2021年05月

2021年05月27日

先人の気概に倣い祖国日本の独立と再建を果たさなければならない

 冒頭、個人的なことで申し訳ないが、昨日は糟糠の妻の手術があり約10時間に及ぶも無事に終了し、一先ずはホッとした。唯々恢復を祈るばかり。

 今日5月27日は「海軍記念日」である。明治38(1905)年5月27日、日露戦争に於ける海上での戦いである「日本海海戦」が行われ、東郷平八郎元帥率いる連合艦隊がロシヤのバルチック艦隊を撃滅し、終に勝利を収めた。

 この戦いを勝利することで、欧米列強に日本の地位を認めさせることとなり、幕末以来からの懸案事項であった不平等条約、つまり「治外法権」「関税自主権」という二つの不平等条約の克服を達成することになる。

「治外法権」は日清戦争後に克服したが、懸案であった「関税自主権」の回復を実現することで明治維新は成就し、真に独立を回復することが出来たのある。

 また、この戦争の勝利は、植民地にされていた民族の独立心を掻き立て、後の大東亜戦争後の植民地の解放に繋がったのは言うまでもない。

 日露戦争の世界史に於ける歴史的意義は、有色人種である日本人が白人に勝利することに因って、当時、白人欧米列強に植民地にされていた世界中の被抑圧民族を感動させ、独立への夢を駆り立てたことだろう。

 日露戦争での勝利は、世界の有色民族にとってもこの戦争での勝利は誠に大きな意義を持つものだった。そうした先人の努力と苦労の上に、現在のこの日本国が成り立っていることを現代を生きる我々は決して忘れてはならない。

 大東亜戦争後、占領政策によって訳の解らぬ「平和主義」が蔓延り、戦争=悪といった短絡的思考が常識化しているが、戦争というのは政治の延長であり、国際法上、紛争を解決する手段としては認められているのである。

 単純に「戦争か平和かを選べ」と問われれば、誰でも「平和」を選べに決まっている。だが、戦争の反対が平和ではない。

 国家間の紛争が、武力の行使なしに話し合いだけで解決されるのならばそれに越したことはないが、国際社会に於いては、平和的解決が話し合いだけで解決されることは殆んど無いのは歴史が証明している。

 戦争を放棄し平和的解決や非軍事的措置を採った方が遥かに犠牲者も多く、非人道的な解決になってしまう場合が多く、「戦争=悪」であるという短絡的な思考こそが、寧ろ暴走を招き戦争を招き寄せることに為り兼ねないのだ。

「日本国憲法」の前文に書かれている「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」というのは「念仏平和教」そのもので、第九条の武力に因る国際紛争の解決放棄を絶対的に信仰する状態こそが異常なことなのだ。

 戦後の日本人は「基本的人権の尊重」などと、国内に於いては権利を過剰に主張し続けているが、国際社会において、国家の権利を主張せずに黙り込むというのは、余りにも論理の整合性に欠けていると言わざるを得ない。

 北朝鮮の国家意思による日本人同胞の拉致に対しても何ら奪還する手立てを打たず、我が国の領土や領域をロシアや韓国に不法に占拠されている状況から脱ししきれない元凶は平和主義と基本的人権を謳う日本国憲法に在る。

 尖閣諸島や沖縄を併呑しようとする国が存在している中で、ただ指を銜えて傍観していることが果たして独立主権国家と言えるのだろうか。今こそ、明治人の気概に倣い祖国日本の独立と再建を果たさなければならない。

 今日は亡き親父の命日でもある。父は昭和3年生まれ、成績優秀ながら家庭は赤貧で進学叶わず、尋常高等小学校を卒業すると15歳で海軍に入隊、横須賀海軍工廠で海軍軍人としての人生が始まった。その後、土浦の予科練を経て終戦。

 終戦後、想い出の地である神奈川県相模原の地で土木作業員として従事し資金を貯め、数年後、帰郷し、古着屋の「相模屋衣料店」を起業した。

 その後、政治に興味が湧き町会議員などに関わったのが悪いのか、それとも親父の放蕩のせいか、多額の借金を背負い倒産の憂き目に遭う。

 昭和40年代に拵えた数千万という負債にもめげず、どこから聞き齧って来たのか「これからはカ(カレー)・ソ(ソバ)・ラ(ラーメン)時代だよ」と、当時は珍しかったラーメンを提供しようと「相模屋食堂」を開店する。

 因みに親父はラーメン修行はしていない。二本松市の製麺所の社長にラーメンの作り方を聞いて、道具を揃え、仕込みの練習もそこそこに一週間後には店を始めたという。親父のこの度胸とセンスは驚くしかない(笑)

 仕込みや仕事が丁寧だったのでホントに美味しかった。福島市の人気ラーメン店「佐川食堂」のスープを啜ると父と母の作ったラーメンを思い出す。今ではラーメンより煮込みカツ丼が人気だが、これも両親の遺産でもある。

 屋号の「相模屋」という名前を見れば、横須賀や相模原への思い入れが深かったことが分かるというもの。郷土に帰還後は4人の子供を育て、また町会議員を5期務めるなど地方自治や郷土の発展にも寄与した。

 ホント破天荒なオヤジだった。今思えば、20代での起業のことや軍隊時代の思い出をよくよく聞かなかったのが返す返すも悔やまれる。

 海軍軍人であり、何事にも厳しかったその父の命日が「海軍記念日」というのも不思議な縁を感じ、決して忘れることはない。南無大師遍照金剛。

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2021年05月26日

スーパームーンと皆既月食と天岩戸(あまのいわと)

 今夜はレッドスーパームーン。午後8時11分頃からは皆既月食が同時に起こるというから、天文ファンじゃなくても興味が湧く。 昨日入院したかみさんの手術が今日の午前9時から始まり、皆既食が始まる頃に終わる予定だから、月に祈ろう。

 3年前の1月31日にもスーパーブルーブラッドムーンと同時に皆既食が見られた。俄か天体ファンがカメラや愚生もスマートフォン片手に天体ショーを楽しんだ。

 天体観測は今やイベント化してるが、古来、日食と月食の日は「穢れの日」として、月や太陽から放たれる光は「妖光」として忌み嫌われ、幕末までは日食や月食の日は不吉な兆候とされ天皇の祭祀と政務を一切取り止めたという。

 天変地異や疫病などが起きると本気で信じられ、この妖光から天皇の玉体を護って来たことが伝えられている。こうした「不吉」は別に神道だけに限ったことではなく、ヒンズー教なども「災いが起こる前兆」として恐れ、祈りを捧げる。

 何故に天皇を日食・月食の妖光から護るのか。その理由は、玉体を護ることが、日本国の自然と社会の秩序を維持するために枢要なことだったからだ。その玉体安寧を維持することが、政治の核心の一つだったのである。

 日本神話の中でも有名なのが「天岩戸(あまのいわと)」だろう。太陽神である天照大御神が天の岩戸に篭ってしまい世界が真っ暗闇になり悪神が蔓延ったという話があるが、この話も皆既月食や皆既日食の出来事を喩えた話しだろう。

 伊邪那岐神(いざなぎのかみ)は「天上界を天照大御神が、夜の国を月読命(つきよみのみこと)が、海原を須佐之男命(すさのおのみこと)が治めよ」と命じた。

 ところが須佐之男命だけはその任務を果たさず、その為に悪神が蔓延り、諸々の禍が彼方此方で湧き起こる始末だった。伊佐那岐神は酷く怒り追放した。

 須佐之男命は姉の天照大御神を頼るが、暫くは大人しくしていたが元々気性の荒い須佐之男命は、程なく種々の乱暴を働くようになった。

 天照大御神の耕す田を壊し、御殿に糞を撒き散らしたりして手の付けようがない。それでも天照大御神は大目に見ていたが、服屋(はたや)で神聖な衣装を織っていると、皮を剥いだ馬が屋根を打ち抜いて投げ込まれ、服織女(はたおりめ)が死んでしまう事件が起きた。犯人は当然ながら、須佐之男命である。

 これには流石の天照大御神も激怒し「天の岩戸」に隠れ篭ってしまった。その為、世界は暗闇となり、悪神達が蔓延り始めたのである。

 そこで高天原の諸神である八百万の神々は、天の河原に集い策を取ることになり、思金神(おもいがねのかみ)の提案で、先ず岩戸の前に常世の長鳴鳥を集め鳴かせることに。次に伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に八尺鏡、玉祖命(たまおやのみこと)に八尺勾玉を作らせ、布刀玉命(ふとだまのみこと)には御幣(みてぐら)を持たせ、天児屋命(あめのこやねのみこと)には祝詞を奉れせた。

 こうしておいて、岩戸の真ん中で天宇受売命(あめのうずめのみこと)が乳房や女陰を露に神憑りの踊り(今でいうストリップか)を大乱舞した。これを見て八百万の神々がどっと笑うと、天照大御神は気になり岩戸をそっと開ける。

「何事か?」

「あなた様より貴い神が現れたので皆喜んで騒いでいるのです」

 差し出された八尺鏡を見た天照大御神は、そこに映った自分の姿をその貴い神と勘違いし、猶もよく見ようと身を乗り出したところを、怪力の天宇受売命が岩を投げ飛ばした。そして、天照大御神が外に出ると漸く世界に再び光明が戻ったという話し。「天岩戸」こそ太陽神の天照大御神を信仰する我が国らしい神話であろう。

 スーパームーンと皆既月食という自然現象に多くの子供達も興味を持つ子供も多いが、科学万能の時代にこそ日本人としての自覚を促す意味でも「天岩戸」の神話を始め、古来の日本人の考え方や教えも伝承して行かなければならないと痛感する。

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2021年05月17日

右翼(RIGHT)で何が悪い(笑)

 我が国を見渡せば一億評論家時代と言っても好いだろう。今やジャーナリズムに正義は存在せず、マスコミが垂れ流す安直な論評に一喜一憂し、右も左もサラリーマンも主婦も正義を振り翳し「政治を糺す」と声高に叫んでいる。

 マスコミは、国民の安直な正義感に迎合し、マスコミ御用達のコメンテーターやアホタレを登場させては偏った私感を居丈高に振り翳し、国民を煽動し続けている。

 政治とは国家観や歴史観を重んじながら、国民目線とはかけ離れた政治哲学や人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものなである。国民目線とは、ワイドショーに煽られた平均的意見であり、国民に迎合するのは危険な兆候でもある。

 政治家は次の選挙しか頭に無く、国民の目を気にして「国民目線の政治を行う」と、然も国民を慮った様なキレイゴトを吐く。だが、民主主義の本質は国民目線に立つことではないし、平均的な国民を創り上げることでもない。

 政治が国民目線に立った歴史を振り返れば国は滅ぶというのは世の常でもある。何故なら国民の判断力は古今東西常に低く実に幼稚で気紛れなものだからだ。

 ネット(SNS)では自称保守派や自称愛国者らが将来を熱く語り、意にそぐわない意見には雑言を浴びせる。左翼もまた安っぽい平和主義で国民を誑かす。

 だが「正義」というのは実に難しく、あやふやな存在でもある。また、政治を糺すにしても政治の仕組みや選挙の仕組みが旧態依然だもの変わり様がない。

 政治が立派に機能して、政治家がちゃんと政治をしていれば、国民が政治を意識することも無く、自分の仕事に打ち込んでいられるものなのだ。

「胃痛の時に初めて胃の存在が意識されると同様に、政治なんてものは、立派に動いていれば、存在を意識される筈のものではなく、況して食卓の話題なんかになるべきものではない。政治家がちゃんと政治をしていれば、鍛冶屋はちゃんと鍛冶屋の仕事に専念していられるのである」との三島由紀夫の言葉は実に正鵠を射ている。

 自分の仕事もほっぽらかして政治の話題に一喜一憂している様は、正に政治が機能していない裏返しでもある。サラリーマンや主婦らが政治に関心を持って騒いでいる様では、衆愚政治はこれからも続くということでもある。

 そして行き着く処まで行かなけりゃ気が付くことも無い。そしてその時に「維新」という革命が起こるのだ。維新者はいつかの一旦緩急に備え己を鍛え上げよ。

「日本は滅びる!」「日本が危ない!」と徒に危機を煽り、祖国日本が恰も滅亡するかの様に叫ぶ自称保守や営業右翼が溢れている。それらの意見に自称愛国者が便乗し「尖閣を護るには憲法第九条を改正するしかない」と騒ぎ立てる。

 九条改正こそ究極の護憲運動であるということすら理解していない。「天壌無窮の神勅」を疑い、神国日本の不滅を確信せずに何が保守か、何が愛国者か。

 正統保守ならば、神州不滅を信じ、神武肇国の精神の高揚と国家国民の繁栄を目指すことこそ大事であり、憲法九条なんぞ末の話だ。我が国は、天照大神の「天壌無窮の神勅」に従って存在し、現在に至っているのを知らないのか。

 吉田松陰は「この神勅ある限り日本は永遠なり、日本の将来を悲観することは神勅を疑うという罪を犯すものである」と訓える。日本を愛し、国體護持を訴えると何故か「右翼」と蔑視され、自称保守派からも「朝鮮右翼」と罵られる(笑)

 自称保守派や自称愛国者らは、既成右翼への嫌悪感と蔑視から「自分達は右翼ではない」と否定する。だが、右翼を英語でいうと「right」だし、「all right」とは「よろしい」とか「差し支えない」、「任せろ!」といった意味だ。

 愛国者は「patriot」というが、右翼はrightであって愛国者でないというのはこういうことで、そういう愚生も愛国者などと逆上せ上ったこともない(笑)

 右翼という言葉には本来こういう意味を持つと理解してるので、右翼という世間からの嘲笑や蔑称を恥ずかしいと思ったこともない。右翼で何が悪い(笑) 

「今の時代はますます複雑になって新聞を読んでもテレビを見ても真相はつかめない。そういうときに何があるかといえば自分で見にいく他ないんだよ。いま筋の通ったことをいえば皆右翼といわれる。大体“右”というのは、ヨーロッパの言葉では“正しい”という意味なんだから(笑)」と三島由紀夫も言ってるではないか(笑)

「all right」。そう、汝臣民が全て右翼になれば事は解決する。呵呵大笑。

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2021年05月15日

自主防衛を語らない沖縄左翼は中共の単なる駒でしかない

 5月15日は「沖縄本土復帰記念日」。昭和47年に沖縄が本土復帰する前、当時の首相だった佐藤栄作が発した「沖縄が帰らずして日本の戦後はない」との言葉は当時未だ小学生だった愚生にも大きく響き、その記憶は消えることはない。

 戦後、米国に統治されたのは沖縄だけではない。伊豆諸島は終戦翌年の昭和21年3月22日に、トカラ諸島は昭和27年2月10日に、主権回復した翌年の昭和28年12月25日には奄美諸島が、昭和38年6月26日には小笠原諸島が本土復帰した。

 言い方は悪いが、これが米国による統治だったから好い様なもので、旧ソ連(ロシア)に侵略され不法に強奪された南樺太や全千島列島は未だに返ることはなく、旧島民の方々が故郷へ帰ることすら儘ならないことを思えば恵まれている。

 沖縄では「米軍基地反対」さえ叫んでいれば平和が訪れると思っている県民も少なくないが、「反基地運動」にしても米国だから許されているとは思わないか。

 米軍の撤退はイコール中共からの併呑を意味する。米軍撤退を叫び自衛隊による自主防衛を訴えるなら未だしも、沖縄左翼は自主防衛は全く語らない。これつまり、沖縄左翼は沖縄併合を謀る中共の単なる駒でしかない。

 沖縄全体がきちんと突き詰めた議論が為されない儘に、安っぽい平和主義と過剰な被害者意識から、日本政府と米軍にその矛先が向けられている。

 これ恰も、安全保障という正論を語れる雰囲気は無く、唯単に「反日」や「侮日」で結託し、罵詈雑言を浴びせかける隣国と同じ構図と実に似たり。

 地理的に日本と支那の中間に位置する沖縄は、日本から見れば同じ日本人だが、支那や沖縄から見れば寧ろ支那と同族の関係にあった。住民は日本本土から南下し住みついた日本人と、ポリネシア系や台湾系、支那華南系だとされている。

 明の時代に支那に入貢して琉球国・中山王として冊封を受け、奄美大島から先の宮古・八重山までの領域を支配する中央集権国家を築いた。

 日本への使者の派遣は室町時代になってからで、徳川幕府の命令で島津藩が琉球に出兵し奄美大島を直轄化した歴史はあるが、琉球はその後に支那大陸に誕生した清朝の冊封も受け、日本と清の両属の二股外交の立場を採った。

 琉球は日本文化が拒絶した宦官制度を導入していたことでも支那との関係が深く、また日清戦争の際には日本派と清国派が乱闘を演じたことは歴史的事実。

 日本に帰属しながら「日清両属」を主張する琉球を沖縄県として統合した「琉球処分」は、日本の国土統一を進める明治政府にとって不可避の課題だった。

 明治5年、明治政府は琉球藩を設置し、琉球王の尚泰を藩王に任命する。明治12年には「廃藩置県」の通達に由り、首里王府を解体し沖縄県を置いた。

 しかし、清国はこの琉球処分に猛反発。東京や北京で沖縄の分断工作を謀ろうと国際問題化させる。清朝の摂政・恭親王と直隷総督・李鴻章は、北京訪問中のグランド元米国大統領と会見し、琉球問題の仲介を依頼する。

 その後、日本を訪問したグランド元大統領は、伊藤博文と西郷従道と栃木県日光で会談するが、逆に清朝の旧態を批判し、日本を支持したのだった。因みに、グランド元大統領は英国でも「琉球処分」での日本の論拠を擁護している。

 日光での会談後、東京でも日本政府とグランド元大統領との会談が持たれることとなり、その会談には畏くも明治天皇も御臨席遊ばされた。当時の日本外交が用意周到に展開されたことを窺わせるものの一つであろう。

「琉球処分」後も、沖縄本土では親清派の「頑固党」と親日派の「開化党」との抗争が絶えなかったが、その後に勃発した「日清戦争」で我が国が勝利すると、親清派(頑固党)は沈黙し、初めて沖縄が静穏に発展し軌道に乗ったのである。

 国内では相変わらず親中派や沖縄左翼が沖縄を攪乱しているが、これは過去の琉球処分への報復が着々と謀られているということでもある。過去に民主党政権下で奨められた「沖縄ビジョン」はその最たるもので、その首謀者は中共である。

 その革命運動の序章が米軍基地反対運動であり、平和の邦・沖縄という無防備の邦の演出である。自主防衛を語らない反基地運動は正に無防備の害そのもの。

 自主防衛を否定する現憲法を「平和憲法」と騙り、安っぽい平和主義を翳すことこそが戦争を誘発する最大の危険要因となることを思い知るべきだろう。

「戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス(無防備の害)だ」と訓えたのは三島由紀夫だが、蓋し正論。軽々しく「平和」を訴えている政治家こそが政治や外交を危ぶみ、戦争を誘発する最大要因となる。

 今の時代「平和」とは唱えるものではなく、いつまでも米国に依存すべきものでもない。「平和」とは自らが命懸けで創り出さねばならないものである。

 沖縄では未だに「日本は沖縄を見捨てた」「日本は沖縄を捨石にした」「日本軍は沖縄の敵であった」などとの声を耳にする。だが、沖縄と祖国日本を救う為に、尊い命を捧げてくれた英霊が存在していることを忘れてはいけない。

 先の大戦での「沖縄戦」に於いて、劣勢を覆す為の特攻攻撃が行われた。特攻戦死者の実に76%が沖縄戦で亡くなっている。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1036名が散華している。

 沖縄全体がきちんと突き詰めた防衛議論が為されない儘に、安っぽい平和主義と過剰な被害者意識から、日本政府と米軍にその矛先が向けられているが、いつまでも被害者意識では自らの命を犠牲にした英霊にどんな顔向けが出来るというのか。

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2021年05月13日

武漢ウイルスの90%が変異株に置き換わった

 国立感染症研究所は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の武漢ウイルスが、N501Yの英国株やアフリカ株に置き換わったとする分析結果を報告した。

 見方を変えれば武漢ウイルスを粗制覇したということだろう。変異株の感染力は強いが、重症化は徐々に減って行く。変異株は自然の摂理でもある。ウイルスは宿主を殺すことではない。宿主の中で殖え生き長らえることにことにある。

 つ~か、「武漢ウイルス」や「武漢肺炎」は差別表記としながら、「英国株」「南アフリカ株」「ブラジル株」「インド株」と呼ぶのは好いというのも嗤えるな。

 ウイルスを無くすことは無理なのに、それを無視して「感染者ゼロ」を目指すというのは、反原発派の非科学的な大騒動から始められた除染作業と似たり(苦笑)

 新型コロナワクチンが出回れば騒ぎも沈静化するだろう。だが、その前に「新型コロナに治療効果の見られるアビガンを承認する」の一言で多くの国民の不安が払拭されるのに、何故か承認しないアホ官僚どもとマヌケな政治家ども。

 菅総理が批判の矢面に立たされているが、安倍政権下では新型コロナが国内に蔓延しているのに与野党ともに政争を繰り返し党利党略を優先した。コロナ対策の不作為や不手際を猛省することなく国民の自粛頼みとは本末転倒と言う他はない。

 後手後手の感は否めず屋上屋を架す菅政権。「特措法改正」で自粛に応じない店に罰金だとか言う前に、新型コロナ発症元が武漢ということで中共政府に阿て対策を講じることなく、アビガンの認可すらして来なかった政治家を罰するべきだわな。

 新型コロナに罹患し、重篤な状況から生還した芸能人や著名人らが口を揃えてアビガンの有効性や特効性を訴えていたのは何だったのか。コロナに感染し入院した地元暴力団幹部も「死ぬかと思ったがアビガンが効いた」と言ってるぞ(笑)

 アビガンの有効成分「ファビピラビル」に関するライセンス契約を、富士フイルムと結んだ中共の製薬大手・浙江海正薬業が後発医薬品を増産し絶大な効果を発揮してるというのに、「日本人には有効性が無い」とはどういうことか。

 ワクチンとはウイルスの生体から作られ、弱毒化・無毒化された抗原のこと。抗原を体の中に入れることにより、ウイルスをやっつける抗体が出来る。その抗体によってウイルスから守られるのだが、アビガンはワクチンではなく有効な治療薬だ。

 ウイルスに勘違いを起こさせて、取り込ませることによって、ウイルスの増幅を止めてしまう化学物質であり、効果的な日本製ワクチンが開発されるまでの治療薬としてアビガンを認可し使用することに何に憚り躊躇する必要があるというのか。

 専門家らは「安全性」「副作用」という理由を吐けて反対してるが、アビガンを製造した会社が製薬会社じゃなく富士フィルムというのが理由だろう。アビガン承認を遅らせ、製薬会社からの論功行賞を狙いってるというのが正しい(苦笑)

 多くの国民がアビガンに抱くイメージは新型コロナウイルスへの不安解消や罹った際の安心感であり、承認の遅れは国民の期待に水を差すものでしかない。

 新型コロナ対策として現在の「二類感染症」指定から「五類」に指定すべきという声がある。確かに、新型コロナは年間数千人から1万人以上が死亡するインフルエンザと比べても死者数は変わらない。要は、単なる新型のインフルエンザだ。

 連日、新型コロナの感染者数と死者数を報じているが、この数値に意味があるとも思えない。どんなコロナも変異して行くもので大騒ぎする必要も無い。

 武漢発症の新型コロナが騒がれ出して約1年半が経つ。連日、感染者の数を仰々しく報道するが、我が国の感染者は66万人と諸外国に比べて正に「さざ波」程度。死者も1万1214人(5月12日現在)と癌死亡者の100分の1程度しかない。

 世界の死亡原因の第1位は微生物感染症で1500万人。続いて心疾患、癌、脳疾患と続く。だが、飢餓での死者は年間で8億2100万人(2017年の統計)で、毎日2万5000人が亡くなってるという。コロナより飢餓問題に危機感を持つべきだと思う。

 令和2年の自殺者数は21081人。人工妊娠中絶数は1年間で実に17万5000人と言われている。コロナで大騒ぎするより対策を講じるべき問題は少なくない。

 ワクチン接種も始まったし、罹患者急増で病院の収容人数がパンク寸前なことも考慮してアビガンを早期に承認して民間医療機関で対処出来る様にするべきだ。

「五類指定となったら医療費は全額自己負担となってしまう」との声も聞こえる。抗ウイルス薬「レムデシビル」は1回分(5日間、6本)で25万円。最高で2回投与で合計50万円。保険適用により3割負担になっても15万円だと煽る。

 アビガンを認可し「特例」を設けて無料にすれば済むことだろう。要は、政治家の決断力だ。アビガンとワクチン投与で沈静化すれば特例を解除すれば好いだけ。初動対応のミスが現在に降りかかってることを率直に受け止めて対処するべきだ。

 コロナ禍が落ち着いたら新たな冷戦時代として世界の枠組みが変わるのは必至だろう。我が国が今やるべきは、コロナの蔓延を防ぎ経済成長を成す台湾の対応や施策に学ぶことだが、そうした対策を講じることなく屋上屋を架すばかり。

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2021年05月11日

「ノモンハン事件」を始め捏造された歴史を鵜呑みにしている日本人

 昭和14年(1939年)5月11日、蒙古との国境ハルハ河を越えて蒙古兵が満州国側のノモンハン地区に侵入する。所謂「ノモンハン事件」である。日本軍はこれを撃退したが、蒙古軍は駐留ソ連軍と共に再三に亘り侵入を繰り返した。

「ソ連軍は大量の戦車を含む大兵力を動員してハルハ河を越えて侵入し、ここで大激戦が展開されることとなった。8月20日には、ソ連軍は10万近い軍を動員し、2万人弱の日本軍に対し総攻撃を仕掛け、日本軍は大打撃を被った」

 これが日本人の信じるノモンハン事件概要だ。歴史探偵を自任する半藤一利や司馬遼太郎もそうだし、五味川純平なんぞはその最たるもの。何しろソ連の公式発表した日本軍の損害は52000人、ソ連軍9284人との数字を真に受けている。

 昭和12年に始まった「日支事変(支那事変)」から2年後に、何故に満州と蒙古の国境で突如この様なソ連軍との激戦が発生したのだろうか。

 実はこの1年程前にソ連は、ソ満国境の張鼓峰で侵入事件を起こしていて、この時には日本軍はソ連側に5500人の大打撃を与えて撃退した。だが、この時、日本軍がソ連領に侵入して来ないことをスターリンは見逃さなかった。

 ソ連がナチスドイツに勝利出来たのは、このスターリンの判断に拠るところが大きい。歴史に「もし」は無いが、あの時、日本軍がソ連に更なる猛攻を仕掛けていれば、ドイツと共にソ連共産党を打ちのめしていただろう。

 希代の悪党で戦略家のスターリンはヒトラーのソ連攻撃を予測し、東側からの脅威を除く為に日本と中華民国とを戦争に引き込むことに残力を挙げそれに成功した。第二次世界大戦が共産主義による策謀だった証左の一つであろう。

 盧溝橋事件や上海事件では策謀に成功したが、予想外に日本軍が強い。そこで日本側がどう出るかを偵察したのが「鼓張峰事件」と「ノモンハン事件」だった。

 ノモンハン事件で日本との「停戦合意」が成立した翌日の9月17日、スターリンはポーランド侵攻を命じ、ソ連軍はポーランドに侵入を謀り、また「ノモンハン事件」は共産主義者によって悪宣伝に使われた。

「貧弱な装備で旧式戦法の日本軍が、ソ連の進んだ機会化部隊に完膚無きまで叩きのめされた」という日本軍を貶し自国の軍隊の勇ましさを喧伝するものだが、悲しい哉、日本人の多くは未だそうした捏造された歴史を鵜呑みにしている。

 ソ連が崩壊し情報公開されて判ったことは、ソ連の損害は26000人、日本軍18000人と、実はソ連の損害は日本側を大きく上回っており、然も日本軍は、ソ連の戦車・装甲車800両と航空機1673機を撃退しているという歴史的事実である。

 10万近い大兵力を動員した側は損害は少ないと教わったが、結果はその逆だった。ということは、如何に日本軍が強かったかということの証しでもある。

 抑々、歴史と言うものは為政者に都合の好い様に作られるもの。歴史は国の大事である。明治開国以来の様々な歴史を再検証し日本再建の一歩とせよ!

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cordial8317 at 06:36|PermalinkComments(0)