2022年11月

2022年11月27日

我れ日本の柱とならん 我れ日本の眼目とならん 我れ日本の大船とならん

 そういや以前、facebookに愛国ブームに関して「宣伝車での演説なんてのはセンズリと一緒」というタイムラインの記事に反応し、「多くの同志を揶揄されてはまことに遺憾です」と、自分から申請して来たFBFを解除した人がいたのを思い出す。

 この方は、日本会議に所属し民族活動家を自任し、定期的に街頭宣伝活動をやっているらしいが、宣伝車に拠る演説が真の愛国(救国)活動だと本気で思っているのだとしたらホント可哀想だ。その後も街頭に立って頑張っているのだろうか(笑)

 戦後、右翼の聖地とも言われた新橋駅頭の西口ステージでの街頭演説が人気を博した。テレビなども無い時代にコレは面白いと、若者から大人まで集まって各各がマイクを持ってアジ演説を行ったという。街頭演説はその時代の名残でもある。

 時代は変わり、ラジオからテレビの時代となり、三種の神器であるテレビが普及し、市井の民による憂国の獅子吼など聞くことはなくなり、マスコミ御用達の評論家らがテレビに出ては世論を誘導し、視聴者もそれが正義と錯覚するに様になった。

 新橋での街宣はそれでも続けられ、愚生も国士舘大学時代~防共挺身隊の運動の責任者になってからも定期的に行った。だが、こうした街宣は年々先細りするばかりで、全くの効果は無いと言っても過言ではなく、また逆効果にも思えなくもない。

 今の時代なら、ネットで薀蓄を拡散してた方が未だマシだ。初代・福田進総隊長は、「街宣なんてのは運動じゃね~よ。運動ってのはパクられてナンボ。パクられない運動なんてしてんじゃねぇ」と団体の幹部に怒鳴りつけてたのを思い出す。

 防挺の福田総隊長が新橋駅という場所に拘ったのは新橋ステージ時代からの伝統というより、新橋は場所柄一部上場企業が近くに在り、総務の担当者が見に来ることも多かったというただそれだけのこと。街頭演説は別に右翼の専売特許ではない。

 福田総隊長曰く、「街頭演説は度胸を付けるのには好い経験で、株主総会での発言の予行練習の様なものだ」。流石は総会屋右翼。それを証明するかの様に右翼の事件が新聞を賑わす度に「総会屋右翼」としての価値が上がって行った(笑)

 街頭宣伝で時代は変わらないし、聴衆も感化されることはない。所詮、街頭演説なんてのは自己満足のセンズリでしかないということのどこが間違いか。

 昨今の活動家(右翼も含む)の演説は単なる営業保守の受け売りばかり。話しっぷりも扇動が乏しい。街頭演説如きで国民が変わるなら、数寄屋橋での街頭演説で有名だった愛国党総裁赤尾敏の頃に変わっていても可笑しくないではないか(笑)

 愛国者風情の街頭演説で世の中が変わるならば、何より、日蓮上人が辻説法した時代に民衆は覚醒していただろうが、日蓮でさえ世を変えられなかったのだ。

 愚生は別に日蓮宗の信者でもないし、創価学会の様に日蓮上人を利用するものでもないが、日蓮上人が偉いとうか立派だなと感じるのは、流罪になっても決して挫けることなくその信念を通し続けたことだ。こうした覚悟は尊敬に値する。

 日蓮上人が流罪の時に書き上げた五大部の一つ「開目抄」というのがある。文字通り開眼の書であり、書き上げたのは実に51歳の時であった。時、恰も蒙古襲来の直前。未曽有の国難を予言した日蓮は、辻説法による戦闘的な布教活動を展開する。

 この辻説法に因り幕府から流刑となるのだが、激しい使命感と捨て身の覚悟が偉大な宗教家たらしめたのは言うまでもない。キリストや開祖の坊さんも同じ。

「我れ、日本の柱とならん。我れ、日本の眼目とならん。我れ、日本の大船とならん等と誓いし願破るべからず」とは、日蓮上人の最も代表的な御聖句である。

 我が国が未曽有の国難に直面しているのであれば、活動家に求められるのは街頭宣伝より開目抄的決意と覚悟と信念を以て活動すること以外にはないと思う。

 だが、悲しい哉、自称・愛国者を見て見れば、専門家や活動家を気取ってはいるが、所詮はサラリーマンが仕事の合間に時間潰しで吠えてるだけのアマチュア。

 周辺から「やらないよりはやった方が好いではないか」という反論も聞こえて来るが、他人を感化する前に、身内や周りの友人をオルグした方が好い(笑)

 身内や友人をも感化することさえ出来もしないで、街宣如きで荒廃した日本人の人心を改め、世の中を変えようなどとは烏滸がましいとは思いませんか。呵呵。

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2022年11月25日

三島由紀夫が提起した戦後体制の虚妄とは一体何であったのか

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 三島由紀夫が市谷駐屯地で自裁する昭和45年11月25日の4ヶ月ほど前の7月7日、産経新聞夕刊に「私の中の二十五年」と題して、予言的な一文を寄せている。

 その中で三島は、「これからの日本には大して希望を持てない」とした上で、「このまま行ったら日本はなくなってしまうと嘆き」、「・・・その代りに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう・・・」と、悲観的な我が国の将来と日本人の姿を予言した。三島が提起した戦後体制の虚妄とは一体何であったのか。

 三島が携行した檄文には、「我々は戦後の経済的繁栄に現を抜かし、国の大本を忘れ国民精神を失ひ、本を正さずして末に走りその場凌ぎの偽善に陥り・・・政治は自己保身、権力欲、偽善のみに捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦汚辱は払拭されず誤魔化され、日本人自ら日本の歴史と伝統を潰してゆくのを歯噛みしながら見ていなければならなかった・・・」と行動に至る心象を綴っている。

 現在の我が国はどうだろう。無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、経済的大国となり、三島の予言がズバリ的中したカタチとなった。「文化防衛論」の「反革命宣言」で三島はこう訴えてもいる。

「もし革命勢力、ないし容共政権が成立した場合に、例えたった一人の容共的な閣僚が入っても、もしこれが警察権力に手を及ぼすことが出来れは、忽ち警察署長以下の中堅下級幹部の首の挿げ替えを徐々に始め、或いは若い警官の中に細胞を潜ませ、警察を内部から崩壊させるであろう」と冒頭で記し、更にはこう宣言する。

「我々はあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである。この連結の企画とは、所謂民主連合政権(容共政権)の成立及びその企画を含むことを言うまでもない。名目的たると実質的たるとを問わず、共産主義が行政権と連結するあらゆる態様に我々は反対するものである」

 今、周りを見渡せば「SDGs」「男女共同参画社会」「LBGTQ」「外国人地方参政権付与」「住民基本法案」「夫婦別姓法案」「戸籍制度廃止法案」「人権救済法案」「女性天皇論」「女性宮家」などなど、カタチを変えた共産主義が次々と企画され行政権に入り込み、行政に連結され、更に深く食い込もうとしている。

「男女共同参画社会」とは共同参画ではなく、「共参社会」というのが正しく、つまりはカタチを変えた「共産社会」への実現が着々と実行されているのだ。

 これらは全て共産党が推進し実行したのではない。総理府や中央官界に入り込んだ全共闘系と共産党系の過激な連中が共同謀議的に考案したものであり、それらを疑いも無く実行したのは自民党歴代政府である。これほどマヌケなことはない。

 こうした共産主義者の謀った愚策により国體や国柄が破壊され続けている。つまりは、三島が悲観した予言より更に酷い状況に陥っているが現在の日本である。

 これらに対峙するべき愛国陣営や右翼を見渡せば、営業保守と何ら変わり映えのない活動に終始し輝現状は、右翼人の立場にいる愚生も隔靴掻痒の感は否めない。

 国家百年の大計を未だに米国を頼ることこそ敗戦汚辱そのもの。日本人自ら日本の歴史と伝統を潰して行くのを、歯噛みしながら見ていてはならないのだ。

 旧来の思想や社会構造を打破するには常軌を逸した行動が求められる。その「正気の狂気」の行動こそが閉塞状況を打破する力に成り得るのである。三島由紀夫と森田必勝の行動こそが正気の狂気というものであり、究極の憂国の至情である。

 全国の愛国者は、あらゆる困難に耐え、忍び難きを忍び、決して挫けることなく、初一念を貫いて、皇国日本の再建に邁進しようではないか。すめらぎいやさか。

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2022年11月24日

「今日は勤労感謝の日なのに働いてます」ってどうなのよ(苦笑)

「勤労感謝の日」というと、何か働いていることに感謝する日の様に思ってしまう。案の定、昨日のテレビ中継では「勤労感謝の日なのに働いてます」というレポーターや、SNSでも同じ様に「勤労感謝の日に出勤です」との声が聞こえて来た。

 祝日法の趣旨は、「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」というもの。つまり、神の加護による、農作物を始めとした収穫の恵に、我々国民が互いに感謝し合う日なのだが、残念乍ら、その意味を取り違えている国民が殆ど。「勤労感謝」という名称がややこしくしているのは明らかで「新嘗祭」に戻すべきだ。

 右翼人か自称愛国者らしき人のタイムラインの記事が目に留まり覗いたら、上皇陛下を「上皇さま」と表記し、勤労感謝の日(新嘗祭)の宮中での神事が体力的に困難となったことで退位に繋がったという趣旨が書かれていたのには違和感を覚えた。

 上皇天皇が譲位前に御示し遊ばされた、「象徴としての行為を限りなく縮小して行くことには無理があろう」との考えは神事や祭祀のことではなく、現憲法下での国事行為のことに他ならない。天皇の祭事は現憲法下では単なる私的行事でしかない。

 天皇は憲法上の制約から、国事行為として「国会の開会式」「首相や最高裁長官の親任式」「大臣の認証式」「親授式」などの式典に年間約60回、国賓・公賓への接遇や会見、会食などの御公務を約170回行うなど御公務は激務である。

 こうした国事行為が陛下の御負担になっていたのは言わずもがな。高齢を理由にそうした憲法上の問題点を会見で述べたのだが、反天皇勢力は「生前退位」として報道し世論を誘導。そして当時の安倍政権下で退位法案が可決されるに至った。

 現憲法では天皇の「公的行為」は「私的行事」とされ、現憲法には明文化されていない。祭祀も然り。「陛下の負担軽減の一環」とは聞こえは好いが、天皇にとって最も大事なものは国事行為ではなく「祭事」であるのは言うまでもない。「祭事」を最優先し、国事行為や接遇、御公務こそ軽減すべきであったが後の祭り。

 平成26(2014)年、宮内庁は、陛下の負担軽減の一環として未明に執り行われる「暁の儀」の拝礼を取り止められると発表した。だが「暁の儀取り止め」がどう影響を齎すか訝しく思った国民は多いが、こうした巧妙な反天皇運動が退位に繋がった。

 天皇の御意向により天皇位を退位出来るのが可能なら、同時に皇位継承者の御意向により即位を辞退出来ることも可能になる。皇室典範に附帯してまで退位させ、天皇の大権である元号制定権を簒奪した安倍は皇統の歴史に悪しき前例を遺した。

 GHQに拠って強要された現憲法は、歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定している。この事実は未だ占領政策の「神道指令」の呪縛が解除されずにいる証左でもある。「新嘗祭」を「勤労感謝の日」と言い続けることに何の違和感を覚えないのは、正に米国の謀った戦後民主主義の影響に他ならない。

 天皇は憲法以前の存在であり、憲法の規定で語ることがあってはならないし、天皇陛下の地位は、御自身の意志や国家権力によって左右されるものではない。

 共産党ら左翼陣営の謀る「天皇制廃止運動」の戦略は、マスコミなどを使って国民世論を誘導し、「開かれた皇室論」や「敬称・敬語不使用運動」「女性天皇論」「女性宮家」など様々なカタチで実行されている。更には皇族を脅迫し、退位させ、即位を辞退させ天皇位を廃止させるということも策謀の一つである。

 最近の右翼や営業保守、自称愛国者は左翼陣営が謀る敬称略運動に加担してる輩が目立つ。国體に関わる問題を教える上司もいないし、単なる「愛国者のオレってカッコ好いだろう」的な軽いノリでやってるんだろう。右翼の劣化が甚だしい。

 勤労感謝の日の問題に戻るが、宮中祭祀で特に重要なものは元旦の「四方拝」と「新嘗祭」である。だが、そうした祭日の意味を知ることもなく、単なる「祝日」としてその意味を忘れてしまっていることをしても祝日法再改正は急務である。

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2022年11月23日

すめらぎの千代万代の御代なれや花の都に言の葉もなし

 祝日法での勤労感謝の日の趣旨は「神々の加護と人々の勤労によって可能になる万物の生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日」であり、労働に感謝する日ではない。勤労に拠って収穫された恵みに感謝する収穫祭であり「新嘗祭」こそが相応しい。

 戦後、「神道指令」を発令したGHQに因り、「新嘗祭」という呼称は廃止され、占領統治下だった昭和23年に「勤労感謝の日」と改められ現在に至っている。

「勤労感謝の日」というと、何か、労働していること、働ける喜びに感謝する日の様に思ってしまうが、本当の意味は「生み出される万物の生産を祝う」である。

 神の加護に依る農作物を始めとした万物の恵に感謝し合う「日本の収穫祭」なのだが、残念ながらその意味を取り違えている国民が殆どで、ハロウィンでバカ騒ぎしている姿は戦後の日本人の精神的堕落と幼稚さの象徴の様な光景でもある。

 戦後GHQが謀った誤った祝祭日の名称を糺し、本来の祝祭日の趣旨を啓蒙すべき神社庁は恥しげもなく「祝祭日には国旗を掲揚しよう!」などという広告宣伝を行ってるが、ハッピーマンデーをも容認する姿勢は神道を司る資格があるとも思えない。

「日本書紀」には、皇極天皇が皇極元年(642年)11月に執り行ったという記述がある。10月17日に斎行された「神嘗祭(かんなめさい)」は、天皇陛下がその年の新穀を皇祖の天照大御神を祀る伊勢の皇大神宮に奉り神恩に感謝される大祭である。

 11月23日はその新穀を陛下自ら召し上がられ、万物の恵みに感謝する日である。新嘗祭のこの日、宮中では天皇陛下が新穀を神々に供え、厳かに儀式を執り行う。

 五穀豊穣と国家・国民の平安を祈る最も重要な宮中祭祀とされ、「神嘉殿の儀」に臨まれる陛下は、続く「夕の儀」で、新穀などを神々に供えて拝礼し自らも食され、翌日未明の「暁の儀」にて終了。これこそが本来の天皇の御姿である。

 旧くは霜月下旬の卯の日に斎行されたが、明治6年以降は11月23日に執り行われることとなった。天皇にとって収穫を祝う新嘗祭は重要な宮中祭祀の一つである。

 宮中祭祀で特に重要なものは元旦に執り行われる「四方拝」と、本日の「新嘗祭」である。だが、現在は「祭日」ではなく、単なる「祝日」になってしまっているのは未だ我が国がGHQの神道指令という呪縛から解放されていない証左である。

 営業保守らは第9条の改正に躍起だが、共産党が天皇反対を叫んでいる以上、天皇の御地位も「国民の総意」ではなく違憲の存在となっている。つまり、憲法改正の突破口は第9条ではなく第1条から第8条までの天皇条項こそ見直すべきだろう。

 何故に皇統に関わる現憲法「第一章・天皇」条項の矛盾や不条理を指摘せずに、第9条のみに拘るのか理解出来ない。況してや現憲法は正統な皇統存続を維持する上でも実に不適格であり、無効宣言を発し、大日本帝国憲法の復元改正こそ採るべし。

 本日は全国各地で「山ノ神講」として、山々の神に感謝し今年の収穫を祝う行事が各地で行われるが、こうした行事もまた新嘗祭の風習や伝統を重んじ伝えて来た名残りでもあり、こうしたことをしても天皇と国民の繋がりを思い知る。

「山の神講」は女人禁制が原則である。こうしたことは別に女性差別でも何でもない。俗に、口喧しくなった愚妻を「山の神」とも言う様に、頭が上がらず、感謝しているという意味では神様も女房も同じで、実に有難い存在なのである(笑)

 本日は、祖国日本の豊穣の秋に感謝し、家族や仲間と一献やりつつ、我が国の在るべき姿を語り合おうではないか。新嘗祭に当り、麗しい祖国日本に生まれた喜びと、豊穣の秋に感謝すると共に、併せて皇室の安穏と陛下の弥栄を祈念する。

 すめらぎの 千代万代の御代なれや 花の都に言の葉もなし

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2022年11月21日

政治家がちゃんと政治をしていれば鍛冶屋はちゃんと鍛冶屋の仕事に専念していられる(三島由紀夫)

「胃痛の時に初めて胃の存在が意識されると同様に、政治なんてものは、立派に動いていれば、存在を意識される筈のものではなく、況して食卓の話題なんかになるべきものではない。政治家がちゃんと政治をしていれば、鍛冶屋はちゃんと鍛冶屋の仕事に専念していられるのである」と語ったのは三島由紀夫。実に分かり易い。

 最近は政治を語るのも億劫になった。ネットでサラリーマンや主婦らが政治に関心を寄せてる間は、政治がまともに機能していないということでもある(笑)

「私も間違ってるが世間はもっと間違っている」とか「大衆の多くは無知で愚かである」と訓えたのはアドルフ・ヒトラー。ネット民の多くが自分の意見こそ正しいと思っているが、その正しい意見の多くがマスコミや大衆が生み出した価値観だ。

 自分の意見と異にする者を説き伏せようとしたり、感化させようとしたりしているが、固定観念や先入観に囚われてる屁理屈ってのは実に厄介なものでもある。

 意見の隔絶してる相手を翻意させることなど到底無理なことなのだが、そうしたことにも気付かずに無意味な論争を繰り返している様子は気の毒にも思う。

 意見の食い違い以前に、嫌われてる相手に幾ら熱く語ったところで疲れるだけだ。「生理的に合わない」とか、「以心伝心」というが、自分が嫌いだなとか、苦手だなと思ってるいる相手というのは、向こうも同じ様に感じているものだ(笑)

「人に意見や指導をしてその人の欠点を直す」ということは大切なことであり、親切心であり、慈悲の心だとも言えなくもないが、意見される側がそれらを受け容れる気持ちが無ければ、意見や苦言というのは単なる「余計なお世話」でしかない。

 マスコミが垂れ流し続けている偏狭な正義感や幼稚な平和主義に煽られてる大衆が現在の有権者であり、そんな有権者の一票目当てに政治家が大衆に媚び諂う。こうして当選してきた政治家らに国益や国家観を期待する方が無理というものだろう。

「主権在民」などというと聞こえは好いが、1億2000万分の1の主権では無いのと同じ。主権在民とか民主主義なんてのは在る様に錯覚しているに過ぎない。

 国民で一番多いのが戦後民主主義にどっぷり漬かった後期高齢者だ。その無自覚左翼の高齢者の支持を得ないことには政治家にはなれないのだから、そうした高齢者に耳障りの好い政策を訴える。正義や常識なんぞ二の次で、国益なんて関係ない。

 正に我が国の政治が大衆迎合というポピュリズムに陥って何十年たったのだろう。衆愚政治が限界を迎えるまで国民はその根本的間違いに気が付くことも無い。

 ネットであ~だこ~だと騒いでるサラリーマンや主婦も、今置かれた立場を懸命に熟すことこそが政治を糺すことに繋がるのだ。それでも政治の混迷や混乱が続くなら「維新」という革命が起こるだろう。そう、歴史は正に繰り返されるのである。

「日本は滅びる!」「日本が危ない!」と徒に危機を煽り、日本が恰も滅亡するかの様に叫ぶ保守派や自称・愛国者らは「天壌無窮の神勅」を疑い、怪しい世論の流れに便乗して国民の不安を煽るが、そこに国防を論じる俯瞰された言葉はない。

 神国日本の不滅を確信せずに何が保守か、何が愛国者か。正統保守を自任するならば神州不滅を信じ、神武肇国の精神の高揚と国家国民の繁栄を目指すべきで、領土主権や中共からの外圧の脅威のみを訴えるのは単なる営業保守というのが正しい。

 我が国は、天照大神の「天壌無窮の神勅」に従って存在し、現在に至り、そして未来へ続いて行くのだ。「この神勅ある限り日本は永遠なり、日本の将来を悲観することは神勅を疑うという罪を犯すものである」とは吉田松陰の至言である。

 マスコミが騒ぎ立てる統一教会問題や政治とカネの騒動に騙されることなく、愛国者や維新者を自任するならばいつかの一旦緩急に備え、己を鍛え上げよ!

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2022年11月15日

世の人はわれを何とも言はヾいへ わがなすことは我のみぞしる(坂本龍馬)

 平成21年6月末日付けで、国士舘大学時代から所属していた行動右翼のパイオニアでもある防共挺身隊(以下防挺)から「除籍通知」を出されてから13年が過ぎた。

 爾来、無所属となり、正統右翼浪人を自任しているが未だ達観に達してはいない。今考えて見ても、何故「除籍通知」を出されたのか不思議でしょうがない。

 右翼活動家として批難される謂れもないし、活動家として恥じることは一つもないが、愚生が去った後に防挺の活躍の声が聞こえて来ないのは返す返すも残念だ。

 元防挺の隊員らが、元群馬支部の関係者が中心となり「耕雲の会」を結成し親睦を図っているという。右翼団体でも前衛的な防挺に所属した者としての自負を以て、停滞する右翼勢力の捲土重来を期して頂きたいものだがそれも無理というもの。

 現役の頃も感じていたが、右翼浪人となり痛感することは、右翼団体同士の柵が多く、自由豁達な意見や活動が出来なくなってしまっていると危惧する。

 愚生が防挺に入った昭和50年代は、未だ愚連隊的なところも残っていて、ヤクザからも一目置かれていた。だが、何時の頃からだろう、右翼がヤクザから見下される様になってしまった。今ではヤクザの傘下団体に甘んじてるとは情けない。

 商法改正や機関紙の購読料などの資金源が断たれたことが右翼低迷の大きな要因だろう。天下国家や時局の話しよりもシノギのことばかり。全盛期3000名以上の動員力を誇った防挺も「カネの切れ目が縁の切れ目」宜しく次々と離れていった。

 二代目総隊長は右翼を引退してから大阪の山口組直参の若中となったが、三代目総隊長に就いた對馬則政は右翼現役で名古屋の某親分の舎弟の盃を交わすことに。

 名古屋の組織はヤクザと右翼の二足の草鞋は履けないからと四代目に愚生を指名した。防挺の組織改編に当たり20名程いた隊員の半分は對馬と共にヤクザとしての道を選び、何人かはこの機に右翼を辞めてしまったが正しい選択だったと思う。

 ヤクザを選んだ連中も結果は全員トンズラ。右翼がヤクザをやれるほど甘い世界ではないことは分かっていたことだろう。当時、防挺に残った者は6名ほどだった。

 少数精鋭というのも痴がましいが、四代目総隊長としてやれる自信は有ったが、結果は「除籍」処分が下された。四代目総隊長に就いた愚生が、実態の無い執行部から通知が出されるのも可笑しな話しだが、詳細は未練がましいので割愛する。

 右翼の巨頭・頭山満翁はその昔、社内の暗闘の際「そんなケチ臭いことでは将来の志業に大害あり」と憂い、明治12年に設立したばかりの「向陽社」を解消し、「玄洋社」に改め組織を再編した。流石は大物、国士とは斯く在りたいものである。

 警察庁が把握している国内の右翼団体は平成半ばに約900団体に上ったという。 御多分に漏れず右翼の世界も玉石混交というか、今じゃ玉はおらず石ころばかり。

 数ある団体の中には街宣車に日の丸を立てて、軍歌を流すだけの団体も在ったり、街宣車を強請り、集りの道具として使用してる自称右翼も少なくない。現在はその街宣車すら持てない団体ばかりで、思想はネット右翼の足元にも及ばない。

 世間の嘲笑や侮蔑に耐えつつも、天皇の弥栄と皇室の弥栄を祈り、国の行く末を憂う純正右翼や本流右翼はとんと御目に掛かれなくなってしまった感は否めない。

 組織維持の為なのか、親睦を高める為なのか団体同士の義理事も多過ぎる様に感じる。何処の団体もそうだろうが、若手活動家の育成は喫緊の課題だが、それにも況して待望されるのは、右翼を洗脳・感化・蜂起させられる思想家の出現だろう。

 占領下だった昭和21年1月4日、GHQは所謂、超国家主義者団体(右翼団体)の解散令を出した。荒原牧水の「大右翼史」に拠れば、終戦時の右翼は350団体だった。このうち追放や解散命令を受けたのは210団体に及んだという。

 この中には福田素顕の「皇道日報社(現、防共新聞社)」も玄洋社同様一切の活動を禁じられた。因みに、福田素顕は防共挺身隊初代総隊長の福田進の父である。

 現在の右翼団体への圧力など、素顕翁が生きた激動弾圧時代に比べれば屁の様なものだ。今こそ、全国の心有る愛国者は戦前の右翼の生き方に学ぶべきだと思う。

 福田素顕翁は、「愛国者は国民の模範的人物にして、指導者たれ」との言葉を残してこの世を去った。だが、右翼民族派や自称愛国者を自任し保守を自称する者の中で、果たして何人が「国民の模範」と胸を張ることが出来ようか。

 野村秋介大人は「他を批判する者、先ず自らに峻烈でなくてはならない」と訓えた。 我が胸に手を当て自省してみれば、忸怩たる思いに駆られるが、国民の模範に成れないまでも塵の中でもキラリと光彩を放てる右翼浪人になりたいものだ。

 11月15日は、坂本龍馬が京都の醤油商・近江屋で暗殺された日でもあり、龍馬生誕の日でもあり、龍馬ファンにとっても思い出深い日である。龍馬が遺した「世の人はわれを何とも言はヾいへ わがなすことは我のみぞしる」の言葉を心に刻む。

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2022年11月11日

法務大臣は刑事訴訟法に則り死刑確定から六ヶ月以内の執行を推し進めよ!

 葉梨康弘法務大臣が宏池会の会合で「朝、死刑のはんこを押して、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職だ」との発言は、法務大臣という役職を揶揄したものだろうが、大臣の中でも法相は軽んじられてるのも確か。

 葉梨法相の言葉尻を曲解して批判してる連中というのは、死刑が「国際人権基準」がどうのだとか「非人道的」とか「生きる権利の侵害」だとか「死刑囚の資料を精査する十分な時間が有ったとは思えない」など、いつもの香しい批判ばかり。

 刑事訴訟法では、死刑確定から六ヵ月以内の執行を定めており、六ヶ月以内に検察庁が法務大臣に「死刑執行上申書」を提出し「法相の命令から五日以内に執行されなければならない」と定められているが、この規定通りに行われることはない。

 法務大臣は、地味な仕事というより、凶悪な犯罪者へ死刑を下す大慈悲が求められる。葉梨法相は刑事訴訟法に則り、粛々と上申書にそれこそ「毎朝、死刑のはんこを押して」すべきで、それもしてないで「地味な役職」とは勘違いも甚だしい。

 我が国の死刑制度というのは、明治時代の「仇討ち禁止令」や「決闘禁止」に代わるものとして成立したものでもある。明治六年二月、当時の司法卿であった江藤新平が「復讐禁止令(仇討ち禁止令。太政官布告第三十七号)」を発令した。

 幕末から維新期には藩の派閥や新政府への政論の対立による暗殺とその報復という面があったところから、この種の紛争を断ち切る為のが目的に創られた法律である。明治二十二年には「決闘罪ニ関スル法令」が発布、敵討ちや復讐は禁じられた。

 主君や親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすことは、日本人の美意識の顕れともいえる。江戸時代には武士階級の慣習として公認され「敵討ち」と認められれば罪に問われなかったばかりか、それは美化され大衆の支持を得た。

 現代でも「死刑制度」を容認する国民が八割以上もいるのは、「国家が遺被害族に代わって遺恨を晴らして欲しい」という気持ちの顕れであり、その心情を汲むのが法務大臣である。断じて地味な役職ではなく、死生観を常に持つべき役職である。

 死刑廃止論者は、「国際人権基準」がどうだとか、「非人道的」だとか、「生きる権利の侵害」や「資料を精査する十分な時間があったとは思えない」と、然も正論の如き主張を繰り返しているが、被害者側に立った意見は殆ど聞くことはない。

「死刑廃止は今や世界の大勢で日本もそうすべき」という意見は少なくない。日本の死刑制度ばかりが問題にされるが、逮捕され公正公平に判決が下されていることは、司法取引や冤罪が罷り通る死刑廃止を導入している国とは根本的に違う。

 死刑廃止の理由として挙げられる理由は、「冤罪の疑い」や、「法により国が人を殺す事は罪悪で人道に反する」とか「死刑には期待する程犯罪防止効果は無い」「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しているのだ」など様々だ。

「冤罪」というのは、袴田事件を見るまでもなく取り調べの中で確かに有り得なくはないが、それは警察捜査の傲慢さと科学捜査の正確さが乏しい時代のものが殆どだ。そういう冤罪などの疑いのある事件は再審対象にすれば好いだけの話しだろう。

「人道に反する」とは、「人を裁けるのは神のみだ」というキリスト教的欧州思考に冒されているもので、正義をそんなものに与する方が大きな間違いである。

 左翼人士や人権派弁護士などにも、こうした我田引水的主張をする人を見かけるが、日頃、反米を唱えながら、また共産主義者であり無神論者でありながら、都合の好い部分は米国でもキリスト教でも利用しようというのはホント逞しい(苦笑)

 残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国家により生命を保証されるというのも如何なものか。況してや死刑囚が再審請求を利用して執行停止を謀るなど姑息過ぎる。「生」に拘るより、「死」を以て償うべきだと思うのは愚生だけではあるまい。

 抑抑、前述した通り、我が国の死刑制度は被害者遺族に代わり国が仇討ちする意味合いがある。仇討ちを合法化するなら好いが、終身刑を導入したところで被害者の感情は薄れることは無いし、凶悪な犯罪が減るとも思えないし、血税の無駄だ。

「社会は肉体の安全を保障するが、魂の安全は保証しない」と言ったのは三島由紀夫。何より大事にしなければならないものは肉体より魂であり、精神性である。

 死生観の違いといえばそれまでだが、残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国法により生命を保証され、のうのうと生き長らえているというのも如何なものか。

「死刑」とは他人を殺め、己が犯した罪への相当の審判であり、何の責任を持たず無駄に生き長らえて来た人生にピリオドを打つ為の国家に拠る大慈悲である。

 法務大臣は、刑事訴訟法に基いて死刑確定から六ヶ月以内の執行を図るべきであり、死刑執行という現実を国民に突き付けることが、畢竟、犯罪抑止に繋がる。

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2022年11月03日

第二の「憲法記念日」である「文化の日」を本来の趣旨に戻そう!

 11月3日は「文化の日」。その趣旨は明治天皇の御生誕を祝うものではなく、祝日法には「自由と平和を愛し、文化をすすめる」との趣旨が明記されている。

 皇居では文化勲章が下賜され、順次、旭日大綬章などが授与される。全国では文化に功労が著しい方々が叙勲される。「文化の日」のその実は、昭和21(1946)年に日本国憲法が公布された日であり、第二の「憲法記念日」と言うのが正しい。

 我が国の道徳教育の根幹となった教育勅語を下賜され、教育・文化を重んじた明治天皇を偲び、我が国の文化を奨める日ならば理解もするが、「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」とは、正にGHQの謀った戦後占領政策の忠実な実行である。

「自由と平和を愛し、文化をすすめる」との趣旨をして分かる通り、明治節という日本人としての祝日を葬り去ってしまい、昭和21(1946)年11月3日に日本国憲法が公布されたという「第二の憲法記念日を有難く思え」との強要でもあるのだ。

 日本国憲法は、建前上は日本人自身による新憲法の制定となっているが、事実は大日本帝国憲法(欽定憲法)第七十三条の改正によって創られたものである。

 大日本帝国憲法第七十三条は、「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スル必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス」と明記されている。

 当時、我が国はGHQの占領下に在り、日本政府にしてみれば不本意ではあるが、米国の様々な条件を呑まざるを得なかったというのが真相である。現憲法が自らの改正に拠って成立しているが米国からの「押し付け憲法」に変わりはない。

 昭和21年11月3日、帝国議会に於いて昭和天皇は、「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。御名御璽」と下賜されたことは歴史的事実である。

 当時、悲しい哉、敗戦国である我が国は連合国の占領下に在り、当時の政府にしてみれば不本意ではあるが、米国の様々な条件を呑まざるを得なかったというのが真相であり、現憲法が米国からの「押し付け憲法」と言われる所以でもある。

 本来、11月3日は近代日本の礎を築いた明治天皇の「天長節」であり、戦前には国民挙って奉祝した日本人の記念日に敢えて日本国憲法を公布させたということに、「未来永劫、大事に奉りなさい」という米国の如何わしい意図が窺える。

 GHQの占領統治時代には、こうした不条理が度々実行されている。例えば、昭和21年に開廷された「東京裁判」に於いて、所謂「A級戦犯」28名が起訴されたのは、同年4月29日の「天長節」だった。そして、当時の皇太子殿下(上皇陛下)の誕生日である12月23日を選んで東条英機閣下以下7名の絞首刑が執行された。

 現憲法の発布を明治天皇の誕生日に、そして大東亜戦争の責任を取らされた英霊の死刑執行を現在の天皇誕生日に選んだという事実は、日本人に対し、先の大戦への戦争責任及び贖罪意識を植え付ける為のものであることは言うを俟たない。

 こうした戦後の歴史的経緯と事実を知るだけでも、米英を始めとした連合国が如何に非情で無慈悲な、日本人矯正を実行したかが理解出来ると言うものだろう。

 保守派や愛国団体の中には、本日を「明治節」として明治神宮を参拝し、明治天皇の御遺徳を啓蒙するという行動も見受けられる。「明治節復活」は異論はないが、果して明治神宮がそれに相応しい神社であるかといえばまたそれも疑問である。

 明治神宮は周知の通り、国民の総意により、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社である。然し、平成16年、明治神宮は創建の趣旨を無視し、突如として神社本庁から離脱し、営利至上主義逞しい一宗教法人に成り下がった。

 明治神宮側は、平成16年4月、陛下の御親拝なされる際の関係者への案内状に「陛下」を「殿下」と誤記してしまった責任を取って神社庁を離脱したとしている。

 だがどうだろう、その説明は詭弁であり見苦しい言い訳に過ぎず、神社庁での主導権争い確執の末の離脱というのが真相であり、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶという本分を忘れ、神社を私物化し、営利至上主義に奔っている証左である。

 国民の総意で建立した神社を宮司らが私物化し営利至上主義に奔っている現状は憂慮すべき事態である。 明治神宮側のこうした姿勢は表参道や周辺に蔓延し、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ神社には相応しくない事態になってるのも確か。

 表参道がその好い喩えだ。表参道とは名前の通り明治神宮の参道として整備された通りである。神社=神道とは日本人の心に清む惟神(かんながら)の道である。その表参道が例年、クリスマス商戦からイルミネーションで埋め尽くされる。

 日本の教えである神道であり、明治天皇及び憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ神社に続く参道がキリスト教に侵略されたかの様な光景は日本にはそぐわない光景である。

 こうした精神的堕落と営利主義が明治天皇の思召しを軽んじ、小池百合子東京都知事が謀る明治神宮外苑の再開発に繋がっていると言っても過言ではない。

 全愛国者は戦後占領政策の様々な欺瞞と不条理を検証し、真の主権国家の創造を急ぐと共に天皇国日本を盤石の安きに置く歴史的使命を果たそうではないか。

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2022年11月02日

二月二十二日に生まれ十一月の二日に死んだ山口二矢

 11月2日は、日本社会党委員長・浅沼稲次郎を刺殺した山口ニ矢の命日。享年17歳。昭和十八年二月二十二日東京生まれ。二男で、二月二十二日生まれと「二」の字が続いたことから、父は「二矢(おとや)」と命名したという。崇拝している人物は、アドルフ・ヒットラー、児島高徳、西郷隆盛、山鹿素行、吉田松陰。

 昭和34年、愛国心逞しい二矢は16歳で大日本愛国党に入党。翌35年5月、同党の吉村法俊、中堂利夫(後に防共挺身隊に身を寄せるも脱退。両名共に人気作家となる)と共に愛国党を脱党し、「全アジア反共青年連盟」を結成。同年10月12日、ニ矢は日比谷公会堂で演説中の社会党・浅沼稲次郎を刺殺し、現行犯逮捕された。

 二矢が携行していた檄文には、「汝、浅沼稲次郎は日本赤化を謀っている。自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接の煽動者としての責任からして、汝を許しておくことは出来ない。此処に於て我、汝に対し天誅を下す。 山口二矢」と認めていた。

 逮捕されたニ矢は供述調書にも素直に応じる。一部抜粋すれば、「小学校四年生の頃、共産党があちらこちらで騒ぎ、警察が馬鹿にされているのを知り、『共産党は怪しからん』と思うようになり、街で赤旗を見ると唾を吐きかけてやりたいような気持ちにかられた」と、既に10歳にしてこうした心境に達していたとは驚く。

 高校生になったニ矢は、「共産主義はマルクスの唯物論的弁証法を指導原理とし、資本主義は共産主義と同じ様に唯物論から出発した個人主義である。唯物論は物質中心の精神主義を軽視したものだ」と共産主義と資本主義の欠陥を指摘し、「日本は古来の伝統を生かして精神を基礎として物質面も豊かになる唯物論優先の二元論で行かなければならない。その為には共産主義、資本主義は共に倒さなければならない」との思想に至る。正に右翼人として「栴檀は双葉より芳し」を垣間見る。

 人生観は、「私には日本人の血が流れており唯物論ではとうてい割り切れない。持って生まれた日本精神という唯心論的なものがたぎっており、天性からこういう人生観、思想などが形成されたと思っています。尚、本当の日本人であれば、私の様な人生観、思想というものが心の奥底には必ず在ると思います」と述べている。

 最後に今の心境を聞かれ、「浅沼委員長を倒すことは日本の為と堅く信じ殺害したのですから、行為については、法に触れることではありますが、今何も悔いる処はありません。しかし、浅沼委員長は最早故人となった人ですから、生前の罪悪を追及する考えは毛頭なく唯故人の冥福を祈る気持ちであります。又浅沼委員長の家族に対しては、如何なる父、夫であっても情愛に変わりなく、殺害されたことによって悲しい想いで生活をし、迷惑を掛けたことは事実ですので、心から家族の方に申し訳ないと思っています」と吐露している。安倍晋三を襲った犯人とは比べ物にならない。

 供述調書を取り終えた11月2日未明、ニ矢は、東京少年鑑別所の個室で、支給された歯磨き粉で壁に「七生報国 天皇陛下万才」と記すと、従容として死に就いた。

 昭和35年といえば愚生が生まれた年で、亡くなった父からも山口烈士のことは幾度となく耳にしたことが在る。「右翼というのは命懸けでやらなきゃダメだぞ」。その言葉は未だに耳にこびり付いているが、今の愚生に乏しいのはその懸命さだ。

 我が国の政治を見れば相変わらず国民不在の政争に明け暮れ、自己保身、権力欲、偽善に狂奔している。衰廃しつつある日本を歯噛みながら傍観者として手を拱いている訳には行かないが、右翼人を自任しながら隔靴掻痒の感を拭えずにいる。

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時、常軌を逸した行動が生まれる。来島恒喜、山口二矢、三島由紀夫、野村秋介といった方々の行動こそが正気の狂気であり、この狂気こそが閉塞状況を打破する力に成り得ると信じて止まない。合掌。

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