2022年12月

2022年12月30日

今年も拙ブログに御付き合い頂き感謝申し上げます!

 我が国の政治の混迷の一端は、戦後政治の総括を怠り、自己保身と偽善のみに狂奔して来た政治の陋習と、国家観なき政治家の怠慢に在ると言っても過言ではない。

 祖国日本の重苦しい閉塞感と、惨憺たる現況を救う為に要用なものは「我らは日本人である!」という自覚と誇りと矜持を取戻すこと以外に無いと確信している。

 今、我が国が直面している全ての問題は、先人の努力を無視し、日本人が「日本人であることを見失った」ことに起因していると言っても好いのではなかろうか。

 これはつまり、何処の国に生まれ、何処で生きて、何の為に働き、何を尊び、何を信じるのか。子供達に何を語り、友人や朋輩と何を分かつのか。そうした、日本人としての生き方を見失ってしまったことから多くの問題が起きていると考える。

 我々は今一度「日本とは何か」「日本人であるとはどういうことなのか」を考えながら世界と向い合うべき時代であり、近隣諸国との外交もそこが重要となる。

 欧米主導であった西欧時代の終焉が叫ばれている今、我ら日本人は「祖国日本」について考え、「日本人である」という証を示さなければならない時なのだ。

 本来の日本人なら、誰しも心の中に「日本人の魂」というものを持っているだろう。この国の歴史や伝統・文化を始め、先人達に対する尊敬や愛着の想いである。

 例えば、先の大戦で我が国が連合国に負けたのであれば、その事実を限りなく口惜しいと思い、GHQの占領に因って我々の大事なものが失われたのであるならば、それを何としても取り戻したいと思う日本人としての「心」や「思い」である。

 そう考える時、右翼陣営や愛国者を標榜する者や、「保守」系の評論家を始め、保守を自任している政治家から、日本人としての魂から発する「思い」を感じることはなく、大衆に阿る右顧左眄型の偽善者ばかりが目立つ気がしてならない。

 我が国は天皇を頂く天皇国日本であり、その国體の精華は万邦無比である。祖国日本こそ世界の中で最も優れた精神文化と独自の価値を有する国家でもある。

 真の「保守」とは、我々日本人が未来永劫護り抜かねばならぬ民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度の世界の中で最も優れた精神文化を死守し、継承して行くものでなくてはならない。何より皇統を死守するという覚悟こそ求められる。

 その為には、国の基本法として機能していない矛盾だらけの現憲法の第九条の改正なんぞより、制定過程に遡って現憲法を破棄することこそ採るべき最良である。

 先人の智慧と営為に学び、日本人の手による日本人の為の最高法規を制定するのは当然のこと。大日本帝国憲法(欽定憲法)の復元・改正こそが救国の至上である。

 同時に日本国民一人一人の「義務」として、靖國神社に眠る英霊に感謝の誠を捧げることこそ大事であり、「靖國」を合言葉に政界再編を成し遂げねばならぬ。

 我国の長い歴史の中でこれ程迄に堕落し、自己犠牲の精神を忘却し、まやかしの平和と繁栄に現を抜かし、自己本位の享楽にばかりに狂った時代は無いだろう。

 だが、そんな中でも、真保守主義に覚醒し、山積する諸問題を如何に打破し、日本再生の転換点と成すべきかと行動する若者が多く出て来たことは喜ばしい限り。

 愚生もしがない右翼浪人を自任しているが、一維新者としてこの迫り来る祖国日本の危機に対処し、粉骨砕身、愛国的救国活動に奮励邁進することこそが日本再生の道であり、天皇国日本を磐石の安きに置く使命だと確信している。

 然し乍ら未だ力及ばず、怠惰な日々に没するばかりで実にもどかしく隔靴掻痒の感は拭えない。来年こそは捲土重来を期さねばと思えども、扨てどうなるものやら。

 この記事を以て今年の最後の記事と致します。今年も拙ブログに御付き合い頂き感謝申し上げると共に、謹んで陛下と皇室の弥栄を寿ぎ奉り、併而、来年が皆様にとって実りある年と成ります様に心より御祈念申し上げます。すめらぎいやさか。

 皇紀2682年 令和四年 師走 佐久間五郎拝

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2022年12月29日

自民党よ、公明党に三下り半を突き付け連立を解消せよ!

 公明党代表の山口那津男は今日から三日間の日程で韓国を訪問するというが、訪韓の主たる目的ははSGI(創価学会インターナショナル)の布教活動だろうな。

 過日は中共外交官と会談し「友好の架け橋として日中関係の発展を推進して行く」と語ってるが、売国政党である公明党との連立は国益を大きく害し続けている。

 過去に訪中した山口は臣下の礼を以て習近平に拝謁したのは記憶に新しい。習近平は山口との会談の冒頭に、「池田大作先生から年賀状を頂いた、とても感謝している」と、池田太作創価学会名誉会長の名前を持ち出して、ヨイショしてたっけ。

 気を好くした山口は、「くれぐれも宜しくお伝えください」との池田の伝言を伝える始末で、安倍総理の名代で来たことも忘れて親書などそっちのけだった。

 まぁ、習近平と会談出来たのも池田の袖の下という朝貢のお蔭だろうが、山口のトンチンカンな対応は、自らを池田の走狗ということを現したということだ。

 習との会談前日に行われた中国共産党の王家瑞中央対外連絡部長との会談でも山口は、「公明党の創立者である池田名誉会長が日中国交回復に大きな役割を果たした。その基本的な精神を我々も受け継がなければならない」と、思わずポロリ。

 田中角栄政権が謀った日中国交回復に当たって池田が裏工作をしている。これ正に公明党が創価学会の出先機関だということの証左であり、池田共に中共の走狗ということだ。公明党の売国性が露呈した歴史的一齣にはもう嗤うしかないかった。

「創価学会=公明党」は極めて戦後民主主義的(無自覚左翼)且つ反国家的(反天皇)な団体であり、畏くも天皇陛下を族長と仰ぐ日本国家の正統にとっても悉く異質な存在で、こうした連中が政府与党の一翼という現実を憂うる国民は多い。

 創価学会は宗教団体というより学会員の現世利益を追求する社会運動体であり、公明党はそれを政治的に実現する為の組織でしかない。学会員の究極の目的は、我が国を「池田太作王国」にして、池田を日本国の国主にすることである。

 創価学会の支援を受けて当選した議員らは「諸君らは学会員の為に政治を実現せよ」との指導を受ける。つまりそれは、創価学会の頂点に君臨する「池田太作名誉会長の現世利益の為だけに命懸けで政治を行え」という絶対命令でもあるのだ。

 日蓮正宗系の教育団体から出発した創価学会は、我が国が主権を回復した昭和27年に宗教法人となった。創価学会第二代会長であった戸田城聖の指令の下で「折伏大行進」という大規模な布教(勧誘)活動が行い勢力を拡大して行った。

 昭和30年に政界進出を目的として文化部を創立し、統一地方選挙に於いて首都圏で合計53議席を獲得し、翌年には国政に進出し参議院議員で3議席を獲得した。

 昭和35年、池田太作が第三代の会長に就任した翌年には政治局を創設し、「公明政治連盟」が設けられた。昭和38年の東京都議選では17議席を獲得している。

 現在(令和4年)、公明党の国会議員は衆議院議員32名、参議院議員27名の計59名おり、地方議員は約3000名に及び、党公認議員数では共産党を上回っている。

 国籍関係なく入党出来る公明党は「外国人地方参政権付与」に躍起になっているが、これはSGI会員向けので政策実行であることは明らかだ。今や創価学会は政治・経済、文化、教育、司法に至るまで国内外に蔓延し我が国を蝕み続けている。

 国内最大の国賊でもある池田太作は表舞台に出て来ない。恐らくは既に頓死してるのではあるまいか。保守を標榜すべき自民党が、自虐史観逞しく反国家的公明党と連立を続けていることは同時に国益をも失い続けていることを自覚するべき。

 創価学会に在日朝鮮人が多いのは周知の通りだが、池田が会長となっているSGI(創価学会インターナショナル)は、韓国国内に40万人以上の会員がいると言われている。中韓に諂う公明党が外国人参政権付与に躍起なるのは言わずもがな。自民党よ、「反天皇」を標榜する公明党に三下り半を突き付け連立を即刻解消せよ!

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2022年12月28日

国柄や国體を損ねる主義・思想に断固として対峙して行かねばならない

 愚生が所属していた団体は「防共挺身隊(防挺)」。最近は「街宣右翼は朝鮮右翼」だと揶揄されているが、その行動右翼・街宣右翼のパイオニアが防挺でもある。

 抑々「街宣右翼」自体にそれほどの歴史はない。右翼に「日本を貶めてる」と言われるほど影響力も無いし、そんな右翼の街宣くらいで滅びる様な日本でもない。

 戦後の昭和30年代から50年代の左翼全盛時代、日本を貶めようとしていたのは左翼勢力である。それらを殲滅せんと対峙していた右翼陣営を、現在の風潮で「朝鮮右翼」と揶揄するのは簡単だが、街宣右翼の行動全てを断じられる謂れもない。

 戦前の右翼と戦後の右翼は全く違う存在だ。戦前の右翼というのは「国粋主義」的要素が強く、外国思想は全て悪と捉えるという考えであり、それは共産主義であろうが、資本主義であろうが、民主主義であろうが批判されるべき対象だった。

 戦後右翼が、国粋主義から「反共」に奔ったのは共産主義の拡大に危機感を持ったGHQの意向もあるが、右翼の巨頭と称された児玉誉志夫の影響が大きい。

「政財界の黒幕」と言われた児玉は、戦前は海軍航空部門の物資調達を任された「児玉機関」の親玉でもあり、戦後は「A級戦犯」として逮捕された経歴もある。

 GHQは占領下に於いて、戦争を引き起こしたのは日本国内の右翼勢力だとして、右翼団体や危険人物を潰そうとする。だが、第二次世界大戦が終結すると日独の防共の砦が崩壊するとアジアを始め世界各地で共産党による革命や暴動が起こった。

 日本国内でも共産主義が席巻し、これを危惧したGHQは右翼解体の方向を転換し、右翼を「反共」に利用する。児玉と同じくA級戦犯だった笹川良一も参画した。

 児玉も笹川も、GHQの意の儘に「民主主義」「資本主義」に与し、我が国の国體を損ねる思想には沈黙。「共産主義」のみを悪とし、それらを忠実に実行した。

 児玉や笹川らが「米国のスパイ」と言われるのはその所為でもある。児玉は「児玉機関」で貯め込んだ潤沢な資金を基に、全国の博徒(ヤクザ)や香具師(テキヤ)を纏め上げ、愚連隊的右翼団体を次々と立ち上げ、「反共運動」に乗り出した。

 右翼団体の「反共」運動は別に間違ってはいないが、右翼団体が「憲法改正」や「靖國神社国家護持」「北方領土奪還」などの自民党のスローガンを忠実に遂行し、自民党の「院外団」的行動をしていたことも児玉や笹川の影響が大きい。

「防共挺身隊」も児玉誉志夫門下でもあり、初代福田進総隊長はそれらを利用し、経済的な恩恵を享けたのも確か。例えば、福田総隊長は神奈川県葉山の二束三文の土地を取得したが、間もなく有料道路が建設されることとなり莫大な資金を得た。

 福田総隊長は、日本に帰属される前の沖縄で、那覇空港内に「福田商店」という免税店を開業しているが、児玉のそうした裏の人脈と政治力の賜物だろう。

 福田総隊長時代の政治資金も潤沢で、自民党や共産党、日本医師会などが連ねる中で常にトップ10入りしていた。そんな資金を若手右翼やテロリストの育成に使うことはなく幽冥境を異にしてしまったことは返す返すも残念なことだった。

 ヤクザが「仁侠道」を忘却し暴力団化したのと同じく、右翼団体も維新者としての「大義」を忘れ、資本主義に溺れ、金儲けなどに興じていれば、必要価値のないものに成り下がって行くのは必然であろう。ならばどうすれば善いのか。

 右翼の使命は、日本の純粋性を曇らすもの、つまりは「共産主義」だけではなく、「資本主義」であろうが、「民主主義」であろうが、我が国の国柄や国體を損ねる主義や思想に断固として対峙して行かねばならないのは言うまでもない。

 三島由紀夫は、戦後に右翼が左翼に取られたものとして、「ナショナリズム」「反体制」「反資本主義」の三つを指摘した。今やそれらは左翼の手中に在る。

 国家主義や民族主義という「ナショナリズム」にしても、「反体制」という反骨主義や「反資本主義」という国粋主義にしても戦前の右翼はそれらを自覚し保持していた。何故なら、この三つこそが右翼の矜持に他ならないからだ。

 果して、現在の右翼団体や自称・愛国者に、三島のこの指摘はどの様に響くのだろうか。共産主義や共産党を始めとする左翼陣営を批判するのは容易いが、批判する側もまた自らが自由主義や資本主義という病魔に侵されている自覚はない。

 天皇国日本を盤石の安きに置く歴史的使命を有するものは民族陣営以外にいないと自覚する。そう考えた時、右翼民族陣営は果たして何を為すべきなのか。

 維新者としての「大義」を取戻し、テロを担保しつつ、更なる愛国的活動の奮励に邁進する以外に道は無い。それが畢竟、日本再生に繋がることと信じて止まない。

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2022年12月27日

喩えば暗殺が全然なかったら政治家はどんなに不真面目になるか

 今年のニュースや事件でトップ記事は、安倍晋三元首相が参議院選挙での演説中に暴漢の凶弾に斃れたことだ。安倍元首相の政治家としての功罪は別にして、安倍の国葬問題に因って、正しく日本の敵の正体が顕わになったことは大きい。

 明治24(1891)年5月11日、訪日中のロシア帝国皇太子・ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ(後のニコライ2世)が、滋賀県警巡査津田三蔵に斬られて負傷した暗殺未遂事件の「大津事件(湖南事件)」を知っているだろうか。 

 以前からロシアの北方諸島などに関しての強硬な対日姿勢や、我が国への高慢且つ傲岸不遜な態度を快く思っていなかった津田だが、ニコライ皇太子が日本を訪問する際の警備に就くことになった。運命や宿命とはこういうことだろう。

 京都から琵琶湖への日帰り観光からの帰り道、ニコライ皇太子は、ギリシャ王国王子・ゲオルギオス、有栖川宮威仁親王と共に大津市街を通過する。その際に警備中の津田三蔵巡査が突然サーベルを抜いてニコライに突然斬りかかった。

「大津事件」は、明治維新を経て近代国家を創り上げて間もない我が国が、強国であったロシアからの報復など緊迫した状況下で様々な干渉を受けながらも司法の独立を維持し、三権分立の意識を広めた近代日本法学史上重要な事件でもある。

 現在も国益を忘却し、党利党略と私利私欲に狂奔する政治家どもに「天誅」とは言わないまでも、ポカンと一発食らわしたいと思ってる市井の臣は多いだろう。

 然し乍ら、国益を害し続ける無能な国会議員に対する警備は過剰で、テロどころか野次さえもロクロク飛ばせない状況である。こうした過剰警備が、政治家が真剣に政治に取り組まなくなった最大の原因であると断じても過言ではないだろう。

 現在の政治家どもは暗殺されるという恐怖が無いから、国益を無視してまでも権力や私欲に執念を燃やす輩が増殖するのだ。安倍元首相の事件を受けて、政治姿勢を改めるのではなく警護体制を強化するなどとは言語道断、本末転倒である。

 政治家の警備に当たるSP(セキュリティポリス)は、その昔、大日本愛国党の筆保泰禎書記長が、 築地本願寺で行われた佐藤栄作元総理の葬儀告別式の際に葬儀委員長の三木総理を殴打した事件を教訓に米国のSPを模倣し創設されたものだ。

 三木武夫への襲撃は、あわや山口二矢に拠る浅沼稲次郎暗殺を彷彿させたが、筆保書記長は取調べで「容共的な三木に猛省を促すのが目的だった」と述べている。

 筆保書記長と横浜の平澤次郎宅で一献した際に、この事件の逸話を聞いたことがある。筆保書記長が三木を殴打した際に、三木が発した言葉は「犯人はコイツだ」と言ったそうだ。そんなことはテレビ中継もされてたし、誰にでも分かることだ。

 二二六事件や昔の政治家なら「話せば分かる」とか「男子の本懐」ってなことになるのだろうが、三木の小物ぶりを示すものだろう。筆保書記長曰く「右翼も小さくなったが、政治家はもっと小者になった」と言ってたが実に御尤な話だと思う。

 この小者になった政治家を物々しく警備をするから、然も自分が大物にでもなったと勘違いするのだ。三島由紀夫は、嘗て政治家の怠慢を比喩的にこう表現した。

「喩えば暗殺が全然なかったら、政治家はどんなに不真面目になるか、殺される心配がなかったら、いくらでも嘘がつける」とのこの台詞は名言であろう。言論という暴力に民衆の声は届くことはない。政治家への天誅こそ民衆の声でもあるのだ。

 右翼どころか市井の徒でさえも政治家へのテロ行為が無理な時代に、期待するのは津田三蔵巡査の様な憂国の至情を抱く警察官の出現である。第二の津田三蔵が現ずれば政治家も多小は己の過去の言行を猛省し滅私奉公してくれるに違いない。呵呵

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2022年12月26日

日本共産党のソフト路線に騙されるな!

 日本共産党は、平成28年1月の通常国会から、過去に日本国憲法第一条の「国民の総意」を理由に「天皇は違憲の存在である」と断じて欠席していた開会式に出席している。あからさまな反天皇路線は国民の支持に繋がらないとの理由だろう。

 ソビエト連邦崩壊後、東欧では「マルクスレーニン主義」を捨て去り、党名も変更した。合法政党の地位を有しつつ、未だに堂々と「共産党」を名乗っている存在は先進国の中では「中国共産党」と、恥ずかし乍ら「日本共産党」だけだ。

 日本共産党は、所謂「天皇制」を容認してはいるが、「憲法の天皇条項は民主主義の徹底に逆行する弱点」だとし、綱領では「君主制廃止」の文言は削除してはいない。何故なら「天皇制廃止」は、共産党革命政権樹立後の問題であるからだ。

 保守勢力は憲法改正に躍起だが、部分改正が可能になれば、万が一、共産党政権が樹立したならば第一条を始めとした天皇の条項は廃止される危険が孕んでいる。大日本帝国憲法(欽定憲法)の復元及び改正こそ我が国が採るべき道である。

 抑々、この「天皇制」という言葉だが、これは専制君主であったロシアの皇帝を念頭に、「打倒すべきもの」として創られた共産党の造語である。「天皇」とは「制度」ではない。国事行為が天皇を利用している制度というなら分かるが。

 日本共産党は、大正11(1922)年7月15日に「コミンテルン(共産党インターナショナル)」の日本支部として誕生した。コミンテルンは、ロシア革命の指導者・レーニンが創設した共産主義の国際組織であり、日本共産党は第五列である。

 レーニンの死後はスターリンが実権を掌握した。日本共産党はソ連のコミンテルンに因って創られ、財政的援助を受けて維持され、壊滅する度に再建された。日本共産党のその歴史は暴力革命そのものであり、売国・国賊政党に他ならない。

 共産党は、テロ、リンチ、スパイ、陰謀等々その毛も弥立つ本質を覆い隠す為に、最近では「国民の自由を守る」かの様なソフト路線を展開し世論を誑かしている。

 国民は想起せよ。ソ連共産党崩壊後の暗黒一党独裁を。中共の文化大革命での人民殺戮や近隣諸国への弾圧と漢民族化を。金日成やポルポトの民衆の粛正の嵐を。国内に於いても宮本顕治らによるリンチ殺人事件は夙に有名だろう。

 昭和8年12月23日、「党内のスパイ」と疑って小畑達夫と大泉兼蔵を渋谷区幡ヶ谷のアジトに呼び出しリンチした。その上で「スパイと自白しなかった」小畑を殺した。犯行は宮本の他、袴田里見、逸見重雄、秋笹政之輔らの犯行だった。

 治安維持法違反・不法監禁致傷・不法監禁・傷害致死・死体遺棄・銃砲火薬類取締法施行規則違反の罪に問われて無期懲役に処された宮本顕治が日本共産党の委員長だったという事実をしても、共産党の特異性が解るというものだろう。

 また、武装闘争に因る「中核自衛隊」なるものを組織し、警察や米軍を襲撃している。中核自衛隊に因る交番への襲撃も相次いた。「伊藤巡査殺害事件」や、札幌警察署警備課長白鳥一雄警部が狙撃され死亡した「白鳥事件」がそうだが、白鳥事件の実行犯2名は、事件後、中国共産党を頼り逃亡し、客死したとされている。

「皇居前広場でのデモ」「血のメーデー事件」「曙事件」「あさま山荘事件」「三菱重工ビル爆破事件」「テルアビブ空港乱射事件」等等その暴力性は枚挙に暇無し。 

 昭和47年の総選挙で日本共産党は、14議席から40議席に躍進し、日本社会党に次いで第二野党となった。自民党政府はこれに危機感を抱き、「社会主義(共産主義)には自由がない」とし、「自由社会を守れ」キャンペーンを行った。

 日本共産党は昭和48年の党大会で綱領の一部を改訂し、「労働者階級の権力(プロレタリアート独裁の確立)」に関する文言の「独裁」を「執権」に変更した。

 昭和51年の臨時党大会では、綱領の「プロレタリアートの執権」の文言を削除し、「労働者階級の権力」のみにし、「マルクス・レーニン主義」という用語も、「科学的社会主義」に置き換えた。男女共同参画社会での言葉遊びと同じ。

 然し乍ら、日本共産党の実態は、「マルクス・レーニン主義」の教義に基いての「暴力革命」と「プロレタリアート独裁」の思想は全く変わってはいない。

 共産党は、頻りに「民主主義」を宣うが、共産党政権下では、「自由」が保障されることが無いことは歴史が証明する処であり、民主主義は絶対に存在しない。

 共産党の騙る「民主主義」は、あくまでも組織原則は「中央集権制」が主であって、民主主義は飾りに過ぎない。民主主義も「平和」も革命手段の武器なのだ。

「日本共産党の誇るべき組織原則である民主主義的中央集権制(民主集中制)」と自ら記してある通り、党内に反主流派は存在してはならず、党員同士の横の繋がりは「分派活動」として禁止されているのだ。とすれば、件のSEALDsや反原発派及び中核派など極左団体との連携も中央からの指示で動いていると推測出来る。

 共産党綱領には「君主制廃止」が明記されている。1932(昭和7)年、ソ連共産党から日本共産党へ「コミュンテルンテーゼ(命令書)」という指令が出されたことは歴史的事実である。その中には「天皇制廃止運動」というものが記されている。

 昭和時代には「天皇の戦争責任・退位論」が論じられたが、これも命令書の忠実な実行である。平成・令和の御代でも「女性天皇」や「女性宮家」など「天皇制打倒(廃止)」の運動は続いており、国民は共産党の誑かしに騙されてはならない。

 憲法改正に躍起な自民党のタカ派路線に対抗するかの様にソフト路線をアピールしているが、天皇を族長と仰ぐ我が国の正統にとって悉く異質な存在が日本共産党であり、国内に巣食うあらゆる共産主義を根絶させねばならない。創価学会然り。

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2022年12月25日

行動右翼の防共挺身隊に所属していたという誇りを胸に精進して欲しいものだ

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 ネットで懐かしい写真を見付けた。防共挺身隊(防挺)の福島支部長や幹事会メンバーもいて懐かしい。紀元節の日に靖國神社に集まった時のものだろう。

 今は連絡も途絶えたが夫夫、何をやっているのだろう。まぁ、現役時代も真剣に右翼という生き方をしていた訳でもなし、日々の生活に流されているに違いない。

 右翼という生き方が「国家社会主義」や「農本主義」「純正日本主義」などの思想を基に活動したのは遠い昔の話で、今はそうした思想も無ければ政治問題に関してもネット右翼と呼ばれている連中の方が長けている。だが、悲観はしていない。

 人生というのは、好い時もあれば悪い時もあるもの。活動家ではあるがその一時期に女に奔ったり、金儲けに奔ったりする時期もあっても好いと思う。その方が人間味があって右翼らしくもある。どんな生き様をしてようがホンモノは残る。

 街宣車のある者は、それを大いに利用して街頭演説などで啓蒙したり、政治や行政を糺したり、悪徳資本家(企業)へ抗議するのも好い。宣伝車が無い者は徒歩で集団示威行為をしたり、ハンドマイク使った街宣もそれはそれで好いだろう。

 政治家や悪漢ども、営利に狂奔する企業や経営者への抗議文の送付も好いしビラを撒くも好し。或いは、何かの形で社会貢献するのも好い。愛国活動や救国運動とは、夫夫が出来ることをコツコツとやれば好いし、時には暴力も在り得るだろう。

 真面目な右翼も、不真面目な右翼も、パクられてばかりいる右翼も、ヤクザにビビリな右翼も、金儲けの下手な右翼も、ヤクザ系右翼も、詩心のない乞食右翼と揶揄されようが、それも右翼である。色んな右翼がいて右翼が成り立っている。

 右翼は断じて愛国者ではない。愛国者とは国に頼らず国を支えている真面目な勤労者だと思う。だが、右翼として日々の生活を怠惰に生きながらも、或いは日々の生活に流されながらも、志しさえ忘れなければいつかはその愛国の至上は届くだろう。

 右翼とは「よく読み」「よく書き」「よく喋る」の三要素が求められると先輩から教わった。知識を大いに啓発して人格向上に努めるべきだが、同時に己の弱さを知り、それを克服せんが為に努力し、自らの魂を磨くことこそ大事である。

 保守ブームに便乗し、「日本は滅びる」「日本が危ない」と徒に危機を煽り、日本が滅亡するかの様に叫ぶ自称保守や、それを売り物にしている営業右翼がいる。

 右翼から左翼に転向しながら未だ新右翼を騙る鈴木邦男なるインチキもいる。そんな営業保守や自称愛国者どもの言葉を真に受けて、その御先棒を担ぎ、前衛となってネットで街頭で騒ぎ立てているのが自称・愛国者らであり、ネット右翼らである。

 右翼の何たるかも知らないで、「右翼」と称されるとは右翼もナメられたものだ。愛国運動が軽々しくなったのは政治家の無能は然ることながら、「愛国」や「保守」を利用し、それを生業としている似非右翼や営業保守が元凶ではなかろうか。

 正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の意味を直視し、その中に価値を見出す発見によって未来を創造して行くものである。高い精神の伴わない我が国の繁栄はやがて衰退するし、現在の保守ブームは単なる「流行」に過ぎない。

 我ら大和民族は目先の繁栄ではなく、神武肇国の精神の高揚と国民国家の繁栄をこそ目指さねばならないのだ。国を愛する心を涵養するとは如何なることか。街頭に立ち、日の丸や旭日旗を掲げ、街中を闊歩するそんな軽々しいものではない。

 国を愛する心とは大和の心であり、祖国日本に生を享けた我ら日本人が、八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと。つまりは神武肇国の大理想「八紘一宇」を掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進すること以外に無いのである。

 盟友と袂を分かち13年経った。行動右翼のパイオニアを自任した防挺も今や風前の灯。そうした現状は淋しいもので、隔靴掻痒の感は拭えないが、愚生を含め、防挺を去った後輩らも、防挺に所属していたという誇りを胸に精進して欲しいものだ。

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2022年12月24日

クリスマスケーキを買う気分で「古事記」も購入しませんか(笑)

 今日はクリスマスイブ。明治神宮の表参道もイルミネーションで飾られる。表参道とは名前の通り、明治神宮へ続く参道として整備された通りである。その表参道が、クリスマス商戦からイルミネーションで埋め尽くされる光景は違和感しか無い。

 我が国の教えである神道とは、日本人の心に清む惟神の道である。昨日は上皇(太上)陛下の生誕祭であり、平成の御代の天長節。日本人でありながら陛下の御生誕を祝わずに、キリスト生誕を祝う光景は米国の価値観の継承そのものである。

 明治天皇及び憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ神社に続く参道が、キリスト教に侵略されたかの様な光景は日本にはそぐわない光景であり、本来の参道に戻すべきだ。

 過去に、大日本愛国党の筆保泰禎書記長を始め、右翼団体からの抗議で表参道のイルミネーションが撤去されたことがあるが、その自粛も一時的なものだった。

 表参道のイルミネーションや明治神宮外苑の再開発もそうだが、「時代の流れ」ということだけで明治神宮や神道そのものが軽んじられることは赦し難い。

 神宮外苑の再開発は明治神宮への影響を最大限に考慮する必要があるが、反対するべき明治神宮が率先して開発に携わっていることは正に営利主義そのもの。

 神職らの賤しい営利主義が周辺に及ぼしている現状を憂慮せざるを得ない。明治神宮外苑は、明治天皇の思し召しに沿う教育・文化を重んじる区域とするべし。

 クリスマスイブが終わると年末年始に向けて街の様相も変わり、年末年始に向けまっしぐら。敬虔なカトリック教徒でもないのにキリスト生誕を祝い、大晦日には寺で除夜の鐘を撞き、元旦には神社に初詣に行き、年賀状には元号を記す。ホント、日本人の宗教観というのはめちゃくちゃというか、実に大らかな民族でもある(笑)

 キリスト生誕を祝うのは結構だが、我が国には日本らしい八百万の神が存在する。クリスマスケーキも結構だが、ケーキより「古事記」を買いませんか。

 古事記というと難しく感じるが、今ではマンガ本や読み易い現代語訳の本も多く出ているので、クリスマスケーキを買う気分で購入して頂きたいものだ。

「古事記」の書き出しでは「天地創めて發けしとき高天原(たかまのはら)に成りし神の名は天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、次に高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、次に神産巣日神(カミムスビノカミ)、この三柱の神は皆獨神と成りまして身を隠したまいき」と在る。この三神こそが我が国の万物の根源である。

「造化三神」を始め、「神代七代(天神七代)」や「伊邪那岐(イザナギ)」と「伊邪那美(イザナミ)」が生んだとされる神は三十五柱に及ぶが、キリストやマホメット、孔子などと同様にこうした我が国の神々も日本人ならば知っておくべきだろう。

 こうした我が国の神話が描かれているのが「古事記」であり、筆録は太安麻呂(おおのやすまろ)。我が国で最初の書籍であり、語り部の稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗誦していた「帝紀」「旧辞」を基に編纂されたものとされている。

「古事記」は読む人によって感じ方も違うし、古代人が何を言わんとしたのかは捉え方も夫夫で、愉しい古典だと思う。西洋の神が天地創造の神で唯一絶対の不変の存在と描かれているが、我が国の神々は宇宙の後に生まれたとされいる。

 何気ないことなのだが、我々の祖先は唯一絶対の神が世界を意の儘に創造したのではなく、それ以前の「無」の時間を認識していることに刮目したい。つまり、「ビックバン」以前の世界を想定していたというこの教えは驚くほど科学的だと思う。

「高天原」とは「三次元世界」を表しており、「高」は高低の差を示す縦軸である。「天」は空間であり時間であり、「原」は無限に水平に広がり行く横軸のこと。

「古事記」には、我々の先祖の歩んできた歴史が比喩を駆使して活き活きと描かれており、同時に日本語本来の美しさも感じられる。難しそうな漢字が使われてはいるが、日本語が未完成な時代に作られたものなので漢字自体には意味はない。

「音」を頼りに読み解くことが大切で、日本語の「言葉」とは「言ハ」であり、「コト」を表現する言語である。これは他国の言語には見られない特徴で、一つの言葉に多くの事柄を含めて伝え合う日本独特の文化であり、古事記の文章の中に在る「こと」を探って読み解くことが大事。夫夫その感じ方が違っても別に構わない。

「日本神話」の特徴は、神でも失敗や過ちを起こすということ。キリストやモハメットという神が失敗や過ちを起こすことなど考えられないことだが、これだけでも日本の神は愉快だ。だが、この教えは「二度の失敗はしない」という教訓でもある。

 年末年始を控え、皆さん方も色々と悩みも尽きないでしょうが、我が国の神様でも失敗しているのですから人生気楽に行こうじゃありませんか。呵呵。

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2022年12月23日

12月23日は所謂A級戦犯として処刑された殉国七士の命日でもある

 我が国は永い歴史の中から数々の伝統及び制度が生み出されてきた国家である。そんな中で永遠に無くなってはならぬものが天皇を戴く国家の在り方である。

 これこそが我が国のあらゆる制度の基盤であり核心であることは言うを俟たない。日本即天皇、天皇即日本の天皇国家であり、この国體の精華は万邦類を見ない。

 我が国は2682年の永きに亙り「万世一系」の天皇を戴き、善き至高の存在として暮らして来た。正に、天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家が祖国日本であり、「天皇即日本」「日本即天皇」の天皇国家が「日本」という国柄そのものなのである。

 天皇の御代が栄えることは即国民の代が栄えることでもあり、この国體の精華は万邦類を見ないところである。正に、世界に冠絶した「君が代」の世界が厳然と存在する国こそが日本である。だが、この地に生を享けながらこうした国柄を否定し、天皇や皇室を批判する誠に以て不遜不敬、不届至極の不逞の輩がいるのも確か。

 奸賊を排し迫る来る祖国の危機に対処し、天皇国日本を盤石の安きに置く使命を有するのは愛国陣営である。正にその存在の意義を示す神機は近付きつつあると確信するも、悲しい哉、一旦緩急に備え遺憾無きを期そうという者も極々僅か。

 本日は上皇(太上)陛下の御生誕日、平成の御代の天長節である。皇国臣民としての喜びこれに優るものなし。謹んで陛下の弥栄と長久を祈念する。今日はまた、所謂A級戦犯として処刑された殉国七士の命日でもあることを知る国民は少ない。

 何故にGHQは、皇太子(当時)の御生誕日を選びA級戦犯の処刑日にしたかは、未来永劫、日本人に先の大戦の贖罪意識を持たせる為のものだったということは火を見るよりも明らかだ。因みに、判決日は昭和天皇の天長節の4月29日だった。

 こうした事実を知るだけでも米英を始めとした連合国が如何に非情で無慈悲だったかが理解出来よう。東京大空襲は、日露戦争の「奉天会戦」勝利を祝う3月10日の「陸軍記念日」に実行された。現憲法を押し付けたのは明治天皇の生誕日の11月3日の「明治節」である。この様に、米英連合軍の暴挙は枚挙に遑なし。

 我が国には所謂「A級戦犯」「B・C級戦犯」「戦争犯罪人」などという呼称はない。 講和条約が発効された翌年の昭和28年の第16国会の議決に由り「戦傷病者戦没者遺族援護法」が改正されたことを以て名誉は回復し法的に復権されている。

 刑死、獄中死された方々は国会に於いては「法務死」と称されているが、未だ政治家からも「戦犯」との声が聞こえて来るのは国会軽視であり、戦後民主主義教育の実践である。因みに靖國神社では「昭和殉難者」として御祀りしている。

 極東軍事裁判に於いて弁護する機会も与えられず「一審即結審」という復讐という名の茶番劇で、或いは異国の地で不当に逮捕起訴され処刑されたB級及びC級戦犯との汚名を着せられた英霊の方々の命は決して軽いものではない。

 彼らは敢えて反論もせず命を捧げて罪を償ってくれたのだ。今を生きる我々は、この英霊の悲劇を決して忘れてはならない。 日本人が未だに「戦犯」という蔑称を平気で使っているのは、我が民族の精神性の乏しさを象徴する最たるものである。

 国際法の原理に基付き、「この法廷で日本を裁く権利は無い」とし、「各被告は全ての起訴状中の各起訴事実部につき無罪とされなければならない」と述べた。

 だが、パル判事の意見は忙殺され、我が国は「侵略国」として断罪されたばかりか、その責任者として7人に絞首刑の判決を下され、処刑された。この所謂「東京裁判史観」が未だに蔓延り、日本人自身が祖国日本を貶め続けてる。

 抑々「極東軍事裁判」自体が意味を成さない「勝者に因る敗者への報復」である。「人道に対する罪」は事後法であり、国際法上も赦されることではないのだ。

「この法廷で連合国が日本を裁く権利は無い」としたパル判事の主張が正しいものだったことは、判決から2年半後、米国軍事委員会で証明されることとなる。

 最高司令官で極東軍事裁判の最高責任者だったマッカーサーが「彼ら(日本)が戦争に入った目的は、主として自衛の為に余儀なくされたものだ」と証言している。

 連合国軍最高司令官だったマッカーサーが公的な場で、我が国の戦争の大義を認めたのだ。今こそ我々は、極東軍事裁判の不当性を明らかにし、「戦犯」との汚名を着せられ続けている英霊の方々の名誉恢復を急がねばならないと痛感する。

 本日の上皇陛下の御生誕日に当たり、皇国臣民として謹んで陛下の弥栄と長久を祈念申し上げると共に、未だに「戦犯」との汚名を着せられ続けている英霊の名誉恢復と御霊の安らかならんことを祈らずにはいられない。天皇陛下万歳。

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2022年12月22日

死刑執行前日の昭和23年12月22日に東条英機が読んだ遺書

 昭和23年12月22日夜、死刑執行前日の数時間前に東京巣鴨に於いて、東条英機は教誨師の花山信勝師の前で遺言書を朗読した。以下転載。(一部校正してます)

 開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。
今回の処刑は個人的には慰められるところがあるけれども、
国内的の自分の責任は、死を以て償えるものではない。
 然し、国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。
力の前に屈した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。
 ただ同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及び足ることは、
実に残念である。天皇陛下及び国民に対しては、深くお詫びする。
 元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、
一部過ちを生じ、世界の誤解を受けたるは遺憾である。
 日本の軍に従事し、倒れた人及び遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。
 今回の判決の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ、
若しこれが永久の平和の為ということであったら、
もう少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。
 この裁判は、結局は政治裁判に終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せね。
 天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。
 天皇陛下の形式については敢えて言わぬ。存在そのものが必要なのである。
 それにつき彼是言葉を差し挟む者があるが、
これらは空気や地面の有難さを知らねと同様のものである。
 東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。
 東亜民族もまた他の民族と同様の権利を持つべきであって、
その有色人種たることを寧ろ誇りとすべきである。
 インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。これを以て東亜民族の誇りと感じた。
 今回の戦争にて、東亜民族の生存の権利が了解せられ始めたのであったら、
幸せである。列国も排他的な考えを廃して、共栄の心持ちを以て進むべきである。
 現在の日本を事実上統治する米国人に一言するが、
どうか日本の米国に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。
また、日本人が赤化しないように頼む。
 東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにしなければならぬ。
 実は、東亜の多民族の協力を得ることが出来なかったことが、
今回の敗戦の原因であると考えている。
 今後日本は米国の保護の下に生活して行くのであるが、
極東の大勢はどうであろうか。終戦後僅か三年にして、
アジア大陸赤化の形勢は斯くの如くである。
 今後のことを考えれば、実に憂なきを得ぬ。
 若し日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。
 日本は米国よりの食糧その他の援助を感謝している。
 然し、若しも一般人が自己の生活の困難や、インフレや、
食糧の不足などを米軍の日本に在るが為なり
というような感想を持つようになったならば、それは危険である。
実際にかかる宣伝を成しつつある者もあるのである。
 拠って、米軍は日本人の心を失わぬように注意すべきことを希望する。
 米国の指導者は、大きな失敗を犯した。
 日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。
今や満州は赤化の根拠地である。朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。
米英はこれを救済する責任を負っている。従って、
その意味に於いてトルーマン大統領が再任せられたことは好かったと思う。
 日本は米国の指導に基き武力を全面的に放棄した。
 それは一応は賢明であるというべきである。
 然し、世界が全面的に武装を排除していないのに、一方的に武装を止めることは、
泥棒がまだいるのに警察を止めるようなものである。
 私は、戦争を根絶するには、欲心を取り払わねばならぬと思う。
 現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。
 これはお互いに欲心を放棄していない証拠である。
 国家から欲心を除くということは、不可能のことである。
 されば世界より戦争を除くということは不可能である。
 結局、自滅に陥るのであるかも分からぬが、事実はこの通りである。
 それ故、第三次世界大戦は避けることが出来ない。
 第三次世界大戦に於いて、主なる立場に立つものは米国及びソ連である。
 第二次の世界大戦に於いて、日本とドイツが取り去られてしまった。
 それ故、米国とソ連が直接に接触することになった。
 米ソ二国の思想上の相違はやむを得ぬ。
 この見地からいうも、第三次世界大戦は避けることは出来ぬ。
 第三次世界大戦に於いては、極東がその戦場となる。
 この時に当たって、米国は武力なき日本を如何にするのであろうか。
 米国はこの武力なき日本を守るの策をたてなければ、また何をか況や。
 そうでなしとすれば、米国に何らかの考えがなければならぬ。
 米国は、日本八千万国民の生きてゆける道を考えてくれねばならない。
 凡そ生物としては、生きんことを欲するのは当然である。
 産児制限の如きは神意に反するもので、行うべきではない。
 なお言いたきことは、最近に至るまで戦犯容疑者の逮捕を成しつつある。
 今や戦後三年を経ておるのではないか。
 新たに戦犯を逮捕するという如きは、即時に止めるべきである。
 米国としては、日本国民が正業につくことを願い、
その気持ちでやって行かなければならぬ。
 戦犯の逮捕は、我々の処刑を以て、一段落として放棄すべきである。
 戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、
これを靖国神社に合祀せられたし。出征地にある戦死者の墓には、
保護を与えられたし。従って遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。
 戦犯者の家族には、保護を十分に与えられたし。
 青少年の保護ということは、大事なことである。
 近時如何わしき風潮は、占領軍の影響から来ているものが少なくない。
 この点については、わが国古来の美風をも十分考慮にいれられたし。
 今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし。
 勿論、日本軍人の間に間違いを犯した者はあろう。
これらについては衷心、謝罪する。
 これと同時に、無差別爆撃や原子爆弾の投下を成したことについて、
米国側も大いに考えなければならぬ。
 従って、左様なことをしたことについては、米国側も大いに悔悟すべきである。
 最後に軍事的問題について一言するが、
我が国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。
 あれでは陸海軍一本の行動は採れない。
 兵役については、徴兵制によるか、傭兵制に拠るか考えなければならぬ。
 我が国民性を考えて、再建の際に考慮すべし。
 教育は精神教育を大いに採らねばならぬ。
 忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任感を揺るがせにしてはならぬ。
 この点については、大いに米国に学ぶべきである。
 学校教育は、人としての完成を図る教育である。
 従前の醇朴剛健のみでは足らぬ。
 宗教の観念を教えなければならぬ。
 欧米の風俗を知らせる必要もある。
 俘虜のことについても研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。

 以上が死刑執行前の東条英機の遺言書の摘要だが、その無念と慟哭は察するに余りある。今を生きる我々は改めて未だ国内に蔓延る東京裁判史観や戦後民主主義教育及びGHQが謀った不条理を検証すると共に、先人が国家の命運を賭けて戦った大東亜戦争の真実と意義を心底から考えねばならない。すめらみこといやさか。

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2022年12月21日

浅薄なカタカナ外国語より日本語文化の向上と普及を目指せ!

 日本語(漢字)表記ではなく乱れたカタカナ外国語の蔓延に嫌悪感と危機感を抱いている国民は少なくない。日本文化の根源である日本語の乱れを正すことは急務である。 今日の生半可な言葉の洪水や片言のカタカナ外国語の氾濫にはうんざりだ。

「クールジャパン」や「グローバル」「アベノミクス」等等、新型コロナ禍でも「ロックダウン」や「オーバーシュート」「ステイホーム」「リスク」等等、カタカナ表記の外来語を使い、恰も新しい発想の如くに見せかけてはいるが単なるトリック。

 片言のカタカナ外国語を使うことが果たしてグローバル化なのか。今や全国の処処に設置されているハングルや中国語の看板や案内板に違和感を覚え、嫌悪感を抱く人は少なくない。看板は日本語とローマ字、英語表記だけで好いではないか。

「おもてなし」の日本人的優しさなのだろうが、その優しさは中共や朝鮮には通じない。これが「グローバル化」というものならば勘違いも甚だしい。何故にハングルや中国語なのか。観光に訪れるのは別に支那人や韓国人だけではあるまいに。

「観光立国」の名の下に推進されて来たハングルや中国語の表記は血税の無駄であり、「観光立国」という愚策こそ止めるべきだ。我が国が目指すべきは発展途上国が国是とする観光立国なんぞではなく「技術立国」としての祖国再建である。

 美しい日本語が創って来た日本文化に国民は回帰すべきで、流行から安易に横文字を使用しているが、抑々「流行」とは「病気」を意味している言葉である。

 外国人が日本人と付き合って感じるものは気品であり、洗練された礼儀正しさであり、寛大さである。世界の何処を探しても日本人の様な、洗練された美を追求する高い創造性や質素乍らも滲み出る上品さに比肩するものは他にはない。

 この様な我が国の生活文化を支えているものが日本語である。安易な横文字の使用は先人達が長い歳月に亘り言葉に宿らせて来た重い意味を失わせてしまう。

 明治の先覚者は、外来語を全て新漢字に翻訳した。日本語の儘で西洋文化を学ぶことが出来たことは偉大なことである。現代人の様に、外来語を模倣した軽薄な舶来趣味と比べれば、明治人の気骨と気概、高い見識を伺い知ることが出来る。

「漢字は中国伝来」との反論が聞こえて来そうだがそうではない。聖徳太子が607年に隋との対等外交に踏み切り、645年「大化の改新」を実現する。18年後の663年、白村江(はくすきのえ)での敗戦を機に中華圏との正式な外交を絶った。

 明治4(1871)年の「日清修好条規」を結ぶ迄の約1200年に亙り、日本列島の中で独自の日本文化を熟成させた。大陸からの漢字に「音」と「訓」を付け、平仮名(カタカナ)を付け加え、大和言葉を表現し、全く別の文字体系と文化を創造した。

 日本の漢字用語は西洋の語彙を置き換えたもので「漢字こそが日本の文化」と言っても過言ではない。中共との関係は「一衣帯水」や「同種同文」などでもないし、現代の支那人には日本人の様な芸当は出来ないし、そうした智慧もない。

 現在、中共国内で使用されている、「人民共和国、共産主義、共産党、革命、共和、左翼、唯物論、社会主義、右翼、演説、警察、芸術、自然、自由、新聞、鉄道、文学、歴史・・・」等等は、実は総て日本で作られた漢字なのである。

 過去に人民日報の姉妹紙「環境時報」が、「日本式漢字語」の無分別な和製漢字語の導入と使用を巡り論争があったとの記事を掲載。記事に拠ると現在、中共で使用されている用語の約70%が、日本から導入された外来語(日本語)だという。

 中共に於ける和製漢字語研究の第一人者である王彬彬は、「我々が使っている西洋の概念は、基本的に日本人が我々に代わって翻訳してくれたものであり、中国と西洋の間には永遠に日本が介在している」と、正鵠を射た意見を述べている。

 我が国の先覚者は1200年に及ぶ日本文化を形成し、開国に当たっても常に日本語に自信を持ち、日本語で主張し、日本文化を貫いたからこそ発展が得られたのだ。軽々しいカタカナ外国語は、そうした先人の努力を台無しにするものでしかない。

 今、世界で1000万人以上の人々が日本語を学び始めているという。カタカナ外国語より日本語文化を世界に普及し、日本の和の心を伝え、世界平和の実現を図ることは大事だが、先ずは日本人自身が乱れた日本語を正すことこそ大事である。

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2022年12月19日

「喪中」につき 門戸を閉じ 酒肉を断ち 弔せず 賀せず 音曲を成さず 嫁取りをせず 財を分かたず 出仕(仕事)を控え 殺生をせず 髭や髪を剃らず

 年賀状というのはネットや通信網が普及された現代に於いてはある意味面倒な習慣でもある。師走に入ると「喪中につき年末年始の挨拶はご辞退させて頂きます」との通知が届き、年明けには「喪中なので初詣には行かない」いう様な声を聞く。

 こうしたことも単なる慣例であり、大した意味はなくやっているに過ぎない。 喪中の相手に年賀状を送るというのは思慮不足なのかも知れないが、悪気が在って送る訳でもないだろうし、年賀状如きに目くじらを立てる様なことではないだろう。

「初詣」というのも神道なら50日を過ぎていれば問題はないし、仏教というのは抑々「死」は「穢(ケガ)れ」という教えではないのだから初詣も問題はない。

 先祖の宗派も分からず、日頃、神仏などを軽んじていながら、年末年始の時だけ信心深くなるというのはどういう訳だろう。日本人の宗教観は実に好い加減だな(笑)

 近親者が亡くなった場合、一定の期間はその死を悼み、身を慎むことを「忌服(きぶく)」「服喪」という。古くは忌服中は門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲をなさず、嫁取りをせず、財を分かたずという様な仕来たりがあった。

 今日ではそれらの一部だけが慣例として受け継がれているだけ。 現在はここまで喪に服することはないし、そこまでした人を見たことも聞いたこともない。忌服を理由に一週間も会社を休めば「もう、君は来なくて結構」などと誹られるだろう。

 我が国では、喪中の規定に関する法律は、奈良時代の「養老律令(ようろうりつりょう)」に見られ、江戸時代になると「服忌令」に喪中の規定が記されている。これらの規定に拠ると父母の喪は12ヶ月~13ヶ月であると制定されている。

 明治7年、太政官 に拠って公布された太政官布告(「忌服令」昭和22年に廃止)では、「父母、夫、50日、13ヶ月。妻、兄弟姉妹、20日、90日」などと、「忌(忌中)」と「服(喪中)」に関する期間をこと細かく定めている。

 明治42年に制定された「皇室服喪令」では「12か月」と、こちらも「忌服令」などと太政官布告と同様の期間が決められている。「忌」と「服」は謹慎度の深さによって分けられるが、大まかには「忌」は自宅謹慎する期間、法要(四十九日)が終わる期間。「服」は喪服を着用する期間、死者を偲ぶ期間と考えていいだろう。

「忌中」とは、神道での「穢れである死を忌む期間」という考え方から、忌中時(五十日)は「出仕(仕事)を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、神社に参拝しない」としている。神道でもないのに、こうした慣習を単に真似しているに過ぎない。

 現在では太政官布告や忌服令といった法令は全て撤廃され、仏事の慣例としては今もこの太政官布告が一つの目安にされ、喩えば父母の死亡に際しては七七忌(四十九日)までが忌中、一周忌(一年間)までが喪中とされることが多い様だ。

「喪」は抑々儒教から生じているもので、父母の死には13ヶ月間喪に服するとされる。この13ヶ月の数え方は、月の満ち欠けで数えた太陰暦に由るものだろう。

 その昔は「0(ゼロ)」という観念がないので、父母が亡くなった月が1ヶ月目となり、丸1ヶ月なくてもその月が終われば1ヶ月と数え、翌月は2ヶ月目になる。

「年賀状」の話に戻そう。明治4年に「郵便役所」が設けられ、2年後に「ハガキ郵便配達」が始まったのを機に、遠方以外の人に挨拶状を送る習慣が広まった。

「年賀郵便」の制度は明治39年に始まり、昭和24年には「お年玉付き年賀はがき」が発売されると、年賀状が次第に普及し、年末年始の慣例となり現在に至る。

 通信手段が無い時代に、遠方の友人知人に年に一度の挨拶する為に生まれたのが年賀状であり、服喪期間という個人の故人への思いはそれはそれで好いが、年賀状如きに、亡くなった人まで巻き込んで一喜一憂などする必要はないだろう。

 尤も「喪中だから」と門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲を成さず、嫁取りをせず、財を分かたず、出仕(仕事)を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、自らを厳しく律している方なら別だが、そういう奇特な人物なんぞいない。

 愚生の場合、神道だから戒名は要らない。「葬儀・告別式」や「年忌法要」も「偲ぶ会」なども「やる必要なし!」と断ってる。だから当然、愚生が死んでも喪に服する必要もないし、「死んだらハイそれまで。愚生のことなんぞ忘れて結構!」。若し、愚生のこうした思いを無視する様なら化けて出るつもりだ。呵呵大笑。

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2022年12月16日

防衛費の増額ばかりが報じられるが大事なのはその中身

 政府は、来年度の防衛費について米軍再編経費を含み約6兆8000億円とする方針を固めた。当初の約5兆4000億円の1.2倍以上に膨らんで過去最大なると報じられてるが、防衛費の大部分は人件費や施設の維持費などで大事なのはその中身である。

 国家の防衛とは、一喜一憂することなく淡々と万全の対策を講じるべきものであり、北朝鮮が弾道ミサイルを発射するなら、「国家の安全保障上、毅然と対処する」との声明を出し、我が国の領域を通過するならば毅然と迎撃すれば好いことだ。

 内閣総理大臣の承認を得て、防衛大臣 が発令する「破壊措置命令」は発令は常時発令中であり、イージス艦からの迎撃は技術的にも難しいものではない。迎撃することで我が国の防衛力の高さと自衛隊の優秀さを世界に示すことになろう。

 北朝鮮には「経済制裁」を実行しており、経済制裁とは「宣戦布告」と同じある。そういう考えると、北朝鮮の弾道ミサイルを迎撃するイージスアショア(イージス弾道ミサイル防衛システム)計画を止めさせてた河野太郎の無責任さは救い難い。

 我が国上空を通りながら破壊措置命令を出せず、アラートを鳴らしての右往左往の大騒ぎぶりは我が国の安全保障の未熟さと醜態を曝しているばかりか、こうした我が国の安全保障の欠陥を目の当たりにし中共やロシアがほくそ笑んでるに違いない。

 国家安全保障戦略の「反撃能力」の保有に向けて、アメリカ製の巡航ミサイル「トマホーク」を購入する費用約2100億円。陸上自衛隊の「12式地対艦誘導弾改良型」の開発費約330億円、量産費約800億円。つまりは増額されるのは約3230億円。

 戦闘での人的被害を抑える為にドローンなど無人機の導入。偵察用の無人機だけでなく、無人車両、水中無人機などを備える計画だ。島嶼防衛には欠かせない護衛艦の空母化や最新鋭ステルス戦闘機の購入数や迎撃システムの配備計画も急ぐべき。

 抑々、防衛力強化や防衛費増額は、ロシアの拠るウクライナ侵攻に続き、中共が台湾侵略を謀っており、先般の我が国の排他的経済水域へのミサイル着弾や、何より中共からの尖閣諸島や沖縄への脅威を取り除くのが最大の理由ではないのか。

 尖閣諸島などの島嶼防衛に大きな威力を発揮するのはオスプレイだろう。オスプレイの配備は、南シナ海で中共の威圧行為に呻吟するベトナムとフィリピンを護る意味もあり、それはアジアの安定を齎すものでもあり、我が国の役割は重要である。

 尖閣列島を始め、九州や沖縄の島々には戦闘機などが離発着出来る場所はない。敵国の侵攻や侵略には色々な場面も想定しておかなければならず、そこで何処でも離着陸出来るオスプレイは貴重な島嶼防衛の最新兵器であることに疑う余地はない。

 オスプレイの圧倒的な機動性の高さは、我が国と周辺諸国には大きな抑止力となるのは明らかで、取分け、中共にとっては脅威となっている。オスプレイの配備そのものが功を奏しているが、更に総合的防衛力の整備と拡充こそが国家と国民を護る。

 我が国は非核三原則の縛りもあって原子力潜水艦を保持していないが、世界の通常動力型潜水艦の中でも海上自衛隊の「そうりゅう潜水艦」は世界最強の性能とされており、原子力潜水艦を保持すれば専守防衛を謳う我が国の大きな力となる。

 岸田総理は「日本の防衛力の抜本的強化」を掲げている一方で「非核三原則の保持」を明確にしていり原子力潜水艦の保有さえ夢のまた夢。決断力に欠け、実行力に乏しく、外務大臣に親中派の林芳正だし、防衛力強化は画餅に終わりそうだ。

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2022年12月15日

「防衛は国民の責任」と言い放った岸田文雄の無能が甚だしい(苦笑)

「防衛は今を生きる国民の責任」と言い放った岸田文雄。防衛費の増税は憲法下の国民の三大義務でもある「納税」を利用した詐欺の様なものだろう。ここのところの岸田の無能と不作為は甚だしく、「決断と実行」とのフレーズが虚しく響く。

 何故に防衛費を増額する必要があるのか国民に説明するのが先だろうが、外務大臣に容共派の林芳正が就いてる限り、台湾侵略を謀り、尖閣列島や沖縄の併呑を図る中共の軍事力の脅威を理由に防衛費増額の理由にする訳には行かないのだろう。

 国民は祖国を護る義務はあるが責任は政治家に在る。戦争とは政治や外交の解決手段として国際法上認められている政治手法である。如何に戦争を回避する外交を推し進め、一旦緩急の際には国家国民の安全を万全を期すかは政治家の死命だ。

 政治の怠慢を棚に上げて、国防費増額の財源確保に御得意の「検討」もせずに増税ありきとはどうなってるの。国民が物価高で困窮してる中で国会議員の歳費がちゃっかりと増額される。国民意識から遠退いた政治家への不満と怒りは増すばかり。

 防衛費を国民に負担させるならば先ずは政党公金を返納するとか、議員歳費を減らすとか、無駄な参議院を廃止して一院制にするとか、政治家が隗より始めるべきだし、男女共同参画予算とか、外国人への生活保護や社会保障費を見直すべきだ。

 国防とは単に国家の領土防衛だけではなく、「それを失えば日本ではなくなることである」と訓えたのは三島由紀夫。国防とは歴史や伝統文化、言語、宗教といった国柄(国體)を守ることであり、何より、皇統(天皇)を死守することにある。

 米英は「戦争とは政治の継続である」と教え、ドイツでは「戦争とは別の調停手段を伴う政治的な取り引きの継続である」と教えているが、中共やロシアや北朝鮮の戦争とは「征服」である。征服とは略奪であり、彼らの略奪は正当化される。

 危機意識に乏しいから算盤勘定でしか判断出来ない。新型コロナ対策では94兆円という巨額な予算を計上してながら、数兆円の防衛費増額を躊躇する岸田は財務官僚の顔色ばかり気にしてるとしか思えない。早々に退陣することが国益に適う。 

 令和4(2022)年の一般会計予算は約107.5兆円。内社会保障費約36.2兆円に比べて防衛費は約5兆3687億円。社会保障は国家が存続していることが条件である。

 安倍政権が進めた防衛計画と、中期防衛力整備計画の下での護衛艦の空母化を完遂することは我が国の専守防衛上の大きな意味を持つ。GDP比1%以内との閣議決定を順守して防衛力の限界を設定している国家は恥かしながら我が国だけだ。

 岸田は安倍政権下で進めた、護衛艦の空母化や最新鋭ステルス戦闘機の購入数や迎撃システムの配備という我が国の専守防衛を成すことを理解してるとは思えない。

 2年後からの増税ではなく、早々にGDP1%の枠組みを取っ払うことが先決だ。近隣国、中でも軍拡路線の益々の拡充を謀る中共に因って安全保障環境が変化している中で、それに対抗した自衛力を喫緊に整備するのは理の当然ではないのか。

 野党や左翼コメンテーターが「防衛力強化は米国追随だ」と批判する。確かに米国への忠誠にも思えるが、それこそが戦後の我が国の歪な体制でもあるのだ。

 防衛力強化への反対派というのは、国家の防衛を否定した憲法を有難がっている反米左翼ばかり。安保条約下で国家の大本を米国に依存しながら何を言うか。

 米国追随が嫌なら米国製の現憲法を破棄し、自国で戦闘機や迎撃システムを造れる様な法整備を急ぐべきだし、米国依存から脱却し、中共軍とも対峙出来る防衛体制を整えるべきだろう。親米保守が米国追随なら、反対派は中共への諂いでしかない。

 我が国は今や世界に冠たる経済大国である。国家観無き政治家どもは票欲しさに福祉や社会保障の充実を掲げてはいるが、真の国民福祉は国家民族の平和と安全の保障を措いて他に何があると言うのか。そう考えれば、防衛力の整備に限界は無い。

 自衛力は自衛を完うするに足る装備の充足と自衛官の士気の向上を不可避とする。これは防衛に対する至上命令である。従って我が国が望む望まないは関係なく、近隣に共産党一党独裁の国家や北朝鮮やロシアなどの反日国家が存在している現状を鑑みれば、我が国は国際情勢を睨みつつ粛々と防衛力の拡充を期すべきである。

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2022年12月14日

浅野公は斬りつけずに突けば好かったものを(二本松藩主・丹羽光重)

 赤穂浪士が吉良邸に討ち入りしたのは元禄15年12月14日から翌朝にかけてとされているが、旧暦では元禄16年1月30日。討ち入りの日は満月とされ、雪もあり明るい夜だったとさているが、旧暦だと新月なので暗かったのではと推測する。

 我が故郷の二本松には、代々「必殺を期すには、斬らずに突くべし」という刀法が伝わっている。この教えは、播磨赤穂藩の第3代藩主の浅野内匠頭と二本松藩初代藩主・丹羽光重の繋がりを示す逸話があり、いつしか伝統となったものだ。

 丹羽公は、吉良上野介を討ち損じたとの報に接し、「何故、浅野公は斬りつけたのか、斬りつけずに突けばよかったものを!」と、酷く悔しがったという。

 以来、二本松では「斬らずに突け」が伝統となった。二本松少年隊の成田才次郎が出陣の際に父から訓されたのも、この「斬らずに突け」だったという。

 大壇口から敗走中の混乱で隊士はバラバラになってしまい、単独で二本松城下の郭内まで戻るも戦意は尚も旺盛だった。「必ず敵将を斃してやる」と物陰に潜んでいたところ、馬上豊かに立派な武士が一隊を率いてやって来るのが見えた。

 西軍の白井小四郎が率いる長州藩の部隊だった。才次郎、隊列が目前に来るまで充分に引き付け、大刀を真っ直ぐに構えるや一気に先頭の白井に向って突進した。

 然し、歴戦の長州兵は、この遮二無二突進する小さな刺客に即座に反応し、隊長を護るべく馬前に出る。「子どもじゃ、手を出すでない」と白井。白井は突っ込んで来るのが幼い子供だと瞬時に見抜き兵を制した。だが、それが徒となった。

 才次郎の剣は、狙い違わずこの敵将の脇の下から胸部を突き刺した。たまらず白井が落馬する。驚愕した長州兵らは慌てて才次郎を捕えようとするが近寄ることも出来ず、已む無く鉄砲を使い、漸くこの小さな勇士を倒すことが出来た。

 このとき才次郎、14歳。少年への一瞬の憐憫が自らの死を招いたこの長州の将・白井小四郎の墓前には、今でも多くの参詣者からの香華が絶えることはない。

 会津白虎隊士の構成年齢が16~17歳だったことに比べて、二本松少年隊の最年少隊士は僅か12歳。会津武士道の昇華を白虎隊に例えるが、二本松少年隊も同じく二本松武士道の昇華そのものであり、郷土二本松に生きる方々の誇りでもある。

 薩摩藩士で陸軍元帥・野津道貫は回顧談(近世国民史)で、「兵数不詳の敵兵は、砲列を布いて我軍を邀撃するのであった。我軍は早速之に応戦したが、敵は地物を利用して、おまけに射撃は頗る正確で、一時我軍は全く前進を阻害された。我軍は正面攻撃では奏功せざる事を覚り、軍を迂回させて敵の両側面を脅威し、辛うじて撃退することを得たが、怨恐らく戊辰戦中第一の激戦であったろう」と述懐している。

 スペンサー(元締め)銃を手に奮闘したのは二本松少年隊の小澤幾弥。戊辰戦争前まで江戸で育った幾弥は、新式のスペンサー銃を二本松藩に持ち込んだ。

 阿武隈川を超え、霞ヶ城に殺到する西軍を丘の上から次々と撃ち倒すも朝河八太夫と討ち死にする。因みに、砲術師範の八太夫は世界的歴史学者である朝河貫一博士の祖父である。今を生きる我々は先人の覇気に学ばねばならない。合掌。

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2022年12月12日

世襲と元官僚が幅を利かす政治の世界こそ実力の世界に戻さなければならない

 人生とは実力社会と言われる。実力社会というのは相撲の世界と同じで、実力がある者が番付が上がり、その中でも心技体が備わっている者が横綱となる。

 この横綱の子供が必ずしも横綱になれる保証はなく、血縁も、家柄も、門閥も、また学歴も一切関係ない。正しく実力だけがものをいう世界である。

 これに反して政界や役人、話題となっている日本学術会議などでは学歴と経歴がものをいう。幾ら実務能力が優れていても高卒じゃ事務次官にはなれない。

 政治家の世界も今や実力社会ではなくなって久しい。政治家になるには選挙が重要となり、そこで「ジバン・カンバン・カバン」がものいうから世襲が有利となる。

 歌舞伎の世界も同じで世襲が当たり前。団十郎や菊五郎、吉右衛門など襲名出来る者は限られていて、家柄、門閥がないと実力があっても襲名は容易ではない。

 政治の世界でも世襲議員が幅を利かせているが、それに加えて国会議員は官僚の天下り先になっていて、今や世襲と元官僚が国会議員全体の約八割を占める。

 政治の世界での勝負は選挙だが、現在の小選挙区比例並立制という選挙制度では自民党などの党公認にならなければ勝負さえ出来ない。こうした現状を見れば、世襲や元官僚が幅を利かす政治を実力の世界に戻さなければならないと感じる。

 勝負事というのは何でもかんでも勝ちさえすりゃ好いものでもない。この加減が実に難しい。言い換えれば、負けを知らずに勝ってばかりいては敵ばかりが増えることにもなり、勝つにしても相手を慮って程々の勝ちを心掛けるのが好いとされる。

「凡そ軍勝五分を以て上となし、七分を以て中となし、十分を以て下と為す。その故は五分は励を生じ七分は怠を生じ十分は驕を生じるが故。喩へ戦に十分の勝ちを得るとも、驕を生じれば次には必ず敗るるものなり。全て戦に限らず世の中の事この心掛け肝要なり」とは武田信玄。十分の勝ちを得る事は驕りを生じると戒めている。 

「雀聖」色川武大(阿佐田哲也)は、ギャンブルから学んだ人生観を相撲の勝敗に例え「9勝6敗を狙え。8勝7敗では寂しい。10勝を狙うと無理がでる」と教えた。

 ギャンブルを目の敵にしてるつまらんヤツなどから「人生をギャンブルに喩えるとは怪しからん」と批判されそうだが、競馬や競輪も、競艇やオートレースも、投資にしたって賭博性の高いギャンブルの様なもの。結婚もギャンブルに近いし(笑)

 身上を潰す様な分不相応なギャンブルは以ての外だが、そうなるのも己の実力を知らないから。要は「場数」が少ないのだ。場数とは失敗した数であり、バカな経験数が後々自分の為にもなってくるし、男としての重みも備わって来るというもの。

 勉学も好いがギャンブルなどの悪事(勝負)事も好い経験で、そうした経験も無いヤツというのはハンドルの遊びと同じで大きな過ちを起こすものだ。

 阿佐田は「幸運が続き過ぎると危ない」という考えから、ギャンブルに大負けすると「ここで不運を消化しておけば安心だ」とよく語っていたという。負け惜しみもあるが、勝負師としては信玄よりずっと分かり易いと思うのは愚生だけか(笑)

 美空ひばりの「柔」に「勝つと思うな思えば負けよ~♪」という歌詞がある、「勝とう勝とう」と思うと、気負いから実力を発揮出来ずに終わるということが多い。だが、そこを「引き分けでいいのだ」と思うと気負わずに出来るもの。

 何事も「相打ちで好い」という気構えで対峙すると、そんな精神的余裕が勝ちに結びついたりするもの。とはいえ、競輪競馬は相打ちどころか負けっ放し。呵呵。

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2022年12月09日

皇后陛下の御生誕日である「地久節」こそ「母の日」に相応しい

 本日12月9日は皇后陛下の御生誕日。謹んで御祝詞申し上げます。

 戦前は、皇后陛下の生誕日は「地久節」という記念日だった。地久(ちきゅう)とは、老子の「天長地久(天は長く地は久し)」からの典拠である。「天地の存在は永遠であること。天地が永久である様に物事がいつまでも続く」との喩え。

 昭和6年、昭和天皇の皇后である香淳皇后(こうじゅんこうごう)の御生誕日である3月6日が「母の日」に定められた。現在の母の日は3月6日ではなく、米国と同じ5月の第二日曜日となっている。こうした米国の価値観の押付けは数多に及ぶ。

 戦後、GHQが謀った日本弱体化工作に因り「天長節」が「天皇誕生日」に変更され、地久節は消されたが、本来ならば今日が日本国民の「母の日」でもある。

 テレビでは「皇后まさ子さまの誕生日」という報道が流され、新聞には皇后陛下の感想文が掲載されている。その脇には医師団の見解要旨が記載され、「依然として快復の途上にあり、体調には波がある」とのいつもの意見が添えられている。

 記者は、海千山千の強か者ばかりで、その多くは皇室に批判的な輩であり、尊皇絶対の大義を弁えている記者はいない。一問一答形式によって、陛下からの御言葉を引き出し、言葉尻を捉えて政治問題化し、世論誘導を企てる。

 天皇皇后両陛下並びに皇族方の定例会見は今後一切拒絶するのが妥当であり、宮内庁は会見とは別な形での国民への御発露の方法を考えるべきだと思う。

 それにしても思うのはマスコミの報道だ。如何にも皇后陛下への親しみ易さを演出しているが、陛下や皇室のことというのは、喩え褒めることであってもそれを軽々に口にすることは不敬である。親しみ易さは、一方では尊厳を薄れさせる。

「皇后陛下」と呼称せずに「皇后さま」とか「雅子さま」との呼ぶことは、「開かれた皇室論」という反天皇運動の実践であり、国民が殆ど知らぬまに、ソ連共産党から日本共産党へ送られた命令書の忠実な遂行を謀ってると言っても過言ではない。

 日本人であるならば「皇后陛下」「敬宮愛子内親殿下」「秋篠宮妃殿下(内親王殿下)」「悠仁親王殿下」と称するべきで、こうした敬称略・敬語不使用運動も反天皇運動の一環であり、我が国の伝統文化や美徳が喪失して行くことを自覚すべきだ。

 戦前の様に「畏れ多くも畏くも」とは言わないまでも正式な敬称で呼ぶべきで、日本国民として節度ある敬意を表するのは当然のことだ。皇室の御存在は決して開かれるべきものでもなければ、親近感を抱く様な軽々しい存在でもない。

 現憲法下、天皇の祭祀は否定され国事行為を行うだけの政府の傀儡と化してしまった。天皇は「象徴」と位置付けられてはいるが、国民以下の存在として都合好く利用されているに過ぎない。こうした不敬をいつまで赦すつもりなのか。

 奸賊を排し、迫る来る祖国の危機に対処し、天皇国日本を盤石の安きに置く行動が求められる。正にその存在の意義を示す神機は近付きつつあると確信する。全愛国者は、迫りくる一旦緩急に備え、遺憾無きを期そうではないか。すめらぎいやさか

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2022年12月08日

東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス

 本日12月8日は、畏くも「宣戦の詔書」が渙発せられた大詔奉戴日である。昭和16(1941)年12月8日未明、大日本帝国海軍は米国領の真珠湾攻撃に至る。東アジアに永遠の平和を確立し、我が国の光栄の保全を期す戦いの火蓋が切られた。

 米国では12月7日(現地時間)を「汚名の日・リメンバー・パールハーバー」とし「日本は騙し討ちをした卑怯な国」として糾弾し、日本蔑視は止むことはない。

 未だに我が国がこうした汚名を着せられ続けるのは、ろうことか当時の駐米日本大使が宣戦布告前日の晩に酒を飲み過ぎて宣戦布告の「覚書」を指定時間に渡すことが出来ずに真珠湾攻撃から1時間後に持参することとなったからに他ならない。

 我が国の外交史上の歴史に残る大失態であるにも関わらず誰一人として咎められず、責任も取っていない。然も驚くことに、戦後、彼らは外務次官や駐英大使など外務省の第一級ポストに昇進し、勲章まで授与されているのには驚く他はない。

 彼らが職務を遂行していれば、我が国も日本国民も「嘘吐き」とか「卑怯者」といった汚名を着せられずに済んだのだのは間違いないが、抑々、大東亜戦争に至ったのは、米国側が「騙し討ち」と言われる真珠湾攻撃そのものが原因ではない。

 日清・日露戦争という国難を経た我が国が何故に米英との開戦を決意し、何故に真珠湾攻撃に至ったかは1953年のペリーの黒船来航時代まで遡り、アジアの近代史と15世紀からの大航海時代の世界史を学ばなければ到底理解することは出来まい。

 敗戦した我が国だけが悪い訳ではない。抑抑、何故に我が国が大東亜戦争の開戦を決意し、真珠湾攻撃に至ったかが問題であって、現代の幼稚で安っぽい倫理観や道徳観で一部分の歴史だけを見て断じることに何の意味が在るというのか。

 歴史の検証をする際、我が国の罪を論うことは大事なことだが、日本に生を享けた者として大東亜戦争の真の歴史と意義を知ることは国民としての義務でもある。

 歴史の検証で大切なのことは、古今東西、世界に蔓延っていた覇権主義の克服を主張すべきであって、他国のそうした覇権主義には目を瞑り、一方的に我が国だけが反省の上に立って自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。

 思うに、戦後77年経った我が国が、未だに自虐史観から目覚めないのは、米国が徹底した「太平洋戦争」史観が蔓延っているからに他ならない。我が国が断行したのは「太平洋戦争」ではなく、「大東亜戦争」ということを先ず理解するべきだ。

 我が国は「大東亜戦争」を断行したのであって「太平洋戦争」を戦った訳ではない。先の大戦を理解しようとするならば先ずは「太平洋戦争」という呼称を止めることだ。そうすれば自ずと先の戦争の意義を理解することが出来るだろう。

 昭和16年12月8日に渙発せられた「大東亜戦争・開戦の詔勅(米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)」には戦争に至る経緯が記されこう結ばれている。一部摘記する。

【東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ帰シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ皇祖皇宗ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘シ速ニ禍根ヲ芟除シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス】

(東アジアの安定に関して我が帝国が掃らってきた積年の努力は悉く水の泡となり、帝国の存立も正に危機に瀕することになる。事ここに至っては我が帝国は、今や自存と自衛の為に決然と立上がり一切の障害を破砕する以外にない。皇祖皇宗の神霊を戴き、私は汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め速やかに禍根を取り除き、東アジアに永遠の平和を確立しそれに拠り、帝国の光栄の保全を期す)

 我が国にとって大東亜戦争は結果的に敗れはしたが、日露戦争以降の懸案だったアジア諸民族(有色人種)の独立と復権を齎した。「開戦の詔勅」で示された大義と、アジアの「希望の星」としての役割は見事に果たしたと言えよう。

 本日、大東亜戦争の開戦日に当たり、先の大戦で戦陣に散った英霊に対し感謝の誠を捧げると共に、畏くも陛下の弥栄を祈念する。すめらみこといやさか。

 余談ではあるが、国士舘大学の先輩でもあり盟友だった、防共挺身隊三代目総隊長の對馬則政が平成21年の12月8日に幽冥界を異にして13年が経ったが、愚生にとって12月8日という日は忘れることはない。 南無大師遍照金剛 。合掌再拝。

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2022年12月07日

LGBTQは人類滅亡過程の進化の序章なのかもな(笑)

 杉田水脈の「LGBTQなどの性的少数者は生産性が無い」とか「女性ならいくらでも嘘が吐ける」とか「チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさん」との発言が“差別”だとして糾弾されているが、愚生にはホンネや正論にしか聞こえない。

 LGBTQは性的嗜好を優先する余り脈々と受け継がれて来た先祖の営みを蔑ろにするばかりか、家系の子孫を残すことなんぞ毛頭無い。杉田じゃなくても生産性がゼロな確かだし、性的変質者を性的少数派と言い換えることには違和感しかない。

 まぁ、地球の存在には寿命もあるし、人類もいつかは滅びるだろう。そう考えると自らの代で終えようとするLGBTQは人類滅亡過程の進化の序章なのかもな(笑)

 杉田美脈を執拗に糾弾してるのは、いつもの左翼のクソどもや共産党ばかり。左翼マスコミやインチキジャーナリストどもに煽られた一部のLGBTQもいるのだろうが、多くの性的少数者は性的嗜好を表沙汰にはせずにひっそりと生きている。

「チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさん」とのツイートも、チマチョゴリやアイヌのコスプレをした女性への違和感を指摘したものであり、チマチョゴリやアイヌの衣装を着てる連中こそ既得利権に群がり差別を助長している。

「女性ならいくらでも嘘を吐ける」というのも経験上の喩えでもあるのだろうが、性暴力被害を訴えたジャーナリストの伊藤詩織の告発はどう見ても嘘だわな。

 伊藤の「Black Box」や「月間Hanada」で、当事者の山口敬之の記事を読んではみたが、どちらかといえば山口の方が理論的で事実を語ってる様に感じる。

 合意無きセックスで中田氏された以降の伊藤の行動が実に興味深い。執拗に山口にメールを送る伊藤。被害妄想というか、被害者意識が徐々に膨らんで来る。

「意識不明の私に避妊もせず行為に及び、それ以降私は妊娠したらどうしようという不安の中にいます。山口さんは私が妊娠した場合のことをお考えですか? 私はこれから一生仕事をしていこうと思っていた中、今は妊娠して働けなくなってしまうという恐怖でいっぱいです」との内容には、戦慄さと凄まじい金銭欲を感じる。

「まだ生理が来ていないので不安で仕方ありません。寝ても覚めてもこのことで頭が一杯です」「妊娠と仕事の事で大至急お話したいので、連絡の取れる電話番号を教えてください」「妊娠の可能性があるので渡航の時期を伸ばせませんか?」

 銀座のクラブなどにもこうした性悪なホステスの手口に騙されるオッサンは後を絶たないが、伊藤の行為もこれと同じ香ばしい臭いがプンプンする。山口もとんだ女とやっちゃったものだ。普通の男なら面倒臭いしカネで解決するだろうな。

「あの夜、山口さんに意識がないまま強制的に性行為を行われ、肉体的にも精神的にも傷つけられました。あの後、膣は数日間痛み、乳首はかなり傷つきシャワーを当てられないほどでした・・・」と「強制的」という言葉を使い出し告発に至った。それにしてもアソコやビーチクが数日間も痛むって、どんなHしたんだろうな(笑)

 杉田は自身のブログで「報じられている慰安婦関係の民間団体の女性代表者の資金流用問題の例をあげて、何事も聖域視することなく議論すべきだと述べる中で、ご指摘の発言があったことを確認しました」と、発言に至る経緯を説明している。

 マスコミは、杉田が問題発言に至る中で、日韓問題の元凶とも言える慰安婦問題が絡んでいることは一切報じることはなく、恰も例の元TBS社員の男性ジャーナリストを訴えた女性ジャーナリストを「嘘吐き」であると発言したかの様に装った。

「女性はいくらでも嘘を吐ける」との趣旨の歪曲は、朝日新聞の従軍慰安婦問題と同じく捏造でしかない。情弱者がマスコミが誘導する嘘に付き合わされている。

 電車内での痴漢行為で逮捕された冤罪被害者は少なくない、その多くが女性の嘘が原因だったことも。杉田が言いたかったのは、日本軍の被害者を装った自称・慰安婦の嘘であり、性暴力という名の下で増え続ける冤罪事件への警鐘であるのだ。

 こうしたことには一切触れずに「セカンドレイプ」などと騒いでる方が可笑しい。「女性はいくらでも嘘を吐ける」というのは間違ってはいない。斯くいう愚生も、女性の見え透いた手練手管というか、優しい嘘に何回騙されたことか(笑)

 山口はライダイハン問題を取り上げたことで左翼や親韓派の怒りを買った。杉田は慰安婦問題を始め、自民党内でも数少ない正統な保守派として活躍している議員でもある。要は、今回の杉田発言騒動は左翼勢力に拠る保守議員潰しである。

 国会で杉田の発言を歪曲し、反自民勢力の世論を味方にしたと勘違いして杉田の更迭を求めたのは社民党の福島瑞穂。杉田は懲りずに「福島瑞穂さんがLGBT以上に気持ち悪いです」とツイート。この杉田のシャレは、座布団十枚の名言だろう。

 日本共産党の宮本岳志は福島瑞穂への発言を論い、「指図め私は左翼でしょうけど、杉田総務大臣政務官に率直に聞きますけど、私は気持ち悪いですか?日本国の恥晒しですか?」との質問。そりゃ、誰が見ても気持ち悪いし恥晒しだろ(笑)

 党利党略・週刊誌のゴシップ記事と変わらない国民不在の国会審議をしていながら国会議員の歳費がアップされる。どんだけ国民をバカにするのか。物価高を理由に全てが消費者に負担させてるが、国民の我慢もピークに達すれば怒りが爆発するぞ。

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2022年12月06日

厚労省が定める「体罰の定義」を学校教育に当て嵌めるな!

 静岡県裾野市の私立保育園の元保育士の幼児虐待に関して、田母神俊雄元航空幕僚長が「本当に問題にするほどのことなのか」と疑問を呈し、「子供は逆さにしたりすると喜ぶことがある」などと、暴行容疑で逮捕された三人を擁護した。

「体罰」と「虐待」は全く違う。「それでも、体罰は必要だ!」 との戸塚宏との共書があるが、愛情の無い体罰は暴力であり、保育士の行為は虐待そのもの。保育園や幼稚園には体罰は要らない。日本の大事な子供に愛情を注ぐことこそ大事。

 戸塚宏が言う様に「体罰は理性を育てる」という一面があるが、1歳児を逆さに吊し上げたりカッターナイフをちらつかせる行為に躾けるという愛情があるとは思えない。俯瞰した物の見方をしてるつもりだろうが、田母神閣下の劣化著しい。

 その昔、田中角栄は幼少時の教育の大切さを説いた。人間性を決めるのは「三つ子の魂百まで」と言う様に生まれて3歳までの親の愛情であり、乳幼児を扱う保育園の先生方も愛情こそ注ぐべきで、分別も分からない1歳の子供の虐待は赦されない。

 幼稚園から小学校低学年も同じく、無償の愛を与えるべきで、角栄は小学校教諭の給与は高くするべきと言ったが蓋し正論だろう。幼稚園の先生も同様に公的機関が保証するべきだと思うが、私学助成金や補助金利権に群がる輩がいるのも確か。少子化問題と並行して幼児教育や小学校での教育の在り方が求められる。

 体罰教育のエキスパートと言えば「戸塚ヨットスクール」だろう。「スパルタ式」で子供を死にやったことばかりが取り上げられるが、不登校や家庭内暴力で苦しんだ親が子供を手放し、実に600人以上の子供を更正させた実績は凄いと言う他ない。

 戸塚氏は自著「教育再生」で、教育は「科学的精神論」に基づくと言い「正しく・強く・安定」(知・情・意)した理性を創ることが肝要だと教えている。

 戦後教育の過程で、学級崩壊や家庭内暴力を起こす様な「間違った・弱い・不安定」な理性を持った子供達が大量に登場した原因を考えれば、戦後に我が国が採用した欧米型の「精神論」が間違っていたからだというが正論だろう。

 我が国を経済大国にしたのは戦前教育を受けた人々であり、戦後教育である「欧米流」の教育に抜け落ちているのは「本能論」で、人間の優劣性を強調する余り、動物に存在する「本能」というものを下等なものとして否定しまったのだ。

 仏教でも儒教でも、「本能」が「理性」を創るのに重要な役目を果たしていると説いているし、これらを考えるに、教育で一番大事なのは「徳育」であり、徳育は忠君愛国ばかりではなく、「人間性」を確立することが根本的な教えである。

 厚労省は、令和2年4月に施行された児童虐待防止法の体罰禁止規定に関し、具体的に「注意をしたが言うことを聞かないので頬をたたく」「宿題をしなかったので夕飯を与えない」「悪戯をしたので長時間正座させる」などの事例を示している。

 親権者や内縁の夫、幼稚園や保育所などでも虐待が後を絶たない。虐待する大人というのは甘やかされて育ったりと精神的に幼稚なのが多い。こんな精神が歪んでる大人を、役人と有識者が決める体罰定義で虐待を無くそうなどは嗤うしかない。

 学校での先生に因る体罰が問題にされる度にこれと同じ様なことが議論されて来たが、文科省や教育委員会が解決させた験しはない。家庭での虐待にしても同じで、厚労省が登場しても余計ややこしくなるし、まともな親にとっては迷惑な話だ。

 戦後、我が国ではGHQが謀った教育もあり、子供を褒めなければダメ、叱ったり殴ったりすることはケシカラン、体罰はダメという考えが支配的になった。

「褒める教育」というものは、日教組が「生徒の自主性・自由の尊重」などと謳ったところから始まったもので、非行を繰り返す不良生徒やその親を批判せず、その生徒に体罰をした教師だけが吊し上げられ、現場から排除されてきた。

「褒める教育」を推進する連中は「体罰は暴力」と決め付けるが、「体罰」と「暴力」とは異質のもので、「体罰」とは子供に善悪を躾けることが目的であって「暴力」とは言わない。「暴力」とは私的感情が伴う行為をいうのだ。

 言って分かるなら苦労はしないが、言っても分からない子供は一定数いるのは確か。善悪を躾ける「体罰」という「愛」が、子供の理性や本能を正しく鍛えるということを親や教師、教育委員会、役人、何より政治家は知るべきだ。

 昨今、学校や家庭、地域全体が子供らをどう導けば善いのか解らなくなっているのが実情で、その子供らもまた厳しく躾けられていないから善悪の判断が乏しく、痛みも知らなければ、チョットしたことで挫折してしまうのが多い。

「体罰」の意味も知らず、本物の愛情に触れることなく軟弱に育てられた子供達こそが現代社会の犠牲者であり、そんな環境で育った大人もまた然り。

「愛のムチ(体罰)」と暴力は紙一重。ビンタなどの体罰には親として子供を思いやる気持ちがあり、子供もまた親を敬う気持ちが無くてはならない。

 子供もどんな子でも日本の宝なのです。我が国が抱える問題を解決するには、幼少期の親の愛情が不可欠であり、保育所や幼稚園や小学校低学年の段階で正しい人間性の基礎を創り上げ、地域や周りの人らが温かく見守り育んで行くことである。

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2022年12月05日

何事も両目をカッと見開いて物事の真意を吟味したいものです

 当り前だが人間には目玉が二つある。だが、「明き盲(めくら)」という言葉がある様に、多くの人は世の中の事柄を片目(一面)でしか見ていなかったり、理解力が乏しかったり、自分で判断もせずに大勢に流されてしまう人ばかり。

 伊達政宗や前田利家、柳生十兵衛、乃木希典、北一輝、小泉八雲、双葉山などなど、歴史上で大成した人物には隻眼(せきがん)が多いが、片目の方というのはその不自由さ故に物事の見方や事象を冷静に見て判断するからではあるまいか。

 世の中(大衆)というのは自分で見聞きしたものよりも、数の多いものが「当たり前」と捉え、数の少ないものを「間違い」と決め付ける癖がある。

 徳川時代に日本にやってきた外人は、日本人の丁髷を見て、日本人の男は恐ろしい、頭にピストルを載せているとびっくりしたという。それに尾鰭が付いて「チョンマゲ、ハラキリ、フジヤマ、ゲーシャ」などの変な日本人観が生まれた。

 そういう日本人も来日した外人を見て、背の高い赤毛の天狗が来たとびっくりしたというからお互い様だが、人の見る目と噂というものは存外そんなもの(笑)

 もう直ぐ大東亜戦争の開戦記念日を迎えるが、先の大戦に突入する頃は「対米開戦已む無し」の声が大勢を占め、当時の国会議員の中で反対したのは大日本愛国党総裁で当時参議院議員だった赤尾敏ら少数議員だったというから嗤えない。

 当時の多くの国民は「神州不滅」を信じ「戦争反対」の意見を吐くものなら周りから「非国民」と罵られ、憲兵にしょっ引かれて酷い目に遭わされた。右翼は好戦家に思われがちだが赤尾の行動に見る様に俯瞰した意志と行動こそ大事。

 つまり、いつの世も大衆が時代を創っているのだが、その大衆の多くは無知で愚かであり、扇動される大衆というのは実に操縦し易く、都合好く世論操作が行われる。そういう意味では国民意識というのは戦前から何も進歩もしていない。

 反原発派らが目の敵にする原発だってそうだ。第一次オイルショックを経験した日本は、基幹エネルギーに原発を選択する。そして我が国は高度成長に乗り、三種の神器といわれるテレビ、冷蔵庫、洗濯機といった家電が普及する。

 こうした便利さを多くの国民は当たり前だと思ったのは事実で、今更、原発を批判するのは筋違いだろう。そうした恩恵の全てを否定して「原発の無い時代に戻せ!」とか「故郷を返せ!」というのは本末転倒と言う他は無い。

 民主主義は多数決だが、数の多い意見が正しいとは限らないし、同様に善人必ずしも善人とは限らず、悪人必ずしも悪人と言い難い。大衆から「キチガイ」や「変人」と呼ばれてる人から見れば、大衆こそが変人に見えてるのかも知れない(笑)

「世評なんぞ気にかけるな。人間の評価など十年毎に浮き沈みするものだ。大奸物、大逆物と言われた勝麟太郎も今では伯爵という華族様の勝安芳様と言われる様になった。世評など変わるものだし、信じるものではない」とは勝海舟。

 人間の賢愚、美醜、善悪など、そう簡単に決められるものではない。その時代の価値観や何事も極一部の人間(指導者)の判断で決まるもので、大衆はいつの時代も指導者の意に沿ってどうにでも、どっちにも動き流されるものなのだ。

 ヒトラーは「大衆は、小さな嘘より大きな嘘にだまされやすい。なぜなら、彼らは小さな嘘は自分でもつくが、大きな嘘は怖くてつけないからだ」と叫ぶ。

 そしてこう訓える。「必要不可欠なのは、一人の指導者の意志、一人が命じ、他の人はそれを実行すればよい」。つまりトップに立つ人の意思が大事なのだが、そのトップに立つ人に国家観や人間性が乏しいと国民が不幸に陥ることとなる。

 我が国の政治が大衆迎合主義に陥るのは、マスコミに誘導された大衆に媚びるばかりで強固な意志(国家観)を持った政治家がいないことに尽きる。

 議論し合うことは必要なことではあるが、大事なのは意見が対立した場合に上に立つ者の意志と実行力が結果を左右する。これは組織も会社も同じこと。社長や役員がだらしなければその会社に未来は無い。さっさと辞めるに限る(笑)

 世評なんぞ懼れるに足らず。坂本龍馬は「世の人は我を何とも言わば言え、我が成すことは我のみぞ知る」と訓えているが、事を成すには強い信念を持つべし。

 時代の怪しい風潮や大勢の意見に流されることなく、明き盲にならず、何事にも両目をカッと見開いて、その中身を吟味し判断する癖を付けたいものだ。呵々

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2022年12月01日

太陰暦を採ってた明治5年までは12月2日が大晦日だった

 本日は師走朔日ということで、朝未だきからのウオーキングの途中に開成山大神宮に参詣し、畏くも天皇皇后両陛下の弥栄を祈念する。自宅に戻りシャワーで身を清め、神饌を替え、神棚に向かい感謝の誠を捧げ、併せて心願成就を懸けた。

 1年というのは早いものであっという間に師走となった。誰だか忘れたが、1年の感じ方というのは1歳なら1㌔、40歳なら40㌔、80歳は80㌔と、年齢と同じスピードで過ぎると教わった。還暦を過ぎた愚生も1年があっという間に終わる(笑)

 子供の頃は1年がホント長く感じ、小学校へ行くのも億劫で授業が長く感じた。長く感じるのは記憶が確りしてるからだという。歳を取ると記憶が曖昧になり、昨日の出来事や何を食べたかさえもよく覚えていなくなるから1年も早く感じる(笑)

 明治政府は明治5年(1872年)、月の満ち欠けを中心にした太陰暦を切り替え、太陽暦のグレゴリオ暦を採用する。同年12月3日を明治6年の「元日」と決めた。

 旧暦では1年が13ヶ月。それが12ヶ月となったのだから当時は大きな混乱や支障を生じたのは想像に余り有る。西暦は知っての通り、キリスト教に基くもの。

 暦というのは宗教と歴史が関連するものであり、国が変われば暦も様々なものが使われている。西暦2022年は何年になるのだろう。例えば、イスラムでは太陰暦を使っており、マホメットのメディナ遷宮から数えて1443年となる。タイでは御釈迦様の没年から数える「仏暦」を用いているから2565年となる。

 ユダヤ教では天地創造を起源とするユダヤ暦だから5781年。因みに、北朝鮮は金日成の生誕日から数えており、「主体(チュチュ)112年」の歴史となる。

 我が国は、神武天皇御即位年を紀元とされる「皇紀」という年号がある。西暦も結構だが皇紀や元号こそ使うべきでる、皇紀2682年の輝かしい歴史である。

 暦とは別に、我が国には「元号」が在る。節季の習俗を時代の流れに応用する先人の智慧であり、元号は我が国の文化を象徴するものの一つである。

 西暦が世界で一般化しているとして恰も元号が古臭く「時代遅れだ」として反対を唱える大馬鹿者がいるが、明治に開国し、西暦を採用し混乱の中でも元号を捨て去らなかったのは、大化の改新から我が国の国民生活に深く定着していたからだ。

 歴代の天皇は数年から十年を目途に改元して巧みに時代転換をして来た。孝明天皇は、御在位21年の間に「嘉永」「安政」「万延」「文久」「元治」「慶応」と6回も改元された。混乱の時代を如何に転換させるかの苦衷の表れでもある。

 街はクリスマス商戦一色。神道の祭主であられる天皇陛下を戴く我が国にはそぐわない景色だが、日本人はクリスマスでキリスト生誕を祝い、大晦日は寺で除夜の鐘を撞き、元旦には神社に初詣に参り、年賀状には元号を記す。実に好い加減というか、流石は八百万の神が棲む国に生きる実に大らかな民族なのだと思う。呵呵。

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