮮人は盗癖があるので金品貴重品は決して管理させてはいけない。
 一、朝鮮人には日常的に叱責し決して賞賛せぬこと。
 一、朝鮮人を叱責する際は証拠を提示し、怒声大音声をもって喝破せよ。
 一、朝鮮人は正当なる措置であっても利害を損ねた場合、
   恨みに思い後日徒党を組み復讐争議する習癖があるので、
   最寄の官公署特に警察司法との密接なる関係を示し威嚇すること。
 一、朝鮮人とは会見する場合相手方より大人数で臨む事。
 一、朝鮮人との争議に際しては
   弁護士等権威ある称号を詐称せる者を同道せる場合がある。
    権威称号を称する同道者については関係各所への身元照会を徹底すべし。
 一、朝鮮人は不当争議に屈せぬ場合、しばしば類縁にまで暴行を働くので
   関係する折には親類知人に至るまで注意を徹底させること。
   特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。
 一、朝鮮人の差別、歴史認識等の暴言に決して怯まぬこと。
   証拠を挙げ大音声で論破し、沈黙せしめよ。
 一、朝鮮人との係争中は戸締りを厳重にすべし。
   仲間を語らい暴行殺害を企てている場合が大半であるので、
   呼出には決して応じてはならない。

 明治18(1885)年3月16日、福沢諭吉が「時事新報」紙上に掲載した社説を「脱亜論」というが、今でも対韓外交に於いては重要な心構えでもある。

 日本の不幸は中国と朝鮮である。
 この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、
 同じ古典を共有しているが、
 もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、
 日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
 情報がこれほど早く行き来する時代にあって、
 近代文明や国際法について知りながら、
 過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。
 国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と
 開き直って恥じることもない。
 最早、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
 「東アジア共同体」の一員として
 その繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。
 日本は、大陸や半島との関係を絶ち、 欧米と共に進まなければならない。
 ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。
 この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。
 悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。
 私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。

 明治人の先覚者や政治家は立派である。悠久の日本の歴史と日本人としても誇りを大事にしていた。それに引替え今の政治家の為体は著しい。中共の走狗と化し、朝鮮人やシナ人ら不良在日外国人に地方参政権を与えようなどとは狂気の沙汰である。

 福沢諭吉「脱亜論」(明治18年)全文 http://www.jca.apc.org/kyoukasyo_saiban/datua2.html

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2023年05月16日

日本は嘗てアジアの希望の星だった!

 ロシアのウクライナ侵攻で世界屈指と言われたロシア軍の脆さが露呈した。米軍然り、中共人民軍然り、実戦となれば実力通りには行かないのが戦争だ。嘗て、我が国も世界最強と言われたロシアに勝利しており、ウクライナが勝つ可能性は高い。

 意外と思うだろうが、意外に強いのはベトナム。ベトナムに先進国の様な最新鋭の武器は無いが、ベトナム人の国防意識というのは世界でも屈指である。戦争というのは、最新鋭の武器や防衛能力も大事だが、何より軍の士気や統率力が重要となる。

「清仏戦争」に負けた清は、賠償の一部として朝貢していたベトナムをフランス​に差し出す。ベトナムのファン・ボウ・チャウは新しい宗主国を探しに日本を訪れる。当時​の日本はフランスよりも強い大国のロシアと戦争中で、そして勝利する。

 ファンはその衝撃をして、「この時に当って東風一陣、人をして爽快足らしめる事件が起きた。日露戦役は我々の頭脳に一新世界を開かしめた」と記している。

 犬養毅首相に拝喝したファン・ボイ・チャウは、「朝貢もするから、軍を出してフランス人ど​もを追い出して欲しい」と懇願するも、犬養はチャウにこう諭す。

「自分の国は自分で守るものだ。日本はその為には協​力を惜しまないが、自分は何もしないで他人に血を流して貰おうと​いうのは料簡が違う」。犬養のこの言葉にファンは恥入り、ベトナムから将来を担う若者らを呼んで日本で学ばせることに。

 当時の日本には、世界の書籍が集まっていた。先ずは文献等で世界を知り​、そして戦い方を知る。ベトナムの悲運とも言える抵抗運動は当時の日本に学んだところが大きいのだ。ベトナムは先ずフランスと干戈を交え、そして勝利する。更に米国と戦い、これも追い出し、序に背後から攻め入る中共の​傀儡政権ポルポト派を倒した。

 ポルポト敗戦に怒った中共は人民解放軍を送り込むのだが、ベトナムはそれもこてんぱんにやっつけた。鄧小平はこの「中越紛争」での惨敗から人民解放軍の近代化を謀り、軍拡路線に路線変更し軍事を背景にした施策を定着させるに至った。

 軍事力を背景に周辺諸国を弾圧してる現在の中共を見る時、果たしてベトナムに戦い方を教えたのは好かったのだろうかと考えてしまう。中国共産党がすんなりとベトナムに勝利したなら現在の様な中国共産党ではなかったかも知れない。

 ベトナムはフランス、米国、中共という強敵を全て破った唯一の国がベトナムであり、先進国の軍隊の様な最新鋭の武器が無くとも、祖国を想う心とベトナム国民の意気の高さと気概が強さに繋がるという証明をしたとも言えるだろう。

 南沙諸島で中共人民軍の軍艦がベトナム漁船に発砲し負傷者が​出ると、べトナムはトンキン湾に入り込んだシナ漁船団を襲撃し、​きっちりと仕返しした。

 実に立派に成長したベトナムだが、方やその恩師の我が国はというと​、シナ漁船に衝突されても何も出来ずに船長を釈放し、尖閣列島や竹島、北方領土で国の主権を侵され乍らも拱手傍観し、米国依存のまやかしの平和を貪り続けてい​る。

 米国依存どころか米国の属国に成り下がり、国家の防衛すら放棄していると思わんばかりの対応だ。「自分の国は自分で守るものだ。自分は何もしないで他人に血を流して貰おうというのは料簡違いだ」とのファンへ放った犬養の台詞が空しく響く。

 そんなベトナムだが、今や外国人犯罪の多くがベトナム人で、シナ人犯罪者と肩を並べる。来日したベトナム人も、ベトナムの英雄・ファンと我が国との深い関係を知っていれば、安易に犯罪を起こすこともないのだろうが、こうした現実は営利至上主義に因る企業の外国人労働者や移民、観光立国という愚策の弊害でもある。

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2023年05月15日

「平和」の反対は「混乱」であり「戦争」の反対は「話し合い」である

 5月15日は「沖縄本土復帰記念日」。沖縄では未だに「日本は沖縄を見捨てた」「日本は沖縄を捨石にした」などとの声を耳にする。だが、沖縄と祖国日本を救う為に、尊い命を捧げてくれた若者がいたことを決して忘れてはならない。

 大東亜戦争での「沖縄戦」に於いては神風特別攻撃隊を始め、特殊潜航艇、回天魚雷、空挺特攻、対戦車特攻、震洋特攻艇、陸軍海上特攻など、劣勢を覆す為の特攻攻撃が行われた。特攻戦死者の実に76%が沖縄戦で亡くなっている。

 鹿屋基地(海軍航空)から沖縄へ飛び立った特攻に因り1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1036名が散華している。沖縄では反米・反基地ばかりが問題視され、護国の英霊に対する感謝の声が全く聞こえて来ないのは悲しいことだ。

 沖縄では「米軍基地反対」さえ叫んでいれば平和が訪れると思っている県民も少なくないが、米軍の沖縄からの撤退はイコール中共からの併呑を意味する。

 米軍を否定するなら自衛隊を強化して自主防衛を訴えるべきだが、沖縄珍左翼は、摩訶不思議なことに自主防衛を語ることもない。これこそが何を況や。

 戦後、米国に統治されたのは沖縄だけではない。伊豆諸島は昭和21年3月22日に支配下に置かれた一つ。統治された吐噶喇(トカラ)諸島は昭和27年2月10日、翌28年12月25日には奄美諸島、38年6月26日には小笠原諸島が本土復帰した。

 言い方は悪いが、米国に因る統治だったから好い様なもので、一方で、旧ソ連(ロシア)に侵略され不法に強奪された南樺太や全千島列島は未だに返ることはなく、旧島民の方々が故郷へ帰ることすら儘ならないことを思えば恵まれていると思う。

 政治家は軽々しく「平和を守る」というスローガンを掲げて有権者に訴える。だが、「平和」を口にはするが、どうやって我が国の防衛を強化して平和を創造するかという具体策は言わない。正に我が国の政治家こそが無防備の害となっている。

 三島由紀夫は、「戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス(無防備の害)だ」と訓えたことがあった。軽々しく「平和」を訴えている政治家こそが政治や外交を危ぶみ、戦争を誘発する最大要因と自覚するべし。

 御粗末なクソ憲法を守り、米軍に反対し、自衛隊が無くなれば当たり前に平和が存在するのだと疑って止まないが、平和を守るには自衛隊の存在なくして語れない。

 我が国では愛国心が批判され、「自国の防衛を否定する現憲法には問題がある」と言った途端に反発を食らうが、正に思考停止であり無防備の害そのもの。

「オストリッチ・ファッション」という言葉がある。欧米諸国は日本を「オストリッチ・ファッション」と嘲う。オストリッチとはダチョウのこと。ダチョウは自分に危機が迫ると穴に首を突っ込み、危機から逃れたつもりになるのだという。

「軍事」「戦争」「憲法改正」と言った途端に思考停止に陥る日本人を揶揄した言葉だが、正しく「オストリッチ・ファッション」とは言い得て妙(笑)

「平和」とは創り出すものだが、アホ野党にとって「平和」とは、党勢拡大の為に使う便利な言葉であり、左翼勢力にとって「平和」とは、無知で幼稚な平和主義を信じて疑わない人々を騙す革命謀略の為の最大の武器でもあるのだ。

「平和」の反対が「戦争」ではない。戦争の反対は「話し合い」であり、正しく戦争は政治や外交の延長線上にあるもので、国際法上も認められた正当な行為である。「平和」の反対は、戦争に因って引き起こされる「混乱」である。

「平和は当たり前」にあるものだと思っているが、「当たり前」の反対は「有り難い」であり、平和は当たり前ではなく稀に存在する「有り難い」ことなのだ。

「平和」という偶然に「有り難い」ことと感謝することは当たり前のことだが、沖縄珍左翼どもに足りないのは、米軍を「当たり前」の存在として敵視している。

「平和」を口にしてる連中は「平和で有ることが難い」ことであるいう自覚が無く、平和は「当たり前」に存在することなのだと勘違いしている。故に米軍や自衛隊に感謝することもない。「平和」というのは自ら創り出さねばならないのだ。

 我が国の「平和」というものは、単に日米安保条約や米国の核の傘の下でのまやかしの平和であり、戦後、戦争に因る混乱が無かったのも冷戦時代の米ソやNATOとワルシャワ条約機構のパワーオブバランスに因る単なる偶然に過ぎない。

 我が国の平和が米国の庇護の下での存在であることに気付き乍ら、米軍に感謝するどころか批判し否定する。そんな薄っぺらな平和主義が沖縄珍左翼の平和運動であり、反米闘争というのは鯔のつまりは中国共産党に与する革命運動である。

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2023年05月14日

過去無量の いのちのバトンを受けついで いまここに 自分の番を生きている

 自民党は、性的マイノリティ(LGBT)に関する特命委員会と内閣第1部会の合同会議を開き、結果「反対・慎重」18名、「賛成」が10名となったという。

 自民党執行部は、その昔の総会屋の如く、強引に反対の声を押し切って審議を打ち切り、「LGBT理解増進法案(性的指向および性同一性に関する国民の理解増進に関する法律)」を、高階恵美子特命委員長と森屋宏内閣第1部会長に一任となった。

 性的指向というより性的嗜好を理解し増進しようというのは狂気の沙汰である。LGBT法案可決は自民党崩壊の序章となるだろう。LGBTの次は皇位継承に口を挟み、ジェンダー平等を理由に女性天皇や女系天皇を謀ることは必至で、自民党どころか、我が国體破壊の序章でもある。自民党の左傾化が留まることを知らない。

 つ~か、LGBTQ~LGBTQI~LGBTQIA+って、LBGTから随分と殖えてるが、この少数派は「性的マイノリティ」というより「性的変質者」だろ。そんな変態どもを理解増進してどうするの。性的少数派ならロリコンとかSMもそうだわな。つ~ことは、LGBTQIARSM+ってか。そのうち円周率みたいになりそう(笑)

 相田みつをの詩で【自分の詩 いのちのバトン】 というものがある。

 父と母で二人
 父と母の両親で四人
 そのまた両親で八人
 こうしてかぞえてゆくと十代前で
 千二十四人
 二十代前では・・・?
 なんと百万人を越すんです

 過去無量の
 いのちのバトンを受けついで
 いまここに
 自分の番を生きている
 それが
 あなたのいのちです
 それがわたしのいのちです

 今の自分が存在しているのは御先祖様のお蔭であり、その長い歴史からすれば己の存在とはホンの一瞬の出来事に過ぎず、単に歴史のリレー走者に過ぎない。

 そうした先祖から連綿と紡いできた歴史を顧みることも無く、LGBTQという性的嗜好を優先して、結婚もせずに、子供を作らないとなればバトンが受け継がれることはなく、自分の代でその紡いできた永い先祖の歴史が終わるということでもある。

 性的変質者を性的少数派と言い換えることには違和感しかない。まぁ、地球には寿命もあるし、いつかは人類もいつかは滅びるだろう。そう考えると自らの代で終えようとするLGBTQという流行は人類滅亡過程の進化の序章なのかもなぁ(笑)

 同じ様に国にも歴史がある。 我が国は歴史上、人口移動の殆どない稀有な国だ。日本列島に存在していた方々は全てが我々の御先祖様である。 その共通の御先祖様からの流れの中に今の我々が存在している、ちっぽけな存在である。

 我が国の歴史は御先祖様の歩みなのである。悲しい哉、その祖先の生き抜いた歴史を貶し、罵る連中がいる。これ即ち、御先祖様の歩みを否定していることであり、つまりそれは、日本人としての自分という存在自体を否定していることと同じ。

「他人の生活を羨んでいると自分の幸福に気付かない」というが、左翼というのは自分勝手故にそんな当たり前の事さえも気付かない。 歴史を学ぶというのは年表を暗記することではなく、御先祖様のその生き抜いた時代の営為を学ぶことこそが肝要であり、現在、山積する諸問題も、歴史に学ぶことこそが解決への近道でもある。

 正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の意味を直視し、その中に価値を見出す発見によって未来を創造して行くものである。そう考えれば、自民党にしろ、自称保守派にしろ、過去に学ぶことはなく、彼らの頭の中は未来が全てであり、それはつまり保守に非ず、完全な自由主義者というのが正しい。

 人の悩みも同じことで、高が知れてる自分の短い人生の中での経験や知識から解決を図るよりも、先人の多くの経験や智慧、格言や処世学から導き出すことが懸命である。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」とは蓋し名言である。

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2023年05月13日

日韓シャトル外交をするなら先ずは「親日分子取締法」を撤廃させよ!

 日韓シャトル外交をする上で解決しなければならない課題は多い。福島原発周辺の貯蔵タンクからの処理水の海洋放出に関して、韓国政府側の視察を受け入れるというが、海洋放出に問題が無いとなれば福島県産輸入禁止を解除するのだろうか。

 尹錫悦大統領は、「日本は数十回 反省と謝罪を表明いている」との認識を示したことは好感が持てるが、「加害者と被害者という歴史的立場は1000年の歴史が流れても変えることは出来ない」との韓国人の病はそう簡単には治らない。

 日韓首脳会談では、岸田文雄首相も無難に対応していたが、今後は、韓国側には「親日分子取締法」の撤廃と視察後の福島県産禁輸解除を要請するべきだ。

 ライダイハン問題には頬っ被りして、慰安婦問題を論い、反日・侮日から日本大使館前に慰安婦像を設置し続けて恬として恥じない。慰安婦像設置は、韓国の民度の低さを象徴するものではあるが、早々に撤去する様に要請するべきであろう。

 我が国に対する度重なるイチャモンと難癖は韓国の御家芸でもある。日韓基本条約には「両締結国は、善隣友好の精神に基き且つ平和及び互恵並びに内政に関する相互不干渉の原則に従い、両国民の交流促進の為努力する」と踏襲されている。

 韓国側が条約を順守していないのは明白である。「韓流ブーム」にしても日本側の一方的な交流促進の努力であり、結果、韓国側を付け上がらせる要因を招いた。

 韓国が真剣に日本との交流を望むなら、日韓交流の障害となっている所謂「親日分子取締法」を撤廃するべきで、この愚かな法律が存在する限り、韓国国民には日本に対する言論の自由も、行動の自由も無く、善隣友好なども不可能なことだ。

「親日分子取締法」は、第16代韓国大統領に就いた盧武鉉が「歴史の見直し」に強い意欲を示し、「日韓併合」や日本統治時代の真相究明や責任の追及、補償を行う為に「過去史整理基本法」を成立させ、更には、日本統治時代の親日派の子孫を排斥する為に「親日分子取締法」を施行し、「親日派」の財産と土地を没収した。

 韓国国民は、こうした「親日分子取締法」という、世界に恥ずべき事後法である幼稚な法律を、然も「愛国的」なものと信じきっているのだから始末が悪い。

 事後法は国際意識未熟な韓国の専売特許だが、こうした行為は文明の原則である法の「不遡及の原則」に反しており、まともな国際社会では許されるものではない。

「反日」を国是とし「親日分子取締法」で歴史を否定する韓国と胸襟を開いて付き合うなどとは笑止千万である。抑々「反日」の国是も、米国の傀儡として初代大統領に就いた李承晩が謀った政策を検証することなく引き継いでいるに過ぎない。

 韓国内の一部の少数の反日派が創り上げた歴史を鵜呑みにして、愛国者気取りで日本に憎悪を剥き出しにしているが、韓国こそ公正な歴史を学ぶことこそ必要だろう。公正とは是と非であり、是と非を学ばずして真の歴史を学ぶことは出来ない。

 日清戦争後、ロシアが南下政策を開始し、我が国が清国から割譲された遼東半島に攻め入り、韓国までも触手を伸ばして来る。こうした現実を眼前にして、危機を韓国独自でロシアと対峙することなど出来なかったのは歴史が証明している。

 その意味では寧ろ日本に拠る韓国保護の必要性を認め、日本と一体となった上で民族の自立発展の道を模索しようとした「日韓合邦派」の主張の方が現実的だった。

 韓国が非難して止まない「差別と弾圧の日帝支配」なるものも真実はその逆であり、世界に例を見ない極めて公平で平等な制度だった。だが今や「日韓合邦派」は犯罪者とされ「日韓併合」は「日帝支配」と歪曲された歴史が真実だとされている。

 強請り、タカリ、恩知らずな韓国との善隣友好など笑止千万。韓国に対し、正理公道を以て説き、猛省を促すべきで、韓国の非を万国に明らかにすることこそ必要だろう。「平成の征韓論」を唱える西郷隆盛の様な政治家は出現しないものか。

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2023年05月12日

続・萬歳考。萬歳三唱令は実に良く出来ている(笑)

「『萬歳三唱令』は贋物であるから、万歳三唱はする必要がない」かの様な無礼な意見を頂いたことがある。「万歳三唱」は聖寿を寿ぎ、陛下の弥栄を臣下が祈念するものであり、臣民が声高らかに唱和するのは余りにも当然なことだろう。

「天皇陛下万歳」は「軍国主義復活」「好戦的な象徴」だとして捉え、万歳三唱を拒む勢力が存在する。「日本に巣食うあらゆる天皇制を打倒しよう!」とのスローガンを掲げる、蛆虫・共産党や社民党、日教組といった反日左翼の連中である。

 戦後の天皇制廃止運動の主力は、昭和にあっては「戦争責任・退位論」であり、次に「開かれた皇室論」並びに「敬称・敬語不使用運動」である。敬称・敬語不使用は当たり前となり、平成では「女性天皇論」「女性宮家論」に転換されている。

「萬歳三唱反対」にしても、天皇制廃止運動の一環なのだろうが、連中は、1932年のソ連共産党「コミュンテルンテーゼ」の命令書を忠実に遂行しているだけ。

 保守や愛国を標榜する真保守やネット右翼の中にも、「萬歳三唱令は贋物で根拠が無く、行う必要はない」と主張し、反日左翼に同調してる輩がいるが、こういう輩をして似非保守というのだ。尊皇なくして何が保守か。何が愛国者か。

「萬歳三唱令」が何時の時代に出回ったのかは定かでないが、施行日は明治12年4月1日と記されている。 明治初期に、畏くも明治天皇御臨席の下、訓練観閲が千葉の軍事錬兵場で挙行され全軍の兵全員で「天皇陛下萬歳」を三唱したのは事実だ。

 この時の篠原国幹近衛長官の指揮能力に、陛下は甚く歓心した。だが、万歳の指揮を執った篠原長官は、明治6年に「征韓論」が破裂して西郷隆盛が下野すると、明治天皇の引き留めの命にも従わず、近衛長官の職を投げうって鹿児島へ帰国する。

「陸軍士官、相去るもの此の如きに於ては、慮なき能はず。但だ篠原少将の在るあり、桐野等去るも、猶未だ憂ふるに足らず」と、篠原の存在自体が高く評価されていただけに、篠原の帰国は政府・軍関係者に大きな衝撃を与えたという。

 陛下の薫陶を享けた西郷隆盛も篠原も西南戦争で敗れて以来「賊軍」との汚名を着せられ続けている。その名誉は回復したとはいえ、靖國神社には祀られることはなかった。この事実を以ても、新政府が如何に非情だったか察するに余りある。

 考えてみれば、賊軍の将の「天皇陛下万歳」を称えるが如くの「萬歳三唱令」を、新政府は認める訳には行かなかったのだろう。「萬歳三唱令」は篠原亡き後、意を汲んだ草莽の臣に拠り作成されて公布されたのではなかろうか。

 真贋は兎も角として、萬歳三唱令は実に良く出来ており、皇国臣民としての気概や誇りを感じるものだ。「御名御璽」と標のあるものが多く出回った時代であるが、単に「贋物」と一笑に付すより先人の尊皇精神と智慧を無駄にしてはならない。

 ※【萬歳三唱令】

 別紙ノ通相定来明治十二年四月一日ヨリ之ヲ施行ス
 右奉 勅旨布告候事
 施行 明治十二年四月一日太政官布告第百六十八号

 第一条 萬歳三唱ハ大日本帝國及ヒ帝國臣民ノ天壤無窮ノ發展ヲ祈念シ發聲スルモノナリ
 第二条 發聲ニ當リ音頭ヲ爲ス者氣力充實態度嚴正ヲ心掛クルヘシ
    亦唱和スル者全員其心ヲ一ニシテ聲高ラカニ唱和スルモノトス
 第三条 唱和要領細部ニ附テハ別ニ之ヲ定ム

 朕萬歳三唱ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム
 此布告ハ明治十二年四月一日ヨリ施行スヘキコトヲ命ス 御名御璽

 [萬歳三唱ノ細部實施要領]

 一 萬歳三唱ノ基本姿勢ハ之直立不動ナリ
  而シテ兩手指ヲ真直下方ニ伸ハシ身体兩側面ニ完全ニ附著セシメルモノトス
 二 萬歳ノ發聲ト共ニ右足ヲ半歩踏出シ同時ニ兩腕ヲ垂直ニ高々ト擧クルヘシ
  此際兩手指カ真直ニ伸ヒ且兩掌過チ無ク内側ニ向ク事肝要ナリ
 三 萬歳ノ發聲終了ト同時ニ素早ク直立不動ノ姿勢ニ戻ルヘシ
 四 以上ノ動作ヲ兩三度繰返シテ行フヘシ
  何レノ動作ヲ爲スニモ節度持テ氣迫ヲ込メテ行フ事肝要ナリ

 要旨 [本文] 発声は、大日本帝国と帝国臣民の永遠の発展を祈って行うこと。
 音頭を取る者は、気力充実・態度厳正を心掛けること。
 唱和の際には、全員心を一つにして声高らかに行うこと。

 〈実施要領〉

 基本姿勢は直立不動。両手は指を真っ直ぐ下方に伸ばし体の側面に付ける。万歳の発声とともに右足を半歩踏み出し同時に両腕を垂直に高々と挙げる。その際、両手の指を真っ直ぐに伸ばし両掌を内側に向けておく。万歳の発声終了と同時に素早く元の直立不動の姿勢に戻す。以上の動作を三度、節度を持ち且つ気迫を込めて行う。

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2023年05月11日

明治開国以来の様々な歴史を検証し日本再建の一歩とせよ!

 昭和14年(1939年)5月11日、蒙古との国境ハルハ河を越えて蒙古兵が満州国側のノモンハン地区に侵入。日本軍はこれを撃退したが、蒙古軍は駐留ソ連軍と共に再三に亘り侵入を繰り返した。一度は撃退されたソ連軍だったが、大量の戦車を含む大兵力を動員してハルハ河を越えて侵入し大激戦が展開されることとなった。

 8月20日には、ソ連軍は10万近い軍を動員し、日本兵2万人弱への総攻撃で、日本軍は大打撃を被った。これが日本人の信じる「ノモンハン事件」である。

「歴史探偵」を自任する半藤一利や司馬遼太郎もそうだし、五味川純平などはその最たるもので、何しろ、ソ連の公式発表した日本軍の損害は52000人、ソ連軍9284人との数字を真に受けている。 昭和12年に始まった「日支事変(日中戦争)」から2年後、何故に満州と蒙古の国境で突如この様な激戦が発生したのだろうか。

 実はこの1年程前に、ソ連はソ満国境の張鼓峰(ちょうこほう)で侵入事件を起こした。日本軍はこれに応戦し、ソ連側に5500人の大打撃を与えて撃退した。だが、その際に日本軍がソ連領に侵入して来ないことをスターリンは見逃さなかった。

 一昨日、ロシアの首都モスクワで、対ドイツ戦勝記念式典が行われたが、ソ連がナチスドイツに勝利出来たのは、この時のスターリンの判断が大きい。

 歴史に「もし」は無いが、あの時に日本軍がソ連に更なる猛攻をしていれば、ドイツと共にソ連共産党を打ちめしていればその後の歴史は大きく変わっただろう。

 スターリンは、ヒトラーのソ連攻撃を予測し、東側からの脅威を除く為に、日本と中国国民党とを戦争に引き込むことに残力を挙げた。そうしたスターリンの策謀にまんまと嵌ってしまった。希代の悪党であったスターリンの勝利だった。

 大東亜戦争を侵略戦争だと罵る連中がいるが、あの戦争とは近衛文麿や尾崎秀美ら共産主義者による共産革命の為の愚かな戦争であり、ドイツでのソ連の勝利もまた第二次世界大戦そのものが、共産主義に因る策謀だった証左の一つでもある。

「盧溝橋事件」や「上海事件」ではそうした策謀は成功したが、予想外に日本軍が強いことを悟る。そこで策略家のスターリンが権謀術数を巡らせ、日本軍がどう出るかを偵察したのが「鼓張峰事件」と「ノモンハン事件」だったのだ。

 ノモンハン事件で日本との「停戦合意」が成立した翌日の9月17日。スターリンはすかさずポーランド侵攻を命じ、ソ連軍はポーランドに侵入を謀っている。

「ノモンハン事件」は「貧弱な装備で旧式戦法の日本軍が、ソ連の進んだ機会化部隊に完膚無きまで叩きのめされた」との悪宣伝が垂れ流された。これは日本軍を貶す虚偽宣伝であるのだが、日本人の多くは未だそうした歴史を信じきっている。

 ソ連崩で壊情報公開されたことで判ったことは、ソ連の損害は26000人、日本軍18000人。実はソ連の損害は日本を大きく上回っており、然も、日本軍はソ連の戦車・装甲車800両、航空機1673機を撃退している。ソ連側の損害は少ないとされだが、結果はその逆だった。如何に日本軍が強かったかということの証しであろう。

 歴史というのは往往にして為政者に都合の好い様に作られるもの。そうして捏造された歴史を我々日本人は信じ切ってしまっているのは歴史と先人の冒涜である。歴史とは国の大事である。アジア近代史を検証し、日本再建の一歩とすべし!

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2023年05月10日

明治12年公布された「萬歳三唱令」はニセモノらしい(笑)

 政府は「萬歳三唱」の所作について、「萬歳三唱は公式に定められた法令はないと承知している」との答弁している。その昔、右翼の先輩で横浜在住(現長野県)の平澤次郎から「萬歳三唱令というものがある」と教わったことがあった。

 祝い事や当選議員らが行う「萬歳三唱」だが、この萬歳の殆どが掌を正面にして「降参」した形で行っていることが多い。平澤次郎曰く、「この所作は間違いであって、万歳本来の『壽を祝す』意味ではなくなってしまう」とのことだった。

「萬歳」というのは漢語であり、唐の末期からは専ら「天子の壽を祝するに用いた語」として用いられたという。 日本国内で「萬歳三唱」の逸話が残っている。

 明治初期、千葉県の軍事錬兵場に於いて、天皇陛下の御臨席を仰ぎ訓練観閲を行うこととなった。政府軍の指揮官であった元薩摩藩の篠原国幹近衛長官は、集まった全軍の将兵と共に声高らかに「天皇陛下萬歳」を三唱したという。

 この卓越した篠原近衛長官の指揮能力と将兵の錬度の高さに感動された明治天皇は、御言葉の中で萬歳三唱を唱和した篠原を称え、「諸官等も篠原(志野原)に習え」と述べられ、この御言葉からこの地を「習志野」と名付けられたという。

 その後の明治12年4月1日、萬歳三唱令「太政官布告第168号」が公布されたという。この布告自体が嘘で三唱令も贋物らしいが、この太政官布告が広く国民に知れ渡ったという事実は消えるものではなく、「萬歳三唱令」は一見の価値はあろう。

 萬歳の実施要綱には、「両腕は垂直に、指は真っ直ぐ、両手は内側を向ける」と書かれており、多くの国民がやってる掌を前にする萬歳は間違った所作である。

 掌を相手に向け腕を上げる行為は、国際的には「降参」を意味するものであり、萬歳の持つ「壽を祝する」意味とは正反対になってしまうのは先輩の教えの通り。 御目出度い時に「萬歳」を唱えることは、古くから支那でも行われていた。

 我が国でも八世紀末に、長いこと雨が降らない日々が続いたという。ある日、桓武天皇が庭に出て祈ると雨が降り出して、群臣が萬歳を唱えたという記述が「続日本記」に見られる。但し、当時は「バンザイ」ではなく「バンセイ」だった。

 萬歳の高唱は、明治22年2月11日の「紀元節」に於いて、東京帝大の学生達が大日本帝国憲法(欽定憲法)の発布を祝ってしたのが始まりだとされている。

 首相の発声による萬歳三唱は、やはり「登極令」に基づき大正天皇の即位礼から行われる様になった。我が国の伝統、文化、風習は守り継承することが大事で、間違って広まっている万歳を正す意味でも「萬歳三唱令」を正式に発表したら如何か。

 余談ではあるが、野村秋介は「萬歳」という言葉は漢語であるから「萬歳三唱」ではなく、「すめらみこといやさか」と唱えていたと言う。すめらみこととは現天皇のことで、「すめらぎいやさか」となると歴代の天皇という意味になる。

「萬歳三唱令」の真贋は兎も角として、萬歳三唱令は実に良く出来ている。萬歳三唱は姿勢を整え、大きな声で正しくやりましょう。この続きは明日に(笑)

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2023年05月09日

中共国内で使われている漢字の多くは「日本製」である

「観光立国」の名の下に推進されているハングルやシナ語が表記してある看板は何の為に、誰の為に行っているのだろう。韓国客は別にシナ人や朝鮮人だけではないだろうに。こうしたことも「近隣諸国条項」の流れだとすれば御粗末過ぎる。

 抑々、中共国内で使用されている、「人民共和国、共産主義、共産党、革命、共和、左翼、唯物論、社会主義、右翼、演説、警察、芸術、自然、自由、新聞、鉄道、文学、歴史・・・」等等、という日常用語は、実は総て日本製の漢字である。

 過去に、人民日報の姉妹紙でもある「環境時報」が、中共国内で使用されている「日本式漢字語」の実態を説明しつつ、無分別に使われている和製漢字語導入を巡り、一世紀前の支那大陸で戦わされた論争を紹介して注目を引いたことがある。

 環境時報の記事に拠れば、現在、中共国内で使用されている社会や人文分野の用語の実に約70%が、日本から導入された外来語(日本語)だというから驚く。

 清朝末期、日清戦争に敗北した支那大陸では、庚有為(こうゆうい)が中心となって「維新変法」(自主的な近代化の試み)を進めたが、その取り組みが保守派の抵抗で挫折した後に、和製漢字語が本格的に流入し始めることになったという。

 日清戦争後から、シナ人は近くに存在する極東の日本に注目し始め、近代化を目指す多くの留学生が西欧の文物を間接的に学ぶ為に、日本に渡り始めた。

 近代シナの代表的知識人として知られている梁啓超(りょうけいちょう)も、和製漢字語の普及に大きな影響を与えた一人である。彼は日本に亡命し、日本の小説などを中国語に翻訳し、自らが創刊した「清議報」に連載するなどした人物でもある。

 シナに於ける和製漢字語研究の第一人者である王彬彬(おうひんひん)は、「我々が使っている西洋の概念は、基本的に日本人が我々に代わって翻訳してくれたものであり、中国と西洋の間には永遠に日本が介在している」との意見を述べている。

 日本の漢字用語というのは、西洋の語彙を日本語に置き換えたもので、漢字表記で外国文化を知ることが出来る。この「漢字」こそが日本の文化と言っても過言ではない。尤も、現代のシナ人には日本人の様な芸当は出来ないし、そんな智慧も無い。

 中共も「反日」を徹底するなら「和製漢字」の使用禁止にしたら如何と思うが、「和製漢字」を捨てることは不可能だし混乱を極めることは必至。尤も、無恥で厚顔不遜な連中のこと、使用してる漢字が「日本製」だと認めることもないだろう。

 日本国内でも未だに中国共産党に阿り、中共との関係を「一衣帯水」だとか、「同文同種」だからと信じて止まないアホ連中が後を絶たない。だが、断じて我が国と中共との関係は「一衣帯水」でもなければ「同種同文」などでもない。

 607年、聖徳太子が小野妹子を派遣し「日出ずる国」と「隋」との対等外交に踏み切り、645年「大化の改新」を実現する。大化の改新から18年後の663年、白村江(はくすきのえ)での敗戦を機に中華圏との正式な外交を絶つこととなった。

 その後、遣唐使が約250年間、菅原道真の献策によって廃止されるまで派遣され、唐の文化が、奈良時代の平城京を中心とした天平文化に影響を与えた例はある。

 然し乍ら、国書を携えて派遣したのは、侮蔑して止まない「倭国」としてであり、「日本」と名乗ってからは一度足りとも正式な国書を携えた外交はない。

 明治4(1871年)年、我が国が「日清修好条規」を結んだ相手は「清朝」であり、満州人は大陸を支配はしていたが漢民族ではなかった為に、シナとの正式な外交は、明治45年(1915年)の「中華民国」誕生まで待たなければならなかった。

「日清修好条規」を結ぶ迄の約1200年に亙り、日本列島の中で独自の日本文化を熟成させた。大陸からの漢字に「音」と「訓」を付け、ひらがな(のちにカタカナ)を付け加え、大和言葉を表現しシナとは全く別の文字体系と文化を創造した。

 一方のシナ大陸では、戦乱に次ぐ戦乱が度々起こり、易姓革命の連続で国内での文字文化の発達は全く止まった儘だった。多民族が混在するシナ大陸は正に人種の坩堝であり、統一された国家としての連続した歴史は存在しないのだ。

 陰謀と策略の権力闘争を繰り返し、契丹族の「遼」、タングリート族の「西夏」、女真族の「金」、モンゴル人の「元」、満州族の」清」でも理解出来よう。

 異民族による征服王朝の時代を含め、易姓改名の原則の下に「族滅」し、王朝が変わる毎に歴史や文化が断ち切られて来たというのが歴史的事実である。

「中国4000年の歴史」や「漢民族」にしても空想的な概念と言わざるを得ず、「4000年の歴史」なんぞ嘘っぱち。中共も1949年に出来た新興国に過ぎない。

「三国志」や「水滸伝」などの英雄なんぞフィクションに過ぎず、孔孟の教えも日本人が好意的に伝え実践しているだけ。朱子学や陽明学は日本人の方が上だ。

 日本人は異文化を吸収し、より善いものを生み出す国民性であり、親中派が言う様に「日本と中国は同文同種、一衣帯水である」との認識は間違いである。

 我が国は、世界の中で最も優れた精神文化と独自の価値を有する国家であり、民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度は日本国独自のものである。今こそ我が国は、聖徳太子に倣って共産党一党独裁の中共とは一線を画すべし!

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2023年05月08日

「トリチウムを含んだ処理水」という言葉自体が要らぬ風評を生んでいる

 地元紙(福島民報)一面に「政経東北」の広告が出ている。オールド左翼の雑誌なので「反骨精神」を勘違いして、つい左翼ぶりが露呈してしまったり。元朝日新聞記者で自称・ジャーナリスト・牧内昇平の記事の「汚染水放出に世界から反対の声」というタイトルを読めば、極左や韓国と同じ反原発運動だと分かる。

 処理水の海洋放出を大騒ぐことで、却って風評被害を招く結果となっていることを自覚すべきだが、風評被害が狙い。要は、海洋放出反対運動とは原発事故を利用した国家破壊活動である。御丁寧にも韓国視察団と面会した伊達市のアホ議員の言い分を載せているが、政経東北のやってることは左翼活動家と同じ反原発運動。

 多核種除去設備(ALPS)処理水であって、トリチウムが含んだ処理水という言い方が「理解が広がっていない」原因だし、「理解しようとしない」人が理解するとも思えない。「風評被害が起きる」というが、反原発派にしてみりゃそれが狙い。

 トリチウムとは水素のこと。宇宙の彼方から来る宇宙線が大気中の酸素や窒素と衝突することで発生する。大気中には100京(1京は兆の1万倍)ベクレル存在し、雨水や水道水、海水にも含まれており、人体に影響はなく蓄積されることはない。

 共産党や反原発派どもらが「汚染水」という言葉を使うのを止めて、科学的根拠に基づく論評をすれば福島への風評被害が出ることはない。福島を利用して党勢拡大を謀るも、逆に風評被害を拡散してる共産党や反原発派どもは恥を知りなさい。

 意見聴収会では「不安や不信を払拭して欲しい」「国と東電が責任を持って万全の風評対策に取り組んで欲しい」などの意見が出たが全てが他人事。その意見の多くは、反原発派に与するものばかり。海洋放出に賛成してる愚生は稀らしい(笑)

 ALPSで無害化された処理水を共産党や反原発派どもは「放射線を含んだ汚染水」などと騙って扇動し、マスコミも「トリチウムを含んだ処理水」などと報じているが、トリチウムは自然界にも存在する恐れる必要も無い放射線物質でもある。

 以前、細野豪志元環境相が「水道水のトリチウムは毎日飲んでる」と発言すると、反原発派から「失礼なことを言うな。水道局に謝れ」となったという。だが、水道局員は「トリチウム入ってない水ってどこで買えるの?」と相成った(笑)

 麻生太郎が「処理水は飲んでも大丈夫らしい」と発言すると、反原発派どもは「麻生に飲ませろ!」と大騒ぎした。つ~か、麻生に飲ませてどうするの?

 そんなにトリチウム処理水が恐ろしいというなら、反原発派が「御用学者」と断じて止まない高田純先生に倣い処理水を飲んで自ら発癌性物質というのを証明してみりゃ好いだろう。飲んでも何ら影響はないから一笑に付されるだろうが(笑)

 チェルノブイリや福島原発事故を受けて、高田純先生は自ら汚染水を飲んで放射線セシウムの半減期は100日という科学的根拠を示した。セシウムでの被害者はいないのにセシウムの700分の1程度の放射線トリチウムに怯える不思議。

 原発事故に因る放射線セシウムが人体に影響も及ぼしてない中で、トリチウムを含んだ処理水の処分に反対するのは単なる感情論か、全くのアホでしかない。

 処理水の海洋放出を大騒ぐことで風評被害を招く結果となっている。要は、海洋放出反対運動とは原発事故を利用した、左翼勢力に因る国家破壊活動である。

 福島第一原発周辺の処理水タンクがこの儘で放置され、更に増設されれば環境破壊にも繋がり、それこそ福島への風評被害が止むことはないだろう。海洋放出反対派のやってることは福島に寄り添うフリをした党勢拡大と革命謀略である。

 原子力規制委員会では「地層注入」「水蒸気放出」「水素放出」「地下埋設」などの処分方法のうち、海洋放出が唯一の方法としている。政府小委員会は原子力規制委員会の提言に沿って海洋放出を現実的な選択肢としている。

 抑々、除染にしろ貯水タンクの増設にしろ民主党政権下での非科学的な愚策が原因である。感情的目先の対策を優先し、住民の安心安全を目的に始まった除染は「福島は除染をしないと住めない土地」と、却って風評被害を招く結果となった。

 科学的データで対処してれば除染もする必要も無かったし、処理水も海洋放出してれば済んだこと。放射線への異常な恐怖心と無知が問題を複雑化した。福島への風評と差別は、国の対処も然ることながら福島県民が招いたことでもある。

 海洋放出を先送りし、更なるタンク増設で解決しようとする方法は、次の世代へこの問題を丸投げするということでしかない。原発の出現に拠って豊かで便利な生活を享受した我々世代が、責任を持って解決に当たらなければならない。

 福島原発は関東へ電力を供給する為のものであり、日本の高度成長期にそれらに協力した福島県が風評被害や差別という仕打ちを受けるとはよもや思わなかったが、いつまでも被害者意識丸出しでは復興どころか前には進めない。

「流言」や「デマ」が、混乱に拍車を掛け「風評」という余計な混乱を生む。「トリチウムを含んだ処理水」という言葉自体が要らぬ風評を生んでいるとしか思えない。「流言は知者に止まる」というが福島県民に知者はいないのか。

「流言飛語」とは本来は「流言蜚語」と書く。「世の中で言い触らされる確証のない噂話。根拠のない煽動的な宣伝。デマ」という意味だが、「蜚」とは悪臭を放つ小さな虫の意味で忌み嫌われる語彙だ。因みにゴキブリは「蜚蠊」と書く。

 何の問題もない処理水の海洋放出を、恰も危険であるかの様な流言を撒き散らしたのは反原発派という蜚蠊どもだ。そうした愚論に与してどうするのだ。

 処理水の海洋放出は世界の常識であり福島原発が特別ではない。真剣に福島への風評を阻止したいなら「住民への理解」とかの感情論を止め、政府に依存するだけではなく、正しい科学的データを自ら内外に広めることが肝要である。

「汚染水」という言葉を使うのを止めて、科学的根拠に基づく論評をすれば福島への風評被害が出ることはない。処理水は粛々と放出し、常磐物を食べよう(笑)

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2023年05月07日

「遠きは花の香 近きは糞の香」の喩え通り身近な者の意見は軽んじられる

 今年になって一日も欠かさず拙ブログ「爆ちゃん吼える」を揮っている。「教えるとは実に教えられることである(西晋一郎)」との言葉を肝に銘じてやっている。覚えたことを相手側に教えることは難しいが、新たな気付きもあって勉強になる。

 ブログ末尾に会費並びに購読料や御支援を記してるが、今年会費を振り込んでくれた方は一人だけ。タダで読めるから当たり前になってしまって、有難いという気持ちは無いのだろう。「当たり前」の反対語は「有難う」と知ってる人は少ない。

 協賛会員300000円を振り込んでくれる奇特者は未だ現れない。まぁ当たり前だがそんな殊勝な人は死ぬまで現れないだろうな。果報は寝て待つしかない(笑)

「預言者は郷里(世)に容れられず」という言葉がある。優れた人物というのは、世の中では受け容れられないことが多いという喩えだ。批判というのは往往にして嫉妬からのものが多く、出世したりすればヤキモチを焼くのは人間の性というものだろう。見方を変えれば、批判や嫉妬というのは実力を認めてる裏返しでもある。

「人は故郷を離れて貴し」とか「 近くの坊さんえらくない」という諺もあるし、「遠きは花の香、近きは糞(クソ)の香」という喩えもある(笑)

 身近な者や身近な人の意見というのは当たり前だから耳に入ることも少なく、近くの神社仏閣というのも身近過ぎて有難く感じないもので、軽んじられることが多い。だが、その軽んじられてる意見が正論だったり、真実だったりするものだ。

 キリストは愛を説いて十字架に、日蓮は道を説いて流罪に遭った。政治家も偉いヤツほど殺されている。古来、審理を説き、ものの道理を訴えた者は世の中に居られない。バカかキチガイ扱いされた上に、罰せられるか殺されている。

 ガリレオ・ガリレイもそうだ。「地動説」だった時代に「天動説」を唱えればキチガイ扱いされるのは当たり前で、誰も地球が太陽の周りを廻ってるなどとは考えても見なかった。結果、世を誑かす者だとして宗教裁判にかけられた。

 これが当時の世論の大勢だった訳だが、今も当たり前だとか正論だと思っていることも、後の世には間違いや非常識だったとされる場合も少なくない。

 正しいことというのは、いつの世も後になって気付くもので、そんな時に、必死に「正しい」と唱えたところで理解してくれないのは当然のことでもある。何しろ世の中にはバカの方が多いのだから、バカの世論が結果として正論となる。

「あの人は良い人だ」「あの人の言うことは正しい」などというのも、古来に学べば大半は間違っていると思った方が好い。「オレは良い人間だ」「善人だ」「人の為」と吹聴するヤツに限って、その裏では何をやってるか分かったものではない。

 愚生の経験からすれば、笑顔を浮かべてるヤツや愛想の好いヤツというのは意外と性格が悪いのが多い。作られた笑顔の裏の顔というのは実に醜いもので、悟られない様に誤魔化そうとしているに過ぎず、ブスっと無表情のヤツの方が信頼出来る。

 返事なんてのもそう。何でもかんでも「ハイ、分かりました」なんていうヤツは意外と聞いていない。話をしてる最中も、じっと目を見ているヤツもダメだ。

 相手の話しを聞きながらも時々目を伏せて、メモしたり、同意した内容があれば目を上げ、相手方の目を合わせ相槌を打つ様な人物なら使い物になるだろう。 

 報道されてるニュースでも論評でも何事も、たまには違う角度から穿った見方をすることも必要で、現在の常識や多くの正しいと思われている意見というのは、マスコミや或いは戦後に創られた価値観だったりすることが多いものなのだから。

 まぁ、日々垂れ流している愚生の薀蓄や能書きも、預言者の喩えではないが、「郷里に容れられず」っていうより、連日同じ様な記事を綴ってると軽んじられるもので、「近きは糞の香」くらいにしか思われていないんだろうなぁ。呵呵大笑。

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2023年05月06日

神社仏閣への参拝がめちゃくちゃになったのはいつの頃からか

 日本人の宗教観というのは実に好い加減なもの。祖先の宗派も知らないから親や身内が死んでから宗派を知る人は多い。そんなんだから焼香すら儘ならない。

 今はどの家庭も手狭になり、便利さもあって葬祭場を利用する家庭が多くなった。葬祭場の従業員は、連日繰り返される葬儀に慣れっこになり過ぎて、金儲け逞しいイベント的葬儀が目立ち、泣かせようとする演出に辟易することがよくある。

 参列者は、しめやかに故人を見送ろうとしているのであって、イベント的過剰な演出は故人を冒涜にも感じる。今では過当競争で将来的には淘汰されるのは必至。

 坊主は、日頃から仏の教えを語り、神主や禰宜は地元の鎮守の神が何か、神道とは何か、天皇とはどんな御存在なのかという根本的なことを教えるべきなのだが、多くの寺の坊主や神社の宮司や禰宜は、単なる生業としての宗教に甘んじる。

 純粋なお悔やみを否定する訳ではないが、最低限の作法や教えは覚えるべきだ。例えば、死の報に接すると、多くの人が「ご冥福」との文言を使う。「冥福」というのは「死後の幸福をお祈りします」意味。浄土真宗では「死というのは穢れではない」から、「死後の幸せ」を意味する「冥福」は使ってはならない言葉でもある。

 浄土真宗は、「故人を阿弥陀如来の智慧の光明によって極楽浄土へと導く」という真理であり、死後の幸せより、阿弥陀如来への信心を重視している宗派である。「ご冥福」というとそれらしく聞こえるからつい使いたがるが間違っている。

 浄土真宗やキリスト教など宗派に拠っては故人への冒涜となることもあるから易易と使ってはいけません。故人の宗派が分からない場合は、「お悔やみ申し上げます」「ご愁傷様です」「哀悼の意を表します」などと言い換えた方が好い。

 政治家の選挙活動の一環である弔電も、浄土真宗なんて関係なく「ご冥福」のオンパレード。恐らくは宗教の訓えなんぞ知らないバカな秘書がやってるのだろうが、こういう一票欲しさの選挙運動である弔電披露は故人への冒涜である。

 人間というのは、誰しも健康であれば明日があると思って生きている。自分だけは「直ぐには死ぬことはない」と思って生きている人が殆どだろう。「死」というものは貧乏だろうが金持ちだろうが、誰にでも平等に与えられた道でもある。

 人間というのは死に向かっているのに必死に生きる。「死と生」というこの二つは矛盾してる。生き続けるというのは、死に近付いているということでもある。

 日本人の多くは仏教徒だろうが、その宗派も分からない人が多い。死んだ時だけ坊主のお経を有り難がり、死後に戒名を頂く意味すらも分かっていない(苦笑)

 抑々、自分の家や先祖の宗派を知ってる人は少ない。宗派や仏教の教えを理解していないから「ご冥福を」などという言葉が簡単に口から出てしまうのだ。

 そういう人に限って、墓参りにしても宗派関係なく「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」で済ませていないか。まぁ、墓参りしてるだけ好い方か。墓参りにしたって、立派な墓を建てたところで息子や孫までで、その後は廃れて行くだろう。

 愚生の実家は真言宗だから「南無大師遍照金剛」と唱える。愚妻の実家は曹洞宗だから「南無釈迦牟尼仏」。然し乍ら、身内でさえきちんと唱えている人は少ない。

 最近は、テレビ番組などでも神社からの中継も増えた。昔は「二礼二拍手一礼」という神社の作法が、GHQが謀った「神道指令」の報道規制に引っ掛かるということもあり、冒頭の礼で終わり映像が別のシーン替えられたりしていたと記憶する。

 参拝のシーンが映されるのは結構なことだが、多くの参拝の作法が二礼二拍手までは好いのだが、最後の一礼の際に何故か手を合わせて祈っている人が殆ど。

 寺じゃないのだから手を合わせるのではなく頭を下げるのが正しい。拍手も神を呼ぶもので大きな音を出すのが好い。神様を拝むには先ず心身を清めることが大事で、仏教にしろ宗教も同じ。神道では清浄という「禊(みそぎ)」を尊ぶ。

 伊勢神宮に未だ橋が無かった時代には本殿に参拝するには五十鈴川を渡らねばならず、自然に禊が出来る様になっていた。神社には参道や本殿近くに「手水舎(てみずや)」が置かれているので、ここで身を清めることは大事な作法の一つ。

 手水舎は「禊」の場所であり重要な場所である。手も清めず口も漱がずに本殿に参じることはイケません。 何度もアップしてるが、手水を取る作法は次の通り。

1 先ず、右手で柄杓を取り、清水を汲み左手に掛け清める。
2 次に柄杓を持ち替え、同じ様に右手を清める
3 再び柄杓を右手に戻し、左手に清水を注ぎ口を漱ぐ
4 最後に柄杓を立てながら残った清水で柄杓を清め、伏せて置く

 そうして参道を通り神前へ向かうのだが、参道の中央は神様の通る道なので、真ん中を避けて歩くことが礼儀。堂々と真ん中を歩いている人が多いが間違いだ。

 神前に立ち、賽銭を入れ、鈴(ある場合)を鳴らし、「二礼二拍手一礼」で参拝する。礼が終わったら頭を垂れ、「祓え給え、清め給え、守り給え、幸え給え」と唱え、感謝の言葉や願懸けをする。最後の一礼の際に両手を合わせ祈っている人がいるが、寺院ではないので頭を垂れるのが社頭での正しい参拝の作法である。

 全国津々浦々にに神社は沢山在るが、「神様とは何か」「神道とは何か」を知る人は少ない。当り前に存在しているものとだけしか受け止めてはいない。その神道の祭祀を斎行する天皇という存在も同じで、「現神(あきつかみ)としての天皇とは何か」「祭祀とは何故に重要か」ということを教わることも、知ろうともしない。

 神社というのは近所に当り前に在って、祭りがあるから愉しもうというだけで、神への感謝の気持ちは持ち合わせてはいない。寺も同じで「近くの坊さんえらくない」という諺じゃないが、葬式や法事だけ頼む存在となってしまっている。

 釈迦牟尼の教えを全て教え、実践しろとは言わないし、神道を学び天皇を敬えとは言わないまでも、せめてきちんとした参拝の作法を教えるべきだと思う。

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2023年05月05日

五月五日は「男子の健やかな成長を願う」端午の節句

 今日は「こどもの日」。古くは「端午の節句」として、菖蒲や蓬を軒に挿して邪気を払う習わしがあったが、江戸時代以降は男子の節句とされ、武家で甲冑や幟を飾ったことに倣い、町人も武者人形や鯉幟を立て祝う様になった。

「男子の健やかな成長を願う」ということに、いつものジェンダーフリーを妄信する性的変質者の左翼オバハンらが「女の子への差別」だと反発し今日に至っている。

 五月五日は別名「あやめの節句」や「菖蒲の節句」とも言われ、五が重なる「重五(ちょうご)」「端陽(たんよう)」と、縁起の良い日とされている。

「こどもの日」の趣旨とは、「未来を担う子供の人格を重んじ、幸福を図ると共に、子供は自分を生み育ててくれた親に感謝する日」である。

 制定された当時は「親」ではなく「生んでくれた母に感謝する日」だったが、この「母」にも前出のオバハンらが騒ぎ立て「親」となった。「母の日」は、欧米に倣い今月の第二日曜日に設けられてるが、本来は5月5日でもあったのだ。

 昨今、主流の「男女共同参画社会」とはこうした言葉遊びで男女の差別を無くそうというマヌケな謀に過ぎない。「子供」も今では「子ども」表記が氾濫している。

 文科省は平成25年6月、国会での議論を経て、左翼やマスコミが使用する「子ども」表記を「子供」に統一する通達を出した。だが、今でも改められることなく、通達を出した与党の自民党議員までも「子ども」を使用しているマヌケさ(苦笑)

 日本共産党やマスコミらが「子供」や「こども」ではなく、敢えて「子ども」表記を使うのは「子供」の「供」という字が、「お供え物」「お供する」などを連想させ、「差別的な印象を与える」というのがその最たる理由である。

「お供する」というが、その場合「お伴する」が正解。ならば、態態「子ども」表記じゃはなく、平仮名の「こども」で好いではないかと思うが、何故か文科省通達を無視して漢字と平仮名の「子ども」表記に固執している。

 悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、古い映画などでは「野郎ども」「若造ども」などと言ったりする。「ども」とは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆どだ。

 この場合の「ども」は漢字だと「共」だが、子供の「供」を「子ども」と表記することは、逆に言葉遊びで子供を弄んでいると捉えられても致し方ない。

 こうしたマヌケなギャグの様なことを真顔で実行し、それを疑いもせずに真似て使用し続けてるる自民党や自称保守派というのもまた嗤うしかない。

「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼陣営による共同謀議的大愚策の最たるものなのだが、これを改めることなく保守を標榜する自民党政権下で実行し、担当大臣が存在しているのだから呆れ甚し。

 こうしたキモ~イ屁理屈を並べ立てて騒いだのは、全共闘世代や共産党といったいつものキチガイ左翼やジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者どもだが、そうしたクソどもらが総理府など政府中枢に入り込んでいたことに驚くしかない。

「子供」と同じ様に「婦人」という言葉も、こうしたキチガイ破壊活動家どもの企てによって公文書から消されてしまった漢字の一つである。

 これは漢字研究者の諸橋轍次が、後漢の時代の「説文解字」を紐解いて「婦人とは箒(ほうき)を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに、前出のキチガイどもが飛び付いて「女性差別」だと叫んで「婦人」を抹殺したというのが事の始まり。

 その結果、「婦人警官」が「女性警察官」となり、「看護婦」が「看護師」、「女優」が男女に関係なく「俳優」と呼ばれる様になったのもこうした影響からだ。

 その後、諸橋の説は全くのウソだとバレた。甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、彼奴らはその間違いを認めることなく使い続けている。

 因みに「看護師」の「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」の旁(つくり)は、軍隊で肉(食料)を分けることが原義。

 普段声高に「反戦平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもがその漢字の意味も分からず、「看護婦」を「看護師」などと呼び換えて悦に入り、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用していることはマヌケで滑稽と言う他はない。呵呵。

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2023年05月04日

心地好く呑んでたら愚生のツイートに腐したコメントが(笑)

 統一教会(世界平和統一家庭連合 )が批判されてるのは、世界日報や国際勝共連合が左翼の逆鱗に触れたから。統一教会の壺が問題なら葬式仏教の戒名の高額さも似たようなもの。先祖の宗派も分からないのに戒名を貰えば極楽浄土に往けると思ったら大間違い。戒名とは「御釈迦様の弟子になった」という証。坊主丸儲け(笑)

 twitterで上記のツイートしたら、坊さん歴20年以上という『未熟僧』なる御仁から、「戒名を買う」という発言の時点でお里が知れる。その葬式仏教というのでも日本の伝統が受け継がれている事実。その坊主丸儲けが守っている寺院も伝統のすそ野は広い。宮大工に仏師に機織師などなど。坊主も元手も税金もかかっている。それくらいは理解できるでしょ(笑)」。というコメントが寄せられた。

 愚生のツイートは、野党勢力から未だ止まぬ旧統一教会への批判に理由(世界日報や国際勝共連合の勝共理論への敵愾心)と、統一教会の壺には反応するのに対して仏教の戒名を例に挙げて、日本人の宗教観の未熟さと理解さを指摘したに過ぎない。

 それを何故か葬儀屋からクレームというかイチャモン。「葬式仏教」に喰らい付く。「その葬式仏教というのでも日本の伝統が受け継がれている事実」というが、江戸時代末期の寺請制度で檀家に所属することとなったが当時の坊主は赤貧。葬式仏教は近年のことで葬祭場が華美になり、坊主の袈裟もキンキラキンに(笑)

 SNSは日本語が通じず、全体的な内容を理解することなく、言葉尻を曲解して揶揄いや雑言コメントを入れて来るのが多い。目に見えない相手と、結果の出ない論争程疲れるものは無い。普段はシカトだが酔いもあってつい相手してしまった(笑)

「『坊主も元手も税金もかかっている』って元手は檀家が負担するし、多くは檀家の寄付。宗教法人に税金はかからないし。開祖の坊さんはボロボロの袈裟を着て説教したが、煌びやかな袈裟着て御布施目当ての御経に有難みは無い。正に葬式仏教。「お里が知れる」ってのは使い方も間違ってるし(苦笑)とリツイートしてみた。

 その返信は、「そのお言葉そっくりそのままお返しいたします(笑)。信教の自由は保障されているから誰もが何を信仰しようと構わない。ただ、侮蔑的発言をされるとやはり反論せざるを得ない。その仰る国学というモノは他者を侮蔑しても良い教えなのでしょうかね(笑)」というもの。相手の意見を聞き入れず、腐すばかり。

「宗教法人にも納税義務があるのはご存知でしょうか?(笑)。オタクが信仰していると思しき神社の神主さんにもお尋ねしてみてくださいね(笑)。取り敢えずコレ読んで味噌汁で顔を洗っておととい出直して来てください」と小バカにした返答。

 その意見に、「その殆どが節税で対策できるし。『取り敢えずコレ読んで味噌汁で顔を洗っておととい出直して来てください』って、人を小バカにする業には長けているようですね。仏教では礼節や長幼の序ってのは教えない、というか備わらないんでしょうか。大いに金儲けに勤しんで下さい」と、リツイートしたら再び反論。

「本当の事を言われればそりゃ頭に来ますよね(笑)。坊主丸儲けとか、坊主は税金払っていないとか、誹謗中傷罵詈雑言を言われれば長幼の序など関係ない。寺社発展の為に浄財を使うことに何か異議でもあるのですか?信仰していらっしゃると思しき神社の神主さんにも同じことを申してくださいな」と嫌味たっぷりな応え。

「どこの文言が侮辱に当たるのか意味不明。実際には戒名を貰えば極楽浄土に往けると思ってる仏教徒ばかり。仏教徒は戒名貰ったら死後50年は修行でしょ。そうしたことも教えないのは如何に仏教が葬式仏教に成り下がった象徴。都合好く信仰の自由を語るのは共産党に乗っ取られた浄土真宗大谷派の如し(笑)」とリツイート。

 すると「左翼思想もどうかと思うが、右翼思想もどうかと思う(笑)。「極左環境テロリスト”海の家"」から赤尾敏「日本愛国党」まで浄土真宗、真宗大谷派なんです。日本共産党に乗っ取られたなんて聞いていないぞ(笑)」と返信あり。浄土真宗の門徒・僧侶らの「念仏者九条の会」「真宗大谷派・九条の会」は知らないらしい。

 余りのレベルの低さに相手するのを止めようかとも思ったが、「赤尾敏や野村秋介は浄土真宗だ」との嫌味たっぷりな意見に、やんわりと応答してみた。

「右翼には日蓮宗信徒は多いですよ。赤尾敏は好く知ってますが無宗教に近いし、マイホーム主義ですよ。成田の三里塚に大きな土地を所有してて成田空港&左翼の三里塚闘争で莫大な補償金を貰ったのは知ってますか。それを生前贈与(笑)」。因みに、野村秋介の眠る神奈川県伊勢原市の浄発願寺は最澄が開祖の天台宗である。       

 愚生の実家は浄土真宗だったが、父親が真言宗の寺に替えた。愚生は跡継ぎではないし、仏教や新興宗教の教えも雑駁だが理解している。仏教より神道の大らかさが一番合う。神社庁を離脱して営利に奔る明治神宮や明治天皇の創建の思召しを忘れ、戦争ミュージアムと化した靖國神社、神社庁や地元の神主にも苦言を呈している。

「貴殿が大嫌いと思しき中国が東京都内の民間火葬場である東京博善の実質的経営者であることはご存知でしょうか。いまや火葬だけで15万円以上発生。拙僧もこの忌々しき事態に声を上げている。そちらからも声を上げてみてはいかがかと」と訳の分からぬ反論が執拗に届く。なんでシナの葬儀屋に抗議しなきゃイケないの(苦笑)

「『葬式は儲かる』と踏んだシナ人に蚕食されてしまいましたね。葬祭場自体が金儲けですから因果応報、自業自得。日本人の宗教観の無さはGHQの神道指令が元凶。坊主も神主も猛省するべき」と優しく意見してみたのだが、その返答は次の通り。

「猛省しても権力側に付いている売国奴を排除しないと火葬場どころか電気、ガス、水道など社会インフラが不逞外人企業に乗っ取られるぞ。特に水道なんか外人企業が喉から手が出る程欲しがるし。まー、拙僧ひとり葬儀社社長ひとりじゃ太刀打ち出来ない」。この意見でも分かるが、常に国益を重じんた政治が求められる。

 死後の世界の極楽浄土や天国なんて概念は、釈迦牟尼やキリストが死への恐怖を取り除く為の優しい嘘だと思う。その優しい噓や人としての生き方や教えまで否定はしない。一方で釈迦牟尼は、「長生きは無間地獄」と教える。立派な生き方とは長い時間ではなく、中身が大事。だが、人々の多くは長生きしたいと願っている。

 人間は死んだら終わり、般若心経じゃないが全てが「無」だと思っている。愚生の場合、極楽浄土や天国とは今を生きてる現生に有ると思っている。

 自分より劣る者や難渋している人に手を差し向けることこそが極楽浄土なのだと思っている。助けてやると、どことなく気持ちが好くなり、正に極楽気分(笑)

 愚生が死んだら、家族や友人には「葬式はやらない」と伝えてある。火葬したら愚生の好きだった渓流や福島県内のどこかにこっそり散骨してくれと言っている。

 仏教徒の多くは祖先の宗派も分からずに死んだ時だけ坊主を有り難がる。仏教徒が死後に戒名を頂くのは、「釈迦牟尼の弟子となり、死後も修行を続ける」という意味すら分かっていない。戒名さえ貰えれば極楽浄土に往けると思っている仏教徒ばかりになってしまったのは、葬式仏教に甘んじ、説教を忘れた坊主の責任だろう。

 最後には「朝鮮カルトの壺と同列にしては困りますな」と腐す。宗教に携わる者が国内最大の創価学会にだんまりを決め込んで、信徒6万人の新興宗教を「朝鮮カルト」とは厭きれるばかり。因みに、池田大作の姓は「池」、名前は「太作」。大田区池上出身の朝鮮人だが如何に。葬儀屋や葬式仏教のこの世の春は続かないだろう。

 意見の隔絶というか、意見の一致を見ない相手との議論くらい無駄なものは無い。疲れるのでブロックした。河野太郎の気持ちがチョッと分かったかも(笑)

 SNSの世界というのは礼節も長幼の序も弁えず、論理の摩り替え、タメ口を使って、腐した雑言にはホトホト厭になる。何より日本語が通じない。無視すれば好いものを、ついつい酔って相手にしてしまった。心地好く呑んでたのになぁ。

 その昔、国士舘の創設者・柴田德次郎先生が、「人殺しでも悪人でも『可哀想なものだなぁ』との心境に達すれば開祖の坊さんくらいになれる」と訓えていたが、何処の誰か分からない輩の意見に付き合ってしまったのは修行の足りなさの故。呵呵。

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2023年05月03日

もうアカン 亡国憲法 クソ憲法(防共挺身隊)

 今日5月3日は「憲法記念日」。全国各地で改憲派や護憲(誤憲)派、自主憲法制定派などの集会が催されるが、何故に記念しなきゃならんのか。その昔、防共挺身隊の石田隆参謀が作った「もうアカン 亡国憲法 クソ憲法」のビラは秀逸だったな。

 左翼マスコミは、相変わらず改憲派より護憲を唱える連中の集会を大きく報道するが、こうした姿勢も未だ戦後占領政策国の呪縛から解放されない証左だろう。

 誤憲派や似非平和団体の連中が、空念仏の様に「九条を守れ」「平和憲法を守れ」などと叫呼したところで平和が訪れる筈も無い。こうした空想は止めた方が好い。

 我が国の戦後の平和は米国の核の力と偶然に過ぎない。平和は自ら作り出すもので、その為にも自国の防衛をも否定している現憲法を早々に破棄し「自主憲法」を制定することが肝要であるが、改憲すら発議できない現状では夢のまた夢。

 現憲法は最早、国の最高法規として機能しておらず矛盾だらけのクソ憲法と化している。矛盾の最たるものが第9条。これを論拠に誤憲派は「平和憲法」とホザく。

 第9条第1項で「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇または行使は国際紛争を解決する手段としては永久に放棄する」としながら、第2項で「前項の目的を達成する上で陸、海、空の戦力は保持しない。また、国の交戦権これを認めない」とは理解に苦しむ。

 これに従えば自衛隊は本来は認められず、憲法違反の存在だろう。 歴代首相の靖國神社への参拝が第20条違反。私学助成金制度は明らかな第89条違反。

 田中角栄が日中国交条約を締結した際に「日華国交条約」を破棄したが、第98条には「いかなる理由があろうとも、日本が締結した条約は破棄してならない」とあり憲法違反。況してや国際条約は天皇の国事行為であり、田中は天皇をも軽んじた。

 憲法改正要綱が第96条にあり、「国会議員の3分の2以上が発議し国民の過半数の同意」で憲法改正出来るとある。だが、これに基づき発議すれば「天皇及び摂政、国務大臣、全ての公務員は憲法を遵守しなければならない」とあり、改憲発議自体、憲法を遵守していないことに問われ、第99条違反になる可能性もあり、矛盾する。

 国民には結社の自由や集会の自由、表現の自由が保障されているが、右翼団体の街宣には道路使用許可が必要で、スピーカーの音量も規制される。国会議事堂周辺での街宣は静穏保持法案に由って禁止されている。これらは明らかに憲法に抵触するもので、今や憲法は道交法や刑法より軽い法律と見做されている。

 何より、日本国憲法の最大の誤謬は第一条~第八条の「天皇」の章である。第一条は「天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基く」と在る。反天皇を叫ぶ共産党や左翼勢力が存在する限り「国民の総意」ではないということになる。つまり、天皇の地位は共産党が指摘してる通り「違憲の存在」となっているのだ。

 成文憲法のある世界の国の中で最も古いのは1789年の米国。次いでノルーウェー、ルクセンブルグ、スイスと続く。昭和22年制定の日本は15番目となる。

 各国の憲法改正の回数は米国18回、ノルーウェー139回、スイス140回、ドイツ57回、フランス27回、イタリア15回、韓国9回、メキシコに至っては408回(現在は改正数が変わった可能性あり)改正しており、大日本帝国憲法改正以来、一字一句改正が成されていない日本国憲法は、今や世界で最も古い憲法となる。

 何処の国でも時代の流れに応じて憲法を変えて行くもの。環境問題や情報公開、プライバシー保護、国家の安全等々、日本国憲法を施行した時代からは想像もしなかった程社会は変化している。一刻も早く現憲法を破棄し、日本国民の手による日本国民の為の憲法制定を急がなくてはならないのであるが、未だ頓挫した儘だ。

 改正議論が進まない理由の一つに「護憲派」の抵抗があるのは言う迄もない。第9条の「戦争放棄に関する条項」は第二次世界大戦後、国連が勧めた「不戦条約」がその源であり、日本や米国、英国、仏国、伊国など多くの国が締結している。

 然しどうだろう、戦争放棄の国際条約を結んで世界から戦争が無くなったかというと、皮肉な事に条約とは全く正反対の道を歩んで往ったというのが事実である。

 平和主義を憲法で謳っている国は80ヶ国以上在り、イタリア、スペイン、ハンガリー、エクアドル、米国に統治されたフィリピンは日本と同じ規定が有る。

 護憲派どもは現憲法を「世界で唯一の平和憲法」と賛美している様だが、これこそ無知と日本人の奢り以外の何ものでもない。「護憲」は「誤憲」であることに気付くべきなのだが、捻くれた自論に拘泥する余り全く聞く耳を持たない。

 LGBT法案が騒がれているが、第14条1項には「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と明記されており、LGBTQ優遇は他の狙いがある。

 左翼団体や人権・平和団体の連中に共通するものは物事の見方が実に薄っぺらで、実に腹立たしいものばかり。矛盾だらけの現憲法は、改正などというレベルの話ではなく、早急に無効として破棄し、自主憲法を制定する以外に無い。新憲法は大日本帝国憲法(欽定憲法)を復元し、時代を鑑み改正するのが最善である。

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2023年05月02日

「遺棄科学兵器」ではなくソ連に接収された兵器

「化学兵器禁止条約(CWC)」の発効26周年で。中共外交部報道官は定例記者会見で、「旧日本軍が遺棄した化学兵器は、歴史が残した重大な問題であり、『化学兵器禁止条約』を履行する為の重要な任務でもある」と指摘した上で、「日本が中国に遺棄した全ての化学兵器を、2027年中に処理を完了すること」と語った。

 抑抑、日本軍の科学兵器(毒ガス弾)というのは「遺棄」ではなく、「接収」というのが正しい。広辞苑には「遺棄」とは「捨てること」「置き去りにすること」とあり、「接収」とは「国家等が所有物を取り上げること」と説明されている。

「遺棄科学兵器」とは誤解と誤謬であり、中共の対日外交戦略の一つでもある。問題の兵器は毛旧満州に駐屯した日本軍(関東軍)が残したものとされてるが、毛沢東の中国共産軍(八路軍)と蒋介石の国民党軍が、旧ソ連から継承したものである。継承した兵器の管理責任が中共政府に有ることは歴史的経緯からして明らかである。

 日本軍(関東軍)は昭和20年8月9日に日ソ中立条約を一方的に破って満州に侵攻し、暴虐の限りを尽した旧ソ連軍に降伏し武装解除されたのであり、日本軍は兵器を「遺棄」したのではなく、旧ソ連軍に「接収」されたというのが歴史的事実。継承された瞬間から国際法上管理責任は中共に有り、我が国が責任を取る謂れはない。

 中共は、「毒ガス弾は日本軍が遺棄した兵器である」と主張し続け、処理と遺棄兵器の被害の補償を日本政府に要求。村山富市内閣で外相を務めた河野洋平は「旧日本軍が遺棄した」と認め、化学兵器約5万6000発の撤収費用の負担を約束した。

 洋平が「中国の英雄」とされる理由は、従軍慰安婦の日本軍関与の所謂「河野談話」というより中共への朝貢外交。化学兵器処理事業はその象徴である。

 化学兵器の処理は、1997年発効したCWCに基付き2000年から実施しているが完了は未定。というのも次から次に遺棄兵器なるものが出て来る不思議。処理費用はODAに代わる朝貢外交であり、ODAに代わる強請りの打出の小槌なのだ。

 12年前、日本人の建設会社「フジタ」の社員四人が軍事管理区域に侵入したとして拘束されたことがあったのを覚えているだろうか。社員等は「遺棄科学兵器」の関連事業を受注する準備の為に下見に来ていたところ拘束された。フジタにしろ、処理事業に参画している他の企業から河野一族へのキックバックは無いのだろうか。

 河野は「遺棄兵器」に反論もせず、処理費用を我が国が負担することになったが、その裏で河野は自社の優遇やキックバックを求めたことは想像するに余りある。

 河野太郎が総裁選に立候補した際に「日本端子株式会社」が話題になった。1960年に設立され、現在は神奈川県平塚市に本社を置く端子・コネクタを設計、製造、販売している企業で父親の洋平が大株主で会長。太郎も大株主で元社員だった。

 現社長は洋平の次男の河野二郎。1995年、中国北京に合弁会社「北京日端電子有限公司」を設立。翌1996年には香港に「香港日端電子有限公司」を開設している。

 2007年には、中国蘇州市に合弁会社「日端健和興電子電子科技(蘇州)有限公司」を設立している。日本端子は太陽光パネル関連事業でも収入を上げている。河野太郎が頻りに脱原発に固執し、再生可能エネルギーに拘るのかが理解出来る。

 1995年、河野はバンコクで行われた東南アジア諸国連合外相会議に出席の途上、台風の影響で乗っていた飛行機が台湾に緊急着陸した。中共への忠誠から、台湾を国家として認めていない河野は、その搭乗機から一歩も降りることはなかった。1955年は、北京に合弁会社「北京日端電子有限公司」を設立した時期と重なる。

 河野一族の売国性は血筋だろう。洋平の父である河野一郎は、北洋での漁業の先駆者とも言える日露漁業の会長だった。愛国党総裁赤尾敏は自著「憂国のドン・キホーテ」で「北方海域での漁業権欲しさに北方領土を売り渡した。ソ連(現ロシア)側が『北方領土問題は解決済み』というのはそういうことだ」と断じている。

 洋平や太郎・二郎の売国的血筋は消せない。北方領土をソビエト連邦に売り渡した河野一郎。洋平や太郎というのは、中国共産党自民党支部の如き働きぶり。洋平が謀った遺棄兵器処理事業や中共との裏取引きや闇を暴かなければならない。

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2023年05月01日

日本学術会議も日教組もGHQ指導の下で設立された左翼集団

 日本学術会議の見直しを巡る学術会議法改正案について、政府は、当初目指していた今国会への提出を見送った。学術会議は左翼の巣窟であり、学術という本分を忘れて政治活動に奔る団体に対し、血税を投入してまで存続させる必要は無い。

 学術会議は、学術研究会議を前身とし、占領下だった昭和24(1949)年にGHQの監視下で発足した団体である。要するに「科学が戦争に利用された」という反省の上に立って設立されたことでも分かる通り、左翼団体というのが正しい。

 学術会議は「軍事的安全保障研究に関する声明」を出している。学術会議が「軍事研究に慎重であれ」と宣言することで、各大学の研究者らへの給付される防衛装備などの研究費の受給を阻止した。その声明の二年前には、中共の「中国科学技術協会」と協力覚書などを結んで、中共へ軍事研究に寄与するスパイ養成所でもある。

 東日本大震災後の復興増税やレジ袋有料化、「アイヌ政策のあり方と国民的理解」など日本学術会議が出した提言は、非科学的且つ歴史を冒涜するものばかり。 

 東大や京大などの国立大学や私立有名大学が自衛隊への国防協力及び研究を拒否し乍ら、中共の人民解放軍の武器を開発・研究する国防7大学からの留学生を受け入れて先端テクノロジーを学ばせていることは日本学術会議の提言に因るもの。

 GHQは、学術会議を創設する前には学校教育の「民主化の一環」として、教員組合の結成を指令し、「日本教職員組合(日教組)」が結成されている。

 日教組の「教え子を再び戦場に送るな、青年よ再び銃を取るな」というスローガンと、日本学術会議の「科学が戦争に利用された」という認識は、敗戦国の日本と日本人に対し贖罪意識と自虐史観を植え付けたいGHQの思惑を見事に顕している。

 政治の混乱と矛盾、経済の停滞と低迷、社会の沈滞と退廃、戦後体制の諸矛盾は、大日本帝国憲法の改悪を始めとした米国の断行した占領政策が元凶であり、学術協会の問題を機に米国が謀った様々な占領時の政策を徹底検証しなくてはならない。

 占領下、米国は様々な弱体化政策を断行した。その基本となってるのが占領憲法であり、そして教育に手を出し「戦前の日本の軍国主義が日本の中央集権的教育制度を齎した結果、戦争に繋がった」と結論付け、教育改革を謀っている。

 教育改革では教職員組合を組織し、更にそれまでの我が国の学校教育を内務省の中央集権的統制から解き放ち、その管理を地域住民の代表により構成される合議制の委員会の下に置こうと画策し「教育委員会制度」を導入させた。

 教育委員会のモデルとなったのは米国の教育委員会制度。この制度は米国の開拓時代の占領統治の思惑から生まれたもので、日本の統治もこれと同様に教育を改革させることで米国の価値観を植え付け意の儘に置こうというのが狙いだった。

 我が国の教育の荒廃の元凶は文科省だけではなく、教育委員会と日教組の影響は大きく、米国の実行した「戦後民主主義教育」と「日本国憲法」を始めとした様々な法律や制度の押し付けは、米国の思惑以上に大きな成果を齎し続けている。

 米国の押し付けというと現憲法ばかりが論われるが、教育委員会制度も「労働三法(労働組合法、労働基準法、労働調整法)」も財政法も米国製である。況してや日本の癌である日教組も左翼の巣窟でもある学術会議も米国製という意味は大きい。

 占領下で強制されたこれらの悉く失敗した米国の策謀を当たり前だと錯覚し、それを変えることすら躊躇しているとは政治の怠慢である。今回発覚した学術協会の売国性は正しく悪因悪果であり、こんな売国団体は解散させてしまえば好い。

 因みに「労働三法」は、憲法28条の労働基本権の理念に基き制定されたことになっている。企業などの労使関係を規定し、対等的労使関係の基礎となっているが、結果は労働組合が乱立し労働人を蔓延らせることとなった。

 労働三法は「理想的な労働関係の法律を作る」とか「労働者の保護」という目的で制定されたのだが、真意は労働者の因るストライキによって日本人の勤労意欲を削ぐことを目的とし、日本企業の生産力低下を狙ったものだった。

 結果は米国の大失策に終わる。全国に労働組合が乱立し、組合員が跋扈し、嗤えることに米国製の法律で守られた労働者が反米闘士となって「反米」や「反基地」を唱える始末で、正に「飼い犬に手を咬まれる」とはこのことだろう(笑)

 我が国は相も変わらず労働者天国というか労働貴族が、労働者らから掠めた組合費でこの世の春を謳歌し、労働組合の傀儡である野党が国益を害し続ける。

 この労働貴族らと同じ勢力が学術会議の面々で、恥も外聞もなく米国の謀った組織に胡坐を掻いて学術なんぞそっちのけで偏狭な思想を垂れ流している。

 労働者にとって中共や北朝鮮の様な社会主義国や共産主義国が理想の国とされたりもするが、どっこい、資本主義であり、民主主義である我が国ほど「労働貴族」といわれるプロ組合員や左翼学者どもが優遇されてる国は無いだろう。

 米国は「日本国憲法」で国民を骨抜きにし、「労働三法」で労働者を優遇し、「教育委員会」制度の導入によって教育を荒廃させたという事実を冷静に見れば、占領下押し付けられた悪法を撤廃し、改革を図るのは当然だと考える。

 米国製の憲法を護り、米国製の労働三法に守られ、米国製の教育委員会を信奉する不思議。米国の意向で設立された「学術協会」も今や左翼の巣窟と化している。戦後の不条理の元凶は戦後ヤルタポツダム体制であり、検証と改革は待ったなし。

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