2022年04月

2022年04月29日

本日は「昭和の日」。昭和とは「百姓(ひゃくせい)昭明(しょうめい)にして、 萬邦(ばんぽう)を協和(きょうわ)す」

 本日は昭和の天長節であり「昭和の日」。昭和天皇の御遺徳を偲び、激動の日々を経て戦後復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いを馳せる日である。

「自存自衛と大東亜の開放」を掲げて戦われた先の大戦を「侵略戦争」と断じ、現代の倫理観や安っぽい平和主義から「間違った戦争だった」と、一方的に自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではないし、先の戦争の責任は天皇には無い。

 欽定明治憲法下に於いては、国務は国務大臣並びに統帥は参謀総長及び軍令部長が陛下を輔弼し、その責に任ずることになっており、陛下には法的に責任は無い。

 然し乍ら、戦争が長期化し国民への被害の拡大に胸を痛め、道義的に最も責任を痛感されたのは昭和天皇御自身であり、終戦の詔勅に於いて「五内為ニ裂ク」と仰せられたことでも分かる様に、自ら身を苛まれたのは陛下御自身なのである。

 終戦後、昭和天皇が全国を行幸遊ばされ、敗戦で疲弊していた国民の大きな励みになったのは誰もが知るところ。正に「国民と共に在りたい」との大御心は上皇陛下や今上陛下の御姿とも重なり、皇国臣民の一人として感謝せずにはいられない。

 悲しい哉、未だ国内には昭和天皇に対して「戦争責任」などとの戯言を垂れ流す日本人らしからぬ輩が存在する。大切なのは、古今東西世界に蔓延る覇権主義の克服を主張すべきであって、他国の覇権主義には目を瞑るのは如何なものか。

 1932年にソ連共産党から日本共産党へ「コミュンテルンテーゼ(命令書)」の指令された。命令書には「天皇制廃止運動」として、昭和天皇の「戦争責任・退位論」に始まり、次いで「開かれた皇室論」と「敬称・敬語不使用運動」が記されてある。

 共産党に限らず、似非平和主義者や戦後民主主義者、無自覚左翼らが未だ「戦争責任」云々を叫んでいるのは、この命令書を忠実に実行していると言えよう。

 結果として我が国は敗戦したが、大東亜戦争後アジアは独立し「人種平等の原則」は成立した。その事実をして如何に大東亜戦争が聖戦だったかが理解出来よう。

 我が国が断行したのは「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」である。「反米」を叫ぶの左翼陣営までもがGHQが謀った戦後民主主義教育を盲信し、米国の呼称である「太平洋戦争」を使ってることに違和感を覚えないのが不思議でならない。

 戦争というのは国際法上認められている行為で「戦争=悪」ではない。我が国は、負けてしまったから「先の大戦=悪」とされて思考が停止してしまったのだ。

 米英は「戦争とは政治の継続である」と教え、ドイツでは「政治的な取り引きの継続である」と教える。戦争とは政治の不作為から生まれる悲しい現実なのだ。

 我が国は「講和」という政治に失敗した結果が敗戦だった。つまり、政治という外交や情報収集の重要さを知らされた戦いであったし、「一旦始めた戦争は決して敗れることがあってはならない」という極めて重要な教訓を残したと言えよう。

「昭和」も今や三代前の元号となった。昭和とは四書五経の一つである「書経尭典」の「九族既睦平章百姓百姓昭明協和萬邦(九族既に睦まじくし て、百姓を平章す。 百姓昭明にして、 萬邦を協和す)」に由来し、国民の平和と世界の共存繁栄を願う意味が込められている。正しく、昭和とは元号の名の通りの時代だった。

 因みに「平成」は、史記「五帝本紀」の「内平外成(内平かに外成る)」や「書経」の「地平天成(地平かに天成る)」に由来し、「内外、天地とも平和が達成される」という意味は「昭和」の想いに通じるものである。

 更に「令和」の出典は万葉集で、「于時初春令月 氣淑風和 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香」は、和歌を詠んだことを述べる序文であり、「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和ぐ。蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす」と詠む。

「初春の好い月で気は良く風は穏やかである。梅は鏡の前の白粉(おしろい)の様に白くほころび、蘭は匂い袋の様に香っている」という意味は、「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という願いが込められている。

 昭和64(1989)年1月7日、昭和天皇が御崩御遊ばされると服喪国は34ヵ国に及び、平成2年2月24日の「大喪の礼」には193ヶ国の元首や代表が参列した。敗戦国である元首の葬儀にこれだけ多くの国々が参列したことは何を意味するのか。

 東京裁判で大東亜戦争を「侵略戦争」と断じたウエップ裁判長も後に、「天皇は神だ。あれだけの試練を受けても帝位を維持しているのは神でなければ出来ない」と驚嘆した。やはり、昭和天皇は現人神であらせられたのだ。すめらみこといやさか。

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2022年04月28日

本日4月28日の「主権回復の日」は実質的な終戦記念日であるが・・・

 本日4月28日は「主権回復の日」。GHQからの占領から解放された実質的な終戦記念日であるが、国家の独立を喜ぶ声は聞こえない。悲しい哉、未だ国民の多くが、8月15日が終戦だと思い込まされている。戦後民主主義教育とはあな恐ろしや。

 昭和20年8月13日、我が国は大東亜戦争での敗戦を認め、翌日14日、終戦の詔勅が渙発され、15日、昭和天皇の終戦の詔勅が流された。その後、我が国はGHQの統治下に入り様々な弱体化工作と贖罪意識を植え付けられることとなる。

 昭和27(1952)年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、我が国の主権が回復。この日に因んで、安倍政権下で4月28日を「主権回復の日」と定めた。主権回復とは分かり難いが、我が国の「独立記念日」であり「終戦記念日」である。

 8月15日は終戦勅諭が奉じられた日であって「終戦の日」でもなければ、戦争が終わった日だと喜び記念する日でもない。8月15日を「終戦記念日」と信じ込んでいるのは、GHQに因る戦後民主主義教育の洗脳の最たるものの一つでもある。

 8月15日~9月2日の間に一体何が起きていたのか。18日には千島列島最北端でソ連軍との「占守島の戦い」が勃発。ソ満国境を越えたソ連の蛮行は止まるところを知らず、南樺太でも真岡郵便局の自決など多くの惨劇を忘れてはならない。

 8月15日には、自称愛国者や右翼団体までもが「我こそは愛国者なるぞ」と言わんばかりに靖國神社に参拝するが、正に我が国の歪で幼稚な愛国心の顕れでもある。

 4月28日は、名目的には大東亜戦争が終結し主権が恢復(独立)した日ではあるが、未だに続く米国依存と更なる米国追随は米国の敗戦後の統治下状態と何ら変わらず、「主権回復」とは名ばかりの悲しい現実が眼前に突き付けられている。

 主権回復に伴い「日米平和条約」が発効する。この平和条約は、昭和35年に「日米の相互協力及び安全保障条約(日米安保条約)」が発効したことに伴い失効する。こうした戦後の歴史的事実こそが、日米関係の日米関係たる所以である。

 自民党は、ウクライナの惨状を理由に防衛費をGDP1%から2%に値上げを目論んでいる。抑々、我が国の防衛費が少ないのは日米安保条約が存在するからで、GDP2%という数字の操作より、安保条約の在り方や国防の重要性を語るべきだ。

「国防」という国家の大本を忘却し、まやかしの平和を貪り続け、魂亡き繁栄に現を抜かす根源こそが「日米安保条約」であり、安保条約の解消無くして真の独立は果たせない。「国防」を確立せずして真の主権回復など在り得ないと心得よ。

「国防」とは領土防衛だけではない。三島由紀夫が語った様に、「それを失ってしまえば日本では無くなってしまうものを死守すること」である。つまり、国防とは歴史・伝統・文化を守ということであり、畢竟、皇統を死守することに在る。

 終戦後の昭和21年~29年まで、昭和天皇は全国を行幸遊ばされ国民を励ましになられた。陛下の大御心に、改めて日本に生まれたことに感謝せずにはいられない。

 我が国の歴史を繙けば、仁徳天皇は、難波高津宮から民の竈の煙をご覧になられ、「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」と詠み、それを喜んだ。明治天皇は、日露戦争の最中、前線の兵たちと同じ食事を所望されたという。

 昭和天皇に於かれても、東京大空襲で皇居へ被害が及ぶ中で御所に止まり、国民とその苦難を分かち合った。上皇陛下や今上陛下もまた斉しい。陛下は常に国民と共に在り、この万邦無比の「君民一体」の国柄こそが我が国體の精華である。

 我ら日本人が護るべきものは、領土や国民の生命や財産は言うに及ばず、国柄や国體であり、皇統の死守こそが使命である。だが、悲しい哉、安倍政権下では「退位法案」が謀られ、皇室典範改悪の序章となり、皇統破壊が顕著となった。

 真の主権回復を成すには、占領下に謀られた現在の皇室典範を、正統である明治(旧)皇室典範に戻すと共に陛下に奉還し、諸悪の根源である現憲法を破棄し、欽定憲法に復元改正を成し、米国依存体制からの脱却を図る以外にその道ない。

 然しながら、未だに占領下の弱体化政策や数々の不条理を検証することなく、米国の新自由主義を妄信し、米国追随著しい我が国の一身独立は遥か夢の如し。

 左翼どもは米国製のインチキ憲法を有難がり、国民の多くが米国の価値感にどっぷり浸っているが、米国への依存体質が続くのと比例して、我が国の国柄と日本人としての矜持が失われて行く様をこの儘拱手傍観している訳には参らないのだ。

「米国依存からの脱却」や、軽々しい「反米主義」とは言うのは容易いが、真の主権恢復を心から望むのであれば何より大事なことは、「一身独立」である。

 福澤諭吉翁は各々をそうした心構えをこう訓えた。

 貧富強弱の有様は、天然の約束に非ず。
 人の勉と不勉とに由って移り変わるべきものにて、
 今日の愚人も明日は智者となるべく、昔年の富強も今世の貧弱となるべ し。
 古今その例少なからず。我日本国人も今より学問に志し、
 気力のたしかにして先ず一身の独立を謀り、
 随って一国の富強を致すことあらば、何ぞ西洋人の力を恐るるに足らん。
 道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ。
 一身独立して一国独立するとはこの事なり。

「一身の独立を謀り、随って一国の富強を致すことあらば、何ぞ西洋人の力を恐るるに足らん」とは正しく。本日は日本国民として主権回復の意味を知り、真の主権回復を祈念し、独立を実現する日にしなければならない。すめらぎいやさか。

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2022年04月26日

「国防費」GDP・GNP比1%以内という閣議決定を取っ払え!

 ロシアのウクライナへの軍事侵略で、専守防衛や国防の在り方が議論されつつあるのは結構なことだ。我が国の国防費は驚くことに生活保護費より少ない。摩訶不思議な、国防費GDPやGNP比1%以内という閣議決定を取っ払うのは当たり前。

 政府はウクライナの状況を鑑みて防衛費をGDP比2%に引き上げるらしい。防衛予算の多くは自衛隊員の人件費であり、隊員の教育訓練、装備品の調達などの為の「物件費」や、何より最新鋭の防衛システムや兵器の充実を如何に成すかである。

 防衛関係費は、人件費(給与)や糧食費などが全体の8割を占め、2割は装備品の修理費や基地対策経費などの維持管理的な性格の経費の割合が高く、兵器やイージス艦を新調するとなると困難を極める。空母や原子力潜水艦の増強は夢のまた夢。

 我が国は日米安保条約に基づいて、国防という国家の大義を米国に依存している。安保条約を盲信していながら、核共有は愚か核議論さえも放棄する不思議。

 抑々、我が国の防衛費が少ないのは日米安保条約が存在するからで、GDP2%に引き上げるという数字の操作より、安保条約の在り方や国防の重要性を語るべきだ。

 ウクライナの惨状を目の当たりにした多くの国民は国防の重要さを感じ始めた。こうした傾向は「自国は自国で護る」という当たり前の国になる千載一遇の好機でもあり、防衛費をGDP2%にするなら具体的に整えなければならな内容を示すべきだ。

 別にGDP比2%にせずとも男女共同参画予算や外国人への生活保護費やバラマキ行政の無駄を削れば国防費は捻出出来る。GDP比2%にしたら、どんな兵器や装備品を充実させ国土と国民を守るのか。単に米国の軍事産業の貢献だとしたら本末転倒。

 GDP比2%や核共有に公明党が難色を示していることでも分かる様に、国防費の値上げというのは容易なものではなく、高齢者を筆頭に年金問題や社会保障費問題を優先しなければ有権者の反発は必至で、参院選の公約に上がるとも思えない。

 米国依存から脱却し、安全保障を自国でやるとなれば憲法の見直しは当然避けられない。だが、平和時しか機能しない所謂「平和憲法」の一部を改正したところで根本的な解決にはならず、保守派が謀る安易な憲法改正こそ究極の護憲運動である。

 憲法然り、国防費然り。目先の改革をしたところで屋上屋を架すだけ。真にやるべきことは国民へ国防の重要性と国防費充実の必要性を訴えることである。そう鑑みれば現憲法では国家を守り切れない。大日本帝国憲法の復元改正こそ図るべし。

 コロナ禍やガソリン高騰もあり、我が国の財政は縮小の一途を辿るばかりだが、予備費をバラ撒いて問題を先送り。財政再建にしても数字的なものだけではなく、何故に慢性的な景気低迷に喘いでいるかを国民に問いかけることが求められる。

 米沢藩第九代藩主・上杉鷹山。鷹山は、逼迫する藩の財政を改革に立ち上がる際に 「受け継ぎて国の司の身となれば忘れまじきは民の父母」との句を詠んだ。

 藩主としての仕事は父母が子を養う如く人民の為に尽くすことであると、「率先垂範」と「滅私奉公」を実践し、財政再建の第一歩は領民の心の改革だった。

「単に帳簿上の赤字を克服すれば財政再建が出来るという訳ではない。今は困窮の余り、この国の人々は目先の利益のことしか考えず、他人のことを思い遣れなくなっている。人々の心にも赤字が生じてしまったのだ。これを克服しなければ、喩え帳簿上の赤字を克服したとしても、また同じことを繰り返すだろう」 とは正しく。

 現在の我が国の財政的逼迫も正にこれと同じ。政治家は鷹山公の様に私欲を捨て率先垂範と滅私奉公することに尽きるが、悲しい哉、我が国の政治家どもは目先の改革ばかりで将来に目を向けず、頭の中に在るものは保身と次の選挙だけ。

 頽廃したマスコミは政府を批判し腐すことこそがジャーナリズムだと錯覚し、胡散臭い問題に一喜一憂。問題が出ればその萌芽は我が国に在ると貶し、それを煽るマスコミ御用達の言論人や自称・有識者らが大騒ぎする構図にはもううんざりだ。

 政治家の為体とマスコミ報道は国民を蝕み、日本人の美徳ともいうべき勤勉性、家族愛、愛国心、信義誠実の原則は失われ、日本人古来の心の中の高貴なものを失い、高邁さを忘れてしまった。戦後の米国の価値観を妄信したツケは大きい。

「国防」とは領土主権での軍事力の充実も然ること乍ら、国柄(国體)を守ることが国防であり、国柄を守るということはつまり皇統の死守である。そう考えた時、現在の政治家の中で「国防」の真の意味を理解してる者は果たしているだろうか。

 我が国の政治家に足らないのは率先垂範と滅私奉公であり、そんな政治家だから国民の信用を得られない。政治とは「国防」と「教育」こそ大事であり、教育を充実させることで「心の赤字」が解消され、畢竟、財政再建も成されることだろう。

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2022年04月25日

暴力団排除条例を無視し暴力団の公共施設利用を認める品川市長

 花粉症で外での運動が辛いので、時々、郡山市総合体育館内のトレーニングルームを利用してる。行くと必ずと言って好いほどヤクザが利用してて雰囲気が悪い。

 品川萬里市長に「暴排条例に照らし合わせて、公共施設の暴力団の利用は不適格ではないのか」と質問してみたが回答は無し。秘書課で再度口頭で申し入れした。

 数日後、総合体育館の担当者から「該当すると思われる事象は確認できない」という回答が届いた。事象が無いとは当該ヤクザは利用しなくなったのか。事象は無いと聞いたので行ってみたら、いつもの様に筋トレに励んでいた(笑)

 回答書には、暴力団と雖も公共を害しない限り使用制限はしないと捉えられる内容になっていたが、公益を害し、風俗を乱さない限りヤクザでも利用可能なのか。担当者の回答は品川市長の意見。流石、地元暴力団が応援してる品川市長らしい。

 トレーニングルームに行ってもいつものヤクザがやっててヤル気も失せる。不摂生して早死するのがヤクザらしいと思うが、70半ばにもなって筋トレねぇ。スポーツジムでは当然入会は断られるだろうし、その代わりに公共施設とは恐れ入る。

 老いて運動に励むのは結構だが、コロナを警戒しやけにマスクの着用や手や使った器具の消毒に五月蠅いジジィもいた。そんなにコロナが怖いなら家で腕立て伏せでもしてなさいな。つ~か、息が切れてるのにマスクしてりゃ倒れるぞ(笑)

 郡山市というのは寄居一家真会の時代からヤクザは人気があり、地元に根付いた会社として暴力団と関わりが出来るのは致し方ないが、今どきの任侠精神に乏しいヤクザと付き合って何をしたいのか。ヤクザと関わったところで面倒臭いだけ。

 今の暴力団というのはその名の通り仁侠道とは程遠い、完璧な資本主義であり営利至上主義というかカネの亡者。弱い者を助け、強い者をくじき、損得を考えず、義の為には命を惜しまないという生き方をしてるヤクザは昨今は見たことがない。

 世の中全てカネの世界になり、「ヤクザはカネ儲けも器量のうち」なんて言葉は誰が言い出したのだろう。こうした仁侠精神なんぞ皆無のヤクザが暴力団と呼ばれることは因果応報であり、悪因悪果とも言えるのだが、その辺の自覚も乏しい。

 ヤクザ自身も暴力団と呼ばれる要因を招いた不徳を恥じ、本来の仁侠精神に立ち返るべきだと思う。そういう意味でも暴力団排除や根絶は大いに結構なことだ。

 ヤクザは「任侠」に戻るべき。侠客の様に風流に生きるとは言わないまでも、仁侠精神を取り戻さない限り、ヤクザは更に暴力団化しマフィア化して行くだろう。

 多くのヤクザは「任侠道」とカッコは付けてはいるが、やってることは卑しい金儲けと違法行為と弱い者イジメ。このどこに任侠精神が在るというのか。降込め詐欺(オレオレ詐欺)なんてのは老人や人の行為を利用する破廉恥行為そのもの。

「任侠」とは、損することを覚悟で弱い者を助け、強い者を挫き、義の為には命を惜しまない気風をいうが、今の暴力団にそうした任侠精神は無く男気を感じることはない。「任侠」というなら愚生の方がよっぽど仁侠だと思っている(笑)

「暴排条例」で暴力団は無くなることはない。みかじめ料で食ってるヤクザなんぞ最近は見たことはないが、みかじめ料が無くなったと思ったら、今度は警察から「暴力団排除」を理由に寄付金を無心されたんじゃ店にしてみりゃ同じことだろう。

 日本侠客の始祖と言われる幡随院長兵衛(ばんずいんちょうべえ)が生きた400年前の時代より、侠客というのは町奴として時代と共に生き抜いてきた歴史がある。

 ヤクザというのは時代を読む業は長けており、くだらん法律を駆使したところで暴力団が無くならない。だが、暴力団が殖えれば町奴としての侠客は絶えるだろう。

 県内では東日本震災後の除染作業や建設作業や原発構内の作業員に暴力団が介入しているのは紛れもない事実。業者もハローワークで人材を募集するより「人夫出し」という人材派遣を生業にしてるヤクザに依頼した方が確実だし手っ取り早い。

 番随院長兵衛も「口入屋」だったという。町奴として人気があったが、今の時代もそういう意味では暴力団も口入分野や金儲けでは昔と大して変わらない。唯、昔の侠客と決定的に違うのは住民に好かれ、頼られる存在ではないということだ。

 抑々、警察も「Vシネマ」の観過ぎなのだろう。「ヤクザはこういうものだ」という固定観念やマニュアルが、暴力団対策を中身の無いマヌケなものにしている。

 ヤクザらも口々に「暴排条例」や「暴対法」でやり難くなったと嘆いている。だが、物は考え様で恐喝や脅迫にしても、以前なら有無を言わさず「刑法」で即検挙となったが、今は「暴排条例」や「暴対法」で中止命令が出て終いとなる。

 ジャーナリストや左翼陣営や右翼団体までもが、「暴対法や暴排条例は人権侵害」と騒ぎ立てているが、この法律や条例で助かったヤクザらがいるのも事実。

 山口組四代目組長だったか「我々に人権が無いと言ってるが裁判をきちんとやって貰えるじゃないか。人権が無かったら即死刑だよ!」とは尤もな発言だろう。

 暴力団との交友は「暴対法」や「暴排条例」で罰せられる。まぁ個人的な付き合いだとして周りに赦されても銀行が何て言うかなあ。愚生や「郡山市政から暴力団を追放する会」にヤクザとのスクープ写真を撮られない様に警戒を怠らない様に(笑)

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2022年04月23日

「天に口なし人を以って言わしむ」「自らを助くる者を助ける」

「天に口なし、人を以って言わしむ」という。天は何も言わない。天は人々の頭上高くあって、黙って見ているだけである。だが、人間が天の意想によって生まれたものなら、人が見ると同じ様に天も見ているであろうという思いに至る。

 吉田松陰は「人は天地の気を受けて体とし、天地の理を受けて自分の心としている。これが人の心をそのまま天の心とするということである」と記している。

「天の観るは、我が民の観るに従う。天の聴くは我が民の聴くに従う」となり、また逆に「民の欲するところは、天必ず之に従う」ことにもなる。古より国民の多くは「天は見ている」という美意識に基づく自制心が道徳の基盤になっている。

 権力の横暴と不作為、閣僚の腐敗、官僚の傲慢、政商の暴利など、大衆の利益を顧みない人民の敵は、天が民の意を汲んでこれに天誅(天罰)を加えるのである。

 江戸時代、止むに止まれず起こした百姓一揆にしても、フランス革命で見せた民衆の怒りにしても、東欧諸国の崩壊の際に見られた市民蜂起が正にこれである。

 殺人などの凶悪犯、政治家絡みの贈収賄事件や詐欺など「免れて恥なし」という者が世間を見くびっていると「天網恢恢疎にして漏らさず」となって悪事がバレる。

「合法的なら」とか「法律の範囲内なら」と法を巧妙に抜け、不動産購入や蓄財をした小沢一郎を筆頭に法律を作る側の政治家が、巧妙に法の目を逃れているのを都合好く解釈して悪事を恥じようとしないのは万死に値する破廉恥行為である。

 政治家の傲慢且つ横暴、企業の営利主義も同じ様に天罰が下るであろう。天は公正無比であり、その正気が邪気を許さないのである。とすれば天は善に適う。
 
「積善の家には必ず余慶あり、積不善の家には必ず災いあり」となる。正大な天は不義、不正、不善を厳しく罰するが、然しその一方で、寛容さに於いては実に懐が深い。働いた悪事を許すというものではなく、悪事を悔い改めさせるのである。

「悔い改むるべし、遅ければ悔ゆることあらん」という。人間とは天の命によって生を享けた人である。そういうことであるならば、天は不幸な人間を放置しない。

 つまり、天は自らを助くる者を助けるのである。「天は自ら助くる者を助く」とは、人に頼らず自分自身で努力する者には天が助け、結果としての幸福を齎す。不幸を政治の所為にするのではなく、「国を助けて国に頼らず」という報国が大事。

 昨今の日本人は「天」を意識する美徳が薄れてしまった。唯物論では捉えきれない存在が天上に在している。それが神であり、「神様が我々人間の一人一人の働きを見守っている」と考えるだけで、人は理性的な存在になれるとは思わないか。

「お天道様が見ているぞ」という教えは今や死語になってしまったが、道徳教育の根本はこうした先人の当たり前の教えを再考することから始めるべきだろう。

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2022年04月21日

幕末からの戦いで斃れた全ての戦没者の合祀を図るべし!

 本日から靖國神社では春季例大祭が斎行される。終身正会員の愚生は第二日祭に招待されるが、コロナ禍なので当日祭と第一日祭しか斎行していない為に心参して感謝の誠を捧げたい。尤も、ここ数年は退っ引きならない事情で参加してない。

 岸田総理は今や恒例となった私費での真榊奉納で保守層を誑かすのだろう。何れにしても、総理や閣僚や政治家らが参拝することで靖國周辺が騒がしくなるなら、政治家なんぞ靖國神社にかかずらって欲しくはないというのが正直なところ。

 いっそのこと遺骨が集められている千鳥ヶ淵墓苑を、米国のアーリントン墓地の様に国立戦没者墓苑とすれば好いし、靖國を選挙に利用する政治家どもはそっちに参じれば好い。それでも多くの国民は靖國神社に詣で感謝の誠を捧げるだろう。

 もういい加減、「A級戦犯の分祀」だとか、靖國神社へのアホ臭い議論はもう終わりにして貰いたいし、米中韓の不当な内政干渉に何時まで屈するつもりか。

 首相の公式参拝は当然のことであるが、現憲法下でそれが赦されていないのならば参拝は控えるべきで、「私的参拝」ほど英霊を愚弄する行為はない。また、首相や閣僚の参拝を批判する勢力も現憲法を蹂躙している行為であることに気付かない。

 世界のどんな国も「英霊」には最大の名誉が与えられている。例えば、米国の歴代大統領は、アーリントン国立墓地の囁きに触れて英霊を称え祖国を鼓舞する。「負けた戦争」であるベトナム戦争も取り上げてその英雄的な精神を賞賛している。

 米国に比べ、我が国は悠久の歴史と民族の一体性に恵まれているのだが、皮肉なことに国の礎となった英霊の方々は国家から顧みられることはない。こうした政治家の怠慢と不作為が、国民精神の頽廃を招いている元凶であるのだ。

 愛国心の欠落、国防意識の低下、日本人としての誇りや自信の喪失、子殺しや親殺し、等々、日本の社会に蔓延する問題の全てはそこに起因している。

 首相や閣僚の参拝を合法化するならば靖國神社の「宗教法人格」を外し、国家で管理すれば好いだけなのだが、自民党は「靖國法案」を提出することもなく、参拝のパフォーマンスばかりで全く遣る気が無い。何より連立を組む公明党は反靖國だ。

 政治家の参拝なんぞどうでも好い話で、何より大事なのは陛下の御親拝の実現を図ることである。陛下の御親拝に拠ってこそ英霊の御霊は安らかに鎮まるのである。

 更には本殿脇に放置されてる「鎮霊社」なる死者の選別も見直すべきだろう。それには戦後政治の総決算と同じく、明治新政府による様々な不条理も検証するべきであり、靖國神社の御創建もまたその不条理の代表的な事例であろうと考える。

 我が故郷の二本松藩や会津藩は未だに「朝敵」と断じられ続けているが、抑々「朝敵」なんていう言葉は存在しない。二本松藩や会津藩は「東軍」である。

 靖國神社は、明治2年に明治天皇の思し召しにより東京招魂社として創建された。合祀対象は、尊王攘夷派公家の中心的存在であった三条実美が関わり、祭文には「皇軍に役立ちして賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩」と明示している。

 この実美の祭文の原則がある限り、会津藩や我が二本松藩、西郷軍関係者などが本殿に祀られることはなく、未来永劫 「賊軍」の汚名が灌がれることはない。

 こうした「朝敵」と差別され続けている方々を「鎮霊社」という別なカタチで祀ることと、朝敵ではなく明治殉難者として本殿に祀ることと、そのどちらが現代という時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのか。

 東軍藩士の名誉の恢復を図ることこそ大事であり、死者の選別を続けることは日本人の死生観にもそぐわない。戊辰戦争で斃れた全ての戦没者の合祀を図るべきだ。

 靖國神社側にも問題はある。例えば、8月15日の保守派やインチキ愛国者らの参拝に苦言を呈することなく受け容れてることは陛下の御親拝が遠退くばかりか、神社本庁との主導権争いから宗教法人となった明治神宮と同じ営利主義にしか感じない。

 西軍ではなく「官軍」を自任する長州閥の下で創られた靖國神社の在り方を見直す時期に来ている。先ずは鎮霊社という死者の選別を止め、与野党有志で「靖國法案」を提出し宗教法人格を外し、「国民の神社」として国家護持を実現させよ。

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2022年04月19日

「街宣右翼は朝鮮右翼」って誰が言い出したんだろう(苦笑)

 行動右翼のパイオニアである防共挺身隊の四代目総隊長に就くも、前任者との右翼に対する考え方の違いから実態の無い執行部から除籍された。早いもので団体を退いて12年経った。地方で蟄居しながらも右翼の行動は常に気に掛けて来た。

 愚生はもう右翼団体員ではないし、右翼に対する風評など気にする必要もないのだが、「街宣右翼は朝鮮右翼」などという妄言や罵詈雑言を目にする毎に苦言を呈している。だが、ネットの偽情報に洗脳された連中は全く耳を貸そうともしない。

 YouTubeなどで悪意的に編集された画像を鵜呑みにし、既成右翼を「朝鮮右翼」などと批判しているのは、左翼陣営ではなくネット右翼や自称・愛国者らだ。「我々は右翼とは違う。真の愛国者なるぞ」と日の丸や旭日旗を掲げて悦に入る。

 数日前、とある女性が「愛国」を口にすると周りから「怖い」と思われるのを嘆き、こうした要因を招いたのは「街宣右翼だ」といつもの雑言というか責任転嫁。こうしたツイートを保守を自任する政治評論家が賛同するかの如くリツイート。

 右翼のイメージを「危険」だとか「街宣右翼=悪」などと植え付けたのはマスコミである。少なくても新橋SL広場などで街頭演説をしてる右翼人は良識派が多い。

 現在の右翼団体を全面的に擁護する気もないが、右翼団体の殆どが暴力団を縁があり、反共は当然ながら、反資本主義や反体制という本来持つべき矜持を忘れ去り、暴力団の隠れ蓑として、単なる動員要因としての組織に堕ちたのも事実である。

 ネット右翼や自称・愛国者らが、軽々しく日の丸や旭日旗を掲げ「反中国」や「反韓国」を叫ぶ行為や営業保守も、その「愛国」という崇高な理想が「贔屓の引き倒し」になってしまっているということを自問自答したことはあるのだろうか。

 唯、言えることは、国内で蠢く国賊共に天誅を与えるのは既成の右翼団体員ではなく、国を憂うる市井の民なのではなかろうかとの思いが強い。第二、第三の「建国義勇軍」や「刀剣友の会」の様に志を一にする仲間が惹起するのではあるまいか。

 贔屓目に見ても活動自体が停滞している感は否めない。活動資金不足と右翼指導者の力量不足の伴う指導力の無さが最大要因である。誰が言ったか知らないが「働きながら運動をしている右翼こそがホンモノ」らしい。活動を本気でやればパクられるし、逮捕され新聞にでも載ったものならクビになるのは間違いないだろう。

 働きながらというが、右翼活動に理解のある経営者がそんなにいるとは思えないし、生活に流され生業が優先されてしまう。結局は、こじんまりした、無難な、自慰的な活動くらいしか出来なくなってしまっているのではなかろうか。

 いつぞや、「昔の右翼は企業から金をもらったりして資金力も持ち、生活も裕福だったかも知れないが、そういうのが今では負の遺産となって真面目な若手右翼の首を絞めているという事をわかっているのだろうか」とのツイートを思い出す。

 昔の右翼というのはいつの時代を言ってるのだろうか。また「負の遺産となって若手右翼の首を絞めている」とはどういうことなのか。現在の価値観の違いといえばそれまでだろうが、物事の見方が薄っぺらで、残念な気持ちになったっけ。

 高校時代、右翼団体への憧れから、いつかは愛国活動をと思っていた頃、同時に「総会屋」にも憧れた。「総会屋錦城」とか、総会屋関連の本を読み耽った。

 そんな中で右翼総会屋で有名だったのが防共挺身隊で、国士舘大学へ入学すると身近に防挺の人間がいて入隊。正に人生の縁とは異なもの味なものだと思う。 

 企業献金が断トツだったのは防挺で、愚生が入隊した時期には政治資金は共産党、自民党、日本医師会などに続いて堂々の5位、常にトップテン入りしていた。この潤沢な資金の下で充実且つ過激な活動が出来たのは紛れもない事実だった。

 企業からカネを貰ったというより、企業が右翼団体という組織力を必要としていたのだ。高度成長期、企業は極左によるビル爆破や、「べ平連」やら「中ピ連」など左翼勢力や胡散臭げな連中が一株株主として騒いでいた時期でもあった。

 当時は警備会社なんてのは未だ弱弱しく、民間企業を警察が警備や警護する訳には行かず、防挺の様な行動右翼を必要としたというのが事実。その功罪はあろうが、高度成長期に企業を防衛し、国益に大きく貢献したのは紛れもない事実である。

 その後、防挺はマスコミからは「右翼総会屋」「金権右翼」などと揶揄される様になって行った。右翼活動家よりも総会屋右翼を夢見て、総会屋での資金を右翼活動に使おうといたが、大学4年の秋の商法改正でその夢は脆くも崩れ去った。

「金権右翼」に所属していながらも恩恵も受けることもなく、24歳で青雲の志を以て福島県郡山市に帰還し、「これからの右翼は理論が大事」と新たな右翼団体を設立した。現在は正統右翼浪人を自任してはいるが無職のおっさんでしかない(笑)

「負の遺産」とは、拠出して貰った活動資金を私的に流用し、右翼としての生き方を忘れ、分不相応な家に住んで安穏とした生活をしている先生方への諫言なのだろうが、そんなもので「若手右翼の首を絞めてる」などとは責任転嫁も甚だしい。

 中核派などの左翼陣営は勢力拡大と資金力が増大している。男女共同参画社会の年間約10兆円と言われる膨大な予算からは相当な資金が左翼陣営に流されている。こうした現状の中で、右翼は働きながら何を惹起するというのだろうか。

 民主党政権下で菅直人が極左団体へ数億円の活動資金を寄付したのも氷山の一角。左翼陣営は政府中枢への蚕食が成功しつつあり、国家解体は想像以上に進んでいる。

 方や右翼人を見てみれば暢気なもので、総会屋右翼などと揶揄されながらも小銭を貯めた諸先輩、諸先生方は居の安きに甘んじ、固定資産税の支払いに汲汲し「一日一生」とは名ばかりの状態。「人生意気に感ず」と言いながらタダ酒を呷るばかり。

 今や行動者としての使命感は疾うの昔に忘れ去ってしまっているのだろう。こうした安穏とした生活が蔓延してる状況下でカリスマ的右翼指導者など現れることはないだろうし、サラリーマン右翼が世論を扇動することなど不可能なことだ。

 日本人に必要なのは「愛国」ではなく「報国」である。マスコミやネットで流れる「街宣右翼」批判に隔靴掻痒の感は拭えない。今正に、我々が想像している以上に共産主義は祖国日本を蝕み続けている。愛国者は危機感を共有し対峙せよ!

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2022年04月18日

パプアニューギニアのブーゲンビル上空で撃墜され戦死した山本五十六

 昭和18年4月18日、27代連合艦隊司令長官山本五十六元帥がパプアニューギニアのブーゲンビル上空で撃墜され戦死した。山本五十六に対しては「愚将」の評価を散見するが、当時の軍部の魑魅魍魎を現代の価値観で論ずることに意味は無い。

 以前、長岡市の山本五十六記念館を訪れたことがある。遺品などの他に搭乗していた戦闘機の翼が展示されていて、翼に向かって頭を垂れ暫し黙祷を捧げた。

 遺品の中でも驚いたのが、入口前に展示してあった15歳の時に友人に宛てたという手紙。五十六の達筆さも然ることながら文章力の高さは驚くばかりだった。

 正に神童と称えられた五十六の片鱗を窺えるもので、「栴檀は双葉より芳し」という格言通り、天才とは生まれながらにして天才なのだと痛感したのを思い出す。

 長岡市といえば愚生が尊敬して止まない河井継之助だ。愚生的には幕末の英雄では、坂本龍馬や吉田松陰より、長岡藩家老の河井継之助を置いて他にない。

 継之助を一躍有名にした司馬遼太郎の小説「峠」だろう。司馬は継之助を武士道倫理に生きた「最後の侍」だとして、その生き様を活き活きと描いている。茶屋遊びの場面を想像しても、河井は人間味に溢れた武士だったと思っている。

 多くの歴史家も継之助を東西の優れた軍事指揮者の一人に挙げる一方で、「長岡藩を要らぬ戦争へ巻き込んだ」との批判があるのも確か。そういう意味では、五十六の真珠湾攻撃への評価と似ている。そうした歴史的評価より異なものは縁である。

 幕末、江戸城開城、上野寛永寺の戦いなどにも勝利した西軍は、会津を目指し北上し山賊の如き蛮行を繰り返した。北越の地にも西軍が迫ると、西軍の岩村精一郎と継之助の会談が行われるも決裂し、継之助は東軍勢力として戦うことを決意する。

 長岡藩は奥羽列藩同盟に加わり、「北越戦争」へと突入する。北越戊辰戦争に於いて、長岡藩兵は継之助が備えた近代的な訓練と最新兵器の武装を施されており、継之助の巧みな用兵により、開戦当初では新政府軍の大軍と互角に戦った。

 然し、圧倒的物量を有する西軍に比べ、絶対的な兵力に劣る長岡軍は徐々に押され始め長岡城を奪われてしまう。だが、その後の「今町の戦い」を制して逆襲に転じると「八丁沖渡沼作戦」を実施し、翌日に長岡城を再び奪還することに成功する。

 これは軍事史に残る快挙であり、関東軍参謀で陸軍中将・石原莞爾の陸軍大学校の卒業論文は継之助のこの戦術を研究したものである。だが、この長岡城奪還の代償は大きく、奪還を果たした当日、継之助は左膝下に被弾、重傷を負った。

 継之助の負傷に因り長岡藩の士気が下がり、戦線は次第に後退して行った。日々戦局は益々不利となり、継之助の傷も化膿が酷くなり、終には破傷風に罹ってしまった。継之助は已む無く長岡を去り会津での捲土重来を期すこととなった。

 惜しくも継之助は志半ばで、奥会津の只見の地で幽冥境を異にした。だが、この後には続きがある。残された長岡藩士は長岡へは戻ることなく会津へ向かった。

 長岡藩上席家老で大隊長の山本帯刀もその中の一人。山本以下44名(菩提寺の碑に刻まれてる数字で46名とも言われている)は濃霧の為に敵が見えず、味方の会津藩だと思われた軍勢は、霧が明けてみれば西軍の然もそのど真ん中だった。

 会津同盟軍から孤立し、西軍に銃撃されるも勇猛果敢に応戦した。32名が戦死し、14名が生け捕りにされた。薩摩藩淵辺直右衛門ら3人の軍監は山本らに降伏を迫る。帯刀は「我らは降伏に来たのではない。戦いに来たのだ」と降伏を拒否する。

 この覚悟と潔さ、天晴れ。帯刀を始め長岡藩士の斬首が決まり、9月8日、藩主、そして長岡の方向に別れを告げ、粛々と異郷の地に散って逝った。帯刀、24歳。

 彼らの遺骨は会津若松市の「本光寺」に懇ろに葬られている。山本帯刀亡き後、山本家は廃絶。明治に入り、罪は赦面となるも、跡継ぎの居ない山本家は廃家状態となっていた。そこで、山本家は長岡士族の高野家より養子縁組をすることにする。

 その養子こそが高野定吉の六男だった、後の連合艦隊司令長官・山本五十六元帥である。因みに、五十六の妻・禮子は会津士族の娘であり、河井継之助と山本五十六という悲運の武将二人と、悲運の会津藩が不思議な縁で繋がっている。合掌。

 苦しいこともあるだろう。
 言い度いこともあるだろう。
 不満なこともあるだろう。
 腹の立つこともあるだろう。
 泣き度いこともあるだろう。
 これらをじっとこらえてゆくのが男の修行である。

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2022年04月16日

未だに「子ども」表記してる自民党公認候補ってバカなの(笑)

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 昨日、某書店に行くと今夏の参院選福島選挙区に自民党候補として立候補する星北斗に遭遇したのでパンフレットを貰ってみた。「星は、相手を見下し、人に頭を下げることが出来ない」と聞いていたが、ニコニコして愛想が好かったな(笑)

 国政選挙に限らず、立候補者の公報や政策ビラなどに「子供」と表記してるか「子ども」なのかが、その候補者の政治哲学や思想信条を知る判断の目安としている。

 平成25(2013)年6月、文科省は国会での議論を経て、マスコミや左翼どもが常用してる「子ども」表記を、漢字表記の「子供」に統一する通達を出している。

 現代国語を書き表す場合の漢字使用の目安として用いられるものに、「常用漢字表(内閣告示)」というのがある。これを基にした「新公用文用字用語例集(内閣総理大臣官房総務課監修)」には「子供」と漢字の表記する様に示されている。

 マスコミを中心に左翼勢力は確信的に「子ども」表記を続けているが、自民党議員や自民党公認候補どもが安倍政権下の下村文科大臣が下した通達を無視して、未だに「子ども」表記を使い続けてることはアホかマヌケとしか言い様がない。

「子ども」表記というのは「子供」の「供」という字が、「お供え物」「お供する」などを連想させ「差別的な印象を与える」というのが理由だという。共産党は、「子供」とは「大人の付属物や人身御供を意味する」とトンチンカンな主張している。

 何処の誰が子供を「お供え物」「人身御供」と連想するというのだろう。遜った「私ども」の様な接尾語の場合は「原則、仮名で書く」とされているが、「大人」に対する「子供」を意味する場合、漢字二字で表記するのが正しい。

「大人のお供(とも)」を表しているというが、その場合の漢字は「お供」ではなく「お伴」と書く。仏壇の供物と同じく、「子供とはお供え物」とは正にキチガイの不当な言いがかりであり、即ち子供への敬意が足らない証左でもあると思う。

 悪党や政治家らを悪意的に、「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、「野郎ども」「若造ども」などと言ったりする。抑々「ども」というのは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆どである。

 この場合の「ども」は、漢字だと「共」だが、子供の「供」を「子ども」と表記することは逆に言葉遊びで子供を弄んでいると捉えられても致し方ない。「子供」の漢字を使いたくないなら、平仮名で「こども」と書けば好いだけのこと(苦笑)

「子供」と同じく「婦人」というのも、アホンダラ左翼どもやジェンダーフリーの性的変質者どもらの企てによって公文書から消されてしまった漢字の一つだ。

 こうした流れは、インチキ漢字研究者が後漢時代の「説文解字」を紐解いて、「婦人」とは「箒を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに始まる。

 この自説に、前出の性的変質者どもとキチガイどもが飛び付いて「婦人は差別だ」と叫んで抹殺した。然し、間もなくこの研究者の説は全く誤りだと判明する。

 古代文字である甲骨文字や、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。未だに男女共同参画社会でのこうした言葉遊びや造語が改められることなく常用されている。

 また、男女共同参画社会の今では「看護婦」ではなく、「看護師」と呼ぶ様になった。この「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」のツクリは、軍隊を派遣する時に食料である肉を分けることが原義である。

 普段、「平和」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもらは、「師」の意味も分からずに「看護婦」を「看護師」と呼び換えて満足してるが、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用しているとは夢にも思っていないだろう(苦笑)

「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼陣営の共同謀議的愚策であり、こうした愚策に保守派であるべき自民党議員どもが違和感を覚えることなく、それらに与し、率先して実践していることは滑稽極まりない。

「子ども」表記を使ってるのは共産党を始めとした左翼どもか、単なる無自覚左翼のアホどもと見て間違いない。つまり、マスコミは左翼勢力であり、未だに疑うことなく使ってる自民党議員どももまた余程のバカと見て好いだろう(苦笑)

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 こうしたパンフレットを作ってる秘書や職員、広告代理店がバカなのだろうが、「子ども」表記に違和感を覚えない候補者もそれ以上のバカに違いない。些細な事柄にも気が付かないようでは議員になっても碌な仕事は出来ないだろう。呵呵。

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2022年04月13日

多くの人は自分の意見や理論こそが正しいと思っているが

「人間というものは知性に根拠を持たず、大抵は無意識に、ただ感情によってのみ支えられた先入観に囚われていることが稀ではない。こういった本能的な嫌悪、感情的な憎悪、決めつけられた拒否というような柵を乗り越えることは、欠点のある、或いは誤った学説を正しく直すことよりも千倍も困難である」とはアドルフ・ヒトラー。

 正義や良識というのは己の価値観であって、それが正しいとか一般常識なのかというとそうでもない。特に正義ということになればその正義は真逆な場合が多い。ウクライナから見ればロシアが悪だし、ロシア側から見ればそれなりの理由がある。

 例えば、世界の警察を気取る米国の行動を正しいと思う人もいれば、リビアや北朝鮮の様に米国の対応を不正義だと思ってる国も在る。中共の弾圧で苦しむ国にとっては、自国の正義を実現しようという行動さえも容易に敢行出来ない国も在る。

 日本人同士でも同じこと。総選挙で自由民主党に投じる人は自民党が好ましいと思い、立憲民主党や日本共産党を支持する人にとっては自民党に敵愾心を抱く。尤も、その多くは「自民党くらいしか」とか「立憲や共産党にでも」程度で支持してる。

 民主党政権誕生も有権者の多くは「自民党にお灸を据える」という意味もあって民主党を支持した。別に民主党が良い訳ではなく「民主党しかないか・・・」「自民党より民主党にでも入れとくか・・・」程度で投票したというのが実情。

 所詮は「でもしか政党」でしかなかったのだが、それは自民党も同じ。民主党が政権交代に成功した要因は、マスコミが連日繰り返した「政権交代」という言葉を、有権者が耳にすることでそれが正しいものと判断してしまったことが大きい。

 無党派層と、マヌケなことに「自民党に御灸を据える」と自民党支持者の実に3割近くが民主党を支持した。安倍元首相の宣う「悪夢の様な民主党政権」には自民党の責任もある、というか自民党議員の軽挙妄動こそが民主党政権誕生の要因(笑)

 大多数の国民はテレビや新聞、マスコミの報道に毎日接することで意思行動を方向付けられる。偏ってるとか成否は別にして、声の大きい者や発信力の大きい人、頻繁に接するモノに視聴者は「正しい意見」として先入観を植え付けられる。

 新聞購読者はその新聞に感化され、テレビの報道番組も出演者の意見に左右される。それが正しいとは限らないのに鵜呑みにしてしまう。情報弱者とは自分の意見を持たない人を言うが、そういう意味ではtwitterなどのSNSは情報や意見が豊富。

 愚生のブログやSNSでの意見が万人に正しいものだとは思ってはいない。右翼を自任する者として、日本国民であるならばこう考える、こう行動しなければならないというものであって、それを絶対無謬で右翼共通のものだとの驕りもない。

 人の多くは自分の意見や理論こそが正しいと思っている。SNSの世界も同じで、自分の意見と異にする者を説き伏せようとしたり、感化させようとしたりする。だが、固定観念や先入観に囚われてる屁理屈ってのは実に厄介なものでもある。

 意見の隔絶してる相手を翻意させることなど到底無理なのだが、そうしたことにも気付かずに無意味な論争を繰り返している様子は気の毒にも思う。コメンテータである橋下徹の自説を批判したところで、橋下が翻意し反省することは無い(笑)

 論争で理論的な間違いを指摘出来たとしても、論争してる相手側がこちらに「敬う心」を抱くことがなければ、喩えその指摘や意見が正論であり、また相手を慮っての意見と雖も相手に通ずることも受け容れられることもないだろう。

 左翼というのは確信犯だから翻意することはないが、無自覚左翼という戦後民主主義者にはこの手が多く、聞く耳を持たず偏狭な屁理屈を垂れる輩が多い。まぁ、右でも左でもどっちにしても、人というのは結局は「好きか嫌いか」で判断される。

「正しい」とか「間違ってる」という基準も、つまりは「好きか嫌いか」の延長であり、好意を持ってる人の意見は精神的に正しいと思い込んでいるに過ぎない。そうした現象がよく表れているのがSNSで、好きな人の意見を読んで留飲を下げる。

 意見の食い違い以前に、嫌われてる相手に幾ら熱く語ったところで疲れるだけ。「生理的に合わない」とか「以心伝心」というが、自分が嫌いだとか苦手だなと思ってるいる相手というのは、向こうも同じ様に感じているものなのだ(笑)

「人に意見や指導をしてその人の欠点を直す」ということは大切なことであり、親切心であり、慈悲の心だとも言えなくもないが、意見される側がそれらを受け容れる気持ちが無ければ、意見や苦言というのは単なる「余計なお世話」でしかない。

「葉隠」では、意見というものは先ず、その人がその意見を受け入れられるかどうかを見極めることが大事であり、先ずは相手と親しくなり、自分を信用して受け容れる状態になってからでないと意見というものは通じることもないと教えている。

 食事や痛飲しながら相手に心を許し、自分の失敗談などを話し、意見を言わなくても、相手に間違いを思い当たる様に仕向けることが出来れば成功だという。

 相手の長所を先ずは褒めながら、その上で感じた欠点や間違いを指摘し直そうと努力するというのが親切心であり、本来、意見というのは斯く在るべきなのだ。

「人というのは結局は好きか嫌いかである」とは実に正鵠を射た喩えだと思う。愚生の様な右翼風情が声を大にして正論を吐いたところで、相手に通じないのは世間から忌み嫌われているということ。要は、生理的に合わないということに尽きる。

 まぁ、立派な主張が通じないのは理論よりも人柄や人格の問題か。理論武装も好いが、その確立してしまった性格や人となりを磨くのは容易なことではない。呵呵。

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2022年04月08日

旧ソ連の蛮行を忘れてロシアを擁護しているマヌケなニホンジン

 ロシア軍のウクライナでの民間人への虐殺や拷問を「フェイクだ」とか「ロシアだけが悪い訳ではない」と擁護して疑わないニホンジンというのは何なのだろう。先の大戦でのロシア人に因る日本人同胞への鬼畜の如き蛮行を忘れてしまったのか。

「非ナチ化の為に戦っている」というが、ウクライナにナチスはいない。ロシアの言う「非ナチ化」とは「非ネオコン化」であり、つまり、米国の自由主義や民主主義に追随するウクライナの自由と民主主義からの解放とロシア属国化が目的である。

 ウクライナの非ナチ化を訴えてるロシアが、ナチスやヒトラーを信奉する民間軍事会社「ワグネル」をウクライナへ送り込んでいる。ロシア政府は、キーウ近郊での民間人殺害を否定してるが、恐らくはワグネルに責任を擦り付けるつもりだろう。

 戦争とは国際法上認められた政治手段の一つだが、その戦争にも最低限のルールがある。「国際人道法」には、非戦闘員や保護対象であり、病院への攻撃や食料や医療品の搬入を妨げてはならない。ウクライナの惨状は国際法違反であるのは明らか。

 東京大空襲や広島・長崎への原爆投下を実行したアメリカもそうだが、非戦闘員の殺戮を謀ったこれらの行為やシベリアへの強制連行も全て国際法違反である。

 鳩山由紀夫元首相が、ウクライナの惨状でロシア軍の蛮行を正当化する意味なのだろう、東京大空襲や原爆投下を批判していた。ここまでの認識は好しとするが、鳩山はマヌケにも南京での日本軍の民間人殺害も処罰されるべきだと非難した。

 南京での虐殺は無かったが、極東軍事裁判で南京事件の責任を問われた松井石根陸軍大将は判決を諒として死刑を享け入れている。B・C級戦犯も同じ。鳩山も日本人として責任云々を言い続けるなら、元首相として腹でも召して詫びなさいな。

 米ソのこうした人道に悖る行為を正当化する権利が在るとは思えない。 然し乍ら、米国と我が国は国の威信と存亡、民族の生死を賭けて戦っていたのであり、新しい兵器の開発と使用には三分の理を認めざるを得ない。然るにソ連はどうか。

 我が国とソ連の間には厳然とした「日ソ中立条約」があり、領土の保全と不可侵、そして中立が固く約束されていたにも拘らず、終戦間際に国際条約を蹂躙し、一方的に宣戦布告し戦闘に加わったソ連の蛮行は断じて赦されるものではない。

 ソ連の参戦は「ヤルタ秘密協定」での米英との約束の実行だが「ヤルタ協定」こそが国際法的にも意味を成さないものであり、国際的にも再検証する必要があろう。

 1945年(昭和20年)2月、ルーズベルト、スターリン、チャーチルは当時、ソ連西部のクリミア諸島のヤルタで会談を行った。ルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄を進言、ソ連の対日参戦を促した。

 ヤルタ協定では「ソ連が日本との戦争に参戦」「南樺太をソ連に返還」「千島列島をソ連に譲渡する」ことなどが決められ、この密約に従ってドイツが無条件降伏した約3ヵ月後の昭和20年8月9日、日ソ不可侵条約を一方的に破棄し参戦した。

 東部北鮮在留日本人の状況として、外務省外交文書「ポ宣言受諾関係・善後措置及び各地状況関係」には、対日参戦以降のソ連軍の蛮行が生々しく書かれている。

「ソ連兵ハ30年来ノ怨ミヲ晴ラスハ此時ナリトシ邦人ノ所持品ハ一物ヲモ残サズ略奪シ婦女子ニ対シテハ時所ヲ弁エズ暴行ヲ加フルノ暴挙ノ出テ・・・」「女32名ヲ広島屋ニ監禁シ女ハ一室ニ一名宛閉ジ若キ娘ハ毎日14、5名、年配ノ婦人ハ毎日10名交代ニ暴行ヲ加ヘ其ノ結果6名ハ死亡シ、然ラザル者モ負傷ノ為歩行ノ自由ヲ失ウニ至ル・・・」と、拉致した女性らは慰安婦にさせられていると綴られている。

 歴史を紐解く上でもソ連の蛮行と北方領土への侵略と不当性を知る上でも、ソ連参戦を要求した米英主導の「ヤルタ秘密協定」の不当性と残虐性を暴き世界に訴えるべきで、その不当性が明らかになれば「日本悪玉論」も根底から覆ることだろう。

 北方領土での戦いや悲劇は決して忘れてはならない歴史である。樺太でも同じ様にソ連からの猛攻によって約5700名の軍人や民間人が犠牲となった。ソ連共産党の残虐非道、鬼畜の行為は筆舌に尽くし難く、終戦後も収まることはなかった。

 捉えられた婦女子は「監禁され、ソ連兵に凌辱される」という恐怖から、自裁する道を選択せざるを得なかった女性も少なくなかった。樺太真岡郵便局の女子郵便局員9名も、ソ連軍が進行する中、職務を全うした後に自裁する道を選んだ。

 ポツダム宣言受諾後の昭和20年8月20日、樺太真岡郵便局員の伊藤千枝(23歳)可香谷シゲ(23歳)沢田キミ(19歳)志賀晴代(22歳)高石みき(24歳)高城淑子(19歳)松橋みどり(17歳)吉田八重子(21歳)渡辺照(17歳)が最後まで職務を全うし、最後は従容として青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。

 その二日前の18日の早暁午前1時頃、占守島の日本軍に対しソ連軍が奇襲上陸する。終戦により武装解除準備を始めていた守備隊は武装を整え直し、自衛戦闘を開始した。 戦闘は日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及んだ。日本軍の圧倒的勝利の中で、8月21日には武装解除に応じ戦闘が終結した。

 日本軍が武装解除を終えたのは3日後の24日だった。 この占守島の戦いに拠り、ソ連軍の千島列島の占領は遅滞されることとなり、その数日の間に米軍の北海道進駐が完了したことで、ドイツや朝鮮半島の様な北海道の分割統治は避けられた。

 そういう意味でも戦後に起きた「占守島の戦い」は大きな歴史的意義があった。 この戦いの後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士や民間人の全てがシベリアに強制連行されることとなった。

 理不尽な終戦後の戦争を勇敢に戦った兵士達は、こうした仕打ちさえも無条件降伏の無条件のうちだと信じて、飢えも寒さも、その結果としての知れ切った死すらも潔く受容した。ソ連は軍人、軍属、一般人80万人以上をシベリアへ強制連行し不当に抑留。実にこの半数以上の同胞が酷寒の地で凍死、餓死で亡くなられている。

 シベリヤに抑留され、極寒の地で亡くなられた方も数え切れず、抑留された日本人同胞は、国内では一般には約60万人と言われているがこの数字は軍属だけの数字であり、ロシアの資料では約70万人、米国の資料では約90万人とされている。

 ウクライナでも子供達を含めて多くの人がロシアへ送還や拉致されている。橋下徹らは「戦う一択」を批判し、また一部の日本人はロシアの正義を信じて疑わないが、ロシア人とは非情であり、この人間性は何年、何世紀経とうが治ることはない。

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2022年04月02日

若し自ら種々の生業(なりわい)を作(な)して自活することは邪命である

 大学卒業後、バイトで貯めた僅かなカネを持って帰郷。24歳の頃だった。商法改正後、防共挺身隊の活動が停滞したこともあり、郡山市で右翼団体を立ち上げた。

 収入のアテは無く名刺と領収書を持って会社を廻り、時局を喋り捲って協賛金を無心した。会社から頂いた協賛金なんぞアブク銭、頂いた浄財はその日の遊興費や飲食代で無くなった。働けば楽だとは思ったことは何度もあるが働かず現在に至る。

 二十代の頃の大きな収入源といえばサラ金だった。借入金は一社につき30~50万円。悪友とタッグを組み、事務所で留守番させて架空会社の従業員役をやらせる。

 愚生がサラ金に行き、書類に必要事項を記入して借金の申し入れ。サラ金屋は書類に目を通し、書いた会社に電話する。「もしもし、佐久間さんをお願いします」「今、営業で出ていますがどちら様でしょう」「すみません、また連絡します」。

 サラ金屋は、会社で働いてることを確認すると、ニコニコ顔で融資金を持ってくる。融資されたら支払うのは3回だけ。4回目には融資額を増額をさせる為に再度訪問する。すると担当は、「これ以上は貸せない」と断られる。当たり前だわな(笑)

 追加融資がダメだとなるとこっちも払わない。払わないとブラックリストになるのは時間の問題なので、そうなる前にサラ金巡りをすることとなる。三流サラ金から攻めれば好かったのだが、最初に大手サラ金に手を出したのが上手くなかった。

 上手く借りれば1000万ほどになったのだが、その半分にも満たなかったのは大失敗だった。サラ金がダメになると次は信販系に手を出した。サラ金と信販系は信用調査が別だったので、カードで買い物やキャッシングをするには便利だった(笑)

 キャッシングが限界と知るや、友人らに衣料品など必要な品を半額で買わせてはカードで支払った。最後の頃は新宿で手広くやってるマチキンや金融ブローカーのとこにも行った。誰にでも小銭を貸す連中も、愚生には貸さなかったっけ(爆)

 クレジットカードも大手の日本信販をパンクさせてしまったので、他の信販系も根こそぎ停められてしまった。もう少し巧くやりゃ好かったと今でも思う(笑)

 サラ金と信販系クレジットは好いシノギだった。そんな中でも独立した情報管理をしてた丸井百貨店だけはカード返却の請求もなかったので大事にした。過払い請求すれば100万円くらいは戻ったと思うが、恩義があるので止めといた(笑)

 サラ金や信販会社からの借入で、親や兄弟、友人らを保証人にしたことはないし、迷惑をかけたことも無い。後々、追い込みが来ても逃げたこともないし、裁判所に呼び出されれば、担当の弁護士と話し合い欠損処理する様に申し入れした。

 そんなこともあって、20代から30代始めまではブラックリストだった。それが、平成に入ると携帯が普及すると携帯からネットバンキングで手軽にキャッシングが出来る様になり、ダメ元でやってみたらすんなり審査が通ったのは驚いた。

 こうなると借りなきゃ損とばかり、ネットで次々と申し込んだ。そんな甲斐があってコンピュータが動きだし、ブラック解除となった。めでたしめでたし(笑)

 昔の様に踏み倒すことはしない。カード社会の現代ではカードが無けりゃ生活出来ないし、還暦過ぎになってブラックリストじゃ何かと信用問題にかかわるし。

 今では「少欲知足(しょうよくちそく)」を悟った。それとも高齢化で出不精になっただけか。若い頃の様な無理は出来なくなったし、明日の事が気になる様になった。こうした不安が過るのは歳を取った証拠なのだろうと熟熟思ったりもする。

 今では支援者は数件だけ。飛び込みで会社を訪れ、口角泡を飛ばし、或いは相手を煙に巻いてでも活動資金を捻出すれば好いのだろうが、歳の所為かどうも気合が入らない。右翼浪人を自任してるが乞食の様な無心生活も意外と大変なのである。

 乞食(こじき)とは本来は仏教用語で「こつじき」と読む。僧が自己の色身(物質的な身体)を維持する為に人に乞うこと。行乞(ぎょうこつ)ともいう。托鉢(たくはつ)といえば聞こえは好いが本来は乞食と同じ。会社訪問も托鉢だろうか(笑)

 托鉢とは、十二頭陀行(じゅうにずだぎょう)の一つで、簡素で清貧な修行に拠って煩悩の損減を図るのが目的であり、清浄の正命(しょうみょう)と定める。

 十二頭陀行には、「若し自ら種々の生業(なりわい)を作(な)して自活することは邪命である」と定められているが、要は兼業の坊主はニセモノということだ。

 これは右翼や自称愛国者にも言えることで、働きながらのなんちゃって右翼は生業を優先し、安逸な生き方を優先していることを以ても所詮はニセモノでしかない。

「営業右翼の改憲論者たちよ!民族の徒花たちよ!祖先から受け継いだ民族の本能の叫びに耳を塞ぐ勿れ!諸君らは死してどこへ帰るといふのか?このやうな羊頭狗肉の欺瞞は必ずや今後の動向と後世による歴史の審判によって白日に曝されるであらう」との、弁護士で國體護持塾塾長の南出喜久治の言葉が重く圧し掛かる。

 因みに「軽犯罪法」1条22号には「こじきをし又はこじきをさせることを禁止し、違反者には拘留又は科料」と規定されている。ということは、勤労意欲に乏しい愚生は拘留される身の上であるとも言える訳だ。拘留は好いが過料はイタイな。呵呵。

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2022年04月01日

卯月一日「四月馬鹿(エイプリルフール)」を考えてみる(笑)

 今日から卯月、朝まだきから身を清め、神饌を新しくし、畏くも陛下の弥栄を念じ、併せて心願成就を祈念する。今日は「四月馬鹿」、エイプリルフール、嘘を吐いても好い日だと言われている。但し、午前中限定ですので御忘れなく(笑)

「嘘も方便」とか「嘘は世情の宝」という。嘘というのは悪気のある嘘は詐欺だが、どうせ吐くなら相手への思いやりが込められたものや世間を和ませるものが好い。

「講釈師見て来た様な嘘を吐き」なんてのもあるし、「商人は損と求めて蔵を建て」とかいうのもある。商売人というのは、口では「儲かりません」と言いながら、いつの間にか大きな蔵(家)を建てるなんてのはよくある話し。

「紺屋(こうや)の明後日」というのがある。紺屋(染物屋)というのは天候に左右されるので、仕上がりが不安定で約束した期日は当てにならないという喩え。

 愚生の実家のラーメン屋でもそうだったが、出前の催促が来ると「今、出ました」なんてよく言ってたが、アレと同じだ。そしてまた催促の電話が来たり(笑)

 花魁の世界には「手練手管(てれんてくだ)」なんてのもある。今でいうとキャバ嬢やホステスだろうか。「手練」とは人を思うままに操り騙す技巧だが、スナックなどでホステスの嘘を勘違いして、ついつい熱くなるなんて経験はないですか(笑)

 嘘には好い嘘と悪い嘘があるというのは分かるだろう。自分の為に吐く嘘は感心しないが、周りを安心させる様な、また和ませる「嘘」は吐いても差し支えはない。

 小洒落だ気の利いた嘘も吐けないのはバカ正直。そんな輩は世間からは遠ざけられる傾向があるが、そんな馬鹿正直な人も最近はめっきり見かけなくなった。

 まぁ、何事も一面な見方や考え方ではなく、相手の本音やついつい吐いた嘘に隠された真実や優しさを見抜くことが出来れば人生もっと面白いというもの。

 釈迦牟尼は「地獄」「極楽」を創られ、民衆の心に安らぎを与えた。キリストもまた「天国」への夢を誘って多くの人々を救ってきた。「地獄」「極楽」「天国」なんてのは大きな嘘の典型だろうが好い嘘だ。人間死んだらハイそれまで(笑)

 仏教でもそうだが「五戒」「十戒」というのを訓えている。だが、こうした戒めを守ってる坊主や仏教徒なんぞおるまい。正しく、日本国憲法前文に明記されてる「平和を愛する諸国民の公正と信義」のキレイゴトというか大嘘と同列だわな(笑)

「不殺生戒(ふせっしょうかい)」。生き物を害してはならない。また他人に殺さしめてはならない。また他人が殺害するのを容認してはならない。

「不偸盗戒(ふちゅうとうかい)」。他人のものを盗んではいけない。また他人をして盗らせてはならない。また他人が盗るのを認めてはならない。

「不邪婬戒(ふじゃいんかい)」。不道徳な性行為を行ってはならない。これは、不倫や強姦を指すが、他にも性行為に溺れるなどの行為も含まれる。

「不妄語戒」。嘘をついてはいけない。また他人をして偽りを言わせてもならない。また他人が偽りを語るのを容認してはならない。

「不飲酒戒(ふおんじゅかい)」。酒を飲んではいけない。また他人をして飲ましめてもならない。また他人が酒を飲むのを容認してはならない。

 この項目に「不塗飾香鬘 (ふとしょくこうまん))」「不歌舞観聴」「不坐高広大牀 (ふざこうこうだいしょう)」「不非時食 (ふひじじき)「不蓄金銀宝」を加えたものが「十戒」という。モーセの十誡は知らんがこれと似た様なものだろう。

「五戒」や「十戒」とは、開祖の坊主らの経験に基く自戒の意味を込めた箴言だと思ってるが、愚生的にはこの中でも「不飲酒戒」は守るのは絶対無理だわな(笑)

「嘘は泥棒の始まり」とか「嘘を吐くと閻魔様に舌を抜かれる」という様に、嘘というのは悪いものだと教わって来た。だが、噓が罷り通ってるのが政治の世界だ。

 我が国の政治家の世界はホンネは出来るだけ出さない方が好いとされ、政治家の嘘には馴れっこになってしまっている。現代では「嘘つきは政治家の始まり」か。閻魔様に舌を抜かれる様な政治家は地獄行き。つ~か、地獄の概念も噓だろう(笑)

「人は小さな嘘には騙されないが大きな嘘には騙される(ヒトラー)」という。毎日目にするマスコミ報道やネット情報の多くは嘘だと思ってりゃ間違いはない。呵々。

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