2021年08月

2021年08月29日

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という様に何事も中庸が肝心

 孔子は、何事も「中庸」が肝心と訓えている。中庸とは「中庸の徳たる、其れ到れるかな。民鮮(すくな)きこと久し」が原文。「不足でもなく、余分のところもなく、丁度適当にバランスよく行動できるということは、人徳としては最高のものです。しかし、その様な人を見ることは少なくなりました」という意味である。

 人を使う場合も、部下にはこの中庸を心がけさせることは必要なこと。若い者というのは兎角血気に逸り、一つのことに熱中する。若い時というのはそれぐらいの元気があって好いが、上に立つ者は、その道に外れた者を絶えず真ん中に戻してやることが必要となる。片方に寄ってしまうと大局を観ることが出来なくなるからだ。

 右翼人も同じで、未だ思想形成に至ってない時代には大いに右翼思想や保守的書物のみに傾倒し、その思想を確固たるものにすべきだと思うが、ある程度の立場になったら、一度立ち止まり、大局的に物事を観る冷静さも必要となってくる。

 昨今の右翼というと営業保守の請売りが多く、ネット右翼より理論は乏しく、目先のことばかりで大局観に乏しいと感じるのはそういうことなのかも知れない。

「仁・義・礼・智・信」という徳目がある。人間の道を守るのに大事な心掛けだが、これを守り過ぎるのもまた悪害にもなる。伊達政宗遺訓にこう記されている。

 仁に過ぎれば弱くなる。
 義に過ぎれば固くなる。
 礼に過ぎれば諂いとなる。
 智に過ぎれば嘘をつく。
 信に過ぎれば損をする。

「仁」とは博愛や慈しみ。これも過ぎれば他力本願になり過ぎて、全てが弱弱しくなってしまうもの。「仁義を重んじる」というヤクザに教えてあげたいものだ。

「義」とは道理や条理。ヤクザでいう筋道のこと。義理だとか大義だとかに縛られて、弾力的な物の考え方や行動が出来ずに固くなって動きが鈍くなることも。

「礼」は道徳的観念としては大事なことだが、ややもすると丁寧にしているつもりが、それが諂いとなり、丁寧過ぎて慇懃無礼とも捉えられてしまうこともある。

「智」とは善悪を弁別する心の作用だが、余り智識に偏り過ぎると、相手を気遣う余りに、或いは余計なことが頭を過ぎり、嘘を吐く様になったりするもの。

「信」とは誠であり、人を欺かないということは重んじなければならないが、余り人を信用し過ぎて思わぬ損やとばっちりを喰らうことにも成り兼ねない。

 伊達政宗遺訓には続きがある。

「気ながく心穏やかにして、この世に客に来たと思えば何の苦もなし。朝夕の食事は、うまからずとも誉めて食うべし。元来、客の身なれば好き嫌いは申されまい。今日行くをおくり、子孫兄弟に良く挨拶して、娑婆の御暇申すがよし」

「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」という。これを「過ぎ去ったことはクヨクヨしても仕方ない」と理解している人も少なくないが、それは間違い。この諺の意味は「やり過ぎは足らないことと同じで好くない」という教えである。

 中庸というのは、その程度や加減というのが難しいが、ともあれ、上に立つ者は常に、この中庸ということを常に心掛けることが、組織を維持する上では重要となる。

 まぁ、何事も中庸が肝心といっても孟子は「子莫中を執る」と中庸を戒めているし、「足して二で割る」様な「真ん中(中道)主義」もバカの見本とも言える。

 我が国の政治を見れば、その真ん中主義が好きな様だが、どう見ても真ん中より左に寄っている。その状態を真ん中だと思っているところに、我が国の不幸が在る。

 そうした政治を糺すのが右翼や維新者の役柄なのだが、右翼やら自称・愛国者が出張って来ると事がややこしくなって逆効果。政治の混乱はいつまで続くのやら。我が国の政治を右側に戻し新たな国創りをしてくれる政治家の出現を熱望する。

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2021年08月21日

中田翔への大甘な裁定に見るプロ野球機構のコンプライアンス

 試合前、ベンチの裏でチームの後輩に暴力を振るい無期限の謹慎処分になった中田翔だが、愚生でなくともいつかは暴力沙汰が暴かれると思ってた人は多いだろう。

 中田は典型的なお山の大将で、そんな中田に後輩が諌言したものなら憤怒障害宜しく「なんじゃコラッ~」と暴力を振るったことは度度あっただろうと想像する。

 中田も高額な年棒を貰いながら成績不振でストレスが溜まっていたのだろう。そんな鬱憤を晴らそうと後輩に暴力を振るっただろうことは想像するに余りある。

 覚醒剤事件を起こした清原和博と同じく、中田も一回失敗してどん底を経験しないと自覚は生まれないだろうな。成績で汚名返上するしかないが、それはそれで容易ではなさそうだ。過ぎたるは猶及ばざるが如し。中田はチョッとやり過ぎたわな。

 と思ったのも束の間、謹慎が明けると同時にジャイアンツへの電撃移籍が決まった。日本ハムは解雇ではなく、ジャイアンツとの無償トレードというのもどうなのだろう。「中田にチャンスを与えたい」というが大甘な裁定と言わざるを得ない。

 大東亜戦争に突入すると野球が当たり前にやれなくなった。先の大戦で亡くなられたプロ野球選手は、東京巨人軍澤村栄治投手を始め実に69名もいるのを知っているだろうか。中田にその方々の思いを少しでも自覚してたなら結果は違っただろう。

 英霊となられた彼らは野球への情熱を戦争という悲劇の中でその若い命を捧げ、愛する人を、故郷を、沖縄を、そして祖国日本を死守すべく散華された。祖国や家族、愛するものを守るという至高の精神を、我々は決して忘れてはならない。

 以前、九州場所後にモンゴル出身力士らが打ち上げを行った席で横綱日馬富士は、横綱白鵬への貴ノ岩の態度が気に障り、これを正そうと暴力を振るった。理由はどうあれ暴力が許されることはなく日本相撲協会に引退を余儀なくされた。

 引退会見の席上で日馬富士は「先輩として後輩力士の礼儀を正すことは義務と思っている。弟弟子を思って叱ったことが、彼を傷付け世間を騒がすことになってしまった」と後悔の念を表し、貴ノ岩にも謝罪したことを思い出す。

 横柄な態度が目に余ったのだろう、貴ノ岩を思って、相撲会の風習でいう「可愛がり」をつい飲み会の席でやってしまったことが問題になってしまった。

 指導や教えるというのは実に難しく、言って聞かせて本人が言われたことを理解出来れば問題ないが、言っても分からない奴に幾ら言って聞かせても効果はない。

 言って聞かせて直ぐに「ハイ、分かりました」と言いながら、同じ失敗を繰り返す。そういう奴には体罰やシゴキやヤキに因って、理性ではなく本能を鍛え上げてやるというのも教育上の大事な要素の一つでもあると愚生は思っている。

 教える立場の者は、周りから常に尊敬される様な言動や立ち居振る舞いを求められるのは言うまでもない。尊敬されていなければ体罰は傲慢な暴力でしかない。

「愛のムチ」という体罰と暴力は紙一重で、中田の暴力は愛のムチとは程遠く救い様がないが、貴ノ岩に横綱日馬富士や白鵬への敬いの気持ちがあれば結果は違っていただろうし、日馬富士も一方的に正そうと思ったことが間違いだった。

 人を育て上げるというのは日本刀が出来上がる過程と似ている。日本刀を作り上げるには先ず卸し鉄を「積み重ねる」ことから始まる。そして「鍛錬」し、更に「下鍛え」し、何回も何回も鍛え上げて「芯鉄」を鍛え造り込んで行く。叩いて叩いて鍛え上げることで強靭で見た目にも立派な刀が出来上がるのだ。

 国士舘創設者・柴田徳次郎先生は「刀というのはトンテンカン、トンテンカンと叩いて叩いて鍛え上げなければ五郎入道政宗とか村正といった立派な刀は出来ません。国士舘の生徒も先生だけの指導だけではダメで、学校も親も一緒になってお子さん方を鍛え上げて行かなければ立派な日本人に育てることは出来ません」と訓示した。

 日本刀を作る上で最も大事なのが「焼き入れ」であり、この焼き入れを行うことで刀に命を吹き込む。焼き入れ一つで刀の出来も価値も変わってしまうという。

 教育者も指導者も刀鍛冶と同じく、ヤキという鍛え込みと、更なる磨き上げで立派な人材が出来上がることを知るべきだと思っているが、如何せん、ヤキの後に磨き上げることが無いから単に体罰や暴力だと断じられてしまうのだ。

 中田や日馬富士の行為を暴力事件と片付けるのは容易いが、礼儀を正そうとした慈愛の一面を否定し、全てを暴力として片付けてしまうという風潮が事の本質を違う方向へ導いてしまうことも無いとは言い切れない。人を育てる難しさを痛感する。

 大相撲協会が暴力事件を受けて横綱日馬富士を始め、全ての当事者を解雇している。暴力事件を起こした中田への大甘な裁定は、プロ野球機構のコンプライアンスへの不信感は募るばかり。暴力事件は有耶無耶にされてしまうのだろうか。

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2021年08月20日

「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」

 昭和20年、ポツダム宣言を受諾した8月14日以降もソ連の北方領土でへの侵略は収まる事はなく、同月18日には千島列島最北端の占守島にソ連軍が奇襲上陸した。

 終戦により武装解除準備を始めていた守備隊は武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。占守島での戦闘は日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及び、日本軍の圧倒的勝利の中で8月21日に武装解除に応じ戦闘が終結。

 ソ連軍は千島列島だけではなく、日本人が居住していた樺太でも蛮行を繰り返した。外務省の外交文書「ポ宣言受諾関係・善後措置及び各地状況関係」には、昭和20年8月9日以降のソ連軍の蛮行が生々しく書かれている。一部摘記する。

 東部北鮮在留日本人の状況として「ソ連兵ハ30年来ノ怨ミヲ晴ラスハ此時ナリトシ邦人ノ所持品ハ一物ヲモ残サズ略奪シ婦女子ニ対シテハ時所ヲ弁エズ暴行ヲ加フルノ暴挙ノ出テ・・・」と記載されているが、怒りが込み上げる。

 鉄原(京城東北八十キロ)の状況として、「ソ連進駐ト共ニ市街ノ様相ハ一変シ、ソ連兵市内ヲ横行シ略奪ヲ擅(ほしいまま)ニシ9月1日男24名ヲ本願寺ニ、女32名ヲ広島屋ニ監禁シ女ハ一室ニ一名宛閉ジ若キ娘ハ毎日14、5名、年配ノ婦人ハ毎日10名交代ニ暴行ヲ加ヘ其ノ結果6名ハ死亡シ、然ラザル者モ負傷ノ為歩行ノ自由ヲ失ウニ至ル・・・」と、拉致した女性らは慰安婦にさせられている。

 捉えられた婦女子は「監禁され、ソ連兵に凌辱される」という恐怖から、自裁する道を選択せざるを得なかった女性も少なくなかった。樺太真岡郵便局の女子郵便局員も、ソ連軍が進行する中、職務を全うした後に自裁する道を選んだ。

 伊藤千枝(23歳)、可香谷シゲ(23歳)、沢田キミ(19歳)、志賀晴代(22歳)、高石みき(24歳)、高城淑子(19歳)、松橋みどり(17歳)、吉田八重子(21歳)、渡辺照(17歳)の9名は、青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。

 彼女達の悲劇を伝えた映画「氷雪の門」という映画がある。その昔、この映画の権利は国際勝共連合が持っていて赤坂の本部事務所で観たのが最初だった。

(氷雪の門のあらすじ)昭和20年夏、樺太の西海岸に位置する真岡町でも日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦したソ連軍の侵攻に脅かされようとしていた。ソ連軍侵攻からの避難民は群をなして真岡町に向った。8月15日には玉音放送によって終戦が告げられ、樺太全土に婦女子の強制疎開命令が出されるも、20日のソ連軍の上陸で間に合わなかった。志願して職場に留まり、追い詰められた女性交換手達は、通信で寄せられるあちこちで次々と殺害される市民の状況から、自らも青酸カリによる自決を選ぶしかなかった。9人の乙女の像に刻まれている「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」が通信最後の言葉だった。(あらすじ終わり)

 今ではこの映画もレンタルビデオでも気軽に見れる様になったが、この映画の上映が決定された昭和49年、ソ連の御先棒を担ぐ日本社会党(社民党)や日本共産党らは猛反対。上映阻止の運動を展開し、終には上映されることはなかった。

 日頃、彼らは「平和」を口にして原爆投下の米国を糾弾するが、広島・長崎の原爆投下での犠牲者を遥かに超える死者を出したソ連の蛮行には口を噤む不思議。

 無辜の民を殺戮した米国に拠る原爆投下への批判はあって当然のことだが、連中の目的は執拗にこの古傷を暴いて日米離間を謀ると共に、党勢拡大と革命謀略の為に国民の安直な平和主義と幼稚な正義感を利用しているに過ぎない。

 長崎への原爆投下が実行された同じ9日未明に断行された旧ソ連の対日参戦も糾弾すべきだろうが、未だ嘗て彼らから日ソ中立条約の蹂躙や北方領土での鬼畜の如き蛮行が語られることはない。何が「平和」か、何が平和団体か。

 ソ連の鬼畜の如き蛮行は、米国の原爆投下と無差別爆撃と同じく「平和に対する罪」であり「人道に対する罪」である。平和団体が、こうしたソ連の蛮行とシベリア抑留という人権侵害など多くの不条理に何故に声を上げないのか。

 国際法を無視し不当にシベリヤに抑留され、極寒の地で亡くなられた方も数え切れない。シベリアへ抑留された日本人は日本国内では一般に約60万人と言われているが、この数字は軍属だけの数字で、民間人を含めると更に多いという。

 ロシアの資料でも約70万人、米国の資料では約90万人と言われているが、その中で亡くなられた方はどれ程に上るのか、正式な被害者数を調査すべきだろう。

 日頃「平和」を口にする共産党や社民党とは所詮はこの程度の政党であり、単なる党勢拡大と中国共産党の前衛としての安っぽい反米運動でしかない。

 末尾に当り、北の島々に眠る同胞の御霊に対し衷心より哀悼の意を表します。

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2021年08月19日

冤罪事件と感染症対策分科会の共通点

「グリーンマイル」という映画がある。無実の罪を被って死刑にされる囚人の周りに起こる奇跡を描いたものだ。マイケル・クラーク・ダンカン演じるジョン・コーフィは無実の罪で処刑される。この不条理に思わず熱いものが込み上げる。

 冤罪は警察捜査の傲慢さに加え、捜査の杜撰さや証拠品の不確かな鑑定など様々が要因となる。今では科学捜査が当たり前になっているが、その昔というか、昭和時代には信じられない様な驚くべき不可思議な鑑定が相次いだのも事実だ。

 昭和24年、弘前大学の松永藤雄教授宅で妻が何者かに咽を斬られ殺された事件がある。近所に住む那須隆という男が逮捕される。彼の着衣から血痕が見つかり、それを証拠に犯人と断定された。彼は犯行を否認した儘で起訴された。

「反省も無い」との理由から15年の刑を丸々務めることになった。然し、釈放されて間もなく「弘前大学教授夫人殺害は自分だ」と滝谷福松という男が名乗り出る。犯行の際の詳細を供述したことで滝谷福松の犯行だったことは明らかだった。

 この事実を知った須永さんは仙台高裁に再審請求するが、何故か高裁は棄却した。その2年後、那須さんが再審請求するとあっさり受理され無罪判決が出た。

 鑑定の結果、当時証拠とされた着衣の血痕は別のものだったという。そんな事は始めから判りきっているのに、何故に2年前は再審請求が却下されたのかと言えば、血液鑑定を行った古畑種基東大教授が生きていたからに他ならない。

 要は、事実の解明よりも科学捜査研究所所長も務め、文化勲章を授与された古畑教授の名誉が優先されたのである。こうした不条理が赦されるのだろうか。

 2年の間に古畑が鬼籍に入ったことで無罪判決を得るが、こんな杜撰でデタラメな鑑定や判決が当たり前の様に行われていたという事実に驚きは隠せない。

 冤罪を生む元凶は捜査に携わる警察や検事の驕りや傲慢さ、過ちを文(かざ)り、屋上屋を重ねることの結果だが、こうした冤罪によって真犯人を取り逃がすことになることこそ最悪の結果となってしまう現実を忘れてはならない。

 新型コロナ騒動は収まる気配はない。感染症対策分科会の提言を進めるだけで、決断力に乏しい菅総理は政治家としての職務を放棄した。目は泳ぎ、本人も何が正しいのか分かっていないのだろう。総裁選は辞退し、高市早苗に譲った方が好い。

 分科会の尾茂会長は「新型コロナはインフルエンザじゃない」と言って憚らず、人の出入りや接触を制限することで効果が上がるとの提言を続け、ワクチンの全国民接種を呼びかけるばかりで感染症指定第二類を変えることに抵抗を示す。

「通常のインフルエンザと変わらない」という医師もいる。イベルメクチンの効果を訴え「開業医が対応すれば医療崩壊は起きない」と訴える医師もいる。「治療効果が顕著なアビガンを早々に承認して自宅療養者に配るべき」との声もある。

 こうした声には全く耳を貸さず「今の段階で第二類を変える必要はない。ワクチン接種が進んだら議論すべきだ」との一点張りは冤罪事件を生む構図とそっくり。周辺者も恐らくイエスマンばかりの寄せ集めなのではあるまいか(苦笑)

 尾茂会長が会長を辞するとか死なない限り愚策が続けらるのだろうから感染者も死者も増え続けるのは必至。ここ数日の死者の増加は序章に過ぎない。保健所縛りの第二類指定で自宅療養者の容体が悪化して死に至る「人災」の様相を呈す。

 医師や医療に携わる者に求められるものは高い倫理性や道徳性であり、公正公平な中立性であるが、倫理性や道徳性が備わっていない医師は多い。医師同士や組織を守ろうとして庇い合うのは医療従事者の特徴といっても好いだろう。

 尾身会長が間違っているのなら苦言を呈すべきだが、有無を言わさぬ雰囲気が横溢してるのではと推測する。苦言を呈したものならどうなるかは知っているだろうから同意せざるを得なくなる。それこそ政治家の出番だが手を拱くばかり。

 決断力が無い菅総理は分科会の言いなり。正にレームダックと化した菅総理のリーダーシップ無き右往左往の対応は、違法献金で四面楚歌だった菅直人が東京電力福島第一原発事故に救われた状況に似たり。同じ過ちを繰り返す。

 過ちを素直に認め改めることこそ、正義を守る上で最も大事なことである。「過ちては即ち改むるに憚ること勿れ」という。尾身会長始め政府から専門家として招聘された有識者と言われる方々もこの言葉を肝に銘じて職務に当たるべし。

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2021年08月18日

占守島の戦いや南樺太での悲劇は決して忘れてはならない歴史である

 ポツダム宣言受諾後の昭和20年8月18日の早暁午前1時頃、千島列島最東端の占守島(しゅむしゅとう)の日本軍に対し、ソ連軍が奇襲上陸。終戦により武装解除準備を始めていた守備隊は武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。

 占守島での戦闘は日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及んだが、日本軍の圧倒的勝利の中で、8月21日に武装解除に応じこの地での戦闘が終結した。その3日後には日本軍が武装解除を終えソ連の配下に下がった。

 この占守島での戦いによりソ連軍の千島列島の占領は遅滞され、その間に米軍の北海道進駐が完了したことで、ドイツや朝鮮半島の様な北海道の分割統治は避けられた。そういう意味でも「占守島の戦い」は大きな意義があった。

 この後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てが不当にもシベリアに強制連行されることとなった。

 ポツダム宣言終了後のこの不正義な戦いを勇敢に戦った日本軍の兵士達は、ソ連軍に因るこうした理不尽な仕打ちさえも無条件降伏の無条件のうちだと信じて、飢えも寒さも、その結果としての知れ切った死すらも潔く受容したのだった。

 ソ連は、その他の地域からも軍人、軍属、そして一般人を含む80万人以上をシベリアへ強制連行し、多くの同胞が酷寒の地で凍死や餓死で亡くなられている。

 シベリヤに抑留された日本人同胞は約60万人と言われているが、この数字は軍属だけの数字であり、民間人を含めると更に多い。ロシア側の資料では約70万人、米国の資料では約90万人とされているのに60万人とは正に弱腰外交の極み。

 シベリア抑留された日本人同胞は実際にどれ程に上るのか、餓死や凍死した人数はどれほどだったのか、正式な被害者数を調査しなければならない。

 東京大空襲や広島・長崎への原爆投下を実行した米国もそうだが、東京大空襲などの非戦闘員の殺戮もシベリアへの強制連行も全て国際法違反であり、戦勝国だからといってこうした人道に悖る行為を正当化する権利が在るとは思えない。

 況してや終戦間際に日ソ不可侵条約を蹂躙し、一方的に宣戦布告し戦闘に加わったソ連の蛮行やポツダム宣言受諾後の侵略も同じく断罪されなくてはならないが、ソ連軍の行動は「ヤルタ秘密協定」での米英との約束の忠実な実行である。

 1945年(昭和20年)2月、ルーズベルト、スターリン、チャーチルはクリミア諸島のヤルタで会談を行った。ルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄を進言、ソ連の対日参戦を促した。

 ヤルタ協定では「ソ連が日本との戦争に参戦すること」「南樺太をソ連に返還すること」「千島列島をソ連に引き渡すこと」などが決められ、ドイツが無条件降伏した約3ヵ月後の昭和20年8月9日、ソ連は国際法規を破棄し対日参戦の実行を謀った。

 アジア近代史を紐解く上でも、米英の対日参戦の経緯やソ連の北方領土への侵略と不当性を知る上でも、ソ連参戦を要求した米英主導の「ヤルタ秘密協定」の不当性と残虐性を暴き、戦後の不条理と不正義を再検証しなくてはならない。

 米英ソの不当性が明らかになれば、我が国の「悪玉論」も根底から覆ることだろう。 占守島での戦いや南樺太での悲劇は決して忘れてはならない歴史である。

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2021年08月17日

新型コロナ対策は感染症指定第二類を第五類に直せば好いのに手を拱く不思議

 第一次世界大戦時に流行したスペイン風邪では、当時の世界の人口の3分の1の5億人が罹患し5000〜1億人が死亡と言われている。日本では約2300万人が罹患し、約40万人が死亡した。福島県内では6993人が罹患し148人が死亡したという。

 県内の新型コロナの数値はスペイン風邪の猛威と変わらない様相を呈して来た。保健所の介入が続けば死者は増えるばかり。死者が徐々に増えてるのは保健所が介入し自宅療養中に悪化して手遅れになるケースが出てきてるからと推測する。

 助かる命が保健所介入で落としかなない状況なのに、未だ感染症対策分科会の提言を優先してる菅総理以下政治家に国民を守る意識があるとは思えない。政治の決断が必要な事態はこれを置いて無いだろうに目先の対策で事を誤魔化すとは何事か。

「新型コロナ感染者数が最大想定を超えた」「感染者数が2万人を超えた」という記事が躍る。例年のインフルエンザでも1日30万人越えなんてあるし、国民の約1000万人が罹患する。それでも死者数を約1万人程度に抑えられるのは一般のクリニックで対応出来るから。第二類指定が続けば、感染者は益々殖えるだろう。

 感染症指定第二類を第五類に直して、一般のクリニックでも治療出来る体制を整えるべきなのに何故か手を拱く不思議。第五類にすると医療費がかかるというが、特例で無料にすれば好いだけ。現在の行動制限より「今後は五類指定で医療費は3割負担になりますので自己責任が伴います」を注意喚起した方が効果が上がるだろう。

 保健所が介入し自宅療養を強いられた人が肺炎になれば死に至る。正しく新型コロナは保健所に因る「人災」の様相を呈してきた。「過ちて改めざるこれを過ちという」とか「過ちては即ち改むるに憚ること勿れ」というが、我が国の政治家や役人らに乏しいのは己の立場ばかりを優先して過ちを認めないことだ。

 ウイルスも自然の摂理で変異を続け人類との共存を謀る。流行性のインフルエンザと同じで警戒するのは大事だが殊更怖がる必要もない。それなのに未だに新型コロナが中国武漢から発症し猛威を振るったウイルスだと思ってる人がいる。そういう意味では、タレントの志村けんの死亡は衝撃的で記憶から消えないんだろうな。

 新型コロナ感染症対策分科会会長という仰々しい肩書きが光る尾身茂の提言は、悉く失敗してるのに更に屋上屋を架すが如く「人出を5割削減」などと宣うバカさ。デパートの飲食店への人数制限やらくだらん対策のラインナップにはもう嗤うしかない。「2週間やれば必ず結果が出る」と言ってるが単なるうどん屋の釜。

 日本より感染者や死者が多い諸外国で医療崩壊が起きていないのは、感染症指定で医療機関の対応を縛るのではなく一般のクリニックで対応しているからだという。政府は自ら考えることを放棄し感染症対策分科会の提言を実行を謀るが、あんな提言より感染症指定第二類解除や国産ワクチンとアビガン承認を決断するべき。

 例年のインフルエンザと比べても、新型コロナは殊更に恐れる必要はない。例年のインフルエンザと同じ対応をすべき現況なのに、新型コロナの恐怖を煽り続け、国民全員にワクチン接種を強要するのは胡散臭げで異常としか思えない。

「感染することを恐れて国民全員にワクチンを接種するより、感染者に対して特効薬を投与する方が遥かに効率的である」というのが理に適っている。安心の為のワクチン接種というが、100人に1人も感染者が存在せず、1万人に1人程しか死者が発生していないのに国民全員にワクチン接種を奨励するのは馬鹿げている。

 世界の人口は約68億人。今後90億人に増加する。人口が殖え続ける現状を食い止める為の不妊ワクチンではとの話も聞こえてくる。新ワクチンで10%から15%抑えらるという。新型コロナ騒動が巨大なワクチンビジネスであるとの疑いもある。新型ワクチンは人口削減と深く関連する可能性があるとの指摘は本当だろうか。

 中国武漢を発症とする新型コロナウイルスは何を目的とするものだったのか。トランプ大統領の失脚を狙ったものだとか、ワクチン利権を中共が独占しようと企んだものだという意見を目にする。やはり、中共に因るウイルステロなのか。

「民衆は小さな嘘には騙されないが大きな嘘には騙される」とはアドルフ・ヒトラー。新型コロナ騒動は、正しく誰かが裏で操っている大きな嘘ではないかと勘繰りたくなる今日この頃。やはり、何事に於いても中共が諸悪の根源に違いない。

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2021年08月16日

神となられた英霊に「哀悼」だとか「御霊安かれ」って勘違いも甚だしい

 全国戦没者追悼式に御臨席された陛下は「過去の深い反省の下、再び戦禍が繰り返されぬことを願う」と述べられたが、「深い反省」は止めた方が好い。

 昭和20年8月13日に渙発された「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅」で、「帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫念スル所ナリ」と語られた昭和天皇の思いに比べれば余りにも軽々しく感じてしまう。

 東京九段北の靖国神社境内では「戦没者追悼中央国民集会」が催された。英霊にこたえる会の寺島泰三会長は「令和の今こそ改正の好機ではないか。国会で党利党略に甘んずることなく速やかに憲法改正の原案を審議して頂きたい」と訴えた。

 憲法改正は第九条を指してるのだろうが、現憲法の改正は究極の護憲運動であり、天皇条項を鑑みれば現憲法を制定過程に則り、大日本帝国憲法第七十三条に由り破棄し欽定憲法を復元した上で改正することこそ望ましい。

 寺島会長は更に、途絶えている天皇陛下の靖國神社への御親拝実現に向け「我々の代表である国会議員、首相、閣僚の参拝が必要だ。菅義偉首相には是非とも参拝を頂きたいと」と語ったが、御親拝は春秋の例大祭だろう。英霊にこたえる会や日本会議の提言を見ても、保守ではなく自民党の院外団というのが正しい。

 東京九段の夏はいつからあんなに騒がしくなってしまったのだろう。純真な愛国心を否定するものではないが、15日に靖國参拝する様になった経緯を知るべきだ。

 15日は戦禍に斃れた方々を悼み、犠牲となられた御霊に感謝の真を捧げ、平和を祈念する日である。靖國神社に於いては遺族の大事な日であり、保守派や自称愛国者らが靖國の英霊のみに拘ることは正に贔屓の引き倒しそのものである。

 三木武夫と中曽根康弘が謀った靖國神社冒涜運動に与する小泉純一郎は、平成13年、自民党総裁選に出馬した際、保守票欲しさに「如何なる反対があろうとも8月15日に靖國神社へ参拝する」と語り保守層を喜ばせたことは記憶に新しい。

 今年は13日の岸信夫、15日には小泉進次郎や羽生田光一、高市早苗らが靖國に参じたが、今秋の総選挙を見据えて保守票獲得へのパフォーマンにしか感じない。

 純粋に平和を祈念し靖國神社へ参拝するのは否定はしないが、あの喧騒は頂けない。15日は遺族の日であり静謐な環境を整え陛下の御親拝こそ仰ぐべきである。

 靖國神社を参拝した安倍前首相は取材に応じ「御霊安かれと御祈りした」と語ってるが、御霊を鎮められるのは陛下だけだ。何を勘違いしているのか。

 安倍を始めとした多くが靖國神社が追悼施設であると勘違いしている。大東亜戦争の犠牲者である英霊を追悼するなら靖國神社に代わる追悼施設を創ったら如何か。

 靖國神社に祀られてる英霊を始め246万6000余名の方々は御祭神となられたのだ。神になった英霊に追悼だとか哀悼だとか、御霊安かれとはどういうことか。天照大御神や八百万の神と同じく、感謝の誠を捧げるというのが神道の作法である。

 全国戦没者追悼式で「深い反省」を述べられた陛下だが、日本武道館と同じ九段に建つ靖國神社に御親拝遊ばされることが叶わない現実に臣民として申し訳ない気持ちになった。陛下は政府や宮内庁の傀儡となってしまっている。

 国家の要請に応じ尊い命を捧げた人々の御霊を奉斎する靖國神社を、国家の責任で護持することは余りにも当然のことで論議の余地などある筈がない。

 戦前はそれが厳守され、全国民が護国の英霊に感謝し崇敬の誠を捧げたのは当然である。殊に特筆すべきは靖國神社の大祭に限り天皇陛下が御親拝せられたことだ。聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄、これに優るものはなかった。

 陛下の御親拝を妨害しているのは「A級戦犯分祀論」を騙る石破ら不逞の政治家も然ることながら、8月15日を政治利用して悦に入る安倍元首相らも一蓮托生である。

 靖國問題を解決するには分祀論や都合の好い憲法解釈ではなく、靖國神社の「宗教法人格」を見直せば済むことだ。安倍らも靖國神社参拝より「靖國神社法案」を再提出し、靖國神社国家護持と陛下の御親拝に道筋を付けるのが先決だろう。

 保守派や自称愛国者らは「諸外国に言われる筋合いは無い」と、総理大臣の靖國参拝を熱望する。総理や大臣が参拝することで靖國が騒がしくなるなら、愚生的には政治家なんぞが靖國にかかずらって欲しくはないというのが正直なところ。

 数年前、硫黄島を訪問した安倍は「遺骨を家族の待つ地に返すのは国の責務。一粒一粒の砂まで確かめ、一人でも多く帰還出来る様に全力を尽くす」と語ったことは記憶に新しい。だが、遺骨が還ることで英霊の御霊が鎮まる訳ではない。

 靖國神社に英霊の遺骨が埋設されていると勘違いしてる人もいるが、いっそのこと千鳥ヶ淵墓苑をアーリントン墓地の様に造り直し国立戦没者墓苑にしたら方が分かり易い。慰霊や追悼が目的の政治家なんぞ千鳥ヶ淵に行けば好い。

 未だ海外の遺骨が数多く在ることで、祖国に殉じた英霊の名誉が回復されていないと感じる国民が多いのは仏教徒だからだろう。遺骨は大事だが神道の観念から言えば魂こそ重んじられる。我が国の政治家はその魂を軽んじてるとしか思えない。

「海行かば水漬く屍 山行かば草生す屍 大君の辺にこそ死なめ かへり見はせじ」と、異国の地で水漬く屍や草生す屍となった英霊の御霊は今、九段の靖國神社に戻り、我ら日本人を加護し続けている。だからこそ国家護持を成さねばならないのだ。陛下に於かせられましても、靖國神社への御親拝の御聖断を衷情より仰ぎ奉りたい。

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2021年08月14日

靖國神社は追悼施設ではなく英霊の顕彰を重んじている社である

 今年もまた8月15日がやってくる。右翼団体を筆頭に靖國神社での自称愛国者やインチキ保守派らのパフォーマンスを目にするのかと思うと憂鬱でもある。

 我が国の政治家の靖國神社参拝を韓国が批判し、逆に自称愛国者やインチキ保守派らにとっては8月15日の靖國参拝こそが愛国心を表す踏絵の様になってる。

 靖國神社は追悼施設ではなく、英霊の功績を顕彰する神社である。「哀悼」とか「追悼」とは、死者の生前を偲び、その死を悼み悲しむことである。「慰霊」とは霊魂を慰めること。英霊は神となられたのだから哀悼の意より感謝の誠だろう。

 自称愛国者や右翼団体や営業保守派らが「英霊に哀悼の誠を捧げて来た」と言って悦に入る。昨日(13日)に参拝した岸信夫防衛大臣も同じく「哀悼」を口にしてたが、こうしたパフォーマンスを喜ぶ保守派というのは実に単純で騙し易い(笑)

 靖國神社は追悼施設ではなく英霊の顕彰を重んじている社であるということを理解していないからこんなことが罷り通る。抑々、近所の神社に参拝して哀悼を言うか。日々の我が暮らしの御加護に感謝して首を垂れる。靖國神社も同じ。

「顕彰」とは、生前の功績や善行などを称えて広く世間に知らせることである。顕彰ということを重んじるなら、8月15日に靖國に赴くことが重要ではなく、あの左右入り乱れての喧騒は逆効果の方が大きいということが何故に分からないのだろう。

 一般に8月15日を「終戦記念日」というが、正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」。右翼団体までもが東京裁判史観に冒されて「終戦」の意味を穿違えて靖國神社に詣でるなど笑止千万。正しく右翼の指導者不足は顕著である。

 こうしたことでも、我が国は「終戦」とは名ばかりの未だ主権快復も出来ていない幼冲国家だと痛感する。米国依存からの脱却なんぞ夢のまた夢である。

 昭和天皇の御聖断に拠り、ポツダム宣言受諾が決定されたのが8月14日である。15日は「終戦の詔勅(玉音放送)」が渙発された日というだけのこと。

 8月15日を「終戦記念日」と称し、この日に初めて参拝したのは容共の三木武夫だった。その後、中曽根康弘が公式参拝のパフォーマンス。総裁選に出馬した小泉純一郎が8月15日の靖國参拝を利用した。安倍晋三など何れも国賊ばかりなり。

 過去には、総理大臣は春秋の例大祭に参拝するのが恒例だった。三木の前の首相である田中角栄も大平正芳も8月15日ではなく春秋の例大祭に参拝している。

 昭和60年に中曽根康弘が公式参拝のパフォーマンスを謀るも中共との外交問題から直ぐに撤回。未だに続く「公人か私人か」の論争は、三木の8月15日の参拝がきっかけだった。三木の後に福田赳夫がマヌケにも「私的参拝だ」と応えた。

 三木、中曽根の参拝以降、靖國神社が外交問題に発展し政治利用される様になって行く。小泉純一郎は「如何なる批判があろうとも8月15日に靖國神社へ参拝する」と保守陣営を喜ばせるも、靖國の政治利用は混乱を招いただけのものだった。

 こうした経緯で始まった8月15日の参拝に違和感を覚えず「我こそは愛国者なるぞ!」と靖國に集まって来る連中を見るとホント情けなく滑稽にしか見えない。

 我が国がポツダム宣言による降伏文書に調印した日は9月2日であり、連合国はその翌日3日を「対日戦勝記念日」としている。戦争状態が終結したのは昭和27年4月28日であるなら、真の終戦記念日は主権快復した4月28日となるのである。

 況してやソ連軍の北方領土での鬼畜の如き蛮行や占守島の戦いは8月15日以降に起きたことだ。右翼団体にしろ、なんちゃって保守派にしろ「終戦記念日」という呼称こそが、GHQによる戦後民主主義教育の象徴であることに気付くべきだ。

 8月15日は戦陣に斃れた英霊の日であるならば、英霊の遺族が心静かに詣でる環境を整え、そして陛下の御親拝を仰ぎ奉ることこそ心から願うべきである。

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2021年08月13日

8月15日のデモや集会を規制し静謐な環境を整えるべし!

「国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域の静穏の保持に関する法律(静穏保持法)」は、所謂「皇民党事件」を機に昭和63年12月8日に施行された。

 この法律は「国会議事堂周辺や外国公館周辺の静穏を保持する」との目的となっているが、規制範囲は国会議事堂から3キロ圏内と中途半端な範囲で、要は目白の田中角栄邸を右翼の街宣行動から護る目的で作られたものというのが正しい。

 当時、中曽根康弘の次期総裁の指名を巡り、安倍晋太郎と宮澤喜一と争っていた竹下登が、香川県に本部の在る右翼団体「日本皇民党」から、「日本一金儲けの上手い竹下さんを総理にしましょう!」との、所謂「ほめ殺し」の街宣をされる。

 皇民党が竹下を攻撃した理由は、竹下が田中角栄に叛旗を翻す形で竹下派「経世会」を旗揚げしたことに「裏切り」と「義憤」を感じたというのが理由だった。

 右翼の街宣活動の攻撃対象となった竹下は、あらゆるコネを使って攻撃を中止させ様とするも失敗。そんな経緯もあって、中曽根派や安倍派から「右翼の街宣ひとつも処理出来ない竹下は首相の器ではない」と批判が続出することとなった。

 焦った竹下派幹部の金丸信や小沢一郎らは、当時、政財界や裏社会に顔が効き破竹の勢いだった東京佐川急便社長の渡辺広康に仲介を依頼した。渡辺は仲介を買って出る。そして広域暴力団稲川会の二代目石井隆匡会長を介入させた。

 皇民党側は和解の条件として「竹下が田中邸に直接謝罪に行くこと」を要求したという。その数日後、竹下は小沢一郎と共に田中邸へ訪問するも、田中真紀子に門前払いされた。しかし、このことを境に「ほめ殺し」の街宣は止んだ。

 この事件を受けて制定されたのが「静穏保持法」だった。その後、この法律は右翼団体の街宣に対しては効果的だったが、国会周辺や外国公館周辺の「静穏保持」という本来の目的としては機能していないというのが現実である。

 8月15日の所謂「終戦記念日」には、名うての売国集団「反天連」や左翼団体が反戦集会を開く。畏れ多くも陛下や英霊を冒涜し、何が反戦か、何が言論の自由か。

「集会の自由」にしても「言論」や「表現」「結社の自由」にしても、今や最高法規の日本国憲法より、条例や刑法が優先される。現憲法の都合の好い部分だけを我田引水的に都合好く解釈し、権利ばかりを主張するとは勘違いも甚だしい。

 九段に在る靖國神社は国会から2キロほどしか離れておらず「静穏保持法」の対象地域である。警察は「静穏保持法」に則り、左翼勢力や右翼団体からの集会やデモの申請は全て却下するべきで、これ以上の不敬と冒涜を許してはならない。

 靖國神社に対し、諸外国からあれやこれやと言われる筋合いはない。だが、8月15日は靖國に眠る英霊の顕彰や平和を祈念する趣旨ではなく政争の道具になってしまっており、鎮魂や慰霊といった趣旨からも遠ざかってしまっているのが現状だ。

 大韓民国では8月15日は「光復節」でもあり、独立記念日だという。北朝鮮も同様に「祖国解放記念日」である。両国が建国したのは実際には戦後から3年後だが、要は「こんなメデタイ日に靖國に参拝するとは怪しからん」という話なだけ。

 戦争もしていない中共に至っては単なるイチャモンの類でしかない。無神論の共産主義者なら、「魂?、英霊?」ってナニ?ってな感じで、横っ腹で笑い飛ばすのが普通だろうが、靖國を問題にするのは対日外交を優位に進めたいだけ。

 弱腰軟弱外交著しい我が国政府も中韓の内政干渉に呼応し「終戦記念日には参拝しない」だとか、或いは、最近の保守ブームに便乗した似非保守が「終戦記念日に靖國に参拝しないとは何事か」などと応じるから靖國神社問題がややこしくなる。

 靖國神社にしても果たして国民が「靖國」とはどういうものなのか理解しているのかといえば甚だ疑問で、昨今の靖國は戦争ミュージアムに成り下がった。一般の戦没者の遺族などから見れば、靖國参拝に固執すればするほど違和感を覚えるだろう。

 今、政治が成すべきことは、中韓と同じ次元での対応ではなく、国民に「靖國」の成り立ちを教え、今後の顕彰の在り方を議論して行くことこそ大事である。

 それにはやはり、戦争の悲惨さばかりを教える戦後民主教育という誤魔化しを改めない限り、中韓どころか、日本人同士の諍いが止むことはないだろう。教育こそ国の大本であり、何事にも優先して教育の充実を図らねばならない。

 保守派や自称・愛国者や右翼団体らが8月15日に参集するが、これ正に中曽根から続く靖國神社冒涜運動の継承と断じて好かろう。本日13日は旧盆の盆入り(迎え火)。先祖を迎え、また先人の営為に思いを馳せてみては如何でしょう。

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2021年08月12日

在日に武士道精神や日本精神を理解させるのは至難の業である

 行動右翼・街宣右翼のパイオニアを自任する防共挺身隊の四代目の総隊長に就くも、前任者との主張の違いから団体を辞してから10年以上素浪人を通している。

 地方で蟄居しながらも右翼浪人としての矜持を忘れず、また後進らの活動は常に気に掛けて来たが贔屓目に見ても右翼団体の活動自体が停滞している感は否めない。

 活動停滞の原因は活動資金不足と指導者不足だろうが、右翼とはどうあるべきかという自問自答もなく、日々の生活に困窮する余りに目先の安定を優先する。

 今や、反共は言うに及ばず反資本主義であるべき右翼団体の殆どが、資本主義(金儲け)の象徴でもある暴力団の傘下団体となり、活動よりもシノギのことばかり。こうしたことが停滞招いた最大要因だと断じても過言ではなかろう。

 愚生が防共挺身隊に入った昭和50年代頃の右翼の事務所というと独特の趣が在った。壁には日の丸、部屋中にビラが貼ってあり、幼稚な考えながらも同志らと本気で議論し合い、酒が入れば悲歌慷慨し、間違いなく青春がそこにはあった。

 だが、いつからだろう、政治問題が起きても口角泡を飛ばす議論をすることがなくなり、話といえばシノギや車や女や、くだらない話ばかりになってしまった。

 話は変わるが、山口組三代目の田岡一雄も四代目の竹中正久も在日外国人は「若頭」や「若頭補佐」などの幹部には登用しなかった。朝鮮人に日本古来の武士道精神や日本精神を理解させるのは到底無理だと分かってたからだという。

 何故なら、朝鮮人に日本古来の武士道精神や古事記に登場する須佐之男命を理解させるのは至難の業だからだ。況してや天皇陛下を敬うと云うのは論外であり、仁侠道と雖も「(朝鮮)民族の団結」の前には軽く一蹴されてしまう。

 田岡、竹中という昔気質のヤクザが消え、平成に入るとバブルなども在って朝鮮人ヤクザが幅を利かせる様になって行く。ヤクザが暴力団と化し、街宣右翼も「朝鮮右翼」と揶揄される様になるのもこういうことと無関係ではないだろう。

 愚生はもう右翼団体員ではないし、現代の右翼に対する風評や雑言など気にする必要もないのだが、どうしても「街宣右翼は朝鮮右翼」などという妄言を目にする毎に、メラメラと元防挺最高幹部としての怒りが込み上げてしまう(笑)

 ネットでの自称愛国者やネット右翼らのそうした妄言をアップした輩に意見しているが、偽情報に洗脳された連中は反論や意見には耳を貸そうともしない。

 ユーチューブなどでタレントの鳥肌実までもが街宣右翼と認定されてるのは嗤えるが、悪意的に編集された画像を鵜呑みにし、既成右翼を「朝鮮右翼」などと批判しているのは左翼陣営ではなく、ネット右翼や自称・愛国者に多い様だ。

 彼らは「街宣右翼とは違う、我こそが本物の愛国者だ」と勘違いしている。幼稚な愛国心に悪意は無いのだろうが、所詮は右翼というより愛国ゴッコでしかない。

 右翼が「国家社会主義」「農本主義」「純正日本主義」などの思想を基に活動したのは遠い昔の話。今はそうした思想も無く営業保守の請売りばかり、政治に対しての認識は「ネット右翼」と揶揄されている連中の方が長けているには確か。

 三島由紀夫は「戦後に右翼が左翼に取られたもの」として「ナショナリズム」「反体制」「反資本主義」の三つを指摘した。今やそれらは左翼の手中に在る。

 国家主義や民族主義という「ナショナリズム」にしても、「反体制」という反骨主義や「反資本主義」という国粋主義も、戦前の右翼はそれらを自覚し保持していた。何故ならこの三つは右翼の矜持に他ならないからだ。

 現在の右翼はそうした思想に欠落し「やれ尖閣が~」とか「やれ韓国が~」と騒ぎ立てるばかりで、それを愛国的行動であると錯覚しているのだから罪がない。

「日本は滅びる」とか「日本が危ない」と尖閣列島での危機を煽り、我が国が滅亡するかの様に叫ぶ営業保守らの言葉を真に受けて、その御先棒を担ぎ、前衛となってる自称・愛国者やネット右翼。そこに無知な右翼が参戦する。

 現代の既成右翼を全面的に擁護する気もないが、国旗や旭日旗を軽々しく扱い、勇ましい言葉を連呼して悦に入ってるネット右翼も自称・愛国者もまた同じレベル。

「愛国」や「護国」という崇高な理想が、また「日の丸」や「君が代」が、ややもすれば「贔屓の引き倒し」になってしまっているということを自覚すべきだと思う。

 右翼陣営も仁侠道に乏しい暴力団とは一線を画し、維新運動の原点に立ち返り、研鑽を積むと同時に、テロを担保に言論活動に邁進すべきだと思うし、暴力団もまた仁侠道という原点に立ち返らない限り、共に消え往く運命だろう。

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2021年08月10日

「被爆国の原点に返れ」というなら我が国も核武装を急ぐべし!

 原爆の日の9日、市主催の原爆犠牲者慰霊平和式典が営まれた。田上富久市長の「平和宣言」は相変わらず被害者意識丸出しのキレイゴトばかりで、来賓の菅義偉総理への批判は単なる有権者向けのパフォーマンスと自身の自己弁護でしかない。

 田上市長は、過去に「核拡散防止条約(NPT)」の共同声明に日本が賛同しなかったことを「世界の期待を裏切った」と強く批判したのは記憶に新しいが、今回は「核兵器禁止条約」に署名・批准しない日本政府を改めて批判した。

 NPTは、米ロ英仏中の5カ国を「核保有国」として、核の拡散防止を目指す為のもので1970年3月発効。日本も協定に調印し条約参加国となった。加盟国は191ヵ国。非締約国はインド、パキスタン、イスラエル、南スーダン、北朝鮮。

 第二次世界大戦後、国連に於いて「不戦条約」が提起され、我が国を始め欧米など多くの国が締結した。しかし、戦争放棄の国際条約を結んだことで世界から戦争が無くなったかといえば、皮肉なことに条約とは正反対の道を歩んで往った。

 理想と現実は違うのであり、何でもかんでも署名・批准さえすれば好いというものでもない。我が国の周りを見ても中共や北朝鮮は核保有国ではないのか。

 田上は、「世界の誰にも被爆経験をさせないという被爆国の原点に反する」と批判し「被爆国としての原点に返ることを求める」と述べてるが単なるキレイゴト。

 過去の演説でも「核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけに任せるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにも出来ることがあります」との抽象的で幼稚な言葉に悦に入ってたが、この認識こそ戦後民主教育の賜物だろう。

 我が国は世界で唯一の戦争被爆国として余りにも原爆に敏感になり過ぎているのは事実だ。異常な核アレルギーを見る限り、米国が実行した原爆投下は、その原爆被害以上の何かを我が国に遺したと言えるのではなかろうか。

「反米」にしろ「反日」にしろ、行き着くところは米軍が統治時代に行った戦後民主教育に因る自虐史観であり、その弱体化政策は想像以上の成果を齎し続けている。

 我が国は広島、長崎への原爆投下に加え、東京電力福島第一原発事故が起きたことで「核武装」など夢のまた夢。核武装の議論すら出来ないのは困ったものだ。

 中国共産党が核を保持し、北朝鮮が核兵器を保有した可能性は否定出来ない中で、被爆国として我が国こそが核武装を真剣に考えなければならないのだ。

 人民の貧困など歯牙にもかけず北朝鮮が核武装を急ぐのは、核兵器が外交交渉をする上での最高・最大の武器であり、周辺諸国に睨みを利かせることが出来るとの認識からだが、北朝鮮の核武装の認識は強ち間違ってはいない。

 日本が外交に弱いのは自国の防衛を米国に委ねているからに他ならない。被爆国として原爆を有する資格があるとすれば、世界で我が国だけであろう。

 本来ならば日米安保を解消し、自主防衛の確立を急ぎ、そして核武装こそがアジア諸国の平和・安定に貢献出来るものであろう。現実的に核武装が無理というならば、NATO諸国の様に米国の核を使える新たな防衛構想を急ぐべきなのだ。

 田上の挨拶で気になったのは「市民」という言葉の多さだ。国家や国民という言葉を「悪」と捉え、国民ではなく「市民」という言葉を使う手法は正に左翼の論法であり、その幼稚な戦後民主主義的主張は聴いていて厭きれるばかり。

 田上は「市民」に留まらず、「核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキを開催し、市民の力で核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します」と発信したのを思い出す。

 この「地球市民」という言葉だが、この言葉をうっかり世界で使ったら大変なことになる。祖国を追い遣られ、厳しい弾圧に耐え、命からがら他国へ亡命するなど想像を絶する苦渋の生活を強いられてる人々が存在しているからだ。

 世界の知識人にとって「地球市民」とは「世界の人々」ではなく、「武器商人」や「金融マフィア」のことを指す。彼らは、世界各地で紛争や自然災害が起これば、目を輝かせて算盤を弾き、国境を越えて活躍する文字通りの「地球市民」である。

 我が国の核武装が困難になることで何処の国が喜ぶかは言わずもがな。「核廃絶」を合言葉に、多くの地球市民が国内に集まることは狂気の沙汰と言う他ない。

 田上は、「私達は平和都市として復興を遂げました。福島の皆さん、希望を失わないで」と福島との連帯を強調した。「放射能の怖さを一番知る被爆地としてのメッセージ」だという。ノーモア・フクシマとでも言いたげだが、余計な御世話だ。

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2021年08月09日

悲憤慟哭「日本民族痛恨の日」である8月9日を決して忘れるな!

 米国は、6日の広島に続き9日にも原爆投下を実行する。投下予定地は九州小倉だった。だが、小倉の天気が悪く長崎への変更を余儀なくされる。実験データ収集の為には荒天では撮影も儘ならない為に小倉から急遽、長崎に変更した。

 天皇存続が明記されていないポツダム宣言受諾に難色を示す我が国に対して「戦争を終わらせる」のが目的ならば広島だけで十分だったろうが、米国はどうしても二発目の原爆を落とさなければならなかった理由があったのだ。

 広島と長崎に落とした原爆は種類が違うもので、広島はウラン型で、長崎はプルトニウム型。所謂「マンハッタン計画」で莫大な研究費を注ぎ込んだ米国は、議会でその原爆の成果を証明する必要と義務があった。

 原爆投下後、米軍が広島と長崎で執った「放射能治療方法交流禁止」や「被爆者カルテ没収」などの目に余る日本人への人権蹂躪行為は、正しく人体実験、否、動物実験としての原爆投下だったと言っても過言ではない。

 エノラゲイから投下されるその経緯の一部始終撮影し、実験データを収集していることでもその人体実験のデータ収集が目的だったのは明らか。

 日本を占領したGHQは、人体実験の為に原爆を投下した米国に対して、憎悪の感情を持たせない為に米国は日本人に戦後民主主義教育を徹底した。

 更に、ハリウッド・エンターテイメントを模倣して芸能に興じる空っぽな日本人を仕立てることに成功した。「芸能王国ニッポン」が正にそうなのだ。

 第二次世界大戦後、世界の帝国主義が崩壊し、敗戦した我が国は米国の51番目の州にならずに済んだ。米国が謀った日本人矯正は見事に成功を果たし、米国の価値観の下でまやかしの平和と繁栄を謳歌している。

 親米保守の安倍を始め保守派の尊皇精神は乏しく、尊皇無き保守が国體や皇統を棄損し続ける。左翼勢力もまた米国製の憲法を有難がり、戦後民主主義教育が「反米」の論拠となっているという御粗末さにも気付かない(苦笑)

 長崎に原爆が投下される8月9日未明、旧ソ連は日ソ不可侵中立条約を一方的に破棄しソ満国境を越え、南樺太に攻め入り鬼畜の如き所業を繰り返した。

 この旧ソ連の蛮行に対し、マスコミや自称・平和団体らは抗議の声を上げたことすらない。「原水爆禁止世界大会」を主宰する「原水協」や「原水禁」らは米国の原爆投下は執拗に糾弾するが、旧ソ連の蛮行には拱手傍観を極め込む。

 要は似非・平和団体であり「平和」を口にする資格もない。連中は、原爆を投下したのが米国だから、執拗にこの古傷を暴き、反米感情を煽って日米離間を謀り、党勢拡大に「平和」を利用し革命謀略に奔走しているに過ぎない。  

 旧ソ連の蛮行で亡くなった日本人同胞は、広島・長崎で亡くなった方々を遥かに超え、またシベリヤに抑留され極寒の地で亡くなった方も数え切れない。

 シベリアに抑留された日本人は我が国では約60万人と言われているが、これは軍属だけの数字であり、民間人を含めると更に多い。ロシアの資料に拠れば約70万人となっており、米国の資料では約90万人とも言われている。

 悲しい哉、未だに我が国政府は、こうした旧ソ連=現ロシアの犯した問題を世界の国々に提起もせず、真相を明らかにしようともしないのは不思議でならない。

 我が国固有の領土である北方領土はこうした経緯の下で強奪されたもので、旧ロシアの蛮行は国際法規違反であり人権蹂躙。現ロシアの北方領土の主権を「第二次大戦の結果」という言い分も国際法規のカイロ宣言違反である。

 ソ連の残虐非道、鬼畜の行為は8月15日後も収まることはなく、樺太では約5700名の軍人や民間人が犠牲となった。 20日には、樺太真岡郵便局員の9名が職務を全うし、従容として青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。

 南樺太でのソ連兵による鬼畜の如き残虐行為の一部が、外務省の外交文書に生々しく書かれている。その一部を摘記する。 8月15日の終戦とは名ばかり。

「ソ連兵は30年来の怨みを晴らすはこの時なりとし邦人の所持品は一物をも残さず略奪し婦女子に対しては時所を弁えず暴行を加えるの暴挙に出て・・・」

「ソ連進駐と共に市街の様は一変しソ連兵市内を横行し略奪を縦にして9月1日女32名を監禁し若き娘は毎日14,5名、年配の婦人は毎日10名交代に暴行を加えその結果6名は死亡し然らざる者も負傷の為歩行の自由を失うに至る・・・」

 千島列島最北端の「占守島」では、同月18日の早暁午前1時頃、占守島の日本軍に対しソ連軍が奇襲上陸。 終戦の詔勅が発布されたことにより武装解除準備を始めていた守備隊は武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。

 この戦いは日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及び、日本軍の圧倒的勝利の中で、無条件降伏を受け入れ8月21日に戦闘が終結。

 日本軍が武装解除を終えたのは3日後の24日だった。だが、この武装解除が徒となり、占守島の兵士のみならず中千島や南千島に駐留していた兵士と民間人までもがシベリアに強制連行されることとなった。抑留での悲劇は想像を絶する。

 旧ソ連の鬼畜の蛮行と長崎への原爆投下、正に8月9日は悲憤慟哭民族痛恨の日であり、現代を生きる我々は決してこの日を忘れてはならない! 合掌。

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2021年08月07日

国家は自存の為に国益を主張し、国益は往々にして対立することを免れない!

 終戦記念日が近付くと歴史の検証をする特集などが組まれる。歴史の検証をする上で、我が国の罪を論うことは大事だが、国際法違反の広島・長崎への原爆投下や日本の各都市への無差別絨毯爆撃の罪を糾弾することもまた忘れてはならない。

 米英ロ三国は国際法上無効であるヤルタ協定を優先し、ロシアは協定に沿って我が国と締結していた国際法規である「日ソ中立条約」を一方的に破棄して参戦し、北方の地で鬼畜の如く振舞ったソ連の蛮行も決して忘れてはならない。

「中国とは一衣帯水・同文同種」だと宣う親中派は、「靖國神社への参拝は中韓を刺激するから、外交的にマイナスだ」と日本政府の譲歩は大人の対応だと嘯く。

 だが、中共は軍事力を増強し続け、海洋調査船が我が国の排他的経済水域に於いて不当な活動を繰り返し、加えて尖閣諸島の領有権を主張し威圧行為をしている。

 韓国も同じく、島根県竹島を不法占拠し続け実効支配の事実を重ね、東京オリンピックへの嫌がらせなのだろう、竹島の映像をネット配信するという。竹島は我が国固有の領土であり、韓国の領土主権の理由は実に御粗末なものでしかない。

 今日只今、中共・韓国は我が国に対して善隣友好とは名ばかりの敵対行為を採っており、ロシアとの平和条約締結は夢のまた夢。北朝鮮とは我が国は拉致問題もあって経済制裁を実行中であり、つまり、戦争状態であると言っても過言ではない。

 そうした現実には目を瞑り、事勿れ主義から相手を刺激する事のみを心配する論理は、大人の対応というより、東京裁判史観に毒された自虐の思想である。

 凡そ国家が存在するならば、他国を刺激しないなどというこは在り得ず、国家は自存の為に国益を主張し、国益は往々にして対立することを免れない。

 然らば、近隣諸国に慮って靖國参拝を中止したり、他国を刺激しないという理由は、自国の国益を放棄することに他ならず、近隣諸国を刺激しないという戦後の我が国の国是は誤りであるということを認めることから始めるべきだ。

 皮肉なことに、過去に於いて被害者であったと声高に主張する韓国が、現代では我が国の主権を侵し続けているが、被害を口にする資格があるとも思えない。

 百歩も千歩も譲って、我が国が過去のある時代に彼らの言う通り悪逆非道の犯罪者であったらどうだというのか。それでも我等は生きて行かねばならぬのだ。

 日本人同胞を拉致され乍ら涼しい顔をしている訳にはいかないし、先祖伝来の領土を略奪され、主権を侵害されて拱手傍観している訳には参らないのだ。

 大切なのは古今東西、世界に蔓延る覇権主義の克服を主張することであって、他国の覇権主義には目を瞑り、一方的に自虐の淵に留めなく漬かり込むことではない。

 極東国際軍事裁判 (東京裁判)のインド代表判事であった ラダ・ビノード・パール判事は判決書(反対意見書)の最後を次の様に結んでいる。

「時が、熱狂と偏見を和らげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には、そのときこそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するであろう」

 我が国に対する偏見が消え去った今こそ、東京裁判の不当性を検証すると共に戦後のあらゆる不条理を払拭しなければならない。目覚めよ、日本人!

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2021年08月06日

心の呵責無しに核兵器を有する資格があるのは世界で唯一の戦争被爆国である我が国だけである

 米爆撃機B29エノラ・ゲイが広島に原爆を投下してから76回目の「原爆の日」を迎える。被爆地である広島の原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」という意味不明の正に自虐史観の象徴の様な碑が建っている。

「過ち」とは何を指すのか。一般人(非戦闘員)の大量殺戮という原爆投下という国際法で断じられるべき過ちを犯したのは米国であり、非難されるべきは米国である。

 戦争そのものは国際法上認められた行為であるが、我が国は負けてしまったから「戦争=悪」という価値観になってしまってるだけで、そういう意味では「一旦始めた戦争は負けることがあってはならない」という重要な教訓を遺したと言える。

 8月6日午前8時15分、米軍は広島市に核兵器「リトルボーイ」を投下し、一瞬にして14万人以上の無辜の民を虐殺。この犯罪行為が何故に正当化されるのか。

 米国は広島に厭き足らず、3日後の午前11時02分、長崎県大村に「ファットマン」を投下し、我が国政府は終にポツダム宣言の受諾を決定するに至った。

 広島、長崎への原爆投下を受け、日本政府は14日、終にポツダム宣言の受諾を決定した。この結果を以て「原爆投下が戦争の終結を早めた」という人がいるが、事実はそう簡単なものではなかった。原爆戦争終結論は米軍のプロパガンダである。

 元駐日大使だったグルー国務長官代理が中心になって作成されたポツダム宣言の原案には、「天皇制存続の保障」が盛り込まれていたのは確認されている。

 米国側は、日本政府が和平を模索していることを知っていたので、天皇制存続を保障する案なら受け容れる可能性が極めて高いと考えていた。

 ところが、反日的なスチムソン陸軍長官やバーンズ国務長官らは元国務長官ハルの助言で、この「天皇制存続」の項目をポツダム会議の直前で削除してしまう。

 即ち「天皇制存続」の項目が明記されていないポツダム宣言は、我が国にとっては極めて受け容れ難い内容になっていたのである。因みに「天皇制」とは共産党用語である。我が国の天皇は天皇であって「制度」ではない。

 そうした日本側の心情をよく認識していたトルーマン大統領は、ポツダム宣言発表前日(7月25日)の日記に、摩訶不思議なことに「この兵器(原爆)は今から8月10日迄の間に使用されることになる」と記している。

 この日記こそが、米国側が「日本政府がポツダム宣言を黙殺したから原爆が投下された」という反論が真っ赤な嘘であることを明瞭に証明していることが分かる。

 米国が原爆投下を決定したのは1943(昭和18)年5月のことで、原爆搭載機を対日戦用のB29爆撃機を選んだ。翌年9月、米英間の秘密覚書「ハイド・パーク協定」にも「原爆は日本に対して使用されるであろう」と明記された。

 こんな不可思議な決定は、人種偏見、日本人蔑視以外に合理的根拠は見つからない。つまり、原爆投下は日本人への根強い人種差別と偏見が基となっている。

 更に、その後の米軍の広島長崎で執った「放射能治療方法交流禁止」「被爆者カルテ没収」など、目に余る人権蹂躪行為を見ると「人体実験」というより、日本人を「動物実験」として扱った原爆投下だったのではとすら思えて来る。

 トルーマン大統領の日記には「ジャップどもは野蛮人で、冷酷、無慈悲且つ狂信的な連中だ」と記されている。このことをしても、米国内に人種差別というより日本人への差別や蔑視、偏見や憎悪が横溢してたのは明らかだろう。

 左翼勢力も右翼陣営も「反米」は大いに結構なことだが、米国製の憲法を有り難がり、米国製の「労働三法」に守られながら何が「反米」か、何が「反基地」か。

 左翼陣営や似非平和屋、労働組合どもが口にする「反米」は、GHQの謀った戦後民主主義教育の弊害であり、その実は「親米」を根にするものであることを知れ。親米でありながら「反基地」を訴えてはいるが「護憲」では矛盾する。

 反基地なら憲法改正を訴えるのが当然なのに、左翼どもは「反米」は叫べども「自主防衛」は語らず。原爆投下した米国の「核の傘」に甘んじた中でやってる活動は党勢拡大を謀る選挙運動であり、中国共産党の御先棒を担ぐ売国運動である。

 国家の大本を米国に依存しているこの戦後の歪な体制をいつまで続けるつもりなのか。「平和」も「安全」も日本人自らが創り出さねばならず、真に米国依存からの脱却を目指すには何を成せばいいのか今こそ真剣に考えなくてはならない。

 左翼どもが広島・長崎での原爆投下を煽り、原発事故を受けて「復興」と「平和」で国民を誑かし「反原発」や「脱原発」という感情的議論に因って「核武装」という国防上最重要ともいえる問題はタブー視されてしまっている。

 だが、心の呵責無しに核兵器を有する資格があるのは、世界で唯一の戦争被爆国である我が国だけであるのは言うに及ばず。戦争被爆国である我が国が核を保有した上で、核の脅威と核廃絶を訴えることに大きな意味を持つのだ。

 まやかしではない真の「平和」を創造する為にも、北朝鮮を始め核保有国が核の放棄を約束しない限り、我が国も限定的核武装を検討するべきであろう。擱筆するに当たり、原爆投下で犠牲になられた方々に対し衷心より哀悼の意を表します。合掌。

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2021年08月05日

何となくミリタリズム、何となく反共という感じでやっている

 右翼のカリスマ・故野村秋介は嘗て右翼の実態をこう語った。

「娑婆は右傾化とやらで、猫も杓子もというかバカもチョンも、右翼に紛れこむ情況であるらしい。しかし大部分の連中は、右翼とは何かという根本命題を真摯に学ぶことをせず、何となくミリタリズム、何となく反共という感じでやっている。理論と実践の容を整えなくては、運動はやがて破産する運命でしょう」

 この予見は見事に当たり、右翼運動は風前の灯火。今時の右翼というのは実に聞き分けがよく、違う意見でも議論を交わすことなく易易と受け入れる。

 度量が大きいと言えばそれまでだが、単なる勉強不足の感は否めない。様々な意見を出し合うのは好いことだが、それを纏めなければ行動するにも纏まりが付かない。やはりトップ、上に立つ者がそれを纏め揚げて結論を出すことが大事である。

 愚生の場合、意見を異にする輩とは徹底して反抗を試みる。その上で相手はどういう反論や行動を採るのかに興味があり、反論された時に相手の本性が見えたりする。

 そうした対応をすることで相手の度量や知識などが確認出来たりもする。自分よりも格の上の偉い人になればなるほどその人の器の小ささに嗤えることもある。

 右翼が諍いを気にして何になるというのだ。後先考えずに行動する蛮勇が無くて何が右翼か。何が維新者か。右翼とはやはり削げ者で在らねばならないのだ。

 右翼とは、小粒でも山椒の様にピリリと辛い、此奴は何をするか分からない、そうした相手構わず見境の無い闘争心を忘れてはならないと思っている。

 何故なら一般人から見て右翼に求めらるものは、圧倒的迫力というか蛮勇ある行動力であるからだ。そんな右翼への期待を裏切ってはならない(笑)

 こうした意見をすると「右翼が右翼の仲間を批判するとは怪しからん」などと言われたりもするが、批判ではなく苦言だ。普段、聞き分けの好い右翼が、何故か愚生には反抗的な対応。でも、愚生に直接苦言や講義をしてくる奴はいない。

「常に直諫なくば」と教えたのは吉田松陰だが、日頃、上司や友人に対し何も言えない者は、いざという時には使い物にはならないのが多いし、友人や知人、また門下生としても資格も無く、右翼としての資質にも欠けると思っている。

 そんな魅力のない現代の右翼団体に変わり出現したのが「主権回復を目指す会」」や「行動する保守運動」「在日特権を許さない市民の会」などの行動体であり、市井の自称・愛国者や保守派らはそうした新しい保守活動に期待し参画した。

 昨今の右翼は「国防」の意味を理解することなく、唯単に領土の防衛こそが国防であり大事であると尖閣問題を煽り、憲法九条改正を声高に叫んでいるが。九条が大事だと思ってること自体、アノ「九条の会」と大して変わらない。

 仲間内で勇ましいことを言い合って盛り上がってる姿は見ていて痛々しい。野村秋介ではないが、何となく愛国(ミリタリズム)、何となく反中・反韓(反共)という感じでやっている保守運動は、やがて見限られるのではなかろうか。

「このままでは尖閣は奪われる」「日本は滅びる!」「日本が危ない!」と徒に危機を煽り、日本が滅亡するかの様に叫ぶ自称保守、営業右翼がいる。

 だが、愚生はそうは思わない。自衛軍備の確立からすれば未だ未だ足らないものはあるし、自民党粛正は大事なことだが、「天壌無窮の神勅」を疑い、国民の不安を煽って何になるのか。それが保守運動だと思っているとたら罪が無い。

 神国日本の不滅を確信せずに何が保守か、何が愛国者か。正統の保守ならば神州不滅を信じ、神武肇国の精神の高揚と国家国民の繁栄を目指し啓蒙することこそ大事。

 我が国は、天照大神の「天壌無窮の神勅」に従って存在し、現在に至り、そして未来へ続いて行くのだ。右翼に限らず我が国の政治家や保守派、特に売文を生業にしてる営業保守に乏しいのはそういう古の教えであり覚悟である。

「この神勅ある限り日本は永遠なり。日本の将来を悲観することは神勅を疑うという罪を犯すものである」とは吉田松陰の至言である。愛国者や維新者を自任するならば、いつかあるだろう一旦緩急に備え、己自身を鍛え磨き上げよ!

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2021年08月04日

今こそ東京裁判の不当性を検証しなくてはならない

 大東亜戦争(太平洋戦争)という歴史の検証をする際には、我が国の罪を論うことは大事ではあるが、同時に国際法違反である米軍の広島・長崎への原爆投下、日本の各都市への無差別絨毯爆撃の罪を糾弾することを忘れてはならない。

 また、ヤルタ密約の是非や国際法規であった「日ソ中立条約」を一方的に破棄して参戦し、鬼畜の如く振舞った旧ソ連の蛮行も然り。ロシアは火事場泥棒を「対日戦勝記念日」として祝勝するというが、断固抗議し謝罪要求すべきである。

 情けないことに「靖國神社参拝」は中韓を刺激するから、外交的にマイナスだという声がある。しかし、中共は軍事力を増強し続け、我が国の排他的経済水域に於いて不当な活動を繰り返し、加えて尖閣諸島の領有権を主張している。

 韓国もロシアの北方領土と同じく、島根県竹島を不法占拠し続け、更には我が国北方領土海域に於ける漁業権確保をロシアとの間で契約している。つまり、韓国ロシア両国は我が国に敵対行為を採っているということを看過してはならない。

 そうした現実には目を瞑り、相手を刺激することのみを心配する論理というのは、正に東京裁判史観に毒された戦後民主主義的自虐の思想である。 凡そ国家が存在するならば、他国を刺激しないなどという外交や政治が有るだろうか。

 国家は自存の為に国益を主張し、国益は往々にして対立することを免れないのである。然らば、他国を刺激しないという理由は、自国の国益を放棄することに他ならないのである。近隣諸国を刺激しないという戦後日本の国是は誤りである。

 皮肉なことに、過去に於いて被害者であったと声高に主張する国が、現代では日本の主権を侵し続けている。連中に被害を口にする資格はない。

 百歩も千歩も譲って、東京裁判がでっち上げた様に、我が国が過去のある時代に悪逆非道の犯罪者であったらどうだというのか。それでも我等は生きて行かねばならぬ。日本人同胞を拉致され涼しい顔をしている訳にはいかない。

 領土を略奪され、主権を侵害されて黙っている訳には参らないのだ。大切なのは古今東西、世界に蔓延る覇権主義の克服を主張する事であって、他国の覇権主義に目を瞑り、一方的に自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではないのである。
 
 判事全員一致の有罪判決を目指す動きに反対し、「平和に対する罪」と「人道に対する罪」は戦勝国により作られた事後法であり「事後法を以て裁くことは国際法に反する」などの理由で被告人全員の無罪を主張した「意見書」(パール判決書)で知られるラダ・ビノード・パール判事は、東京裁判の無罪判決の最後をこう結んでいる。

『時が、熱狂と偏見を和らげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には、そのときこそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するであろう』

 未だに我が国では「戦犯」との汚名が普通に使われてるが、民族の精神性の幼稚さの表れである。今こそ、東京裁判の不条理と不当性を検証しなくてはならない。

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2021年08月03日

君たち日本人はアメリカにこれほど残虐な目に遭わされて腹が立たないのか!?(チェ・ゲバラ)

 昭和34(1959年)年7月15日、通商使節団を引き連れて訪日したキューバのエルネスト・チェ・ゲバラはトヨタ自動車や、三菱重工業などの他、経済団体と会談。大阪で宿泊した同月25日、ゲバラは予定を変更し広島視察を強行した。

 平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑に献花し、原爆資料館を訪れたゲバラは「君たち日本人は、アメリカにこれほど残虐な目に遭わされて腹が立たないのか!?」「なぜ日本人はアメリカに対して原爆投下の責任を問わないのか」と語った。

 所謂「南京大虐殺」や「従軍慰安婦問題」の問題は、中共や韓国というより背後にいる米国が唆していると言っても過言ではない。 南京大虐殺」は、東京大空襲や広島・長崎への原爆投下を敢行した米国の論理の摩り替えの最たるものだ。

 原爆投下という非人道的行為に反論しないことを好いことに「日本も30万人も大量虐殺をしていたぞ」と言いたいが為にでっち上げたものである。

 米国という国は何事も自分の利益だけを考える国であり、今日の夕刻までは友人であっても明日の朝にはもう敵となっても不条理とも不道徳とも思わぬ国である。

 米国が友人であるという事は、それが米国の為に有利であるからであり、そのほかの如何なる理由も大義名分も付けたりに過ぎない。

 一旦その利益が失われたならば、何ら躊躇することなく180度転換して敵側に立つことを少しも不思議とも不義理とも思わぬ国に決して心を許すことは出来ない。

 親米保守派は「反中国」や「反韓国」を口にし然も国益を守るポーズを執るが、実は米国の国益を最優先し、我が国の国益を毀損していることが少なくない。

 米国御得意の「論理の摩り替え」は「捕鯨問題」でも実証済みだ。ベトナム戦争で使用した枯葉剤「エージェント・オレンジ」が、環境に及ぼす影響が国連人間環境会議で討議されることとなると、突如として日本の捕鯨を国際会議に持ち出した。

 キッシンジャー国務長官(当時)等が、国益を守る為に「グリンピース」などの環境保護団体を利用し、捕鯨問題をこの会議に持ち出したというのが真相だ。

 その後、グリーンピースより過激な「シーシェパード」などの環境保護団体が増殖し、日本人蔑視の理不尽な行為が続いている。 無理無体、理不尽な事を平気でやる米国との同盟強化は万一に備え慎重且つ警戒を疎かにしてはいけない。

 原爆投下を実行したトルーマン大統領の日記には「ジャップどもは野蛮人で冷酷、無慈悲且つ狂信的な連中だ」と綴り、ポツダム宣言発表前日には「この兵器(原爆)は、今から8月10日迄の間に使用されることになる」とも記している。

「日本政府がポツダム宣言を黙殺したから原爆が投下された」などと言うのは真っ赤な嘘であることは、このトルーマンの日記が明瞭に示している。

 元々原爆を日本に投下することになった背景には人種偏見が根強く在ったからに他ならない。米国が原爆投下を決定したのは1643(昭和18)年5月のこと。大東亜戦争で米国が反撃に転じ始めた頃で、原爆搭載機を対日戦用のB-29を選んだ。

 翌年9月、米英間で交わされた秘密覚書「ハイド・パーク協定」にも、「原爆は日本に対して使用されるであろう」と明記されている。こんな魔訶不可思議な決定は、人種偏見や日本人蔑視以外に合理的根拠は見つからない。

 更に、原爆投下の後の米軍の広島・長崎で執った「放射能治療方法交流禁止」や「被爆者カルテ没収」など、目に余る人権蹂躪行為を見ると、人種差別を通り越して「動物実験」としての原爆投下だったのではとすら見えて来る。

 原爆投下の責任を負わず、未だ日本人蔑視が蔓延る米国の核の傘の下で領土防衛という国家の大本を委ねてまやかしの平和を謳歌しているが、「真の平和は、自ら日本人が創り出さなくてはならない」と気付くのはいつのことだろう。

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2021年08月02日

我が国は何故に大東亜戦争を戦ったのか

 国民の多くは「戦争が終結した」「日本が負けた」というのは知ってるが、何故に我が国が第二次世界大戦に巻き込まれ、大東亜戦争に突入して行ったのか、その理由を知ることはない。否、知ろうとしないと言った方が好いだろうか。

「日本は満州事変以降、大陸への侵略を拡大し、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた」というのが、我が国政府の先の戦争に対する基本認識である。だが、残念ながらそれは公正な歴史認識とは言い難い。

「侵略戦争」だとか「無謀な戦争」と断じるのは容易いが、我が国が何故に開戦を決意し、何故に真珠湾攻撃に至ったかということが重要なのだ。

 その理由を知るには大正末期~昭和ではなく1953年のペリー来航時代まで遡って、当時の世界の情勢とアジアの近代史を学ばねば到底理解は出来まい。

 15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の波がアジアにも押し寄せアジアは次々と列強に蚕食され植民地となって行った。我が国は、西洋列強に追い着くべく、強力な中央集権国家を形成しようと明治維新の大業をたった数年で成し遂げた。

「日清戦争」や「日露戦争」も、また韓国が批判して止まない「日韓併合」もアジアや我が国にとっても避けては通れない宿命的な歴史だったのである。

 日清戦争に勝利した我が国は、続く日露戦争でも勝利を収めた。大国である清やロシアと戦った日本の名と「日本大勝利」の報は、固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させ、特に有色人種に与えた影響は強烈だった。

 日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議で我が国は「人種平等の原則」を国際連盟規約に載せることを提案する。だが、議長を務める米国大統領・ウイルソンは「有色人種に人権など必要無い」と拒絶し否決した。

 これは米国人ら白人による人種差別が横溢していたのは明らかで、日露戦争が齎した歴史的課題の本格的実現は大東亜戦争を待たなければならないのである。

 その後世界は第二次世界大戦に突入し、米国America、英国Britain、支那China、和欄Dutchから我が国へ、所謂「ABCD包囲網」が敷かれる。そして、我が国に無理難題を強いる最後通牒「ハルノート」が突き付けられることとなる。

 降伏は即ち植民地の道しかなく、我が国の生き残る道は連合国との戦争しかないとの決断し、開戦の詔勅を賜り米国に宣戦布告。真珠湾攻撃に至ったのだ。

 米国内では毎年12月7日(現地時間)を「汚名の日・リメンバー・パールハーバー」として、我が国を卑怯な国として糾弾して止まず、日本人蔑視は未だ止むことはない。だが、我が国は断じて「騙し討ち」はしていない。

 こうした汚名を着せられ続ける理由は、駐米日本大使が宣戦布告の覚書を米国側へ渡し遅れたことが原因であり、外務省の職員の職務怠慢に他ならない。

 今も糾弾して止まない「リメンバー・パールハーバー」も、日本と日本人への偏見と差別からのものであり、先の大戦を猛省すべきは我が国に非ず米国である。

 歴史を語る上で大切なのは、古今東西、世界に蔓延る覇権主義の克服を主張すべきであって、他国の覇権主義に目を瞑りながら、占領政策の洗脳の儘に一方的に自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。

 歴史は国家の一大事であり、歴史を忘却するということは国家の存在と先人の営為を冒涜してることと同じである。大東亜戦争の大義を学ばねばならない。

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2021年08月01日

「終戦記念日」という呼称こそが戦後民主主義教育の象徴である

 毎年、暑い時期になると6日の広島、9日の長崎と原爆が投下された日に焦点を合わせ、所謂「平和屋」と呼ばれる似非平和団体主催による「原水爆禁止世界大会」が開催される。東京電力福島第一原発事故以来、彼らは事故を論い「フクシマアピール」なるものを採択し、処理水の海洋放出撤回を求めて復興を妨害する。

 この原水爆禁止運動は純然たる市民の街頭での署名活動から始まった。その署名活動の輪が急速に全国に広がって行くのに目を付けた旧日本社会党と日本共産党が割り込みイデオロギーに汚染させ、終には主導権争いを演じて分裂させてしまう。それが旧社会党系の「原水禁」と、共産党系の「原水協」である。

 連中の目的は「平和」とは名ばかりで、原爆を投下したのが米国だから騒いでるだけの反米活動であり、彼らの最終目的とは言うまでもなく革命であり、国民を扇動し、我が国を混乱に巻き込み、皇統と国柄の破壊を目指すことに在る。

 その目的を達成する上で「平和」という言葉こそが最も効果的な武器であり、平和を望む国民の素直な心に訴えかけて党勢拡大に利用しているのだ。そうした策謀を見抜けずに、騙されているのは高齢な情報弱者や幼稚な平和論者ばかり。

 原爆投下による被害は確かに甚大ではあったが、原爆投下によって戦後民主主義を盲信する「反米」「反基地」の珍種が殖えてしまったのは皮肉な結果だ。

 戦後民主主義とは、自国の歴史を汚辱に塗れた過去と捉える自虐史観である。我が国はGHQのたった7年の統治で我が国の国柄が壊され、日本人の美徳が忘れ去られてしまい、米国の価値観一辺倒の全く別な国になってしまった。

 戦後民主主義教育の歪な教育で育った者は、国家から恩恵を享けながらも個人と国家を常に対立させ、恰も国家は人間を抑圧する組織と見做し、反国家反体制のポーズを採ることが進歩的で文化的だと錯覚し、幼稚な正義感を押し付ける。

 左翼陣営の原水禁大会と同様に、右翼陣営も8月15日の靖國神社参拝が恒例行事となった。近年は8月15日の靖國参拝が愛国者や保守派の踏み絵になっている。

 8月15日の参拝に意味はなく贔屓の引き倒しそのもの。況してやこの日を「終戦記念日」だと称して英霊のみに感謝の誠を捧げることに違和感を禁じ得ない。

 8月15日が「終戦記念日」と呼ばれているのは、戦後民主主義にどっぷり漬かったマスゴミの影響が大きい。正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であり、玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日である。

 終戦記念日とは「無謀な戦争が終わって好かった」という意味であり、この「終戦記念日」という呼称こそが戦後民主主義教育の象徴でもあるのだが、靖國神社に馳せ参じる右翼の面面はそれさえも気付いていない(苦笑)

 右翼陣営の多くが8月15日の内閣総理大臣の参拝を熱望し、閣僚のこの日の参拝を高く評価する。だが、総理大臣は春秋の例大祭に参拝するのが恒例だった。

 8月15日の参拝は容共・三木武夫が最初だった。その後に首相に就いた福田赳夫も大平正芳も8月15日ではなく、春秋の例大祭に参拝している。だが、中曽根康弘が8月15日に公式参拝したことで靖國参拝が政治問題化して行く。

 その後、8月15日の靖國神社参拝を利用したのが小泉純一郎。党総裁選に立候補した小泉は「如何なる批判があろうとも8月15日に靖國神社へ参拝する」との言葉は多くの国民、中でも保守陣営を喜ばせたが結果は混乱を招いただけのものだった。

 右翼陣営や保守派らが8月15日に参集するのはこうした経緯を知らないからで、8月15日の参拝こそが、中曽根から続く靖國神社冒涜運動の継承と自覚すべし。

 8月15日は終戦記念日ではない。大事な事は国民一人一人が平和を祈念する上で、夫夫が住んでる場所で戦没者を偲び、心から黙祷を捧げることである。何も、靖國神社や護国神社に出向くことが立派なことでも愛国者としての行動でもない。

 先の戦争で犠牲となられたのは、祖国を守ろうと戦陣に散り、靖國神社に祀られている英霊の方々だけではない。米軍に因る広島・長崎への原爆投下や東京大空襲を始め、沖縄や北方領土などで多くの一般国民が犠牲となっている。

 8月15日に右翼陣営や保守派、自称・愛国者らが靖國神社のみに拘れば拘るほど、そうした風潮を好戦的と捉えて違和感を持つ国民が増えることになるだろう。

 8月15日は、靖國に於いては英霊の遺族の日であり、遺族の方々が心静かに詣でる環境を整え、陛下の御親拝を仰ぎ奉ることこそ肝要であろう。陛下の御親拝こそが聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄に優るものはないのだから。

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