2022年05月

2022年05月29日

若い頃にありがちな幼い正義感に拘泥して一生を棒に振る(笑)

 重信房子が医療刑務所から出所した。報道機関に配布した文書では「革命の『正義』のためならどんな戦術をとってもかまわない。こうした斗い方に無自覚だった」と振り返る一方で、「見ず知らずの人達に被害を与え、お詫びする」と述べた。プライドが許さないし、国に対しての感謝や国民への謝罪は無かった。

 マスコミは重信を同志と思っているのか好意的な報道が為されている様に感じる。左翼という生き方がそうさせるのだろうが、人間的な幼稚さを垣間見る。重信が左翼運動に傾倒して行ったのは時代背景もあるが、右翼思想を持つ父親への反感と同志となる遠藤美枝子の影響に加え教師の教えが大きかったのではあるまいか。

 日教組の倫理綱領第八項には、「教師は学校を職場として働く労働者である。教師は、労働が社会における一切の基礎であることを知るが故に、自己が労働者であることを誇りとする」「教師は労働者として自己の立場を自覚して、強く人類の歴史的進歩の理想に生き、一切の停滞と反動を敵とする」と明記されている。

 日教組の教師らは自らを労働者と呼び、労働者として現体制の否定と革命謀略の推進を謀った。日教組の優秀な生徒が重信であり、中核、核マル、連合赤軍、日本赤軍などの極左暴力集団であり、最高の教え子が永田洋子や坂口弘死刑囚である。

 安保闘争以降、日本や世界を変えようという若者が熱く生きていた時代だった。だが、その裏で若者を扇動した教師や文部省は猛省したのだろうか。政府は、反国家・反民族の不逞行為を看過しているのが現状であり、政治の混乱はここに在る。

 閑話休題。随分前になるが、行きつけの鮨家で日本の有名企業の会社社長の座右の銘が書かれたカレンダーを目にしたことがある。その中に地元郡山の老舗菓子店「柏屋」の先代・本名善兵衛社長からの言葉は、「一生を棒に振る」と書いてあった。

 柏屋というと日本三大饅頭と言われる「薄皮饅頭」が有名。訝しげにその理由を読んでみると、当人が大学時代、友人らが次々と就職が決まっていく中で、ある友人に「おまえは高が饅頭屋如きで人生を棒に振るのか」とバカにされたそうだ。

 友人の言葉に「確かにそうかも」と思ったそうだが、一流と言われる人達の多くは、目指したその道で人生を棒に振っているではないのかとの思いに至ったという。

 確かに、長嶋や王にしろ、イチローや松井、大谷翔平のしろ、高が野球だが、人生を棒に振るくらい真剣に打ち込めるものがあったことは幸せなことなんだと思う。人生を棒に振るというのは、悪い意味ではなく、成功への運命だったということだ。

 人間誰しも、若い頃にはなりたかったものはあるだろうし、大きな夢もあったろうに、いつの間にか些細な何かに熱中し、ついつい自分の理想とは違った人生を歩んでしまうということも。重信房子も描いてた夢とは程遠い人生だったに違いない。

 斯くいう愚生も描いてた人生とは違った。若い頃にありがちな幼い正義感から右翼こそが正義だと確信しその道に入った。世間から見れば、右翼なんぞドロップアウトにしか見えないだろうが、昭和50年代の右翼活動は毎日が刺激的だったのも確か。

 行動右翼のパイオニアと言われた防共挺身隊に入隊してみたものの理想と現実の違いに失望したのもまた事実。だが、短い人生、この右翼の世界というより、右翼人、一維新者としての生き様を全うしたいとの思いは未だ已むことはない。

 右翼の世界に踏み入れた故に、サラリーマンでは出会えない個性的な面々にも出会えたし、出会ったその多くが反面教師でもあった。現在の右翼人を見てみれば画一化されてしまって、削げ者がいなくなってしまい、面白みも無くなった。

 今、現役右翼や左翼運動に熱心な若者や活動家を目指す若者に言えることは、「高が右翼や左翼で人生を棒に振ること勿れ」という一言に尽きる。他にも成功する道はある。意地でやることも分からないでもないが、臨機応変に歩もう。呵呵大笑。

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2022年05月28日

日本赤軍の最高幹部だった重信房子が出所するという

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 1972年5月30日、アラブ赤軍の幹部だった奥平剛士(当時27歳)と、京都大学の学生だった安田安之(当時25歳)、鹿児島大学の学生だった岡本公三(当時25歳)の日本の若者3人がイスラエルの空港で銃を乱射し、多数の人を死傷させた。事件発生の日を「『日本赤軍』結成の日」とした。その日本赤軍の最高幹部が重信房子。

 日本赤軍は、1974年のオランダのフランス大使館が武装占拠されたハーグ事件に関与。逃亡を続けた重信は、偽造旅券を使って日本に不法入国し、平成12(2000)年、大阪府高槻市で逮捕。共謀共同正犯として懲役20年の判決が下された。

 左翼に優しい日本の司法らしい刑罰だが、重信は服役中に癌を患い、東日本成人矯正医療センターにて手厚い療養を受け服役していたが、満期出所を迎えた。

 国内にはこうした極左活動家を支援する組織が潜在しているのが窺える。極左勢力は今や政府中枢に入り込み、男女共同参画社会などに食い込んで、NGOやNPOへの寄付金や講演会などを催しては血税から詐取し活動費を捻出している。

 共産主義者同盟マルクス・レーニン派や民主統一同盟は保守団体と見間違う「がんばろう日本!国民協議会」となり、「緑の党」「市民の党」「劇団はぐるま座」「オリオンの会」「アクティオ・ネットワーク」等等、左翼勢力は巧妙化している。

 キッコーマンに勤務していたOLだった重信は、明治大学二部への入学金を支払いに行った日、大学内での授業料値上げ反対デモに遭遇。ノンポリの重信は気を留めることは無かったが、遠藤美枝子に声をかけらたことで人生が一変することに。

 二人は親友の間柄になり、共産主義者同盟(共産同・ブント)で活動を始めた。重信は森恒夫(あさま山荘事件首謀者)と対立し、パレスチナに出国。森らは革命左派と合流し「連合赤軍」を結成。後に、遠藤美枝子を「総括」と称して殺害した。

 逮捕された森はキリスト教に改宗したという。遺書で「自己の責任の重さに絶望し、自らに死刑を下す」と虐殺の罪を悔い改めてはいるが遺族への謝罪は全く無かった。左翼思想云々以前に、人間的な幼稚さと歪な正義感が露われている。

 重信は獄中で日本赤軍の「解散宣言」を出したが、ハイジャック事件の際超法規的措置で釈放された坂東國男と東アジア反日武装戦線で三菱重工業本社ビル爆破事件を惹起した大道寺あや子が、重信の「解散宣言無効宣言」を出している。

 アラブ諸国や海外からJAPAN RED ARMY(JRA)と恐れられた日本赤軍の象徴こそが「テルアビブ空港乱射事件」だろう。イスラエルのロッド国際空港(現・ベン・グリオン国際空港)で発生した日本赤軍によるテロ事件は世界を震撼させた。

 テルアビブ乱射事件は衝撃的な事件で、当時、未だ中学生だったが鮮明に記憶が残っていて「革命」というものを朧げに感じたのはこの時かもしれない。その後、日教組の担任や副担任らの影響もあり、真逆の右翼思想に共鳴して行った(笑) 

 国士舘大学時代に防共挺身隊(防挺)に所属する。防挺の初代総隊長は福田進。福田総隊長の父は福田素顕(本名・福田狂二。元社会主義者で弾圧を受け支那に亡命し、国共戦で敗れ、蒋介石と共に台湾へ。後に日本へ戻り、国家社会主義者へ転向。初代防共新聞社社主)である。福田進著「日本人と油虫」に次の様な一節が在る。

「俺はまだアラブを知らない。アラブでは夜空に輝く星が今にも落ちて来るのじゃないかと思うくらい綺麗なんだってな。連合赤軍の兵士てえ自称する、共産主義の三匹の油虫のアンチャンは、イスラエルの空港で好き勝手に暴れ回ってユダ公をぶっ殺した。生き残った一匹は『我々三人は死んだ後オリオンの三つの星になろうと考えていた』。その言葉は稚拙ではあるが、荒廃した日本にはないロマンを感じさせるんだなあ。アラブという国が、日本青年をして死を覚悟するまで革命に駆り立てる何かがあるとすれば、俺も夢多き一人として一度アラブへ行って見たい衝動に駆られる。きっとアラブの夜空に燦然と輝くオリオンの星が・・・」

 大学時代にこの本に出会い貪る様に読んだ。福田総隊長と同じくいつの日か自分もアラブに行って夜空を見上げてみたいと思ったのだが、実現出来そうにはない。

 その正義はどうあれ、日本や世界を変えようという若者が熱く生きていた時代だった。レッドアーミーと恐れられた極左も今や地に墜ち、反自民党や反原発を訴えることが革命だと勘違いしている。極左に愛国心や尊皇精神があれば世間の見方も変わっただろうに。世界の左翼で愛国者じゃないのは日本だけの珍現象である(苦笑)

 珍現象といえば我が国のナンチャッテ保守も同じだわな。正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の意味を直視し、その中に価値を見出す発見によって未来を創造して行くものであるが、我が国の保守派を見れば「未来」が全てであり、完全な自由主義者ばかりで、歴史や伝統を過去に学ぶことない。

「反中国」や「九条改正」は声高に叫ぶが、何故か共産主義者どもの謀る皇統断絶の危機には沈黙どころか与する始末。靖國神社参拝や憲法改正論は単なる保守票欲しさのパフォーマンス。憲法九条改正は究極の護憲運動という自覚すら無い。

 三島由紀夫は、「戦後に右翼が左翼に取られたもの」として「ナショナリズム」「反体制」「反資本主義」の三つを指摘した。今やそれらは左翼の手中に在る。

 国家主義や民族主義という「ナショナリズム」にしても、「反体制」という反骨主義や、「反資本主義」という国粋主義にしても戦前の右翼はそれらを自覚し保持していた。何故ならこの三つこそが右翼の矜持に他ならないからだ。

 現在の右翼はそうした思想に欠落し、「やれ尖閣が~」とか「やれ中国が~」と騒ぎ立てるばかりで、それを愛国的行動であると錯覚しているのだから罪がない。

 我が国の今が未曽有の危機ならば、臣民一人一人がが夫夫の立場でやれることを懸命に努力すべきであって、「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉シ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スへシ」とはこういうことだ。神国日本の不滅を信せずに何が保守か。何が愛国者か。

shigenobu
 それにしても若い頃の重信房子って可愛かったな。これなら愚生もオルグされるかもなぁ。だが今は、嫌みな厳しい怒りを含んだ顔になってしまった。年月とはこれほどまでに人相風体をも変えてしまうのか。老いとは実に無常である。呵呵。

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2022年05月27日

「海軍記念日」の5月27日という日は様々な想いが去来する

 本日5月27日は「海軍記念日」。明治38(1905)年の今日、ロシアとの「日本海海戦」が行われ、東郷元帥率いる連合艦隊が、当時世界最強といわれたバルチック艦隊を撃滅し奇跡的大勝利を収めた日を記念して創られた日である。

 日露戦争での我が国の勝利は、欧米列強に日本という国の地位を認めさせることとなり、明治維新の真の目的であった江戸幕府が諸外国と結んだ「治外法権」「関税自主権」という二つの不平等条約の克服を達成することになった。

「治外法権」は日清戦争後に克服したが、懸案であった「関税自主権」の回復を実現することで明治維新は成就し、真に独立を回復することが出来たのある。

 有色人種の我が国が日露戦争で勝ったことで、植民地にされていた民族の独立心を掻き立て、後の大東亜戦争後の植民地の解放に繋がったのは言うまでもない。

 日露戦争の世界史に於ける歴史的意義は、白人欧米列強に植民地にされていた世界中の被抑圧民族を感動させ、そして民族独立への夢を駆り立てたことだろう。

 日露戦争での我が国の奇跡的勝利は、世界の有色民族にとってもこの戦争での勝利は誠に大きな意義を持つものだった。そうした先人の努力と苦労の上に、現在のこの日本国が成り立っていることを現代を生きる我々は決して忘れてはならない。

 また、5月27日は亡き父の命日でもある。父は昭和3年生まれ。成績優秀ながら家庭は赤貧で進学など出来るものではなく、尋常高等小学校を卒業すると15歳で海軍に入隊、横須賀海軍工廠で大日本帝国海軍軍人としての人生が始まった。

 横須賀の後、茨城県土浦の予科練を経て終戦を迎えた。その後、想い出の地である神奈川県相模原の地(現大和市)で故郷の友人と共に土建業に従事し、資金を貯めて、故郷の小浜(現二本松市)に帰還し「相模屋衣料店」を起業した。

 屋号の「相模屋」という名前を見れば、横須賀や相模原への思い入れが深かったことが分かる。その後、政治に興味が湧き町会議員などに関わったのが悪いのか、それとも親父の放蕩のせいか多額の借金を背負うこととなった(笑)

 当時の金で、数千万という金額にもめげず、どこから聞き齧って来たのか、「これからはカ(カレー)・ソ(ソバ)・ラ(ラーメン)時代らしいよ」と、当時は珍しかったラーメンを提供しようと衣料店から「相模屋食堂」を開店することに。

 因みに、親父はラーメン修行はしていない。開店を決めると、二本松市の製麺所の社長にラーメンの作り方を聞いだけ。店を改装し道具を揃え、練習もそこそこに一週間後には店を始めたというからその度胸とセンスは驚くしかない(笑)

 今思えば破天荒なオヤジだった。今思えば、20代での起業のことや軍隊時代の思い出を詳しく聞かなかったのが返す返すも悔やまれる。海軍軍人で、何事にも厳しかった父が海軍記念日でもある5月27日に逝った。南無大師遍照金剛。

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2022年05月25日

明治神宮外苑再開発計画での樹木伐採は避けられないのだろうか

 明治神宮外苑の再開発で、周辺の樹木を伐採する計画があることが発表されたのは今年の2月頃だったか。外苑再開発は都民だけではなく国民への説明が求められる。だが、都議会で形だけの議論が交わされ、4月には事業計画が承認された。

 三井不動産や明治神宮などの事業者は、伐採した樹木の代わりに新しい木を植樹する計画だという。有識者は「樹齢100年を超える樹木も多く景観が失われる」として懸念を示している。事業者に何故か明治神宮が参画していることが解せない。

 新宿区と港区、及び渋谷区と広範囲に跨る神宮外苑は、教育や文化を重んじた明治天皇の思召しに沿って計画され、大正15年に完成された都市公園であり、エリア内には国立競技場や神宮球場、秩父宮ラグビー場やテニスコートなどが造られた。

 再開発計画では、神宮球場の建て替えを中心に秩父宮ラグビー場は移転して建て替えられる。商業施設などが入る2棟の複合ビルが新たに建設される予定だという。

 事業者が新宿区に提出した資料では、再開発エリア内の高さ3メートル以上の樹木1904本の内、国立競技場南側の一帯や「聖徳記念絵画館」前の広場を中心に892本を伐採する予定だという。代わりに新たに979本を植樹するという計画らしい。

 東京大学石川幹子名誉教授は「伐採される木の中には赤松やスダジイ(すだ椎 )、楠など大正時代に植えられた樹齢100年を超える樹木が多く、新しい樹木を植えたとしても代わりになるものではない。歴史と文化のある景観が一気に失われてしまう。確りと説明して議論するべきではないか」との懸念を示している。

 アメリカ人実業家であるロッシェル・カップ氏も開発に反対する。東京都が開いた審議会で担当者は「事業者からは日本らしい樹木を植えると説明があり、更に緑ある環境を作るものと認識している」と説明。再開発の計画そのものは承認したが、樹木の伐採については今後、都が事業者と協議を進めるとしている。

 時代の流れでこうした再開発は避けられないのだろうか。神宮外苑とはその名前の通り、明治神宮の外苑であり、明治神宮への影響を最大限に考慮する必要があるが、反対するべき明治神宮が率先して開発に携わるというのは如何なものか。

 神宮球場や秩父宮ラグビー場の老朽化での建て替えは当然だろうが、球場にホテルを併設したり、複合商業施設が民間企業の営利の為の建て替えなら賛同し兼ねる。

 明治神宮は国民の総意に由り、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び、大正9年に創建された神社である。明治神宮が、平成16年に、神社本庁から離脱し一宗教法人となったことは記憶に新しい。明治神宮側と神社庁との確執が原因だった。

 明治神宮側は離脱の理由として、平成16年4月の陛下の御親拝なされる際の関係者への案内状に、本来「陛下」とするところを「殿下」と誤記してしまった責任を取って離脱したと説明しているが、これは堅白同異の弁であったのは明らか。

 国民の総意で建立した神社を宮司どもが私物化し営利至上主義に奔っている現状は憂慮すべき事態である。 明治神宮側のこうした姿勢は表参道や周辺に蔓延し、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ神社には相応しくない事態になってるのも確か。

 表参道がその好い喩えだ。表参道とは名前の通り明治神宮の参道として整備された通りである。神社=神道とは日本人の心に清む惟神(かんながら)の道である。その表参道が例年、クリスマス商戦からイルミネーションで埋め尽くされる。

 日本の教えである神道であり、明治天皇及び憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ神社に続く参道がキリスト教に侵略されたかの様な光景は日本にはそぐわない光景である。

 過去に、大日本愛国党の筆保泰禎書記長を始め、右翼団体からの抗議で表参道のイルミネーションが撤去されたことがあるが、その自粛も一時的なものだった。

 明治神宮が一宗教法人となること自体赦されることではないし、戦神道指令やGHQの占領政策を容認することに他ならない。更に、先人の努力や国民の総意を踏み躙るもので神宮建立の趣旨から鑑みても逸脱する愚行であると断じて好かろう。

 それにも況して問題なのは神職に携わる者が営利に奔っている事である。神職らのこうした賤しい営利主義が周辺に及ぼしているのを憂慮せざるを得ない。明治神宮外苑の再開発は、明治天皇の思し召しに沿う教育・文化を重んじる区域とするべし。

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2022年05月15日

沖縄本土復帰50年の記念日に思うこと

 5月15日は「沖縄本土復帰記念日」。昭和47年に沖縄が本土復帰する前、当時の首相だった佐藤栄作が発した「沖縄が帰らずして日本の戦後はない」との言葉は、当時未だ小学生だった愚生にも大きく響き、その記憶は今も消えることはない。

 戦後、米国に統治されたのは沖縄だけではない。伊豆諸島は昭和21年3月22日に支配下に置かれた一つ。統治された吐噶喇(トカラ)諸島は昭和27年2月10日、翌28年12月25日には奄美諸島、38年6月26日には小笠原諸島が本土復帰した。

 言い方は悪いが、これが米国による統治だったから好い様なもので、旧ソ連(ロシア)に侵略され不法に強奪された南樺太や全千島列島は未だに返ることはなく、旧島民の方々が故郷へ帰ることすら儘ならないことを思えば恵まれている。

 沖縄では「米軍基地反対」さえ叫んでいれば平和が訪れると思っている県民も少なくないが、「反基地運動」にしても米国だから許されているとは思わないか。

 沖縄ではマスコミの偏向報道の影響から、未だに「日本は沖縄を見捨てた」「日本は沖縄を捨石にした」「日本軍は沖縄の敵であった」などとの声を耳にする。

 先の大戦では決して沖縄を見捨ててはいないし捨石にしてはいない。沖縄と祖国日本を救う為に散華された英霊が存在していることを忘れてはならない。

 先の大戦での「沖縄戦」に於いて、劣勢を覆す為の特攻攻撃が行われた。特攻戦死者の実に76%が沖縄戦で亡くなっている。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1036名が散華している。

 特攻作戦は航空の他に、特殊潜航艇、回天魚雷、空挺特攻、対戦車特攻、震洋特攻艇、陸軍海上特攻など、様々な工夫に拠り劣勢を覆す為の特攻攻撃が行われた。

 沖縄集団自決の軍命令が問題となっている座間味を始め渡嘉敷両島に於ける梅沢、赤松部隊は元々島の防衛隊ではなく海上特攻の部隊だった。米軍がこうした事情を察知して特攻艇を先制撃破した為に止むを得ず上陸軍と戦闘を行ったのだ。

 戦艦「大和」が沖縄戦の為に出撃したことも特攻攻撃の一つであり、「大和」が沖縄に到達した暁には、海岸に乗り上げて全力を挙げて砲撃戦を行う予定だった。

「大和」には歯磨き粉と歯ブラシ50万人分などの民生品を大量に積み込んでいたことを鑑みても、沖縄と沖縄の人々を必死で護ろうとした何よりの証明と云えよう。

 沖縄本土復帰を記念して喜ぶのは好い。だが、反米・反基地ばかりが問題視され、散華された英霊に対する感謝の声が全く聞こえて来ないのは悲しいことだ。

 沖縄では「米軍基地反対」さえ叫んでいれば平和が訪れると思っている県民も少なくない。だが、現実問題として米軍撤退はイコール中共に因る併呑を意味する。

 米軍を否定するならば自衛隊の自主防衛や防衛力の充実を訴えるべきだと思うが、沖縄左翼は、摩訶不思議なことに自主防衛は語らない。これこそが何を況や。

 沖縄全体がきちんと突き詰めた防衛議論が為されない儘に、安っぽい平和主義と過剰な被害者意識から、日本政府と米軍にその怒りの矛先が向けられている。

 政治家も口々に「平和を守る」というスローガンを掲げて有権者に訴える。だが、軽々しく「平和」を口にはするが、どうやって我が国の平和を創造するかという具体策は言わない。所詮は党勢拡大の為だけの口先だけの「平和」でしかない。

「戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス(無防備の害)である」と訓えたのは三島由紀夫だが、平和の意味も分からず軽々しく「平和」を訴えている政治家こそが政治や外交を危ぶみ、戦争を誘発する最大要因となる。

 米国製の日本国憲法を有難がり、第九条を掲げ、自衛隊が無くなれば当たり前に平和が存在するのだと疑って止まないが、そういうのを思考停止という(笑)

 平和を守るには自衛隊の存在が不可欠で、自衛隊を更に有効に且つ自衛隊員の安全確保に安全関連法案は必要であり、自国の防衛を否定する現憲法には問題があると言った途端に反発を食らう。我が国は正に思考停止状態で平和ボケは目に余る。

「オストリッチ・ファッション」という言葉がある。オストリッチとはダチョウのことだが、ダチョウというのは面白いもので自分に危機が迫ると穴に首を突っ込み、危機を見ないようにして危機から逃れたつもりになるという。

 欧米諸国は日本のことを「オストリッチ・ファッション」と嘲うという。「軍事」「戦争」「憲法改正」「核武装」と言った途端に、危機を遠ざけるかの如くに思考停止に陥る日本人を揶揄した言葉だが、恥ずかしいが正しくその通りだろう。

「平和」の反対が「戦争」ではない。平和の反対は「混乱」である。戦争は政治や外交の延長線上にあるもので、国際法上認められた正当な行為である。

「平和」は当たり前に存在してるものではない。戦後の我が国の平和というのは単なる偶然と米軍の御蔭でもある。「当たり前」の反対は「有り難い」であり、その稀にある「平和」という偶然に「有り難い」と感謝することは当たり前のこと。

 悲しい哉、日頃軽々しく「平和」を口にしてる連中というのは、この存在した平和を有り難いことであるという自覚が無く、「当たり前」に存在することなのだと勘違いしている故に、平和に貢献してる米軍や自衛隊に感謝することもない。

 我が国の平和というものは、単に日米安保条約や米国の核の傘の下でのまやかしの平和であり、そんな薄っぺらな平和に現を抜かしているのが現状なのだ。

 我が国の平和が、米国の庇護の下での存在であることに気付きながら、その米国に感謝するどころか批判し、米軍をも否定する。であるならば、眼前の危機に対し自らが立ち上がり平和を創造すべきなのだが、何故かそれをも否定する不思議。

 沖縄本土復帰50年に当たり、我が国もそろそろ「オストリッチ・ファッション」から覚醒し、米国依存の体制からの脱却を図り、自主防衛の確立を急ぐべし。

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2022年05月13日

いつも乍ら「ご冥福」という言葉の氾濫には違和感を覚えるなぁ

 ダチョウ俱楽部の上島竜平の自殺は、同年代の愚生にとっては他人事ではない。人夫夫、悩みは尽きない。それが御釈迦様の教える「生老病死(しょうろうびょうし)」の「四苦」であり、人として生まれたら逃れられない苦しみである。

 悩みというのはこの「四苦」に尽きるが、四苦に「愛別離苦(あいべつりく)」「怨憎会苦(おんぞうえく)」「求不得苦(ぐふとくく)」「五陰盛苦(ごおんじょうく)」の四つを併せたものが「八苦」であり、四苦八苦は永遠の悩みとなる。

 上島竜平や先日の渡辺裕之の自殺報道の際もそうだが、ネットなどではいつもの「ご冥福」が氾濫する。純粋なお悔やみを否定する訳ではないが、「冥福」というのは「死後の幸福をお祈りします」意味であり、現世が地獄という訳ではない。

 例えば、浄土真宗では「死というのは穢れではない」と教えているから、「死後の幸せ」を意味する「冥福」は忌み嫌われる言葉でもある。キリスト教も同じ。

 浄土真宗は、「故人を阿弥陀如来の智慧の光明によって極楽浄土へと導く」という真理であり、死後の幸せより、阿弥陀如来への信心を重視している宗派である。「ご冥福」というとそれらしく聞こえるからつい使いたがるが間違っている。

 浄土真宗やキリスト教など宗派に拠っては故人への冒涜となることもあるから易易と使ってはいけません。故人の宗派が分からない場合は、「お悔やみ申し上げます」「ご愁傷様です」「哀悼の意を表します」などと言い換えた方が好い。

 政治家の選挙活動の一環である弔電も、故人の宗派に関係なく「ご冥福」のオンパレード。恐らくは宗教の訓えなんぞ知らないバカな秘書がやってるのだろうが、こういう一票欲しさの選挙運動である弔電披露なら送らないない方が好い。

 人間というのは、誰しも健康であれば明日があると思って生きている。自分だけは「直ぐには死ぬことはない」と思って生きている人が殆どだろう。「死」というものは貧乏だろうが金持ちだろうが、誰にでも平等に与えられた道でもある。

 人間というのは死に向かっているのに必死に生きる。「死と生」というこの二つは矛盾してる。生き続けるというのは、死に近付いているということでもある。

 日本人の多くは仏教徒だろうが、その宗派も分からない人が多い。死んだ時だけ坊主のお経を有り難がり、死後に戒名を頂く意味すらも分かっていない(苦笑)

 抑々、自分の家や先祖の宗派を知ってる人は少ない。宗派や仏教の教えを理解していないから「ご冥福を」などという言葉が簡単に口から出てしまうのだ。

 そういう人に限って、墓参りにしても宗派関係なく「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」で済ませていないか。まぁ、墓参りしてるだけ好い方か(笑)

 愚生の実家は真言宗だから「南無大師遍照金剛」と唱える。愚妻の実家は曹洞宗だから「南無釈迦牟尼仏」。然し乍ら、身内でもきちんと唱えている人は少ない。

 大半の人は、墓参りや先祖供養は仏教の習慣であり、お釈迦様の教えであると信じているが、先祖供養や墓参りは天皇の詔(みことのり)として始められた行事だった。春と秋に行われる皇霊祭が、国民が祖先を供養する行事として定着した。

 仏教とは、釈迦牟尼の悟りから出発した釈迦牟尼の教えであり、その仏教は「輪廻思想」を大前提としている。釈迦牟尼は「生・老・病・死」という“四苦は人間の宿命であり、この世に生まれて生きること自体を苦しみとしました。

 釈迦牟尼は現世を苦しみの世界と捉えた。仏教の目的は、悟りを得て輪廻から抜け出す。輪廻とは、衆生が三界六道の中で死と再生を繰り返し続けることである。この輪廻から抜け出たとき、本当の幸せが訪れると考えている。

 仏教での修行は、輪廻から抜け出すことを目的としたものである。俗に彼岸の中日には先祖に感謝し、前後の6日間は悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目である「六波羅蜜(ろくはらみ)」を1日に1つずつ修める日とされている。

 六波羅蜜の修行とは、施しという徳の「布施波羅蜜」、戒律を守る徳の「持戒波羅蜜」、忍耐という徳の「忍辱波羅蜜」、努力という徳の「精進波羅蜜」、精神統一という徳の「禅定波羅蜜」、智慧という徳の「般若波羅蜜」をいう。

 六つの徳目の中で「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」という教えは言葉では理解出来るが、これらを修め身にするのは容易なことではない。

 死んでも「戒名さえ貰えば極楽浄土に往ける」と思ってる仏教徒ばっかだが、戒名を頂くということは「お釈迦様の弟子になる」ということであり、要は、仏教徒というのは生きている間も修行、死後もその修行は延々と続くのである。

 訃報に接すると軽々しく「ご冥福を」などと書き込んで悲しんでるそこの貴方、これを機に親や先祖の宗派や「死」について考えてみては如何でしょう。呵呵。

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2022年05月11日

「ノモンハン事件」は共産主義者に因って改竄され悪宣伝に使われた

 昭和14年(1939年)5月11日、蒙古との国境ハルハ河を越えて蒙古兵が、満州国側のノモンハン地区に侵入する。所謂「ノモンハン事件」である。日本軍はこれを撃退したが、蒙古軍は駐留ソ連軍と共に再三に亘り侵入を繰り返した。

「ソ連軍は、大量の戦車を含む大兵力を動員してハルハ河を越えて侵入し、ここで大激戦が展開されることとなった。8月20日には、ソ連軍は10万近い軍を動員し、2万人弱の日本軍に対し総攻撃を仕掛け、日本軍は大打撃を被った」

 この認識が日本人の信じるノモンハン事件概要である。歴史探偵を自任する半藤一利や司馬遼太郎もそうだし、五味川純平なんぞはその最たるもの。何しろソ連の公式発表した日本軍の損害は52000人、ソ連軍9284人との数字を真に受けている。

 昭和12年に始まった「日支事変(支那事変)」から2年も経ってから、何故に満州と蒙古の国境で突如この様なソ連軍との激戦が発生したのだろうか。

 実は、この事件が起きる1年程前にソ連は、ソ満国境の張鼓峰で侵入事件を起こしているのだが、この時には日本軍はソ連側に5500人の大打撃を与えて撃退した。だが、この時、日本軍がソ連領に侵入して来ないことをスターリンは見逃さなかった。

 ソ連が、ナチスドイツに勝利出来たのは、このスターリンの判断に拠るところが大きい。歴史に「もし」は無いが、あの時、日本軍がソ連に更なる猛攻を仕掛けていれば、ドイツと共にソ連共産党を打ちのめしていただろう。

 希代の悪党で戦略家のスターリンは、ヒトラーのソ連攻撃を予測し、東側からの脅威を除く為に、日本と中華民国とを戦争に引き込むことに残力を挙げそれに成功した。第二次世界大戦が共産主義に因る策謀だった証左の一つであろう。

 盧溝橋事件や上海事件では策謀に成功したが、予想外に日本軍が強い。そこで日本側がどう出るかを偵察したのが「鼓張峰事件」と「ノモンハン事件」だった。

 ノモンハン事件で日本との「停戦合意」が成立した翌日の9月17日、スターリンがポーランド侵攻を命じると、ソ連軍はポーランドに侵入を謀り撹乱する。また「ノモンハン事件」は、共産主義者どもに因って改竄され悪宣伝に使われた。

「貧弱な装備で旧式戦法の日本軍が、ソ連の進んだ機会化部隊に完膚無きまで叩きのめされた」と日本軍を貶し、自国の軍隊の勇ましさを喧伝するプロパガンダだが、悲しい哉、日本人の多くは未だそうした捏造された歴史を鵜呑みにしている。

 ソ連が崩壊し情報公開されて判ったことは、ソ連の損害は26000人、日本軍18000人と、実はソ連の損害は日本側を大きく上回っており、然も日本軍は、ソ連の戦車・装甲車800両と航空機1673機を撃退しているという歴史的事実である。

 10万近い大兵力を動員した側は損害は少ないと教わったが、結果はその逆だった。ということは、如何に日本軍が強かったかということの証しでもある。

 抑々、歴史と言うものは為政者に都合の好い様に作られるもの。そうした捏造された歴史を我々日本人は信じ切ってしまっているのだ。歴史は国の大事である。明治開国以来の様々な歴史を再検証し、それを祖国日本再建の一歩とせよ。

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2022年05月06日

「体罰」は善悪を躾けることが目的であるから「暴力」とは言わない

 熊本県八代市の私立秀学館高校サッカー部のコーチが部員の生徒を足蹴りした動画がネットに投稿されたことで大問題になっている。ネットの恐ろしいところは、そこに至る原因などは無視されて画像の一部だけが独り歩きしてしまうことだ。

 詳しいことはネットにも出てるが、コーチが生徒にヤキを入れた理由も理解出来る。コーチがそうした行動に出ることを予想して動画を撮影していたのが分かる。

 過去にも、福岡県田川郡内の中学校で女子生徒を虐めていた男子生徒3人を講師が口頭で注意するも、男子生徒が不貞腐れていたのだろう、格闘技経験のある講師は正義感からこれを赦せず、懲らしめる意味から男子生徒を絞め技で気絶させた。

 講師は生徒を蘇生術を施すも、内1人が過呼吸の症状を見せた為に市内の病院に搬送したことからこの一件が露呈してしまった。学校側は「行き過ぎた指導と言わざるを得ない。再発防止に取り組む」として講師を自宅謹慎させた。秀岳館の件も、事が大きくなったことでコーチが処分されるのは間違いないだろう。

 愚生の地元郡山市に在る日大東北高校相撲部の顧問が、部員に暴力を揮ってたとのニュースが全国を駆け巡ったのは記憶に新しい。この顧問の男性教諭は、相撲の名門でもある日大相撲部の主将を務め、全日本選手権では準優勝した経歴を持つ。

 報道は部員への鍛錬の事実を捻じ曲げられて報道され、ゴムのハンマーがいつの間にか単なる鉄のハンマーで殴られたとか、デッキブラシが鋸だったりと作為的なものばかり。鉄のハンマーで相撲の実力者に殴られれば命は無いだろう(笑)

 こうした問題が起こるとヤキを貰った生徒の親や、暴力は怪しからんとするマスコミから見れば、暴力行為を明らかにさせたことはしてやったりなのだろうが、果たしてそれほど騒がれる問題だとは思わないし、そこに正義があるとも思えない。

 生徒指導や物事を教えるというのは実に難しく、言って聞かせて理解出来れば問題ないが、言っても分からない子供に幾ら言って聞かせてもは効果はない。

 そういう生徒には、体罰やシゴキによって本能を鍛え上げることは教育の大事な要素の一つでもあると考える。 だが、そうした裏側には教える立場の者は日々生徒達に愛情を注ぎ、尊敬される様な言動や立ち居振る舞いをすることが求められる。

 日頃からそうしたことを重んじて教育に当たれば、生徒も先生に「敬」を抱くし、「愛のムチ」という体罰にしても、生徒の感じ方や捉え方も変わるものだ。

「体罰=暴力」とされ「体罰=悪(罪)」という考え方が主流となった。抑々、「体罰」と「暴力」とは異質のもので、「体罰」は子供に善悪を躾けることが目的であって「暴力」とは言わない。「暴力」とは私的感情で利害が在る行為をいうのだ。

 戦後、日本では子供を褒めなければダメ、叱ったり、殴ったりすることはケシカラン、体罰はダメという考えが支配的になった。非行を繰り返す不良生徒を批判せず、不良生徒に体罰をした教師だけが吊し上げられ、教育現場から排除されてきた。

「褒める教育」を推進する日教組主導の教育界や教育委員会は「体罰は暴力」と決め付ける。だが、「体罰」というのは「愛」であり、子供の理性や本能を正しく鍛え揚げるということを親や教師、そして無能な教育委員会は知るべきだ。

 教育荒廃と言わて久しい教育現場では、教師も親も社会全体が子供らをどう導けば善いのか解らなくなっているのが実情で、子供らも厳しく躾けられていないから善悪の判断が乏しく、チョットしたことで挫折するし、逆境に弱い子供が多い。

「体罰とは愛である」という意味も知らずに、軟弱に育てられた子供達こそ現代社会の犠牲者であるが、そう思えば格闘技の技で気絶させ、弱い者苛めは如何に卑怯であるか、善悪を教える為に体罰を行ったコーチや講師は立派な教育者だと思う。

 人を育てるというのは、日本刀が出来上がる過程と似ている。日本刀は先ず卸し鉄を「積み重ね」「鍛錬」し、更に「下鍛え」し、何回も何回も鍛え上げ、「芯鉄」を鍛え造り込む。叩いて叩いて鍛えることで強靭で立派な刀が出来上がるのだ。

 国士舘創設者・柴田徳次郎先生は「刀というのはトンテンカン、トンテンカンと叩いて叩いて鍛え上げなければ五郎入道政宗とか村正といった立派な刀は出来ません。国士舘の生徒も先生だけの指導だけではダメで、学校も親も一緒になってお子さん方を鍛え上げて行かなければ立派な日本人に育てることは出来ません」と訓示した。

 日本刀を作る上で最も大事なのが「焼き入れ」で、焼き入れを行うことで刀に命を吹き込むのだが、焼き入れ一つで刀の出来も価値も変わってしまう。刀鍛冶と同じく、教育に携わる者はヤキというのは重要な工程だということを知るべし。

 鍛え込んだ刀に焼きを入れて更に磨き上げて刀が出来上がる。教育も同じで、ヤキの後に磨き上げることも無く放り出すから単に暴力だと断じられてしまうのだ。ヤキを入れられた後の磨きに拠って生徒はホンモノに成れる可能性を秘めている。

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2022年05月05日

「子供(こども)の日」に対する男女共同参画社会やジェンダー平等の悪影響

 5月5日は「こどもの日」。古くは、この日は菖蒲や蓬(よもぎ)を軒に挿して邪気を払う習わしがあったが、江戸時代以降には、男子の節句とされ、武家で甲冑や幟を飾ったのに倣い、町人の中でも武者人形や鯉幟を立てる様になった。

 昔は「端午の節句」として男子の健やかな成長を願う行事が行われていたが、いつものオバハンらが女の子への差別だと反発して今日に至る。5月5日は別名「あやめの節句」「菖蒲の節句」「重五(ちょうご)」「端陽(たんよう)」とも言う。

「こどもの日」とは、「未来を担う子供の人格を重んじ、幸福を図ると共に、子供は自分を生み育ててくれた親に感謝する日」という趣旨となっている。子供がいない人でも、自分がこの世に生まれ育ててくれた親に感謝する日でもあるのだ。

 子供の日が制定時は「親」ではなく、「産んでくれた母に感謝」ということだったが、これも前出のジェンダーフリーや男女共同参画社会の影響から、父親へ配慮し「親」となった。最近は「子供」表記ではなく「子ども」表記が氾濫している。

 文科省は平成25年6月、国会での議論を経て、左翼やマスコミが使用する「子ども」表記を「子供」に統一する通達を出している。だが、今でも改められることなく、与党の自民党議員までも未だに「子ども」を使用しているマヌケさ(苦笑)

 日本共産党やマスコミらは、「子供」や「こども」ではなく敢えて「子ども」表記を使うのは、「子供」の「供」という字が、「お供え物」「お供する」などを連想させ、「差別的な印象を与える」というのがその最たる理由である。

「お供する」というが、その場合、漢字だと「お伴する」が正解。ならば、態態「子ども」表記じゃはなく、平仮名の「こども」で好いではないかと思うが、何故か文科省通達を無視して漢字と平仮名の「子ども」表記に固執している。

 悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、古い映画などでは「野郎ども」「若造ども」などと言ったりする。「ども」というのは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆ど。

 この場合の「ども」は、漢字だと「共」となるが、子供の「供」を「子ども」と表記することは、逆に言葉遊びで子供を弄んでいると捉えられても致し方ない。

 こうしたマヌケなギャグの様な言葉遊びを真顔で実行し、それを疑いもせずに真似て使用し続けてる自民党議員や自称保守派どもというのもまた嗤うしかない。

「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼陣営に因る共同謀議的大愚策でもあるのなのだが、こうした策謀を改めることなく、保守を標榜する自民党政権下で実行された揚げ句に担当大臣が存在しているのだから呆れ甚し。

 こうしたジェンダーフリーを曲解し理屈を並べ立てて騒いだのは、全共闘世代や共産党といったいつものキチガイ左翼やジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者どもだが、そうしたクソどもらは今や総理府や政府中枢に入り込んで行政を蝕んでいる。

 男女共同参画社会では「子供」と同じ様に「婦人」という言葉も、こうしたキチガイ破壊活動家どもの企てによって公文書から消されてしまった漢字である。

 これは、漢字研究者の諸橋轍次が、後漢の時代の「説文解字」を紐解いて「婦人とは箒(ほうき)を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに、前出のキチガイどもが飛び付いて「女性差別」だと叫んで「婦人」を抹殺したというのが事の始まり。

 その結果、「婦人警官」が「女性警察官」となり、「看護婦」が「看護師」、「女優」が男女に関係なく「俳優」と呼ばれる様になったのもこうした影響からだ。

 その後、諸橋の説は全くのウソだとバレた。甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、彼奴らはその間違いを認めることなく使い続けている。

 因みに「看護師」の「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」の旁(つくり)は、軍隊で肉(食料)を分けることが原義である。

 普段、声高に「反戦」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもがその漢字の意味も分からず、「看護婦」を「看護師」などと呼び換えて悦に入り、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用していることはマヌケで滑稽と言う他はない。

「子ども」表記を続けているのは間違いなく共産党か左翼、マスコミに煽動されてることに気付いていない無自覚左翼か単なるアホと見て間違いないだろう。呵呵。

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2022年05月03日

現憲法の部分改正は究極の護憲運動である

 本日5月3日は憲法記念日。何故に米国製のクソ現憲法を記念しなければならないのか。共同通信社に拠る世論調査では憲法九条改正の賛否は拮抗しているという。現憲法の矛盾や不条理は別に九条だけではない。第一条の天皇の存在こそ大問題。

 第一条には「天皇は象徴であるが国民の総意が必要」と述べている。つまり、天皇を否定する共産党や左翼がいる限り「国民の総意」は得られず、天皇は違憲の存在となる。何故に、こうした天皇論を無視するが如くの九条改正論が優先されるのか。

 環境問題や情報公開、プライバシー保護、国家の安全等々憲法を施行した時代からは想像もしなかったほど社会は変化しており、現憲法の見直しは必然であろうが、矛盾だらけで国家の防衛をも否定してる憲法が「平和憲法」とは笑止千万である。

 現憲法の矛盾と改正の必要性を認識していても、どう見直すかは様々で、自称・保守派や右翼の中にも「九条改正」こそ一丁目一番地であると考えてる方は多い。

 憲法改正派を分類すれば、現憲法を容認し部分改正を目指す「憲法改正派」と、現憲法を破棄し「自主憲法や新憲法制定を目指す勢力」や、我が国の正統な国法である「大日本帝国(明治欽定)憲法の復元・改正派」の凡そ三つに分けられる。

「憲法改正派」は、現憲法を基本的に認めている勢力であり、第九条こそが重要だと位置付けしている点では、営業保守派や自称愛国者の認識は九条の会などの「誤(護)憲派」と大して変わらない。九条改正派こそ究極の護憲派である。

「自主憲法及び新憲法制定派」は、現憲法を認めずに現憲法を破棄した上で新しい憲法を国民で創ろうとするものだが、これに属する自民党が何故か憲法改正を論じている。何故に、現憲法の矛盾や不条理を認めようとするのか不思議でならない。

「大日本帝国(明治欽定)憲法復元改正派」は、現憲法は昭和27年4月28日の主権回復と共に失効しており、我が国の正統な国法である大日本帝国(明治欽定)憲法を復元した上で、現代の情勢に鑑みて改正することこそ望ましいとするもの。

 こうした改正議論を分かり易く喩えれば、マンションや借家といった仮住まいに綻びが出て来たので、「リフォームしてまた住もう」というのが「改正派」。ボロボロになったので引っ越そうとか、新しい家を建てようというのが「新憲法制定派」。

 両親も老いて来たので先々代が遺した故郷の豪邸に戻って、風呂やキッチンやトイレを和モダン風に改造して家族仲良く住もうかというのが「帝国(欽定)憲法復元改正派」である。どう考えても、古民家再生が好いとは思わないか(笑)

 現憲法が、大日本帝国憲法(以下帝国憲法)第七十三条の、「貴族院と衆議院の両議院の総議員の三分の二以上の出席を要し、且つ出席議員三分の二以上の多数」という条項に則って議決されている様に、現憲法九十六条の改正を図るなら、発議条項より「国民投票」というまやかしこそ取っ払うべきではなかろうか。  

 憲法改正原案前文の全面的な改定や天皇を「日本国の元首」とする規定や、環境権の創設や選挙権の国籍要件などを明記してあり、一見すると立派なものになるのではとの期待感を感じるが、所詮は保守票欲しさのパフォーマンスでしかない。

 大体、自民党の党是は過去には「自主憲法制定」であり、現在は「新憲法制定」であるにも拘らず、部分改正を目論むとは党是や結党精神からも矛盾している。

 日本国憲法は、米国の意図としては表面上は「新憲法(日本国憲法)の制定」とはなってはいるが、占領下での憲法の強要は主権侵害であり、国際法違反の疑いが濃厚なので、GHQは建前上から「大日本帝国憲法の改正」としている。

 現憲法の無効を訴えるには、先ずこうした制定された経緯を明らかにすることが大事。現憲法が大日本帝国憲法の改正であるなら帝国憲法の復元は容易である。

 憲法改正ではなく帝国憲法の復元改正こそが、尖閣などの失地領土の主権回復や靖國問題など、現憲法との整合性を疑われる諸問題も容易に解決を図れるだろう。

 現憲法は帝国憲法七十三条に基付いて改正されたという歴史的事実に刮目し、現憲法の無効を声高らかに宣言すると共に、帝国憲法の復元・改正こそ目指すべし。

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2022年05月02日

「憲法改正をいう右翼は逆賊」なんだってよ(苦笑)

 作家・山平重樹著「最後の浪人」の主人公でもある阿部勉。その阿部さんだが、実は郡山市の興新産業(倒産)の東京支店長。僅かとはいえ、給料を貰っていたのだから浪人とは言い難い。右翼浪人なら故横山武彦か愚生の方がそれらしい(笑)

 以前、その阿部さんの弟子がtwitterで「憲法改正をいう右翼。しかし今上天皇は現憲法を守ると言っている。すると憲法改正は今上天皇に背くことになり逆賊的行為となる。右翼は天皇に叛旗を翻し逆賊となるのか。それとも耳に栓をして適当に憲法改正を叫び続けるのか。現今の右翼が駄目なのはこの辺りにも現れている」

「現今の右翼が駄目」という意見には同ずるが、現憲法99条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と明記されており、陛下が国権を重んじ、国法に従うのは当然のこと。別に、天皇が政治家が行う憲法改正に反対している訳でもあるまい。

 まぁ、現今の小粒になったアマチュア右翼やセミプロ右翼がダメなのは単に指導者不足に因るところが大きく、営業保守らの主張を真に受けているからだ。

「憲法改正をいう右翼」というのも何方付かず。憲法9条改正は究極の護憲運動というのが正しく、憲法改正とは現憲法を認めるということであって、第9条改正で現憲法が絶対的な存在となってしまうだろう。そういうことを理解して「憲法改正をいう右翼は駄目(無知)だ」というなら分かるが「逆賊」とはもう嗤うしかない。

 天皇は憲法以前の御存在であらされる。現憲法は、歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定している。宮中祭祀で重要なものは「四方拝」と「新嘗祭」であり、天皇にとって最も大事なものはこうした「祭事」である。だが、現憲法は祭祀を否定し、天皇とは単なる国事行為を行う傀儡と化した。

 天皇の「国事行為」について、現憲法では、首相の任命、憲法改正や法律の公布、外国大使らの接受等を定めているが、天皇の「公的行為」は「私的行事」とされ現憲法に明文化されていない。天皇の祭祀こそ国事行為の最たるものであるべきだ。

 天皇は憲法上の制約から、国事行為として「国会の開会式」「首相や最高裁長官の親任式」「大臣の認証式」「親授式」など年間約60回。国賓・公賓への接遇や会見、会食などの御公務を約170回という激務を熟されている。国體や国柄を鑑みれば、天皇の「祭事」を憲法上最優先で認められる様にすることこそ大事である。

 上皇陛下が御高齢を理由に譲位遊ばされたが、負担軽減というなら国事行為や公的行事を当時の皇太子殿下や秋篠宮親王殿下が輔佐する環境こそ整えるべきであった。現憲法の改正如きでは国事行為の軽減すら不可能であり、やはり我が国の正統な国法である大日本帝国憲法(欽定憲法)の復元改正こそが我が国が採るべき道である。

 前出のツイートの論法に倣えば、現憲法で明記されてる勤労や納税の義務を怠り、憲法という国権を重んじることなく、国法(刑法など)に従わない右翼は言語道断だし、父母(親)に反抗し、兄弟や友人と仲違いし、夫婦相和しどころか離婚した様な右翼は、教育勅語を語る資格も右翼としての価値も無いということだろう(笑)

 別な同じ様な思想家?を気取る輩も、「最近、天皇陛下(現上皇陛下)と皇后陛下(上皇后陛下)が、ともに、安倍政権の改憲路線に逆らうかのように、しきりに「護憲発言」を行っている。これは、天皇とその周辺が、現在の政治状況に強い危機感を抱いているということだろう」と、我田引水的ツイートしていたのを思い出す。

 畏れ多くも、陛下(上皇陛下)の「憲法順守」との言明を改憲反対に利用する点では、靖國神社の所謂「A級分祀論」のそれと似ている。こうしたことでも、憲法改正に反対する護憲派どもの主張が巧妙化しているのが分かるというものだが、憲法改正派もまた第9条ばかりで尊皇無き議論の軽軽しさには目を覆うばかり。

 明日は憲法記念日。記念とは「後々の思い出として残しておくこと」を言うが、何故に米国製の憲法を記念する必要があるのだろう。憲法改正を訴える保守派は本当に現憲法の矛盾を理解し、その上で憲法改正を訴えているのだろうか。

 自民党の憲法改正草案には「天皇を元首と位置付ける」としているのは評価できるが、現憲法と同じく「その地位は主権の存する国民の総意に基づく」とある。つまり、反天皇勢力の共産党が存在している限り「総意」は得られない。抑々、自民党の党是は「憲法改正」ではなく「自主憲法制定(現在は新憲法制定)」である。

 自民党の目指している「憲法第九条改正」は、保守派の票目当てのパフォーマンス過ぎず、自国の防衛だけを案じて第96条改正を図り、その上で第9条の改正を実現するというのなら、それは主権恢復というより単なる米軍の国防費負担軽減の遂行であり、更なる米国への忠誠であり、究極の護憲運動であることを自覚すべきだ。

 主権回復後の欽定憲法復元は叶わず、自由党と民主党が合併し自由民主党が結党され自主憲法制定を掲げるも何ら実行出来ずに徒に時が過ぎた。悠長に憲法改正を発議して国民の過半数の同意を得てる間に尖閣列島は中共に併呑されてしまうぞ。真に国を憂うるなら、やるべきことは改憲ではなく現憲法の無効宣言である。

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2022年05月01日

そこの自称・愛国者の君は箸をちゃんと持てますか(笑)

 今日は令和の御代が始まった皐月朔日。ということで、朝未だきから身を清め、神棚の神饌を替え、畏れ多くも陛下の弥栄と長久を祈り、併せて心願を懸ける。

 敗戦後の日本というのは米国の国益優先の経済戦略に乗せられ、資本主義や自由主義こそ正義であるかの様に洗脳された。ある意味、左翼が共産主義を盲信し、戦後民主主義者が自虐史観から目覚めないのとどっこいどっこいと言っても好いだろう。

 本来、我が国は農の国であるのだが、豊葦原瑞穂の国の誇りも何処へやら。農耕民族としての自覚を喪失し、「農本主義」などは国民の殆どが理解していない。

 我が国は戦後、農本主義的国家観は排除され、大輸出国の米国の戦略に嵌ったまま、米国の価値観が日本の価値感だと錯覚している。軍事的安全保障でも自立出来ず、食料安保でも自立出来ず、これで果たして真の独立国家といえるのだろうか。

 国策としての農業振興と食の安全保障や食料自給率の向上は急務であるし、今や営利至上主義企業に成り下がった農協を改革することも必要だろう。だが、残念ながら政府や国会議員などからは真剣に「農」を考える様な言葉は発せられない。

「農業」とは愛郷心、祖国愛に繋がるもので、愛情がそこには無くてはならないのであるが、単なる企業としての農業なら衰退の一途を辿ることは必然とも言える。

 政府は「消費者のニーズに対応した農協を創り、所得倍増を目指したい」と表明しているが、国民の多くは今や米食よりパン食が当たり前となった。今や米の価値観が大きく変わってしまったのも事実で、こうした国民のニーズとは一体何なのか。

 スーパーに行っても、安かろう不味かろう米や値段が安いからと輸入物を買い漁ってるのを見れば、農耕民族としての自覚なんぞ何処にも存在していない。

 食文化はその国の文化そのもの。日本人なら箸の持ち方も文化のひとつであり、持ち方を会得することは当然ながら箸の作法は学ぶべきだと思うし、箸使いが出来ない人が氾濫していることは日本文化の崩壊でもあると言っても過言ではない。

 愚生は、食事や酒席で器の上に箸を置くのが気になって仕方ない。器の上に置くことを「渡し箸」というが、きちんと横に置くなら未だマシだが、器に縦や斜めにポンと置かれたら銀座のオネエチャンでも支援者の社長でも興醒めしてしまう(笑)

「何で箸置きに置けないのだろう」と、そればかり気になって食事どころではない。箸置きがあるなら箸置きに置くという当たり前のことが出来ないのだろう。

 グルメ番組などで全国各地の有名店や美味しい料理などが紹介され、それをタレントらが食べるシーンが映し出される。汚らしい食べ方にも興醒めするが、気になってしまうのが箸の持ち方だ。正しい箸の持ち方をしている人が実に少ないに驚く。

「美味しい!」と言ってはいるが、それを見ている側としては食べ方も然ることながら箸の持ち方が親指と人差し指と中指の三本指しか使えない「握り箸」だったり「平行箸」だったりしてて料理を上手に手繰れてないので美味しくは見えない。

 箸の持ち方も日本文化の一つであり、箸の作法までとは言わないが、最低限の箸の作法は身に付けるべきだ。箸は、親指と人差し指と中指の三本の他に薬指の使い方が大事なのだが、下手な人は薬指を使っていないし、親指が上を向いてたり。

 例えば、ゴルフのスイングもレッスンプロや上級者などに指導され、それを直そうと思うと却って打ち難くなる。自己流のスイングでも差し支えなく打てるので、ぎこちないスイングの儘で固まってしまう。ゴルフに限らず他のスポーツも同じ。

 箸の持ち方も、本人は食べるのに差支えは無いと思ってるから正そうとはしない。直そうとすると始めは持ち難いだろうが、意識して続けてれば必ず直る。要は、直そうとする意識に乏しいか、恥ずかしいという意識が欠落してるだけのこと。

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 箸の持ち方というのは筆やペンの持ち方と同じで、上の箸は三本で握り、下の箸を薬指で支え小指を添える。そうすれば上の箸を大きく広げられるし持ち易くなる。因みに、箸使いの下手な人というのは往往にして字も下手くそなのが多い気がする。

 犬猫じゃあるまいし、料理は腹を満たすだけのものだったり、口に入れさえすれば好いというものではないし、貴方の箸の使い方を不快に思ってる人がいることに気付くべきだ。そこの自称・愛国者の君は、箸をちゃんと持ててますか(笑)

 食文化の崩壊がその国の崩壊を招く要因となるというのは間違ってはいない。豊葦原瑞穂の国である日本という国に生を享けた者としては、昭和の時代の様に御飯を主役にした正しい食卓を再興することが大事で、さすれば箸使いも直るだろう。

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