2021年11月

2021年11月30日

秋篠宮皇太弟(皇嗣)殿下の公式記者会見について思うこと

 秋篠宮皇太弟(皇嗣)殿下の御誕生日に当り謹んで御祝い申し上げます。

 相変わらず売国マスコミは皇族方への敬称は使用しないで「さま」付けで呼んでいる。マスコミの「敬称・敬語不使用」や「開かれた皇室論」の姿勢こそ、天皇陛下や皇室に対する敬愛の念や尊厳を薄れさせている要因を招いている元凶である。

「開かれた皇室論」とは、我が国の天皇即日本という国柄の破壊を目指す共産主義者の策謀であるのは言わずもがな。1932年、ソ連共産党から日本共産党へ、「コミュンテルンテーゼ(命令書)」という指令が出されたことは歴史的事実である。

 本来の日本人ならば「陛下」「皇后陛下」「上皇陛下」「上皇后陛下」「秋篠宮皇太弟」「親王殿下」「内親王殿下」「女王殿下」と正式な敬称で呼ぶべきで、「さま」と呼ぶことに因って我が国の万邦無比の国體の精華が喪失して行く。

 本来は「皇太弟」と呼ぶべきところ、何故か共産党の造語である「皇嗣」と呼ぶ。その意味は、皇位継承順位第二位の悠仁親王殿下即位阻止が目的である。

 男子皇族の後継者不足の問題が出始めたのは、敬宮愛子内親王殿下が誕生されてからのことだった。反天皇勢力は現憲法第二条を曲解し「長子優先」を謀った。

「長子優先」は、現憲法第二条「皇位は世襲のものであつて国会の議決した皇室典範の定めるところによりこれを継承する」を念頭に置いた策謀というのが正しい。

 新聞には恒例の秋篠宮殿下への会見の全文が掲載されている。真子内親王の御成婚もあり、それに託けた質問が多かった。皇族数の確保についての質問も、間接的ではあるが「女性宮家」の言葉を引き出そうとの悪意が見え隠れする。

 陛下を始め、上皇陛下や秋篠宮殿下に於かれては御自信の問題であるし、立場上私見を語ることは許されない。それを好いことに悪意に満ちた無礼千万な不敬不遜な質問を投げ掛ける。真子親王の御成婚問題なんぞ聞く必要もなかろうに。

 マスコミは「開かれた皇室」を翳し、国民と皇室の垣根を外そうと必死だが、こういう形式での会見は皇室の尊厳を貶めるものであり抵抗を感じざるを得ない。

 コミュンテルンテーゼには「天皇制廃止運動」として、昭和天皇の「戦争責任・退位論」に始まり、「開かれた皇室論」「敬称・敬語不使用運動」と続く。敬称や敬語を使わないことが「親しみ」だというのは反天皇運動の継承である。

 平成に入ると「女性宮家」「女性天皇論」が蠢き出し、旧皇族の皇籍復帰を絶対に認めることはない。令和時代の現在でも反天皇制運動は巧妙に継続されている。

「天皇制廃止運動」は、戦後の昭和20年代には、頻りに「天皇の戦争責任・退位論」が論じられたが。これも天皇を制度として捉えたものだが、天皇は天皇であって制度ではない。現憲法下での国事行為が制度化されてしまっているのだ。

 抑々「象徴」とは現憲法下での御立場であり、天皇というのは憲法以前の存在であらせられ、憲法が在って存在せられるものではない。その「象徴」も主権の存する国民の総意が条件であり、反天皇勢力が存在してる中での総意は不可能なのだ。

 現憲法は第一章「天皇」の条項を始めとして問題点や矛盾点が多い。第一章の「天皇条項」を読めば、悲しい哉、天皇は国事行為のみを行う政府の傀儡でしかない。

 この第一条を始めとした「天皇」の章を見直さず何が改憲派か。第九条にのみ拘っていることこそ、九条の会と変わらない究極の護憲派勢力と断じて好かろう。

 我が国は、天皇即日本、日本即天皇であり、天皇の存在せられない日本は断じて在り得ない。これ即ち、明治天皇が教育勅語の中で、世々その美を済せる国體の精華であると御諭しなされたところであり、万邦類い無き天皇国日本の真姿である。

 欽定明治憲法第一条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と在るのは、この歴史的事実と、我が国の本来在るべき姿を明示されたものと勤解する。

 陛下や秋篠宮皇嗣殿下の御言葉はその影響するところは大であり、正に「綸言汗の如し(りんげんあせのごとし)」なのである。半天皇勢力は、それを承知で一問一答形式で御言葉を引き出し、世論誘導を企んでるのは火を見るより明らか。

 陛下や皇太子殿下、秋篠宮殿下というのは政治家の様に口先で誤魔化し、その場を逃れ様ということをなさる方々ではない。その御地位、御立場と崇高な御人格がそれを許さない。ところが、相手の記者団といえば海千山千の強か者ばかり。

 恰も皇室や皇族方を理解している様に取り繕ってはいるが多くは皇室に批判的な左翼や無自覚左翼ばかり。少なくとも尊皇絶対の大義を弁えている記者はいない。

 今では当たり前となった記者会見で、皇族方の言葉尻を捉えて政治問題にしようという記者が存在しているのは確か。こういう御座なりな会見は断固拒絶するのが妥当であり、宮内庁は別な形での国民への御発露の方法を考えるべきである。

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2021年11月28日

「男子三日会わざれば刮目して相対す」というが

 数日前、以前所属していた防共挺身隊(防挺)・羽田支部時代に副支部長だった中野一史から連絡があった。「久しぶりですね」と愚生。酒が入ってるのか「今は、群馬の重野さんの『耕雲塾』にいるよ。耕雲塾は時対協にも入ったよ。時対協は(ヤクザの)ヒモ付きじゃないしな」と、久闊を除することなく一方的に話し続ける。

 その昔、重野さんが地元暴力団から追い込みを掛けられて防挺に迷惑をかけたことなんてのは知らないんだろうな。また「平澤(次郎)さん(時対協顧問)ともよく話してるよ」という。何が悲しくて70歳近くになって右翼復帰なんだろう。単に枯れ木も山の賑わいか。恐らくは、群馬の重野さんが迎え入れたんだろう(苦笑)

 中野は、羽田支部時代は行動隊長で三代目総隊長に就いた對馬則政とは青森県の同郷で兄弟分だったが、商法改正で防挺がバラバラ(支部を解散し〈防人の集い〉)になり羽田支部も「報国社」になった頃にはフケてもういなくなってた元先輩。

 愚生の30年余の右翼活動歴の人生の中で、国士舘時代から数年間の付き合いしかないし、カネにルーズ(サラ金から金を借りさせらる)で、女好きというイメージしかない。当時付き合っていた女性が妊娠し中絶することに。中絶同意書は何故か愚生が署名することになった。こんなこともあって以来、愚生には水子の怨念が(笑)

 二代目の早坂光夫総隊長時代を知らないで、初代福田進時代の防挺だけでその後の防挺を語って欲しくはない。唯、中野は羽田支部時代には福田赳夫首相殺人予備罪で逮捕され、1年数か月の囹圄の経験があるのは愚生も認めるところ。

 初代の頃は、事件を起こすのは幹部会で決められた。他の支部が躊躇する中で羽田支部からは中野や對馬が指名され事件を惹起している。横浜の某大物右翼に言わせれば「囹圄の経験もない右翼はダメ」らしいが、そういう意味では中野は実績はあるわな。因みに、中野や對馬を育てた岩瀬や愚生はダメな部類に入る(笑)

 對馬が三代目となった頃は企業からの支援も無く会費制となり、愚生の上納や活動費は月50万円以上に上った。稼いだカネの殆どは右翼活動と避け酒代に消え、家庭を顧みることはなかった。早坂時代に中野がいても恐らくどっちにしてもフケただろうし、對馬時代になりいたとしても活動費の捻出が困難を極めただろうな。

 昔の防挺しか知らない中野は、唐突に「みどりさんも元気にやってるよ」という。みどりさんとは昔の防挺の女子部隊隊長で蒲田では有名な老舗スナック「バッカス」のママ。以前、アド街ック天国を観てたらみどりさんが映ってたっけ。齢80半ばを過ぎて店に出てるのは大したものだが、全く興味の無い話だわな。

「上の姉ちゃんは亡くなったよ」と聞く必要の無い情報を語る。因みに、みどりさんの兄は防挺幹部で西原こと「姜」。幹部には石川こと「鄭」もいたっけ。昔の在日は「反共」精神に篤かったから右翼に所属したとしても別段不思議じゃなかった。中でも防挺は愚連隊右翼だったから約半数が在日だった(笑)

「岩瀬支部長とは会ってるんですか?」というと、何やら岩瀬は脳梗塞を二回患い車椅子の生活だという。要は、對馬も亡くなり、会話も儘ならない岩瀬は社会復帰は無理ということで、昔の防挺と縁のある別組織に入ったのだろうが、そんな不義理な男を迎い入れる右翼団体というのも嗤える、というか度量が広いな(笑)

 防挺の現況も聞いた。「こないだ山口二矢の墓前祭に行った際に聞いたが、隊長やってる大港って知ってる?たまに宣伝車を出してるが、ただ音楽を流してるだけ」だと笑ってた。山口二矢の墓前祭は50年を機に終了した筈なのだが、今は愛国党や防挺が中心ではなく二矢烈士とは縁のない連中ばかりが出しゃばってる様だ。

 防挺の現総隊長になってる大港は愚生より歳は上だが、配送業をやっていて防挺時代は「遊撃隊隊長」としての数年だけ。對馬が弘道会入りし、四代目総隊長に就くも何故か愚生が除籍され、残った連中もヤクザ入りを拒否したり破門やら絶縁やらで、残った大港が名古屋から指名されただけ。思想も何もないただのドライバー。

「佐久間も東京に来ることがあったら連絡くれよ。酒でも飲もうや」という。40年近く音信不通だった男が、昔の先輩後輩のイメージだけで偉そうにしていたが、「男子三日会わざれば刮目して相対す」というの男の付き合いを微塵も感じなかった。「東京へは行く機会もないし、連絡はしませんよ」と電話を切った(笑)

 中野にしろ誰にしろ、どこの組織で何をしようが勝手だが、「ヤクザの柵が無い」というのは嘘というか実態を知らないだけ。多くが暴力団傘下だし、一本独鈷とは聞こえは好いがその純粋右翼はヤクザブルばかり。第二期の防挺隆盛時代を創った自負がある愚生としては、防挺の現況を聞いて隔靴掻痒の感が拭えない。呵呵。

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2021年11月25日

決して挫けることなく初一念を貫いて皇国日本の再建に邁進せよ!

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 三島由紀夫は同行した森田必勝と共に、昭和45年11月25日午後0寺15分、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地、東部方面総監室にて割腹自決した。

 三島・森田の死から半世紀以上が経ち、改めて現憲法の矛盾性と不当性に多くの国民が気付き始め、憲法改正の必要性を感じている。だが、三島が訴えたかったのは、皇軍であるべき自衛隊の存在を否定する憲法改正の訴えは単なる手段に過ぎず、真に訴えたかったのは「日本人を骨抜きにしてしまった現憲法」に対峙し、憲法改正ではなく、矛盾だらけのクソ憲法を破毀することこそが主眼であったと確信する。

 携行したその「檄」には、「もっとも名誉を重んずるべき軍が、もっとも悪質な欺瞞の中に放置され・・・自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず」と喝破した。

 だが、悲しい哉、自衛隊は現行憲法下では憲法違反の存在であり、未だ「警察予備隊」時代のまま、「集団的自衛権の憲法解釈」などという目先の誤魔化しによってかろうじて存在し、あやふやな中途半端な存在のまま放置され続けているのだ。

 自らの国家の防衛をも否定する矛盾だらけの現憲法を見直し、違憲状態の自衛隊を「国軍」とすることに、何を躊躇し、誰に憚るというのか。防衛に勤しむ自衛官は心強いし、災害に立ち向かう姿は頼もしい。自衛官は我が国の誇りである。

 そういう意味では、先日の総選挙の結果はインチキ平和主義の護憲政党である公明党との決別を明確にするべきであるとの思いを逞しくした。自公連立が続く限り、憲法改正は愚か、戦後政治からの脱却なんぞ絵空事で終わるだろう。

 抑々、自民党は、公明党との連立に固執するのは、公明党の集票力を期待してのこと。だが、衆院選や他の選挙の結果を見るまでもなく、創価学会員の集票力は低下する一方だ。今や、誰もが自公連立に意味など無いことに気付いている。

 創価学会票に期待するよりも自民党内に蠢く獅子身中の虫の剔抉こそ大事。政権に固執するばかり自公連立を優先する余り国益を害することがあってはならない。

 憲法論議を避け、自衛隊の存在意義を無視し、国防を論ずることなどあってはならない。政治家のこれ以上の怠慢は赦されない。戦後のあらゆるタブーに挑戦せよ。

 昭和45年11月25日の決行当日、同行した小賀正義に命令書が渡された。死を決意して臨んだ行為に「生き残れ」と命じた三島の思いや、残される三人の気持ちを考えると慟哭を抑えきれない。その中の一文にはこう記されてあった。

「小賀正義君。君は予の慫慂により、死を決して今回の行動に参加し、参加に際しては、予の命令に絶対服従を誓った。依ってここに命令する。君の任務は同志古賀浩靖君と共に人質を護送してこれを安全に引渡したるのちいさぎよく縛につき、楯の会の精神を堂々と、法廷に於て陳述することである。今回の事件は、楯の会隊長たる三島が、計画立案、命令し学生長森田必勝が参画したるものである。三島の自刃は隊長としての責任上、当然のことなるも、森田必勝の自刃は、自ら進んで楯の会全会員及び現下日本の憂国の志を抱く青年層を代表して、身自ら範を垂れて、青年の心意気を示さんとする。鬼神を哭かしむ凛冽の行為である。三島はともあれ、森田の精神を後世に向って恢弘せよ。しかしひとたび同志たる上は、たとひ生死相隔たるとも、その志に於て変りはない。むしろ死は易く、生は難い。敢て命じて君を艱苦の生に残すは予としても忍び難いが、今や楯の会の精神が正しく伝わるか否かは君らの双肩にある。あらゆる困難に耐え、忍び難きを忍び、決して挫けることなく、初一念を貫いて、皇国日本の再建に邁進せよ。楯の会隊長 三島由紀夫 昭和四十五年十一月」

「益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて今日の初霜」(三島由紀夫)

「今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは」(森田必勝)

 旧来の思想や社会構造を打破しようとするとき常軌を逸した行動が生まれる。浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢を筆頭に三島由紀夫と森田必勝、野村秋介らの行動こそが正気の狂気であり、この狂気こそが我が国に圧し掛かる重苦しい閉塞感を打破する力に成り得るのだ。 今こそ彼らの精神を想起し、祖国日本の恢復を急ぐべし!

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2021年11月23日

本日は「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う日」である

 本日は新嘗祭。誠におめでとうございます。新嘗祭に当たり、豊穣の秋に感謝すると共に、畏くも陛下の弥栄と皇室の安穏を祈念する。

 祝日法では本日は「勤労感謝の日」となっている。「勤労感謝」というと何か、労働していることに感謝する日の様に思ってしまうが、本当の意味は「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」という趣旨である。

「万物の生産を祝う」とは、つまり、神の加護による農作物を始めとした恵に国民が互いに感謝し合う日なのだが、その意味を穿違えている国民は少なくない。

 いつの間にやらハロウィンでは随分と盛り上がる風潮となった我が国だが、勤労感謝の日とは新嘗祭であり、日本版のハロウィン。そっちの方が分かり易いか(笑)

「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」とするならば、国策としての農業振興と食の安全保障や食料自給率の向上こそ急務だが、政府の減反政策一つ見ても政治家からは真剣に「農」を考える言葉は発せられない。

「農業」とは愛郷心であり、祖国愛に繋がるものであり、愛情というものがそこには無くてはならない。世界各国でも「農業」の保護政策が行われているが、それは、そうした国々は「農は国の本」ということを自覚しているからである。

 悲しい哉、我が国は戦後、農本主義的国家観は排除され大輸出国の米国の戦略に嵌った儘で、「農」を金儲けと捉えている。国家の大本である軍事的安全保障で自立出来ず、食料安保でも自立出来ずに真の独立国家といえるのだろうか。

 国造りと農業の関係を、単なる経済論で語ることは、祖国愛や郷土愛を放棄したと断じられても仕方ない。今こそ「平成の農本主義」を構築する為にも、安易な輸入物の購入を拒否し、食糧自給率向上を真剣に考えなくてはならない。

「新嘗祭(しんじょうさい、にいなめさい)」の旧くは、霜月(11月)下旬の卯の日に斎行され、「日本書紀」には、皇極天皇が皇極元年(642年)11月に執り行ったと記されている。明治6年以降は11月23日に行われることとなった。

 戦後、GHQの「神道指令」に因って「新嘗祭」という呼称は廃止され、昭和23年に「勤労感謝の日」と改められ現在に至っているが、国柄を考えれば、やはり「勤労感謝」というより「新嘗祭」という名称こそが相応しい。

 因みに、天皇の即位後初めて行うものを「大嘗祭(だいじょうさい)」というが、今や大嘗祭は現憲法にも皇室典範にも明記されていない。こうしたことをしても、天皇を戴く我が国の正統性にとっても現憲法はそぐわない。

 本日、宮中では天皇陛下が新穀を神々に供え、厳かに儀式を執り行うが、宮内庁は陛下の負担軽減として平成24年から、歴代天皇が執り行ってきた「暁の儀」の拝礼を取り止めた。が、こうした宮内庁の対応を訝しく思うの国民は少なくない。今後、歴史の中での祭事にどういう結果を影響を齎してしまうのか知る術もない。

 天皇は現憲法「天皇」条項の制約から、国事行為として「国会の開会式」「首相や最高裁長官の親任式」「大臣の認証式」「親授式」、国賓・公賓への接遇や会見、会食、皇居清掃団への会釈など御勤め遊ばされる。

 宮内庁は「負担軽減」と言うが、天皇にとって最も大事な祭事を最優先し、国事行為や公的行為こそ軽減すれば好いことで、負担軽減とは堅白同異の弁でしかない。

 上皇陛下の御発露を受けて、負担軽減なのなら「国事行為」や「公的行事」は皇太子殿下(当時)や秋篠宮親王殿下が輔佐する環境こそ整えるべきであった。

 現憲法下では、歴代天皇が古来より司って来た「祭事」は、天皇家の「私事」とされてしまい、歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定してしまった。これつまり、未だ占領政策の「神道指令」の呪縛が解除されずにいる証左である。皇室に関わる多くの祝日の意義を薄れさせ国體が破壊され続けている。

 宮中祭祀で特に重要なものは、元旦未明に執り行われる「四方拝」と、本日の「新嘗祭」であり、天皇にとって大事なものは国事行為ではなく「祭事」である。憲法論議は第九条より、第一章「天皇」の1~8条こそ論ずるべきなのだ。

 今日は全国各地や県内の集落でも「山ノ神講」という、山々の神に感謝し収穫を祝う行事という飲み会が行われる。山ノ神講は、新嘗祭の風習や伝統を重んじ伝えて来た名残りでもあり、こうしたことでも天皇と国民は繋がっている。

【すめらぎの千代万代の御代なれや花の都に言の葉もなし】すめらぎいやさか。

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2021年11月22日

「1000万人移民計画」を推進する財界とその実行を謀る岸田政権

 岸田文雄政権下で「外国人労働者拡大の動き」が急浮上した。「1000万人移民計画」は労働者不足を理由に財界が提言した策謀であるが正に財界に社稷を想う心なし。営利至上主義の狂奔する財界に保守を自任する自民党が御先棒を担ぐ。自民党政権下で、陰でコソコソとやって来たことは実に如何わしいものばかり。

 安倍政権下では、安全安心と言われた我が国の農作物が経済至上主義から「種子法廃止法案」「農業競争力強化支援法」「残留農薬基準の大幅緩和」が実行され外資の参入を容易にした。農業の危機は葦原瑞穂国という我が国柄の崩壊である。更には、天皇退位法案成立を謀った安倍は、陛下の大権である元号制定権を簒奪した。

「国籍法」を改悪し「外国人登録法」を廃止したのは麻生太郎政権だった。また、韓国人の日本へのビザなし渡航を推進したのは小泉純一郎であり、小泉政権の官房長官は安倍だった。何が「戦後レジームからの脱却」か、何が「美しい日本」か。

 保守論客らは、岸田首相の外国人労働者拡大の動きに「岸田首相は大移民政策に舵を切るのか」と批判し、人材不足を理由に外国人の在留期限を無くす方向で調整していることに「事実上の『移民解禁』ではないのか」と疑問を投げかけている。

 移民解禁を具体的に進めたのは安倍である。安倍は「日本をどこまでもオープンにし、世界から、ヒト、モノ、カネを呼び込む」と明言し、ニューヨークでの講演では「国籍や国境にこだわる時代は終わった」と宣言したのは記憶に新しい。鳩山由紀夫や民主党が叫んでた「グローバル社会の実現」と大して変わらない。

 衆議院予算委員会では、移民受け入れ問題に対して、自民党内の反対派へ配慮し「我が国の将来のカタチや国民生活全体に関する問題として、国民的議論を経た上で多様な角度から検討して行く必要がある」との認識を示している。

 そうした認識を持ちながら、安倍は外国人の単純労働者の受け入れや「年間20万人の移民の受け入れ」を検討し、巧妙にその実行を謀った。「年間20万人」という数字は、「50年間で1000万人」という「1000万人移民計画」の数字と合致する。

 安倍政権が積極的に押し進めたTPP参加に加え、「種子法廃止法案」「農業競争力強化支援法」が外国人の往来に追い打ちをかける。岸田政権下での「外国人就労は熟練者対象の他に農業など全分野」というのは安倍政権の継承である。

「1000万人移民計画」は国民的議論などされることなく、なし崩し的に実現されようとしているのは断じて許されざる蛮行である。移民は経済問題以外にも、文化、宗教、言語、教育、治安の問題など様々な社会問題を惹起する危険を孕む。

 我が国は世界の中で最も優れた精神文化と独自の価値を有する国家であるが、その国柄が労働者不足を理由にした外国人労働者拡大という実質の移民計画によって破壊されて行くことは火を見るより明らか。国柄を破壊しながら何が「保守」か。移民計画にしろ、媚中外交にしろやってることは単なる経済界の走狗ではないか。

「保守」とは、我々日本人が未来永劫護り抜かねばならぬ民族、宗教、言語、歴史、価値観、習慣、制度の世界の中で最も優れた精神文化を護り、継承して行くものでなくてはならないのだ。何より、護るべきは皇統であり「天皇国日本」である。

 天皇国日本が、異民族の支那漢民族や朝鮮民族を始めとした外国人を国内に抱え込むことに因って多民族国家に変化し、混血が進み、純粋な日本民族は次第に減少し、それに因り祖国日本の国柄が崩壊する様なことがあってはならない。

 今や世界に不法移民が大量に溢れ出ている。欧州諸国では、移民を大量に受け入れたことで行政負担増や治安悪化などが度々問題になっている。近隣アジア諸国や南・北米、ヨーロッパ、アフリカ、オーストラリアと地球の隅々にまで及んでいる。そんな中で我が国は積極的に移民を受け入れるというのだから狂気の沙汰だ。

 移民の多くが密航や偽造パスポート、成り済ましなどで不法に相手国に入国し、行く先々で文化衝突を繰り返し、犯罪を撒き散らしている。外国人の犯罪の中で支那人の検挙件数が突出していたが、最近ではベトナム人の犯罪が多く見られる。

 移民大国の米国に密入国する支那人らが目指す最終目的地は北米大都市のチャイナタウンだった。ニューヨークとサンフランシスコのチャイナタウンでは、抗争や恐喝、暗殺、殺人事件が頻発しており、サンフランシスコではチャイナマフィアはイタリア系マフィアにとって代わる存在になりつつあるというから恐ろしい。

 南米にもチャイナマフィアの勢力は拡大しており、支那移民の巻き起こす凶悪犯罪が後を絶たない。ブラジルのサンパウロを拠点とし、毎年年末になるとみかじめ料を要求。払わないと店を壊されたり、店主が殺されたりするのは茶飯事。

 日本でも「チャイナタウン構想」が後を絶たない。日本人の多くは横浜中華街や神戸南京町の光景を思い浮かべるだろうが、どっこいそれは妄想に過ぎない。

 横浜中華街も今や一攫千金を狙った新華僑が居着き、観光客相手に強引に甘栗を売ったり、インチキ占い師が許可無く営業し中華街の光景を違ったものにしている。

 地方経済の活性化と景気回復の起爆剤になるだろうとの浅はかな考えで中華街構想を実行すれば、将来に大きな禍根を残すであろう事は火を見るより明らかだ。

 世界各国への支那人の進出は往々にして中華街(チャイナタウン)の建設から始まる。数年前にラオスに中共政府が広大な土地を入手し5万人の中華街を建設したが、今やラオスは支那人に席巻され、国自体が中国共産党に併呑されてる状況だ。

 外国人労働者の「特定技能2号」は、建設と造船・舶用工業分野だけだが、農業や漁業、飲食料品製造業、産業機械製造業、外食業、宿泊など11分野が追加される。

 介護の分野を含め来年度にも在留期限を無くす方向で調整しているが、日本人は憲法前文の「平和を愛する諸国民の正義と秩序」という妄想を信じ過ぎている(笑)

 国家の根幹に係わる問題を、キチンと突き詰めた議論がなされないまま、安っぽいムードだけでやれ「親善」だとか、やれ「グローバル時代の到来」だとか「世界ではこうだ」とか実に曖昧な次元で語られる。「1000万人移民計画」も同じ。

「人口が減れば労働力が減り、国力も低下する」などと営利至上主義の賤しい経済団体の言い訳に踊らせているが、喩え人口が1億人を切ろうが、7000万人程度になろうが、移民や不良外国人を殖やして国柄が破壊されるより結構ではないか。

 明治維新という大業を成し遂げ、日清・日露戦争という国難に立ち向かった時代の人口は約7000万人。昭和の高度成長期には約8000万人程度だったではないか。

 安倍政権下で推進した移民政策を岸田政権下で完遂を目指す。国柄をも変える愚策の問題点や危険性を徹底的に指摘し、批判することは大事なことだ。そういう意味でも、我が国の歴史、伝統、文化に基づいた政策を堂々と掲げ、実行しようとする反日的な愚策に理路整然と対抗する真正保守政党の出現を待望して止まない。

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2021年11月20日

「政党交付金」を支給し続けることは国民への詐欺行為である

 先の総選挙で当選した議員が働いた日数が1日しかないのに、文書交通滞在費100万円が支給されたことが国民の常識から乖離してるのではとの声が上がり、日割り支給に変更する歳費法改正案が来月の臨時国会で成立する見通しとなった。

 国会議員には、歳費として年間約2300万円、文書交通滞在費1200万円、公設秘書の給料や議員会館や議員宿舎など、年間1人当たり1億円以上の国費が計上されている。問題となった文書交通滞在費は、月100万円×12か月と決められている。

 文書交通滞在費問題を焚付けたのが日本維新の会。大阪府知事で日本維新の会副代表の吉村洋文は、「日割りだけ合意しているのであれば誤魔化しだ」と、自民党と立憲民主党が提出する日割り支給に変更する歳費法改正を批判した。日本維新の会は、使用した経費について領収書の添付を求める法改正を目指している。

 吉村は「経費である以上、領収書を付けて精算する。余れば返金を可能にする。ここの本質が最も重要だ」と尤もらしく語っているが、経費という血税を語るならば、月100万円の文書交通滞在費より政党交付金の方が遥かに問題だろう。

「政治活動の自由」という観点から、政党交付金の使い道には領収書の添付どころか使用制限も立法事務費も使途報告の必要も解散時の返納する義務もない。交付金が血税であるなら使途を明記するのは当たり前で、また解党した場合には返納を義務付けるべきだが、日本維新の会は、文通費より高額な政党交付金の問題は語らない。

 日本共産党の志位は、「文通費に止まらず、毎年約320億円の見直しが必要だ」と指摘し、「支持してない政党に自分の税金が無理やりカンパさせられてる」と、政党交付金の在り方を見直すべきと批判したが、この志位の認識は正しい。

 政党交付金をネコババしたといえば小沢一郎だろう。小沢は「新生党」と「自由党」解党時の交付金23億円を着服し不動産を購入したことは記憶に新しい。

「合法的なら」とか「法律の範囲内なら」と法を巧妙に抜け、不動産購入や蓄財をしたことは政治家として万死に値する破廉恥行為。「陸山会事件」は政党交付金の在り方を問うべき大問題だったのに、与野党議員は交付金欲しさに沈黙した。

 政党交付金(政党助成金)は、リクルート事件やゼネコン汚職事件が相次いだことから、企業、労働組合、団体からの政治献金を禁止する代償として導入したものだ。

 政党・政治団体への政治献金を制限する代償として、細川護熙首相は「ドイツでは国民がカネを出し合って政党を援助している。政治家がカネ集めに奔走しなくて済むし、何よりクリーンな政治を実現出来る」と、その効果を国民に訴えた。

「政党助成法」の成立で、企業献金や政治資金パーティーは無くなり、政治家は国家国民の為に汗してくれるものと思い、そうなることを国民の誰もが期待した。

 政党助成金は国民一人当たり約250円。年間総額約320億円。国会議員一人当たり約5000万円だが、先に述べた通り国会議員には年間1億円以上が支払われている。我が国の政治家どもは、ホント幾ら貰ったら滅私奉公してくれるのだろうか?

 政治家1人に1億5000万円。誰が見ても政治活動をするには十分過ぎる金額だと思うが、欲の皮のツッパッた政治屋どもというのは違う様で、相変わらず企業団体や個人からの献金、政治資金パーティーと、国政そっちのけで金策に狂奔している。

 細川が「政党助成法が成立すれば、何よりクリーンな政治を実現出来る」と語ってたのに、この現実を見れば国民に対する「政党交付金詐欺」ではないのか。

 政党交付金は政治献金禁止の代償なのに未だ企業団体献金が無くならない現状を鑑みれば、政党交付金は即刻廃止すべきものであるのは言うまでもない。

 政党職員の給料などもこの政党交付金で賄われており、公務員の様なこじんまりとした給与目当ての政党職員が多くなったのも政党交付金に因る弊害。政党交付金と小選挙区制度比例並立制の廃止こそ政治を正常化させる得策である。

 日本共産党が「政党助成金制度は止めるべきだ」と反対し交付金も受け取っていない。敵ながら天晴れなことだ。共産党でさえも解りきってることが、守銭奴著しい政治屋どもには全く理解出来ていないこところが国民の不幸の元凶でもある。

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2021年11月17日

ワクチン接種証明済書でワクチン接種否定派との分断を謀る感染症対策分科会

 新型コロナ感染症対策分科会が、失敗に終わった過去の提言や対策を恥じ入ることなく「ワクチン・検査パッケージ制度」というまた下らん提言をしてきた。ワクチン接種証明済書で、ワクチン接種否定派との分断を謀るつもりか。

 尾身茂分科会会長は、屋上屋を架すが如く「人出を5割削減」などとデパートや飲食店への人数制限を強制し、「2週間やれば必ず結果が出る」と言って乍ら、効果が出なかったのにも拘わらず責任を取らず会長に居座った。その後、感染者数が激減したが、ワクチン効果だけが理由ではなく、ウイルス自体の原因という声も聴く。

 ワクチンの有効は半年余り。つまり、ワクチン証明書を何年かに亘り発行し続けるしかない。ワクチンは重症化を防ぐ目的であり、感染を防ぐ効果は接種者同士には効くが未接種者には意味は無い。要は未接種者は外に出るなということか。

 思い付き程度の下らない提言より感染症第二類指定解除を提言しなさいな。日本より感染者や死者が多い諸外国で医療崩壊が起きていないのは、感染症指定で医療機関の対応を縛るのではなく一般のクリニックで対応しているからだという。

 感染症指定第二類を第五類にして、一般のクリニックでも治療出来る体制を整えるべきなのに何故か手を拱く不思議。ワクチン接種は一般のクリニックでやってるのに、新型コロナ治療が出来ないことが根本的に間違っているのだ。

 第二類指定の為に保健所が介入し、助かる命が失われたという現実を重く受け止めるべきだ。第五類にすると医療費がかかるという。無条件の無料ワクチン接種は期限を決めるべきで、無料接種という血税の垂れ流しをいつまで続けるつもりか。

 分科会も、感染症指定第二類よりも強硬な行動制限を抑制するよりも、「今後(第六波以降)は、五類指定にするので医療費は3割負担になる可能性もあるので責任ある行動をお願いしたい」と注意喚起した方が蔓延防止効果が上がるだろう。

「感染することを恐れて国民全員にワクチンを接種するより、感染者に対して特効薬を投与する方が遥かに効率的である」という専門家の意見の方が理に適っているが、分科会を批判し、国民の命を優先する医師の声が軽んじられている。

「医療逼迫」を訴えながら私腹を肥やしていた尾身を始めとした分科会の面々が、治療薬より新型コロナワクチン接種に拘ることがどうも胡散臭げに感じてしまう。

 尾身が理事長を務める地域医療機能推進機構(JCHO)は、新型コロナ対策などで給付された311億円以上の補助金で投資や利殖で収益を大幅に増やす一方、有価証券の運用も130億円増加させたことが報じられたのは記憶に新しいところ。

 仁術を重んじるべき医師が補助金利権とは万死に値する。補助金は国民の税金が原資であるが、尾身は未だに国民に説明することなく沈黙を極め込んでいる。

 国民の100人に1人(現在は約80万人に1人)の感染で、1万人に1人(現在は約2500万人に1人)の死者の感染症に国民全員にワクチン接種を奨励したことは馬鹿げているし、ワクチン接種証明書で経済波及効果を期待してるのならマヌケ過ぎる。

 感染症対策分科会の提言を妄信した余りに、自宅療養を余儀なくされ容体が急変しても搬送先の病院が見付からずに重篤化し、死者が増え続けるという悪循環。こうした事態を、総裁選に出馬した高市早苗は「早急に改善したい」と訴えていた。
 
 政調会長として、軽症から中等症の患者が対象の治療薬である「抗体カクテル」(カシリビマブ、イムデビマブ)を幅広く処方して、「バリシチニブ」「デキタメタゾン」の治療薬の「国内生産体制」を確立との政策の実行に期待したい。

 行動制限より、治療薬やワクチンの「国内生産体制」を確立し、国内で生産している他の病気の治療薬の中で新型コロナウイルス感染症の治療に有効であると製薬会社から承認申請されている薬については承認に向けた手続きを急ぐべきだ。

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2021年11月15日

金大中拉致事件後に北朝鮮が次々と拉致を実行したのは何故か

 横田めぐみさんが下校途中に北朝鮮工作員に拉致されてから44年が経つ。こうした不条理が何故に放置されてしまったのか、その責任は我々の無関心が大きい。

 横田めぐみさんが拉致されたのは、「金大中拉致事件」から4年後の昭和52(1977)年11月15日未明のことだった。金大中事件と日本人拉致は無関係ではない。

「金大中事件」とは、1973(昭和48)年8月8日、大韓民国の民主活動家で、後に韓国第15代大統領となる金大中が、韓国中央情報部 (KCIA) により日本の東京都千代田区のホテルグランドパレス2212号室から拉致されて、船で連れ去られソウルで軟禁状態に置かれた5日後にソウル市内の自宅前で発見された事件である。

 横田めぐみさんに続き、田口八重子さん昭和53(1978)年6月。地村保志さん、濱本富貴惠さん同年7月。蓮池薫さん、奥土祐木子同年7月。市川修一さん、増元るみ子さん同年8月と、日本人が北朝鮮工作員に次々と拉致されることとなった。

 こうした日本人拉致の背景には、韓国要人である金大中が日本国内から拉致されたという主権侵害及び犯罪行為にも拘らず、日本政府が拱手傍観を極め込むどころか、首相であった角栄が拉致そのものを容認し、その見返りとして金銭を授受していたことも見逃せない。この田中の対応が拉致事件の要因になったと考えられる。

 横田めぐみさんが、角栄の故郷である新潟から拉致されたことは偶然だとは思えない。北朝鮮の実行犯らは、拉致が国家に対する主権侵害でありながら政治的決着を謀った事の推移を知った上で敢えて日本人を狙ったのではあるまいか。

 金大中拉致事件後の1973年11月2日、田中角栄首相と金鍾泌首相(当時)との会談で、日韓両政府が両国関係に配慮した政治決着で穏便に事を済ませようとしていたことが、近年の外務省保管の機密文書の公開で明らかになっている。

 あろうことか、角栄は朴大統領側から政治決着の見返りとして金銭を授受している。現金授受の場に同席した木村博保元新潟県議が「少なくとも現金4億円を受け取っていた」と証言していることでも、金銭授受があったのは明らかだろう。

 バカ娘の真紀子は、事前に角栄は「殺人をしないことを条件に、金大中を拉致することを了承済であった」と驚くべき証言をしている。KCIAは在日ヤクザに金の暗殺を依頼していたが、田中の意向を汲んで暗殺を取り止め拉致を実行した。

 真紀子は、故土井たか子や福島瑞穂、辻本清美らと同じく日本人拉致事件を否定し続けていた一人だが、父親が金大中拉致を容認したことを知っていた真紀子が頭脳明晰ならば日本人拉致が北朝鮮の工作員に因るものだと気付くだろう。

 尤も、真紀子は「拉致の問題を解決しなければならないなんて、そんなこと、余計なこと言えるか、森友問題、加計問題やったらイイじゃないですか」と、拉致問題に取り組む安倍を批判していることでも頭脳明晰どころかキチガイそのもの。

 抑々、自民党が野党に転落し、真紀子が外相に就く。北朝鮮の金正男が日本に密入国した際に、拉致問題なんぞ眼中にない真紀子は直ぐに送還してしまった。

 送還せず、拉致交渉の駆け引きとして密入国で逮捕した上で、毅然と対処していたら拉致問題は今とは違う展開が図られていただろうに返す返すも残念至極。

 旧社会党や真紀子を始めとした拉致否定派というのは、拉致事件は国家に対する主権侵害であるという認識が決定的に欠落してるからに他ならない。

 拉致問題が未だ解決の糸口さえも見つからないのは一体何故なのか。思うに、拉致が国家に対する主権侵害であるという重要性に対する認識不足と、何故に拉致されたのか、事件に至るまでの真相把握の欠如。つまり、日本人同胞が外国人工作員に因って拉致されたという認識が決定的に欠如しているからと断じて好かろう。

 愚生の身内にも行方不明者がいる。佐久間則房という従兄弟だが、故郷の岩代町(現二本松市)小浜から上京し北千住に住んでいた際に消息が分からなった。

 以前、公安に調べて貰ったことがある。免許の更新もせず、その昔は建造物侵入罪で検挙されたことがあるというがその後の足取りは掴めなかった。建造物侵入罪で検挙されたのは、左翼に傾倒していた時期もありそれと関係しているのかと思う。

 行方不明になる前に故郷小浜に戻った従兄弟は、愚生の母親と会って「北朝鮮でカネになる仕事が見つかったから行ってくる」と語ったという。母が訝しく「何の仕事なの?」と聞くと「死体を洗う仕事です」と答えたそうだ。

 従兄弟の場合は拉致とは違うが、拉致実行犯の辛光洙は職業斡旋という名目でも日本人を騙して北朝鮮へ送り込んでおり、従兄弟もその手口に乗ってしまったのではないだろうか。こうしたケースと同じ被害者は他にもいると思う。

 従兄弟も生きていれば70歳を疾うに超している。急転直下拉致問題が解決されることを切に望んでいる。従兄弟が拉致認定されていなかった曽我ひとみさんと同じく帰国を果たし、唯一の姉弟である姉と逢わせてやりたいと願うばかり。

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2021年11月14日

今や誰もが使っている「協働」という言葉だが・・・

 行政で多く使われる「協働」とは、共産党系のスーパーである生協が使用してた言葉だ。その意味は「同じ目的の為に、対等の立場で協力し て共に働くこと」。コラボレーション(collaboration)だというが、ならば「共同」で十分だろう。

「共同」と「協働」の目的は全く違う。「共同」とは、一つの目標の為に複数の人が力を合わせることであるが、「協働」の主体は「国民」や「住民」ではなく「市民」である。だからパンフレットも挨拶も「市民」「市民」のオンパレード。

「協働のまちづくり」推進派は、「市民とは、必ずしも地域住民に限定されるものではなく、NPOを始め、企業などの企業市民も含まれ、また、地域の一員という意味では行政もまた行政市民という名の市民である」と説明している。

「協働」の目的とは、国家と国民を切り離すことにあるといって好いだろう。国家と地方を切り離して、共同体(commune)を創り上げることを目的とする。

 地方の集落や住民が協力して絆を深めるのは大いに結構なこと。だが「協働」や「共同参画社会」の究極の目的は、同じ共同体でも共産主義インターナショナル(Communist International)、コミュンテルンの創造であるのは想像に難い。

 共産主義とは、生産から分配までの経済行為のすべてを共同的(共産的)に実行しようとする考えで、生産機関の共有や生産物の分配も個人主義的自由を認めず、全て共産的に行おうとするもので「協働」とはその目的達成の為の一つである。

「協働」と同じく「男女共同参画社会」にしても、「共産(共参)社会の実現」が目的であり、これらの企画は、総理府や国立婦人教育会館に巣食っていた元全共闘系と共産党系の女革命家ら革新的左翼が共同謀議的に考案したものである。

 ジェンダー平等を叫んでいるが、男女平等というより男女の格差や対立を煽っているとしか思えない。「婦人は差別だから看護婦とか婦人警官はダメ」「子供は親の御供え物ではないから子どもと書け」とか、こんなことが参画社会の現状だ。

 こうした愚策を、戦後民主主義教育で育った無自覚左翼が犇く自民党政権下で疑いも無く導入し、今では担当大臣までいるという御粗末さには厭きれるばかり。

 戦後民主主義教育で育った者は国家から恩恵を享けなが、個人と国家を常に対立させ、恰も国家は人間を抑圧する組織と見做し、反国家反体制のポーズを採ることが進歩的で文化的だと錯覚している。その共通の標語が「市民」なのだ。

 そうした「協働のまちづくり」に参加しているNPOはといえば「市民活動団体」が中心。市民活動とは名ばかりで、所謂「プロ市民」という名のクソ左翼どもだ。

 こうした行政に入り込んだ市民団体に、血税が湯水の如く補助金という名で活動資金が垂れ流されている。これだけでも「協働」のその目論みが理解出来よう。

 今や共産党の造語である「協働」という言葉があらゆる場面で飛び交い、保守を標榜する政治家までもが何の疑いも無く使っている始末。そんなに「市民」が大事か。市民よりも大事なものは「国民」であり、国家なくして地方自治も無し。

 いつの間にやら我が国はカタチを変えた共産主義が蔓延り、その「カタチ」は実に陰湿になった。昔の様に赤旗を振り翳したあからさまな反対運動は行わない。

 反天皇運動にしても如何にも陛下の高齢や体調を慮り、そして世論誘導を謀る。その結果、易易と退位法案を成立させ退位の実行を謀った。そして今、「皇統の危機」を訴え、然も皇室を慮ったかの様に「女性宮家」や「女性天皇」を訴える。

 カタチを変えた左翼勢力は夫婦別姓、男女共同参画社会、ジェンダーフリー、人権擁護法案、共生社会、外国人参政権、外国人住民基本法案、極め付けは女性(女系)天皇と女性宮家や皇女制度と次から次へと国體破壊の策謀を重ねている。

 自民党議員が「夫婦別姓」運動に騙されたと気付いたのは、その企画が出されてから10年以上経ってからだ。それと同じ騙され方をしているのが「選択的夫婦別姓」や「女性宮家」問題であり、「協働のまちづくり」や「男女共同参画社会」なんぞ、騙されたという自覚も疑いも無く実行推進してるのだから御粗末の極み。

「協働」が共産党の造語なら「天皇制」や「女性宮家」「生前退位」なども共産党用語である。こうした左翼の造語と用語、左翼に因る企画や愚策が氾濫し、それを国民が疑いも無く使用し、賛同している実態は、我々が想像している以上に左翼勢力が権力側に入り込み、行政権と連結せしめてしまっているという証左でもある。

 嘗て三島由紀夫は「文化防衛論」の中で「我々はあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである」と語っている。だが、今や 我が国の現状は三島が悲観した当時よりも酷い状況に陥っている。

 左翼勢力の謀った愚策に対峙するべき自民党や営業保守どもを見渡せば「反中共」や「反韓」を叫んでいるばかり。敵は外患ではなく、正に内憂に在り。

 余談だが、実兄の二本松社会福祉協議会会長就任挨拶が載ってたパンフレットを見た。保守派を自任する実兄でさえ「協働」という言葉を使ってたのは嗤えたな。

 まぁ、自民党員で結党精神である「暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する」と共産主義との対峙を実践している人なんぞ見たことも無いから、ミスター自民党的実兄と雖も致し方ないか(笑)

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2021年11月13日

「外交というのは根回しが大事である」ということを伊達政宗の処世術から知る

「運命」「宿命」「使命」「懸命」などは夫夫「命」という言葉が使われている。「運命」とは生命を運ぶと書く。この世に生まれたという宿命を、自身の懸命且つ不断の努力によって好い方向へ運ぶことの出来るものが運命でもある。

 戦国時代、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と天下統一を果した者もいれば、この三名以上の器量や見識、才智に長けながらも地方の武将に甘んじた者も少なくない。

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 中でも、伊達政宗はそういう悲運の武将でもあろう。唯、惜しむらくは天の時、地の利を得なかった。何より、生まれたのが30年遅過ぎた。政宗がもっと早くに生を受けていれば、信長、秀吉、家康に匹敵する武将になったに違いない。

 米沢城主・輝宗の嫡男として生まれ「梵天丸」と称した少年時代、幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し隻眼となり、醜怪な顔立ちが嫌われて、弟の竺丸を偏愛した産みの母(最上義守の娘・義姫)に危うく毒殺されそうな一幕もあった。十一歳で元服し「政宗」を名乗り、十三歳で三春から愛姫を娶る。

 弟竺丸(小次郎・伊達政道)急死。兄弟対立の末に政宗によって殺されたとの説あり。政宗に「七代の勘当」を言い渡されており、寛政五年に政宗から数えて八代目の当主伊達斉村就任に由り勘当が解かれ、死後二百三年目にして法要が営まれた。

 十九歳の時には二本松の畠山に裏切られ、父・輝宗が宮森城から拉致されるも高田橋で輝宗もろとも畠山を撃殺した。この時、政宗が住んでた城が愚生の故郷の「小浜城」。輝宗が居城していたのが小浜城より2キロほど下った「宮森城」である。

 因みに、宮森一族はその後、会津に遁走した。会津地方の銘醸でもある「花春」や「栄川」「宮泉」などの「宮森」姓はこの宮森城を謂れとしている。近年では「会津宮森顕彰会」として二本松市小浜の宮森城址を訪れ先祖を偲んでいる。

 二本松・畠山を成敗し、二十歳の時には葦名ら会津四軍を攻め落とし、黒川城、現在の鶴ヶ城に入城。この時、秀吉は小田原城を攻めてる最中で、全国平定が成し遂げられつつあった。秀吉と政宗の違いというのは「天運」というのが無かっただけ。若し、政宗が東北の片田舎でなかったら天下統一も夢ではなかっただろう。

 持って生まれた運というのは致し方ないもの。これは「運命」というより「宿命」である。だが、ものは考え様で、地の利が悪かったからこそ滅ぼされずに済んだとも言えよう。政宗に学ぶことは多い。中でも豪胆な外交力は刮目に値する。

 政宗は、秀吉からの度度の「上洛せよ」との督促にも中々腰を上げ様とはしなかった。小田原参陣の最後通牒を受けても正月を悠々と会津の地で過ごした。

 政宗は数年前から秀吉を取り巻く煩型の家康、利家、秀次、浅野長政、千利休などの実力者と親交を結び、かなりの付け届けを怠らなかったという。こうしたことは秀吉の動向を探る為のものであり、正宗の情報収集力と外交力の高さが窺える。

 小田原で秀吉に謁見する際には、髻(もとどり)を水引で結び、甲冑を被り、素衣を着て、凶服の装束で出掛けたという逸話は正宗の真骨頂。流石の秀吉も唖然。

 諸国大名居並ぶ中で命拾いの御礼言上。そして献上品として大量の砂金を差し出す。その砂金が零れると、政宗は事も無げに懐紙で拭いてしまった。こうした政宗の豪気と肝の据わり方は他の大名でも真似出来ない天性のものであろう。

 この時、政宗、弱冠二十一歳。関ヶ原の戦いも終わり、天下の大勢が家康に決すと察すると、国内統一は諦め、外国との貿易を夢見て支倉六右衛門ら伊達政宗遣欧使節団十名を独力で派遣する。こんな気宇壮大な武将が他にはいない。

伊達政宗の騎馬像01

 政治家にしろ、組織のトップにしろ器量や見識、才智に長け、或いは能力があるから成功するものでもなし、人の運命とは実に気紛れで不可思議なものでもある。

 まぁ、愚生の慢性的不如意は自業自得の様なものだが、そのうちなんとかなるだろうし、正統右翼浪人から抜け出して一維新者として活躍の場が来るだろうと勝手に思っている。何故ならそれが愚生の右翼人としての「運命」なのだから。呵呵。

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2021年11月12日

共産党や左翼勢力に利用される文化人気取りの芸能人ども

 反天皇勢力の共産党に与してながら陛下から文化勲章を授与され畏まってた瀬戸内寂聴が死去した。原発事故翌年、脱原発を求める市民団体が脱原発を求めて決行したハンガーストライキに参加したことが武勇伝の様に語られているが、婆さんが行ったハンガーストライキは朝から日没迄の半日程度だったことは報じない(笑)

 瀬戸内寂聴というと、反原発の他にも死刑制度に反対し、死刑賛成派に対し「殺したがるばかどもと戦ってください」と発言して批判されたことを思い出す。

 死刑という行為が「人道に反する」という考えは「人を裁けるのは神のみだ」というキリスト教的欧州思考に冒されているもので、そんなものに与する天台宗の坊主にはその死生観の安っぽさに嗤うしかないが、我が国の死刑制度は、仏教の教えでもある大慈悲という意味合いもあるということを婆さんが訴えたら見直したのにな。

 抑抑、死刑制度は被害者遺族に代わり国家が仇討ちする為に法制化したものだ。遺族の仇討ちを合法化するなら兎も角として、死刑廃止論者らの「死刑は犯罪抑止効果は無い」との理由にしても結局は効果は全く無いに等しい。

 瀬戸内寂聴が戦争体験から反戦平和の左翼思想を露にしたことで、共産党を始めとした左翼メディアや左翼陣営にはうってつけのものだったのだろう。マスコミに登場する婆さんの言いっぷりが、国民を誑かす手段としては秀でてたのは確か。

 メディアに登場する芸能人は保守派より、共産党シンパや無自覚左翼が目立つ。保守派の芸能人はいることはいるが左翼マスコミにとっては利用価値は無い。その点、共産党シンパや無自覚を含む左翼タレントは利用価値が高い。

 タレントや有名人の「言葉」というのは社会的影響が大きいだけに、ハリウッドを模倣した政治活動や政治的発言をするのは慎重であらねばならないと思う。

 俳優や芸能人というのは不偏不党、中立が好い。映像を通してのイメージを大事にするべきで、ファンの夢を壊すべきではない。その点、高倉健や渥美清なんてのはプライベートな部分を見せることが無かっただけにカリスマ性があった。

 そういう意味では「反原発」や「機密保護法反対」を訴えて左翼ぶりを露にした故菅原文太にはがっかり。吉永小百合、沢田研二らに共通するのは安っぽい正義感。戦後教育の自虐史観にどっぷりと漬かりながら、それらを疑うこともせず、戦後民主主義に拘泥する余り、自分の考えこそ絶対として全く聞く耳を持とうとはしない。

 テレビに露出する機会の多い有名人というのは、一般とは違い閉ざされた世界で育つ故にどうしても関わりの持った先輩芸能人や周辺者に感化されてる場合が多い。

 共産党シンパの吉永小百合や沢田研二、その吉永に洗脳されたと思しき渡辺謙やバカタレの筆頭とも言える石田純一らに共通するのは安っぽい平和主義と正義感。

 昭和時代の音楽界で一世を風靡したジュリーこと沢田研二は、「憲法九条を守りたい」と、自ら詩を付けたバラード「我が窮状」を制作した。左翼マスコミ曰く、コンサートでは人気らしく、昔からのジュリーファンが恍惚に浸るという(笑)

 歌手として何を歌おうが、それこそ「勝手にしやがれ」だが、九条を「世界に誇れる宝物」だとか、アホな解釈を垂れ流すのは勘弁して貰いたいものだ。

 第九条の「戦争放棄に関する条項」は、世界大戦後に国連が勧めた「不戦条約」がその源である。「不戦条約」は我が国を始め、米国、英国、仏国、伊国など多くの国が締結している。然し、戦争放棄の国際条約を結んでおきながら、世界は皮肉な事に不戦条約とは全く正反対の道を歩んで往ったという現実を見るべきだ。

 成文憲法を持ってる国で「平和主義」を謳っている国は80ヶ国以上在り、イタリア、スペイン、ハンガリー、エクアドル、フィリピンは日本と同じ規定が在る。

 護憲派らは「世界で唯一の平和憲法」と賛美しているが、これこそ日本人の奢りであり、無知以外の以外の何ものでもない。正に「護憲派」とは「誤憲派」である。

 タレントとは一芸に秀でた者をいう。だが、芸人や俳優としては一流だからといって、そういう彼らが政治的にも立派な考えを持ち、常識的な知識が備わっているのかといえばそうでもない。そんなバカタレどもの自論は実に幼稚なものばかり。

 無自覚左翼のタレントどもに共通するものは、物事の見方が薄っぺらで実に腹立たしいものばかり。タレントや有名人は利用価値は非常に高く、共産党や左翼陣営、売国マスコミどもはこうした有名人を利用し国民を誑かすのが常套手段でもある。

 天台宗僧侶の瀬戸内寂聴も仏教徒らしく死後の修行に入る。死んで戒名を頂くということは釈迦牟尼の弟子になるということ。要は、仏教徒というのは生きている間も、死んでからも修行は続くのだ。ホント、御苦労様です。妙法蓮華経 合掌

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2021年11月11日

「成長と分配」も結構だが将来を担う子供達への教育内容の充実を図れ!

 岸田首相は、重要課題として憲法論議を指示し、「憲法改正は国会の議論と国民の理解は車の両輪だ」と力説し、国会の発議を成すべく努力するとの目標を掲げた。

 憲法改正の可否は国民審判に委ねれば好いことで、国民の賛成ありきで議論するのは政治家の驕りであって、国会は発議に向けて憲法論を大いに語るだけで好い。

 憲法論議の指示の他には、新型コロナ対応や新資本主義の「成長と分配」の実績作りに向けての指針を語るも、「教育」と「国防」に関しては具体性に欠ける。外交安全保障は国防の一つであり、また国防と教育は一帯を成すものである。

 政治で大事なものは「教育」と「国防」であり、教育で大事なことは、教育の無償化や子育て支援より教育内容を如何に充実させるかであり、先人の営為に学び、日本という国に生まれたことの自覚や誇り、悦びを教えることが大切である。

「国防」とは、単に領土主権の防衛だけではなく、我が国の歴史と伝統文化、言語や風習を護ることであり、畢竟、皇統を死守することである。三島由紀夫は「国防とは、それを失えば日本ではなくなってしまうことを護ることである」と喝破した。

 尖閣諸島や台湾への侵攻を煽り、領土主権の防衛の為の国防費の増額を図るのも結構なことだが、国防の要である教育論を疎かにして、党利党略や党勢拡大の目論見だけで金の分配だけに狂奔していることは本末転倒と断じる他はない。

 憲法改正を訴えながら、その一方で国費のバラマキは茶飯事となり、将来を担う子供達への教育内容の充実もせずに、また違憲である私学助成金制度の在り方を議論もしないのでは、中身の薄っぺらい憲法改正になってしまうのではあるまいか。

 憲法改正は第九条なんぞより、第一条や違憲と認識しながらも継続している私学助成金制度に括目し、現憲法の矛盾性を指摘し、如何に現憲法が国家の基本法として機能していないかを議論することで国民も現憲法の問題点に気付くだろう。

 安倍政権時代「教育基本法」の改正を行い、米国時代の悪しき教育制度からの脱却を目指した教育改革の理想は間違っていない。ならば、憲法改正と並行して米国製である現在の教育委員会をそろそろ廃止したら如何だろうか。

 安倍元首相は「誇りの持てる子供達を育てる」と宣い乍ら、生まれた国に誇りの持てない教育を正すことはなかった。教育荒廃の元凶は、日教組や全教だけではなく、文科省も教育委員会こそが元凶であり、それを糺せなかった歴代政府の責任である。

 嘗て我が国は、維新を成功させると教育立国として明期の試練と昭和の国難を乗り越えた。極貧の中から多くの偉人が輩出したのは立派な教育の故である。

 司馬遼太郎の著書「坂の上の雲」で、秋山兄弟の父親が子供らに 「好きで貧乏をしているのではない。敢えて、君等の将来を考えてやっているのだ。昔の偉人や英雄は極貧の中から生まれた。金持ちから偉人や英雄は生まれん」 と苦諌するシーンがある。教育の原点とは意外とこんな処に在るのではなかろうか。

 藩の財政を立て直した米沢藩の上杉鷹山は、「単に帳簿上の赤字を克服すれば財政再建が出来るという訳ではない。今は困窮の余り、この国の人々は目先の利益のことしか考えず、他人のことを思い遣れなくなっている。人々の心にも赤字が生じてしまったのだ。これを克服しなければ、喩え帳簿上の赤字を克服したとしても、また同じことを繰り返すだろう」と断じた。 目先の財政再建策より教育再生が求められる。

「成長と分配」や社会保障の充実より、今やるべきは将来を担う子供達への教育の充実である。それは教育費や学校給食の無償化などではなく、「知育」「徳育」「体育」という我が国教育指針の徹底であり、中でも「徳育」こそ大事である。

 米国が謀った戦後民主教育の弊害から、国民の勤勉性、家族愛、愛国心、信義誠実の原則は失われ、心の中の高貴なものを失い、高邁さを忘れてしまった。

 国民はマスコミやワイドショーが取り上げる胡散臭げな問題に一喜一憂し、問題が出ればその萌芽は日本に在ると貶し、それらをマスコミ御用達のコメンテーターが煽って火に油を注ぐ。政治家は平身低頭し続け、頭の中は保身と次の選挙だけ。

 迷えるものはつまらぬインチキ宗教に救いを求め、煩悩は捨て切れずに私利私欲の欲望に塗れている。頽廃したマスコミは国益を擁護する気配など無く、国民の愛国心を蝕み今やマスゴミと揶揄される始末。高邁な魂を喪失した現在の日本に最も必要で大事なものは教育の無償化よりも、将来を担う子供達への教育内容の充実である。

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2021年11月09日

「自民党の憲法改正は一部保守層へのガス抜き」という正論(笑)

 総選挙で議席数を伸ばした日本維新の会と国民民主党との共闘が俄かに現実味を帯びて来た。反共産党に加えて「憲法改正」がキーワードになりそうだ。

 国民民主党代表の玉木雄一郎は「衆参両院の憲法審査会は毎週開いたら好い。議論する為に歳費を貰っている。開かない選択肢はない」と語り、日本維新の会の吉村洋文副代表は、自民党の憲法改正への取り組みについて「『改憲は党是』と言いながら、一部の保守層のガス抜きでやっている」と指摘したが正しくその通り。

 憲法改正は、国会議員が憲法改正原案を発議することが第一条件。この改正原案には衆議院100人以上+参議院50人以上が賛成が必要。そして憲法改正の原案が発議され、衆議院と参議院の憲法審査会でそれぞれの憲法審査会で話し合う。

 現在は憲法審査会が行われているが野党の審議拒否や党利党略で進んでいない。玉木の「衆参両院の憲法審査会は毎週開いたら好い」とはこのことを指摘している。

 憲法審査会で纏まった憲法改正案を衆議院本会議と参議院本会議でそれぞれ議論する。そして衆議院議員の2/3以上と参議院議員の2/3以上が賛成すれば国会が憲法改正を発議し、そして国民投票が行われ過半数の同意で憲法改正が成立する。

 憲法改正の最終判断は国民なのに「改憲は国民世論が熟されていない」と言った公明党などの意見は、国民投票という国民の権利をも否定しているということだ。

 国民には憲法審査会とはどんなものなのか、また各党の改正原案がどんなものなのか分からない。安倍元首相らは憲法九条改正に拘ってるが現憲法の矛盾点は他にも多い。抑々、自民党の党是は改憲政党ではなく自主憲法制定(新憲法制定)である。

 現憲法の一部を改正してしまえば現憲法を認めることになる。つまり、安倍らが謀る九条改正は九条の会レベルの究極の護憲運動というのが正しい。憲法改正には現憲法の一部改正ではなく各党の憲法草案を出し議論しなければ発議も儘ならない。

 日本維新の会と国民民主党の連帯は自公連立解消の第一歩となる可能性が出て来たのは面白い。吉村の「『改憲は党是』と言いながら、一部の保守層のガス抜きでやっている」との強烈な嫌味は自民党も流石に目が覚めたのではあるまいか(笑)

 自民党や公明党の改憲論は第九条へ第三項を加える加憲であり、つまりは現憲法を認めているということ。売文を生業とする営業保守派もコレと同じ認識で、国體よりも尖閣諸島の主権を主張し領土防衛の為の自衛隊強化の為に九条を改を訴える。

 自らの国家の防衛をも否定する矛盾だらけの現憲法を何故に認めるのだろう。違憲状態の自衛隊を「国軍」とすることに異議は無いが、現憲法は国家の基本法としては最早機能していない。何故に一部の改正で済ませ様とするのか不思議でならない。

 自民党を始めとした営業保守派らが謀る改憲論は現憲法を護持しようというのと同じこと。維新の会も国民民主党のソレも同じだろう。現憲法改正ではなく、我が国の正統な国法である大日本帝国憲法(欽定憲法)の復元改正を目指すべきである。

「国防とは、それが滅びれば日本ではなくなることを死守することである」との三島は訓えた。国防とは領土主権も大事ではあるが、同時に我が国の歴史と伝統と文化、言語や風習といった国體を護持し、皇統を死守することこそ大事。改憲では皇統維持さえ儘成らない。大日本帝国憲法復元改正こそが我が国が採るべき道である。

 自民党の憲法改正草案には「天皇を元首と位置付ける」と在るのは評価出来るが、現憲法と同じく「その地位は主権の存する国民の総意に基づく」とある。つまり、反天皇勢力の共産党が存在している限り「総意」は得られないのを知らぬのか。

 自民党の憲法改正は、保守派へのガス抜きであり票目当てのパフォーマンス過ぎず、自国の防衛だけを案じ第9条の改正を実現するというのなら、それは主権恢復というより、米軍からの国防費負担の遂行であり、米国への更なる忠誠である。

 主権回復後の欽定憲法復元は叶わず、自由党と民主党が合併し自由民主党が結党され自主憲法制定を掲げるも何ら実行出来ずに徒に時が過ぎた。悠長に憲法改正を発議し国民の過半数の同意を得てる間に尖閣列島は中共に併呑されてしまうぞ。真に国を憂うるなら、憲法審査会でやるべきことは改憲議論ではなく無効宣言である。

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2021年11月05日

刑事訴訟法に基づいて死刑確定から6ヵ月以内に粛々且つ迅速な死刑執行こそ求められる

 死刑を執行を当日になって知らせるのは違法だとして、死刑囚2人が国に対し「死刑執行に対して不服申し立て等をする権利が侵害されている」として2200万円の損害賠償と当日に知らされた死刑の執行は受ける義務がないことの確認を求める訴訟を起こした。死刑囚に焚き付けたのは人権派弁護士らであることは察しが付く。

 刑事訴訟法では、死刑確定から6ヵ月以内の執行を定めており、何れも6ヶ月以内に検察庁が法務大臣に「死刑執行上申書」を提出し、規定通り押印し、法相の命令から5日以内に執行されなければならないと定められている。然し乍ら、この刑事訴訟法の規定は守られることなく、死刑囚は長長と生き永らえさせているのが現状。

 死刑執行当日の通知は無効だとほざいているが、死刑判決が出たら最長で6ヶ月と5日しか生きられない筈なのに、何年も生かされてきて「当日に」などとは余りにも身勝手だ。何より、本人は生き続ける命を身勝手に奪ったのではないのか。

 こうした前代未聞の訴訟が起こされるのは法務大臣や司法関係者の職務怠慢以外の何ものでもない。法務大臣の死刑制度云々の個人的心情なんぞ関係なし。法務大臣の任を享けた者として、覚悟を以て大臣としての職務を遂行するべきで、死刑執行の捺印さえ出来ないのなら法務大臣は愚か政治家を辞めてしまえば好い。

 日本人というのは「赤穂浪士」を筆頭に、画像の「柘榴坂の仇討ち」やら「必殺仕置き人」の様な悪党をやっつける勧善懲悪的芝居というのが好きだ。今では仇討ちなんて出来ないが、その代わりになるものが法律であり、死刑制度である。

 死刑は、犯罪者を被害者に代わって国が処罰する為の制度。我が国の死刑制度は「仇討ち禁止令」や「決闘禁止」に代わるものとして明治6年(1873)2月、司法卿・江藤新平が「復讐禁止令(仇討ち禁止令。太政官布告第37号)」を発令した。

 幕末から維新期の派閥、政論の対立による暗殺とその報復という面があったところから、この種の紛争や征伐を断ち切るのが目的だった。明治22年には「決闘罪ニ関スル法令」も発布されることとなり、敵討ちや復讐は禁じられた。

 主君や親兄弟などを殺した者を討ち取って恨みを晴らすことは、日本人の美意識の顕れともいえる。江戸時代には武士階級の慣習として公認され、「敵討ち」と認められれば罪に問われなかったばかりか、それは美化され大衆の支持を得た。

 現代に於いても「死刑制度」は90%近くの国民が支持しているのは、国家が遺族に代わって遺恨を晴らして欲しいという気持ちの顕れに他ならないと考える。

 自称人権派弁護士などの死刑廃止論者は、その理由を「国際人権基準」がどうのだとか「非人道的」とか「生きる権利の侵害」だとか「死刑囚の資料を精査する十分な時間があったとは思えない」とか、被害者側に立った意見はとんと聞かない。

 最近では裁判員裁判でも重大な事件を裁くこともあり、極刑か無期懲役かの選択肢しかない場合もある。過去には、国を相手取り、裁判員裁判に出た主婦が精神的被害を訴え告発したケースがあった。被害者側の峻烈な怒りや悲しみを酌むことも出来ない精神状態ならば、始めから裁判員裁判なんぞ出席せず辞退すべきだった。

 死刑判決は裁判員に大きな負担を強いるし、日本もそろそろ終身刑を導入すべきだとする流れもあるが、死刑制度の廃止より裁判員裁判を廃止した方が好い。

 死刑廃止は今や世界の大勢で日本もそうすべきという意見を耳にする。いつも思うことだが、この「世界では」という理屈は実に胡散臭げなものばかり。ならば言うが「世界では」微罪であっても裁判は愚かその場で射殺されるのは茶飯事だ。

 死刑廃止の理由として「法により国が人を殺す事は罪悪で人道に反する」「死刑には期待する程犯罪防止効果は無い」「冤罪の場合に取り返しが付かない」「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しているのだ」という性善説等等。

「冤罪」というのは確かに有り得なくはないが、それは科学捜査の正確さが乏しい時代のものが殆どで、冤罪の疑いのある事件は再審対象にすれば好いだけのこと。

「人道に反する」とは、「人を裁けるのは神のみだ」というキリスト教的欧州思考に冒されているもので、そんなものに与する方が間違いだ。左翼人士や自称・人権派弁護士などにも、こうした主張をする人を見かけるが、日頃、反米を唱えながら、都合のいい部分はキリスト教でも利用しようというのはホント逞しい(笑)

 被害者の命を軽んじて残虐な犯行をした者が、死刑廃止で国法により生命を保証されるというのも如何なものか。「生」に拘るより「死」を以て償うべきだと思う。我が国の死刑制度は、仏教の教えでもある大慈悲という意味合いもあるのだ。

 抑抑、死刑制度は被害者遺族に代わり国家が仇討ちするものではないのか。仇討ちを合法化するなら兎も角、終身刑を導入したところで被害者の感情は薄れることは無い。「死刑は犯罪抑止効果は無い」との理由も、結局は終身刑も同じこと。

 裁判では容疑者の反省の度合いも考慮されるが、要は減刑目的に反省したフリをしていれば刑も軽くなる。今迄、愚生も多くのワルを見ているが、多くの者は逮捕された事実こそ反省するが、犯した罪を反省している輩など見たこともない。終身刑を導入しても必ずしも死刑の代替として犯罪抑止の成果が上がるとはとても思えない。

 死刑囚の「当日に知らされた死刑の執行は受ける義務がない」などという抗弁は、突然に殺された被害者及び遺族の無念や怨念を逆撫でするものだ。刑事訴訟法に基づいて死刑確定から6ヵ月以内に粛々且つ迅速な死刑執行こそ求められる。

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2021年11月04日

COP26で日本だけがCO2排出でやり玉に挙げられている不思議

 岸田文雄首相は、英国グラスゴーで開催された国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)に出席し、合間にはバイデン大統領など各国首脳とも会談を行った。

 環境団体らしい「気候行動ネットワーク」は、世界のCO2排出が多い石炭火力発電の廃止に日本は道筋を付けないとの理由で3度目の「化石賞」を授与された。環境団体のイチャモン的日本バッシングは捕鯨問題と同じく日本差別でしかない。

 捕鯨問題もそうだが、反捕鯨は日本人否定の妨害活動でその真意は反捕鯨ではなく、白豪主義による日本人への人種差別。日本なら何をやっても大丈夫、日本人は怒らないし抗議はされないと高を括られてるが、要はナメられているということ。

 我が国の高効率火力発電プラント技術は非常に高く世界最高レベルで、CO2排出量はかなり少ない。世界で最も多く化石燃料などを使っている国は、中共がトップの21%、米国16%、インド6%、ロシア5%、日本はたった3%に過ぎない。

 ドイツは2%、韓国2%、カナダ2%,フランス2%など。温室効果ガスの排出を批判するなら、我が国より先ずは世界第一位の中共を批判すべきだがだんまりを極め込む。何のことはない、環境保護を単に金儲けの道具に利用しているだけ。

 世界の電源別発電電力量の38.4%が石炭を利用している。ドイツのNGOらも日本を批判しているが、ドイツの電源別のエネルギーは全体の42.5%が石炭に依存している。日本を批判する前にメンバーの国の政策にこそ苦言を呈しなさいな。

 1997年12月、国立京都国際会館で開かれた第3回のCOP3での「京都会議」では、CO2の排出抑制が決まったのだが、この議定書を遵守しエネルギー抑制を行ってるのは日本だけで、約80兆円以上の血税を投入しているのを知っているか。

 こうした事実を報じず、日本バッシングの映像を見た国民は、日本が多くのCO2を排出していると信じ込み、また世界では日本への批判が殖えて行くのは避けられないだろう。風評や流言飛語というのは何気ない一言や行動から始まるものだ。

「流言飛語」とは本来は本来は「流言蜚語」と書く。「世の中で言い触らされる確証のない噂話。根拠のない煽動的な宣伝。デマ」という意味だが、この「蜚」とは悪臭を放つ小さな虫の意味を持つ。因みにゴキブリは「蜚蠊」と書く。

 相変わらず、反原発派や早々と福島の地から逃げた自称被災者の元県民から、故郷である福島を貶める流言蜚語は止むことはない。反原発の主張は別に構わないが、早々に県外に逃げたのだから福島の地を貶めることだけは止めて欲しい。

 福島県内に住む我々が「県民は昔の様に普通に生活してる」と言えば、聞く耳を持たず「それはデマだ」とか「騙されてる」だの言われ、インチキ学者らからは「福島県人とは結婚するな」だとか「子供を産むな」とまで差別される始末。

 こうした意見に反論すれば「東電の手先」だの「ニセ福島県民」などと呼ばれる不思議。「福島の子供達は逞しく生きている」と言えば、「そうやって子供を被曝させてるのだ」とか「無責任の極み」とか非難されるのは困ったものだ。

 我ら福島県民は、山河麗しい福島の地で生き、福島の地で人生を全うしたいだけなのだが、反原発派どもに言わせれば「そうやって福島に留まってることで、福島から一刻も早く避難したい人の邪魔をしているだけだ」と断じられる。

 福島県内の農家は「放射線の汚染物をばら撒いてる」「福島の農産物はべクれてる」と言い放つ山本太郎を筆頭に、反原発派は福島原発事故を利用して勢力拡大を謀っているが、福島県民差別や被災地差別をしていることさえ気付いていない。

 こうしたことを流言蜚語と言わずして何という。科学的根拠に乏しい感情的批判は復旧は愚か復興をも阻害し何の成果も生まない。COP25でのNGOらの日本バッシングも似た様なもので、日本を原発事故当時の福島に置き換えると分かり易い。

 CO2削減するには単純に化石燃料を使わなければ好い。化石燃料に替わるエネルギーは原子力と再生可能エネルギーだが、再生可能エネルギーは基幹エネルギーには成り得ない。風力や太陽光はそれこそ森林開発という名の環境破壊である。

 CO2削減を訴える連中というのは原発再稼働にも反対。国際NGOの日本へのバッシングは、日本差別と国内反原発派と同じく我が国の国力低下が狙いである。

 抑々、温暖化は人類が出す温室効果ガスだけが原因ではない。地球上の二酸化炭素排出の殆どは海から出ており、人類が出すCO2は僅か3%に過ぎないとも言われている。牛の出すメタンガスを批判し「牛を食べるな」とはイチャモンの類(笑)

 温暖化は人間が進化の上で及ぼしたというより自然の摂理であり、地球という星の寿命とも考えられる。温暖化という天譴を防ぐのは人間の智慧と覚悟次第。 

 スリーマイル島、チェルノブイリ、東海村の事故が起き原発廃止や削減が相次いだ2006年、米国が政策を転換し国際原子力パートナーシップ(GNEP)を策定し原発推進を決定した。この方向性は間違ってはいない。CO2削減なら尚更だろう。

 原発再稼働の大きな理由は地球温暖化対策である。我が国のレベルの高い火力発電がバッシングを受けるなら、我が国の技術の粋を結集した原発を推進すべきである。石炭化石発電に代わり、既存の原発再稼働と小型核融合炉の研究開発を急ぐべし。

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2021年11月03日

11月3日は、教育・文化を重んじた明治天皇を偲び、我が国の伝統・文化を奨める日である

 本日11月3日は「文化の日」。「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨として制定された記念日である。皇居では文化勲章が下賜され、文化に功労が著しい方々が叙勲される。だが、「文化の日」のその実は、昭和21(1946)年に日本国憲法が公布された日でもあり、第二の「憲法記念日」と言うのが正しい。

 現在の日本国憲法は、表面上は新憲法(日本国憲法)の制定とはなってはいるが、建前上は大日本帝国憲法(欽定憲法)の改正で創られたものである。

 昭和21年11月3日の帝国議会に於いて昭和天皇は「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。御名御璽」と現憲法を下賜された。

 大日本帝国憲法第七十三条には、「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スル必要アルトキハ 勅命ヲ以テ 議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ 此ノ場合ニ於テ 両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ 議事ヲ開クコトヲ得ス 出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ 改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス」と明記されている。

 当時、我が国は連合国の占領下に在り、当時の政府にしてみれば不本意ではあるが、米国の様々な条件を呑まざるを得なかったというのが真相であり、現憲法が米国からの「押し付け憲法」と言うのはこういうことだ。

 11月3日は、明治時代の天長節であり、国民奉祝の記念日である。敢えてこの日に現憲法を公布させたということに米国の如何わしい意図が窺えるだろう。

 占領統治時代にはこうしたことが度々実行されている。例えば、所謂「A級戦犯」28名が起訴されたのは、4月29日の「天長節(昭和天皇の誕生日)」。そして、当時の皇太子殿下の誕生日である12月23日を選んで7名の絞首刑が執行された。

 現憲法の発布を、明治天皇の誕生日という記念日を選んだという事実は、日本人に対し、贖罪意識を植え付ける為のものである。こうした事実を知れば、米英を始めとした連合国が如何に非情で無慈悲な日本人矯正を実行したかが理解出来よう。

 教育勅語を下賜され、教育・文化を重んじた明治天皇を偲び、我が国の文化を奨めるの「文化の日」ならいざ知らず、「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」とは詭弁以外の何ものでもない。「文化の日」との呼称を「明治節」に戻すべきだ。

 憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し・・・」という記述があるが、「平和を愛する」という感情と、現実的に平和を守るというのは違う次元である。今こそ戦後GHQが謀ったあらゆる不条理を検証せねばならない。

 保守派や愛国団体の中には本日を「明治節」として明治神宮を参拝し、明治天皇の御遺徳を啓蒙するという行動も見受けられる。「明治節復活」は異論はないが、明治神宮がそれに相応しい対応をしているかといえばまたそれも疑問である。

 明治神宮は周知の通り、国民の総意に由って、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ目的で創建された神社である。然し、平成16年に明治神宮は突如として神社本庁から離脱し一宗教法人の「明治神宮」となったことは記憶に新しい。

 明治神宮側は神社庁からの離脱の理由として、平成16年4月、陛下御親拝の際の関係者への案内状に「『陛下』を『殿下』と誤記してしまった責任を取った」と説明している。だが、神社庁での主導権争いや確執の末の離脱というのが真相である。

 これ即ち、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶという創建の本分を忘れ、神社を私物化し、営利至上主義に奔っている証左であり、こうした現状は正に憂慮すべき事態である。保守派並びに愛国団体は明治神宮のこうした姿勢も糺すべきであろう。

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2021年11月02日

大君に 仕えまつれる 若人は 今も昔も 心変わらじ(山口二矢)

 11月2日は、日本社会党党首・浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢の命日である。生きていれば77歳、麻生太郎財務相より3歳も若い。現在の右翼陣営の低迷を鑑みれば、山口烈士の様な指導者がいないことが悔やまれる。

 天皇国日本を盤石の安きに導く使命を有するのは右翼陣営であり、活動家らを導くカリスマ右翼指導者の出現を待望して止まない。

 二矢は、昭和十八年二月二十二日東京生まれ。二男で、二月二十二日生まれと「二」の字が続いたことから、父は「二矢(おとや)」と命名した。崇拝している人物はアドルフ・ヒットラー、児島高徳、西郷隆盛、山鹿素行、吉田松陰。

 昭和34年、二矢は憂国の念捨て難く、大日本愛国党に入党。だが赤尾総裁のパフォーマンス的愛国運動方針に疑義を感じ、翌年5月に同党先輩だった吉村法俊、中堂利夫らと愛国党を脱党。防共挺身隊総隊長の福田進を頼り、身を寄せる。

 福田は以前、防共挺身隊を率いながら大日本愛国党の城南支部長も兼任していたが、やはり「赤尾は完全な資本主義者だ」として袂を分かった活動家。

 後に、銀座の鳩居堂の2階に吉村、中堂らと結成した「全アジア反共青年連盟」の事務所を構える。団体の後見人として、福田進が資金面などを支援した。

 因みに、浅沼稲次郎刺殺事件後は、吉村・中堂の二人は右翼を退き著述業に転身し、後に共に人気作家となり、2時間ドラマの原作なども多数残している。

 同年10月12日、ニ矢は日比谷公会堂で演説中の浅沼稲次郎を刺殺、現行犯逮捕された。二矢が携行した檄文にはこう認めてあった。

「汝、浅沼稲次郎は日本赤化を謀っている。自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接の煽動者としての責任からして、汝を許しておくことは出来ない。此処に於て我、汝に対し天誅を下す。皇紀二千六百二十年十月十二日 山口二矢」

 逮捕された二矢は供述録取書にも素直に応じた。

「私の人生観は大義に生きることです。人間必ずや死というものが訪れるものであります。その時、富や権力を信義に恥ずるような方法で得たよりも、たとえ富や権力を得なくても、自己の信念に基づいて生きてきた人生である方が、より有意義であると信じています」

「浅沼委員長を倒すことは日本の為と堅く信じ殺害したのですから、行為については法に触れることではありますが今何も悔いる処はありません。しかし、浅沼委員長は最早故人となった人ですから生前の罪悪を追及する考えは毛頭なく、唯故人の冥福を祈る気持ちであります。又浅沼委員長の家族に対しては、如何なる父、夫であっても情愛に変わりなく、殺害されたことによって悲しい想いで生活をし迷惑を掛けたことは事実ですので、心から家族の方に申し訳ないと思っています」 

 供述調書を取り終えた11月2日未明、東京少年鑑別所の個室で、支給された歯磨き粉で壁に「七生報国 天皇陛下万才」と記し、従容として死に就いた。

《辞世》

【国の為 神州男子晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅路】
【大君に 仕えまつれる 若人は 今も昔も 心変わらじ】
【千早ぶる 神の御世代とこしえに 仕えまつらん 大和男子は】
【国の為 たふれし人ぞあるこそを 今の若人 育ち来らん】
【しきしまの 大和男子と生まれなば 進まん道ぞ 一ツなりける】

 テロ行為を否定するが、若し、二矢が警鐘を鳴らさねば日本社会党の勢いは止むことなく、多くの国民が浅沼らの美辞麗句に騙され、社会主義の犠牲者になってただろう。今や日本社会党は消え去り、残党である社民党も風前の灯火。

 この現実こそが、二矢の憂国の至情が間違いで無かったことの証でもある。

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時には常軌を逸した行動が生まれる。この二矢の行動こそが正に正気の狂気である。すめらみこといやさか。

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2021年11月01日

衆院選は自民微減で立憲共産党の野合が失敗に終わる(笑)

 第四十九回衆院選は、立憲民主党と共産党の選挙目当ての野合が失敗に終わり、過半数割れを危惧された自民党が微減の262議席を確保、無所属の細野豪志らの入党もあり、岸田文雄首相は安定政権に向けて第一歩を踏み出した。

 自民党と立憲共産党が減らした議席は日本維新の会に流れたということか。公明党は自公連立の成果を訴えてるが、自民党にとって創価学会(公明党)からの票は当てにならないことが証明された。大阪14区の長尾敬の落選は公明党の裏切り。

 長尾は自民党内でも国家観の確りした政治家の一人で、国防意識と対中政策に対する政府の弱腰を糾弾している。こうした政治姿勢が媚中派で中国共産党の御先棒を担ぐ公明党の怒りというか支持されなかった大きな要因であるのは明らか。

 今回の総選挙で、小選挙区制度比例並立制の問題点と自公連立の弊害が露呈した。立憲民主党と共産党を選挙目当ての野合と批判するが自公連立も似た様なもの。政策を重視しない選挙目当ての連立や共闘は有権者や支持者を愚弄するものだ。

 共産党の志位が甘利明自民党幹事長の小選挙区落選をして野党共闘の成果を強調してるが、甘利の小選挙区での落選は金銭問題に対する創価学会の離反だろうな。自民党は今回の公明党の投票行動を分析し、連立解消に向けて行動するべきだ。

 国民(有権者)のバランス感覚の好さには感心する。国民が期待してるのは保守精神に乏しい自民党と対峙出来る中道保守の健全野党であり、左翼政権ではない。

 立憲共産党や朝日、毎日、東京新聞などオールド左翼が席巻するオールドメディアにとって今回の結果は納得するものではないだろうが、愚生も前から指摘していた通り、岸田首相の実質的勝利は立憲共産党のオウンゴールというのが正しい。

 選挙戦中盤から後半に向けての雰囲気から、立憲民主党にとっては今回の結果に落胆は隠せない。自民党が公明党より、是々非々で自民党と協力を惜しまないとする維新の会との連帯を深めれば自公連立は瓦解し、野党再建に進むかも知れない。

 来夏の参議院選までは岸田も気が気じゃないだろう。中国共産党の覇権主義に因る台湾への圧力や北朝鮮の恫喝を見れば、やはり防衛力の整備は大事である。そんな中で、GDP2%の防衛費増額に反対する公明党との連立は国益を大きく害する。

 公明党は平和の党を自任している。だが「平和」というのは学会員みたいに御念仏を唱えてれば維持出来るものではない。公明党や共産党らの「平和」とは集票道具であり、情報弱者の高齢者や女性がこういう単純なキレイゴトに騙される。

「平和」や「民主主義」というのは今では当たり前だと思ってるが、「主権在民」などというと聞こえが好いだけで1億2000万分の1の主権ではそんなものは無いのと同じ。民主主義や主権在民が当たり前だと錯覚しているだけに過ぎない。

 SNSでの声も、自分の意見こそが正論だと錯覚したブタやネズミやニワトリが犇めき合ってギャーギャーと鳴き声を張り上げているに過ぎず、結局は数の多いブタの世界になるより他は無い時代なのだ。それが民主主義というものなのだ。

 国内を見渡せば一番多いのが現憲法下での勤労の義務を全うしてる労働者だろう。労働組合なんぞ譬えればブタの集団だ。その労働者の支持を得ないことには政治家にはなれないのだから、まともなヤツが政治家を志すとも当選するとも思えない。

 池田一神教の創価学会員なんぞ養鶏場のニワトリ。その池田養鶏場の激安ブロイラーを食べたがってる自民党も情けない。思想信条が違う宗教団体の票より、国家観を逞しくし保守本流の政党を目指した方が国民に支持されるだろう。

「我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」とは、愚生の好きな哲学者である西晋一郎の言葉である。

 日本という国に生まれ、その祖国を思い、政治を糺したいと思うのは大いに結構なことだが、政治の仕組みや選挙制度の仕組みが古臭くでマスコミ報道も旧態依然なのだから変わり様がない。候補者の選択肢に乏しく有権者の不幸は当分続くだろう。

 民主主義の誤った人間平等主義や基本的人権の我田引水的乱用には腹が立つが、こういう誑かしを得意としてるのがクソ野党らで自公も政策よりバラマキを優先。コロナや経済対策より大事なものは教育であり、教育の中身を何故に語らないのか。

 民主主義では何事も民主的な手法で解決しようとするが、多数決で決めたことでも「少数派にも配慮しろ」と騒ぎ立てる世の中はそれこそ民主主義の否定だ。こうした御都合主義的民主主義こそ我が国を崩壊に導いてる元凶と言っても過言ではない。

 人というのは抑々平等ではないし「格差社会」とは負け犬の遠吠え。自分達とは違う意見は抹殺しながら、「格差の無い社会を目指す」ということは共産主義的価値観の強要だろう。志位も枝野も同じ穴の狢ということが理解出来る。

 花や木を育てるには自然の風雪に耐えてこそ味に深みが出る。温室で育った花や野菜や果物というのは見かけだけ。人間だって同じ。甘やかすだけでは立派には育たない。たまには厳しく突き放すことも必要で、個性を磨くというのはそういうものだ。

 人間平等観という誤った民主主義の下での誤った人材育成が続けば、同じ無気力な個性の無いハウス栽培で育つ打たれ弱い日本人ばかりになってしまうだろう。

 我が国の根本的な問題は経済的な問題より精神的貧困の方が深刻であり、国家百年の大計を鑑みれば経済対策より教育の充実こそ大事。教育問題を考えれば政界再編は当然のこと。百年後を見据えて人材育成に取り組める政治家や政党と団結せよ。

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