2021年07月

2021年07月30日

東京裁判を進める上で「通州虐殺事件」は実にやっかいな不都合な歴史だった

 国内では未だ「日中戦争は日本の侵略戦争だ」との自虐史観が蔓延しているが、日中戦争(日支事変、日華事変、支那事変)は、毛沢東率いる中国共産党の挑発行為によって勃発したものだということは今や歴史的にも証明されている。

「日中戦争」勃発前の支那の新聞の大勢は、「日本をやっつけるべし」という「対日主戦論」が幅を利かせていて、過激な知識人・学生・都市市民、中国共産党、地方軍閥の3グループが主戦論だった。 共産党と軍閥は知識人などに主導された過激世論を味方として、蒋介石政権に対しての立場を有利にしようと狙っていた。

 特に中国共産党は「反日」を最大の政治的武器として使っていた。 現在の「反日」も見方を変えれば中国共産党の危機感の表れと見えなくもない。

 昭和6年(1931年)11月に江西省の瑞金に成立した中華ソビエト共和国は、毛沢東の名により我が国に対して「宣戦布告」を発している。

 この様に何時、何処で我が国への攻撃が起っても不思議ではない状況の下、昭和12年(1947年)7月7日、盧溝橋で日本軍と中国国民革命軍第二十九軍との衝突事件が起った。 この後には「通州」で、支那人による日本人虐殺事件が起こっている。

 この日本人虐殺事件こそが歴史から消された「通州事件(通州虐殺事件)」である。 所謂「南京大虐殺」は知っているが、通州事件について知る国民は少ない。

 通州での残虐行為は全く語られることはなく、学校の教科書にも歴史書や年表にも載ってはいない。通州虐殺事件は東京裁判に不都合ということで不問にされた。

 東京裁判で、日本側弁護団は、この「通州事件」について外務省の公式声明を証拠として提出を図るが、ウェッブ裁判長はその申し出を安安と却下した。

 この通州での日本人虐殺事件を東京裁判で取り上げることは、日中戦争(支那事変)での連合国の「日本悪玉論」の論拠を失うばかりか、東京裁判を進める上でも実にやっかいな不都合な事件だったということは言わずとも分かるだろう。

 この通州虐殺事件を知らずして、この後に起きる盧溝橋事件は語れない。通州虐殺事件は日本人にとって決して忘れてはならない歴史の真実なのである。

 虐殺事件は昭和12(1937)年7月29日に起きた。北京から東に18キロほど下った通州という街は、明朝時代に城壁が築かれ、天津からの集荷の拠点として栄えた運河の街だ。 通州は当時、日本軍が駐屯しており治安も安定していた。

 規律正しく公正な日本軍は、当時の支那の何処の街でも庶民から歓迎されていたことは当時の写真などでも知るところ。ところが、治安の良いはずのその通州で、昭和11年頃から不穏な空気が漂い始める。最初に騒ぎ始めたのが朝鮮人らだった。

 通州に於いても同じだが、これに朝鮮人らは「日本は悪い国だ、朝鮮を自分の領土にして朝鮮人を奴隷にしている」と言い触らし、「次は支那を領土にして支那人を奴隷にしようとしている」などと根拠のないデタラメを半ば公然と吹聴し始める。

 昭和12年になると更に過激になり、「日本軍と日本人を追い出さなければならない。いや日本人は皆殺しにしなければなない」と言い出す迄になって行く。そうした風評は止まることはなく、益々エスカレートし民衆は殺気立った。

 そうした仄聞は現地に駐屯していた日本軍にの耳にも入ってはいたが、現地の日本軍は「その様な根も葉もない噂など相手にする必要はない」と問題にしなかった。

 多くの日本人は物事を客観的に捕らえ様と努力する。これは日本人にとっては至極当たり前のことで美徳とも言えるものだ。だが、何も反論もせず、怒らないことで朝鮮人や支那人を付け上がらせる結果になってしまったのも事実。

 これは現在の対中、対韓外交でも言えることだろう。興奮し易く、直ぐに舞い上がり、感情的になるのは古来から変わらぬ朝鮮人の特徴で、中国共産党の工作員らにとってこれほど利用し易い民族はいなかっただろう。

 昭和12年7月29日午前3時、通州にいた冀東防共自治政府の保安隊(第一総隊と第二教導総隊)合わせて3000人が日本軍を襲撃する。この時、通州にいた日本人は380名。内軍関係者は110名、残りは全員が婦女子だったという。

 不意を突かれた日本兵は防戦一方。襲撃開始と同時に日本兵30名が死亡した。必死で防戦をしている間に、支那人の学生や朝鮮人が日本人の居留区を襲撃し、日本人居留民260名をたった一日で極めて残虐な方法で虐殺するに至った。

 東京裁判での支那駐屯歩兵第2連隊小隊長・桜井文雄証人の証言がある。

 守備隊の東門を出ると、
殆ど数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわっており、
一同悲憤の極みに達した。
「日本人はいないか」と連呼しながら各戸毎に調査していくと、
鼻に牛の如く針金を通された子供や、
片腕を切られた老婆、
腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体が
其処彼処のゴミ箱の中や壕の中から続々出てきた。
ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されていた。
婦人という婦人は14、5歳以上は悉く強姦されており
全く見るに忍びなかった。
旭軒では7、8名の女は全部裸体にされ強姦刺殺されており、
陰部に箒を押し込んである者、口中に土砂をつめてある者、
腹を縦に断ち割ってある者など、見るに耐えなかった。
東門近くの池には、首を縄で縛り、
両手を合わせてそれに8番鉄線を貫き通し、
一家6人数珠繋ぎにして引き回された形跡歴然たる死体があった。
池の水が血で赤く染まっていたのを目撃した。

 証言した桜井小隊長は、事件後に現地に調査に入った人物だが、文中にある旭軒での出来事を全て目撃した女性の体験談もあるが筆舌に尽くし難い。

 日本国内では未だ「日中戦争は日本による侵略戦争」だという自虐史観が蔓延しているが、日本は「北京議定書」に基づき在留邦人保護の為に軍隊を駐屯させていたのであって侵略が目的ではなく、侵略というものでもない。

「盧溝橋事件」は中国共産党の謀略であることは今や明らかになっている。上海に駐留していた日本海軍陸戦隊に、正規軍10万人で一方的に攻撃した何れの事件も中国共産党が仕掛けた戦争であり、侵略者は我が国ではなく中国共産党である。

 天安門事件やチベット、ウイグルなどで、中共軍が行ってきた虐殺や弾圧は筆舌に尽くし難いが、歴史を見ても決してこれらは対岸の火事ではない。

「盧溝橋事件」にしても「通州事件」にしても、「事実」を知ることが大事であり、事実を知れば東京裁判で断罪された多くの罪が如何に不当なものであり、不公平且つ不正義な人倫にも悖るインチキ裁判であったことが分かるだろう。

 アジア動乱の濫觴はいつの時代も中共が元凶であるというのは歴史を見れば分かる。中共による挑発行為が止まない中で、沖縄県民が第二の通州事件に捲き込まれない為にも、戦争を避ける上でも防衛体制の充実且つ法整備を急がねばならない。

 三島由紀夫は「国防」とは「それを失ったら日本では無くなってしまうものを死守すること」であると訓えた。そう考える時、喫緊にやるべきことは米国依存の歪な体制を正し、国内に巣食うあらゆる反日・売国勢力を排除すること以外にない。

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2021年07月27日

「敗戦は必定なれど三春に倣うべからず」(二本松藩家老・丹羽一学)

 戊辰戦争は西軍と東軍の戦いであり、決して「官軍」と「賊軍」が戦った訳ではない。「賊軍」や「逆賊」の汚名を雪がねばならない。会津武士道の昇華を白虎隊に例えるのなら、二本松少年隊は正しく二本松武士道の昇華そのものだろう。

 慶応4(1868)年、西軍の会津征伐に於いて二本松藩の家老・丹羽一学は「敗戦は必定なれど三春に倣うべからず。二本松は城が灰燼に帰し、一族屍を野に曝すとも武士道と信義に殉ずべきである」と、藩論を徹底抗戦に纏め上げた。

 同年7月27日、木村銃太郎隊長(22)に率いられた少年隊士23名が蹶起する。会津白虎隊士の構成年齢が16~17歳だったことに対し、二本松少年隊の最年少隊士の年齢は僅か12歳だった。少年隊は、城下西口の要衝である大壇口に布陣。

 7月29日午前9時頃、少年隊は隊伍を組んで進軍してくる西軍に向かい、銃太郎の号令一下、轟然と火を吹いた大砲によって、終に戦史に残る激戦が開始される。だが、奮闘空しくその日のうちに落城してしまう。これを以て「二本松藩との戦いは易易だった」と罵詈を浴びせる歴史家もいるが、事実はそんな簡単なものではない。

 圧倒的な武力を前に「東北列藩の信を以て滅びよう」と義を貫いた。当時、西軍隊長だった板垣退助も「一藩挙って身命を擲(なげう)ち、斃れて後已むまで戦い抜く、武士道の精髄を尽くしたのは二本松を以て最上とする」と讃えている。

 幕末の薩摩藩士で、後に貴族院議員で元帥陸軍大将となった野津道貫も、戊辰戦争の回顧談(近世国民史)で「兵数不詳の敵兵は、砲列を布いて我軍を邀撃するのであった。我軍は早速之に応戦したが、敵は地物を利用して、おまけに射撃は頗(すこぶ)る正確で、一時我軍は全く前進を阻害された。我軍は正面攻撃では奏功せざる事を覚り、軍を迂回させて敵の両側面を脅威し、辛うじて撃退することを得たが、怨恐らく戊辰戦中第一の激戦であったろう」と語っている。

「射撃は頗る正確で」というのは、スペンサー(元締め)銃を手に奮闘した二本松少年隊の小澤幾弥のことだろう。幾弥この時、弱冠17歳。戊辰戦争前まで江戸で育った幾弥は、新式のスペンサー銃を二本松藩に持ち込んだ。

 二本松の戦いでは、阿武隈川を超え霞ヶ城(二本松城)に殺到する西軍を丘の上から次々と撃ち倒した。だが「最早これまで」と師・朝河八太夫と討ち死にする。砲術師範の八太夫は昨今持て囃されている朝河貫一博士の祖父である。

 二本松藩には、代々「必殺を期すには、斬らずに突くべし」という刀法が伝わっている。これは、浅野内匠頭が江戸城内での一件を聞いた二本松藩初代藩主・丹羽光重が、「何故、浅野公は斬り付けたのか。斬り付けずに突けば好かったものを」と、酷く悔しがったという由来から「斬らずに突け」が伝統となった。

 少年隊士・成田才次郎が、出陣の際に父から訓されたのも、この「斬らずに突け」だった。大壇口から敗走中の混乱で隊士はバラバラになってしまい、才次郎は単独で二本松城下の郭内まで戻るも戦意は尚も旺盛だった。

 才次郎は「必ず敵将を斃してやる」と一の丁の物陰に潜んでいたところ、馬上豊かな武士が一隊を率いてやってくるのが見えた。長州藩士・白井小四郎が率いる長州藩の部隊だった。才次郎、隊列が目前に来るまで充分に引き付る。

「此処ぞ」と大刀を真っ直ぐに構えるや、一気に先頭の白井に向って突進した。しかし、歴戦の長州兵はこの遮二無二突進する小さな刺客に即座に反応し隊長を護るべく馬前に出る。白井は「子供じゃ、手を出すでない」と声を掛ける。

 白井は、突っ込んで来るのが子供だと瞬時に見抜き、兵を制した。だが、それが徒となり、才次郎の剣は狙い違わずこの敵将の脇の下から胸部を突き刺した。

 白井、堪らずどうっと落馬する。驚愕した長州兵らは慌てて才次郎を捕えようとするが、刀を振り回す才次郎に近寄ることも出来ない。已む無く鉄砲を使い、漸くこの小さな勇士を倒すことが出来たという。この時、才次郎は若干14歳。

 現在、長州藩士・白井小四郎の墓が市内の真行寺に残っている。維新後の明治3年には、長州藩から香華料として金二両が納められた。少年への一瞬の憐憫が自らの死を招いたこの将の墓前には、今でも多くの参詣者からの香華が絶えない。

 西軍が城に迫ると、大城代・内藤四郎兵衛は「我は城の主将たり、虚しく内に在って死すべきにあらず」と城門を開いて討って出る。敵軍との奮戦激闘の中、見事な最期を遂げた。四郎兵衛の最期、潔さは、二本松藩士の鑑と称されている。

 二本松藩軍事奉行の丹羽和左衛門は床机に腰掛けて割腹し、膝上に広げた軍扇の上に自らの内臓を引き出して立亡していたという。正に鬼神となりし。

 徹底抗戦を唱えた家老・丹羽一学は、城の土蔵奉行宅で郡代見習・丹羽新十郎と城代・服部久左衛門と共に壮絶な割腹自刃を遂げた。一学の「風に散る 露の我が身はいとはねど 心にかかる 君が行末」との辞世が心に響く。

 少年隊を始め、多くの二本松藩士や先人らは藩と己の名誉を守る為に堂々と戦い、そして潔く散った。断じて「賊軍」や「逆賊」ではない。こうした純真無垢な殉国精神は、大東亜戦争で散った特攻隊の英霊の精神とと通ずるものが在るだろう。

 祖国を守る為に尊い命を捧げた特攻精神は祖国愛の極致であり、「神風精神」こそ大東亜戦争が自存の為の祖国防衛戦争であったことの証である。

 二本松少年隊や白虎隊然り。人というのはどれだけ生きたかではなく、どう生きたかが大事であり、特攻隊員や二本松少年隊の覇気に学ぶものは多い。

 山河麗しい二本松に生まれ育った者として、また二本松剣友会の末席を汚した者として、二本松少年隊や先人の生き様に感謝せずにはいられない。合掌再拝。

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2021年07月22日

「体育の日」が東京オリンピックに合わせて「スポーツの日」に変更されたが

「体育の日」が東京オリンピック2020開会式に合わせて「スポーツの日」に変更され、23日に移動となった。今日は「海の日」だが、海の日の本来の謂れを知る国民は少ない。オリンピック観戦や景気向上に繋げたいと祝日法を改正し四連休としたが、新型コロナの影響で無観客となり経済効果は全く期待出来ない。

「体育の日」は昭和39(1964)年10月10日、有色人種国として初のオリンピックが東京で開催された日に因む。開会式では日の丸をイメージした純白のズボンと真っ赤なジャケットを着た日本選手団が堂々と行進した光景を忘れもしない。

 そんな記念すべき10月10日を忘れ去る様に名称を「スポーツの日」変更し、来年以降はハッピーマンデーに組み込むとは実に怪しからんことだ。

「体育」と「スポーツ」ではその意味と趣旨は根本的に違うものだ。スポーツは競技であり、楽しんで行う「娯楽」を意味し、体育とは健康の保持や増進と体力の向上を図る為のもの。「体育」は「知育」「徳育」と並ぶ重要な教育指針でもある。

 体育の日の名称変更の理由を「教育的意味合いの強い『体育』という言葉がそぐわない」とか「スポーツに自己実現や国際社会との窓口を開く役割がある」という。祝日法を都合よく改正しているが本質はそこじゃないと思うのだが(苦笑)

 所謂「ハッピーマンデー」は左翼陣営の策謀であり、その目的は我が国の歴史・伝統・文化の否定であり国體破壊にある。そうした愚策を否定せずに、景気対策や言葉遊びの如くに「スポーツ」などと改称するとは本末転倒である。

 諸外国に比べ、我が国の祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統や文化はない。だが、多くの日本人が祝祭日をただの休みとしか考えなくなったのは、政治家の無能や不作為も然ることながら日本人の精神的貧困の顕れでもある。

 外国人が日本人と交流して感じるものは気品であり、洗練された礼儀正しさであり、寛大さである。世界の何処を探しても、日本人の様な洗練された美を追求する高い創造性や質素な上品さに比肩するものは他にはいないだろう。

 この様な我が国の生活文化を支えているものが日本語である。安易な横文字の使用は先人達が長い歳月に亘り言葉に宿らせて来た重い意味を失わせる。

 明治の先覚者は、外来語をそのまま使用することなく咀嚼して全て新漢字に翻訳した。日本語で西洋文化を学ぶことが出来たことは実に偉大なことだ。

「スポーツの日」という現代の軽佻浮華な舶来趣向と比べれば、明治人の気骨と気概や高い見識を伺い知ることが出来る。祖国の言葉である日本語に自信を持ち、何処までも日本語で主張し、日本文化を貫いたからこそ発展が得られたのだ。

 戦後の利己心剥き出しの価値観は欧米を模倣したからだ。我が国を経済大国にしたのは戦前に教育を受けた人々であり、それを潰してしまったのは戦後教育を受けた世代である。それをしても戦前の教育や価値観が全て悪ではない。

 欧米流の理性や教育に抜け落ちているのは「本能論」。人間と動物の優劣性を強調する余り、動物にある「本能」を下等なものとして否定しまった。

 仏教でも儒教でも「本能」が「理性」を創るのに重要な役目を果たしていると説いている。これらを考えるに、教育で一番大事なのは「徳育」である。徳育は忠君愛国ばかりではなく「人間性」を確立することに在る。

 そこで我が国の教育を再生するには「正しい精神論」を創ることが必要となる。正しい精神論は正しい肉体を創るのが大事で、そこに「体育」が必要となる。

「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という。スポーツという娯楽から健全なる肉体と精神は生まれない。「知育」「徳育」「体育」こそ教育の要である。

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2021年07月19日

「海の日」が7月20日でなければならない理由

「海の日」がハッピーマンデーに組み込まれて久しい。海の日の趣旨は「国民が海の恩恵に感謝し海洋国家の繁栄を祝う日」であるが、本来の意味は全く違う。

 戊辰戦争で西軍に負け、明治新政府より「朝敵」「逆賊」に仕立てられた東軍の会津藩は、不毛の領地「斗南藩」に移されることで終結する。開拓は艱難辛苦を極めたが、その開拓がその後の津軽、青森の発展に寄与したことは言うまでもない。  

 会津藩に限らず、戊辰戦争で徳川幕府に恩義を感じ、抗戦するも敗れた多くの東日本の雄藩は、長州閥の新政府に参政することなく辛苦の日々を送っていた。

「賊軍」「朝敵」「逆賊」との汚名を着せられた東軍雄藩は、新政府に対して言いたいことは山ほどあっただろう。だが彼らは臥薪嘗胆、耐えることで日本国全体が保たれるのならばそれを諒として己の悲運を甘受し、その抗し難い天命を潔しとした。

 明治9年、畏れ多くも明治天皇は、東北地方へ約50日間に及ぶ巡幸に臨まれた。この巡幸の目的が、戊辰戦争に敗れて以降、異国の地で艱難辛苦の日々を送っていた会津藩を始めとした人々を明治天皇が慰撫し、激励する為に他ならなかった。

 出発は6月2日、横浜港を出て福島県磐城へ寄港。磐城からは馬車で郡山から福島~仙台~岩手~青森と北上、次いで明治丸で津軽海峡を渡り、函館を経て三陸沖を海路戻るというコースを辿っている。 この間、東北の人々は巡幸の先々で奉迎した。

 明治天皇も国民の奉迎に応え、各地で開墾や産業の振興に尽くした功労者を労らわれている。愚生の住む郡山(安積)では、荒野を拓いて出来たばかりの桑野村まで分け入り、開拓者の苦労話に耳を傾けられ、金五万円を下賜されたという逸話が残る。

 青森県弘前の私学「東奥義塾」では、魁となる外国人教師に拠る英語教育が行われていて、生徒10名が英語を披露した。天皇はその進取の気象に感心され、生徒らに「ウェブスター辞書を買う代金に」と一人につき金五円を下賜された。

 或る地方では、小学生が献上した蛍一籠を嘉納され、岩手では太布半纏と呼ばれる農民の仕事着をお買い上げ遊ばされている。 巡幸先でのどの逸話も明治天皇の慈愛が満ち溢れたもので、正しく天皇と国民は君民一体であることを痛感する。

 戊辰戦争で「朝敵」や「賊軍」「逆賊」と蔑視され、辛苦を極めた東北の人々との間に親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の大御心とその面影が偲ばれる。

 この明治天皇の東北・北海道の巡幸を以て、逆賊も朝敵もなく、戊辰戦争での一切の蟠りも無くなったのだ。だが、明治新政府は東軍の死者を靖國神社に祀ることなく、幕末から明治新政府樹立後の不正義と不条理を糺すことはしなかった。

 青森港から「明治丸」に御乗船遊ばされた明治天皇は函館を経由し、太平洋沿岸を通り横浜に帰港された日が7月20日であり、この日以外の「海の日」に何の意味が在るというのか。ハッピーマンデーなどとは論外も好いところ。

 自民党は以前、「海の日」を従来の7月20日に変更する祝日法改正案の提出を計画したことがある。保守政党として当然の認識だろう。だが、情けないことに「三連休が減る」ことで観光産業への打撃を懸念する党内の慎重派に配慮して断念した。

「海の日」に対して「山の日」がある。「海の日があって山が無いのは怪しからん」と制定された。「八」の文字が山の形に見えるので「8」、木が立ち並ぶイメージから「11」ということで8月11日を「山の日」に制定したというから厭きれる。

「海の日」をハッピーマンデーに組み入れながら「山の日」は8月11日に固定している不思議。これも観光産業へ配慮して強制的に盆休みにさせる為のものでしかない。

「海の日」は単なる休日ではなく歴史的意味がある。海の日には我が国の君民一体の国柄、天皇と国民を繋ぐ深い謂われがあることを我々は知らねばならない。

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2021年07月18日

横綱・白鵬の勝ちに拘る相撲を観ながら大相撲を憂う

 大相撲名古屋場所、横綱白鵬と大関照ノ富士の無敗同士千秋楽決戦は好勝負を期待する。立ち合いから白鵬の右の強烈なかち上げを堪えた照ノ富士が左上手を取る。腰を振り照ノ富士の上手を切りに行く白鵬、見応えのある一番に見えた。

 だが、照ノ富士の左上手を切った白鵬は左右の張り手というかビンタを繰り出し、左からの強引な小手投げ。一発目は堪えた照ノ富士だが、二発目の腕を折らんとばかりの強烈な小手投げに脆くも崩れた。勝った白鵬は雄叫びを上げてガッツポーズ。

 相撲ファンの多くは前日十四日の結び正代との一番の、白鵬の見世物興業の初っ切り張りの仕切り線から徳俵まで下がり腰を割った相撲に、横綱らしからぬ相撲に違和感を覚えた。そんな相撲ファンのは千秋楽の白鵬の相撲をどう感じただろう(笑)

 白鵬は「膝が好くなかったからしょうがない」と批判も意に介さない。白鵬が尊敬してるという名横綱の双葉山は必ず受けて立った。何故に受けて立ったかというと隻眼だったからだ。白鵬は双葉山の技量や人格と比べてもかなり御粗末だ。

 白鵬の勝利は結果だから仕方ないが、ガッツポーズと雄叫びは相撲が武道ではなく格闘技に堕ちた瞬間にも思えた。八角理事長が正代戦に苦言を呈したが、千秋楽の白鵬の立ち居振る舞いに苦言を呈さないのであれば相撲離れに拍車がかかるだろう。

 日本人横綱不在の中で、モンゴル人力士の活躍は大相撲人気を支え、中でも白鵬は日本人以上に日本人らしく振る舞っていたのは誰もが認めるところ。

 日本人女性と結婚し、子供を日本人として育てている立派な日本人だと思うが、未だ白鵬を外人とする風潮は止むことはないのは相撲の美学や潔さに欠けるからだ。横綱日馬富士の引退も本を正せば白鵬に原因があったが不問に付された。

 白鵬自身「平成の大横綱」として、千代の富士や二代目貴乃花らの様に一代年寄りを与えられる資格はありながら、モンゴル国籍に拘り、「モンゴルの国籍の儘でも一代年寄りを貰えないのは可笑しい」と言って憚らなかったのも驕りそのもの。

 この発言は、我が国の歴史や伝統を軽視するもので、その言い分は身勝手なものと断じざるを得ず、白鵬を庇い続けて来た愚生でも違和感を覚えた。それでも紆余曲折の末に日本国籍を取得し引退後は協会に残れることになったことに安堵した。

 最近の白鵬というか熟年期に入ってからというもの、勝ちや記録に拘り、醜い相撲が目立つ。大関~横綱と伸上がって来た頃の堂々とした相撲ではない。

 最近は「張り差し」とばかり。張り差しとは、張り手をして自分の形に組む立会いで、白鵬は右張り手から強引な「かち上げ」てから相手のまわしを掴んでというパターンか、立ち合いの変化から勝負に持ち込むパターンが多くなった。

「張り手」というのは下位力士は番付上位の相手にはやらない、というかやれない。況してや横綱となれば失礼になるのでやる力士はいないだろう。

 横綱にしてみれば相手は全て下位の力士であり、相手を見下して「張り差し」をするのは当たり前かも知らないが、自分だけしかできない技(張り手)を、下位力士にすることは狡いし、卑怯だし、観ていても実に醜く不満が残る。

 横綱は、相手が同じ横綱同士以外は「張り差し」はやらないのが相撲界の仕来りであり慣例だったが、白鵬の「張り差し」は下位相手、然も上り調子の若手や初顔合わせとなると潰そうと思わんばかりの張り手とかち上げをぶちかます。

 昨今の白鵬の相撲は横綱として正々堂々とした相撲では無い。横綱の振舞いなど二の次で、単に勝利数を重ねることだけしか頭にないのではあるまいか。

 こうした相撲ばかり取ってると「やはり外国人だな」と思われるし、長い歴史の中で横綱が築いてきた尊いものを失ってしまうのではないかと危惧する。

 大相撲は単にスポーツではない。明治維新で「断髪令」が発せられても丁髷の伝統を貫き、「国技」を自任し、戦後もずっと表彰式で国歌「君が代」を斉唱し、天皇賜杯を戴く保守の牙城とも言うべき存在である。

 この大相撲を目の仇にし、歴史・伝統・文化を否定する左翼勢力が、「賭博」やら「八百長」やらを執拗に煽り立て、糾弾したことは記憶に新しい。

 恐らくは、こうした大相撲を目の敵にする勢力から、「通算勝利記録と歴代一位の優勝回数を誇る一代年寄りを白鵬に与えないのは、日本人差別社会の現象である」とのキャンペーンが張られることになるのではあるまいか。

「蟻の穴から堤も崩れる」という。白鵬の勝ち星に拘る卑しい相撲を観て大相撲ファンは離れて行くことだろう。白鵬の前人未到の45回目の優勝の裏では、大相撲の存続にも影響しかねない怪しい何かが蠢いている気がしてならない。

 長い休場明けから復帰した場所での全勝優勝というと昭和の名横綱・北の湖を思い出す。だが、優勝の翌場所、連敗すると潔く引退した。白鵬もそうであって欲しい。間違っても、連敗して休場~復帰というのだけは止めて貰いたいものだ。

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2021年07月16日

何でも腐して悦に入る低能ジャーナリズムを糺せ!

「人は小さなウソには騙されないが大きなウソには騙される」とはアドルフ・ヒトラー。「何故なら、彼らは小さな嘘は自分でも吐くが、大きな嘘は怖くて吐けないからだ」と語る。我が国のマスコミ報道というのは大きな嘘の塊の様なものだ。

 世の中(大衆)というのは自分で見聞きしたものよりも、数の多いものが「当たり前」と捉え、数の少ないものを「間違い」と決め付ける癖がある。新型コロナの報道もオリンピックに関してもマスコミ報道に感化された意見ばかり。

 いつの世も大衆が時代を創っているのだが、その大衆の多くは無知で愚かであり、扇動される大衆というのは実に操縦し易く、都合好く世論操作が行われる。そういう意味では国民意識というのは戦前から何も進歩もしていない気がする。

 偏狭な自説を垂れ流す司会者や、胡散臭げなコメンテーターの愚論を聞いてるだけで血圧が上がるのでテレビは殆ど見ない。何事も自分の目と頭で考えることが大事で、テレビばかり見ているとバカになるってのも満更嘘ではない。

 マスコミが報じない重要な問題を自分自身で紐解き、考え、判断出来る公正、無私無偏な目を持ちたいものだ。 問題意識を持たずにマスコミの垂れ流す報道を見ている大衆は、無意識にマスコミの報道こそが正しいと錯覚してしまう。

 大多数の有権者は、マスコミの提供する偏った報道に毎日接することで意思行動を方向付けられる。声の大きい者、頻繁に接する物に、人は正しい者、魅力のある物として誘導される。新型コロナの報道も同じでマスコミ報道を鵜呑みにする。

 例えば「テレビショッピング」だが、視聴者に都合の良い部分だけを繰り返し何度も見せて、その後にタレントや有名人らに感想を聞いたり、実体験を語って貰ったりすることで、視聴者は大して欲しくないものをついつい勢いで買ってしまう。

 テレビショッピングは一種の洗脳番組だ。マスコミはこうした人間の心理を全て理解した上で繰り返し何度も垂れ流す。これを「バンドワゴン効果」という。

 過去を見れば、民主党政権誕生の最大要因は、連日マスコミが垂れ流した「政権交代で日本が変わる」というバンドワゴン効果であり、それに因って国民は民主党の正体も分からずあやふやな雰囲気のまま民主党に投票してしまった。

 民主党政権の誕生こそバンドワゴン効果の最たるものだった。所謂「生前退位」もマスコミはその手法を採った。 マスコミにとって報道するものが見せたいものであり誘導したいもので、報道しないものが国民には知らせたくないものなのだ。

 巨大な洗脳装置がマスコミであり、くだらない芸能ニュースやお笑い番組などにどっぷり浸かっている人達こそが愚民政策の体現者なのだ。我が国の政治が三流と言われる一因に、進歩の無いマスコミの影響があるのは言わずもがなだ。

 マスコミはオチョクリに乗っかって何でも腐す。そういう冷笑的な態度を執ることが真のジャーナリズムだと錯覚している。こうした「低能ジャーナリズム」を糺すことが、政治を正すことにも繋がり、畢竟、祖国日本の再生にも繋がるだろう。

 放送法第1条第2項には「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」が謳われ、第4条第2項には「政治的に公平であること」、そして第4項には「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点をあきらかにすること」と記されている。

 憲法21条では「報道の自由」が保証されているが、これは、礼儀を欠いた取材活動や報道を無制限に保証するものでもない。憲法前文に記されている「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」した上での自由であるということを自覚すべき。

 新聞倫理綱領にも「言論・表現の自由の下、高い倫理意識を備え・・・」とあり、「言論・論評の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなくてはならない」と記されている様に傲慢になりがちな記者を諌める為の規定だ。

 だがどうだろう、新聞記者諸公に高い倫理意識など感じることもなく、とても品格を重んじてるとは思えない。テレビにしろ、傍若無人な礼儀を欠いた偏向極まる報道は祖国日本の品格を貶め、国民の倫理意識を低下させ続けている。

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2021年07月14日

「耐乏生活を潜り抜けた人間は強い」徳川家康の処世術に学ぶ

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 徳川家康の金言で「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず」というのがある。家康というと、華やかな道を歩んで来た様に思っている人がいるが、そんな人物がこうした言葉を遺したところで心に響くものではない。

 家康の生い立ちは可哀想なものだった。まだ「竹千代」と呼ばれていた三歳の時に、離別になった母と別れ、六歳の時には今川家に人質として捕らわれる途中、義理の叔父の為に織田側の人質として捕らわれてしまう。

 今川と織田の休戦和議が成立し、人質交換で故郷の岡崎に戻されるも、僅か十二日で再び今川の人質として駿府に送られる。この時、竹千代八歳。

 この様な人質生活の中から、油断は出来ない、人を警戒する習慣と、耐乏生活の中から、金銭の有難さ、質素倹約、質実剛健の気風が育まれたといっていいだろう。

 家康の家臣達も、主人は人質、所領は代官の管理。知行も扶持もろくろく貰えず、百姓仕事をしながら、じっと時節到来を待つこととなる。

 家康十五歳の時、初めて今川から墓参を許され岡崎に戻ったことがある。譜代の家来の一人が田に出て泥だらけになって草むしりをしているのを見つけ、「難儀をさせることよ」というと落涙。これには周りにいた家臣達も思わず強泣した。

 また鳥居忠吉という齢八十を超す老臣は、家康を自宅に招くと、人払いをして土蔵に案内する。中に入ると床一面に銅銭がうず高く積まれていた。

「殿、この同銭は殿が戻られた時の軍費でござる。爺が今川の者達の目を盗んで蓄えたもの。よいか殿、殿の後ろには、この様に家臣の一人一人が血の滲む苦労をしながら明日の日を待っているのですぞ」

 家康のこの生い立ちが、終生堅実な生活を営ましめたといって好いだろう。三河武士の剛強・忠義・団結心を謳われたのも彼らが圧迫と貧窮の中に育ったからだ。

 昔の軍隊では、仙台の二師団と、熊本の六師団が最強と言われた。これも東北と九州が貧しく、そうしたことが大きく影響していたのは言うまでもない。

 耐乏生活を潜り抜けてこそ人は強くもなるし、他人の苦労も理解出来るし、何より人間味も深まるというもの。「苦労は買ってでもしろ」とは蓋し正論。

 失敗し、火傷を負い、その失敗や苦労から享けた恥や我慢から学ぶことで人としての器が大きくなって行く。場数を踏むとはバカ(失敗)の数でもある。

 バカな経験を積み重ねることによって男の重みが変わって来るのもの。人間というのは成功から学ぶことは無い。失敗を経験し、そこから学んだ者の知恵は傾聴に値するのは、生きた学問を学んでいるからこそ面白く為にもなるのだ。

 温室で育った野菜や果物は見かけだけで味に深みはない。やはり自然の風雪に耐えてこそ味わい深くなる。人間だって同じで、苦労や失敗を経験せずに周りに同調して無難に生きて来たヤツというのは見せかけだけで、いざとなると挫折に弱い。

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 画像は「徳川家康三ヶ方原戦役」。敗走し馬上で脱糞した戒めの絵だ。顔を顰(しか)めた家康が憔悴した表情に描かれていることから「顰像」とも呼ばれる。

 元亀3年12月22日、遠江国敷知郡の三方ヶ原(現在の静岡県浜松市北区三方原町近辺)で起こった「三方ヶ原の戦い」は、元亀3年12月22日(1573年1月25日)に、遠江国敷知郡の三方ヶ原で起こった、武田信玄軍2万7千人と徳川家康軍1万1千人(うち織田信長からの援軍3千人)との間で行われた戦いである。

 この戦いでは、武田軍の死傷者200人に対し、徳川軍は死傷者2,000人を出したと言われている。徳川軍の各隊が次々に壊滅していく中で、家康自身も追い詰められ、僅かな供回りのみで浜松城へ逃げ帰った。家康最大の危機でもあった。

 浜松城に戻った家康は、後にこの敗走を忘れない為に苦渋の表情の肖像画を描かせた。これが通称「顰像」といわれる「徳川家康三ヶ方原戦役画像」である。

 この肖像画は、一般に血気に逸って武田軍の誘いに乗り、多くの将兵を失った自分に対する戒めとして描かせたとして知られており、慢心から熱くなった自分を抑える為に、この絵を見て自重していたという逸話が残されいる。

「失敗を真摯に反省することが次の成功に繋がる」という家康の人生譚は、現代を生きる我ら日本人の共感を生んで止まない。「あの天下の家康でさえ失敗した」と思えば、何事にも結果を恐れず気楽に向き合うことが出来るだろう。呵呵。

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2021年07月13日

「剣聖」と称された宮本武蔵の処世術に学ぶ

 宮本武蔵は言わずと知れた、江戸時代初期の剣術家であり、大名家に仕えた兵法家で芸術家でもあった。二刀を用いる二天一流兵法の開祖で、京都の兵法家・吉岡一門との戦いや巌流島での佐々木小次郎との決闘は誰もが知る逸話である。

 武蔵と言えば、剣術の奥義を纏めた「五輪書」が有名だろう。書名の由来は密教の五輪(五大)からで、それに準えて「地・水・火・風・空」の五巻に分かれる。

〈地の巻〉自らの流を二天一流と名付けたこと、生涯と兵法のあらましが書かれた巻。「真っ直ぐな道を地面に書く」ということに準えて「地の巻」。

〈水の巻〉二天一流での心の持ち方、太刀の持ち方や構えなど、実際の剣術に関する巻。「二天一流の水を手本とする」剣捌き、体捌きを例えて「水の巻」。

〈火の巻〉戦いのこと。個人対個人、集団対集団の戦いも同じであるとし、戦いに於いての心構えなどが書かれている。戦いを火の勢いに見立て「火の巻」。

〈風の巻〉他の流派について書かれている。「風」というのは、昔風とか今風とか夫夫の家風などのこと。他流派を批判し自らの二天一流の有用性を説いている。

〈空の巻〉兵法の本質としての「空」について書かれている。

「五輪書」での教えで「山水三千世界を万里一空に入れ、満天地とも攬(と)る」という一節が記されている。この「万里一空」とは「世界はどこまでいっても空は一つ」「全てのものは一つの世界に留まっている」という考え方(思想)である。

 この万里一空こそが、武蔵が修業の中で確立された剣術への思想の根本でもある。「動揺せず、常に冷静な気持ちで事に当たる」「一つの目標に向かって精進する」などの意味として解釈されるが、これを実際に行動に繋げるのは実に難しい。

 武蔵は死の直前、弟子らに「独行道」という21ヶ条の置文を遺している。

 一、世々の道をそむく事なし
 一、身にたのしみをたくまず
 一、よろづに依枯の心なし
 一、身をあさく思、世をふかく思ふ
 一、一生の間欲心思はず
 一、我事におゐて後悔をせず
 一、善悪に他をねたむ心なし
 一、いづれの道にもわかれをかなしまず
 一、自他共にうらみかこつ心なし
 一、恋慕の道思ひよるこゝろなし
 一、物毎に数奇このむ事なし
 一、私宅におゐてのぞむ心なし
 一、身ひとつに美食をこのまず
 一、末々代物なる古き道具所持せず
 一、わが身にいたり物いみする事なし
 一、兵具は格別、余の道具たしなまず
 一、道におゐては、死をいとはず思ふ
 一、老身に財宝所領もちゆる心なし
 一、仏神は貴し、仏神をたのまず
 一、身を捨ても名利はすてず
 一、常に兵法の道をはなれず

 この訓えの一つに、「いづれの道にもわかれをかなしまず」というのが記されてある。別れというものは悲しいことではあるが、死別に限らず、生きていれば別離というものは避けては通れない。全ての生き物に平等に与えられてる必然である。

「かなしまず」とは、武蔵という人物は血も涙も無い冷血漢だったのだろうか。

 酒を嫌いな人が「我、酒を絶つ」、或いはタバコを吸わない者が「タバコを絶つ」などとは書かない。飲みたいが、或いは、吸いたいが、これを止めようと自分に誓願した者だけが「絶つ」と言ってこそ、人に訴えるものがあるのではないか。

 そう思う時、武蔵は寧ろ、人一倍感情豊かで、熱血漢であり、別離に人並み以上の涙を流しながら、涙を見せまいと努力した人間に違いないと想像する。

 五輪書の「動揺せず、常に冷静な気持ちで事に当たる」との教えとは程遠く、何か事が起これば右往左往。愚生も右翼浪人を気取り、時局に一喜一憂し私感を尤もらしく披歴しているが、目先のことを語ることや喧々諤々の議論に意味もない。

 天地自然や人間の大道を心得え、時の動きに従いつつも正義を踏み外さず、危機に際しても平時と同様に対処出来る心構えを日日の精進で涵養することこそ大事。

 五輪書には「一つの目標に向かって精進する」と在る。独行道には「常に兵法の道をはなれず」と在る。目指した目標があるなら、その志を忘れず、困難に決して挫けることなく真っ直ぐ生きねばならない。男の修業とは斯く在りたいものだ。

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2021年07月12日

正しく自然とは人智の及ばない大いなる存在であるが

 静岡県熱海の土石流は、線状降水帯の大雨に重なってメガソーラー施設からの雨水が盛土だった谷川に流失し大惨事を引き起こした「人災」であり厳罰すべきだ。メガソーラー発電なんぞ豊かな森林を切り倒してまでやる意味が分からない。

 原発事故の放射線で死んだ人はいないが、土石流事故を招いたのは再生可能エネルギーというのは明らか。「高が電気の為に命を犠牲にしてはならない」と叫んだ坂本龍一や反原発派の連中は、今回のこの大惨事をどう感じているのだろう。

 正しく自然は人智の及ばない大いなる存在である。地震や津波、豪雨や日照りなどを人間は完全に制御することは不可能であるが、最小限度に防ぐことは可能だ。

 東日本大震災での津波防止にしろ、今回の豪雨に因る河川の決壊や増水などは人智で防げたが、「コンクリートから人へ」などという妄想的仕分け作業と人命軽視がこうした最悪の結果を齎した。正に近年の自然災害は天譴の様相を呈している。

 人々は自然を征服すべく挑み続けるか、それとも自然と共に生きて行くかの二者択一である。賢明なことに我ら日本人は自然と共生することを選んで来た。

 自然は一瞬のうちに暴れ回り甚大な被害を出したりもするが、同時に無限の恵みを我々に齎してくれる存在である。被害より恩恵の方が大きいだろう。 古の人々は、自然の織り成す様々な悪事や新羅万象の全てを「神」と感じ取った。

 豊穣を齎してくれた「神」を称え、荒ぶる「神」を畏れ、それを鎮め、人々は神々と共に生きて来た。 新羅万象の全てが「神」として捉えられ、山の神、海の神、森、川、水、岩・・・そして人間さえも神の在る景色の一部に過ぎなかった。

 人間がそうしたことを忘れ、唯物主義や拝金主義から神(自然)をも懼れぬ様になったのはそんな遠い昔ではない。そんな象徴的愚策こそ「仕分け作業」だった。

 仕分けによって様々な弊害が出た。津波による被害の想定も仕分けのパフォーマンスに悦に入った蓮舫は「1000年に1度くるかどうかも分からない事業に予算は組めない」と宣った。だが、その途端に1000年に1度という地震が来た。

 そこに菅直人の現場視察というパフォーマンスが火に油を注いだ。福島原発事故は「反原発」を訴える菅のマッチポンプであり「人災」であるが、逮捕どころか批判もされないところに、反原発派の胡散臭さと破壊活動的左翼思想が現れている。

 仕分けによって予算の無駄を削り、財源を確保するのというは結構なことだ。だが、国家維持に必要な予算をソロバン勘定で削減することがあってはならない。

 例えば、アジア情勢が緊迫する中で、防衛省への予算カットや人員削減は頂けない。自衛官諸君の士気が下がる。日々訓練に励み、災害となれば逸早く現地に駈け付けて人命救助や復旧に勤しむ自衛官の報酬は十二分に与えるべきだ。

 少子化にも拘らず日教組や全教に気を使い、教員を増やしてるが、少子化を控え、教育現場で実現すべきは「合同のクラス」で、別に1年生と2年生が合同で授業を行っても何ら差し支えないし、現に過疎地域ではそういった学校は幾らでも在る。

 少子化もあって一人っ子の家庭が多い中、合同のクラス学校で兄弟や姉妹といった家族意識を味わえることは情操教育にも役立つと思うが如何だろう。

 民主党の愚策の仕分け作業では、先端技術の研究開発事業の削減を決定している。我が国は「科学技術創造立国」や「国家基幹技術」を目指さねばならないが、自民党が政権奪取しながらも未だに民主党の愚策を継承しているマヌケさに驚く。

「観光立国」なんぞ早々に止めるべきだ。スポーツ振興の費用の削減も子供達の夢を無くすものだった。教育とは国家の大本、充実した予算を組まなくてはならない。

 国家の大本を為す「国防」や「教育」や「研究開発」が、単なる費用対効果の対象にされたのは残念なこと。あれだけ大騒ぎして、結果は1兆8千億円程度の予算が削減出来ただけ。政治家の大衆迎合的パフォーマンスにはうんざり。

 我が国の無駄といえば政治家の報酬。地方議員は日当制で十分だろうし、何より国民を騙して成立させた政党交付金制度は振り込め詐欺より質が悪い。 政治的良識は存在せず衆院と同じ政争機関でしかない参議院は早々に廃止すべきだ。

「政治家は隗より始めよ!」とはいうが、政治家が滅私奉公し自ら率先垂範してることなど見たことはない。やってることといえば全てが「我田引水」ばかり。

 何より無駄なのは「男女共同参画社会」の関連予算だろう。性的変質者らの策謀を何時まで続けるつもりなのか。また、在日への生活保護も廃止し、薬漬けと乱脈医療に見られる現在の医療制度を見直しすれば10兆円以上が削減出来る。

 現在の予算の組み立てをガラガラポンした方が好い。根本ではなく目先をチマチマと見直すだけだからダメだ。序に政党もガラガラポンするのが好い。

 予算を立て直して、我が国の危機管理と防災と国防が万全なものに整えなければならない。より高度な災害対策が構築されて行くことが、震災や自然災害などで犠牲になられた方々の無念さに応える唯一無二のものであると信じて止まない。

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2021年07月11日

民主主義とは正に大衆迎合主義と衆愚政治であると痛感する

 地元紙には、左翼人士が私感を垂れ流す「日曜論壇」というコラムがある。今回は東日本国際大学学長代行の福迫昌之という人物が「メディア・イベントと政治」と題して語っている。冒頭には大谷翔平選手を取り上げ、徐々に東京五輪を腐す。

 この御仁曰く「東京五輪が、民意を無視して強行される様を『民主主義の終焉』と捉える向きもある」らしい。多くの国民は五輪開催を願っている。反対してるのは日本のやること成すこと何でも腐すいつものメンバーで、何が民主主義の終焉か。

 柔道での金メダルを期待し。池江選手の頑張りに夢を託し、陸上400メートリレーで世界を驚愕させるシーンが観たいと思う。その他にも感動を貰えるだろう。だが、この御仁、アスリートには「勇気や元気や感動を与えなくていい」と宣う。

「県民の一人としては、この期に及んで『復興五輪』のスローガンを復活させ、分断の渦に巻き込むことだけは勘弁して欲しい」と締めくくっている。言葉は学者らしく纏めているが、内容は左翼人士に共通する偏狭な自民党政権批判である。

 五輪反対派は新型コロナに託けて、パンデミックが起これば多くの人が感染すると危惧してのことらしいが、そこには24時間テレビと同じ偽善を感じてしまう。彼らには、日本人の底力を信じオリパラを必ず成功させようという気は毛頭ない。

 言行全てが破壊活動なのだ。こういう連中というのは五輪を中止したらしたで批判をするのは目に見えている。また外国人選手やその関係者を受け容れることでパンデミックが起こると思っているのなら、外国人差別そのものではないのか。

 菅総理の右往左往ぶりは大衆の意見に惑わされてる結果であり、民主主義の弊害でもある。新型コロナ対策の不手際にしても、福島第一原発の処理水問題にしても、政治が科学的論拠を無視し、反対派の顔色を窺い迎合するから混乱が生じる。

 政治家の多くは民主主義を曲解して「国民の目線に立った政治を行う」と然も国民を慮った様な台詞を吐く。だが、民主主義の本質は国民目線に立つことではないし、平均的な国民を創ることではない。平均値で国の政を行うことは余りにも危険だ。

 政治が国民目線に立った時には必ず国は滅ぶというのは世の常である。何故なら、国民の判断力は古今東西常に低く、その意見もマスコミに誑かされた怪しい時代の雰囲気に流され、大衆に流され、実に幼稚で気紛れなものだからだ。

 過去の政権交代にしろ、その圧倒的支持を得た民主党が失脚したのも、自民党の政権奪回にしても、インチキ保守の安倍人気にしても、その全てが多くの国民の安っぽい風潮からホンのチョッとの間に支持されただけの気紛れの結果でしかない。

 政治とは、国家観を重んじながら、国民目線とかけ離れた歴史観、人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものなのだ。経済もまた然り。

「国民の目線」とは、ワイドショー番組に煽られた平均的意見であり、マスコミは国民の安直な正義感に迎合し、自分達の主張こそが「正義であり、民主主義である」との主張を居丈高に振り翳し、国民を煽動し続けているのが現状である。

 正に「民主主義とは衆愚政治である」ということを痛感する。「大衆の多くは無知で愚かである」と言ったのはアドルフ・ヒトラー。また「熱狂する大衆のみが操縦可能である」と訓えている。分かり易く言えば大衆というのはバカということだ。

 ネットでは自称保守派が自分の仕事そっちのけで日本の将来を熱く語り、意にそぐわない意見には反論し批判するが、そういう人もまた扱い易いというもの。

 本来、政治というものがきちんと機能していれば、国民大衆が政治なんぞに係わることなどないものである。三島由紀夫は、嘗て政治の現状をこう喩えた。

「胃痛の時に初めて胃の存在が意識されると同様に、政治なんてものは、立派に動いていれば、存在を意識される筈のものではなく、況して食卓の話題なんかになるべきものではない。政治家がちゃんと政治をしていれば、鍛冶屋はちゃんと鍛冶屋の仕事に専念していられるのである」。正しく、三島の揶揄した通りだろう。

 それが然も自分が政治家になったつもりで、あ~だこ~だと嘆いている。 ヒトラーはこうも言う、「私は間違っているが世間はもっと間違っている」と。

 愚生も熟熟そう思う。こういう熱狂する大衆が現在の有権者であり、その一票一票を集めて当選してるのだからバカしか当選しないのは当たり前でもある。現在の政治家にバカが多いのはそういうことで、こんなのに期待する方がバカだ(笑)

 仮に動物の世界で喩えれば、数の多いのが当選するのは当たり前のこと。ブタとかネズミとか、要するに力や能力なんぞ二の次で、数さえあれば当選する仕組みになっている。当選したブタやネズミは自分を弁えず勘違いしてるだけ。

 本当に当選して貰いたい、百獣の王ライオンは、幾ら力があっても数が少ないから当選出来ない。トラやゾウやゴリラでも同じこと、当選は無理なのだ。

 力や能力のある者が当選出来ないのでは、立派な政治も出来なければ立派な政治家も生まれることはない。政治を立派にしたいなら先ずは有権者がライオンやトラにならなきゃダメだ。でも、この世の中ではそれもまた無理というものだろう。

 今の政治家はブタが偉そうにしているだけで、民主主義というのはこういうものでもあるのだ。「主権在民」などというと聞こえはいいが、1億3000万分の1の主権では、無いのと同じ。在る様に錯覚しているだけ。主権在民なんぞクソ喰らえだ。

 今のネットでの声は、それが犇めき合って、夫夫ブタやネズミやニワトリがギャーギャーと鳴き声を張り上げているに過ぎず、結局は数の多いブタやネズミやゴキブリどもの騒いでいる通りの世界になるより他は無い時代なのだ。

 国内を見渡せば、一番多いのが労働者だ。取分け、労働組合なんぞブタの集団と言って好いだろう。そうしたブタ労働者の支持を得ないことには野党なんぞ当選出来ないのだから、まともなヤツが政治家を志すとは到底思えない。

 創価学会なんぞ養鶏場のニワトリというのが正しく、飼い主の池田養鶏場の安い科学飼料で飼育された単なる激安鶏肉に過ぎない。こんなブロイラーを食べたがってるのだから自民党も公明党の所為で信用を無くすのも時間の問題だろう(笑)

 我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、政治を糺すのは大いに結構な心掛けだとは思うが、政治の仕組みや現在の選挙の仕組みがブタしか当選しないシステムになっているのだから根本的に変わり様がない。

 そんな杞憂よりも、与えられた自分の仕事に専念してた方が余っぽど国の為になる。衆愚政治はこれからも続くだろう。そして行き着く処まで行かなけりゃ国民が気が付くことも無い。そしてその時に維新という革命が起こるのだ。

 歴史は常に繰り返されるものである。次の衆院選も、マスコミに煽られた有権者の気まぐれで選ばれるのは間違いない。所詮、自民党にせよ立憲民主党にせよ、「でもしか政党」というのは変わりはない。有権者の不幸はここに極まれり。

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2021年07月09日

汝、ゆめ晴天の友となる勿れ、雨天の友となれ!

 日暮里在住の畏友から鬼子母神の入谷朝顔市の鉢植えが届いた。新型コロナの影響で朝顔市が昨年に続いて中止になる中で、態態贈ってくれる気遣いに痛み入る。

 団体を辞して以来、兄弟分やら舎弟分やら諸先生方など離れて行く右翼人が多い中で、昔と変わらず付き合ってくれる友がいるというのは有り難い。クーラーが無い拙宅では朝顔は正に一服の清涼剤。今年も厳しい夏を無事に乗り越えられそうだ。

「汝、ゆめ晴天の友となる勿れ、雨天の友となれ」という言葉がある。天気の良い時、つまり順調な時にだけは付き合うが、少し具合が悪くなると、いつの間にか遠ざかって寄り付かなくなる。こういうのを「晴天の友」という。

「晴天(人生が順調)の人と友達になろうとはするな。寧ろ雨天(苦難に直面)の人に心を寄り添える様な人間になろう」という意味だが、人間落ち目になったりすると遠ざかって行く。人というのは多くは権威主義だから当然と言えば当然。

「人の痛みの分かる人間になれ」というが、人の痛みなんぞそう分かるものではなく所詮は他人事。人の痛みを分かる人間なんぞ御目にかかったことも無い。

 いたとしても、相手の悩みや苦しみを聞いて、如何にも同情しているフリをしているに過ぎない。そういうヤツに悩みや弱みを見せれば、単に恥を曝すことにもなり兼ねない。「人の不幸は蜜の味」ではないが、それが人間の性でもある(笑)

 会社で出世出来ないのも、設立した会社が倒産したりするのも要は実力が無いからに尽きる。そんな弱者に寄り添ってくれる人など世の中にはいないと思え。

 逆境やピンチになると、人というのは潜在能力を発揮するものなのだが、その逆境やピンチを避けてしまったり、悩み事を直ぐに吐露するというのは如何なものか。

 人間というのは精神が弱い故に誰かに縋りたくなるのだろうが、困難を経験することでその先に繋がるのも確か。それらの悩みや困難を避けてどうするのか。眼前の悩みなんぞ死に逝く特攻隊員の渾身の悩みに比べればどうってことは無い。

 苦難とは危険を教える慈悲の鞭でもある。幸福と苦難は表裏一体であり苦難の本質を弁えれば、人生の苦難や悩みとはやはり天の与えた試練と考えるべきだ。

 未だ起きてもいないことに、また将来のことを気に病んでいるよりも、今日一日を本気で真剣に生きることに心血を注げ。「一日一生」とはそういうこと。

 人というのはどうしても自分よりも強い者には媚び諂うが、自分より弱い者や自分の能力より劣る者には強気に出るし、外見や肩書などで見下したりする。

「弱きを助け、強きを挫く」のが仁侠道だが、今やそうしたヤクザはおらず単なる暴力団と化してるが、社会全体も弱い者が淘汰される「仁義なき戦い」そのもので、社会構造そのものが自己中心的で金銭欲逞しい暴力団とどっこいどっこい。

 ヤクザというのはそうしたことを理解しているから見栄を張る。高級車を乗り回し、仕立物の背広を着て、高給時計を身に着けては偉くなったと勘違い。

 組織の名刺ひとつでも貫目が違えば見下し、上の者には諂屈する。漢(おとこ)の世界などとカッコつけたところで、所詮は見かけ倒しの世界でしかない。今や右翼団体もその任侠道とは程遠い暴力団傘下に甘んじているのだから何かを況んや。

 要するに、現代に生きる人というのは外見や肩書でしか判断しないし、そうした者にとっての価値感というのはその程度のものなので気にする必要もない。

 愚生の嫌いな輩は「貧銭を以ってこれを軽蔑する者は 富貴を以ってこれに諂屈する(吉田松陰)」という手合い。こういう手合いが暴力団や右翼の世界にはうじゃうじゃいる。こういう輩は何事も掌返しが御上手で晴天の友ばかり(笑)

 そんな友というのはチョッとでも雨天になるといなくなるものだ。良い時も悪い時も同じ様に接してくれる友人が一人でもいてくれたら人生捨てたもんじゃない。

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2021年07月06日

「友よ山河を滅ぼす勿れ」というスローガンを掲げ反原発を訴えてるが

 原発事故以来、福島県の緑豊かな自然が失われているかの様な声を耳にする。山形県から福島市を流れる一級河川「荒川」がある。調査対象の全国162河川の中で、11年連続で「水質が最も良好な河川日本一」に認定されている。

 水の汚れを示す指標の一つである生物化学的酸素要求量(BOD)の年間平均値を用いて水質を評価しているが、荒川のBODは1ℓ0.5㎎と数値は低い。荒川は景観が素晴らしく、山形へ続くルートは釣り場としても人気の河川でもある。

 原発事故以来、山本太郎を筆頭に「被曝する場所で生活なんてありえない」「福島の人達は命に怯えながら生きている」「美しい福島の自然は破壊された」などと、福島の現実も見てもいないのに恰も見て来た様な嘘を垂れ流す。

 福島第一原発事故周辺だけを見て福島県を貶め続けてるが、福島は彼らが思うほど自然は破壊されてはいない。「荒川の11年連続日本一」ということは原発事故の起きる前年から日本一だ。反原発派こそ復興に水を差す現実逃避の盲である。

 今や福島県内に限らず全国で太陽光パネルを敷き詰めた施設が乱立している。バブル崩壊で倒産したゴルフ場の有効利用ならまだ分からないでもないが、新たに森林を伐採してまで設置する再生可能エネルギーってのは本当に必要なのだろうか。

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 愚生の故郷にはバブル時代に出来た小浜城ゴルフ倶楽部が在ったが、今やメガソーラーの施設となっている。その近くに「二本松太陽光発電合同会社(本社・東京都銀座)」が森林を伐採しメガソーラー施設を造った。その広さは東京ドームの4倍。

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 施工は地元企業ではなく何故か石川県の池田建設工業。故郷の麗しき山河が金儲けで伐採されて行くのは悲しいことだ。最近では、本宮市と郡山市の境に在る森林が伐採され、メガソーラーが設置されているのが主要幹線道路からも確認出来る。

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 県内をドライブすると大規模な太陽光パネルや巨大な風力発電の風車を目にする。郡山市内では布引山や会津の背炙山の巨大風車は正に圧巻だ。だが、自然の風景と最先端技術の融合は見る者にとっては異様な光景である。

 原発稼働停止で、国内の大資本から民間企業、外国資本までもが太陽光発電事業に参入した。結果は地上げ屋が跋扈し山林が売買され森が伐採されて行った。

 緑豊かな森が人工的なパネルで敷き詰められ、広場も埋め尽くされ自然の景観を損なっている。ゴルフ場が乱立されたバブル時代と同じ構図である。

 原発事故後、再生可能エネルギーに転換されたが、資源の乏しい我が国が、原発の再稼働無しで繁栄を維持出来るとは到底思えない。何より「便利」という価値観に溺れた日本人が、太陽光や風力、再生可能エネルギーだけで足りるとも思えない。 

 反原発派どもは「原発を稼働しなくても電力は足りている」と叫んで憚らないが、産業振興に伴う電力不足の不安は大きく、原発事故以来、化石燃料に頼ったツケが我が国経済に大きく圧し掛かっていることにはダンマリを決め込む。

 原発再稼働をしないことで余計な経費が加算されたことを無視して都合の好い切り貼りばかり。原発停止に伴う火力発電に使われる液化天然ガスや、太陽光パネルに使われる半導体等電子部品、石油製品の輸入増加で貿易収支は赤字続き。

「脱原発」の理想は分からないでもない。だが、福島第一原発の事故も防波堤などの整備を万全にしてさえいたら大事には至らなかった。「人災」の原因こそ改めるべきで原発そのものに罪は無い。もう少し、我が国の科学技術を信じるべきだ。

 将来、「想定外」の巨大地震が起き、東日本大震災を上回る大津波が発​生したとなれば、日本の原発より、乱立する中共や韓国の原発が危​機に瀕するのは明らか。

 そうした事態に備え、我が国は原発事故の原因と対策、更には収束技術や環境に与える影響などあらゆる研究を怠らず、万が一事故が起きたなら、その研究や技術を提供することこそ原発事故を起こしてしまった我が国の務めであろう。

 故野村秋介が叫んだ「友よ山河を滅ぼす勿れ」というスローガンを掲げ反原発を訴えてる右翼こそ、こうした風潮に異を唱えるべきだが何故か沈黙を極め込む。反原発というのも、「反米」なら反天皇で在ろうが連帯するソレと同じか(苦笑)

 再生可能エネルギーという名のバブル崩壊は時間の問題だろう。況してや、多くの人命が失われた静岡県熱海の土石流事故は「人災」である。反原発の風潮の流れからの再生可能エネルギーの愚策で甚大な被害を被ってることをどう感じるのか。

 営利至上主義から伐採された森林も、バブル崩壊で荒れたゴルフ場と同じ様にほったらかしにされるだろう。伐採された森林は元の麗しき姿に戻ることはない。

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2021年07月05日

小泉純一郎の「脱原発論」は安っぽいセンチメンタリズム

 脱原発をライフワークとする小泉純一郎は、全国を講演して聴衆をオルグする。倉吉市内での講演で「原発ゼロでも停電しないことが証明されている。核のごみの処分場も無いのになぜ動かそうとするのか」と政府や電力会社の姿勢を批判し、再生可能エネルギーの導入を強く推し進めるべきとの持論を展開した。

「ひとたび事故が起きれば古里がなくなる。それを目の当たりにしても原発を諦めず、過ちを改めようとしないのは不思議でしょうがない」と強調しているが、故郷が無くなったと騒いでるのは自称被災者ばかりで、多くは故郷に戻り頑張っている。

「再生可能エネルギーの導入を強く推し進めるべき」というが、静岡県熱海市の土石流事故は再生可能エネルギー政策の危険性を露わにした。また、再生可能エネルギーの方が賦課金など国民負担は大きいのに、それらには何故か口を噤んでる。

 小泉が脱原発に傾いたのは、放射性廃棄物の最処分場が確保されていないというのが最大の理由だが、こうした重要な問題を放置し続けて来た責任は自民党や小泉ら歴代首相に在る。そういうことを無視し、今更ながら他人事の様に「即ゼロがイイ」などと煽動していることこそ無責任の極みではあるまいか。

 安倍政権下で「脱原発」を政治決断する様に迫ったが菅政権下でも同じ。「政治が原発ゼロの方針を出せば、必ず智恵のある人が良い方針を出す。専門家の知恵を借り、その結果を尊重して進めるべきだ」と小泉節で尤もらしく訴える。

 だが、その「必ず知恵のある人が・・・」という言い方こそ具体性に欠ける無責任な発言そのものではないのか。「(原発費用を)代替エネルギーに費用を回した方が、エネルギー源が開発される」というのも具体性に欠ける夢物語に過ぎない。

 新規原発の増設が不可能な中で、将来的に「原発ゼロ」に向うのは誰にでも分かる。だが、世界の流れは原発推進であり、中共や韓国などは増設している。

 国内では「脱原発」「反原発」運動が盛んだが、原発事故当時、世界に在った400基の原発は2020年には倍の800基になった。我が国だけが原発を捨てるというのは余りにも危険だ。小泉の狙いは再生可能エネルギー推進という我田引水である。

 小泉は「稼働原発がゼロだった13~15年も電力が安定供給された」として水力や太陽光、風力を中心とする電源構成に転換すべきだと強調してるが、現実は90%が火力発電によって賄われた。こうした事実に触れないことにも違和感を覚える。

 このまま原発依存から脱却し、化石燃料への依存度が高いまま推移した場合に様々な弊害が出て来ることは火を見るより明らか。例えば、万が一原油輸入のシーレーンを封鎖された場合、福島第一原発事故以上のパニックが起きるのは必至だ。

 我が国は四辺を海に囲まれた島国であり、1970年代に起きたオイルショックの経験から産油国との外交関係の重要性、そしてシーレーンの安定化が不可欠と感じた我が国は外洋に伸びるシーレーン千海里防衛構想を策定したのは当然のこと。

 国内経済にしても、多くを海上交易に依存している我が国の輸入依存度の高さは石油が99.8%、石炭98.4%、天然ガス(LNG)796.6%、原子力(ウラン)に至っては100%を依存していることでも分かるだろう。輸出も同様である。

 こうしたことからも、海洋国家としてシーレーン防衛の重要性が認識され、海上自衛隊は「対潜水艦戦」や「対機雷戦」に重点を置き訓練を行っている。

 現在もイランの核開発によるホルムズ海峡の危機や、中共の覇権主義によって南シナ海や東シナ海、そして尖閣列島などが脅かされているが、適切な海上権益を確保し、マラッカ海峡から日本までのシーレーンの安全を確保することが重要だ。

 米軍と協力して千海里防衛は当然ながら、太平洋~インド洋地域、南シナ海、東シナ海のシーレーンの防衛体制を確立することが大事であり、それが結果的には中東等での事態発生に対する抑止力となり、中共の野望も阻止可能となる。

「脱原発」の流れで原発を廃炉にすることより、シーレーンの防衛こそ真剣に考えなければならないのだが、小泉や反原発派からは全くそんな声は聞かれない。

 原発を再稼働しない場合の代替のエネルギーが、太陽光や風力といった不安定な電力供給で国力を維持出来るとは思えない。太陽光発電は夜間や雨天、曇天では効果は少ないし、風力は風が吹かなければどうにもならないのは分かってるだろうに。

 その点、原発というのは「プルサーマル」や「高速増殖炉」も並行して実用化出来れば、化石燃料に依存しなくてもかなりのエネルギーは自国で賄えることになる。

「脱原発」の理想は分からなくもないが、それよりも現存する原発の安全対策を盤石に施し、核リサイクルなどの技術開発研究こそが喫緊の課題ではないのか。もう少し、日本の技術力というものを信じ、期待しても好いのではあるまいか。

「エネルギー供給の危機」をクリアした上で、太陽光や水力、火力、風力、或いはメタンハイドレートへの投資や、蓄電の技術開発に多額の資金を投じれば、将来的な脱原発への道が開かれるだろうが、実際には実現するにしても相当先の話。

 将来的に原発依存からの脱却を図るなら、安定的供給可能な新エネルギーや蓄電技術などへの莫大な投資が伴う。小泉は「原発はコストが安いと言っていたのはウソだった」と訴えてるが、再生可能エネルギーの国民負担は小さくない。

 太陽光や風力による発電は安価で、家庭に安く提供出来るということだったが、今や一般家庭の「再エネ発電賦課金」の負担金は2兆円を優に超える。

 国はこうした現実を無視して2030年度には発電全体の22~24%を再生可能エネルギーで賄うことを目標に掲げている。小泉はその急先鋒というか露払い。

 政府の目標達成の為には、多くの企業に磯部地区のメガソーラー発電所の様な施設を乱立させるしかない。つまりは、太陽光パネルが増設されればされるほど一般家庭への「再エネ発電賦課金」という負担金は殖え続けるということでもある。

 今や反原発派の主役として破壊活動に躍起な小泉純一郎だが、その発言は相変わらず中身の無い安っぽいセンチメンタルリズムと政治家時代の不作為の責任放棄。そこに再生可能エネルギーの利権が絡む。この軽薄さを嗤わずにはいられない。

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