2021年10月

2021年10月31日

我が国の収穫祭も祝わないのにハロウィンに浮かれてる不思議

 いつの頃からか日本でも10月31日にハロウィンが流行している様だが、日本人として何の収穫を祝い、何の悪霊を追い払うのか全く以て意味不明という他はない。 「流行」とは本来は「病気」という意味であるが、蓋し正論である。

 ハロウィンなんぞバカげてるとしか言い様がないが、収穫を祝い、悪霊を追い払うというより、流行に便乗し仮装パーティで憂さ晴らしをしてる単なるイベントなのだろうが、ハロウィン興じる日本人の精神的幼稚さは嗤うしかない。

 ハロウィンとは、キリスト教の「万聖節(諸聖人の日」)」の前夜祭として、2000年以上前の紀元前からからヨーロッパに存在していた宗教的な祭りが起源だという。秋の収穫を祝い、先祖の霊を迎えると共に悪霊を追い払う祭りだという。

 日本でいえば、故人や先祖を偲ぶ「盂蘭盆会(御盆)」であり、収穫を祝う祭りなら「神嘗祭(かんなめさい)」や「新嘗祭(にいなめさい)」がそれに当る。

 10月17日に行われる「神嘗祭」は、天皇陛下がその年の新穀を皇祖の天照大御神を祀る伊勢の皇大神宮に奉ら神恩に感謝される大祭であり、我が国の収穫祭というべき行事であるが、神嘗祭自体を知らない日本人が殆どとなってしまった。

 11月23日はGHQに因り新嘗祭ではなく「勤労感謝の日」となってはいるが、その意味は、労働(勤労)に感謝することではない。その勤労によって生み出される農作物を始めとした万物の生産を祝い、神の恵みに感謝するという趣旨である。

 豊葦原瑞穂の国という国柄を考えれば「勤労感謝の日」ではなく「新嘗祭」という名称に戻し、日本人ならハロウィンなんぞより神嘗祭や新嘗祭を祝うべきだ。

 神嘗祭で奉られた新穀を天神地祇に供え、陛下御自身も召し上がる神事が「新嘗祭」であり、即位後最初に行われるのが新嘗祭が大嘗祭である。だが、現憲法には大嘗祭の規定が無い。GHQが天皇の祭祀を消し去ってしまったのだ。

 現憲法では天皇に祭祀は私事となり、憲法に明記されてる国事行為が優先されてしまっている。現憲法下で天皇の存在は「象徴」となってはいるが、その実は国事行為の為の傀儡でしかない。天皇が重んじるべきは国事行為ではなく祭祀である。

 憲法改正は第九条だけではないし、現憲法は皇統を護る機能を有していない。天皇を頂く我が国の国體と皇統を死守する為に採るべきは憲法改正ではなく、正統な国法である大日本帝国憲法(明治欽定憲法)の復元・改正以外には無い。

 歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を、現憲法を理由に否定し続けることは、未だ神道指令の呪縛から抜け出せずにいる証左である。天皇とは憲法以前の御存在であり、憲法如きに縛られることがあってはならい。

 何故に随神の道でもある神道が軽んじられてしまったかは、占領統治でGHQが神嘗祭を祝日から排除したことに起因している。戦後の日本人は、いつの間にか米国のキリスト教的価値観が受け付けられていることすら自覚することはない。

 衆院総選挙では農家の票欲しさに戸別所得補償制度の復活を訴える候補者もいたが、国策としての農業振興と食の安全保障や食料自給率の向上こそ急務であるのに、バラマキばかりで農耕民族として真剣に「農」を考える言葉は発せられない。

「農」とは愛郷心、祖国愛に繋がるもので、愛情というものがそこには無くてはならないが、我が国の農業政策は営利が優先される。世界各国では農業の保護政策が行われているが、それは「農は国の本」ということを自覚しているからである。

「農は国の本」というものを放棄した典型的なものが「種子法廃止法案」の可決だろう。種子法は日本古来の種子の廃止であり、豊葦原瑞穂国という国柄の崩壊の序章といえるものだったが、続いて「農業競争力強化支援法」の成立を謀った。

「農業競争力強化支援法」は、驚くことに外資等の規制はしていない。TPP参入に絡んで今後外国資本が農業ビジネスに参入する。つまり、我が国の公的研究機関が培ったデータが外国資本に提供され、盗用され、特許などが取得される危険を孕む。

 こうした農業の崩壊と食糧安保の放棄という大問題に、農本主義を重んじるべき右翼民族派や日米安保条約には拒否反応を示す右翼勢力が沈黙したのは何故か。

「何でもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う」という格言がある。ハロウィンくらいなら未だマシだが、種子法廃止法案や農業競争力強化支援法成立という現実は決して「何でもないこと」ではない。

 戦後解体された農本主義を復活させ対米自立を訴えるなら、日米安保条約廃棄と同じく、我が国の農業を立て直し、食糧安保の根本的解決を図るべきだろう。

 GHQが我が国の様々な弱体化政策を検証し、歴史や伝統、文化を否定する「祝日法」を見直し、祝祭日の意味と意義を国民に教えて行かねばならないと痛感する。

 10月17日の「神嘗祭」を祝日にすることは日本再生への道である。同時に春分の日を「春季皇霊祭」、秋分の日を「秋季皇霊祭」として復活させ、建国記念の日を「紀元節」、勤労感謝の日を「新嘗祭」と本来の名称に戻し、「憲法記念日」や「山の日」など意味の無い休日を廃止し、4月3日の「神武天皇祭」を復活させよう。

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2021年10月30日

右翼や活動家に求められるのはアジテーター(扇動者)としての資質である

 毎日の様に備忘録と暇潰しを兼ねて、徒然なるまゞにSNSやブログでアレコレと綴っている。政治思想や時局への獅子吼もあれば、地元の企業や経営者のスキャンダルもあれば、趣味の釣りや酒のネタや自戒を込めた記事だったりと色々だ。

 右翼団体を辞する1年程前、100円パソコンを購入しmixiをやり始めたのがSNSとの出会いだった。mixiのネット記事に自分と違う意見や批判に対し論争し、論破するのが好きだったが、最近はfacebookやtwitterでの討論はしなくなった。

 意見の隔絶した人との討論くらい無意味なものはない。左翼らや似非平和主義者、幼稚な反原発派に共通するのは、自分達こそ正義と思い込み過ぎて言葉が通じないことが多く、文章の一部や言葉を論い、己の偏狭な視野で断定されるのが茶飯事。

 直接会って話すれば互いの人となりも言わんとすることも、その人の表情などで理解も出来るというものだが、取り繕った上辺の文章だけで伝えるのは至難の業。 

 相手側の理論的な間違いを文章で指摘したところで、相手側が此方に「敬」を抱くことがなければ、喩えそれが正論であり、また相手を慮っての意見と雖も相手に通ずることはな。相手が左翼となると尚更だが、ネット右翼も似た様なもの(笑)

 それだけ固定観念や先入観に囚われてる輩の屁理屈というものは実に厄介なものである。左翼は確信犯だから間違いを指摘されても翻意することはないが、無自覚左翼という戦後民主主義者には聞く耳を持たず、屁理屈を垂れる輩が多い。

「人間というものは知性に根拠を持たず、大抵は無意識に、唯感情によってのみ支えられた先入観に囚われていることが稀ではない。こういった本能的な嫌悪、感情的な憎悪、決めつけられた拒否という様な柵を乗り越えることは、欠点のある、或いは誤った学説を正しく直すことよりも千倍も困難である」とはアドルフ・ヒトラー。

 愚生はSNSでアレコレと綴っているが文筆家だとは思ってはない。どちらかと言えば演説家であって、右翼浪人の今でも活動家としての気概は失ってはいない。演説をしてると相手の表情や内面を察することに長けるようにもなる。

 文筆家というのは見えない相手に訴えるだけで、その反応や反対意見に接するのもまた文章に因ってだが、演説家というのは話しながら相手の反応を窺い知ることが出来るから臨機応変にもなる。噺家(落語家)なんでのは演説家の典型だと思う。

 落語家というのは凄いと思う。サゲ(オチ)を知ってる古典落語は何度聞いても笑える。右翼も空気をカネにするなら読書より会話を磨かなきゃダメだ。営業保守らの本なんか買うより、寄席に行って話術というのを盗んで来なさいな(笑)

 落語家が聴衆を引き込むにはマクラ(本題に入る前の面白話)が大事で、マクラで聴衆を引き込んで笑いを取ってから本題に入るのだが、マクラが上手いとつい引き込まれてしまう。右翼の演説もいきなり本題から入るから誰も立ち止まらない。

 右翼陣営の悪い処は一度書いたものや一度話したことは二度とやらない人が多いが、観念的に同じことを訴えて行くことは大事なことだ。落語家なんて同じ話で儲けてるし、大日本愛国党総裁の赤尾敏の街頭演説なんていつも同じだった。

 演説で大事なのは上手く喋ろうというのではなく、自分の言葉で懸命に訴えるのが好い。それが、見栄なのか、恥ずかしいのか、同じ話はやりたがらない。下手くそな演説を勿体ぶってどうすんの。同じ話だってイイじゃないか右翼だもの(笑)

 多くの人は自分の意見や理論こそが正しいと思っている。だから、自分の意見と異にする者を説き伏せようとしたり、感化させようとしたりするものだが、これが文章でやるのは至難の業で、やはり顔を合わせて言葉での遣り取りが好い。

 ヒトラーはこうも訓えている。「偉大な理論家が偉大な指導者であることは稀で、寧ろ演説家の方が指導者に向いているだろう。指導者であるということは大衆を動かし得るということだからである」。成否は別に田中角栄がその好い喩えだろう。

 我が国の政治家が偉大な指導者とは言い難いし演説家は見当たらない。アジテーター(扇動者)として長けてるのは山本太郎くらいなものか。「日本第一党」党首 で「行動する保守運動」代表 の桜井誠なんてのは典型的なアジテーターだ。

 桜井を嫌う右翼人は少なくないが、日頃から、敵を相手にして説伏しているからああした口調にもなる。そんな反桜井の愛国者に限って何故か山本太郎を持ち上げたりしてるが、要は有名人好きの権威主義だがそれさえも気付いていない(笑)

 野村秋介の影響か、理論武装宜しく「反共右翼からの脱却」などと悦に入ってるが、右翼の基本は行動であり、アジテーターで在らねばならない。単なる受け売りの文章を上手に喋ろうとするから相手に通じないし、感化もされない。呵呵。

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2021年10月29日

自民党歴代幹事長が反天皇議員を応援するマヌケさ

 自民党元幹事長で副総裁を歴任し、石原派(近未来政治研究会)最高顧問の山崎拓が、衆院大阪10区に立候補している立憲民主党の辻元清美の応援演説を行った。

 山崎は「小選挙区は辻元清美、比例区は自民党という立場だが、理解を頂きたい。辻元清美が当選すれば、日本の政治の為になる」と訴えたという。反天皇活動家でもある辻本が「日本の政治の為になる」というのはどういうことなのだろう。

 辻本は自著で、天皇や皇族に対して「生理的に嫌だと思わない?ああいう人たちというか、ああいうシステム、ああいう一族、近くで同じ空気を吸いたくない」と、おぞましい思想の持ち主であり、名うての反天皇制活動家である。

 この辻本ら反天皇勢力が、男子皇族減少に託けて「女性宮家」や「女性(女系)天皇」を騙っていることでも、皇位継承論の胡散臭さが分かるというもの。

 こういうクソを応援する玉ネギヘアーの山拓もクソとしか言い様がない。同選挙区には自民党麻生派の大隈和英も出馬しているが、石原伸晃の面目は丸潰れ。要は、麻生太郎への嫉妬から出でる嫌がらせだが、男の嫉妬は実に見苦しい(苦笑)

 現在の政治を糺すには健全野党の出現というより自民党粛正が不可欠である。現在の自民党は国家観に乏しく、保守的政策を掲げてはいるが単なる選挙互助会に成り下がった。幹事長が党の資金や選挙を仕切る構図の弊害が顕著となっている。

 現在の小選挙区制度では、自民党か野党の議員しか選べない。選べる候補者がいないのでは投票率は下がる一方。その自民党が保守政党と言えるのかといえばそれも疑問で、唯、保守票欲しさに保守のカタチを取り繕っているだけに過ぎない。

 小選挙区比例並立制は問題が多い。自民党の権力闘争に敗れた小沢一郎は、自民党を飛び出して、自民党の派閥政治への怨念から小選挙区制度の導入を謀った。

 斯くして我が国は二大政党の道を選択したが、少数政党を慮った小選挙区比例並立制という中途半端な制度改革となった。小選挙区制は中庸を重んずる国民性からも向いてはおらず、小選挙区を廃止し中選挙区制や大選挙区制を導入すべきだ。

 選挙区にロクな候補がいければ棄権するしかない。中選挙区や大選挙区、例えば福島県で10人当選となれば弱小政党にもチャンスは巡って来るし有権者の選択肢も増える。何より、総選挙の度に3分の1が改選され国会に新しい風が吹く。

 昭和30年11月15日、日本民主党と自由党が合併し「自由民主党」が誕生。党是は自主憲法の制定。改憲政党では無いのに九条改正を叫ぶのも不思議なことだ。

 安倍晋三を筆頭に、中国共産党の脅威を訴え、九条改正は喫緊の課題であると選挙公約に「憲法改正」を盛り込んでいるが、これは単に保守票を取り込む作戦でしかなく、国会議員の3分の2の発議さえ儘ならないのに改正なんて出来る筈もない。

 尖閣の危機は眼前に迫ってる問題なのに九条を改正を実現しようとは悠長なことだ。安倍や営業保守が騙る憲法九条改正こそ究極の護憲運動というのが正しい。

 自民党は改憲ではなく新憲法制定を訴えるべきだが、「現憲法無効」を宣言し、正統な国法である大日本帝国憲法の復元改正こそが現前の危機を救う最善である。

 自民党歴代最長記録更新中だった媚中派の二階俊博が干されたのは好い傾向だが、新幹事長の甘利明はどうかといえば元新自由クラブだからかパッとしない。

 自民党幹事長が劣化して行くのは小沢一郎辺りからか。党内の人材不足も顕著となり、加藤紘一や野中広務、古賀誠、山崎拓、石破茂など無自覚左翼というか容共議員が幹事長に就き、国家観なんぞ二の次で国民不在の権力闘争が本業となった。

 山崎拓が辻本を応援するのも然もありなん。過去には、古賀誠が共産党機関紙「赤旗日曜版」に登場し、憲法改正の発議要件を緩和を企む安倍内閣の憲法96条改定の動きについて「絶対にやるべきではない」との持論を垂れ流していたっけ。

 自民党の元幹事長が「赤旗」紙上に登場すること自体が異常だが、歴代幹事長がこうした幼稚な認識を披歴したことは自民党の不幸と言える。古賀は現行憲法の平和主義は「世界遺産に匹敵する」とマヌケな発言をしていたのには嗤えた。

「平和主義」を憲法で謳っている国は世界80ヶ国以上に上り、イタリア、スペイン、ハンガリー、エクアドル、フィリピンは日本国憲法と同じ規定が在る。 古賀の「平和主義は世界遺産」との認識は、無知と奢り以外の何ものでもない。

 アジア情勢や朝鮮半島の緊張が増し、世界情勢が激変しようという時機を失していつ憲法に手を付けるというのか。我が国の政治の劣化を招いているのは、自民党幹部を歴任した老害の影響は拭えない。爺は家に引っ込んでなさい。呵呵。

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2021年10月28日

私学助成金制度は日本国憲法89条違反という現実を知っているか!

 社会保障や経済対策より、政治で最も大事なものは教育と国防である。その教育で大事なことは教育の無償化より教育の内容が大切で、先人の営為に学び、日本という国に生まれたことの自覚や誇り、悦びを教えることが大切である。

 政治家がこうした教育論を騙らず、党利党略や党勢拡大の目論見だけで耳障りの好いことだけを訴え、金のバラマキや分配だけに狂奔していることは本末転倒。

 自民党は、安倍政権時代「教育基本法」の改正を行い、米国時代の悪しき教育制度からの脱却を目指した。現政権下での教育改革の理想は間違っていない。だが「誇りの持てる子供達を育てる」と宣いながら教育の中身を語ることはなかった。

 嘗て、明治維新後の我が国は、教育立国として明治期の試練と昭和の国難を乗り越えた。極貧の中から多くの偉人が輩出したのは先人の立派な教育の故である。

 司馬遼太郎の歴史小説「坂の上の雲」で、父が秋山兄弟に「好きで貧乏をしているのではない。敢えて、君等の将来を考えてやっているのだ。昔の偉人や英雄は極貧の中から生まれた。金持ちから偉人や英雄は生まれん」と苦諌する場面がある。

 教育の原点とは意外とこんな処に在るのではなかろうか。然し、現在はどうだろう。経済的には充実しているのに、国民の勤勉性や家族愛、愛国心、信義誠実の原則は失われ、心の中の高貴なものを失い、高邁さを忘れてしまった。

 国民はマスコミが取り上げる胡散臭げな問題に一喜一憂し、問題が出ればその萌芽は日本に在ると貶し貶め、それをマスコミ御用達の言論人が煽り大騒ぎ。政治家は平身低頭し、謝罪を続けながらその頭の中は保身と次の選挙のことだけ。

 迷えるものはつまらぬインチキ宗教に救いを求め、煩悩は捨て切れずに私利私欲の欲望に塗れている。頽廃したマスコミは営利主義から国益を擁護する気配など皆無で政権批判して悦に入り、国民の愛国心を蝕み今やマスゴミと揶揄される始末。

 高邁な魂を喪失し風俗に興じる現在の日本人に最も必要で大事なものは、教育の無償化やバラマキよりも、将来の我が国を担う子供達への教育内容の充実である。同時に学制の基本となってる私学助成金制度を再考するべきではなかろうか。

「私学助成」とは、国及び地方公共団体が行う、私立の教育施設の設置者、及び、私立の教育施設に通う在学者(在学者が未成年者である場合は保護者)に対する助成のことである。助成とは聞こえは好いが、明らかな憲法違反でもある。

 日本国憲法89条には「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」と在り、公的機関に属さない私立学校への助成は、この条文に抵触しているのはあきらか。

「私学助成」を廃止すれば私学の多くが破産するのは必至。そういうこともあって温情から、政府見解では私立学校の事業は「公の支配」に属しているとし、私学に対する公費からの助成についても「憲法89条に反しないもの」と解釈している。

 私学と雖も公の支配下に在るという。私学助成での憲法解釈は自衛隊のソレと同じ。憲法9条を楯に安保関連法案改定に反対し、集団的自衛権などを違憲と騒ぎ立てる左翼や護憲派らは私学助成金制度の憲法違反には何故か沈黙を極め込む。

 カトリック系の学校を始め、宗教系の学校では「日の丸は侵略のシンボル」「君が代は統治者天皇賛美」だとして教え、国旗・国歌への冒涜を続けている。こうした自虐且つ反日的な教育機関への無条件の私学助成は如何なものだろう。

 また、日大などがそうだが、不正事件が発覚した学校法人への助成は停止するのは当然である。過去には国士舘も暴力事件で助成金を見送られたのを思い出すが、森友問題も騒ぎ立てるなら文書改竄より私学助成金の在り方を問われて然り。

 違憲でありながら私学助成金制度を継続していることに括目し、現憲法の多くの矛盾性を指摘し、憲法議論を活発化させ、如何に現憲法が国の基本法として機能していないかを国民に示すべきだが、何故か第九条の改正だけに拘る不思議。改憲では国家の再建は不可能。つまり、第九条改正こそ究極の護憲運動というのが正しい。

 政治で大事なことは「国防」と「教育」の二つである。国防とは、三島由紀夫が示した通り、単に領土の防衛だけではなく、国體、つまり皇統を死守することであり、自衛隊が国軍且つ皇軍で在らねばならないのはそういうことである。

 だが、悲しい哉、資本主義というカネ主義に陥ってしまっている今の時代、「国防」や「教育」を充実させるのにも「先ずはカネだろ!」という屁理屈が聞こえて来そうだ。こうした拝金主義や価値観も米国が謀った戦後民主主義の洗脳である。

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2021年10月27日

「敬称・敬語不使用運動」は反天皇運動の一環というこを知ってるのか

 秋篠宮真子内親王と一般男性の記者会見は立派だったと思う。ネットでは一般男性への誹謗中傷や揶揄が盛んに流され、然も皇室を慮ったかの様なスキャンダラスな報道に自称保守派や自称愛国者が便乗して内親王の相手を罵り悦に入る。

 売国マスコミに拠る「敬称・敬語不使用」や「開かれた皇室論」の姿勢は、天皇陛下や皇室に対する敬愛の念を薄れさせている要因を招いている。こうした風潮に釘を刺すべき保守派や愛国陣営までもが軽々しく皇室を語るマヌケさ。

 天皇や皇族方への尊称不使用と敬称・敬語略運動は反天皇勢力の反天皇運動の一つである。そうしたことも理解していないで、マスコミが興味本位で垂れ流す皇室報道に与して騒いでいる保守派や自称愛国者らの無自覚ぶりとは絶望的である。

 皇室に関することは喩え褒めることであっても不敬に当るから控えるべきである。こうした認識だから共産主義者や反天皇勢力に付入られ、彼奴らが謀る「女性宮家」や「女性天皇」論が席巻する原因を招いていることを自覚すべきだ。

 視聴率や部数の増加を狙った皇室を利用したマスコミの報道にはうんざり。今や共産主義者が謀った「開かれた皇室論」は国内の隅々にまで浸透してしまった。

 1932年、ソ連共産党からコミュンテルン日本支部である日本共産党へ、「コミュンテルンテーゼ(命令書)」という指令が出されたのは歴史的な事実である。

 命令書には「天皇制廃止運動」として、昭和天皇への「戦争責任・退位論」に始まり、「開かれた皇室論」「敬称・敬語不使用運動」、平成に入ると「女性宮家」「女性天皇論」が蠢き出す。令和時代の現在も反天皇制運動は継続されている。

 皇族方の尊称を使わず「さま」と呼ぶことは、皇室への尊厳を薄れさせる為の「開かれた皇室論」に与するものであり、共産党への命令書を忠実な遂行でもある。

 本来の日本人ならば、「陛下」「皇后陛下」「上皇陛下」「上皇后陛下」「秋篠宮皇太弟」「親王殿下」「内親王殿下」「女王殿下」と正式な敬称で呼ぶべきで、「さま」と呼ぶことに因って我が国の万邦無比の国體の精華が喪失して行く。

 真子内親王の記者会見を見てて驚いたのは、真子内親王が婚姻届けを出した途端に「さま」から「さん」付けに変わったことだ。「さま」でも不敬なのに「さん」呼ばわりしながら視聴率を稼ごうとするマスコミとは正しくマスごみそのもの。

 我が国は天皇陛下を族長と仰ぐ家族国家である。戦前の様に「畏れ多くも畏くも」とは言わないまでも、皇族方へは節度ある敬意を表することは当然のこと。

 皇族方への敬称略に見られる国内に蔓延する日本語の乱れを直すことこそ急務である。日本人が日本語を正しく使わずして「国際化社会」などとは実に痴ましい。

 明治の先覚者は、外来語を全て新漢字に翻訳し、日本語の儘で西洋文化を学ぶことが出来たことは偉大なことである。現代人の様に外来語をそのまま羅列し、軽薄な舶来趣味と比べれば、明治人の気骨と気概、高い見識を伺い知ることが出来る。

 日本という奇跡の国に生まれた誇りを胸に、日本語に自信を持ち、何処までも日本語で主張し、日本文化を貫いたからこそ発展が得られたのだ。英語という田舎言葉が世界語になったのは、武力で世界を支配し、富を独占したからに他ならない。

 世界で今、2000万人以上の人が日本語を学びその数は増える一方だという。日本語文化を世界に普及し、日本の和の心を伝え、世界平和の実現を図ることは大事であり、その為にも蔓延する現代日本人の乱れた日本語を正すことが必要である。

 我が国は天皇を族長と仰ぐ家族国家である。日本国憲法第一章に「天皇」の条項があることでも理解出来る。第一条には「天皇は日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」と在る。

 共産党を反天皇勢力らは「我々は天皇制に反対しているのだから国民の総意ではなく、天皇は違憲の存在である」と叫んでいるが、この屁理屈は残念乍ら正しい。

 天皇の御地位に関する共産党の認識や国事行為の問題には沈黙し、「違憲の存在である自衛隊を合憲に」などという改憲論を進める保守派らも第九条こそが大事と思っていること自体が左翼の「九条の会」と変わらない誤憲派である。

 現憲法は第一章「天皇」の条項を始め問題点や矛盾点が多い。九条改正に拘ってる安倍を始めとした改憲派こそ究極の護憲派と言うのが正しい。第一章の「天皇条項」を読めば、悲しい哉、天皇は国事行為のみを行う政府の傀儡でしかない。

 保守派や自称愛国者らは殊更に中国共産党の脅威を煽り「憲法改正」こそが国を護る手段と考えてるが、「国防」とは我が国の領土を護るだけではない。我が国の歴史や伝統文化、言語や宗教、何より皇統を死守することである。

 そう考えれば米国製の現憲法では護り抜くことは不可能であり、現憲法の無効を高らかと宣言し、大日本帝国憲法(明治欽定憲法)を復元改正こそ採る道である。

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2021年10月25日

自民党は真の保守政党に回帰しなければ国民の支持は離れていくばかり

 岸田政権発足後初の国政選挙となった参院静岡、山口両選挙区の補欠選挙が開票され、山口は自民の圧勝だったが、静岡では岸田政権発足の御祝儀相場も何処へやら非自民系が僅差で勝利した。この結果に野党は歓喜し、自民は警戒感を募らせる。

 衆議院と参議院はその在り方が違うのに、衆議院と同じ政党が衆議院の別組織として存在し、衆院と同じ議論を持ち込んで党利党略の政争を繰り返すばかり。

「良識の府」と言われる参議院議員に求められるその良識とは、国家観を逞しくする政治的良識であり国際社会に通用する常識と日本国民としての良心である。

 参議院とは抑々「貴族院」の名残りであり、言い換えれば「勅選議員」でもある。然し乍ら、現在の参議院議員に勅選という「天皇に選ばれし者」という意識は乏しく、衆議院のカーボンペーパーに成り下がり税金を無駄に費やすばかり。

 衆議院での審議を俯瞰した立場で議論するのが参議院の役目だが、衆議院と同じ政党が同じ議論をしている。審議拒否していながら報酬はちゃっかりと頂く。そういう政治的良識や日本人としての良心が欠落している参議院なんぞ要らない。

 イタリアでは上院は選挙に拠って315人の議員を選出していたが、憲法改正の是非を問う国民投票が成立し、上院議員は100人の首長ら地域代表者で構成され、法案の審議や内閣の承認は下院のみが担うこととなり、事実上の一院制となった。

 上院議員の100人は選挙ではなく、州議会議員からの74人と市・町長からの21人の計95人と、大統領が任命する5人を加えた総数100人。上院議員手当は廃止し、上院事務局は下院に統合され政治経費は大きく軽減されることとなった。

 我が国もイタリアに見倣って参議院議員を大幅に削減し、首長や地域代表の無報酬の議員にするとかして事実上の一院制にすべきと思うが、まぁ、党利党略、保身と次の選挙が最優先の我が国の政党や政治屋諸侯には到底無理な改革だわな(笑)

 政治を正すべき参議院のレベルは目に余るが、衆院を見れば今や党幹部が推す候補者だけが立候補し、当選すれば政治思想や信条は関係なく単なる投票要員と化す。議員に青雲の志は無く、サラリーマン化してしまった元凶は小選挙区制度に在る。

 自民党の権力闘争に敗れた小沢一郎は、自民党を飛び出して政治改革の要として小選挙区制度の導入を謀ったが、自民党の派閥政治への怨念からのものである。

 斯くして我が国は二大政党の道を選択したが、少数政党を慮った小選挙区比例並立制という中途半端な制度改革となり、更には国民から政党交付金を詐取するに至る。

 小選挙区制度の理想は二大政党制である。現状を見れば自民党VS非自民。国民が期待するのは保守や中道の二大政党でありポンコツ保守VSクソ左翼ではない。

 小選挙区では「赤か白」的に一人しか選べない、小選挙区制度は中庸を旨とする日本人にはそぐわない。自民党か立憲共産党を選べというのは酷だ。小選挙区並立制を見直し、完全中選挙区制度に改めることこそ政治を国民に取り戻す得策である。

 比例制は廃止し、例えば福島県内は5つの選挙区に分けられているが、これを「浜通り」「中通り」「会津地方」の三区に分け、当選者を各地区で3人~5人とすることで、巨大政党に所属しなくても当選出来るし、何より国会に新しい風が吹く。

 現在の選挙制度では、幹事長を始め党幹部に気に入られ、主張も政党の意向を優先させられる。つまり、憲法改正にしても「自民党がやろうとしている憲法改正は現憲法を護持することになるから反対」と主張したら党公認は得られない。

 原発問題にしろ「原発再稼働」や「我が国が技術立国として高速増殖炉『もんじゅ』の開発を再開しろ」との主張は既成政党では受け容れられることが無いが、中選挙区に戻せばこうした主張の候補が当選出来る可能性も出て来るだろう。

 小選挙区比例並立制と政党交付金で成り立っている政治システムを終わらせない限り、青雲の志に篤く、天下国家を論じる若手政治家が出現することは無い。

 政党交付金制度を廃止すれば共産党が資金力で優るから、自民党は脅威と感じ、政党交付金のシステムは死守したいだろう。他のボンクラ野党も同じで、小沢一郎を見るまでもなく、政党交付金の為に離散集合を繰り返してる守銭奴ばかり。

 逆に共産党が主張を翻し、政党交付金を受け取れば更に潤沢な政党となり脅威は増すだろう。二大政党制を目指すのであれば自民党は結党の精神に立ち還り、左翼革命に抗する真の保守政党に生まれ変わらなければ国民の支持は離れて行くだろう。 

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2021年10月24日

多くの人は自分の意見や理論こそが正しいと思っているが

「人間というものは知性に根拠を持たず、大抵は無意識に、ただ感情によってのみ支えられた先入観に囚われていることが稀ではない。こういった本能的な嫌悪、感情的な憎悪、決めつけられた拒否というような柵を乗り越えることは、欠点のある、或いは誤った学説を正しく直すことよりも千倍も困難である」とはアドルフ・ヒトラー。

 正義や良識というのは己の価値観であって、それが正しいとか一般常識なのかというとそうでもない。特に正義ということになればその正義は真逆な場合が多い。

 例えば、世界の警察を気取る米国の行動を正しいと思う人もいれば、リビアや北朝鮮の様に米国の対応を不正義だと思ってる国も在る。中共の弾圧で苦しむ国にとっては、自国の正義を実現しようという行動さえも容易に敢行出来ない国も在る。

 日本人同士でも同じこと。総選挙で自由民主党に投じる人は自民党が好ましいと思い、立憲民主党や日本共産党を支持する人にとっては自民党に敵愾心を抱く。尤も、その多くは「自民党くらいしか」とか「立憲や共産党にでも」程度で支持してる。

 安倍元首相が「悪夢の民主党政権」と断じて憚らないが、有権者の多くは「自民党にお灸を据える」という意味もあって民主党を支持した。別に民主党が良い訳ではなく「民主党しかないか・・・」「自民党より民主党にでも入れとくか・・・」程度で投票したというのが実情で、所詮は「でもしか政党」で、それは自民党も同じ。

 民主党が政権交代に成功した要因は、マスコミが連日繰り返した「政権交代」という言葉を、有権者が耳にすることでそれが正しいものと判断してしまった。

 無党派層と、マヌケなことに「自民党に御灸を据える」と自民党支持者の実に3割近くが民主党を支持した。安倍の「悪夢の様な」には自民党の責任もある(笑)

 大多数の国民はテレビや新聞、マスコミの報道に毎日接することで意思行動を方向付けられる。偏ってるとか成否は別にして、声の大きい者や発信力の大きい人、頻繁に接するモノに視聴者は「正しい意見」として先入観を植え付けられる。

 新聞購読者はその新聞に感化され、テレビの報道番組も出演者の意見に左右される。それが正しいとは限らないのに鵜呑みにしてしまう。情報弱者とは自分の意見を持たない人を言うが、そういう意味ではtwitterなどのSNSは情報や意見が豊富。

 愚生のブログやSNSでの意見が万人に正しいものだとは思ってはいない。右翼を自任する者として、日本国民であるならばこう考える、こう行動しなければならないというものであって、それを絶対無謬で右翼共通のものだとの驕りもない。

 人の多くは自分の意見や理論こそが正しいと思っている。SNSの世界も同じで、自分の意見と異にする者を説き伏せようとしたり、感化させようとしたりする。だが、固定観念や先入観に囚われてる屁理屈ってのは実に厄介なものでもある。

 意見の隔絶してる相手を翻意させることなど到底無理なことなのだが、そうしたことにも気付かずに無意味な論争を繰り返している様子は気の毒にも思う(笑)

 論争で理論的な間違いを指摘出来たとしても、論争してる相手側がこちらに「敬う心」を抱くことがなければ、喩えその指摘や意見が正論であり、また相手を慮っての意見と雖も相手に通ずることも受け容れられることもないだろう。

 左翼というのは確信犯だから翻意することはないが、無自覚左翼という戦後民主主義者にはこの手が多く、聞く耳を持たず偏狭な屁理屈を垂れる輩が多い。まぁ、右でも左でもどっちにしても、人というのは結局は「好きか嫌いか」で判断される。

「正しい」とか「間違ってる」という基準も、つまりは「好きか嫌いか」の延長であり、好意を持ってる人の意見は精神的に正しいと思い込んでいるに過ぎない。

 意見の食い違い以前に、嫌われてる相手に幾ら熱く語ったところで疲れるだけ。「生理的に合わない」とか「以心伝心」というが、自分が嫌いだとか苦手だなと思ってるいる相手というのは、向こうも同じ様に感じているものなのだ(笑)

「人に意見や指導をしてその人の欠点を直す」ということは大切なことであり、親切心であり、慈悲の心だとも言えなくもないが、意見される側がそれらを受け容れる気持ちが無ければ、意見や苦言というのは単なる「余計なお世話」でしかない。

「葉隠」では、意見というものは先ず、その人がその意見を受け入れられるかどうかを見極めることが大事であり、先ずは相手と親しくなり、自分を信用して受け容れる状態になってからでないと意見というものは通じることもないと教えている。

 食事や痛飲しながら相手に心を許し、自分の失敗談などを話し、意見を言わなくても、相手に間違いを思い当たる様に仕向けることが出来れば成功だという。

 相手の長所を先ずは褒めながら、その上で感じた欠点や間違いを指摘し直そうと努力するというのが親切心であり、本来、意見というのは斯く在るべきなのだ。

「人というのは結局は好きか嫌いかである」とは実に正鵠を射た喩えだと思う。愚生の様な右翼風情が声を大にして正論を吐いたところで、相手に通じないのは世間から忌み嫌われているということ。要は、生理的に合わないということに尽きる。

 まぁ、立派な主張が通じないのは理論よりも人柄や人格の問題か。理論武装も好いが、その確立してしまった性格や人となりを磨くのは容易なことではない。呵呵。

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2021年10月23日

日本政府「脱炭素」に向けて再生エネルギーを倍増するってよ!

 政府は、中長期的「エネルギー基本計画」を、2030年度には発電全体の36~38%を再生可能エネルギーで賄うことを閣議決定した。同時に原子力を現行の20~22%を維持するというが、数値目標が逆ではないのか。安心安全な原発を推進し、更には小型核融合炉や核燃料サイクル施設「もんじゅ」も再活用すべきだ。

 CO2削減なら尚更だし、新型原発でもある小型核融合炉の実用に向けた研究開発を急ぐべきだ。核融合炉とは、太陽で起きている「核融合反応」を地上で再現させる原子炉の一種。小型核融合炉はCO2を排出せずに膨大なエネルギーを創り出すことが出来る。然も高レベル放射性廃棄物を発生させないというメリットもある。

 核融合発電所は、核分裂発電所(既存の原発)の様な化石燃料を燃やすことがないので温室効果ガスを発生させることはない。使用燃料はウランよりも豊富で、海の中にある重水素といった資源だけで発電出来るとされているのも魅力だ。

 核融合炉は、軽い原子を数千万度の温度で繋ぎ合わせてエネルギーを放出するというもので、既存原発よりも放射能や廃棄物の発生量が少なく危険性も低い。

 核融合炉が実用可能になれば気候変動への対策に大きく貢献するが、反原発派などから核融合炉の総建設費約2.5兆円という投資額に対する批判が出ることだろう。

 高速増殖炉「もんじゅ」は、生成されたプルトニウムや燃え残りのウランを混合酸性物(MOX)燃料に加工し、再利用しようという国のエネルギー政策であり、我が国が目指した高速炉開発という夢の方向性は決して間違ってはいなかった。

 高速増殖炉に成功させることで、世界のエネルギーの平準化を達成出来れば、我が国が世界から尊敬されるだろうに、脱原発の流れと予算的な理由で廃炉される様なことになったことは経済大国としても技術立国としても実に情けないことだった。

 政府のエネルギー基本計画の目標達成の為に、メガソーラー発電所や風力発電施設を乱立させることだけは阻止せねばならない。再生可能エネルギー施設が増設されればされるほど一般家庭への「再エネ発電賦課金」という負担金は殖え続ける。

 第6次エネルギー基本計画に関連する「水素エネルギー」の割合は1%程度。水素エネルギーは工業的に製鉄や石油産業で副次的に出るもので、各産業で自前の燃料として使ってきた実績はあるので小規模的には技術的な問題は無いが、火力エネルギーとしての利用するとなると規模が小さ過ぎるのではないかという指摘もある。

 1モル当たりの燃焼エネルギーの比較をすると天然ガスの10分の1。これを気体にすると10倍の容積が必要になる。そうすると大量の水素を扱うことになるので、輸送や貯蔵の規模も大きく、技術的な課題やそれらに掛かる費用も気になる。

 現在の水素エネルギーは基本的に燃料電池用であり、今後の社会生活に於けるバッテリーの重要性は理解するが、水素エネルギーで地域の活性化を図るにも水素ステーションなどのインフラ整備と水素燃料電池車などのコストが課題となるだろう。

「エネルギー計画」にも蓄電池の開発が記載されているが、目標の設定が具体的ではなく「必要だからやる」と書かれてある。蓄電池は太陽光発電や風力という不安定な電源と組み合わせないと主力電源になり得ない。「だから必要だ」と言われているがそう簡単には行かない。実用化の目処などが立たない状態だという指摘もある。

 こうしたエネルギー基本計画は「絵に描いた餅」であり、大学教授らが議論して決めた「希望」であり、失敗に終わっても誰も責任を負っていない計画にも見える。結果、補助金を湯水の如く無駄使い果たして終ることになる可能性も否定出来ない。

 もう一つの問題は、下手に実現してしまうと確証もない地球温暖化対策の為に、そのツケを日本国民か負うことになる。高い電力を買わされて、経済が行き詰まり、高い借金を払わされる可能性は少なくない。再生可能エネルギーは業者にとってはコストも低いし儲かるが、国民からすれば思ってたほど安価な計画ではない。

 再生可能エネルギー倍増には違和感を覚る。というのも、再生可能エネルギーの一番の問題点は年々増え続ける賦課金である。今や一般家庭の「再エネ発電賦課金」の負担金は2兆円を優に超え、再生エネルギー倍増で更に殖え続けるのは必至。

 原発事故後、再生可能エネルギーに転換されたが、資源の乏しい我が国が原発の再稼働無しで繁栄を維持出来るとは到底思えない。何よりメガソーラーは自然破壊そのものだし、原発事故後に設置された太陽光パネルは寿命を迎えてる。その処分も業者ではなく国の責任で撤去再生というのでは国民は納得しないだろう。

 脱原発派が再生可能エネルギーの大義名分で、全国各地で山林を切り崩し太陽光パネル設置を謀っているが、所詮は反原発派が「原子力村」と断じた利権構造と同じである。目先の利権より我が国の技術力というものを信じ、新型原発や小型核融合炉の研究開発と実現を図ることこそ真の再生可能エネルギーというものである。

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2021年10月21日

選択的夫婦別姓は我が国が誇る戸籍法廃止への一里塚である

 第四十九回衆院総選挙が公示された。前日には日本記者クラブでは党首討論会が行われ各党首が我田引水的ニンジンを有権者にぶら下げ党勢拡大を目指す。国会では政争ばっかしてたのに、選挙となったらどのコロナ対策を優先とは嗤うしかない。

 公示に合わせたかの様に、北朝鮮は潜水艦発射弾道ミサイル2発を日本海に発射。津軽海峡では中共とロシアの軍艦が公然と横切った。こうした中で「敵基地攻撃能力は古めかしい議論」などと訴えてる公明党の無責任さには厭きれるばかり。

 古めかしいからダメなのか?日本国憲法はもっと古めかしいぞ。その古めかしい憲法九条第一項と第二項を順守するというその考えこそが古めかしい。池田一神教(創価学会)を妄信するインチキ平和主義の公明党が与党にいる不思議。

 選択的夫婦別姓賛成は言うに及ばず、敵基地攻撃能力を否定し、靖國神社に反対し、何より反天皇を標榜してる公明党が政府与党であることは悪害しかない。自公連立解消には、健全野党の出現を待つしかないが、それもまた無理というもの。

 国家の大本である国防問題は票にならないどころか、軍事力増強を訴えれば訴えただけ票が減る。「平和」というのは自らの手で生み出すもの。野党の「平和」は単なる党勢拡大の為に有権者を誑かす言葉であって空念仏で平和は創造不可能。

 選択的夫婦別姓については岸田首相以外の党首は賛成。選択的夫婦別姓推進派は「選択的なんですから、同姓にしたいなら同姓にすればイイ、別姓にしたいんだったら別姓にすればイイ」と語る。夫婦別姓推進派は、「民法」の改正は二の次で、我が国が世界に誇る「戸籍法」を廃止させるのが狙いである。

 夫婦別姓問題が浮上すると始めは同意していたものの、「夫婦別姓が男女平等の理想」とか「苗字を変えることで仕事上の不都合を生む」という理由を不審に思う国民が多くなり、別姓推進派は戦略を見直した。それが「選択的夫婦別姓」である。

 平成10年以来、「民法の一部を改正する法律案」が国会に10数回提出され、選択的夫婦別姓制度について議論が成されているが国民的合意には至っていない。だが、ここ数年で推進派やマスコミの世論誘導で中身も知らずに賛成している。

 自民党議員が十年以上騙された「夫婦別姓」運動と同じ騙され方をしているのが「選択的夫婦別姓」であり、「女性宮家」問題や「女性天皇論」も出処が同じ。共産主義者が謀るこうしたカタチを替えた破壊活動に騙されてはならない。

 選択的とはいえ夫婦別姓を許せば家族の一体感を損なうのは自明の理であるが、「姓が変わる事によって家族の絆が失われるとかっていうのはアホか。なんで反対するのかさっぱり分からない」 と、論拠を示さず反論するばかり。

 夫婦別姓は子供に与える精神的影響も大きく、同棲という事実婚を増加させ、離婚の増加や婚姻制度の崩壊を齎すのは明らか。 姓が罷り通れば不倫や重婚なんぞ当たり前になり、倫理観や道徳観が低下するだろうことは諸外国の事例で分かる。

「選択的夫婦別姓制度」を導入した、イタリア、オーストリア、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、ハンガリー、フランス、スペインなど欧州の国々では婚姻率が4割以上も減り、離婚率が2倍となり、婚外子の割合が5割も増加。北欧、フランスでは婚外子が5割を超えている。原因は「選択的夫婦別姓制度」である。

  抑々、婚姻に際し氏(苗字)を変えることで職業上不都合が生じるという人は、会社などでは通称名で旧姓使用が一般化しており、婚姻に際して氏を変更することは、関係者や知人に連絡や告知することにより問題が生じることは無い。

 また、氏姓を変えることにより自己喪失感を覚えるという様な意見もあるが、それよりも結婚に際し同じ姓となり、これから新たな家庭を築くという喜びを持つ夫婦の方が圧倒的多数であり、同性こそ極めて一般的な普通の夫婦の感覚だろう。

「氏は自分個人の名前の一部」という誤解が混乱を招いているのも確か。戸籍を見れば分かるが、戸籍の筆頭者のみが氏と名で書かれており、その他の家族は続柄と名しか書かれていない。つまり、氏は家族を表す名称ということを理解していない。

「別姓」が導入され別姓世代が続けば家系は確実に混乱して、戸籍制度や家族制度は瓦解し、祖先と家族・親と子を結ぶ連帯意識や地域の一体感を失うのは自明の理。延いては、日本人の倫理道徳観にまで悪影響を及ぼすのは必至である。

 日本社会で家族との絆を支えているのが「戸籍」である。戸籍は国民の出生・結婚・死亡などの身分の変動を「夫婦と未婚の子」を単位として登録するシステムで、結婚や相続など家族生活を営む上で極めて重要な役割を担う。

 別姓推進派は「別姓導入は戸籍制度改廃への一里塚だ」と公言してる様に、戸籍法廃止が究極の目的であり、その為の「選択的」なのだ。普通なら「別姓するくらいなら結婚などしなきゃい好いだろうに」と思うが、あくまでも選択的夫婦別姓の目的が「戸籍法の改正」に在るのだとすれば合点が行くというものだろう。

 推進派は、戸籍制度が家族単位である点を戦前の「家父長制度」の残滓と捉え、個人単位の「個籍」や、欧米諸国を模した「個人登録制」にすることを求めている。

 別姓導入によって「家族の絆」が弱まるだけではなく、別姓導入は初めから家族制度の解体を意図した策動とも言えるのだ。 つまり、夫婦別姓はそれ自体が目的ではなく、日本の誇る戸籍制度そのものの崩壊を目論んだ破壊活動というのが正しい。

 日本人の日本人らしさの根幹を成すものが「戸籍制度」であり、個人だけでなく、祖先や親兄弟、子や孫といった歴史の縦軸の中に生きるという制度であるのだ。選択的夫婦別姓を粉砕し、「家族制度」と「戸籍制度」こそ世界に普及させよう。

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2021年10月20日

10月20日という日の渾身の思いが我が脳裏に去来する

 本日10月20日は上皇后陛下の御生誕日。謹んで御祝詞申し上げます。それにしても共産党が謀った反天皇運動の一つでもある敬称略運動の「さま」付け報道は目に余る、日本人であるなら正式な敬称使用と節度ある敬意を表するべきだろう。

「秋篠宮ご夫妻」とは「秋篠宮殿下並びに同妃殿下」と称するべきで、秋篠宮真子内親王も「さま」付け。佳子内親王も同じで、男子皇族減少で女性宮家創設では「尊称保持」などと決めていたが、日頃から尊称も使わないのに嗤わせてくれる。

 真子内親王と小室圭氏との御成婚に関しても女性週刊誌を始めネットなどでもスキャンダラスに報じ、ネットニュースに自称愛国者らも便乗して騒いでいる始末。

 皇室に関しては喩え褒めることであっても不敬に当るということを知らない。こうした世論の動きも反天皇運動の一つの「開かれた皇室論」に因る弊害である。 

 10月20日は平成の御代の「地久節」であり、日本国民の実にめでたい日であるが、同時に歴史的にも我々日本人が決して忘れてはならない特別な日でもある。

 昭和19(1944)年10月20日、フィリピンのレイテ島に圧倒的勢力で上陸を図ろうとする米軍部隊へ、大日本帝国海軍は起死回生の反撃に出るも戦況は芳しくはなかった。更に連合軍の沖縄本土への上陸と本土決戦を阻止する為に、大西瀧次郎中将の指令下、「神風特別攻撃隊(しんぷうとくべつこうげきたい)」が編成された。

 祖国日本を守る為に、愛する家族や故郷を守らんと死を決意して志願した特攻精神は祖国愛の極致というべきものであり、この若者らの「神風精神」こそ大東亜戦争が自存の為の「祖国防衛戦争」だったことの何よりの証である。

 沖縄への上陸を阻止しようと特別攻撃隊を始めとした日本軍が果敢に応戦するも連合軍の圧倒的軍事力には敵わず昭和20年4月1日、米軍は終に沖縄に上陸する。

 迎え撃つ牛島満中将指揮下の師団と旅団、及び大田実海軍少将指揮下の海軍部隊、棚町整海軍大佐が指揮する約7千人の航空関係員、更に「鉄血勤皇隊」や「ひめゆり学徒隊」に代表される少年少女など、軍官民は決死の防衛戦を展開した。

 本土からは、戦艦大和を始めとする第二艦隊の出撃「菊水一号作戦」や、桜花隊や敷島隊等の航空特攻「菊水二号作戦」を発動、更には「回天」等の特攻作戦を展開するも決死の戦闘空しく、同年6月23日組織的沖縄戦は終結した。

 沖縄戦では特攻戦死者の76%が沖縄戦。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1036名が散華された。特攻は航空部隊だけではなく、特殊潜航艇、回天魚雷、空挺特攻、対戦車特攻、震洋特攻艇、陸軍海上特攻など、日本軍の劣勢を覆す為の特攻作戦でも3972名が散華した。

 沖縄戦では実に多くの若者が祖国日本の為に尊い命を捧げたのだった。こうした命懸けの特攻作戦を、戦後民主主義教育の妄信から「無駄死」だとか「可哀想」だとかいう声を散見するが、現在の道徳観や倫理観で生死を語るなど笑止千万である。

 米国依存のまやかしの平和ではあるが、我が国の現在の繁栄は、純真無垢な彼らの尊い犠牲の上に成り立ってるということを我々は決して忘れてはならない。

 また、平成5年10月20日には、新右翼のカリスマ的指導者だった野村秋介が朝日新聞社で壮絶な死を遂げた。「地久節の日に・・・」との声も無い訳ではないが、この日が「特攻作戦と若者の命」という深い意味が込められていたからである。

 野村秋介の言葉というのは一つ一つに魂が刻まれているということだ。発する一つ一つに自分の命を刻み込む様に語ってる言葉は気魄が漂い未だに色褪せない。

 野村秋介の「自問自答の訓」というものがある。

「常に世俗にありてその一隅を照らし

 常に在野にありて権力悪と闘い

 常に人々を愛し共に涙を流し

 常に海を愛し空を愛して神々を敬い

 常に友情と信義を胸中にして熱く燃え

 常に名利を求めず正義を追い

 常に月を愛し酒を愛し女を愛し

 常に自由にして奔放であり

 常に一剣を懐中にして平天下を願う」

 愚生は単なる怠惰な日々に甘んじてる右翼浪人に過ぎない。これほどカッコいい生き方は出来ないが、酒を愛し女を愛し、常に自由にして奔放な無頼派で在りたい。

 理論家であり、行動派であり、任侠精神が厚く、押しも強く、幅広い人脈を持つ野村秋介の死は、新右翼に限らず右翼陣営全体にとっても大きな痛手だった。野村の死後、右翼陣営にとって指導者不足という課題が大きく圧し掛かっている。

 10月20日という渾身の思いが吾が脳裏に去来する。すめらみこといやさか。

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2021年10月19日

超党派の議員で「靖國神社法案」を再提出し靖國議論に終止符を打て!

 岸田首相は靖國神社の春季例大祭当日際に合わせ真榊を奉納した。菅前首相は例大祭の午前中に参拝、安倍元首相は数日前に参拝している。昨日は高市早苗が参拝した。今後も8月15日ではなく、春秋の例大祭に参拝して欲しいと願うばかり。

 嗤えるのは、菅前首相の「国のために尊い命を捧げられたご英霊に対し、尊崇の念を表すとともに、み霊のご冥福をお祈り申し上げました」とのツイート。靖國神社は追悼施設と思ってるのだろう、神社に参拝し「ご冥福」とは頂けない。

 こんなレベルの政治家が我が国の総理大臣だったとは。靖國神社は英霊の功績を顕彰する社であり、英霊は神である。神となられた英霊の死を悼み悲しむというのは如何なものか。靖國神社の創建の意味を知らないから「冥福」などと口を吐く。

 いっそのこと遺骨の眠る千鳥ヶ淵墓苑をアーリントン墓地の様に造り直し、国立戦没者墓苑にしたら如何か。靖國神社は、国家に殉じた英霊の顕彰を重んじている神社であり、慰霊や追悼が目的の政治家なんぞ千鳥ヶ淵墓苑に参じれば好い。

 超党派の議員連盟「みんなで靖國神社へ参拝する会」は今回参拝しない。国会議員約720人いる中で「みんなで・・・」とか言っちゃってるが、彼らの靖國神社参拝は営業保守や自称愛国者らと同じ、単なるパフォーマンスでしかない(苦笑)

 衆院解散によって「無職なう!」となった丸山穂高も靖國神社を参拝し、公職離脱したことを神前に報告したというが天晴れである。twitterに「岸田総理にも靖国参拝されることを望みます」とツイートすると多くの賛同が寄せられたという。

「総理や大臣、議員といった公職者が参拝するのも何の問題もないし、参拝批判はホント的外れ。参拝を止める権利は誰にもないし、他国に文句言われる筋合いも全くない」という見解も、日本人の感情としては至極当然のことである。

 世間では保守派を中心に首相の参拝を熱望する声が絶えない。だが、日本国憲法下では総理大臣や国務大臣などの靖國神社参拝は現憲法20条違反でもある。安倍晋三は第九条改正を訴え営業保守らが便乗してるが、現憲法の矛盾点は多い。

 現憲法20条第3項には「国及びその機関は宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と明記されている。つまり、総理大臣や閣僚の靖國参拝は第20条に抵触してるのは明らか。中韓の抗議以前に我が国の問題を解決するべきだろう。

 また、最高裁が示した憲法の禁止する「宗教的活動」の定義は、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫等も含まれる。つまりは所謂「A級分祀論」なども第20条違反に問われる行為でもある。

 石破茂を筆頭に分祀論者は、尤もらしく「A級戦犯分祀が実現すれば天皇陛下が参拝出来る環境が整う」などと、畏れ多くも陛下を利用し国民世論を誑かしている。陛下が御親拝せられなくなった理由は別に所謂「A級戦犯」の合祀が理由ではない。

 陛下の御親拝を妨害しているのは、中韓に諂う石破ら不逞の政治家も然ることながら、国體破壊と皇統断絶を謀っている共産主義者の官僚どもと宮内庁幹部である。

 大東亜戦争という国難に当り、国家の為に尊い命を捧げた人々の御霊を奉斎する靖國神社を、国家の責任で護持することは余りにも当然のことで論議の余地などない。戦前はそれが厳守され、国民挙って護国の英霊に感謝し崇敬の誠を捧げた。

 殊に特筆すべきは靖國神社の大祭に限り、天皇陛下が御親拝せられたことだ。聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄、これに優るものはなかったのだ。

 靖國問題を解決するには分祀論や憲法解釈ではなく、靖國神社の「宗教法人格」を見直せば済むことなのに何故か手を拱いていることは不思議でならない。

 靖國神社というのは戦後、GHQの統治下で行われた「神道指令」によって、解体や焼き打ちされそうになったのは有名な話し。当時の関係者がGHQの目を逸らす為に一時的に英霊ではなく別な御祭神を祀り「一宗教法人」として存続を図った。

 本来ならば、昭和27年4月28日に我が国の主権が恢復した折に、靖國神社と全国の護国神社は「宗教法人」ではな国家で管理するべきだったのだが、政治の怠慢に加え、政府自民党の無作為で国家護持が成されずに現在に至っている。

 宗教の定義は「教祖・経典・布教活動」の三要素が必須不可欠。靖國神社にはその一つも無く、唯、祀りの様式を日本古来の神道に則って行っているに過ぎない。

 靖國神社の国家護持を図る上で、この「宗教法人」を見直すことが肝要であり、先ずは靖國神社の宗教法人格を外すことから進めるべきだろう。

 自民党は過去に、衆参両院議員選挙の際のその公約の一つとして、「身を挺して国に殉じた英霊を祀る靖國神社の公式参拝と国家護持の実現を図る」という政策を幾度となく掲げて来た。政権政党として至極当然の認識と政策であったと思う。

 だが、過去に幾度も安定多数の議席を確保しながらもその公約は実現せず、昭和49年の参議院での審議終了による廃案以来、この「靖國神社法案」は提出されることは無くなった。これ即ち、保守政党をとしての矜持放棄と劣化の現れである。

「反靖國」を標榜する公明党との連立が続く限り靖國問題は解決を見ない。自民党内保守派の「保守団結の会」や超党派の「みんなで靖國神社へ参拝する会」が中心となり、再び「靖國神社法案」を提出可決し、不毛な靖國論議に終止符を打つべし!

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2021年10月18日

創価学会や共産党が地元の祭りにも参加しない理由

 毎年、秋祭り真っ盛りの地元に帰省して故郷の友人らとの一献が楽しみだったが、新型コロナでそれも叶わない。町内を山車や神輿が繰り出す姿が懐かしい。祭りに興ずる人も、それを観る人々も、心の奥底で日本人として自覚する一瞬でもある。

 普段、神様や仏様と縁も所縁もない様な自堕落な生活をしていながらも、多くの日本人は年末の除夜の鐘に感じ入り、正月には初詣に行き、結婚するとなれば神前でその生涯を誓い合い、死んだとなれば仏式で弔いをする人が殆どだろう。

 日本人にとって「宗教」とは、信じるとか信じないとかいう以前に生活に密着したものとなっている。祭りも「神道」の教え云々以前に、単なるレクリエーションの様なものになってしまっているが、神道の大らかさとはそういうことでもある。

 地元の祭りというのは住民の団結力が深まり、また祭りは、若者らにとって礼儀作法や長幼の序などを学ぶ場となる。仲間と酒を酌み交わし、日頃の憂さを晴らすかの様に本能の儘に祭りに興じれば、神との繋がりを実感することだろう。

 だが、その反面、神社とはどんな存在なのか、氏神や創建の歴史さえ知らない。二礼二拍手一礼という参拝方法を知ってはいるが、最後の一礼の際に手を合わせて祈る人を多く見かけるが、手は合わせないで頭を垂れ感謝の真を捧げるのが作法。

 こうしたことは、神道(神社)では布教活動をしないところに原因があるのだろうが、神主や禰宜(ねぎ)の努力の足りなさでもある。神主や禰宜らも葬式仏教に奔る坊主らと同じ様く単なる生業程度に思っているのだとしたら情けないことだ。

 神主や禰宜ら祭りの際には重宝がられるがそれ以外は存在感も無い。本来なら日頃から「坊主の説教」ではないが、地元の神社の謂れや神道での作法の重要さを先ず教え、啓蒙することは大事なことだが。田舎の禰宜は兼業故に本気さに乏しい。

 祭りでは、神輿(御神体)を上から覗く行為は禁止されているが、今はその意味を知らずに平気で二階などの高みから祭りの光景を眺めたりしている人も見かける。

 御神酒も神道での禊の一つではあるが、酒を呑んで酔っ払うわ、手水舎などで禊もしない穢れた身体で神輿を担ぐなどとは愚の骨頂である。三社祭で刺青を見せびらかして神輿の上に乗り、御神体に尻を向けるなどは神への冒涜そのものだ。

 最近では女性の神輿が流行りだが余り感心はしない。担いでいる神輿はイミテーションだから神様への冒涜ではないというが、要は祭りをイベント化してしまって騒ぎたいだけ。祭り(祀り)の本来の意味が失われつつあるのは間違いない。

 序でに言わせて貰えば、女性には生理がある。生理中、女性というのは情緒不安定になる。そうした女性の体調を気遣うのは当たり前のことでもあるし、生理は「穢れ」でもある。女性の神輿を見る度に生理ではないのかなと疑ってしまう(笑)

 皇室の神事の一つ「皇霊祭」では生理中の女性皇族は参加出来ない。こうした事実をして、左翼や反天皇勢力から「生理は汚らわしいものではない。女性蔑視だ」という反論が聞こえて来るのだが、これは何も皇室だけの例外ではない。

 例えば、イスラム教では生理中の女性はモスク(イスラム教の礼拝所)には入れない。バレたら殺される場合もある。ユダヤ教でも生理中の女性との握手を禁じている。これは女性差別ではなく、長い歴史と伝統の中で培った教えである。

 それなら聞くが、歴代ローマ法王には女性はいないし、法王どころか法王を選ぶ枢機卿にさえ女性はいない。これも女性蔑視か。日頃「レディーファースト」と自慢してる国でもそういうもので、伝統を守るというのはそういうことでもある。

 我が国の126代に亘る天皇の歴史の中で8人10代の女性天皇は存在したし、抑々、我が国の最高神である天照大御神は女性の神だ。女房を「山の神」ともいうが、かみさん=神さんであり、それに仕えるのはやはり女より男の方が好ましい(笑)

「女系天皇」や「女性宮家」は女性差別やジェンダー平等を理由に論じられているのだが、左翼や反天皇勢力というのは物事の見方が実に薄っぺらいものばかり。

 故郷の祭りを観てて考えたことは、創価学会(公明党)は祭りには参加しないし、共産党も協力的ではない。神主の最高の地位に就くのが天皇である限り祭りなんぞに参加しないという覚悟は、ある意味、信心深さと潔さを感じなくもない。

 その点、社民党はどうか。国旗国歌に敵愾心を燃やし、沖縄訪問をした当時の皇太子殿下並びに妃殿下に対して火炎瓶を投擲した国賊や、沖縄国体開会式で国旗を引き摺り下ろした輩が英雄視され、彼奴等が議員出馬した際には、推薦人に福島瑞穂などが名を連ねていたりと、反天皇でありながらそれを隠して祭りに講じる。

 立憲民主党には辻本清美を筆頭に反天皇活動家は多い。公明党や共産党の様に徹底して「天皇が嫌いだから祭りにも参加しない」という覚悟は無く、選挙目当てで祭りに参加するとはえげつない。だが、立憲民主党員だろうが、社会党支持者や共産党支持者だろうが、祭りに講じてる姿は神道の大らかさの現われでもある。呵呵大笑。

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2021年10月17日

神嘗祭に日本人としての「農」を考えてみよう!

 10月17日は「神嘗祭(かんなめさい)」であり、宮中及び神宮(伊勢神宮)では祭祀が行われる。日本人の主食となる米(新穀)を天照大御神に捧げる五穀豊穣の感謝祭である。新穀の他に鮑や鯛、伊勢海老、鮎、柿、大根など30種類を超える海や山の幸や、白酒・黒酒(しろき・くろき)など4種類の酒も供えられる。

 古来、旧暦の9月17日に行われて来たが、明治以降は10月17日に行われることとなった。神嘗祭では、天皇陛下がその年の新穀を、皇祖の天照大御神を祀る伊勢の皇大神宮に奉られ神恩に感謝される。農耕民族を自覚する祭りである。

 神宮では、毎年1500もの祭祀が行われている。その中でも神嘗祭は最も重要な祭祀です。神嘗祭では、新米などを奉納する「由貴大御饌(ゆきのおおみけ)」や5色の絹の反物をささげる「奉幣(ほうへい)」を中心に諸祭が行われる。

 春に行われる「御園祭(みそのさい)」や「神田下種祭(しんでんげしゅさい)」。秋の「抜穂祭(ぬいぼさい)」や「御酒殿祭(みさかどのさい)」「御塩殿祭(みしおどのさい)」「大祓(おおはらい)といった多くの祭祀や儀式が神嘗祭と関連しており、如何に神嘗祭が重要な祭祀なのか理解出来るだろう。

 神嘗祭で捧げられた新穀を天神地祇に供え、陛下御自身も召し上がるのが11月23日の新嘗祭(にいなめさい)。それが何故か「勤労感謝の日」とされてしまった。勤労を感謝する日というと、労働していることに感謝する日の様に思ってしまう。

 祝日法の趣旨は「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」というものであり、勤労に感謝するというより、勤労に由って得た農作物を始めとした天の恵に感謝し合う日なのだが、その意味を穿違えている国民は少なくない。

「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」とするならば、国策としての農業振興と食の安全保障や食料自給率の向上こそ急務である。だが、今回の総選挙の政策を見ても、農耕民族として真剣に「農」を考える言葉は発せられない。

「農」とは愛郷心、祖国愛に繋がるもので、愛情というものがそこには無くてはならないが、我が国の農業政策は営利が優先される。世界各国では農業の保護政策が行われているが、それは「農は国の本」ということを自覚しているからである。

 我が国は、GHQの弱体化政策によって我が民族の思想でもある「農本主義」的国家観は排除されてしまい、農産物の大輸出国でもある米国の戦略から、日米安保と同じく農業そのものも米国依存となってしまいJAが先兵となり営利に狂奔する。

 その最たるものが「主要農産物種子法廃止法案(種子法廃止法案)」で、モリカケ騒動の裏で別名「モンサント法案」とも言われる亡国法案が成立してしまった。

「種子法」は、米、麦、大豆など主要農産物の品種改良を国や都道府県の公的研究所が行い、我が国の風土に合う良質で安価な種子を農家に安定的に供給してきた法制度であるが、種子法廃止法案成立により、日本古来の種子は廃止となった。

 モンサント社は、ベトナム戦争に於いて枯葉剤「エージェント・オレンジ」を開発し「ダイオキシン」を撒き散らした悪名高き会社であり、遺伝子組み換え作物と除草剤の世界シェア90%を独占する世界最大のバイオ化学会社である。

 モンサント社は遺伝子組換え種子の特許を持っており、収穫物からの種採りを認めておらず、種採りをすると特許権の侵害となる。モンサント社は、種子の特許によって世界中の食料支配を謀っており、仮に我が国でモンサントの遺伝子組み換えの苗の栽培が始まれば、日本古来の在来種が汚染されて絶滅してしまう危険を孕む。

 TPPを謀った経団連元会長の米倉弘昌は、住友化学工業の系列企業であるベーラントUSA社とモンサントと関係が深い。住友化学工業では、モンサントが生産する除草剤「Roundup(ラウンドアップ)」に、耐性を持つ遺伝子組み換え種子をセットで販売するが、種子法廃止はこうした国賊企業に対する忖度であり便宜である。

 こうした売国法案を成立させたのが保守派や自称愛国者に支持された安倍政権だった。ことでも安倍というのは我が国に悪害を齎すインチキ保守というのが正しい。保守政党であるべき自民党が大企業や米国の言いなりで亡国法案を率先して推進し可決し、食料安保という国民の食の安全をも軽視したことは万死に値する。

 この種子法廃止に因り、我が国は最終的に他国に食料を依存することになるということである。例えば環境の変動などで輸入国が不作になった場合や日本への種子の売り控えということになれば、我が国の農業そのものが崩壊するのは必至である。

「種子法廃止」は、日本古来の種子の廃止であり、食の安全と食料安全保障を放棄して廃止すると同じであり、畢竟、豊葦原瑞穂国という国柄の崩壊の序章である。

 種子法廃止法案に続き「農業競争力強化支援法」という法案が国会を通った。この法案も種苗メーカーであるアグリバイオビジネス企業が農業に参画する出来る為のものであるが、驚くことにこの法案には外資等の規制はしていない。

 つまり、我が国の公的研究機関が培ったデータが外国資本に提供され、盗用され、特許などが取得される危険を伴うということでもある。軍事的安全保障でも自立出来ず、食料安保でも自立出来ず、これで果たして真の独立国家といえるのだろうか。

 国造りと農業の関係を、単なる経済論で語ることは、国家や郷土愛を放棄したのと同じこと。「平成の農本主義」を構築する為には我々は何を成すべきか。神嘗祭の今日、豊葦原瑞穂国に生まれた日本人として、その生命の根幹に関わる「農」という大問題に目を向けてみたいものだ。すめらぎいやさか すめらみこといやさか

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2021年10月16日

反天皇の公明党(創価学会)が反天皇制の日本共産党を批判(苦笑)

 公明党代表の山口那津男が何やら街頭演説で、「共産党は『天皇制は憲法違反』と主張している」と発言したことに関し、日本共産党書記長の小池晃が「全くのデマ発言だ。撤回を求めたい」と反発したという共同通信の記事を目にした。

 山口は「共産党は日米安保条約廃棄、自衛隊は違憲、天皇制は憲法違反、廃止。こういう政党と閣外協力すると言っても極めて安定感のない政権に他ならない」と、立憲民主党と連立を謀る日本共産党への不安と危険性を有権者に訴えたという。

 日本共産党は、所謂「天皇制」を容認してはいるが、「憲法の天皇条項は民主主義の徹底に逆行する弱点」だとし、綱領では「君主制廃止」の文言は削除してはいない。何故なら「天皇制廃止」は、共産党革命政権樹立後の問題であるからだ。そういう意味では山口の発言は言葉足らずだし、認識不足の感は否めない。

 保守勢力は尖閣列島の危機を訴えて憲法九条改正に躍起だが、若し部分改正が可能になったならば、万が一、共産党(連立)政権が樹立したならば第一条を始めとした天皇の条項は廃止される危険が孕んでいるということも自覚せねばならない。

 抑々「天皇制」というのは共産党用語であり、天皇は天皇であって制度ではない。現憲法下で天皇の務めである祭祀や祭事を縮小され、単に国事行為を行う傀儡となってしまった。国事行為や公的行事を行う立場が天皇制なら実に怪しからんことだ。

  ここで改めて、日本国憲法第一章「天皇」の条項を記してみよう。

【第一章 天皇】

 第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

 第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

 第四条第一項 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。第二項 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

 第五条 皇室典範の定めるところにより、摂政を置くときは、摂政は天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。

 第六条第一項 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。第二項 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

 第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。

 第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。

 第一条は「天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基く」と在る。反天皇を叫ぶ共産党や左翼勢力が存在する限り「国民の総意」ではないのは明らか。つまり、悲しい哉、天皇の地位は共産党が指摘してる通り違憲の存在でもある。その共産党や反天皇勢力が「女性宮家」や「女系天皇」を容認している意味を知るべきだろう。

「共産党は『天皇制は憲法違反』を訴えている」と発言した一方の公明党はどうなのか。公明党は、創価学会員の現世利益を政治的に実現する為の出先機関である。創価学会も公明党も極めて戦後民主主義な思想であり、反国家的な団体である。

 天皇陛下を族長と仰ぐ日本国家の正統にとっても悉く異質な存在で、政策も「外参権付与」「反天皇」「反靖國」「自虐史観」と挙げれば限が無い。今や政治、経済、文化、教育と創価学会員は行政や社会環境に蔓延し我が国を蝕んでいる。

 秋祭り真っ盛り。新型コロナの影響で祭りが中止になったり、縮小開催となってるが、創価学会(公明党)は祭りには参加しないし共産党も協力的ではない。

 創価学会は他宗教を認めないし、根本的には共産党と同じで反天皇勢力であり、神道、つまり神主の最高の地位に就くのが天皇である限り祭りに参加することはないことをしても、山口の共産党批判は反天皇勢力同士の目糞鼻糞の争いだわな(苦笑)

 小選挙区制度の中で共産党に対峙するのは結構だが、池田一神教の学会票を当てにして連立を組む自民党というのは似非保守というのが正しい。こうした一面を見ても、二者択一の小選挙区制度こそが我が国政治の劣化の元凶でもある。

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2021年10月15日

再生可能エネルギーの太陽光発電に因る山林開発を憂う

 我が国が目指すべきは技術立国である。愚生は日本の技術力を信じてる故に原発再稼働は当然のことながら、CO2も高レベル放射性廃棄物を発生させない核融合炉こそ日本を救う技術であり、実現すれば世界から尊敬されることだろう。高速増殖炉原型炉「もんじゅ」を予算的都合で頓挫させた失敗を繰り返してはならない。 

 太陽光発電を謀る反原発派は「原発を稼働しなくても電力は足りている」と叫んで憚らないが、産業振興に伴う電力不足の不安は大きく、原発事故以来、化石燃料に頼ったツケが我が国経済に大きく圧し掛かっていることにはダンマリを極め込む。

 原発再稼働をしないことで、余計な経費が加算されたことを無視して都合の好い切り貼り報道ばかり。原発停止に伴う火力発電に使われる液化天然ガスや、太陽光パネルに使われる半導体等電子部品、石油製品の輸入増加で貿易収支は赤字続き。

 再生可能エネルギーは業者にとってはコストも低いし儲かるが、国民からすれば思うほど安価ではない。国は「再エネ発電賦課金」という現実を無視して2030年度には発電全体の36~38%を再生可能エネルギーで賄うことを目標に掲げる。

 同時に原子力を現行の20~22%を維持するというが、数値目標が逆だわな。安心安全な原発こそ推進すべきで、カーボンニュートラルというなら尚更だろう。温室効果ガス排出量を2013年度比で46%削減する方針を表明したのは小泉進次郎。

「“46”という数字が朧気ながら浮かんできたんです」などと、経済産業大臣の管轄であるエネルギー基本計画の根幹に関わる数値を単なる思いつきで発言した環境大臣の主張は、やはり小泉一族に入る「太陽光マネー」が転がり込むからか。

 自民党総裁選挙では河野太郎が「核燃料サイクル(プルサーマル)」について「なるべく早く手仕舞いすべきだ」と述べ、国民を誑かし巧妙に脱原発を謀り、再生可能エネルギーを推進したのは、河野一族の「日本端子」の存在があったからだ。日本端子は太陽光パネル関連事業でも収入を上げていることが何よりの証拠だろう。

 政府のエネルギー基本計画の目標達成の為には、メガソーラー発電所や風力発電施設を乱立させるしかない。「水素エネルギー」は魅力的ではあるが、蓄電池は太陽光発電や風力という不安定な電源と組み合わせないと主力電源になり得ない。

 福島原発事故に伴い、国際的に再生可能エネルギー(再エネ)が礼賛実行され、恰も世界中が再エネで電力の全てを賄えるかの様な錯覚に陥っているが、太陽光の比率が13%を超えると、巨大バッテリーなどの蓄電・蓄エネが必要となる。

 風力発電の発電機や電気自動車のモーターには強力な永久磁石が必要で、レアースと呼ばれるネオジム(金属元素)などが欠かせない。電気自動車にはリチウムイオン電池などの蓄電池が必要である。リチウム、コバルト、ニッケル、黒鉛、レアアースなど重要鉱物資源は中共が支配する。尖閣問題もレアアースを抜きに語れない。

 専門家は「仮に送電線を柏崎から東京に引くと1.2兆円ものコストがかかる。北海道から九州まで送電線を敷設し直したらそれこそ数十兆円を超える莫大なコストが必要となる。そのコストは当然電気料金の更なる高騰を招く」と語っている。

 太陽光発電の事業者やパネルメーカーは儲かるだろうが、国民からすれば再生可能エネルギーは安価ではない。というのも、再生可能エネルギー施設が増設されればされるほど一般家庭への再エネ発電賦課金という負担金は殖え続けるからだ。

 我が国の太陽光パネルは令和3(2021)度末に原発67基相当の発電設備となるが、年間の発電シェアは僅か8%しかない。それなのに再エネ発電促進賦課金から、契約期間である20年間で総額60兆円が太陽光発電会社に支払われるという。

 仮に太陽光など変動再エネで80%、水力とバイオマス(木材、パーム油など)で20%の電力を供給するとなると600兆円のコストが掛かる。更に電力消費量が増える昼間に電力を蓄える設備も必要となり、別途400兆円が追加されるという。我が国の国家予算の10年分に相当する約1000兆円の設備投資は必要とは思わない。

 原発67基分に相当する67GWの太陽光パネルを世界一の密度で日本全土に敷き詰めたのに、我が国のCO2排出量は実質4%しか減っていない。なのに太陽光発電に拘るのは何故なのか。太陽光マネーは断じられた原発マネーより胡散臭げだ。

 ドイツは再エネ比率40%に達し「再エネ先進国」と礼賛されてるが、その実は石炭や天然ガスを多量に使うCO2排出大国でもある。バイオマスでの高い比率は、インドネシアやマレーシアなどの熱帯雨林を伐採した木材チップの輸入によって齎されている。再エネ先進国の裏で膨大な熱帯雨林を伐採する環境破壊を謀っている。

 日射を吸収した熱帯林から大気に放出する水蒸気は広い地域の降水の源でもある。熱帯林の伐採でオラウータンなどの多くの動物の住処が破壊されて行く。伐採後の森林は火が放たれて灰燼となっている悲しい現実から目を背けてはならない。

 先の静岡県熱海の土石流事故は、線状降水帯の大雨に重なってメガソーラー施設からの雨水が盛土だった谷川に流失し大惨事を引き起こした「人災」だったのは明らか。メガソーラー発電なんぞ豊かな森林を切り倒してまでやる意味が分からない。

 原発事故の放射線で死んだ人はいないが、「高が電気の為に命を犠牲にしてはならない」と叫んだ反原発派は、今回の熱海の大惨事をどう感じているのだろう。

 原発稼働停止により、全国的に買い漁られた土地が切り崩され、太陽光パネルが敷き詰められてる光景にこそ営利至上主義であり、太陽光エネルギー事業で伐採された森林も、バブル崩壊で荒れたゴルフ場と同じく元の姿に戻ることは無い。

 反原発を訴える右翼民族派がいるが、太陽光発電や再生エネルギーこそ「山河を滅ぼす勿れ」と断じるべきだったのではなかろうか。野村秋介が嘆いているぞ。

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2021年10月12日

「ひろゆき」こと西村博之の非科学的感情論に因る福島県差別と偏見は赦し難し

 ネットの掲示板サイト「2ちゃんねる(現5ちゃんねる)」開設者で実業家の「ひろゆき」こと西村博之がAbemaTVのニュース番組「ABEMA Prime」で、「福島という名前を使うことを止めた方がいい」などとの発言が議論を呼んでいる。

「福島って名前のついている農作物を食べないって僕は当たり前だと思うんです。米は福島産以外にも美味しい米がいっぱいある訳だから『じゃあ、他のでイイです』ってなるのは当然の感覚だと思うんです。その当然の感覚を理解しないで『安全です』っていうのをウリにしている限り無理」と自説を垂れ流して悦に入る。

「もう違う名前にした方がイイ」とは、福島県民としたら侮辱どころか差別としか感じない。この男の意見というのは先の高市早苗批判もそうだが偏狭な主観に基づく薄っぺらいものばかり。当人が正論だと思っているところが始末に置けない。

 脳ミソが放射脳に侵されて「ベクレテる福島の農産物を食べるくらいなら中国産を食べる」と言い放った山本太郎と同じで、単なる福島差別でしかない。ひろゆきや山本らに限って福島のことなんぞ知らないし、福島の悲惨な状況を望んでいたり。

 自民党総裁選での高市の「敵基地を一刻も早く無力化した方が勝ちだ。使えるツールは電磁波や衛星ということになる」「強い電磁波など色々な方法で先ず相手の基地を無力化する。一歩遅れたら日本は悲惨なことになる」との発言に噛付いた。

「マンガ好きの中学生以下の知識」と高市の防衛構想を腐し、「電磁波は発生させた場所が一番大きな被害を受けます。日本国内で電磁波を発生させると被害を受けるのは日本人です。敵地に電磁波を発生させる機械を持ち込んで高圧電源を繋げるおつもりですかね?」との自論を偉そうに垂れ流したことを覚えているだろうか。

 高市の電磁パルス(EMP)攻撃は、高度な軍事技術で世界で研究されている。「敵地に電磁波を発生させる機械を持ち込んで高圧電源を繋げる」ものではない。

 弾道ミサイルを地上数十〜数百キロの高高度で爆発させ人的被害を与えることなく既存のミサイル防衛網を無力化出来る軍事技術。北朝鮮はICBMに搭載出来るEMPを成功させている。「中学生以下の知識」とは自分自身なのにその自覚も無い。

 ひろゆきの主張というのは偏狭な主観に基づく薄っぺらいものばかりで、正しく便所の落書きのネット掲示板を開設しただけのことはある。屋上屋を架すが如く自己弁護に終始してるが、愚論さえも正論だと思っているところが始末に置けない。

「チェルノブイリ産の小麦を積極的に食べてる日本人が少ないように『FUKUSHIMA』という名前で海外で農産物を売るのは難しい」「海外の人が "FUKUSHIMA"の農産物に忌避感を持つという事実を伝えると、なぜ怒られるのか」と居直る。

「福島の事故から10年経っても福島の農産物は、他の産地よりも安く買い叩かれてるわけで、やり方変えないと農家は辛いままでは無いですか」と然も福島県の農家を慮るこの態度にこそ、ひろゆきの性悪さと狡賢さが滲み出てる。

 消費者庁が、食品中の放射性物質を気にする顧客へ実施したアンケート調査では、「福島県産品の購入をためらう」と回答した人は、原発事故から3年後の2014年10月時点の調査で19.6%だった数値は、2021年2月時点では8.1%となっている。

 県外の多くの方々が放射線の影響が無いことを理解し、「福島の復興につながるのなら」とか「福島の応援になれば」と敢えて福島県産品を購入してくれてる。

 ひろゆきの意見は、福島第一原発事故後に放射能を理由に福島県から逸早くトンズラした自主避難者や反原発派らと同じで、翻意させるのは不可能。ならばせめて福島を貶めたり、風評を助長する様な言動は慎んで欲しいものだ。ホント迷惑千万。

「福島って名前のついている農作物を食べないって僕は当たり前」というが、その当たり前という屁理屈が当たり前ではないことにさえ気付かない。ひろゆきや山本太郎の様な非科学的感情論という流言蜚語が、福島の復興どころか復旧に水を差す。

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2021年10月11日

台湾の10月10日は辛亥革命の武昌蜂起を記念した「双十節」

 10月10日は我が国では本来は「体育の日」。台湾(中華民国)では辛亥革命(1911)の武昌蜂起を記念して「双十節」と呼ぶ、国民最大の祝日となっている。

 中華人民共和国の「国慶節」を報じても、台湾の祝日が報道されることはない。SNSでは営業保守らが「10日は台湾の国慶節」とツイートしていたのを見たが、10日は建国した日ではなく「武昌起義(武昌蜂起)」が勃発した日である。

「中華民国(後の台湾)」建国のきっかけとなったのが「辛亥革命」である。1911年(宣統3年)から1912年(民国元年)にかけて、清(中国)で発生した共和革命のことだ。名称は、革命が勃発した1911年の干支である「辛亥」に因む。

 辛亥革命の狭義では、1911年10月10日夜に発生した武昌で起きた兵士の反乱(起義)から、1912年2月12日の宣統帝(溥儀)の退位までの期間を指す。広義では、清朝末期からの一連の革命運動から中華民国成立までの政治的運動を示す。

 衰退する清王朝を憂い、新しい国家を創ろうと立ち上がった孫文の参謀・黄興の活躍を描いたジャーキーチェン主演の「1911」は、辛亥革命を理解するには好い映画なので機会があれば視聴されてみては如何でしょう。映画の説明は次の通り。

【中華民国建国のきっかけとなった1911年の辛亥革命から百年。衰退する清王朝を憂い、新しい国を作るため立ち上がった孫文の参謀を務める黄興は、革命軍を率い総督府に攻めこむ。しかし、事前に情報を入手していた朝廷側に厳戒態勢を敷かれ、反乱は失敗に終わる。多くの命を失った黄興らは戦意を喪失していくが・・・】

 因みに、中華人民共和国の最大の祝日は1949年の建国を記念した10月1日「国慶節」。 思えば、日頃「中国4000年の歴史」などと恥しげもなくホザくが、たった70年ほどの歴史しかない新興国。国慶とは実に滑稽且つ御粗末なことだ(笑)

 1949年建国ということは昭和24年。大東亜戦争の終戦は1945(昭和20)年。つまり、戦後4年後も経った国が戦勝国というのも不思議なことだ。我が国が戦ったのは「中華人民共和国」ではない「中華民国」であり台湾ということになる。

 田中角栄の日中共同宣言に因り、「日華国交条約」という国際法規を蹂躙して以来、我が国は台湾を国家として認めていない。道義国家として恥じ入るばかり。

 我が国が占領統治から解放され主権回復した昭和28(1953)年4月28日、報恩感謝として中華民国と「日華国交条約」を締結した。道義国家としては当然であろう。

 然し、昭和47(1972)年9月29日、田中は中国共産党と「日中共同声明」に調印。「中国共産党を唯一の政府」と認め、日華国交条約を一方的に破棄するに至る。 

 当たり前のことだが、日華国交条約を破棄された中華民国は直ちに我が国との国交を断絶する。日華国交条約破棄は、終戦間際に「日ソ中立条約」を一方的に蹂躙したロシアの蛮行と同じであり、道義国家日本が失墜した象徴でもある。

 我が国が未だに台湾を国家として認めていないのは、田中の国際条約の蹂躙が原因である。日華国交条約という国際法規の破棄は明らかな憲法98条違反だが、公然の憲法蹂躙に対し何故か護憲派やマスコミから糾弾されたことはない。

 日中共同声明の場で田中は、「先の大戦で中国国民に重大な損害を与えたことに責任を痛感し深く反省する」と詭弁を弄した。我が国の土下座外交と自虐的歴史認識は、この日中共同声明での田中の謝罪が元凶であり、撤回しなければならない。

 台湾という島は、日清戦争で勝利した我が国が戦利品として清国から割譲された領土である。以前、中国共産党機関紙「人民日報」で「琉球は明清両朝の時期、中国の属国だった」とし、日本が武力で併合したと主張したことは記憶に新しい。

 尖閣諸島を日本領土に編入したことを批判し、「下関条約の調印の際に敗走した清政府に琉球を再び問題にする力はなく、台湾とその付属諸島(尖閣諸島など)、澎湖諸島、琉球は日本に奪い去られた」と我田引水的歴史観を披歴している。

 この主張に倣えば、台湾や尖閣諸島だけではなく、当時割譲された澎湖諸島も遼東半島も未だ我が国の主権は続いていると言うことと捉えても好いのかもな(笑)

 台湾には先住民族はいたが統治したのは我が国だけで国家として続いた歴史は無い。戦後に起きた蒋介石の国民党と毛沢東の共産党の間に勃発した「国共戦争」で敗走した国民党軍が台湾に渡り、新たに中華民国を建国し現在に至っている。

「国共内戦」の事実上の最終戦「金門島・古寧頭(こねいとう)の戦い」で、共産党軍を壊滅させる策を授けたのは、我が郷土の英雄でもある根本博元中将である。

 当時の逸話を綴った「この命・義に捧ぐ」の著者・門田隆将は、「根本元中将の根底にあるのはヒューマニズム。戊辰戦争で敗れ賊軍となった福島出身であることが影響しているのだろう。毅然とした生き方に学ぶべきだ」と評している。

 正に根本は、会津士魂の教えである「譬え義に死するとも不義を以て生きず」の生き方を自ら実践した武将だった。日台関係強化に義を捧ぐ政治家の出現を待望する。アジア近隣情勢が緊迫する中、過去の無礼を詫び、日台軍事同盟を構築すべし。

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2021年10月10日

昭和39(1964)年10月10日、有色人種国初の「東京オリンピック」が開催された意義を忘れるな!

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 昭和39(1964)年10月10日、アジアで初めての「東京オリンピック」が開催された。開会式では日の丸をイメージし、純白のズボンと真っ赤なジャケットを着た日本選手団が堂々と行進した光景を覚えている人も多いだろう。

 有色人種国初のオリンピックが日本で開催されたという意義を我々は決して忘れてはならない。その記念すべき日に由来する「体育の日」が、所謂「ハッピーマンデー」の第二月曜日に移行され、更には「スポーツの日」に改定されてしまった。

 東京オリンピックに由来する「体育の日」を消すことは我が国文化の否定でもある。何も10月10日を「東京五輪記念日」として遺すことは出来なかったものか。

 所謂「ハッピーマンデー」なる愚策は、左翼陣営が我が国の国體破壊を目的として、その祝祭日の意義を薄れさせる為に施行され現在に至る。抑々、第二月曜日が単なる休日になることが「ハッピー」とは日本人の精神的幼稚さの現れである。

 左翼陣営の謀った愚策を疑いもせずに、保守であるべき自民党が同調して来たことは実に御粗末と言う他はない。「体育の日」の名称が「スポーツの日」に変わったが、「体育」と「徳育」「知育」は我が国の教育の根本を成すものである。

 中でも「体育」とは、運動能力に伴う成否は関係なく、運動の実践を通して健全な精神を育むことが目的であり、娯楽や競技を意味する「スポーツ」とは違う。

「体育」と「スポーツ」ではその意味と趣旨は違う。スポーツは競技であり「娯楽」を意味し、そこに営利主義も絡む。体育とは健康の保持や増進と体力の向上を図る為のもの。「体育」は「知育」「徳育」と並ぶ重要な教育でもあるのだ。

 体育の日の名称変更に関して「教育的意味合いの強い『体育』という言葉がそぐわない」とか「スポーツに自己実現や国際社会との窓口を開く役割がある」という理由を挙げているが、祝日法改正の本質はそこじゃないだろう(苦笑)

 左翼というのは新しい取り組を積み重ねることに拠って、我が国の歴史・伝統・文化を否定する論拠とするが、そんなものに保守派が与してどうするのだ。

 諸外国に比べて我が国の祝祭日ほど「国柄」や歴史の分かる素晴らしい伝統・文化はない。だが、多くの日本人が、祝祭日をただの休みとしか考えなくなったのは、政治家の不作為も然ることながら日本人の精神的貧困の顕れでもある。

 我が国の「祝祭日」には夫夫意味が在り、決められた日に祝ってこそその価値が見出されるものである。我が国の「祝祭日」は祖国日本の国柄や国體の精華を現しているのだ。国民は「祝祭日」と「休日」では全く意味が違うことを知るべし。

 1月15日に行われていた「成人の日」も、この日が「小正月」であり、皇居では神道の儀式の一つ「元服の儀」が小正月に行われる。そうした皇室の行事に憧れ、国民は家庭に取り入れたのだ。正に我が国は君民一体の国柄であるのを痛感する。

 明治天皇の東北御巡幸に謂れのある7月20日であるべき「海の日」も、悲しい哉、ハッピーマンデーに組み込まれた。だが「山の日」は何故か語呂合わせで8月11日。ハッピーマンデーは景気優先されるばかりで、国體の意義が薄れて行くばかり。

 反天皇と国體破壊を目指す左翼陣営の最終目的は、我が国の重要な祝日である11月23日の「勤労感謝の日」と2月11日の「建国記念日」をハーッピーマンデーに合わせて第二月曜日に移動させ意味のない休日にすることにあるのは間違いない。

 保守派や愛国陣営が抗すべきは、反天皇と我が国の歴史・伝統・文化を否定することから謀られたGHQに拠る「祝日法改正」の再改正を成すことである。

 建国記念の日を「紀元節」に。勤労感謝の日を「新嘗祭」と本来の名称に戻し、「憲法記念日」や「山の日」など意味の無い休日を廃止し、4月3日の「神武天皇祭」と10月17日の「神嘗祭」を復活させることが求められる。

 春分の日を「春季皇霊祭」とし、秋分の日を「秋季皇霊祭」として復活させることは我が国の国體の精華を取り戻すことでもある。それこそが「日本を取り戻す」ことであり「戦後レジームからの脱却」に繋がって行くものと信じる。

 我が国の祝日の半分が「神道の祭日」に起因していることが我慢ならない左翼陣営が謀った天下の愚策「ハッピーマンデー」を廃止に追い込むと共に、我が国の国柄を現している祝祭日の意味と意義を国民に教えて行かねばならないと痛感する。

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2021年10月09日

第百代内閣総理大臣・岸田文雄の所信表明演説で感じたこと

 第百代内閣総理大臣に就任した岸田文雄が所信表明演説を行った。岸田は菅内閣が進めた新型コロナウイルスのワクチン接種について「他国に類を見ない速度」と称賛した上で、司令塔の強化やコロナ対策への法整備を実施すると表明した。

 法整備をせずとも、先ずは新型コロナの「第二類」指定を「第五類」にすることが求められる。ワクチンより治療薬を充実させることで国民の不安は解消する。

 経済対策でも新型コロナ後の新しい社会の改革として「新しい資本主義の実現」を訴えた。新しい資本主義と言うが、我が国は資本主義というより日本的社会主義というのが正しく、更なる日本的社会主義実現に向けて税制改革に取り組むのか。

「成長と分配の好循環」とは具体的にどういう内容なのか。「(新しい資本主義とは)車の車輪は成長戦略と分配戦略」との説明も抽象的過ぎてイマイチ分からん。

「資本主義」とは、簡単に言えば「カネ主義」のこと。世界は「資本主義」か「社会主義」「共産主義」の体制に分かれてはいるが、これらの体制の中で生活が豊かなのかといえば、是非は兎も角として物質的に恵まれてる資本主義国だろう。

 資本はただのカネではない。カネを動かすことに由って利益としてそれ以上のカネが増え、その儲かるカネが「資本」である。日本人がいつの頃から業突く張りになったのも、全てがこの米国の価値観の押し付けでもある資本主義の弊害である。

 我が国は戦後、米国型資本主義社会を選択した。その限りのない資本主義という欲望は止まるところを知らず、比例して心の豊かさを失い続けて行くこととなった。

「世界一貧乏な大統領」と言われたウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領は、「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」の言葉は、現代日本人の心にどう響いているだろう。

 首都圏を襲った震度5強の地震で露になったのは首都機能の脆弱さだ。強烈な首都圏直下型地震が起こることは確実なのに、こんなんで大丈夫なのか。「国土強靭化対策」という強力なインフラ整備こそが、それこそ資本を充実させる得策である。

 岸田は唐突に「核兵器の無い世界を目指す」と述べた。広島出身者としてのパフォーマンスなのだろうが、外交・安全保障政策である「国家安全保障戦略」の中期防衛力整備計画を策定してる中で核兵器の無い国を目指すとは暢気過ぎる。

 原爆投下した米国の「核の傘」に甘んじながら「核兵器の無い世界」とは開いた口が塞がらない。中共や北朝鮮が核武装してる中で我が国が核兵器の所持どころか核武装の議論さえ儘ならないのは正しく米国の謀った戦後民主主義教育の弊害である。

 防衛という国家の大本を米国に依存している戦後の歪な体制をいつまで続けるつもりなのか。「平和」も「安全」も日本人自らが創り出さねばならず、真に米国依存からの脱却を目指すには何を成せばいいのか今こそ真剣に考えなくてはならない。

 左翼勢力やマスコミが広島・長崎での原爆投下を煽り、原発事故を受けて「復興」と「平和」で国民を誑かし「反原発」や「脱原発」という感情的議論が席巻し、「核武装」という国防上最重要ともいえる問題はタブー視されてしまっている。

 だが、どうだろう。心の呵責無しに核兵器を有する資格があるとしたら、それは世界で唯一の戦争被爆国である我が国だけである。戦争被爆国である我が国こそ核を保有した上で、核の脅威と核廃絶を訴えることに大きな意味を持つのだ。

 まやかしではない真の「平和」を創造する為にも、米中ロシア北朝鮮など世界の核保有国が核の放棄を約束しない限り、我が国も限定的核武装を検討するべきであり、それこそが平和を構築する手段である。口先だけの「核放棄」に意味はない。

「憲法改正」について「与野党の枠を超えて建設的な議論を行い、国民的議論を深める」というが、自民党は改憲政党ではない。旧くは自主憲法制定であり、現在は新憲法制定が党是である。憲法改正という認識に本気さが現れていない。

 中国人民軍に因る台湾への侵略や尖閣諸島の危機を共有するなら、国会議員の発議さえ儘ならない憲法改正に終止符を打つ為に、現憲法の無効を宣言すれば歴史に名を留めるだろうが、ハト派の宏池会の岸田じゃ改正議論さえ進まないだろう。呵呵。

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2021年10月06日

「金大中拉致事件」後に日本人が次々と拉致されてるのは偶然ではない

 昭和48(1973)年8月8日、大韓民国(韓国)の民主活動家で後に大統領となる金大中が、韓国中央情報部 (KCIA)の手により、東京のホテルグランドパレス2212号室から拉致される事件が起きた。所謂「金大中(拉致)事件」である。

 金大中は1971年、韓国大統領選挙で新民党(当時)の候補として立候補。民主共和党(当時)の候補であった朴正熙大統領に惜敗。政権崩壊の危機感を抱いた朴大統領やKCIAは、金大中の海外での反政府活動を抑制する計画を立てる。

 KCIAは、在日ヤクザである三代目山口組若中・柳川組初代組長だった柳川次郎(梁元鍚)や東声会会長の町井久之(鄭建永)らに、民主化の名の下に国家転覆を企てていた共産主義者・金大中の暗殺を依頼したことも明らかになっている。

 当時「民主主義活動家」として高い名声を得た金大中は1973年(昭和48年)7月、自民党内左翼である宇都宮徳馬らに招待され東京を訪問する。金大中の殺害は事が進まず、切迫した中でKCIA関係者らで拉致を実行することを覚悟した。

 8月8日午前11時頃、東京のホテルグランドパレス2212号室に宿泊中の梁一東民主統一党(当時)党首との会談後に襲撃され、ホテルの一室に監禁。目隠しをされ船で韓国に移送される。殺害はさらず事件発生から5日後に自宅近くで解放された。

 同事件について、日本政府は主権侵害に対する韓国政府の謝罪と日本捜査当局による調査を要求していたが、こうした抗議はあくまでも表向きのものだった。

 1973年11月2日に行われた田中角栄首相(当時)と金鍾泌首相(当時)との首脳会談で、日韓両政府が両国関係に配慮した政治決着で金大中拉致事件を穏便に済ませようとしていたことが、後の外務省の機密文書の公開で明らかになっている。

 田中真紀子元外相は、事前に田中角栄は「殺人をしないこと」を条件に、金大中を拉致することを了承済であったと驚くべき証言をしている。在日ヤクザらによる金大中殺害が急遽中止されたのは田中の発言を与してのものだったのだろうか。

 また「文藝春秋」2001年2月号の記事には、「田中角栄首相が、政治決着で解決を探る朴大統領側から少なくとも現金4億円を受け取っていた」との驚くべき証言が出ている。証言したのは現金授受の場に同席した木村博保元新潟県議である。

 田中角栄といえばロッキード社からの5億円の賄賂だけかと思っていたが、4億円の授受で拉致という主権侵害を容認していたことすれば万死に値する。

 横田めぐみさんが拉致されたのは金大中拉致事件から4年後の昭和52(1977)年11月15日未明。田口八重子さん昭和53(1978)年6月。地村保志さん、濱本富貴惠さん同年7月。蓮池薫さん、奥土祐木子同年7月。市川修一さん、増元るみ子さん同年8月と、日本人が北朝鮮工作員に因って次々と拉致されることとなった。

 こうした背景には、日本のホテルから韓国要人が拉致された事件にも拘らず、日本政府が拱手傍観を極め込むどころか、時の権力者であった田中角栄が金銭を授受し、拉致そのものを容認していたということも大きな要因に挙げられよう。

 横田めぐみさんが、田中角栄の故郷の新潟から拉致されたことは偶然だとは思えない。北朝鮮の実行犯らは、主権侵害でありながら韓国と政治的決着を謀った金大中事件の推移を知った上での確信的犯行だったのではあるまいか。

 田中真紀子は「拉致の問題を解決しなければならないなんて、そんなこと、余計なこと言えるか、森友問題、加計問題やったらイイじゃないですか」と、拉致問題に取り組む安倍首相を中傷していたが、こういうヒステリーの性格障害著しい気狂いがチヤホヤされる日本という国は果たして主権国家と言えるのだろうか。

 故土井たか子や福島瑞穂、辻本清美と同じく拉致事件を否定していた真紀子。真紀子が外相だった時、北朝鮮の金正男が東京ディズニーランドに行く為に密入国した。だが、拉致問題なんぞ眼中にない真紀子は直ぐに送還してしまった。

 あの時、毅然と対処していたら拉致問題は今とは違う展開が図られていただろう。要は、田中真紀子にしろ、福島瑞穂や辻本清美ら拉致否定派というのは、拉致事件は主権侵害であるという認識が決定的に欠落してるからに他ならない。

 拉致事件は過去の出来事という訳ではない。在日三世でもある畏友に聞いたところ、現在は日本在住の在日などが身代金目的で拉致されているという。実行犯だという数人が写ってる画像も入手した。公安関係者は知ってるのだろうか。

 畏友の証言が事実で日本国内で未だに主権侵害が罷り通っているのなら、主権国家としても法治国家としても断じて赦されることではない。横田めぐみさんを奪還するどころか拱手傍観している状況は、国民の一人として実に情けなく申し訳ない。

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2021年10月05日

石破茂や河野太郎や小泉進次郎が狙うのは「首相公選論」だろうな(笑)

 河野太郎を支援した「小石河連合」の石破茂は総裁選直後「党員票は殆どの地域で1位でした。これと議員票が何でこんなに離れたんだろうかということが自民党の根本の問題かもしれません」と相変わらず意味不明のコメントを垂れ流していた。

 菅義偉と戦った総裁選後も「選挙期間を長くして党員の全てに投票させるべきだった」と悔しさを覗かせていたが、党員票なら負けなかったという驕りが石破の劣化の原因だろう。今回の河野への党員票は全体で44%で56%は反河野票だ。

 石破が「国民的人気」だという報道は、石破の左翼的思想に共鳴してる朝日や毎日新聞、共同通信社などのノスタルジックな左翼マスコミの一方的な歪曲報道であり、国民を誑かし国民世論を誘導しようという希望的偏向報道に他ならない。

 石破が総裁選で勝ったのは安倍晋三と戦った平成24(2012)年の一回だけで、平成30年の総裁選では地方票で安倍に負けている。そうした事実を無視して「党員の全てに投票させるべきだった」との石破の言い分に憐憫の情を禁じ得ない。

「小石河連合」はマスコミが創り上げたポピュリズム的虚像であり、「大衆に人気」というムードを演出するも大敗した。それでも諦め切れない石破は、総裁選敗戦の原因を「自民党総裁選のシステム自体に問題がある」と疑問を投げかける。

 河野太郎は次の自民党総裁選出馬に向け準備を進める意向を明らかにした。「党員100万人新規拡大構想」と銘打ち、「新規に獲得した党員の100万人が『河野太郎』に入れてくれれば党員票で圧勝する」との構想を語ったが単なる絵に描いた餅。

 石破が目論んでいるのは、国民的支持で総理総裁となった小泉純一郎が過去に謀ろうとした「首相公選制」を実行し復権を目指そうとしているのではあるまいか。中曽根康弘が提唱したことがあったが、小泉政権下で再議論されることとなる。

 提言された「首相公選論」は、「一定の数の国会議員による推薦を立候補の要件とする」「候補者は国会議員に限らない」「閣僚の過半数を国会議員とする規定についても見直す余地がある」等とし、その意義として「首相を選ぶ権利を国会議員から一般国民へと移管するという政界の規制緩和を齎す」と主張している。

 男系男子の皇族減少を理由に「女性(女系)天皇論」も、小泉政権下で初めて提言されたたが、秋篠宮悠仁親王殿下の御誕生で立ち消えになった。小泉改革の名の下で危うく皇統破壊の危機に瀕したことは断じて忘れてはならない姦策だった。

 今や脱原発の急先鋒である小泉は「放射性廃棄物の最処分場が確保されていない」と他人事の様に語るマヌケさ。こんなのが総理だったというのが恥ずかしい。抑々、高レベル放射性廃棄物の処分地探しを公募したのは小泉政権下だった。

「小泉改革」の一環として特殊法人の合併・合理化が進められた。プルトニウム保持の問題などから歴代政府は「原子力研究所(原研)」と「動力炉核燃料開発事業団(動燃)」を分離させていたのだが、これを合併させたのも小泉だった。

 我が国の将来像も描かずに得意のパフォーマンス優先の目先の改革という合理化を進めた。その結果、原研内で政治的活動が活発化し、左翼特有の主導権争いから乗っ取られてしまった。今や当の小泉は脱原発活動家として悠々自適(苦笑)

「首相公選論」が目指してるのは米国型の大統領制であり、議院内閣制を認めるかどうかもハッキリせずに「何となく格好イイ」という曖昧な次元で語られていたが、石破は総裁選での結果から「首相公選制」を謀ろうとしているのではあるまいか。

 首相を国民参加型の公選で選んだ場合、選ばれた大統領的首相と天皇との関係が一番の論点に直面するのだが、現憲法で明示されている天皇の御存在と国事行為など原則的議論は行われることなく、妥協論や折衷論等の曖昧な次元で語られる始末。要は「女性天皇論」と同じく尊皇精神に乏しいからこそ安易に語られるのだ。

「首相公選論」で巻き返しを謀ろうとしている石破だが、首相公選論こそ究極のポピュリズムの集大成である。「国民目線」とか抜かすが国民の判断力は古今東西常に低く、その意見も時代に流され大衆に流され実に幼稚で気紛れなものである。

 いつの世も大衆の多くは無知で愚かであり、大衆というのは実に操縦し易く、マスコミに因る世論操作が行われる。河野の総裁選での党員票がそれを表している。

 石破は世論に阿ているが、その実は「衆の多くは無知で愚かであり、大衆というのは実に操縦し易い」と思っているに違いない。首相公選論は石破と大衆を要らぬ方向へ導こうとするオールドメディアには打って付け。決して与してはならない。

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2021年10月04日

森友問題では稀代の詐欺師を利用し甘利幹事長糾弾では元右翼団体構成員の告発証言を利用ってか(苦笑)

 自民党幹事長に就いた甘利明が6年前の疑惑に曝されている。当の本人や疑惑に関わった秘書は不起訴処分となっている。党四役就任記者会見の席上、甘利は「改めて、当時お騒がせし致しましたことを御詫びいたします」と神妙に語った。

「6年前のことで記憶が薄れていらっしゃる方もいるかと思います。あの事件、事案は、私の地元の秘書が事業者から陳情を受けてURと接触をしていたとのことが『斡旋利得処罰罪』に抵触するのではないかという疑惑でありました」と説明した。

「私がこの事件に関して事情を全く知らされていない。それどころか秘書がURと接触していた事自体を知らされていない。私は『寝耳に水』で事件がどういうものであったのか、何しにURに行ったのか分からない」というのは事実なんだろう。

 この事件は週刊文春にスクープから始まった。秘書が都市再生機構(UR)との補償交渉を巡り、当時の秘書が建設会社から口利きを頼まれた謝礼に現金500万円を受領し、甘利本人も100万円を受け取ったとの内容が実しやかに綴られてた。

 甘利大臣を告発したUR側の一色武という人物は住吉会系の元右翼団体「青嵐同志会」の構成員とされ、ネットでは「一色は稲川会」とも書き込まれていた。こうした相手(UR)側も実に怪しげな人物だったというネタ元は出すべきだろう。

 告発者が「元右翼団体」構成員というのが公表されたことで検察はヤル気を削がれ、野党も糾弾の手を緩めた。それだけ「右翼」の評判は悪いというか、強烈なのだが、岸田政権誕生でまた生返り甘利に不利な情報ばかりが流されている(笑)

 こうした政治とカネの問題は尽きることはない。新しい事業が出てくればその利権に有り付こうと、政治家のネタやスキャンダルを探し、また政治献金でハメて強請ってやろうとする不逞の輩も出るのは当然といえば当然のことでもある。

 現に一色という元右翼構成員は、他の国会議員にも近付いてはトラブル解決を依頼し、その国会議員から「5億円は取れる」などと周辺に豪語していたという。

 甘利が疑われたのは、政治資金規正法違反は原本不実記載の軽微なものではなく、トラブル解決での謝礼を受取ったとされる「斡旋利得処罰法」違反容疑。

 違反した場合、政治家には3年以下の懲役を科し、見返りに得た財産も没収される。報酬を与えた側は1年以下の懲役か250万円以下の罰金となるが、一色は敢えて自らも逮捕されるというリスクを冒してまでやってることが確信犯だ。

 元右翼団体幹部の愚生がその立場なら、「トラブル解決での謝礼」は付けたりに過ぎない理由で、「謝礼を受け取った」という事実を相手側(国会議員)に認めさせ「斡旋利得罪」や「斡旋収賄罪」をチラつかせた恐喝が目的だろう(笑)

 週刊文春にリークする前に、甘利大臣側にはそれとなく伝えていたことは想像するに余りある。それが拒否されたか、思う様にカネにもならず、週刊文春に実名で告発したというのが真相で、大義は無く、単に喝取に失敗したということだ。

 甘利大臣も脇が甘いし、秘書は余りにも軽過ぎたということ。尤も、政治家の秘書なんぞカネをチラつかせれば靡くヤツが殆どだし、自分自身が恰も代議士先生にでもなったと勘違いし横柄な対応をしてるアホな秘書も少なくない。

 金銭欲と権力欲逞しい政治家と、それに集るブローカーとの癒着ということなのだろうが、こうした政治とカネの問題は止むことはなく今後も繰り返されるだろう。

 それにしても厭きれるのは終わった事件を蒸し返して政争の道具に使っていることだ。マスコミや野党は御得意の「説明責任」を振り翳すがそこに正義は無い。

「森友問題」は、稀代の詐欺師である籠池泰典に利用された政治家や安倍夫人の名前を削除し佐川元国税庁長官の国会での答弁との整合性を図った単なる財務省の文書管理の問題に過ぎないのに、それに納得しない朝日新聞どもが煽ってるだけ。

 夫婦揃って詐欺罪で逮捕されて「森友問題」は終わりだろう普通なら。遺族を持ち出して「説明責任」を求めてるが、単なる反自民党からの倒閣運動でしかない。取材放棄するジャーナリズムと滅私奉公を忘れた政治家はとっとと消えてしまえ。

 森友問題と同じく当人らが不起訴処分になった案件を持ち出して「説明責任」を求めてるが、疑惑のネタ元が元右翼構成員の証言と言うのだから嗤うしかない。この問題でも籠池と同じく元右翼構成員を証人として国会招致するのだろうか。

 愛国者を気取った籠池共々安倍糾弾を謀るも失敗。すると、驚くことに籠池を被害者に仕立てて安倍批判に利用したマスコミや野党。次は凝りもせずに常々嫌悪感すら抱いてる暴力団系元右翼の証言を利用するとは余りにも節操が無さ過ぎ。呵呵。

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2021年10月03日

世界遺産となった仁徳天皇陵(大山古墳群)の発掘調査に物申す!

 文化審議会は、仁徳天皇陵や履中天皇陵、応神天皇陵の古墳群を世界文化遺産登録を目指し、国連教育科学文化機構(ユネスコ)に推薦し、ユネスコは「傑出した古墳時代の埋葬の伝統と社会政治的構造を証明している」と世界遺産登録を決めた。

 宮内庁と堺市は、仁徳天皇陵として管理されている世界遺産・大山古墳(同市堺区)を10月から共同で発掘すると発表した。古墳の保全の為の事前調査という位置付けらしいが、「保全の為」というのは国民向けの誑かしに過ぎない。

 抑々「御陵を世界遺産にしよう」などというのは、日本人の精神的幼稚さを示すものの一つであるが、世界遺産登録で喜んだ上に発掘調査とは如何なものか。

 宮内庁は全国で約900の陵墓を非公開で管理しているが、平成19年に内規を改め、研究者と称する学匪どもからの要望に応じ陵墓の立ち入りを認めるに至った。既に計14件が許可されているというが、今回更に仁徳天皇陵も加わった。

 こうした現状は、宮内庁が我が国の国柄と不可分の天皇陵の尊厳ということを全く理解しない証左であるが、陵墓への立ち入りは、明らかに刑法で定められている「礼拝所及び墳墓に関する罪 」に抵触する犯罪行為であるのは明らかだ。

 学匪らは天皇陵の発掘調査を「史跡」だとして、然もその研究が研究者として当然の権利の如く主張しているが、御陵や墳墓発掘の真の狙いは、皇室の否定と解体そのものに在る。つまり、宮内庁こそが皇室解体を目指す最大勢力なのだ。

 ピラミッドや兵馬俑などの王の墓と同様に「天皇陵も発掘の対象にすべきだ」と宣っているが、御陵や墳丘の発掘までもが許される事態となれば天皇の尊厳は完全に損ねられることは必至であり、調査というのは付けたりに過ぎない屁理屈だ。

 エジプトや支那の場合は既に滅亡した王朝の墓だが、天皇陵は現存する皇室が守るべきもので、況してや御陵は祭祀の場でもあり、その背景はピラミッドや兵馬俑などとは全く異なるものだ。調査に同意した宮内庁は正に獅子身中の虫。

 学匪らは「御陵の周辺部が史跡に指定されてない為に、宅地造成で埋め立てられたり、破壊されたり危機的状況であり、国が直接保護するべきだ」と、如何にも御陵の荒廃を嘆くかの様な意見を振り翳してはいるが彼奴らの狙いは外に在る。

 そのトリックが「史跡」という言葉にあり、「史跡」になれば発掘は可能になるのを承知しての確信犯であり、学匪どものあれやこれやの尤もらしい屁理屈も単なる天皇の歴史を暴こうとする反天皇勢力の奸智奸策に過ぎない。

 彼奴らの目的は、立ち入り調査という「権利」を確保し、発掘という「権利」の実行を目論むことは火を見るより明らかで、そしてその結果を「科学的証拠」として巧みに利用し、我が皇室の歴史を批判、誹謗するかが目的である。

 御陵や墳墓などの発掘の真の狙いは、天皇及び皇室の否定と解体そのものに在り、左翼が目指す所謂「天皇制廃止運動」の一環あるのは火を見るよりも明らかだ。

 朝鮮半島や支那大陸では犯罪者などの墓を掘り起し、死者に恥辱を与えるというのは珍しくもないが、「墓を発く」とか「死屍に鞭打つ」という発想は、我が国では死者への最大の非礼であり、日本人の死生観からの忌み嫌う蛮行である。

 御陵は断じて文化財や史跡として考えるべきものではなく、民間調査や発掘などという対象になるべきものでもない。世界文化遺産登録を返上すべきである。

 御陵とは天皇を族長と仰ぎ奉る臣民が挙って崇拝し、伏し拝むべき神聖にして侵すべからざる聖域であり民間調査や発掘などという対象になるべきものでもない。

 世界文化遺産登録に浮かれ、更には発掘調査の名の下に皇室解体を謀る学匪共と宮内庁や文化庁及び、それらに与する奸賊共を剔抉粛清しなければならない。

 それにしても何時も思うのは、こうした陵墓の発掘調査という問題に見られる様に、着実に反天皇制運動の策謀が進んでいるのにも関わらず、現在の右翼陣営を始め自称保守派から問題提起されることは殆ど無いのは何故なのだろう。

 右翼陣営や営業保守や自称愛国者らは、口を揃えて「やれ中共が~」だとか「やれ北朝鮮が~」と騒ぎ立てるが、こうした皇室や国體に係わる問題には全くと言って好いほど興味を示さない。正に右翼の存在価値は益々薄れるばかりなり。

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2021年10月02日

戦後の1949(昭和24)年10月1日に建国した中華人民共和国が戦勝国???

 10月1日から中華人民共和国(中共)では、建国記念日である「国慶節」で盛り上がる。これは1949(昭和24)年10月1日に天安門広場で建国を祝う式典が行われ、毛沢東が「中華人民共和国の建国」を宣言したことに因んだもの。

 日頃、「中国4000年の歴史」などと宣って憚らない中共だが、その実はたった70年程の歴史しかない新興国というのが正しい。逆説すれば共産主義一党独裁の中国共産党政権が、半世紀以上も続いているのだから驚く他ない。

 抑々、共産主義国が続いた一因には我が国のODAが大きく影響しているのは否定出来ない。ODAを終えると、村山政権下で「日本軍遺棄化学兵器」の処分費用名目で更なる朝貢を決めた。決定したのは当時外務大臣だった河野洋平である。

 未だ、共産主義を最高原理として崇め、神や仏という共産主義を超える最高の存在を許さず、人民には信仰の自由、集会、結社、出版、言論等々基本的人権が無い。

「満州」「内蒙古」「チベット」「新疆」を侵略し異民族を虐殺、共産主義と漢民族化を強制し、清朝時代の最大版図を「歴史的領土」とするばかりか、尖閣諸島や東シナ海、南シナ海をも併呑しようする中共の野望は尽きることはない。

 親中派は、習近平に忠誠を誓うが如く、中国人民軍に因るウイグルや周辺諸国への人権蹂躙や威圧行為には口を噤み、ジェノサイドを否定する。我が国は尖閣諸島問題もあり、北京2022冬季オリンピックはボイコットし世界に範を示すべきである。

  中共は尖閣問題で、国連に於いて「敗戦国(日本)が戦勝国の領土(沖縄・尖閣列島)を占領しようとしている」と発言したことは記憶に新しい。

 この認識は、国連憲章第53条第107条の、所謂「旧敵国条項」の「連合国の敵国であった日本などが再び侵略行為を行った場合、他の国は安保理の承認なしに武力行使出来る」という規定を意識した発言であることは明らかだろう。

 国連常任理事国でもある中共は戦勝国として、我が国を監視し、我が国の如何なる理由による防衛も侵略行為と断定すれば、一方的な武力行使は可能となる。

 こうした危機を眼前にして憲法改正の発議さえも儘ならず、可決されるまで何年を要するつもりなのか。手っ取り早く現憲法を破棄して、憲法制定過程に遡り、欽定憲法第七十三条に由り復元改正して対処することこそ危機を逃れる妙法である。

  ここで問題となるのは中華人民共和国が戦勝国なのかという疑問だ。我が国が先の大戦で戦ったのは「中華民国」であり、毛沢東の共産党のゲリラではない。戦後4年も経って建国された共産党一党独裁の中共が戦勝国とは魔訶不思議なことだ。

 我が国のジャーナリズムは性懲りもなくキンピカ報道を垂れ流し、国民は誤った情報に振り回され続ける。中でも節操無く中共に靡く親中派は恥を知るべし。共産主義一党独裁の中共と友好関係を続けていること自体が国益を大きく損なっている。

 先の大戦で我が国はアジア諸国を侵略したのではない。アジアを侵略していた欧米や連合国に対して敢然と立ちあがり戦ったのだ。戦後、多くの植民地の解放が実現したことは、大東亜戦争が大義ある戦いだったことの証明でもあろう。

 それでも尚も我が国がアジアの人々に謝罪し続け、戦争責任を償う必要があるというのなら、それは我が国が負けたことで、戦後、中国共産党の跋扈を許したことが最大の過ちであり、その償いは共産主義を失くすこと以外にないと考える。

 諸悪の根源である共産主義の撲滅は世界の悲願であり、支那大陸の民主化が世界平和を齎すと言っても過言ではない。我が国こそが共産主義撲滅の先頭に立つべきであり、日本共産党や日教組、全教等の国内に巣食う共産主義勢力を一掃しよう。

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2021年10月01日

10月1日は「御酒殿祭(みさかどのさい)」であり「日本酒の日」でもある

 10月1日は「御酒殿祭(みさかどのさい)」というが、この行事は10月17日の神嘗祭で供える白酒(しろき)・黒酒(くろき)・醴酒(れいしゅ)・清酒の御料酒が、麗しく醸造出来ることを祈願し、酒造業の繁栄を祈る御祭である。

 古くは「酒作物忌(さかとこのものいみ)」と言われる、清純無垢な少女が主となり酒造りに従事したというが、流石に現代はそういう役は存在しない。だが、古事に習い、この日に日本酒を楽しむ会なども催されているのは結構なことだ。

 また、10月1日は「日本酒の日」ということで「全国一斉に日本酒で乾杯!」というイベントなども開催されているが、新型コロナの影響でイベント中止が相次いでる。だが、そんな時節だからこ「御酒殿祭」に縁深い日を愉しんでは如何だろう。

 今では女性の中にも日本酒ファンも多くなり、「最初の一杯を日本酒で」などという日本酒乾杯条例なども制定されたりと日本酒に対するイメージも大分変わった。

 日本酒といえば「清酒」。清酒の歴史は新しく、神宮(伊勢神宮)で清酒が供えられる様になったのは明治以降のこと。神宮では醸造出来ないことから、灘(兵庫県)の「白鷹本舗」で謹醸されている。おかげ横丁で白鷹酒造の名酒が頂ける。

 神宮で造られるのは白酒(=どぶろく)、黒酒(=どぶろくに灰を混ぜ黒くしたもの)、醴酒(=一夜酒、米が粒上で箸で盛る酒)の三種類である。

「御酒殿祭(みさかどのさい)」は、6月、10月、12月の各1日に行われており、神宮の由緒ある三節際(さんせつさい)に合わせて行われる。「三節祭」とは、神宮で年間諸祭祀のうちで特に重視されている神嘗祭と 6月、12月の月次祭のこと。

「神嘗祭」は、その年に神田で収穫された新穀を初めて内宮(皇大神宮)、外宮(豊受大神宮)の神々に奉る年間で最も重要な祭りであることは言うまでもない。

 神宮では10月15日~25日まで諸行事が続く。この三節祭に、祈年祭(2月17~23日)と新嘗祭(11月23~29日)を加えて「五大祭」と言われることもある。

「新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)」は、神嘗祭で奉られた新穀を天神神祇に供え、陛下御自身も召し上がる神事である。悲しい哉、今では新嘗祭の名称は消えて「勤労感謝の日」という意味不明の休日となってしまっている。

「神嘗祭」を祭日とし、勤労感謝の日という名称を止めて「新嘗祭」に戻すことは我が国が主権国家として再興する第一歩であり、現在の祝日法も見直すべきだ。

 酒は毎日呑むものなので、程好く呑むのを心掛けるのが好い。日本酒、特に冷酒は酔うので晩酌は二合程度が好い。だが、「友遠方より来る、また久しからずや」ではないが、久しぶりに会う友人との一献はどうも羽目を外してしまう(笑)

「酒は飲むべし、酒は飲むべし。人生唯酒ありて肝を開く。酔中の快楽人知るなし」と訓えたのは坂本龍馬。その酒とはやはり日本酒が好い。これが、ビールやウイスキーやワインだと腹を割っての問答無用の一献とは成り難い。

 大らかに誘いを受け無心に酒を飲み、飲む程に、酔う程に、周りの人までも愉しくさせる。酒飲みとは斯く在りたいものだ。「酒道」とは実に奥が深い(笑)

 12月1日にも「御酒殿祭」があります。とっておきの日本酒で乾杯し、日本酒を愉しみながら、浪漫溢れる古の日本を思い浮かべてみては如何でしょうか。

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秋祭り真っ盛り。心の奥底で日本人として自覚する一瞬でもある!

 今日から10月。身を清め、神饌を新しくして陛下の弥栄を祈る。10月は「神無月」だが、出雲地方では八百万の神が集まるので「神有月(かみありづき)」と言い、全国津々浦々から出雲に集まった神様達は国中の縁結びの会議を催すという。

「神宮」といえば伊勢神宮。「大社」は出雲大社を指す。神宮とはまた違った荘厳さで「国中第一の霊神」という記述が有る程、崇敬されてきた神社である。

 平安時代の「延喜式」には「杵築大社(きづきのおおやしろ)」と記されており、明治4年に現名の「出雲大社」に改められるまで、永くこの名が続いていた。

 本殿は遥か昔には高さ32丈(約97メートル)の高さだった。平安時代では16丈(約48メートル)の規模だったといわれている。木造建造物では恐らく世界最大規模。建築様式も日本最古の大社造りで、正に伊勢神宮と双璧を成す社である。

 寛文7年(1667年)に8丈(約24メートル)の高さになった。出雲地方では大社を敬う上で24メートル以上の建築物は建てないことになっている。大きさで圧倒されるのは拝殿の注連縄で、重さ3トン、長さ13メートル、胴回り9メートル。

 愚生も行ったことがあるが、神前の前に立つと注連縄の大きさに驚く。注連縄の下に立ち小銭を注連縄に向け投げて、上手く小銭が挟まると願いが叶うという。

 祭神は大国主命。「大国さま」と呼ばれ親しまれており、縁結び、福の神としての深い信仰を集める。祭典は古式に則り5月の例大祭礼、11月の古伝新嘗祭が有名だが、旧暦の10月の神迎祭、神在祭、神等去出祭に出雲大社らしい特色がある。

「国中の縁結びの会議」というのを聞くと、どこか微笑ましく温かい気持ちになるが、こうした八百万の神による話し合いこそが神道の教えの神髄でもある。

 神道を「随神(かんながら)の道」という。「神々と共に」「神の御意志の儘に」という意味だが、人に由って感じ方も色々。我が国に古より伝わって来た「神道」とは、こうした世界観の中から生まれた日本人の教えの根本でもある。

 神と共にあるから「惟神」。新羅万象の全てが「神」の姿で、山の神、海の神、或いは森、川、泉、石ころや水・・・全てのカタチある物やそして人も、その神の在る景色の一部に過ぎず、これこそが八百万(やおよろず)の神である。

 今月は全国的に秋祭り真っ盛りとなり、町内を山車や神輿が繰り出す。祭りに興ずる人も、それを観る人々も、心の奥底で日本人として自覚する一瞬でもある。

 祭りも「神道」の教え以前に、今は単なるレクリエーションやイベントの様なものになってしまっているが、神道の大らかさとはそういうことでもある。

 全国各地で様々な祭りが催されるが、祭りに由って地域住民の団結力が深まり、また祭りによって礼儀作法や長幼の序などを学ぶ。仲間と酒を酌み交わし、日頃の憂さを晴らすかの様に本能のまま祭りに興じれば、神との繋がりを実感する。

 キリスト教やイスラム教など一神教や新興宗教にはこれがない。キリストやアッラーなど唯一絶対の神や新興宗教に於いては教祖や経典が絶対である。「宗教」とは一度信じたらその宗旨や儀礼に束縛され「宗教」の語源通り呪縛される。

「宗教」とは一種の麻薬と同じで、神の教えを信じることで心に安らぎを覚え、いつの間にかそれに盲信してそれを正義と信じ抜け出すことが出来なくなる。

 一神教や新興宗教を信じる者の不幸はこうしたことにあるが、こうした教えさえも大らかに受け入れる日本国に生まれたことを感謝せずにはいられない。

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