2021年02月

2021年02月27日

ジェンダー平等(ジェンダーフリー)主義を嗤う

 脳科学者だかタレントだか分からない茂木健一郎という男がいる。以前は常識的な学者だと思っていたが徐々に無自覚左翼ぶりが露呈して来た。こうした無自覚ぶりが左翼マスコミにとっては非常に使い勝手が好い様でマスコミによく登場する。

 中日スポーツの記事に由ると、茂木は自身のブログで、俳優の松山ケンイチが、妻で女優の小雪を「嫁」と表現したことについて、「嫁という呼び方」と題して批判的な自説を垂れ流した。因みに記事の「女優」はアウトだろうな(笑)

 茂木は「嫁」という字が「女」が「家」というのが気に入らなかったのだろう。「嫁」がダメなら当然「家内」ってのもダメだわな。「奥さん」もヤバそうだし。相手に遜って「愚妻」とか言ったものなら激怒されるのは間違いない(苦笑)

 茂木らジェンダーフリーに与する連中にとって「かみさん」と呼ぶのがベストなのだろうか。「亭主」の立場である男よりも女性の方が上になってるし満足だろう。

 つ~か、「嫁」に違和感を覚えるなら「姑(しゅうと・しゅうとめ)」はどうなんだ? 要は、単なる言葉遊びと男女共同参画社会の曲解にしか感じない。

 昔から俗に、口喧しくなった愚妻を「山の神」とも揶揄するが、頭が上がらず、いつも感謝しているという意味では神様もかみさんも同じだろう。そう考えれば、男社会だが嫁や女性を尊重していた社会だっとことが分かるというものだろう。

 ジェンダーフリーを叫んでる性的変質者らにとって「婦人」「夫人」もダメ。「婦人とは箒(ほうき)を持って掃除をする女のこと」と「婦人」という言葉を抹殺し、「子供は親の供え物じゃない」と「子ども」表記を強要している。

 平成25年6月、文科省は国会での議論を経て、マスコミや左翼どもが常用してる「子ども」表記を、漢字表記の「子供」に統一する通達を出している。

 現代国語を書き表す場合の漢字使用の目安として用いられる「常用漢字表(内閣告示)」というのがある。これを基にした「新公用文用字用語例集(内閣総理大臣官房総務課監修)」には「子供」と表記する様に示されている。

 マスコミを中心に左翼勢力は確信的に「子ども」表記を続けているが、当時の下村博文文部科学大臣の下で通達を出していることなんぞ知らないのだろう、自民党議員までもが「子ども」表記を使ってることはマヌケとしか言い様がない。

「子ども」表記に固執している連中というのは、「子供」の「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ「差別的な印象を与える」というのが理由。共産党は「子供」とは「大人の付属物や人身御供を意味する」と主張している。

 何処のどいつが、子供を「お供え物」「人身御供」と連想するというのだろう。遜った「私ども」の様な接尾語の場合は「原則、仮名で書く」とされているが、「大人」に対する「子供」を意味する場合、漢字二字で表記するのが正しい。

「大人のお供(とも)」を表しているというが、その場合、「お供」ではなく「お伴」と書くことさえ理解してない。供物と同じく「子供とはお供え物」とは正にキチガイどもの言いがかりであり、即ち、子供への敬意が足らない証左でもある。

「子供」と同じく「婦人」も公文書から消されてしまった漢字の一つ。今では看護婦を「看護師」、婦人警官は「女性警察官」、女優も男優も「俳優」と呼ばなくてはならない。前出の中日スポーツの「女優」表記は恐らく勘違いだろうな(笑)

 この「婦人」はインチキ漢字研究者が後漢時代の「説文解字」を紐解いて、「婦人」とは「箒を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに始まる。

 この自説に、前出の性的変質者どもとキチガイどもが飛び付いて「婦人は差別だ」と叫んで抹殺した。しかし、間もなくこの説は全く誤りだと判明する。

 甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、悲しい哉、男女共同参画社会の風潮の中でこうした言葉遊びや造語が改められることなく常用されている。

 また、男女共同参画社会の今では「婦」ではなく「師」と呼ぶ様になった。この「師」という漢字には、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」のツクリの部位は、軍隊を派遣する時に食料である肉を分けることが原義だという。

 普段、「平和」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもらは「師」の意味も分からずに「看護婦」を「看護師」と呼び換えて満足してるが、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用しているとは夢にも思っていないだろうよ(苦笑)

「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼に拠る共同謀議的愚策であり、「嫁」に異を唱え、「家内」や「奥さん」という言葉を抹殺しようと謀るジェンダーフリー論は我が国文化にとって百害あって一利なし。

「子ども」表記に違和感を覚えることなくそれらに与し、率先して実践しているマスコミや保守派というのは滑稽極まりない。未だに「子ども」表記を使ってるのは共産党どもや左翼どもや単なる無自覚左翼のアホどもと見て間違いない(苦笑)

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2021年02月26日

北京2022冬季オリンピックをボイコットせよ!

 天皇誕生日での記者会見で、欧米の王室問題に繋げて「ジェンダーフリー(ジェンダー平等)」の不敬且つ不躾な質問をした記者がいたが、今や男女平等を曲解したジェンダー論が蔓延し、怪しい世論の動きになっている。

 森喜朗前東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長へのバッシングは異常としか思えない光景だった。そんなジェンダーフリーを翳す連中は、何故か中共のウイグルへの人権蹂躙には口を噤み、ジェノサイドを否定する。

 ウイグルでのジェノサイドをナチスドイツのホロコーストに準える論調もあるが、ヒトラーがベルリンオリンピックを開催しプロパガンダが成功裏に終わったことを忘れるな。そういう意味でも北京冬季オリンピックは中止に追い込むべきだ。

 政治的問題でオリンピック中止を余儀なくされたり、ボイコットした例は少なくない。1980(昭和55)年、旧ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、米国や西側諸国がモスクワオリンピックのボイコットを決め、我が国も同調し参加を辞退した。

 ボイコットが決定したことで、当時、金メダル確実と言われた柔道の山下康裕(日本オリンピック委員会(JOC)会長)やレスリングの高田裕司、マラソンの瀬古利彦、水泳の長崎宏子、男子体操といった多くの選手達が涙を呑んだ。

 当時20歳だった愚生もこのボイコット騒動はよく覚えている。山下選手は涙を流し「個人ででも出場したい」とインタビューで答えたことで批判を招いた。

 山下選手の気持ちは理解するが、スポーツが政治に利用されることは往往にして在ることだ。有名なのが、1936年のドイツのベルリンオリンピックだろう。

「オリンピックはユダヤの祭典である」とオリンピックを批判し、オリンピック開催に難色を示していたヒトラーだが、オリンピックがプロパガンダに利用出来ることを知ったヒトラーはベルリンでのオリンピックを開催を実行する。

 米国や英国は、ヒトラーのナチスの人種差別などを批判し、ボイコットを示唆していたが、「政治とスポーツは別」だとして最終的には出場を決めた。

 結果、ベルリンオリンピックは大成功に終わり、ヒトラーの政治的パフォーマンスとプロパガンダも思惑通りに進んだ。「オリンピックを成功裏に終れば、ヒトラーも大人しやかになるだろう」との米英の思惑は脆くも崩れ去ってしまった。

 オリンピック後、ヒトラーはラインラントへ侵攻し、スペインへ大量の爆撃機を送り、その2年後にはオーストリアを併合し、ズデーデン地方へも侵攻。その翌年の1939年9月にはポーランドに侵攻し、終に第二次世界大戦が勃発するに至った。

 歴史家の間ではドイツのポーランド侵攻とされているが、歴史家で元駐日大使のライスシャワーは、このポーランド侵攻の2年前の1937年の上海での中国軍による日本海軍への全面攻撃こそが第二次世界大戦の始まりだと主張している。

 条約上の権利の下に上海に駐留していた2500人の日本海軍「上海特別陸戦隊」に対し、1936年8月13日、12万人以上の中国軍は全面攻撃を行なった。この1936年8月13日には、ベルリンオリンピックが開催されていた時期なのだ。

「政治とスポーツは別だ」との主張こそ「平和ボケ」の象徴と断じて好かろう。こうした世論誘導はオリンピック利権に肖ろうとする企業や関係者、放映権や放送権が欲しいマスコミらの詭弁である。スポーツが政治や企業に利用されてるのが現実。

 オリンピックは選手にとっては重要な大会だが、大会関係者にとっては単なるショービジネス。先日、島根県の丸山達也知事が「聖火リレーの中止を検討する」と語り反響を呼んだが、聖火リレーの経費に9000万円がかかると聞いて驚いた。

 大会組織前委員長の森発言ばかりが騒がれてるが、スポーツの祭典どころか商業化するオリンピックの在り方や大会スポンサーの経費増額負担や聖火リレー走者からの参加費徴収など、営利至上主義が蔓延るIOCに対するその闇は深い。

 因みに、ベルリンオリンピックの次の開催国は日本だった。支那事変(日中戦争)が拡大しオリンピックどころじゃなり開催を返上。第二次世界大戦終結後の1948年のロンドンでオリンピックでは敗戦国の日本とドイツは招待されなかった。

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2021年02月25日

「中国」と呼ぶことは「ハイル・ヒトラー!」と同じ忠誠である(笑)

china

 中国共産党(中共)との尖閣諸島領有権問題やガス田問題、韓国との竹島問題、北朝鮮との拉致問題、ロシアとの北方領土問題など未だ解決の兆しすら見えないのは、全て日本政府の国家主権に対する甘さが招いた結果である。

 未だ共産主義を最高原理として崇め、神や仏という共産主義を超える最高の存在を許さず、人民には信仰の自由は認めない。そういう歪な体制である中共との平和友好など所詮は茶番でしかない。我が国は日台関係の再構築を目指すべきだ。

 集会、結社、出版、言論等々基本的人権が無く、満州、内蒙古、チベット、新疆の異民族を虐殺し土地を奪い、共産主義と漢民族化を強制し、清朝時代の最大版図を「歴史的領土である」と主張する中共こそ最大の帝国主義国である。

 多くの日本人は日中とは「同文同種」とか「一衣帯水」という認識を持ち、「四書五経」のイメージで支那への憧れを膨らませ、「支那」や「中共」ではなく「中国」と呼称する。反共、反中を訴える右翼人の中にもいる。中国と呼ぶくらいならせめて「チャイナ」と呼ぶべきだが、反米を訴える右翼が英語ってのもなぁ(笑)

「中国」という言葉の一番古い意味は「首都」で「国民国家」を意味するものではない。中国と呼ぶことは北京が世界の中心だということを暗に認めていることだ。

 抑々「支那」という言葉は最初の統一王朝の「秦」に由来する。清朝の公的文書にも「支那」との言葉は出てくる。新井白石が「チーナ」を「支那」と翻訳した。

 政権・王朝が代わっても、その基底にある自然・民族・文化を意味する名称として「支那」は使われて来ており、歴史に証明された言葉でもあるのだ。

「支那」いう呼称は差別でも何でもなく世界の共通語でもある。中共は我が国に対してだけ「中国」と呼ぶよう強要するのは、忠誠を示させ属国化を謀ってるだけ。

 英語圏では「チャイナ」。フランス「シーヌ」。ドイツ「ヒーナ」。イタリア語「チーナ」。ペルシャ語「チーン」。インド「シナスタレ」など、「China」をそのまま母国語で表現している国が殆ど。ロシアは「キタイ」と呼ぶ。

 キタイとは 支那大陸の北部を支配しただけの契丹のことだ。大統一帝国の秦どころか、契丹と呼称とするロシアに「差別だ」との抗議の声が上がったことがない。

 日本を属国と見做す中共は、日本にだけは自分達を世界の真ん中にある「中国」と呼ばせたい。「中国」と呼ぶことは「ハイル・ヒトラー!」と同じ忠誠である(笑)

「支那」が差別というならば「東シナ海」「南シナ海」「インドシナ半島」等ははどう説明するのか。また「中国放送」「中国新聞」「中国電力」「中国ガス」「中国銀行」などの名称でも分かるが、「中国」とは中心という意味でしかない。

「支那」禁止の理不尽な言い掛かりが始まったのは、戦後の混乱期の昭和21年6月に遡る。形式上、連合国の一員で戦勝国であった支那はその力関係を盾に我が国に「中国」という名を強要した。外務省はそれに何ら反論も出来ず従順に受け容れた。

 直ちに「外務省次官・局長通達」が出され、「理屈抜きにして先方の嫌がる文字を使わぬ様に」と言論機関などにこれを強制し、「中国」の呼称が国民に浸透し現在に至っている。一つの譲歩が更なる譲歩を生む典型であろう。

 我が国外交の柱というべき近隣諸国条項は「中国」呼称強要に屈した軟弱外交に起因する。この「隣国が嫌がるようなことはしない」との外務省「言論抑圧」通達は無効であり、「支那」という呼称こそが世界の共通語であることを認識すべし。

 親中派は日本と支那との関係を、「一衣帯水」だとか「同文同種」「古くからの隣人」などと言って国民を誑かしているが、日中間に国交関係が樹立されたのは20世紀に入ってからであり、未だその関係は100年ほどしか経っていない。

 遣唐使は約250年間、菅原道真の献策に由って廃止されるまで派遣され、唐の文化が奈良時代の平城京を中心とした天平文化に影響を与えた例はあるが、我が国が国書を携えて派遣したのは「倭国」であり「日本」と名乗ってからは交易は無い。

 我が国は正式な国交関係は持たずに「政経分離」の方針を貫き、独自の文化を形成して行った。孔孟の教えにしても日本人が好意的に伝え実践しているだけ。

 明治4(1871)年に日清修好条規を結んだ相手は満州人の清朝であり、満州人が支那を支配していたが漢民族の国ではなかった為に、支那との正式な外交は明治45年の中華民国誕生まで待たなければならなかったというのが歴史的事実である。

 日本国政府は、昭和49(1974)年の「日中共同宣言」を受け、昭和53(1978)年8月12日、「日中平和条約」を締結した。締結した「日中平和条約」には「両締結国は、善隣友好の精神に基きかつ平和及び互恵並びに内政に関する相互不干渉の原則に従い両国民の交流促進のため努力する」と踏襲されている。

 尖閣列島の国有化に反発する「反日デモ」は、どう見ても善隣友好の精神に基いての行動とは思えない。況してや日本側が「過去の我が国の侵略行為や植民地支配などで多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみを齎した」と譲歩することでもない。

 共産主義一党独裁の中共と友好関係を続けていること自体、国益を大きく損なうもので、平和友好を推進するなら共産主義を崩壊させること以外にない。

 余談だが、世界では日本を「ジャパン」と呼ぶ。だが、本来は「ニッポン」と言うのが正しい呼び名だ。国際会議やオリンピックなどの国際大会などで「JAPAN」と表示されるが、そろそろ「NIPPON」と表記すべきだと思うが如何だろう。

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2021年02月22日

2月22日は「竹島の日」であり山口二矢烈士生誕日でもある

 韓国人の「虚言癖」という病んだ民族性はどうやっても治ることはない。ウソの中でも最大級のウソが所謂従軍慰安婦の強制連行と竹島の主権主張だろう。 

 竹島を「独島(ドクト)」と称し、「古来から韓国固有の領土である」と主張するその根拠は「三国史記(さんごくしき)」という古代朝鮮の歴史書に帰着する。

 その「三国史記」には、鬱陵島の西隣に在る「干山島(うざんとう)が新羅(しんら)の領土」と書かれていることを論拠に「歴史的事実である」と主張する。

「三国史記」とは、三国(新羅・高句麗(こうくり)・百済(くだら))時代から統一新羅末期までを対象とする紀伝体の朝鮮半島に現存する最古の歴史書である。この史記を論拠に韓国側は「4~5世紀から韓国領だった」と言い張っている。

 古地図を見れば、干山島は鬱陵島の西に接近している島だと分かる。だが、悲しい哉、韓国のいう「独島(竹島)」は、鬱陵島の東南92キロに在る島なのだから「干山島が竹島である」と主張することには無理があるだろう。

 こんな誰でも判りきった事実が存在するのに、聞く耳を持たずそれらを否定し、竹島の領有権を主張し不法占拠を続けているのが現状である。

 歴史的に見れば鬱陵島周辺の小島の呼称が変遷し、「竹島」は「松島」とか「リャンコ島」とか呼ばれた時代もあり、こうしたことが紛らわしくしているのかも。

 だが、李氏朝鮮時代の地図には鬱陵島より90キロも先に在る島のことなど登場したことはない。鬱陵島とその近くの干山島などの小島以外は全く出て来ない。

 考えてみればそれは当然のことで、抑々、李氏朝鮮時代には鬱陵島すら「空島政策」に由って居住が禁止されており、その鬱陵島より遥か先の島の干山島ことなんぞ関心も認識すらもなかったというのが正直なところだろう。

 面白いもので、我が国では鬱陵島を「竹島」と呼んでいたことがあるという。こうした歴史的経緯を、韓国人の我田引水的論法を真似すれば、「鬱陵島も日本固有の領土である」と主張しても可笑しくはないかも知れない(笑)

 韓国初代大統領に就いた李承晩は昭和27年1月、国際法を無視し、軍事境界線「李承晩ライン」を勝手に設定すると、竹島を取り込んで「韓国領」と宣言した。

 我が国の主権がGHQの統治から解放され恢復するのは同年4月28日。その約3ヶ月前に、我が国固有の領土であった竹島を掠め取ったというのが真相であり、韓国側の領有権主張はそれらの不法行為を正当化する詭弁でしかない。

 戦後、この「李承晩ライン」を侵犯したとして拿捕または抑留された日本人漁民は、その後に「日韓漁業協定」が成立する昭和40年(1965年)の間に3929人にも及び、拿捕船舶328隻、死傷者は実に44名を数えたという。

 韓国政府はこの日本人漁民抑留者との引換えに、日本国内で犯罪を犯し収監されていた在日朝鮮人472名の放免と日本滞留特別許可を強要すると、驚くことに我が国政府はその恫喝にあっさり屈し要求に応じた。

 正しく「安易な譲歩が更なる譲歩を生む」という悪しき前例の最たるものであるが、この措置以降、在日が殖え続け、所謂「在日特権」が次々と与えられて行くこととなった。竹島問題は「在日特権」を考える上でも重要な問題でもあるのだ。

 話は変わるが、今日2月22日は2が揃う「にゃんにゃんにゃん」の「猫の日」らしいが、浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢のことを思い出さずにはいられない。

 昭和18年2月22日、山口家の二男として東京で生まれる。二月二十二日生まれと「二」の字が続いたことから、父は「二矢(おとや)」と命名したという。

 昭和34年、16歳の時に大日本愛国党に入党。だが、赤尾の運動に懐疑的だった二矢は翌年5月、同党の吉村法俊、中堂利夫(後に防共挺身隊に身を寄せるも脱退、両名共作家に)と共に愛国党を脱党し、「全アジア反共青年連盟」を結成する。

 その後間もなく、日比谷公会堂で演説中だった日本社会党委員長浅沼稲次郎に天誅を加えることとなった。社会党、浅沼稲次郎を刺殺したのが10月12日。練馬鑑別所で自裁したのが11月2日。「二」という数字は烈士にとって運命だったのだろう。

 生きていれば未だ78歳。麻生や二階よりも若い。右翼民族派陣営の現況は先細りの感は拭えない。二矢烈士が生きていれば右翼をどう導いてくれただろう。

 今どきの右翼団体は先覚の生誕祭を祝いや命日を偲ぶのが好きだが、それも大事なこととは思うが先覚各各の生き様を見倣はなければならないと思う。斯くいう愚生も、右翼人を気取りながらも未だ私を捨てきれず忠を全う出来ずにいる。

「自己放棄に達しない思想は賤しい思想である」と訓えたのは三島由紀夫。営業右翼や自称・愛国者を批判する前に、今や二矢の嫌う「愛国屋」風情に流されてしまっている己の怠惰な生き方を猛省せねばならないと自覚する。合掌再拝。

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2021年02月19日

「氏(姓)を変えることにより自己喪失感を覚える」という変態的意見

 東京五輪・パラリンピック組織委員会会長に橋本聖子五輪相が就く。森前会長の女性への揶揄を「女性差別」や「女性蔑視」とバッシングして森を辞任に追い込んだ勢力は、これに味を占めて最終的には敬宮愛子内親王の即位を謀るだろう。

 その手始めに「夫婦別姓」問題について、男性側の姓を名乗ることに抵抗し別姓推進を声高に主張するだろう。「夫婦は同一の姓とする」との民法規定の違憲性が争われた訴訟の上告審で最高裁は「規定は合憲である」との判断を示している。

 民法第750条には「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と明記されている。つまり夫となる人、または妻となる人の何れか一方の「氏」を夫婦の氏とするということであるが、男性の姓を名乗るのが恒例化している。

 この民法の規定を多くの国民は「片方が氏(姓)を変える」と理解しているが、「氏(名字)は個人の名前の一部」という誤解が混乱を招いているのも事実。

 抑々「氏」というものは個人を表す名称ではなく、明治維新以前には武士や大店の商人以外は「氏」は無かった。明治維新後、新政府は全ての国民に「氏」を与え、戸籍を整えた。何より家族の絆の重要性を重んじることとした。

 戸籍抄本や戸籍謄本を見れば分かるが、戸籍の筆頭者のみが「氏」と「名」で書かれており、その他の家族は「続柄」と「名」しか書かれていない。つまり、「氏」は家族を表す名称であり、個人名ではないことが理解出来よう。

 日本人の日本人らしさの根幹を成すのが「戸籍制度」であり、個人だけでなく、親兄弟や子や孫、連綿と続く歴史の縦軸の中に生きるという制度である。正に我が国の「戸籍制度」というのは世界に誇れる制度であると言えるのだ。

 欧米の教育は個人が生存権に勝つ為のものであり、辺り構わぬ闘争が行われ、働く目的は金と享楽の追求のみ。それ故、家族の絆は緩み道徳の深さは生活から離れ、結果、唯物主義の考え方が支配的となり、人々の心を孤独化している。

 我が国は欧米の価値観が蔓延してる中でも個人主義は極僅かで、世代に亘る家族の絆は固く互いに助け合うことで人間本来の善良な姿と優しい心が保たれている。

 夫婦別姓制は個人主義を優先する余り家族の一体感を損ない、子供に与える精神的影響も大きい。事実婚を増加させ離婚の増加や婚姻制度の崩壊を齎すだろう。

 抑々、婚姻に際し氏(名字)を変えることにより職業上不都合が生じる人にとって、通称名で旧姓を使用することが一般化している。婚姻に際し氏を変更したとしても、婚姻を関係者知人に告知することにより何の問題も生じない。

 また、「名字を変えることにより自己喪失感を覚える」という様な意見もある様だが、これは「氏(姓)は個人名ではない」ということを理解していない典型で、同姓が嫌なら、騒がずとも同棲という事実婚で好いだけのことだろう。 

 そうした変態的な意見より、結婚に際して夫婦が同じ姓となり、これから新たな家庭を築くという喜びを持つ夫婦の方が圧倒的多数であり極めて一般的な感覚だ。

 夫婦同姓は、普通の日本人にとって極めて自然な制度であり、現代社会で家族とその絆を支えているのが「戸籍」である。戸籍は、国民の出生・結婚・死亡などの身分の変動を「夫婦と未婚の子」を単位として登録するシステムである。

 戸籍制度は結婚や相続など家族生活を営む上で極めて重要な役割を担うと同時に、家族の一体感を維持する機能も有している。 ところが、別姓推進派には「別姓導入は戸籍制度改廃への一里塚」とする考え方が根強く存在するのは事実。

 別姓するくらいなら結婚などしなきゃ好いと思うのが普通だが、あくまでも夫婦別姓の目的が「戸籍法」の改正に在るのだとすれば合点が行くというものだろう。

 別姓推進派は、現在の戸籍制度が家族単位である点を戦前の「家父長制度」の残滓と捉え、戸籍を個人単位の「個籍」や、欧米諸国を模した「個人登録制」に改めることを求めているが、戸籍法改正を理由にした国體破壊こそが目的である。

 選択的夫婦別姓と雖も導入されれば我が国の戸籍制度や家族制度は瓦解し、祖先と家族・親と子を結ぶ連帯意識や地域の一体感、延いては日本人の倫理道徳観にまで悪影響を及ぼすのは必至。尤も、不倫や重婚には都合が好いだろうが(笑)

 夫婦別姓に限らず突き詰めた議論が無い儘にマスコミが創り上げる安っぽいムードだけで、やれこれが世界の流れだとか、実に曖昧な次元でもって賛同者が広がってるが、こうした怪しい動きに騙され便乗することがあってはならない。

 亀井静香がEテレの夫婦別姓問題特集の番組に出て「夫婦別姓はワガママ。国家の恩恵を受けたいなら国家のルールに従え。日本人はみんな天皇の子」と語ったことがネットで批判されている様だが、この認識は間違いではない。

 我が国は正しく天皇の国であり、臣民とは天皇の子。我が国が世界に誇る家族制度というのは皇室の在り方を理想とするものであり、正しく「父母に孝に兄弟に、夫婦相和し」。実に尊く、神の国に生まれた奇跡を感謝せずにはいられない。

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2021年02月18日

言ってることは分かるがチョッと訛ってるよね(笑)

 いなかっぺ大将の影響か、今では「いなかっぺ」という意味は「田舎の人」と思われてしまっているが、本来は「井の中の蛙大海を知らず」が語源。井戸の中からは塀が高くて外は見えないから、江戸っ子が世間知らずの奴を揶揄した言葉だった。

 田舎や山里で育った人は「田舎っぺ」ではなく、「山家(やまが)育ち」という。尤も、そんな言葉は今じゃ落語や古い時代劇でしか聞かない。

 古い日本映画や古典落語などには、盲(めくら)、唖(おし)、吃(ども)り、跛(びっこ)、聾(つんぼ)など、現代では考えられない放送禁止用語がバンバン飛び交ってて、実に面白く台詞というか日本語そのものが興味深いものばかり。

 差別用語だけではなく、懐かしくも美しい日本語が処処に溢れていて、こうした映画や落語を観たり聴いたりすることこそ生きた耳学問であり実践教育でもある。

 東京や横浜などの都会で育った人というのは、綺麗な標準語を話し、如何にも自分達は都会人なんだと気取っているが、自分達が使ってる言葉は蝦夷地開拓時代に作られた言葉であり、矯正され均一化された言葉だという自覚も無い。

 都会人にこそ「いなかっぺ」や「半可通(はんかつう)」が多く、己の無知を差し置いて地方出身者を貶して悦に入る。 「半可通」とは生半可で中途半端な知識をひけらかすことだが、多くは間違ってることの方が多いから注意すべし。

 その昔、所属していた団体にもいた。如何にも江戸っ子ぶって、べらんめえ調で話すのもので「お前、大田区の部落(目蒲線沿い)出身だろ。江戸ってのは品川までで、大田区なんてのは江戸じゃないよ(笑)」 と揶揄ってみた。

 後輩は怪訝そうな表情で「えッ、そうなんすか」と一言。 大田区大森出身の池田太作がべらんめえ口調で江戸っ子ぶってるのを見て、池波正太郎が「ピント外れ」だと嗤っていたのと同じで、勘違いしてる自称・江戸っ子はホント多い。

「お前の様なのを、いなかっぺって言うんだよ」と言ってみたが、本人は「井の中の塀」が「いなかっぺ」だとは思っていないから馬の耳に念仏、犬に論語(笑)

 都会に住んでるということだけが自慢の世間知らずのこういう輩に限って、地方出身者のイントネーションや訛りを面白可笑しく真似して笑ってるのが多い。

 以前、横浜の瑞穂塾の塾長で兄弟分の伊藤満と、伊藤の先輩らと焼鳥屋で政治談議や世間話をしたことがあった。話の途中で伊藤の先輩の一人が、いきなり愚生に「言ってることは分かるが、チョッと訛ってるよね?」と言ってきた。

 こんな奴らと飲んだ時間が無駄だった。ああいう連中とは絶対仲間にはなれないし、人生意気に感ずることもなく、行動を共にすることもないと痛感。斯くいう伊藤と言えば、情けないことに礼節に欠ける先輩に苦言を呈すことも無かった。

 江戸時代末期には全国から若者らが江戸に出て遊学したり、諸国を遊歴した。その際に地方出身者を嗤い、言葉が訛ってるなどと詰ったなどと聞いたことも無い。

 薩長同盟にしろ、幕末に於いて京都守護職に就くこととなった会津藩にしろ、故郷の言葉を大切にして相手と接した。そうだからこそ互いの心意気を感じ取ったのだと思うし、明治維新もまたそういう草莽の民の結集でもあったのだと思う。

 ブロイラーの如く、均一化された連中が大好きな東京が在るのは、それこそ会津藩主・保科正之公に因る処が大きいと知ってる人が何人いるだろう。

 明暦3(1657)年1月、江戸は「明暦の大火」で大半が焦土と化した。幕閣らは江戸城天守閣の再建を望む声が多い中、保科公は一貫して先送りを主張した。

 というのは、江戸城再建を優先することで木材価格が上がり、庶民の暮らしが滞り、幕府も財政難に陥ることが目に見えており、江戸城再建を最優先に実行すれば、庶民の暮らしが行き詰まり、江戸が懐崩することにもなっただろう。

 都会に居ると目先のことばかりで先が見えないということもよくあること。大局を知るには地方に住むのも悪くはない。そういう意味では団体を辞したのも天命。地方に蟄居したとはいえ、右翼浪人として俯瞰した物の見方を養いたいものだ。

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2021年02月17日

勿体振ってないで持てる力全てを惜しむこと無く与えなさい

 いつぞや、ネットサーフィンをしていたら右翼活動家のブログが目に付いた。そこには何やら、「所謂団塊の世代の人と歴史認識で意見の相違を感じたが、敢えて反論もせず聞き入った」とし、最後には団塊の世代への嫌悪感と雑言が綴られてた。

 右翼の仲間からは同意の声が書き込まれ絶賛されていたが、その場で説得も試みず、後で色々書き連ねるというのは卑怯だし余り感心はしない。仲間も仲間で、諫めたり、苦言を呈す人はいない。仲間内で称えあって何が愉しいのだろう。 

 何故、激論を交わさないのか。「こういう輩と話すことに意味はない」と大人ぶってるつもりかも知れないが、偶にには目線を合わせ、本性剥き出しで一つ一つ反論し、歴史的事実を滔滔と語ることも自分を高める上でも大事だと思っている。

 愚生も旅先や飲み屋など飲んでる関などでよくそういう人とは遭遇するが、そういう輩を面白可笑しく例え話を出しながら議論を交わし諭すことは嫌いじゃない。袖すり合った隣の客との議論こそ横議横行の醍醐味でもある。

 後輩や門下生ならいざ知らず、意見を同じくする仲間内だけで話し合ったところで何になるというのだろう。右翼人が右翼に論じても意味はない。やや左に偏った考えの人や、無自覚左翼を如何に転向させられるかが啓蒙活動の極意じゃなかろうか。

 今迄、何十人もの左翼カブレに出会い、話すと「アンタの様な右翼は初めてだよ」と言われもした。「オマエとは話しにならん!」と怒って席を立ったのは、日教組出身で日本共産党の市会議員になった今は亡き中学時代の恩師くらい(笑)

 ゴールデン街なんかで飲んでると、場所柄か、左翼や団塊の世代、無自覚左翼がうじゃうじゃいて自説を垂れ流してる老左翼によく遭遇したものだ。

 こういった輩の多くは、幼い正義感からそういった思想や考えに辿り着いた人が殆どで、その辺りを擽ってから身近な喩えを出して反対意見を述べると意外にあっさり己の矛盾点と学生運動華やかしき時代の幼稚な正義感を認めるだろう。

 まぁ、政治的意見での隔絶はどうしようもないが、共通の話題を探すことも大事。大体スケベな話題は左右共通で、そういった話や趣味の話題で打ち解け、シャレやオチを付けながら分かり易く、周りを巻き込んで話しするのが好い(笑)

 そういう意味では浅学菲才というか、時局は勿論のこと、スケベなことから哲学的なことまで知識は雑駁に広く、何事にも興味を持って貪欲に学ぶべし。

 右翼人とは「よく読み」「よく書き」「よく喋る」、そして「よく飲む」ことだと右翼浪人の故横山武彦に教わった。読書をしたら感じた部分や感動した台詞などを書き留めることが大事で、話術としては落語は必修科目とも言える。

 右翼陣営の悪い処は一度書いたものや一度話したことは二度とやらない人が多いが、観念的に同じことを訴えて行くことは大事なことだ。大日本愛国党総裁の赤尾敏の数寄屋橋での街頭演説なんていつも同じ。アレを見習うべきだ。

 演説を10分出来るなら、同じ話を最初からやり直せば好いことで、「さっき話したから」と恥ずかしがったところで、そんな演説なんぞ誰も聞いてないから大丈夫。同じ話でも3回繰り返せば30分。そうしているうちに要領を得るだろう。

「これは前に読んだことがある」とか「前回、同じ話を聞きましたよ」って言われたら、「主義主張なんてのは変わりませんから」と言えば好いし、そう言ってくれる人は「余程のオレのファンなのだ」と感謝すれば好いだけのことだ。

 演説で大事なのは上手く喋ろうというのではなく、自分の言葉で懸命に訴えるのが好い。それが、見栄なのか、恥ずかしいのか、同じ話はやりたがらない。下手くそな演説を勿体ぶってどうすんの。同じ話だっていいじゃないか右翼だもの(笑)

 その点、噺家というのは凄いと思う。サゲ(オチ)を知ってる話なんだが何度聞いても笑える。右翼も空気をカネにするなら業(会話)を磨かなきゃダメ。と言っても、最近の右翼は働きながら活動するのがホンモノらしいから関係ないか。

 噺家が聴衆を引き込むにはマクラ(本題に入る前の面白話)が大事。マクラで聴衆を引き込んで笑いを取ってから本題に入るのだが、マクラが上手いとつい引き込まれてしまう。右翼の演説もいきなり本題から入るから立ち止まらない。

 内容は乏しくても話術でカバー出来る。そういう意味でもツカミは大事であり、演説家は読書も好いが、それより寄席に行って話の技を盗んで来なさい。

 右翼の先生方を見ていると出し惜しみ感は否めない。思想も理論も大したことはないのに、高が知れてる経験や知識を出し惜しみしてどうするのだ。「教えるとは実に教えられることである」。教えることで己の更なる向上に繋がる。

 別に右翼だけに限らず上に立つ者は、勿体を付けることなく持てる力全てを惜しげなく与えて行くことで、心在る者は意気に感じそれに応えてくれるものだ。

 まぁ、それでも裏切られたらそれは人を見る目が無かったということ。人を見る眼というのは人生経験の集大成、修行をやり直すしかないな。呵々大笑。

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2021年02月15日

酒飲んで得し、酒飲んで損し、酒止めて徳し(笑)

 新型コロナが収束するまで酒は自粛している。というのは嘘で、ここんとこは自宅で酒1合とウイスキーのハイボールを数杯と休肝日の様な日が続いている(笑)

 東日本大震災以降というか、団体を辞してから碌々金策も講じていないので慢性的手元不如意が続いてるし、酒の誘いはなるべく断わることにしている。

「あんたが(カネを)持っていても、俺が持ってなければ、酒なんざ飲んでも旨くない。酒とはそういうもんぜよ」とは坂本龍馬。ホント、他人のカネで飲んでも大して美味いとも思えないし、自宅でチビチビやってる方が気楽で好い。

 亡父にも「タダ酒は飲むな。卑しくなるから」と口煩く言われたことも影響しているのかも知れないが、酒は身銭を切って飲むことに価値があると思っている。

 酒というのは「百薬の長」とも言われるが、本来はバカになる為に飲むものだ。世の中バカほど愉しいものはないが、酒を飲むとそのバカになれるのだ(笑)

 正気ではとても出来ないことも酒の力を借りれば「一時的バカ」になることが出来る。一時的でもバカの幸福に浸れるのだ。酒呑んでネエチャンを口説くなんてのは酒の勢いだ。酒が別名「キチガイ水」といわれるのはこういうこと。

 バカと言っても酒乱は論外で、酒に飲まれてる様じゃ酒飲みの資格はない。落語の与太郎じゃないが、チョッとマヌケで明るい飲みっぷりが好い。

 先日もヤクザからの誘いを断った。右翼やヤクザとの酒席ぐらいつまらないものはない。どいつもこいつも、自分を大きく見せようと建前や美談ばかり。

 そんな先輩方の話は一応真面目に聞いたフリをしてるが、愛想笑いで誤魔化し、冗談を発したかと思えばシャレにならないくらいつまらないものばっか。

 酒も飲まずに天下国家を論じ、自説に悦に入ってるてる自称・国士を偶に見かけるが、そんな先生方を揶揄うと面白いが、相手は酒を飲んでないから、シャレで言ったことまでも真に受けて、後々までも根に持たれるから困ったものだ(笑)

 体質的に酒を受け付けないなら未だしも、飲めないのは訓練が足らないだけ。何より酒を飲まない男というのは魅力を感じないし、人間的にも小さく見える。

「酒を飲まない人は人生の3分の2を損してる」とは蓋し正論。唯、酒というのは楽しいばかりじゃなく、呑み過ぎて失敗なんてのは数知れず。失敗から人生を学ぶというが、そういう意味では酒は身近な師でもある(笑)

 ストレスは程好い酒で憂さ晴らしするのが手っ取り早い。ストレスが溜まれば何より身体に悪い。そんな時に頭をからっぽにするのに手っ取り早いのが酒だ。

 上に立つ者は人一倍神経を使うもので、ストレスも溜まるのは当たり前。逆を言えば人一倍神経を使えない人間は上には立つ資格は無いということだ。

 下の者からすれば上の者は気楽に見えるかも知れないが、上に立つ者は上なりに頭の中ではあれやこれやと神経を使い考えを廻らせているものなのだ。

 気の利いた店や贔屓の店で陽気に呑む。暗い酒は身体を壊すから愉快に飲むのが好い。愉快に飲む適度の酒は正に「百薬の長」なのである。だが、愉しい時間を切り上げるのは難しく、ついつい飲み過ぎていつものパターンに陥る(笑)

「酒は陽気に身銭を切って飲むべし」。酒飲みとはこれに尽きるが、中には人に奢って貰って喜んでいるのがいる。タダ酒を覚えたヤツというのどうもクセになるらしく、店からも仲間からも嫌われているのだが、当の本人は自覚していない。

「タダほど高いものはない」という言葉があるが、タダで飲めたと喜んでばかりいると後でとんだしっぺ返しが来る。酒でも女でも同じこと。女と遊ぶのも、若い頃なら未だしも歳を重ねてカネも使わずに遊ぶなんてのは愚の骨頂だ。

 歳相応の遊び方もあるし、それなりにカネを使うことを知らなきゃダメだ。地元郡山市の名士には素人女を騙して愛人にしたり、従業員に手を付けたり、子供を孕ましたりしている輩もいるが、遊び方が小者なら経済人としても小者ばかり。

 酒の切り上げ方というのが難しい。気の利いた店で心地好く飲んで、勘定する際に「心付け」を渡して切り上げることが出来れば酒道のかなりの有段者だ。

 世話になったテイケイの会長ほどに過分な心付けを渡せないまでも、ポチ袋にホンの気持ち程度のカネを入れて渡す気遣いは欲しいものだ。酒の道は奥が深い。

 愚生も慢性的不如意ではあるが、財布には大中のポチ袋を3個程は持ち歩いている。高が「心付け」なのだが、これが意外に渡すのは難しいもので、これを何気に渡すことが出来ればもう男としても大人としても一丁前だ。

「お釣りは要らないよ!」とか言ってチップを渡している人がいるが、アレは野暮というもの。釣り銭は受け取り、別に準備してたポチ袋を渡すのが好い。

 喩え、千円、二千円の僅かな心付けは有難いもの。心付けは相手に対しての気遣いでもあるが、後々自分に戻ってくるものなのだ。一見で行った店でも、裏を返した時には覚えていてくれるし、つまみの一品二品、気を遣ってくれたりもする。

「情けは人の為ならず」というが、何事にも気遣いは大事だと思っている。然し、心付けをしても何も感じ入ることのない店も在る。いつぞや、世田谷区奥沢の有名寿司店で勘定後にポチ袋を渡すと受け取ったのは好いが無視されたっけ(笑)

 酒癖は悪い、カネも払わず、大威張りした揚句にスケベってのは嫌われますよ。まぁそんなとこで、つれづれなるまゝに綴ってみました。呵呵。

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2021年02月14日

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候・・・

 地震もドカ~ンとくれば驚きもするが、東日本大震災の震度6強を経験してるから震度4や5程度ではそんなには驚きもしない。昨夜も熟睡していたら地震が起きた。どうせ直ぐに治まるだろうと思っていたら、揺れは1分程続いただろうか。

「災難は忘れた頃にやって来る」とはよく言ったもので、10年ぶりの震度6強に恐怖を覚える。強烈な横揺れだったので本棚から本や書類が飛び出し物が散乱してた。兎に角、震度6は尋常な揺れではないので、恐怖から命を意識すると思います。

 熟睡中に起こされて眠い中、部屋の状況を確認する。用心の為にバケツに水を汲んでるのだが強烈な揺れで周りが水浸しに。散乱した本や物などを片付けながら、10年前の様な地震はもう来ないと高を括っていた自分の甘さを反省した。

 地震情報をテレビで流す震度3や4程度の小さな地震に驚いてたら、強烈な地震が来たらパニックになると思う。何事も用心することは大事だが、小さな揺れに一喜一憂することなく、いつどこでも平常心で自然体でいることの方が大事。

 因みに「自然体」という言葉があるが、その意味は、自由気儘とか自分勝手、自分本位ということではなく相手や状況に合わせること。自然の流れに任すこと。

「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるる妙法にて候」とは、良寛和尚の金言であるが正しく。

 災難に遭ってしまうということは誰でも起こり得ることで、それが何処でいつ起きるかは分からない。起こってしまった災難を取り消すことは出来ない。日頃から、災難や事故に備えて警戒を怠らず、自然体で生活することが大事だ。

 災難に慌てふためいたりしてしまうと、パニックから過った対処をして災難を大きくしてしまうこともある。小さなことで慌てたり驚いたりしてばかりいれば、心の中で災難が大きくなってしまい、いざという時には冷静な判断は出来まい。

 昨夜の地震でも東日本大震災の教訓なんぞ忘れ去って、パニックからか深夜にも拘らず市内のガソリンスタンドには行列が出来て、コンビニからは水が無くなったというニュースが流れていたが、こうした行為は余り感心しない。

 起こってしまった不幸には「こういう時もある」と受け容れることも大事。何より「なるようにしかならないものだ」という開き直りも時には必要となる。

 逆境やピンチになると人間というのは潜在能力を発揮する。だが、その逆境やピンチから逃れようとする人は意外に多く、それだけ人間というのは弱い生き物でもあるのだ。だが、果して、どうにもならない運命などあるのだろうか。

「一休さん」で有名な一休宗純は、忌の際に、弟子達に「自分が死んだ後、どうにもならないことがあったら、これを開けなさい」と遺言状を渡したという。

 やがて、彼の死後、弟子の中で大変困ったことが起こった。弟子達は師に救いを求めようとその遺言状を開けてみることにした。その遺言状には一言だけ、「大丈夫、なんとかなる!」と綴ってあったという。

 どうにもならない様なことなんてないもの。自分でそう思ってしまっているだけで、その悩みも実はそれほど大したことではなく、なんとかなるものなのだ。

 将来のことや、未だ起こりもしないことを一々気を病んでこじんまり生きて行くよりも今を本気で懸命に生きるべきで、「一日一生」とはそういうことである。

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2021年02月13日

東京五輪組織委員会森会長発言騒動に感じる危うさ

「角を矯めて牛を殺す」という諺がある。欠点を直そうとして反ってそのもの自体を駄目にしてしまうという例えだ。森喜朗東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長への総バッシングの裏で怪しい世論が形成されて行く。

 相手が謝罪したらそれを諒とするのが日本人の美徳だが、謝罪しても赦さないというのは日本人の美意識の欠落甚だしい現象でもある。大病を患いながらも頑張っている老人の失言を論い、正義面してバッシング。辞任はさぞや満足に違いない。

 イジメ問題が起こると大騒ぎしている連中が、森を総バッシングしている姿は集団イジメを通り越して集団リンチにも感じる。年寄りを寄って集ってイジメて楽しいのだろうか。「老害」というなら反日売国の老人なんてうじゃうじゃいるぞ。

 森は会長職に就く条件として「無償・無給」を申し出たという。五輪組織委員会の規約上、無報酬には出来ないということを知り、自らの報酬をアルバイト職員と同額の最低額にし、その全額を積み立て職員らとの懇親会費に充ててきたという。

 こうした森の行為にはだんまりを極め込みながら、恰も森は国民意識と乖離してるが如くの報道には違和感しか覚えない。況してや森は癌を患ってるのだ。長男も不慮の事故で亡くし、余生少ない老人をイジメてどうしたいというのだ。 

 森は騒動後、発言を撤回し謝罪。それでも赦さず、後任指名された元サッカー協会会長の川淵三郎が「森さんを顧問にする」との発言に、再度「密室で後任を決めるとは何事か」という声が上がり、川淵も会長就任を辞退することとなった。

 橋本聖子五輪相の声も上がってるが、過去の男子フィギュアスケートで人気の高橋大輔選手へキスを強要したというセクハラ問題が浮上し混沌となっている。こうした報道の連続は、反オリンピック勢力が謀っている様に感じてならない。

 確かに、是が非でも東京オリンピックを成功させたいという思いの裏で、放映権などの巨大な利権が絡んでるのも確か。然し、オリンピックはスポーツの祭典であり、その主役は大会組織委員やボランティアではなく競技する選手達である。

「角を矯めて牛を殺す」の喩え通り、発言を都合よく切り抜いて「女性蔑視」だとか「女性差別」と騒いだことで、どれだけの選手達が心を痛めたことだろう。

 森会長の40分に亘る講話を一体何人の人がその内容を知っているのか。マスコミが垂れ流した「蔑視発言全文」こそウソだと知る人は限りなく少ない。

「女性蔑視」と騒いでる連中は40分に亘る森の講話全文(添付)を読みなさいな。読んでそれでも「女性蔑視」だとか「女性差別」とか感じるようなら、精神が病んでるかジェンダーフリーの性的変質者か確信的破壊活動家だろうな(苦笑)

 冤罪というのはこうして生まれるのだと末恐ろしく感じる。森のあの女性への冷やかし程度の発言が「女性蔑視」と捉えられバッシングされる風潮こそが言論弾圧、言論の封じ込め、言葉狩り、正に共産主義国家以上の異常さを感じる。

 タレントの多くがマスコミの作為的切り貼りに便乗し森発言を批判し、誰だか分からないマスコミ御用達の知識人が森や川淵を「老害」呼ばわりしてる怪しい風潮の中で、森発言の全文を読んだお笑い芸人の小籔千豊の言葉に目が留まった。

「一部の発言を切り取って、印象を強めようという報道は別に今回だけでない。僕も最初ネットかなんかで文字見たとき『あ、えらいこと言いはったな』と思ったんですけど、全文読んだら、たぶんみんな印象変わると思うんですよ」と語っている。

「別に今回だけじゃなくて、どっかの市長の発言も切り取ってバン!って出たら『えらいこと言うたんやな』と。でも全部のこと見たら『そらしゃあないわ』って人、多かったと思うんです。変な発言したから『おい責任とれ! 辞めろ!』っていう空気にするなら、変な切り取り方して、後任決まらへんような状態にした報道の仕方をした人も、辞任とかせなあかんのちゃうかなと」とは蓋し正論。

 切り貼りして世論を煽った反日マスコミに猛省して貰いたいものだが、彼奴等にとって小藪の発言なんぞ馬の耳の念仏、兎に祭文の類。破壊活動を目論む左翼やマスコミらにとって、森を辞任に追い込んだことは功績以外の何ものでもない。

 国内には「天皇制」や「皇嗣殿下」「女性宮家」「協働」「男女共参画社会」などの共産党用語が溢れ、左翼陣営は潤沢な活動資金と政府中枢への蚕食が成功し、行政と共産主義の連結は目を覆うばかり。国家解体は想像以上に進んでいる。

 今後は、森発言を都合好く利用して効果を上げた反日勢力が、国連女子人権委員会や世界のジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者らと徒党を組んで、我が国の皇統に口を挟み「女性天皇」を謀って行くだろうことは火を見るより明らか。警戒せよ!

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2021年02月11日

明治22年2月11日の「紀元節」に大日本帝国憲法発布

 昨日10日は日露戦争の「開戦記念日」。本日2月11日は「建国記念日」、戦前の「紀元節」。「建国を偲び、国を愛する心を涵養する日」であり、また本日は「大日本帝国憲法(欽定憲法)」発布を記念する日でもあります。

 欽定憲法は、明治人の智慧が凝縮された日本の至宝である。また、欽定憲法と同じく旧皇室典範も正統な国法である。悲しい哉、この二つは放置され続けている。

 欽定憲法が発布されると、全国の神社では「紀元節祭」の催しを行うこととが慣例となり、青年団や在郷軍人会などを中心とした建国祭の式典が全国各地で盛大に開催されることになった。建国と主権国家の国法の誕生を心から祝った。

 本日も全国各地で「神武天皇陵遙拝式」や建国奉祝パレードが行われるが、新型コロナの影響で自粛を余儀なくされ、中止するところも出ている。然し乍ら、祖国日本に生まれた者として建国を祝うことは至極当たり前のことだろう。

 だが、悲しい哉、「紀元節復活は科学的根拠がない」「軍国主義復活反対」などとして、日本共産党を始めとした売国団体や誤(護)憲派が「奉祝反対」の催しを決行する。こうした光景こそ「平和ボケ」と揶揄される日本人を象徴するものだ。

 日本国憲法を有難がってる連中が、憲法に基き制定された「建国記念日」を蹂躙しているのは嗤うしかないが、連中の「科学的根拠が無い」とする論拠が、歴史学者としての高松宮崇仁殿下の御意見というのも御粗末なことだ。

 左翼どもは、日頃「反皇室」を叫んでいながら、こうした皇族の私感を利用して国民世論や大衆を煽動するのは常套手段でもあるが、「紀元節奉祝反対」を叫ぶ連中の真意は外でもない、正統な国法である欽定憲法の復活を危惧してのものだろう。

 戦前は「四方節(元旦)」「天長節」「明治節」「紀元節」は、四大節として宮中皇霊殿で天皇親祭の祭儀が行われ、各地で神武天皇陵の遙拝式も行われた。だが、敗戦後は「紀元節」の祭祀だけが中止。これ即ち「神道指令」の名残りである。

 戦後、日本国憲法に相応しい祝日の法案には「建国の日」も盛り込まれていたが、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が紀元節復活に難色を示し削除された。

 我が国が占領から解放され主権を回復した昭和27年4月28日に「紀元節復活運動」が起こり、33年に国会へ議案を提出するも実現出来ず、41年に「祝日法」が改正され、翌年2月11日に漸く「建国記念の日」として実施され今日に至っている。

 故中曽根康弘は「戦後政治の総決算」を唱え、安倍前首相が「戦後レジームからの脱却」を唱えたが所詮は画餅でしかなかった。戦後政治を改めるなら「憲法記念日」を祝日から追放し、新たに4月28日を「主権回復記念日」とすべきである。

 誤憲派や左翼陣営は、占領軍が「日本弱体化」の怨念を込めて我が国に押し付けた日本国憲法を有難がっているが、5月3日は「占領基本法」が施行された屈辱の日というのが正しく、反米を唱えながら現憲法容認とは矛盾の極みである。

 本日が「建国を偲び、国を愛する心を涵養する日」とするならば、次代を担う子供達や青少年に日本の神話を教え、建国の意義を伝えて行くべきで、そういう意味でも「建国記念の日」というより、「紀元節」とするのが相応しいと思う。

 国を愛する心の涵養とは、即ち、大和心の涵養であり、国学者・本居宣長の「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」との、この和歌に極まれり。

 日の丸や旭日旗を掲げて叫ぶ、安っぽい愛国心を昂揚することではなく、八紘(はっこう)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと。神武肇国の大理想である「八紘一宇」を掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進することである。

 誰もが誕生日を祝うのと同じ様に、国の誕生を祝うのは当然であり、民族の信念と道統を受け継ぎ、これを護持し、これを宣布し、そして子孫に伝える責任と使命を有する者、それは今を生きる我ら日本人であることは言うを俟たない。

 神武肇国の大理想「八紘一宇」を掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進しよう!

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2021年02月10日

本日2月10日は「日露戦争」の開戦記念日である

 15世紀に始まる「大航海時代」以降、白人による世界制覇(植民地支配)の滔々たる流れがアジアにも押し寄せると、危機感を募らせた我が国は、国内統一に向けて明治維新を成し遂げると、近代国家の建設を急いだ。

 そんな極東アジアが危機的情勢であるのに隣国の李氏朝鮮はその意味も分からず、相変わらず我が国を蔑視し続け、清の属国から独立を果たすことはなかった。

 当時、我が国ではロシアに対する安全保障上の理由から、朝鮮半島を勢力下に納める必要との意見が大勢を占めていた。そんな中、朝鮮を属国としていた清と、朝鮮に独立を促す我が国との間で諍いが起き、終に「日清戦争」が勃発する。

 大国・清との戦いで我が国が勝利するも、朝鮮は独立を果たさすことはなく、敗戦した清も崩壊し、その広大な領土は世界の国々に次々と蚕食されて行った。

 日清戦争での勝利に因って「台湾」「澎湖諸島」「遼東半島」が我が国に割譲されることとなった。だが、これをロシア、フランス、ドイツの介入によって、遼東半島は清に返還されることとなった。これが所謂「三国干渉」である。

 因みに、三国干渉での遼東半島のみ返還が成された。つまり「台湾と澎湖諸島は国際法上は未だ我が国の領土である」という意見があるのを紹介しておこう。

 三国干渉で遼東半島が返還されると、清と「露清密約」を結んでいたロシアは、我が国が手放した遼東半島の南端に位置する旅順・大連を租借すると、直ちに旅順に太平洋艦隊の基地を造るなど、満洲への進出を謀ろうとする。

 清で発生した「義和団の乱(義和団事変、義和団事件)」の混乱収拾を理由にロシアは満洲へ侵攻し、全土を占領下に置くこととなって行った。

 当時、国内では、伊藤博文を始め「日露戦争回避派」が大勢を占めていたが、徐々に「ロシアとの開戦已む無し」の声は大きくなり、明治37年2月8日、旅順港に停泊していたロシア旅順艦隊に日本海軍駆逐艦が奇襲攻撃に至った。

 同日、日本陸軍先遣部隊が朝鮮の仁川に上陸。翌9日、仁川港外にて同地に派遣されていたロシアの巡洋艦ヴァリャーグと砲艦コレーエツを攻撃し自沈に追い込んだ。この「仁川沖海戦」でロシアとの火蓋が切られ、翌10日、ロシアに宣戦布告。

 その後の戦いも熾烈を極め、「黄海海戦」「遼陽会戦」「旅順攻略」「奉天会戦」と、生死を分ける戦いが行われ、明治38年5月27日から28日にかけて繰り広げられた「日本海海戦」で我が国が起死回生の劇的大勝利を収めることになる。

「樺太攻略」も日露戦争の延長であり、樺太を全占領した我が国はその後の「ポーツマス条約」の講和によって南樺太の主権を有することとなる。この事実からも「北方四島」返還運動が如何に欺瞞に満ちたものであるかが分かるというものだろう。

「開戦記念日」というと、真珠湾攻撃に至る12月8日を思い浮かべる人が殆どだろうが、今日、2月10日は日露戦争の宣戦布告が成された「開戦記念日」である。

 明治人は国家主権快復の為に気概と誇りを以て爽やかに戦った。現代を生きる我々は、道徳に優れ教養と武士道精神に長けていた明治人の覇気に学ばねばならない。

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2021年02月09日

明治37年2月9日「仁川沖海戦」を以て日露戦争が勃発

 明治37(1904)年2月8日、旅順港に停泊中のロシア旅順艦隊に日本海軍駆逐艦が奇襲攻撃。日本陸軍先遣部隊が朝鮮仁川に上陸。翌9日、仁川港外に派遣されていたロシアの巡洋艦ヴァリャーグと砲艦コレーエツを攻撃し自沈に追い込んだ。

 この「仁川沖海戦(じんせんおきかいせん)」を以て日露戦争の火蓋が切られることとなり、翌10日、我が国政府はロシアに宣戦布告する。

 極東の小国であった我が国と、世界最大の軍事大国ロシアとの民族の生死を賭けた戦いは1年半にも及び、我が国が奇跡的大勝利を成し遂げた。

 固唾を呑んで見守っていた世界の人々の誰もがロシアの勝利を疑わず、そんな中での「日本大勝利」の報は極東小国日本の存在を世界に知らしめ、驚嘆させた。

 戦前、ロシアに占領や弾圧されていたフィンランド、トルコ、ポーランドの国々や、有色人種として差別されていた国家や民族にとっての日露戦争とは、国家と民族の存在を根本且つ決定的に変える程の影響を齎したのである。

 15世紀に始まったヨーロッパ人に因るアフリカ・アジア・アメリカ大陸への大規模な航海が行われた「大航海時代」以来、白人による世界制覇の滔々たる流れがアジアにも押し寄せ、江戸幕府も対応に苦慮したことは想像するに難い。

 我が国は危機感を以て迅速に明治維新の大業を成し遂げた。その後に起きた日清戦争、そして国家の存亡を賭けた日露戦争で我が国が勝利したことによって世界は大きく変化し、全世界の有色人種に強烈な影響を与えることなった。

 インドのガンジー、ネール、ビルマのオッタマ・ミール、フィリピンのリカルテ、ベトナムのファン・ボイ・チャウ、エジプトのムスタファ・カミール、トルコのケマル・パシャ等等、多くの英雄が日露戦争で日本の戦いの影響を受けた。

 大国ロシアに日本が勝利すると世界各地で「日本大勝利」に狂喜し、有色人種が白人に劣らないことに確信を持ち、各地で独立運動が湧き上がり、米国内でも黒人に人種平等の自信を与え、黒人解放運動の支えとなったのだった。

 黒人誌の「インディアナポリス・フリーマン」は当時、次の様な社説を掲げた。

「東洋のリングで黄色い男達のパンチが白人を打ちのめし続けている。事実ロシアは繰り返し何度も日本人にこっぴどくやられて、セコンドは今にもタオルを投げ入れ様としている。有色人種がこの試合をものにするには、もう時間の問題だ。長く続いた白人優位の神話が、遂に今突き崩され様としている」

 日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議に於いて日本の全権使節団は、国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れる提案を行う為にパリに向かう。

 途中、ニューヨークに立ち寄った折に、黒人指導者四人から「世界のあらゆる人種差別と偏見を無くす事に尽力して欲しい」という嘆願書を全権団が受け取った。

 だが、我が国の全世界の人種平等の願いは、議長を務める米国大統領ウイルソンに、「全会一致」との詭弁を弄されて、この要請は虚しくも拒絶されてしまう。

 結局、日露戦争が齎した歴史的課題である「人種平等の原則」の本格的実現は、その後に起こる大東亜戦争後に実現し、その歴史的大使命が果たされるのだった。

 こうした歴史的現実を顧みれば、我が国は先の大東亜戦争に敗れはしたが、その戦いには人種平等という大義があり、正に聖戦だったことが理解出来よう。

 世界史にとっても日本史にとっても重要な「日清戦争」や「日露戦争」の意義と大勝利という輝かしい出来事が、何故か余りにも軽く扱われているのは、未だ我が国がGHQが謀った戦後民主主義教育から脱却出来ていない証左でもある。

 嘗てアジアと欧米列強に呻吟していた国にとって希望の星であった日本が、国家の大本と歴史を忘却し、いつまでも米国の配下に甘んじてて好い筈がなかろう。

 日露戦争勃発の記念日に当たり、先人が決然たる態度で一戦を決した日清・日露の大英断を、そして大東亜戦争の大義を「民族の魂の記憶」として誇り高く、永く後世に継承して往かねばならないとの決意を新たにする。すめらぎいやさか。

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2021年02月08日

森バッシングに味を占めた連中が次に謀るのは「女性天皇論」だろう

 森喜朗東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長への総バッシングは左翼が謀った男女共同参画社会や男女雇用均等法の弊害である。森の発言が曲解や歪曲されて世界に発信されたことは我が国の汚点には違いない。

 そういう意味では森の発言は不徳の至りでもあるが、単なる女性への揶揄的発言を「女性差別」の大問題として煽り立てて批判してる連中こそ怪しからんことだ。

 以前にも「女性が土俵に上がれない」ことをして、相撲協会や日本全体が女性差別をしているかの如くに大騒ぎし、国内外の反日メディアが取り上げて、「女性差別は日本の風習である」かのような報道を世界にバラ撒いたことがあった。

 相撲協会は伝統や風習を継承しているだけのことで女性差別ではない。女性への差別や蔑視という次元で批判していることこそ日本差別そのものではないか。

 大相撲というのは、明治維新後に「断髪令」が発せられても丁髷の伝統を貫き、国歌「君が代」を斉唱し、「天覧相撲」を行い、「国技」を自称して来た保守の牙城とも言うべき存在である。それが気に入らない勢力が存在するのも事実。

 我が国の歴史・伝統・文化を否定している左翼陣営がそうで、そうした連中が大相撲批判を繰り返している。反天皇運動も同じで、森バッシングも似たり。森バッシングが悪質なのは、批判してる側が反日勢力に利用されてる自覚が無いことだ。

「女性差別」や「女性蔑視」を振り翳すことで成果を上げた勢力は、今後は「日本という国は女性差別や女性蔑視が罷り通る国だ」として、男系男子に限られている皇位継承に繋げて「女性天皇」や「女系天皇」論を謀って行くだろうことは必至。

 左翼と反日の巣窟である「国連女子差別撤廃委員会」が男系男子に限られている皇位継承に関して、皇室典範の改正を女性天皇を強要したことは記憶に新しい。

 国連というのは別名「戦勝国」。その主たる目的は日本バッシングであり、敗戦国なのに目障りな日本の国力を、悉く削ぎ落そうという策謀が見え隠れする。

 所謂「従軍慰安婦問題」でもそうだったが、我が国が女性を差別し、恰も日常茶飯事的に女性の人権を侵害しているかの様な国連のクソどものらの反日且つ一方的な物言いに、違和感と怒りを覚えるのは愚生だけではあるまい。

 皇室の神事の一つ「皇霊祭」では、生理中の女性皇族は参加出来ない。神事では生理は「穢れ」の一つと考えられているからだ。左翼や反天皇勢力からは「生理は汚らわしいものではなく、女性差別、女性蔑視だ」との抗議の声が上がる。

 生理中、女性というのは情緒不安定になるというし、そうした女性の体調を気遣うのは当たり前のことで、差別という次元で語ることが不思議でしょうがない。

 生理中の女性への対応は何も皇室だけの例外ではない。イスラム教では生理中にはモスクには入れないし、ユダヤ教でも生理中の女性との握手を禁じている。こうした対応は別に女性差別というものではなく伝統の中で培った教えである。

「女系天皇論」も女性差別を理由に論じられているのだが、左翼や反天皇勢力というのは考えが偏向してるのもそうだが物事の見方が実に薄っぺらいものばかり。

 それでは聞くが、126代続く天皇の歴史の中で8代10人の女性天皇がいる何処が女性差別なのか。歴代ローマ法王に女性はいないし、ローマ法王を選ぶ枢機卿にさえ女性はいない。「女性差別撤廃」というならこれも女性差別ではないのか?

 日頃「レディーファースト」と自慢し、女性を持ち上げている国でも伝統とはそういうものである。ローマ法王や枢機卿に抗議もしない国連女子差別撤廃委員会が、我が国の皇統に口出しするのは、要は「日本差別」と「日本人差別」である。

 自民党幹事長の二階俊博が、常々「女性尊重の時代に天皇陛下だけはそうはならんというのは可笑しい。時代遅れだ」との認識を披歴してるが、二階の発言は「国連女子差別撤廃委員会」が皇室典範の改正を強要したのと同じ流れである。

 皇統を女性差別で語るマヌケさを自覚せずに、日本差別著しい国連の御先棒を担ぐとは、政権与党幹事長としての資格に乏しく、己の短慮を恥じるべきだ。

 政府や皇統断絶を目指すインチキ有識者らは、皇室典範第12条の「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」との条項改正を理由に、「女性宮家」創設と「女系天皇」誕生を謀っていることは周知の通り。

 また、日本国憲法第2条には「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と、皇位は「世襲」であると記されているが、二階はこの条項を知った上で敬宮愛子内親王の即位を謀る。

 現憲法下で女性天皇・女系天皇を容認する勢力は現憲法第2条を楯に、皇室典範の改悪と敬宮愛子内親王こそ世襲の筆頭であるとし、国連女性差別撤廃委員会と足並みを揃え女性天皇誕生を謀るだろうが、断固として阻止せねばならない。

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2021年02月07日

「北方領土の日」は2月7日ではなく5月7日にすべし!

 本日は「北方領土の日」。己の土地を他人に奪われて黙っている者はいないだろう。況してや父祖伝来の国土が強奪されて泣き寝入りする民族が何処にあろうか。

「北方領土奪還」は正に日本民族の悲願である。ところが、戦後65年以上経った今日でも、北方領土問題は未だ解決の糸口すら見えて来ないのは一体何故なのか。

 思うに、領土主権の重要性に対する認識不足と、如何に不法に占拠されたかの真相把握が欠如していること、更には、ロシアへ(ソビエト共産党)の認識の甘さと対応の甘さ等が綯い交ぜとなった結果が、未解決の根源であろう。

 北方領土は「日露和親条約」並び「樺太・千島交換条約」「日露講和条約」締結により、歯舞、色丹、国後、択捉の4島を含む、北は占守(シュムシュ)島から得撫(ウルップ)島の全千島列島と南樺太が固有の領土となった。

 領土問題では、共産党が「全千島、南樺太の主権」を訴えているが、この認識が正しく「4島返還決議」の返還要求こそ軟弱土下座外交の極みである。

 先人達の外交努力を無視し、全千島と南樺太の主権が在るにも拘らず、4島のみの領有権主張を明記し、見す見す権利を放棄するとは理解に苦しむ。領土問題などの外交での譲歩は「更なる譲歩を生むだけである」ということを自覚すべし。

 安政元年(1855年)2月7日、下田で「日露和親条約」が締結され、歯舞・色丹・国後・択捉4島と千島列島の間に境界線が引かれ、樺太を混住の地と決めた。

 その後、明治8年(1875年)5月7日には「樺太・千島交換条約」が交わされ、樺太の北側を千島列島と交換し、南樺太と全千島が日本に帰属した。

「北方領土の日」は、江戸幕府時代に締結した「日露和親条約」を論拠とする2月7日より、日本国として「樺太・千島交換条約」を締結した5月7日が相応しく、2月7日にしていることは国民への目晦まし且つ弱腰外交と断じざるを得ない。

 右翼民族派は、国際法規である「日ソ不可侵条約」が蹂躪された8月9日を「民族痛恨の日・反ロシアデー」として「北方領土奪還」を訴えている。

「北方領土の日」を8月9日にせよとは言わない迄も、南樺太・全千島が日本に帰属した5月7日に訂正し、北方領土の歴史の事実と悲劇の現実を啓蒙すべきだ。

 1945年(昭和20年)2月、米国のルーズベルト、ソ連のスターリン、英国のチャーチルがクリミア諸島のヤルタで密談。ルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄を進言し、ソ連の対日参戦を促した。

「ヤルタ協定」では、ソ連が日本との戦争に参戦すること、南樺太をソ連に返還すること、千島列島をソ連に引き渡すことなどが決められたという。

 この密約に従ってソ連は、ドイツが無条件降伏した約3ヵ月後の8月9日未明に「日ソ不可侵条約」を一方的に破棄し対日宣戦を布告、ソ満国境を越えて侵略。

 日本人を虐殺、婦女子を強姦、鬼畜の如き行為を繰り返し、軍人、軍属、一般人を含め80万人以上の人間をシベリアへ抑留し、半数以上を凍死、餓死させ現在に至っている。日本人はこうした悲劇を決して忘れてはならない。

 ロシアは「ヤルタ秘密協定」を楯に北方領土の主権を主張しているが、「ヤルタ秘密協定」こそが国際法的にも意味を成さない協定なのだ。

 日本は「樺太・千島交換条約」並びに「ポーツマス条約」を論拠に領土の主権を主張をすべきで、4島返還要求など言語道断と断じる他はない。

 ロシアに対し毅然と4島を含む南樺太、全千島列島の即時返還と国際法規の蹂躙と蛮行の謝罪要求すべきである。韓国に不法占拠されている「竹島」も然り。

 最近では沖縄県尖閣諸島の領有権を、支那や台湾が自国領だと主張しているが、これは戦後、歴代の政府や国会が、領土主張を疎かにしてきた結果だ。

 世界の各地で民族争いの中で国境紛争が頻繁に起きている。世界では寸土たりとも主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識。奪われたものは奪い返す以外に解決手段は無い。北の島々に眠る御霊と共に還れ北方領土!

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2021年02月06日

森喜朗バッシングは男女共同参画社会や男女雇用均等法の弊害

「女性が沢山入っている理事会の会議は時間がかかります」との森喜朗東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長へのバッシングが止まらない。女性への揶揄や冷やかし程度の発言を赦さない風潮や不寛容さにはうんざりする。

「井戸端会議」という言葉がある。井戸の側で女性が水汲みや洗濯をしながら世間話をすること。暇を見つけて集まってする他愛のない御喋りのこと。

 女性というのは多く集まると余計な話に及んで長くなるというのは別によくあること。幼稚園に子供を送って行ったのは好いが親同士の会話が弾み、子供が帰ってくる時間になっても同じ場所で話し込んでたなんていう笑い話もある。

 話の途中で帰宅したものなら他の主婦らからどんな悪口を言われるか分からないから、つい長居をしてしまうなんていうのも女性ならではの性だろう。「女性っていうのは競争意識が強い」という森の発言には一理あると思う。

 女性というのは融通が利かない。この発言で注目するのは、冒頭の「女性理事を選ぶというのは、日本は文科省が五月蠅く言うんですよね」との発言だ。

 この発言こそが「男女雇用均等法」や「男女共同参画社会」への疑義と捉えられ、これらの企画を謀った左翼勢力の逆鱗に触れたことで左翼マスコミが国民世論を煽り、ネット民やインチキ人権派が尤もらしく批判しているだけのこと。

「男女共同参画社会」は「共産(共参)社会の実現」が目的。これらの企画は、総理府や国立婦人教育会館に巣食っていた元全共闘系と共産党系の女革命家や、ジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者ら革新的左翼が共同謀議的に考案したものである。

「男女雇用均等法」も同じ様なもの。男女雇用均等法は、女性の地位向上を謳って改正されているが、能力主義や実力主義ではなく、管理職や理事などの特別職の男女の比率を均等にしようというのは日本社会にそぐわない規則だ。

 森が文科省からの「女性理事」選定の要請に疑義を呈したのも、男女という性差ではなく「能力主義」にすべきだとの意識が強かったのではあるまいか。

 国體破壊に繋がる愚策が、保守政党を自任している自民党政権下で疑いも無く導入し、今では男女共同参画担当大臣までいるという御粗末さは厭きれるばかり。

 こうした愚策を続けることは国體護持の上からも問題が有り過ぎる。男女共同参画社会や男女雇用均等法は「国連女子差別撤廃委員会」の提言が元凶である。

 女性差別や女性蔑視を理由に「国連女子差別撤廃委員会」が、男系男子に限られている皇位継承に関して皇室典範の改正を強要したことは記憶に新しい。

 126代続く天皇の歴史の中で8代10人の女性天皇が存在してるが、我が国の皇位継承を男系男子に限られていることの何処が女性差別なのか。国の伝統に口出しするのは如何なものか。ならば、ローマ教皇(法王)の歴史はどうなのか。

 歴代ローマ法王に女性はいないし、ローマ法王を選ぶ枢機卿にさえ女性はいない。「女性差別撤廃」というならバチカンにも抗議したら如何か。

 日頃「レディーファースト」と自慢してる国でも伝統というのはそういうもので、我が国の皇統まで口出しするなら、ローマ法王の選出方法や枢機卿にも抗議すべきだと思うが、抗議したとしたところでけんもほろろに拒否されるだろう。

 伝統を守るというのはそういうことでもある。抑々、我が国の最高神である天照大御神は女性の神だ。我が国こそがレディーファーストを身を以て実践している。

 女房(かみさん)とは「神さん」であり、女房を「山の神」とも言って崇めてもいる。女性の神に仕えるのは、やはり女より男の方が好ましい(笑)

 そういやその昔、森政権が誕生して間もなく「日本は天皇を中心とした神の国」と発言したことでバッシングを受けて首相を辞めさせられたのは記憶に新しい。

 米国の教科書でも「日本はアマテラスの神の国」と教えているのに、日本の総理大臣が「日本は天皇を中心とした神の国」と発言し批判され辞任とは摩訶不思議な出来事だった。そういう意味では、森というのは批判され易いのだろう(笑)

 相手が謝罪したらそれを諒とするのが日本人の美徳だが、謝罪しても赦さないというのは日本人の美意識の欠落甚だしい現象でもある。大病を患いながらも頑張っている老人の失言を論い、正義面してバッシングしてさぞや満足に違いない。

 森の女性への揶揄に噛付いて大騒ぎしながら中共のウイグルへの人権蹂躙には口を噤む不思議。中共が自国に有利な法案を制定し尖閣列島や周辺諸国への恫喝と併呑を謀っていることに危機感を持つべきだし、チョッとは滅私奉公しなさいな。

 昨今、国家観を持たないインチキ保守政治家が席巻してる中で、森喜朗というのは人情味に溢れた自民党政治を代表する様な政治家はいないのではなかろうか。それ故に、左翼マスコミやアホ野党から忌み嫌われてしまうのだろう。

 森喜朗はその昔、愚生が所属していた防共挺身隊にとある一件で石川県の自宅に押しかけられ抗議されたことがある。さぞや恨んでると思いきや、都内で流し街宣をしていると宣伝車の前に突然、黒塗りのセンチュリーが停まった。

「いや~防挺さん」と出て来たのは、当時自民党の幹事長だった森喜朗だった。言論の自由を振り翳すマスコミが言論の自由を奪う不条理。ガンバレ、森(笑)

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2021年02月05日

1945年(昭和20年)2月4日から11日にかけて行われた「ヤルタ密約」

 第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)2月4日から11日にかけて、米国のルーズベルト、ソビエト連邦(ソ連)のスターリン、英国のチャーチルらがクリミア諸島のヤルタに集い会談が催された。所謂「ヤルタ会談」である。

 この時、ルーズベルトは「南樺太のソ連への返還」と「千島列島のソ連への引き渡し」を提示して唆し、「日ソ中立条約」の破棄を進言し対日参戦を促した。

 ソ連は、このヤルタでの密約に従ってドイツが無条件降伏した約三ヵ月後の昭和20年8月9日未明に、我が国と締結していた国際法規を蹂躙し参戦し、ソ満国境を越え鬼畜の如き蛮行を繰り返し、南樺太並びに全千島列島を強奪した。

 現在も、ロシア側は「ヤルタ密約(ヤルタ協定のうち極東密約)」を根拠に北方領土の主権を主張しているが、ヤルタ密約の有効性について英国政府は、ヤルタ会談翌年の1946年2月に疑義を呈していたことが明らかになっている。

 英国立公文書館所蔵の英外交電報では、対日参戦後のロシアの四島占拠は「根拠なし」として、米英ソがヤルタ密約を公表する2日前に、英外務省から全世界の在外英公館54ヶ所に「緊急且つ極秘」として一斉に送られている。

「ルーズベルト大統領が権限を越えて署名したことや、米上院の批准もない状況下での有効性について米国内で論議が起こるかもしれない」として、「(英国は)その議論に巻き込まれないよう注意すべきだ」とも警告している。

 チャーチル首相が1941年8月、ルーズベルト大統領と領土不拡大の原則を謳う「大西洋憲章」に署名しており、ヤルタ密約がこの大西洋憲章に反するとの英政府の認識が示された形だ。「露の四島占拠根拠なし」は米英の共通した認識でもある。

 一方、米国では1953年に就任した共和党のアイゼンハワー大統領が、年頭教書演説で「あらゆる秘密協定を破棄する」と宣言していることに括目したい。

 宣言から3年後の1956年には、アイゼンハワー政権が「ヤルタ協定はルーズベルト個人の文書であり、米政府の公式文書でなく無効である」との国務省声明を発表し、ソ連の北方領土の占有に法的根拠がないとの立場を鮮明にしている。

 ヤルタ協定に参加した米英が、ロシアの北方領土の主権に疑義を呈している中で、何故に当事国の我が国がロシアの主張を認め、北方領土や南樺太での鬼畜の如き蛮行を赦すが如くに「二島先行返還」を主張するのか理解に苦しむ。

 ロシアは第二次大戦の戦勝国として、米英首脳との「ヤルタ協定」を楯に北方領土の主権を主張しているが、ヤルタ協定こそ国際法的にも意味を成さない協定である。サンフランシスコ平和条約の千島関連の条項もまた然り。

 ロシア側の主張は、「カイロ宣言」などに明記されている「領土不拡大」という戦後処理の大原則を蹂躙するもので、北方領土への侵略行為はスターリンの主張を踏襲しているが、カイロ宣言にはスターリン自身も署名しているではないか。

 こうしたリシア側の矛盾と不当性を糾した上で、我が国の領土主権の正当性を内外にアピールすべきである。我が国の弱腰軟弱土下座外交から返還要求こそが、未だに領土問題が解決しない元凶である。「二島先行返還論」を撤回せよ!

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2021年02月04日

全国の小中学校から二宮尊徳像が次々と撤去されたマヌケな理由

 その昔は全国の小中学校には二宮尊徳(金次郎)像が置かれていた。だが、戦後になると次々と撤去され始め、昨今では像が残っている学校は珍しくなった。

 二宮尊徳像が撤去された理由というのが、「児童の教育方針にそぐわない」「歩いて本を読むのは危険だ」「努力を尊ぶ姿勢は受け継ぎたいが、子供が親の命令で働く姿を勧めることは出来ない」という愚にも付かないものばかり。

 教育委員会も「戦時教育の名残」「歩いて本を読むのは危険」とのアホ左翼の意見を優先しているが、教育委員会とは日教組や全教と同じく教育崩壊の元凶となっている。教育こそ国の大本であり、教育の再生こそ我が国の急務である。

 二宮尊徳ほど、戦前と戦後の評価が二分された人物も稀だろう。今や「尊徳」の教えは忘れさられ「損得」ばかり勘定する日本人が多くなったことは実にさもしい。

 戦前の道徳教育である「修身」では、尊徳の唱えた「勤倹・分度・推譲」の思想が教えられ、模範的な日本人の倫理観とされた。だが、戦後のGHQの徹底した戦後民主主義教育の実行により尊徳の教えは「危険である」と一掃されてしまった。

 倫理観が欠落し教育の荒廃が叫ばれて久しい今こそ、尊徳の教えを子供達に伝えて行くべきだろう。尊徳の生立ちや業績を書いた「報徳記」や、尊徳の言葉を記した「二宮翁夜話」が有名だが、二宮翁夜話の中から幾つか摘記してみよう。

【積小為大】「大事をなそうと思ったら、小さな事でも怠らず努力することだ。全ての物事は小が積もって大になる。ところが、小人物に限って最初から大きな事を欲し、小さな事を怠るものだから、結局は何も出来ないで終わっている」(十四条)

 元参院議員でタレントの西川きよしじゃないが「小さなことからコツコツと」と同じだが、この哲理を見出したのが金次郎17歳というから驚く。

【心田開発】「土地の荒廃の本は人間の心が荒れているから起こるのである。私の道では先ず心の荒れを耕すこと。心の荒廃を耕したら、次は田畑の荒地を開き、水を引き、苗を植えて、熟田にしていけば、自ずから国が富強になることは間違いないのだ」(続二十四話)

 尊徳が再建に取り組もうとした領地は荒れ果て、農民たちは惰眠を貪り誰も働こうとしない。そこで尊徳は、その前に農民たちの心を耕すことを試みたという。

 目先の難問を解決したところで、同じ事が起こるのは目に見えている。尊徳の荒地とは違うが、 財政再建で有名な歴史上の人物と言えば、米沢藩第九代藩士の上杉鷹山だろう。鷹山が先ず手を付けようとしたのが領民の心の改革であった。

「単に帳簿上の赤字を克服すれば財政再建が出来るという訳ではない。今は困窮の余り、この国の人々は目先の利益のことしか考えず、他人のことを思い遣れなくなっている。人々の心にも赤字が生じてしまったのだ。これを克服しなければ、喩え帳簿上の赤字を克服したとしても、また同じことを繰り返すだろう」

 二宮尊徳も鷹山のこの教えに学んだのではあるまいか。そうした経験から尊徳は「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」と訓えている。財政再建は、帳簿上の克服と同時に道徳教育の徹底を図らねばならないということだ。

 道徳教育で大事なものは何より幼年期の「躾」であり、親の躾は勿論のこと保育園や幼稚園、そして小学校低学年での教えがその子の将来を決定付けると言っても過言ではない。道​徳教育の根本は「教育勅語」に示されている通りである。

【至誠実行】「私のやり方は至誠と実行有るのみである。私は才知とか弁舌など尊ばない。才知弁舌は人には効き目が有るかも知れないが、鳥獣、草木を騙すことは出来ない。そこへいくと私の方法は至誠と実行だけだから、米麦でも野菜でも、蘭でも菊でも、皆に通じてこれらを繁栄させることが出来る。凡そ世の中のものは、知識や学問が有っても、至誠と実行が無かったら何事も成就しないことを知らなければならない」(百三十九話)

 至誠の実行こそ尊徳の実践哲学の根本とも言えよう。道徳教育を学び、教育勅語を諳んじられたとしても意味は無い。学んだことを実行することこそ肝要である。

【勤・倹・譲】「私の報徳の道は、勤・倹。譲の三つである。勤とは、衣食住に利用出来るあらゆるものを骨身惜しまず生産すること。倹とは、その作り出したものを有効に活用し無駄にしないこと。そして譲とは、衣食住の三つを他に譲り及ぼすことである。但し、この譲には色々有って、今年のものを来年の為に蓄えるのも譲、子孫に譲ったり、親戚、朋友、郷土、国家の為に譲るのも譲である。その人の分限に於いて出来るだけ多くを譲る様にしなければならない。勤・倹・譲の三つは、鼎の三本足の様なもので、一本でも欠けたら報徳の道は立たないことになる」(続四十三話)

 報徳実践の三大哲学で、一般には「勤労」「分度」「推譲」の実行として教えられている。 こうした尊徳の教えは、明治資本主義の創成期に活躍した渋沢栄一や安田善次郎、御木本幸吉、松下幸之助など多くの実業家に影響を与えた。

 金次郎少年は賢人の名言集から学び、それを全力を実践した。我が国の将来を担う子供達にこそ、二宮尊徳(金次郎)の精神を教えて行かねばならない。

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2021年02月03日

文章の極意は難解なものは易しく、易しいものは格調高く(伊藤仁斎)

 儒学である「論語」「孟子」は、浅学な愚生には哲学的過ぎて理解し難いものがある。儒学を「日本の儒学」に確立した人物が伊藤仁斎。仁斎の儒学は、同じ儒学の朱子学とは一線を画し、庶民でも理解出来る様にと易しく説いている。

「読書百編義自(おのずか)ら見(あらわ)る」として「論語」「孟子」を読むのも好いが、儒学の入門書として仁斎の「童子門(どうじもん)」に優るものはない。

 真理の道は「仁・義・礼・智」であり、聖人(孔孟)は善を成し、悪を遠ざけ、徳を磨く様に勧め「忠・信、敬・恕」も人間の本性の善を維持する拠り所となる。「童子門」では、「仁」とは、徳のうちでもっとも最大最高のものであると説く。

「仁」について、「これを一言でいうなれば、愛そのものである。それは君臣の関係に於いては義といわれ、父子では親といわれ、夫婦では別といわれ、兄弟では序といわれ、朋友では信といわれるが、みんな愛から発したものである(三十九条)」
 
 仁斎は、寛永四(1627)年、京都の材木商の子として生まれた。石田梅岩と同じ町人出身ということが影響し、その教えは実に分かり易いものが多い。

 仁斎が登場するまで、日本の儒学は朱子学の独壇場であったが、仁斎はこれを孔孟説を歪曲するものとして「論語」「孟子」に戻ることを提唱したのである。朱子学が全盛の時代に「論語」「孟子」以外は無用というのも勇気ある提唱だろう。

「論語」も「孟子」は各章薀蓄のある名句が並ぶが、理解し難いものが少なくない。だが、仁斎の「童子問」を読むと孔孟の言葉が理解した気になるのは不思議だ。仁斎こそ、大陸の儒学を「日本の儒学」として確立したというのを理会する。

 今日でも大学教授や売文屋らが書いた儒学の書物に目を通すと、やたら難しい言葉を羅列し自分に酔っているが、結局何を言いたいのか分からないものばかり。右翼人の中でも四書五経を然も自分の思想であるかの様にひけらかす輩がいる。

 請売りばかりで自分の言葉になっていないから相手に響かない。武士道で一番嫌われるのが「衒学」だが、真に学問を積んでいれば衒学臭くはないものだ。 

 仁斎はこういうものを「邪説」を振りまく輩と喝破し、「難解なものは易しく、易しいものは格調高くというのが文章の極意」と説いている。弟子に「先生の説は余りにも卑近過ぎて平俗過ぎるのではないですか」と問われ、こう答えている。

「卑近で平俗ということは常識ということである。常識こそ真理なのだ。難しくて高邁なものは空理空論である。学問とは世の為人の為に役立つものでなければならないのだから、卑近であるのが当然である。日常生活を軽視する者は、道を究めることは出来ない。(二十四章)」。蓋し正論である。

「童子問」を読むと、解り難かった儒学というのが親しみ易くなるのは、これこそ仁斎の趣意であり、日本独自の儒教と謂われる所以なのである。

 本来、学問とは他人を説得したり、論破したりするものではなく、自分自身がどう生きて行くかといったことに答えを見出すものでなくてはならないという。

「石門心学」の祖といわれている石田梅岩は、学問とは「人倫を明らかにし、身を敬み、義を以て君を尊び、仁愛を以て父母に事え、信を以て友に交わり、広く人を愛し、貧窮の人を憐み、功あれども伐(ほこ)らず、万事約を守り、家業に疎からず、入るを量って出すことを知り、法を守って家を治めること」だと訓えている。

 吉田松陰は、「学問をする眼目は 自己を磨き自己を確立することにある」と訓え、頭山満も「沈勇を心掛けよ」と訓えている。学ぶことで自分自身を鍛え上げることが、自然に相手や周りまでも好い影響を与えるものとなるという。

 右翼のカリスマと言われた野村秋介は、「人を動かすものは決して理論などではなく、自分の謙虚な反省に基づく人間性以外にあり得ない」と教えていたが、学問や理論よりも何をするにもやはり人柄が大事なのは言うまでもない。

 右翼というのは愚生も含め、日本人としての正論を語っていながら世間から忌み嫌われるのは、人となりに問題があるのだろう。先ずは人格形成の向上を図り、一維新者として斯く生きるべきだということを学ばねばならないのだと痛感する。

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2021年02月02日

ミャンマー国軍がクーデターを実行しスー・チーら政権幹部を拘束

 ミャンマー国軍がクーデターを実行。ウィン・ミン大統領と国家顧問兼外相のアウンサン・スー・チーら政権幹部を拘束した。スー・チーを民主化の象徴と讃えて発足したミャンマーの民主化は10年足らずで軍事政権に逆戻り。

 米英やマスコミはミャンマー軍事政権を非難し、スー・チーを民主化運動指導者と持ち上げ、「スー・チーこそがミャンマーを救う」かの様な報道が目立つが、ミャンマー(旧ビルマ)の歴史はそんな簡単なものでは語れない。

 十五世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の滔々たる流れがアジア諸国にも押し寄せ、次々と欧米帝国主義の植民地として蚕食される。

 国王が支配し、歴史を有するビルマも英国の植民地となった。英国は非情にも国王をインドに流し、王子を殺し、王女はインド兵に与え王家を絶やした。

 国王が住んだ城を監獄に造り替え、インド人や華僑を入れ、ビルマを多民族多宗教国家に変えた。改変されたビルマはインド人が金融を仕切り、華僑が商売を担い、山岳民族が軍と警察を握り、ビルマ人は最下層の農奴にされた。

 英国にズタズタにされたビルマは、第二次大戦後戦後独立を快復すると英国的なものを全てを排除した。アウンサンの暗殺もその一つだった。犯行は元首相のウ・ソーとされているが、英国が仕組んだものだということは歴史的事実である。

 奴隷制度や残虐行為が明るみに出れば、アジアで残虐行為をやったのは日本ではなく、白人国家だった事がバレると危惧した欧米は口を揃えてビルマ非難を始めた。

 その工作に利用されたのがアウンサンの娘スー・チーだった。英国人に父親を殺されたスー・チーは反英国の象徴になると思われていたが、当時15歳のスー・チーを英国に連れ出し、英国人として教育、洗脳し、英国人の男性と結婚させ手懐けた。

 スー・チーは祖国のビルマではなく宿敵の英国に忠誠を誓い、英国に背く祖国を非難し、「植民地支配の糾弾事業」を潰し、ビルマ政府を軍事政権と非難し続けた。そんなスー・チーの功績が認められノーベル平和賞を受賞するに至った。

 90年代、極貧に喘ぐビルマは中共に支援を求めた。議長のタンシュエは反対する良識派を追放し実権を握ることとなるのだが、これを機にビルマに雪崩の様に入り込んだ支那人が金融も商売も独占し、政治も共産化して行った。

 民生移管に向けた総選挙では中共に国を売ったタンシュエ一派全員が予想通り全員当選。選挙自体、民主化とは程遠いものだというのは誰の目にも予想出来る。

 昨年11月に行われた選挙では、スー・チー率いる国民民主連盟(NLD)が政権を維持する結果となるも、「結果は不正だ」としてクーデターが実行された。

 スー・チーは軍事政権を批判し、反政府活動をしたところでミャンマーとミャンマー国民は救われることはない。ビルマは既に中国共産党の支配下の様なもの。役目を終えたスー・チーが、中共に擦り寄り、それを軍部が警戒し拘束した。

 明治19年、ビルマを視察した情報将校の福島安正は、人々が英国の支配下で奴隷の如く酷使され、理由もなく鞭打ちされ、無闇矢鱈にビルマ人が射殺されている光景を目の当りにし「同じアジア人として義憤に駆られた」と語っている。

 明治19年といえば日清戦争が起きる10年程前のこと。欧米列強がアジアを侵略し、我らと同じアジア人の悲劇を眼前にして危機感を抱いてたことが想像出来る。正しく、日清・日露・大東亜戦争は避けて通れぬ歴史的必然だったと痛感する。

 我が国もそろそろ、米国依存のまやかしの平和を貪るのは止め、日清・日露・大東亜戦争の大偉業を想起し、真の独立を目指すべきである。中共が跳梁跋扈する現代に於いて、我が国こそアジアの希望の星であらねばならないのだ。

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2021年02月01日

最終処分場の候補地が決まらず頓挫しているのは政治の怠慢に他ならない

 地元紙の一面に原発から出る高レベル廃棄物(核のゴミ)の最終処分場の受け入れに関するアンケート調査の結果が出ている。県内の自治体で「受け入れることがあり得る」と答えた市町村はゼロ。更なる風評を懸念するのは当然でもある。

 だがどうだろう。「国が責任を持って解決を図る」と言いながら、核のゴミの処分場が風評を招くとして受け入れを反対してたらエネルギー政策すら前に進めないし、原発設置であらゆる恩恵を享けた我々が責任を持って解決すべきだ。

 反原発派らは「自然災害が多い日本での最終処分は安全性への懸念も大きい」と批判的で、マスコミもそうした感情的世論に与して恐怖を煽る。そうしたことが風評の元凶になっている。だが、専門家に拠れば処理技術には何ら問題はないという。

 福島第一原発事故で現場の飲料水を飲んで「セシウムの半減期は100日」と証明した物理学者の高田純教授は、反原発派からは「御用学者」と断じられてるが、核のゴミの地下埋設で「放射線の漏洩などが起こる危険性は無い」と断言している。

 その科学的根拠は「ガラス固化体となった核のゴミから出される放射能は頑丈な金属製の鎧オーバーパックの中で水を通しにくい粘土で囲み300m以下の地層で眠り続ける。その間、物理法則に従い放射能は徐々に減衰し消滅する」と説明する。

 最終処分場の候補地に名乗りを上げると電源三法交付金が出る。選定が決まれば莫大な補助金が交付される。処分場の建設に伴い道路、港湾整備などで雇用が増え人口も増える。住民が増えれば学校が造られ医療を施す病院も建つだろう。

 最終処分場選定に向け文献調査に名乗りを上げてる北海道寿都(すっつ)町や神恵内(かもえない)村商工会が誘致を目指す請願を村議会に出した。

 高レベル放射性廃棄物の最終処分場建設が実現されるまでには文献調査で約2年、ボーリングなどの地下概要調査で約4年、更に精密調査に約14年を要する。

 文献調査だけで最大20億円、その後の地質調査では最大70億円が交付される。最終処分場の精密調査になれば更に高額な交付金となる。過疎化などで人口減少に伴う財政が減少して行く中で、最終処分場建設に関する交付金は魅力だろう。

 セシウムの被害が無い中でセシウムより弱いトリチウムに大騒ぎして処理水の海洋放出を先延ばししてるが、除染で出たゴミの最終処分にしろ、核のゴミの最終処分場の候補地が決まらず頓挫しているのは政治の怠慢に他ならない。

 核のゴミの廃棄物処分地探しを公募したのは小泉政権下だった。今や脱原発の急先鋒である小泉は、当事者なのに他人事の様に「放射性廃棄物の最処分場が確保されていない」と語った。こんな御粗末な政治家が総理だったというのが国民の不幸。

 使用済み燃料を再処理するとプルトニウムやウランなどの酸化物が精製されるが、この再処理の過程で出るのが高レベル放射性廃棄物という核のゴミだ。最終処分場に埋設されずに原発構内で保管してる方が危険だとは思わないのだろうか。

 余剰プルトニウムを持つことは国際的に許されない。再処理に拠って精製されたプルトニウムやウランを「プルサーマル」や、混合酸性物(MOX)燃料を利用した「フルMOX」として使わなければ国際公約違反に問われることとなる。

 そういう意味では、高速増殖炉「もんじゅ」は、生成されたプルトニウムや燃え残りのウランをMOX燃料に加工し、高速炉サイクル技術に因って電力を確保しようという夢のエネルギー政策でもあったのだが、その意義を知る国民は少ない。

「もんじゅ」は単にエネルギー確保だけでなく、安全保障などの視点からも重要だった。高速増殖炉に成功させ世界のエネルギーの平準化を達成出来れば、我が国は経済大国としても技術立国としても世界から尊敬されただろうに廃炉が決定した。

 高速増殖炉を使用するサイクルが完成すれば、8千年間もの発電が可能になると推計されていたが、反原発に煽られた世論に屈し廃炉されたことは残念なことだ。

 高レベル放射性廃棄物処分について、政府はその重要性を認識しつつも反原発の流れから傍観を極め込んでいる。世界が注目する高レベル放射性廃棄物の深地層技術は、今後のエネルギー政策を左右するものとなろう。

 候補地として福島県が名乗りを上げれば好いものを、無自覚左翼の内堀政雄福島県知事は「高レベル放射性廃棄物の最終処分は国の責任で適切に行われるべきもので、本県が最終処分場になることはあり得ない」との認識を示している。

 経産省も福島県に気兼ねして「福島県は現在、政府として原発事故の収束と復興に全力で取り組んでおり、相応の配慮が必要。高レベル放射性廃棄物について、福島県に何か負担をお願いする考えはない」と強調し、その方向で進んでいる。

 原発事故に由る県民感情は重々理解するが、原発設置県の責任として原発事故の責任を東電や国に押し付けるのではなく、現実に起こってしまった事実を鑑みれば、福島第一原発周辺以外に最終処分場の候補地は無いのではあるまいか。

 原発事故の犠牲になった上に最終処分場を建設し、また事故が起きたらどうするのかという不安を語っていては事が進まない。我ら福島県民が犠牲になる事で我が国の発展が得られるのであれば、喜んで受け容れる覚悟は出来ている。

 福島の復興無くして日本の未来は無いと言うのならば、感情論で停止されている東京電力福島第二原発の再稼働を急ぎ、原発エネルギー政策の象徴でもある電柱を全て地中化し、道路などのインフラを整備し日本一の街創りを奨めよう。

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