2021年01月

2021年01月31日

「#池上彰のニュースうそだったのか」がトレンド入り(笑)

 他人の記事や主張の登用や引用の常習犯で、テレビ朝日御用達のインチキジャーナリストの池上彰が、昨日放送されたテレビ朝日の「池上彰そうだったのか2021日本や世界はどうなる?」で、次の様なデマを垂れ流したという。

「バイデン大統領は、中国の人権問題に関心がある。新疆ウイグル自治区で強制収容所に入れられているとか、香港民主化運動による逮捕とか、トランプ大統領はこれまで何にも言ってこなかった。全然、人権問題に関心が無かった」

 バイデンを持ち上げてるが、米国大統領の中でトランプ程「人権問題」を提起した大統領はいない。拉致問題にも熱心で国連で演説したことは日本人として感謝しかない。それなのに「人権問題に関心が無かった」とはデマ以外の何ものでもない。

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 この放送後「#池上彰のニュースうそだったのか」がトレンド入り。こんな画像を見付けたが、作った人は大手広告代理店のコピーライターより上手いな(笑)

 テレビ朝日とか朝日新聞なんてのは所詮は株式会社だから視聴者に媚びた放送をするのは当然で騒いでる人も反日マスコミの営利至上主義に踊らされてるだけ。

 アホタレを前に池上が自説を垂れ流し、それを聞き入ったアホタレが何の疑いも無く肯く。そうした光景を目にした視聴者は池上の意見が正しいと判断する。

 大多数の有権者は、マスコミの提供する偏った報道に毎日接することで意思行動を方向付けられる。声の大きい者や頻繁に接する物に、人は「正しいもの」「魅力のあるもの」として誘導される。「凡そ大衆の逆が正論」とは蓋し正論。

「テレビショッピング」というのは、視聴者に都合の良い部分だけを繰り返し何度も見せて、タレントや有名人らに感想を聞いたり、実体験を語って貰ったりすることで、視聴者は大して欲しくないものをついつい勢いで買ってしまう。

 テレビ朝日などの売国マスコミにとって執拗に報道するものが見せたいものであり、誘導したいものである。報道しないものこそが国民には知らせたくないものなのだ。未だ知らせないだけなら赦せるが、池上の自説はデマそのもの。

 巨大な洗脳装置がマスコミであり、くだらない芸能ニュースやお笑い番組などにどっぷり浸かっている人達こそが愚民政策の体現者であることを自覚すべきだ。

「放送法」の第1条第2項には「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」と謳われている。

 第4条第2項には「政治的に公平であること」。同条第4項には「意見が対立している問題についてはできるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と記されている。池上彰の番組は歪曲しており放送法に違反してることは明らか。

 池上の番組は真実を報道しておらず情弱への洗脳番組に他ならない。番組終了間際に池上は我が国が発行する国債を「国民の借金」との認識を示したという。

「日本の国債は借金だから返済は当然」と言わんばかりに、「新型コロナの10万円給付も国の借金だから、皆さんが将来働いて返さないといけない」とか言って番組が終わったらしいが、要はこうした問題も政府批判に利用する強かさが見える。

 多くの国民はマスコミの報道を鵜呑みにし「投資がそれ以上の税収を生む」ということを知らないから、「公共投資はダメ」とか「赤字国債の発行もダメ」といった妄言やインチキ経済評論家の「似非経済危機論」を信じきっている。

 池上のサブリミナル効果紛いの番組終了間近のコメントは耳に残るもの。10万円の給付金を言うなら、財政危機なら政治家の報酬や政党交付金の廃止などを訴えるべきで、そうしたことも言わずに借金返済の不安を煽るとは悪害そのものだ。

 元社青同(社会主義青年同盟)の活動家だったという池上彰は確信的左翼活家だろう。極左どものこうしたプロパガンダやデマを許してはならない。

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2021年01月27日

国旗「日の丸」と国歌「君が代」は我が国體の精華を見事に現している

 本日は「国旗制定記念日」。当たり前のことだが、何処の国に生まれようが自国の国旗・国歌に親しみを感じているし、誇りを持っている。まともな日本人ならば「日の丸」「君が代」に愛着を抱いているのが普通だろう。

 ところが、未だ日の丸や君が代に公然と異議を唱え、反対している勢力が存在するのもまた事実。「日教組」や「全教」「共産党」といった反日アホ勢力だ。

 世界の多くの共産主義者は全て愛国者だが、日本の左翼は自国を貶して恥じない売国奴ばかり。売国奴の左翼というのは世界広しと雖も日本だけの珍現象だ。

 連中は「日の丸は軍国主義の象徴だ」「日の丸は侵略の旗だ」また「君が代は天皇賛美だ」との妄言を垂れ流し、左翼教師どもは純真無垢な子供達を洗脳する。

 ならば、米国の旗はどうだ。英国やオランダ、フランスはどうなのだ。周辺国を弾圧し続ける中華人民共和国の旗はそれこそ侵略の旗ではないのか。天皇国日本に生まれた日本国民が天皇を賛美したとして何が怪しからんというのだ。

 自民党保守系有志議員の「保守団結の会」は、日章旗を傷つける行為を罰する「国旗損壊罪」の新設を盛り込んだ刑法改正案を国会に再提出するよう申し入れた。

 改正案を纏めた保守の会顧問の高市早苗元政調会長は、「日本の名誉を守るという国家の使命を果たすには、外国国旗と日本国旗の損壊に関して同等の刑罰で対応することが重要だ」と語ったが当然の認識だろう。

 左翼というのは物事の見方が実に薄っぺらで、こうした認識は健全な世論に逆行するばかりか、教育現場での混乱を生むばかりか国益を損ねるばかり。

 教育とは正しく国家の大本であり、国の根幹を成すものだ。公務員でありながら法律を遵守もしない不良反日教師どもの一掃を図らねばならない。左翼どもが反対する国旗「日の丸」と国歌「君が代」とは如何なるものか。

 607(推古15)年、聖徳太子は隋へ「日出づる所の天子、書を日没する所の天子にいたす、恙無きや」の文書を小野妹子に託す。これを読んだ隋は激怒するのだが、小国日本の存在を堂々と主張して見事にその気概を示した逸話であろう。

 我が国はユーラシア大陸で最初に朝日を迎える国であり、豊葦原瑞穂の国に生を享けた稲作民族である先人が日の神である天照大御神を崇め太陽信仰を持つのは自然で、そうした国のシンボルに「日の丸」を執ったのも極めて自然なことだ。

 国の成り立ちや理想が「日の丸」の旗ほど一致する国は世界広しと雖も日本だけだ。日の丸の赤丸は、太陽を意味し、熟誠、活気、博愛、誠心誠意を現し、白地は清浄無垢を示し、神聖、正義、純潔、平和、鎮静を現している。

 これほどシンプルで美しい旗が何処に在ろうか。日の丸と同じく「君が代」も実に我が国體の精華を格調高く歌い上げたものであり、その曲と相俟って厳粛にして荘重な調べは正しく世界に冠たる誇るべき国歌である。

 歌詞は古今和歌集巻七「賀の部」の「わが君は千代に八千代にさざれ石の巖となりて苔のむすまで」の一首からの出典であることは学界の定説である。この詠の本意は、大君の御代が栄えることを願い祈ったものだ。

 この詠が有名な歌人ではなく「讀人知らず」という草莽の民というところに、我が偉大なる民族性を認識し、無限の感激を禁じ得ないのである。

 我が国は天皇を族長と仰ぐ君民一体の家族国家であり、「天皇即日本」「日本即天皇」の天皇国家である。この国體の精華は万邦類を見ないところであり、陛下の御代が栄えることは即日本が栄えることでもある。これの何が不都合なのか。

 皇国臣民として、畏くも万世一系の天皇を我が国元首として仰ぎ奉り、陛下の御稜威(みいつ)を国民生活の隅々にまで行き亘らせることこそが理想であり、それは瑞穂の国に生を享けた日本民族として当然の願望である。

 我が国はいつの世も、時の陛下の御代であり、いつの世にもそこには「君が代」の世界が存在し、それは存在し続けなければならないものなのだ。そうした祖国日本の国柄と国體の精華を「日の丸」と「君が代」は見事に現している。

 反天皇勢力の左翼にとっては天皇に関わること全てが我慢ならないのだ。表現の自由や思想信条の自由は我田引水的憲法解釈に過ぎない。国家を侮辱する行為を防ぐ意味でも粛々と「国旗損壊罪」の成立を図るべし。

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2021年01月23日

国士とは「歩」が成った様な者である(國士舘初代館長・柴田徳次郎)

 國士舘初代館長・柴田徳次郎先生は「国士とは『歩』が成った様な者である」と喩えた。将棋では金や銀、飛車や角が大事にされるが、軽く見られる「歩」こそ大事に扱わなければならない駒で、学生を「歩」に喩えて育成の大事さを教えた。

「ヘボ将棋、王より飛車を可愛がり」だとか「桂馬の高飛び歩の餌食」など、将棋には面白い川柳や諺が多くある。中でも「歩の無い将棋は負け将棋」という格言は、教師や会社経営者に人を育てる上での大切さを考えさせる言葉だろう。

「歩」というのは生徒であり、企業でいえば若い社員であり、この社員を活かすも殺すも上司の腕の見せ所。この歩の人材を如何に育てるか、そしていつかはその歩が「金」と成って、会社は言うに及ばず、延いては国の宝となるのである。

 将棋では駒を動かすことを「効かす」とか「働かす」という言葉を使う。つまりは、上司は部下を無闇やたらに「動かす」のではなく、動くに「人偏(にんべん)」をプラスして如何に上手に「働かす」かが大事であるということだ。

 駒の欠点を周りの駒で補いながら、その駒の長所を伸ばし、折角の駒を死に駒にしないで働かせることで勝ちに繋がるもので、会社の経営なんかも同じこと。

 まぁ、愚生は「歩」というより「香車」だろうか。不器用に真っ直ぐにしか進めない。それでも未だ「成れる」可能性もあるが未だに「成る」手前で留まっている。大器晩成と言われたこともあるが、このまま終わる可能性は限りなく大きい(笑)

「一年で育てようと思うなら花を育てるべし。十年で育てようと思うなら木を育てるべし。百年かけて育てようと思うなら人を育てるべし」という言葉がある。

「人材育成というのはインスタントに出来るものではない」というのは、誰もが自覚していることだろう。ならば、普段から学校は勿論のこと、家庭でも、地域でも、周りで子供や若者を育もうという意識がなければダメだ。

 花を育てたり、木を育てるにしても臭い飼料もたまには与える様に、人もまた甘やかすだけでは立派には育たない。温室で育った野菜や果物は見かけだけで味に深みはない。やはり自然の風雪に耐えてこそ味に深みが出るというものだろう。

 人間だって同じ。たまには愛情ある鉄拳も必要だし、厳しく突き放すことも必要だ。「個性を磨く」というのは本来そういうものでもあるのだ。

 人を育てるというのは、日本刀が出来上がる過程と実に似ていると思う。日本刀は先ず卸し鉄を「積み重ねる」ことから始まる。人生も積み重ねから始まる。

 そして「鍛錬」し、更に「下鍛え」し、何回も何回も鍛え上げ「芯鉄」を鍛え造り込む。叩いて叩いて鍛えることで強靭で立派な刀が出来上がるのだ。

 柴田徳次郎先生も「刀というのはトンテンカン、トンテンカンと叩いて叩いて鍛え上げなければ五郎入道政宗とか村正といった立派な刀は出来ません。国士舘の生徒も先生だけの指導だけではダメで、学校も親も一緒になってお子さん方を鍛え上げて行かなければ立派な日本人に育てることは出来ません」と訓示している。

 日本刀を作る上で最も大事なのが「焼き入れ」。この「焼き入れ」を行うことで刀に命を吹き込むのだが焼き入れ一つで刀の出来も価値も変わってしまう。

 本来「ヤキを入れる」とは鍛錬の一つなのだが、最近では行為を正そうとしたビンタでさえも単なる「暴力」として扱われてしまっているのは残念なことだ。

 ヤキとは鍛錬であり、愛情を以て鍛錬しなくてはダメだ。そのヤキ(指導)の在り方を間違うから問題とされる。人を育てるというのは実に難しく「鍛錬」の仕方が悪かったのか、それとも「ヤキの入れ方」が足りなかったのか。

 何れにしても「人創り」というのは一朝一夕に出来上がるものではなく、上に立つ者の力量(指導力)に係っていると言っても過言ではない。つまりは、鍛錬されてない上司や指導者(先生)に仕える生徒や部下は気の毒でもある。

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2021年01月22日

日本には「愛国心」などという言葉はそぐはないのではないか(三島由紀夫)

 日本では何故か「愛国」だとか「愛国心」などと口に出すものなら「右翼」や「反動」と非難される。「右翼」という言葉には悪意が感じられ、愛国者を「右翼」と蔑むことに由って国家と国民の離反を目論んだマスコミの成果でもある。

「愛国」の由来は「日本書記・第三十三巻」に在る「朕嘉厥尊朝愛国売己顕忠」という勅語で、「我(朕)は、貴男が廷を尊び、天皇国を思い、己を売ってまで忠誠を示したことを(顕・あきらかにした)嬉しく思う(嘉・よろこぶ)」と詠む。

 一般個人に与えたられた勅語はこれ以外にない。また、この勅語にある「愛国」の文字は、持統天皇が初めて用いた「国を思う」との意味が込められている。

 天智2年(663年)、唐・新羅連合軍に攻撃され危機に瀕した百済は日本に救援を求めると、日本軍はその要請に応じる。中大兄皇子(天智天皇)を中心とするヤマト朝廷は全国から傭兵を募り、凡そ5万の援軍を朝鮮半島に送った。

 だが、救援虚しく百済日本軍は「白村江(はくすきのえ)の海戦」で大敗を喫し、生き残った者は捕虜となった。 その捕虜の一人、大伴部博麻は「唐が日本を攻める」という情報を得るも、日本に知らせる術はなかった。

 それから26年の歳月が過ぎた持統4年(689年)、博麻は自らを奴隷になって資金を捻出し、仲間を帰国させて日本に唐からの侵略の危機を知らせる。その報を受けて侵攻に備えた。そうした甲斐があって日本は侵略の危機を逃れた。

 奴隷となった博麻が帰国したのは何とその30年後だった。帰国後、持統天皇が博麻を表彰した際に送ったその言葉が前出の「愛国」の勅語だったのである。

 日本人が失った徳目を呼び返そうという標語として「愛国心」は最も相応しい言葉だと思うが、アドルフ・ヒトラーは「国家という概念は今日、明白な内容を持っていない。だから軽薄な愛国教育しかできないのだ」と訓えていることに括目する。

 現在の「保守ブーム」の氾濫や「ネット右翼」の過熱ぶりを目の当たりにし、ややもすればその「愛国心」が軽薄なものになってしまっているのではなかろうか。

 国旗や旭日旗を仰々しく掲げ、意見を異にする連中「天誅」だとか「テロ」といった勇ましい言葉が乱舞するが、そこには日本的気風は感じることはなく、折角の「愛国心」が、ややもすれば贔屓の引き倒しになってしまってる感は拭えない。

「日本の様な国には、愛国心などという言葉はそぐはないのではないか。『大和魂』で十分ではないか」と三島由紀夫は語っていたが、激しく同意する。

 日本人は祖国日本を誰から教わる訳でもなく「穏やかな平和の国」と無意識に思っている。一方「漢心(からごころ)」の大陸では、古代から日本を「倭(ヤマト)」という字を充てて「倭人」や「倭国」などと蔑視してきた。

「倭」とは「醜い」「卑しい」といった軽蔑の意味で、ヤマトの国を「邪馬台国」だとか、日の皇子の女皇を「卑弥呼」というのは明らかに蔑んだ呼称だ。

 日本人が持つべき「大和の心(大和魂)」とは、つまり、花鳥風月、山川草木、春夏秋冬の恵まれた自然に逆らわず調和して暮す従順な心であり、「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」、これに極まれり。

 昨今の偏狭な愛国心は、韓国や他の国と同じ「祖国愛」「民族愛」に似てる。本来、我が国の愛国というのは「報国」でなければならないのだ。福澤諭吉も「国を支えて国に頼らず」と訓えているが、国を支えて行くことこそ大事である。

 まぁ、勤労の義務も納税の義務も果たしていない愚生が講釈しても重みは無いが、先ずは軽軽しい愛国心よりも日本人が享受すべき大和の心を涵養しよう。

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2021年01月21日

世の中コロナコロナと騒ぎ立て自粛やらで分からん方向に行ってるなぁ

 新型コロナで亡くなった方は昨日(1月20日)現在で4687名。県内では34人が亡くなっている。尤もこの数値は原発関連死と同じく、死亡原因が心筋梗塞だろうが脳梗塞だろうが新型コロナの陽性ならコロナ死とされるから仰々しい数値になる。

 新型コロナによる死亡者数は10万人当たり3.5人、死因1位の癌の100分の1だという。インフルエンザも2020年8月20日時点で3571人に対し、新型コロナの死者数は1148人。こうした数字を見ても最近のコロナ騒動は異常としか思えない。

 新型コロナに怯えて、マスクやら手洗いやら嗽やらを徹底した成果か、インフルエンザの感染者や死亡者が激減したのは怪我の巧妙とも言えなくもない(笑)

 世界の死亡原因の第1位は微生物感染症で1500万人。続いて心疾患、癌、脳疾患と続く。だが、飢餓での死者は年間で8億2100万人(2017年の統計)で、毎日2万5000人が亡くなってるという。コロナより飢餓問題に危機感を持つべきでは?

 コロナ対策でここまで規制するなら、年間にコロナ以上の犠牲者が出てるクルマも減らさないとダメだし、品川郡山市長もタバコが悪いからと禁煙を徹底するなら、ラーメンが高血圧症に悪いだろうから「禁ラーメン」宣言したら如何か(笑)

 飲食店なんてのは水商売なのだから何があるか分からんし、収入も充てにならないから水商売。それなのに「補償しろ」だとか「補償しますので営業自粛して」だとか、その場しのぎの対策は屋上屋を架すばかりで悪循環は治まる気配無し。

 新型コロナで飲食店が夜の休業を余儀なくされてる。地元の陣屋や朝日のスナック街は軒並み来月7日まで臨時休業。こうした状況を大変だと思うのは勘違いで、コロナでなくても客が来なくて営業困難な店にとっては自粛休業は天佑神助。

 働かなくても休業補償が貰えるとあってウキウキしてる経営者は多い。飲食店に補償するなら従業員やホステスらにも補償すべきで、そうなれば「飲食店だけ優遇するのは不公平」という声も出るだろうから全国民に給付金を交付すべきだが無視。

 新型コロナワクチンが出回れば騒ぎも沈静化するだろう。だがその前に「新型コロナに治療効果の見られるアビガンを承認する」の一言で多くの国民の不安が払拭されるのに、何故か承認しないアホ官僚と責任問題を警戒するマヌケな政治家ども。

 菅総理が批判の矢面に立たされているが、前任の安倍政権下では新型コロナが国内に蔓延しているのに与野党ともに党利党略を優先した。コロナ対策の不作為や不手際を猛省することなく国民の自粛頼みとは本末転倒と言う他はない。

 後手後手の感は否めず屋上屋を架す菅政権。「特措法改正」で自粛に応じない店に罰金だとか言う前に、新型コロナ発症元が武漢ということで中共政府に阿て対策を講じることなく、アビガンの認可すらして来なかった政治家を罰するべきだわな。

 新型コロナウイルスに罹患し、重篤な状況から生還した芸能人や著名人らが口を揃えてアビガンの有効性や特効性を訴えていたのは何だったのか。

 アビガンの有効成分「ファビピラビル」に関するライセンス契約を、富士フイルムと結んだ中共の製薬大手・浙江海正薬業が後発医薬品を増産し絶大な効果を発揮してるというのに、「日本人には有効性が無い」とはどういうことか。

 ワクチンとは、ウイルスの生体から作られ、弱毒化・無毒化された抗原のこと。抗原を体の中に入れることにより、ウイルスをやっつける抗体が出来る。その抗体によってウイルスから守られるのだが、アビガンはワクチンではなく有効な治療薬。

 ウイルスに勘違いを起こさせて、取り込ませることによって、ウイルスの増幅を止めてしまう化学物質であり、効果的なワクチンが開発されるまでの治療薬としてアビガンを認可し使用することに何を躊躇する必要があるというのか。

 専門家らは「安全性」「副作用」という尤もらしい理由を吐けて反対してるが、多くの国民がアビガンに抱くイメージは新型コロナウイルスへの不安解消や罹った際の安心感であり、批判的意見は国民の期待に水を差すものでしかない。

 新型コロナ対策として現在の「二類感染症」指定から「五類」に指定すべきという声がある。確かに、新型コロナは年間数千人から1万人以上が死亡するインフルエンザと比べても死者数は少ないし、単なる新規のインフルエンザだろう。

 連日、新型コロナの感染者数と死者数を報じているが、この数値に意味があるとも思えない。「異変種」だとか騒いでるが、どんなコロナも変異して行くもの。異変種という別なウイルスではなく株の変異であり「異変株」と言うべきだ。

 変異株は自然の摂理でもある。ウイルスは宿主を殺すことではない。宿主の中で殖え生き長らえること。ウイルスを無くすことは無理なのに「感染者ゼロ」を目指すというのは、反原発派の非科学的な大騒動から始められた除染作業と似ている。

 ワクチン接種も始まるし、罹患者急増で病院の収容人数がパンク寸前なことも考慮してアビガンを早期に承認して民間医療機関で対処出来る様にするべきだ。

「五類指定となったら医療費は全額自己負担となってしまう」との声も聞こえる。抗ウイルス薬「レムデシビル」は1回分(5日間、6本)で25万円。最高で2回投与で合計50万円。保険適用により3割負担になっても15万円だと煽る。

 アビガンを認可し「特例」を設けて無料にすれば済むことだろう。要は、政治家の決断力だ。アビガンとワクチン投与で沈静化すれば特例を解除すれば好いだけ。初動対応のミスが現在に降りかかってることを率直に受け止めて対応すべきだ。

 コロナ禍が落ち着いたら新たな冷戦時代として世界の枠組みが変わるのは必至。我が国が今やるべきは、コロナの蔓延を防ぎ経済成長を成す台湾の対応や施策に学ぶことだ。日台関係の絆を深め、新時代の平和を創造して行かねばならない。

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2021年01月20日

任侠道を忘却したヤクザが暴力団と誹られるのも当然

 全国の右翼団体の殆どがヤクザと関わりがあり、組織が大きければ大きいほどヤクザの傘下団体に成り下がっているのが現状。斯くいう愚生もヤクザの友人はいるし、所属していた団体(防共挺身隊)は山口組のケツ持ちだった。

 任侠精神や反権力、反骨精神では与するものはあるが、資本主義の落とし子の様なヤクザに、反資本主義の右翼が配下になるというのも可笑しなことだ。

 況してや昨今のヤクザに任侠精神は無く全てがカネの世界に成り下がった。「任侠とは、弱い者を助け、強い者を挫き、義の為には命を惜しまない気風」のこと。ならば、そういう意味では昨今のヤクザより愚生の方がその気風は高い(笑)

「ヤクザ」というのは、「おいちょかぶ(花札)」の八九三の札の意味で、八(おいちょ)と九(かぶ)と三(さんた)を足すと二十でゼロとなり「ブタ(どぼん)」となる。つまりは「役に立たない」「つまらないこと」という意味だ。

「暴力団」という呼称は戦後に警察やマスコミが命名した言葉だが、「任侠道」を謳っていながら、やってることは覚醒剤や振り込め詐欺やら違法行為と弱い者イジメ。そういう意味ではヤクザより「暴力団」という名前はピッタリだ(苦笑)

 そういう意味では役に立たなくなったヤクザに対し、「暴力団対策法」や「暴排条例」が施行されたのも悪因悪果であり自業自得。それなのに「人権がどうたらこうたら」などと暴力団側に立って訴えてる右翼ってのも嗤うしかない。。

 山口組竹中正久四代目組長は「わしらにも人権はある。人殺ししたとしてもやなあ、裁判受けとるやないか、ええッ。わしが犬か豚か虎か狼やったら、人殺しても裁判受けさすか。せえへんやろ。人間やから裁判受けさせるんや」と語っている。

 ヤクザでは山口組四代目の竹中正久という人物が好きだ。如何にも武闘派という面構えだが、驚くことに刺青はしていなかったというのも大したものだ。

 警察に媚び諂うヘタレヤクザが多い中であの反骨精神は尊敬にも値する。元検事の三井環は竹中組長の取り調べの様子をこう振り返っている。

「捜査や取り調べというのは戦争なんですよ。戦争とは荒いことをやります。相手をやるかこちらがやられるかが戦争なんです。私は29年検事をやりましたが自白をしなかったのは3人しかいなかった。一人は竹中正久で後の二人は中核派です」

 ヤクザは完全な資本主義。反共は基より反民主主義で反資本主義であるべき右翼もやってることはヤクザと変わりない。ヤクザブルの右翼が暴力団の傘下に納まるのも当然で、頭の中はヤクザと同じ金儲けと所帯染みたマイホーム主義(苦笑)

 そんな拝金主義のヤクザや右翼が当たり前になったのは平成に入ってからのこと。昔のヤクザというのは任侠道を重んじていたし、右翼も反骨精神があった。堅気を苛めず、カネは追うものではなく後から結果として付いてくると信じた。

 昭和時代の高倉健や勝新太郎の任侠映画がそうだが、悪を懲らしめ正義が勝つといった勧善懲悪に国民は興じた。その後、菅原文太の「仁義なき戦い」の頃になると抗争事件が主題となり、最近のVシネマに至っては完全な暴力団と化した(笑)

 誰が言ったのか知らないが、「ヤクザはカネも器量の内」だとか「ヤクザはイイオンナ連れてイイ車に乗らなきゃ」というのが当たり前となり虚勢を張る。愚生も付き合いから何百人、何千人と色んなヤクザを見て来たが、ホンモノは極僅かしかおらず、ヤクザの空ツッパリと根性無しはホント嗤うしかない。

 ヤクザの傘下団体に納まった右翼に魅力はもう無くなった。今は右翼団体を辞めてヤクザとの柵もなくなってお蔭で清清したというのが正直なところ(笑)

「仁義なき戦い」の舞台にもなった広島県呉市の商店主の「ヤクザなんぞなんにもかっこええもんじゃありゃせんわ。ほんまに強えやつは決してヤクザにゃならん。一対一じゃ勝てんから群れる。好き勝手暴れて怖いから殺す。人の横車を押して無理難題を押しつけて、あいつらはただそれだけのことじゃ」との言葉が過る。

 ヤクザとは本来は町奴(まちやっこ)であり、強きを挫き弱きを助ける気風が無くてはならない。任侠道を忘却した暴力団を排除し、ヤクザに任侠精神を涵養させたいと思うが、任侠道とは程遠いヤクザにその声が届くことは無い。

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2021年01月19日

憲法第一条を理由に天皇を否定する日本共産党

 第二百四通常国会が召集された。陛下は開会式に於いて「本日、第二百四回国会の開会式に臨み、全国民を代表する皆さんと一堂に会することは私の深く喜びとするところであります。国会が国民生活の安定と向上、世界の平和と繁栄の為、長年に亘り弛みない努力を続けていることを嬉しく思います。国会が、当面する内外の諸問題に対処するに当たり、国権の最高機関としてその使命を十分に果たし、国民の信託に応えることを切に希望します」との御言葉を述べられた。

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 画像は憲法第一条。日本共産党はこの第一条を曲解し「主権の存する我々が反対しているのだから国民の総意ではない。由って天皇は憲法違反の存在だ」として天皇を否定し、陛下が御臨席遊ばされる国会の開会式には出席しない不敬を続けている。

 だが、国会の召集も解散も、憲法七条による天皇の国事行為であり、第一条のみを理由に開会式出席を拒むことは護憲を標榜する政党としては如何なものか。

 憲法は何も第一条と第九条で成り立っている訳ではない。第一条を理由に「反天皇制」を叫ぶなら堂々と憲法改正の狼煙を上げるべきではないのか。抑々、我が国には「天皇制」という制度はない。天皇は制度ではなく天皇なのである。

 天皇制と断じるならば第一条だけではなく第八条までの「天皇」条項を議論すべきで、第一条を理由に天皇を否定するなら全ての国事行為や公的行事はどうなのか。

 こうした「国民の総意」を理由に反天皇を叫ぶ無礼にも、衆参議長も総理大臣も咎めたこともなく、拱手傍観を極め込んで看過しているのはどういうことか。

 共産党の行為を苦々しく思い怒りを覚える国民が殆どだろうが、残念ながらこの共産党の屁理屈は法治国家日本である我が国に於いては憲法上の解釈は正論なのだ。

 憲法改正というと第九条ばかりが問題にされるが、第九条よりもこの第一条の共産党の天皇否定の理由を国民世論に訴えれば、改憲への理解が深まり反対する声は少なくなるだろう。尤も改憲派の第九条改正こそ究極の護憲運動である。

 国の最高法規である現憲法は実に矛盾だらけのクソ憲法。第九条を論拠に誤憲派は「平和憲法」とホザくが、これこそ無知と平和ボケ。平和な時代でしか通用しない憲法であり、九条改正派も九条が大事だと思ってる時点で九条の会と同レベル。

 第九条には「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇または行使は国際紛争を解決する手段としては永久に放棄する」と在る。だが第二項で「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とは理解に苦しむ。

 この九条のどこが「平和憲法」なのだろう。憲法の矛盾点はこれだけではない。例えば、歴代首相の靖國神社への参拝は、第二十条第三項の「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」違反である。

 A級戦犯分祀論や国立追悼施設建立も宗教法人・靖國神社への圧迫干渉であり、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」との憲法二十条条違反。

 私学助成金制度は第八十九条「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」に抵触する。

 田中角栄が日中国交条約を締結した際に「日華国交条約」を破棄した。第九十八条第二項には「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」と在り、国際条約を蹂躙した田中の行為は明らかな憲法違反であり、「日華国交条約」破棄は日本国憲法に照らし合わせて無効である。

 第九十六条は「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする」と改正条項は確かに在るのが確認出来る。

 九十六条に基づき憲法改正の発議を行えば「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」との九十九条違反に問われる。国会に於いて不毛空論の改憲議論が成されて来たのは九十六条と九十九条の関係が大きく、憲法改正で国家の主権が護られることは無い。

 成文憲法のある国の中で最も古いのは1789年の米国。次いでノルーウェー、ルクセンブルグ、スイスと続く。昭和22年発布の日本は15番目だが、一字一句改正されていない日本国憲法は今や世界で最古の憲法ということになる。

 何処の国でも時代の流れに応じて憲法を変えるのが常識。環境問題、情報公開、プライバシー保護、国家の安全等々日本国憲法を施行した時代からは想像もしなかった程社会は変化している。現憲法を無効とし、我が国の正統な国法である大日本帝国憲法(欽定憲法)を復元改正することこそ我が国の採るべき道である。

 天皇陛下の名の下に召集された全国民の代表である国会議員は、危機管理も国防も領土保全も教育も防災も平和の創造も一線上に在るということを自覚せよ!

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2021年01月15日

韓国歴代大統領の不正は道徳的価値観に乏しい民族性に起因する

 収賄容疑など逮捕され、歴代大統領の中で最長となる3年6ヶ月という長期拘留された朴槿恵前大統領の懲役20年が確定した。韓国大統領の不祥事は別に驚きもしないが、判決を受ける側と下す側のその民族性には厭きれるばかり。

 男尊女卑が未だ色濃く残り、儒教の国でもある韓国で女性大統領に誕生し、時代は変わったのかと思いきや、その民族性は変わるどころか益々酷くなるばかり。

 韓国歴代大統領の末路というのは実に不幸なものばかり。政絶対的権力が集中する大統領制ということよりも人品に劣る民族性からか利権に奔り、加えて朝鮮人特有の異常な金銭欲と権力欲が不正に奔らせるとしか思えない。

 大韓民国が建国され米国の傀儡として初代大統領に就任した李承晩は、絶大な権力を握り「反日」と「反共」を徹底したが、独裁色が度を越して反感を買い、大統領選の不正で学生らのデモで退陣に追い込まれ、ハワイに亡命した後に病死した。

 韓国の国是である「反共」も「反日」も竹島の不法占拠は李承晩の影響​であり、これこそが悪害となって未だ治まることはない。その後に就任した朴正煕大統領は北朝鮮による「暗殺計画」によって夫人を失い、その五年後自らも暗殺された。

 全斗換大統領は、国際法に違反する事後法の反乱首謀容疑で「死刑判決」を受けた。その後に恩赦を受け無期懲役に処せられたが法の不遡及こそ問題だろう。

 その後の盧泰愚大統領も不正献金事件で逮捕され、反乱と内乱の罪などで懲役17年に処せられるもその後に特赦された。二人の大統領の逮捕後に就任した金永三大統領も、不正融資事件で次男や側近などが逮捕され退陣を余儀なくされた。

 日本国内から拉致され波乱の人生を送りながら大統領にまで上り詰め、韓国初のノーベル賞を受けた金大中も不正資金事件で次男と三男が逮捕され退陣した。

 その後に就任した盧武鉉も不正資金供与の疑いで身内が逮捕されると、自らの逮捕を恐れて自殺した。韓国史上この盧武鉉の実行した反日政策は酷いものだった。

 近年の異常な「反日」世論を形成したのは金大中より廬武鉉に因る処が大きく、中でも廬武鉉が謀った「親日分子取締法」は親日派を一掃する悪法となった。

 歴代大統領の中でも廬武鉉ほど反日を徹底した大統領はいない。親日分子の対象者には朴正煕もいる。朴槿恵は父親の汚名返上の為にも「親日分子取締法」を廃止すべきだったのに、父親の名誉回復より反日の世論に迎合し、最後は逮捕された。

 韓国国民は、こうした事後法という国際的にも恥ずべき幼稚な法律を「愛国的」なものだと信じ、反日こそが愛国心だと信じているのだから始末が悪い。

 廬武鉉の後に就任した李明博は、不資金事件で実兄が逮捕され四面楚歌に陥ると反日のパフォーマンスで竹島へ上陸し、陛下への雑言を浴びせるも退陣した。

 ここまで酷いと大統領に権限が集中し過ぎることの反作用というより、道徳的価値観に乏しい民族性の問題だと断じられても仕方なかろう。

 不祥事が発覚し支持率が下がると「歴史認識」や「靖國問題」「慰安婦問題」などを持ち出し反日のポーズで矛先を逸らす韓国政府とそれらに迎合する韓国人。

 先日も、職業としての売春婦(慰安婦)を「従軍慰安婦」と騙る韓国は、性懲りもなく又候蠢きだし我が国政府に対して賠償という名の無心を強要。更には「反日」のポーズなのだろう我が国の排他的水域に侵入し日本漁船の追い出しを強行した。

 何れにせよ、韓国民こそが自らの責任と歴史的事実を真正面から見詰め直すべきだが、五百年も前の豊臣秀吉の朝鮮征伐を責める国に、人間としての高貴で雅量在る偉大な言葉や行動を期待する方が間違い。関わらないのが一番。呵呵。

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2021年01月14日

本日1月14日は「尖閣諸島開拓の日 (尖閣の日)」

 今日1月14日は、尖閣諸島の主権の正当性を定めた「尖閣諸島開拓の日」。沖縄県石垣市が条例により定めた記念日で「尖閣諸島の日」や「尖閣の日」とも呼ばれる。尖閣諸島とは「魚釣島」「南小島」「北小島」「久場島」「大正島」をいう。

 尖閣諸島は、国際法上、無主地先占(持ち主のいない土地を占有した国にその領有権を与えるという考え方)に基いて、10年に及ぶ現地調査の結果、明治28年1月14日に沖縄県に編入され、世界でも日本の領土として公式に認められている。

 尖閣諸島は日本固有の領土であることは紛れもない事実。大正8年冬、中華民国(当時)福建省の漁民が暴風難で遭難し和洋島(魚釣島の別称)に漂着し地元住民に助けられた。中華民国は翌9年5月20日、魚釣島の四氏に感謝状を贈っている。

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〈感謝状〉「中華民国八年冬福建省恵安縣漁民郭合順等三十一人遭風遇難飄泊至日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島承 日本帝国八重山郡石垣島雇玉代勢孫伴君熱心救護使得生還故国洵矚救災恤鄰當仁不譲深堪佩特贈斯状以表謝忱 中華民国駐長崎領事馮冕 中華民国九年五月二十日」

〈解説〉「中華民国八年の冬に、福建省・恵安県の漁民郭合順ら三十一人が、海上で暴風の難に遭って漂流し、日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内の和洋島(魚釣島の別称)に漂着した。その際、八重山郡石垣村役所の玉代勢孫伴君らが、熱心に救護に当ってくれて、遭難漁民らを故国に生還せしめるまで世話をしてくれた事に深く感謝し、ここにこの感謝状を贈る。中華民国長崎領事馮冕 中華民国九年五月二十日」

 明確に尖閣諸島が中華民国附属の島では無く、日本領の沖縄県八重山郡の行政区域の中に位置付けている。沖縄県領域の日本領であることを当時の中華民国政府が認識していたことの証拠資料の一つだ。中華民国が中共に替わろうが同じこと。

 1960年(昭和35年)に中華人民共和国で出版された「世界地図集」(北京市地図出版社)の中でも沖縄周辺の地図には「魚釣島」と記され、国境線も国連海洋法に従って与那国島と台湾本島の中間に引かれていることに括目したい。

 1960年といえば中華人民共和国が建国された後だ。共産党一党独裁の中共で、一出版会社が中共の許可も無く自らの解釈で国境を定めることは有り得ない。つまり、この地図(世界地図集)からも尖閣諸島が日本の領土であることが読み取れる。

 台湾も同様で、1965年(昭和40年)に国防研究院と中国地学研究所が共同で出版した「世界地図集・第一冊・東亜諸国」の国境線は、与那国島と台湾本島の中間よりも台湾側に寄り、「魚釣島」「尖閣(群島)」と記されている。

 そんな中で、昭和43(1968)年6月、国連アジア極東委員会が尖閣諸島周辺の東シナ海大陸棚に石油・天然ガスが埋没している可能性を報告する。この国連の報告以降、中共と台湾は唐突に尖閣諸島の領有権を主張し始めたのが真相である。

 昭和47(1972)年、日中国交回復に向けて日中正常化交渉が行われると、田中角栄首相は明治政府の決定を無視し、尖閣諸島の領有権を「棚上げ合意」。その後、中共は国際法上の手続きも無しに地図を書き換え、1992年に自国領に組み入れた。

 中共との利権を独占したいが為に領土主権を譲歩した田中政権の容共姿勢が、我が国の国益を損なう結果となっている。我が国の歴史認識や対中外交は、日中国交条約締結時の田中の謝罪と中共への媚び諂いが踏襲され続けている。

 領土は国の主権である。田中角栄を見るまでもなく我が国は領土主権に対する認識が乏しい。ロシアに不法占拠されている北方領土や、韓国に実効支配されている竹島奪還することなど到底無理で尖閣列島も中共に併呑される危険性を孕んでいる。

 反中共を叫ぶ営業右翼らの営業で尖閣諸島問題への危機感を共有してはいるが、悲しい哉、国民の領土主権の防衛意識は乏しく、北方領土がロシア(旧ソ連)に強奪され、韓国に竹島を乗っ取られた歴史的経緯を知る国民は少ない。

 寸土たりとも主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識であり、歴史的にも強奪された領土は奪い返すことでしか解決しない。領土問題が未解決なのは国家主権の甘さと弱腰外交が招いた悪因悪果である。

 我が国の歴代政府は「荒立てる動きはしない方が好い」とか「冷静に対処すべき」だとか、カタチばかりの「遺憾の意」を表明し穏便に遣り過して来た。断固たる抗議の声を上げて来なかった不作為が周辺諸国からの冒涜的挑発行為を許している。

 国際環境が激変する際に動くものが領土問題であり、つまりそれは北方領土や竹島を取り戻す好機であると同時に、尖閣列島や対馬が奪われる危機でもあり、沖縄本島でさえも併呑される可能性が迫っているということを自覚せよ。

 中共なんぞ恐れるに足らないチンピラ国家。尖閣列島で紛争が勃発することは共産主義体制を崩壊させる千載一遇のチャンスでもある。中共軍の敗退は習近平体制の終焉であり、そうなれば我が国は世界から称賛されることだろう。

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2021年01月11日

この身あるは親があり家があるからであり 親があり家があるは国があるからであり

 哲学者・西晋一郎は「この身あるは親があり家があるからであり 親があり家があるは国があるからであり 国があるは国の歴史があり国の精神があるからである」と訓える。実に分かり易いが奥深い言葉だと思う。

 今の自分が存在しているのは、親がいてその親がいて、また沢山の御先祖様の御蔭で存在している。それ以前に国家が在り、国の歴史の下で成り立っている。

 我が国は歴史上、人口移動の殆どない稀有な国である。日本列島に存在していた人は皆、我々の御先祖様なのだ。その共通の御先祖様からの流れの中に今日の我々が存在している。我が国の歴史は、正に御先祖様の歩みそのものなのだ。

 一方で、その我が国の歴史を悪し様に罵る連中がいる。左翼や捻くれ者らだが、そういう輩というのは御先祖様の歩みを否定していることと同じであり、つまりそれは自分の存在自体を否定していることと同じ。日本人として恥ずべきことだ。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という。自分の人生の中での高が知れてる経験よりも、先人の多くの経験から学ぶことが懸命で、御先祖様の営為を学ぶことが歴史を学ぶことであり、今の自分の生き方が、追追、子孫の歴史となって行く。

 相田みつをの詩に「自分の番 いのちのバトン」というものがある。

 父と母で二人
 父と母の両親で四人
 そのまた両親で八人
 こうしてかぞえてゆくと十代前で
 千二十四人
 二十代前では?
 なんと百万人を越すんです
 過去無量の
 いのちのバトンを受けついで
 いまここに
 自分の番を生きている
 それが
 あなたのいのちです
 それがわたしのいのちです

 今を生きる我々は「今は自分の番」という意識を持って、先人が脈々と紡いで来た長い歴史に思いを馳せて子や孫に繋げて行くという立場でしかないのだ。

 命を繋ぎたくても繋げなかった時代がある。時代に翻弄され、国の為に、家族や故郷の為に、愛する者の為に尊い命を投げ出された英霊の方々の命である。

 靖國神社の「英霊の言の葉」の一つに20歳の青年の次の様な遺書があった。

 お父様お母様。
 ただいま出撃命令がでました。
 私は立派にやって参ります。
 本当はその前に最後のお礼とお別れを申し上げたかったのですが
 その暇もなく行かなければならないことをお詫び申し上げます。
 私の鞄には、缶詰やお酒が入っています。
 軍から支給されたものを皆様とご一緒に食べようと残しておいたものですが
 それも叶わぬ夢となりました。
 どうか皆様で召し上がってください
 それでは行って参ります。
 長い間お世話になりありがとうございました。
 お体お大事になさってください。
 ごきげんよう。
 さようなら。

 日本という国に生を享けた国民全てに英霊の方々の遺書でも読ませたいものだが、祖国に殉じた英霊の方々からすれば、まやかしの平和を謳歌する現代人のだらしない生き方を嘆きながらも、命を賭して護った祖国を見て微笑んでいるに違いない。

 今日は「成人の日」。国民の祝日に関する法律(祝日法)第2条には「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」との趣旨が明記されている。本来、成人式は「小正月」の1月15日に行われていた。

 平成10年の「国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律」及び、平成13年の「国民の祝日に関する法律及び老人福祉法の一部を改正する法律」の所謂「ハッピーマンデー」の施行に伴い夫夫の月曜日に行うこととなった。

 ハッピーマンデーとは国體破壊を謀る左翼陣営の策謀であり、左翼陣営の最終目的は、我が国の重要な祝日である「勤労感謝の日(新嘗祭)」と「建国記念日(紀元節)」をハッピーマンデーに組み込み意味の無い休日にすることである。

 諸外国に比べ、我が国の祝祭日ほど「国柄」の分かる伝統文化はない。何故なら祝祭日の殆どが皇室行事に由来しているからだ。我が国の祝祭日は単なる休日ではないのだ。祝日の意味と意義を教えて行かねばならない。

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 愚生の成人の日は、実家から送って貰った紋付き羽織袴を下宿の三畳一間の部屋で着替えて靖國神社に詣でたのを昨日のことの様に思い出す。玄関を出る際に下宿屋の婆さんが驚いてたっけ。あれからもう40年かぁ。人生とは正に光陰矢の如し。

 成人になった記念に「正論」の懸賞論文に応募したが佳作にも入らなかったなぁ。うろ覚えではあるが「イランイラク戦争に思う」ってなタイトルで「GNP1%以内という防衛費を撤廃し国防の充実を図るべき」という内容だったと思う。

 成人のモラルの低下は「七五三現象」とも呼ばれ、成人式での乱痴気騒ぎが恒例行事となっているが、こうしたことでも「大人になったことを自覚し自ら生き抜こう」という覚悟や自覚に乏しい20歳の成人式に意味があるとも思えない。

 今日「成人の日」を迎える若者よ、大人になった証しとして、両親に感謝を込めて花束に「ありがとう」の一言を添えて贈ってみては如何だろう。

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2021年01月10日

「ライダイハン」問題を抱える韓国に我が国を責める資格など無い

 職業としての売春婦(慰安婦)を「従軍慰安婦」と騙る韓国は、厭きもせずに又候蠢きだし我が国政府に賠償という名の無心を強要して来た。

 対韓外交は無視してるのが最良だが、韓国側がこうした強請り、タカリに奔るのは、朝鮮人の人品の低さも然ること乍ら、歴代日本政府の無知と事勿れ主義と弱腰軟弱外交が要因になっていることは間違いない。

 朝日新聞が捏造した慰安婦問題を、自民党の宮沢内閣下で、河野洋平官房長官が談話を発表し、これが韓国人慰安婦をツケ上がらせる原因を作り、村山談話で火に油を注ぎ、その後の自民党政権下でもこれらを撤回せずした。

 自民党が政権から陥落し民主党政権誕生すると鳩山由紀夫が訪韓して「国家補償」を約束し、前原誠司外相が「戦後賠償支援」を言及したことは記憶に新しい。

 慰安婦問題は、韓国側の裏切りもあるが日本側が国家として「謝罪」も「約束」もしている訳だから、韓国みしてみりゃ要求するのは当然で、単なる強請り、タカリと言ってもいられない現実が厳然と存在してしまったのだ。

 文在寅韓国大統領は、慰安婦問題に関する日韓合意に難色を示し、「国民の大多数が情緒的に受け入れることが出来ない」との立場を取っている。

 そこまで言うなら日本国内の反韓感情も同じく、国際的な約束事を反故にし、事ある毎に難癖を吐ける韓国への日本国民の大多数の怒りでもある。また、ベトナム国民の多くはベトナム戦争での韓国軍の蛮行を決して許すことはない。

 我が国が幾ら丁寧に説明をしたところで、事大思想が根底にある韓国側は理解しない。性悪な韓国は相手にせず、国際社会に訴えて行くことが肝要で、過去に見るまでもなく譲歩や謝罪は却って益々怒りを露わにしツケ上がるのが関の山。

 文大統領は、日本大使館前の慰安婦像に続いて、強制連行されたという朝鮮人労働者像の建立も示唆して実行を謀ったが、こうした御粗末な国と未来志向の関係を築くことは北朝鮮の金一族体制が崩壊することより困難なことだ(笑)

 抑々「慰安婦問題」など存在しない単なるフィクション。 韓国側が慰安婦問題を叫べば叫ぶほど、韓国側がひた隠す「ライダイハン(韓国人とベトナム人の混血児)」問題が世界に発信されて行くし、発信しなければならない大問題だろう。

「ライ」とはベトナム語で「雑種」の意味で、「ダイハン」は「大韓」のベトナム語読み。つまり、韓国人男性とベトナム人女性の間に生まれた子供のこと。

 1964年、ベトナム戦争が激化すると韓国は、米国への忠誠と資金援助を得る為にベトナムに韓国軍を派兵。韓国軍兵士は十万人単位のベトナム人女性を凌辱し強姦、その一部を虐殺、結果、約3万人のライダイハンが生まれ放置された。

「戦争」とは相手を征服することであり、「征服」とは掠奪である。7世紀に興ったイスラムでは「略奪」は正しいと教え、中でも最高の戦利品は「女」だった。

 女を奪い犯すことは、その国家、民族の純粋性を奪い、征服者の血を入れることで征服が完結する。征服の定義とは、正に「掠奪」と「強姦」の歴史だった。

 斯くて世界中の民族、国家は万古不偏、この定義に従って戦争して来たし、ベトナムでの韓国軍もこの定義に従った卑劣なものだった。だが、こうした世界とは違った国が存在した。それが日本である。我が国は日清戦争の昔から「掠奪」と「強姦」を軍律で厳しく規定し、規定を破った者は厳しく処罰された。

 然し、生きるか死ぬかの戦場で、若い兵士に生理的なものにまで我慢を強いるのは逆に統率を失うし、強姦事件も起きるだろうと、街に在る「遊郭」で息抜きをさせた。その遊郭で働いていたのが慰安婦であり売春婦である。

 戦場に遊郭を建て兵士に息抜きをさせるのは肝心で、これはまた当地での性犯罪を防ぎ、相手民族の尊厳を最低限保つことでもあったのだ。

 こうした日本軍の配慮を知らずして、高給に集った売春婦を「従軍慰安婦」と称し、恰も日本軍が関与し、朝鮮人の女性を銃で脅して強制連行し、名誉を傷付け「性奴隷」にしたとは言語道断という他は無い。

 売春婦が戦場迄出張ることは当時は当り前の時代であり、売春が悪で、凌辱の限りを尽くし強姦し、相手国の女性に子供を産ませることは赦されることなのか。

 日本軍が朝鮮人女性を強制的に連行したのなら集団で強姦しただろう。だが、そうした混血児が生まれたなどということはない。ライダイハン問題には沈黙し、我が国の慰安婦問題だけを騒ぎ立てることに矛盾と羞恥心は感じないのか。

 統一後のベトナムでは、ライダイハンは「敵国の子」とされ、迫害の対象となった。1987年に米国政府は戦争責任からか混血児とその家族の移住を受け入れ始めた。だが、韓国側は謝罪もせず沈黙を続けた儘だ。

 ベトナム人の韓国人憎悪は激しく、ベトナムのクァンアイソン・ビンホア村には「韓国軍憎悪碑」というものが建っており、次の様に刻まれている。

「天をつく罪悪、万代に記憶するだろう!この虐殺で犠牲になった者の数は合計430人、そのうち268人は女性、109人は50才から80才まで老人、82人は子供、7人は妊婦だった。2人は生きたまま火に投げこまれ、1人は首を切られ、1人は腹を割かれ、2人は強姦された。2世帯は一人残らず抹殺された」

 当時の朴正煕政権は「反共」を国是とし、驚くことにベトナムでの強姦という蛮行も犯罪ではなく英雄的行為とされた。共産主義者との戦いと弾圧は熾烈さを増した厳しいもので、女性子供であろうが情けは無用との認識だった。

「ライダイハン問題」を抱えながら、ベトナムに対して謝罪も補償もしない韓国に、慰安婦問題で我が国を責める資格など無い。共産主義者である文在寅は、反日より「反共」の名の下に実行された自国の汚辱の歴史を顧みて謝罪するべきだ。

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2021年01月09日

徒然なるまゝにその日ぐらし。あなたにプロ意識はありますか?

 ブログの他にSNSなどもやってるが、政治批評や右翼思想のブログより、食べ歩きのブログや地元ネタの記事の方が好評なのはチョッと複雑でもある(笑)

 まぁ、政治批評や政治に関することというのは余り興味もないし、しょっちゅうアップしてると当り前の様に思われてしまうし、近くの神社が有難く感じないのと同じで、軽く思われるのは当然。もう少し勿体付けた方が好いのかもなぁ(笑)

 そういう愚生といえば相変わらず算段に余念がないが、講演依頼もなく、支援者や協力者も見つからず、暇を持て余してるから精精ブログの更新が関の山。今月の収入予定は2万円だけ。ヤフオクで凌いでるが他の品が目に留まり購入してしまうから何にもならない、というより出品数より余計買ってるし(笑)

「赤字国債はケシカラン」という。我が国の収入(歳入)を分かり易く説明すれば、年収が500万円(歳入約50兆円)ほどだが生活費が年に1000万(歳出100兆円)ほどかかる。借り入れ金(国債)は1億円(1000兆円)余り。

 愚生の場合、年収が100万円も満たない。付き合いは最小限にしているが、現役時代の借金と重なり年間約500万円の赤字になる。このまま行けばギリシャの二の舞だが、そんなギリシャにも支援されるのだから愚生も悲観はしていない(笑)

 震災前には結構あった借金も減り、どうにか返済に目途が立ったと思いきや、震災で先行きが怪しくなった。 また暴排条例などもあってヤクザも元気が無くなって、今日勝つネタも、仲を取り持つ人物もいなくなったのが大きい(笑)

 そんな状況ではあるが、僅かだが支援者がいるから未だ救われている。困窮しているのは右翼人としても本気でやっていないからだ。どんなインチキ宗教でも信者がいるのに支援者が乏しいのは「強烈な努力」が足らないからだろう。

 まぁ、借金はマジメに働いて返すのが一番だし、働いてた方が余計なことを考えないで済むのでいいのだが、都合の好い右翼人には成りたくないと思っているし、浪人なら浪人で中途半端な生き方ではなくホンモノで在りたいと思っている。

 今の時代、ヤクザでも右翼でもどんな職業でもそうだが、「らしい」人やプロ意識や職人気質が乏しくなってしまった様に感じる。 サラリーマンでも教師でも、ダンプの運ちゃんでもパートのおばちゃんでも議員でも報酬を貰えばプロだ。

 どんな生き方でもプロとしての自覚が無ければダメだ。議員なんぞ頭にあるのは如何に次の選挙に当選するかだけで、議員を生業と考えている様ではプロ失格。

 給料とは昔でいう俸禄であり、侍(さぶら)うという自覚もない。「侍う」とは「仕える」という意味。 給料を貰ってるならその会社に仕え、公務員や議員は国家や自治体、国民に仕えるということなのだがそうした意識は乏しい。

 自分の夢がありながら目先の生活に困窮し、或いは分不相応な生活を望んで目先の「食える」職業を選択してしまうが、そんなんでプロに成れる筈もない。

 また生活出来ないからと乞食根性丸出しで、弱者を装い自治体へ無心し生活保護を受給する。勤労の義務を果たさず生活保護が国民の汗した税金という意識は毛頭無く、頂くものは頂きながら国家を批判し更なる無心は止まることは無い。

「好きなことをやり、それで食えるようになりたい」と思うのならば、それに向かい懸命に努力し、我慢し、試練に耐えながら必死に生きれば好いが、現代では手頃なアルバイトで食えてしまうから夢なんぞ二の次、ホント始末が悪い。 これではプロや本物(ホンモノ)は育たないし、ホンモノに成ることは絶対に無い。

「本物(ホンモノ)」になる為の道というのがあるという。「長い囹圄(刑務所)」「長い闘病生活」「長い浪人暮らし」の三つだというが、これらに要求されることは「我慢」以外にはない。我慢こそがホンモノになる近道ということだ。

「使える人物」というのもやはり同じで、これには三つの他に「長い放蕩生活」というのが入る。愚生も右翼浪人と気取ってはいるが放蕩と似た様なものか(笑)

 プロの世界は一見華やかに見える世界だが、そこに至る努力と我慢、精神力を鍛え上げることで開花し一流となる。 己の求める生き方から逃げ、目先の仕事にあり付いて、食えることを優先するというのは、それは単なる自分自身への誤魔化しであり夢への挫折であり、何よりプロやホンモノへの侮辱でもある。

 愚生が右翼の世界に入った昭和50年代は「第一次右翼ブーム」と言われた時代で、取り分けヤクザにも成れない中途半端な暴走族らが興味本位で右翼団体に入隊した。マスコミはそれらを「インスタント右翼」と揶揄したりした。

 愚生も街宣右翼のパイオニアであり、総会屋右翼と呼ばれた「防共挺身隊」に所属し、何百何千の右翼らを見て来たが、殆ど残ることはなく、熱が醒めると去って行き残ったのはホンの僅か。その残った者がホンモノかというとそうでもない。

 最近も過去のインスタント右翼時代よりも気軽に日の丸を掲げて愛国者を標榜出来る様になった。これが好いことなのか、違うのかは未だ分からない。右翼と自称愛国者とのボーダーラインが無くなったのは確かだろう。

 自称愛国者やネット右翼が席巻するのと比例して右翼は聞き分けが好くなり牙も無くなった。今の保守ブームが去れば、自称愛国者も去って行くのは時間の問題だろうし、そういう勢力と与することは右翼陣営にとって好ましいとは思わない。

 政治の世界とはホンモノとホンモノのぶつかり合い。大衆はどちらにも動く。大衆というのはそういうものだ。だが、政治家にホンモノがいるかというとそうでもない。何より、ホンモノが育たない政治システムなのだからしょうがない。

 その政治をダメにしてるシステムの最たるものが小選挙区制度である。物事を白黒で判断することもなく中庸を重んじる日本人には小選挙区制度はそぐわない。

 中選挙区は総選挙ごとに4分の1が一新される。例えば、エネルギー問題に関して反原発議員だけではなく原発推進の無所属候補者も当選する機会が出来る。

 憲法論も同じで、自民党が謀ろうとするインチキ憲法九条改正ではなく、「現憲法の無効」を訴え、大日本帝国憲法復元改正などを訴える候補者が当選する可能性も出てくる。自民党か野党かの二者択一の小選挙区制度は廃止すべきだ。

 営業保守らは尖閣列島の危機を叫び「九条改正」を訴える。アホの政治家が保守票欲しさに迎合する。尖閣の危機は眼前に迫ってる問題なのに九条改正を実現しようとは悠長なことだ。ホンモノの政治家が「現憲法無効」を宣言し、正統な国法である大日本帝国憲法の復元改正こそが我が国が採るべき道である。

 悲しい哉、我が国の政治家にホンモノはいない。我が国の不幸は、日本国家の芯でもある天皇国日本の国體と国益を理解している政治家がいないことに尽きる。

 右翼浪人の先輩であり盟友であった九州天草出身の横山武彦という削げ者がいた。 その横山は常々「乞食でもホンモノは信用出来る」と訓えたのを思い出す。

 乞食のホンモノとは生活保護に頼らず極貧に喘ぎながらも生きている者であり、精神的乞食というのは弱者を標榜して生活保護を無心してるあさましい連中だ。

 思想に限らずどんな業界でも、その道に努力し、財力に諂わず懸命に生きてる人は好感が持てる。あなたにプロ意識がありますか?あなたはホンモノですか?

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2021年01月04日

気になった時局や雑感を徒然なるまゝに綴ってみる(笑)

 正月三箇日も過ぎ徐々に普段の生活に戻ると言いたいが、新型コロナウイルスへの異常な警戒感もあって以前の様な生活に戻ることはないのだろう。

 新型コロナワクチンが出回れば騒ぎも沈静化するだろうが、「新型コロナに治療効果の見られるアビガンを承認する」の一言で多くの国民の不安が払拭されるのに何故に承認しないのだろう。厚労省官僚と新型コロナが日本を崩壊に導く。

 国民に安心安全を尽くすべき政治家が官僚に操られて手を拱き、マスコミが便乗してコロナへの不安を煽っていることは摩訶不思議な現象でもある。警戒するのは別に好いが、殊更に新型コロナに怯えることは中国共産党の思う壺だ。

 第一次世界大戦時に流行したスペイン風邪では、当時の人口の3分の1の5億人が罹患し5000万人~1億人が死亡。日本では約2300万人が罹患し約40万人が死亡。福島県内でも6993人が罹り148人が死亡した。それと比べても驚く数値ではない。

 閑話休題。昨日の地元紙のコラム「あぶくま抄」に「帰省の意味には郷里に帰って父母を見舞う」「『省』」とは(父母を)と顧みるという意味がある」いうのが載っていた。「日曜論壇」は左翼文士らの発言の場だが、このコラムは中々秀逸。

 なるほど、帰省とは「郷里に帰って父母を見舞う」とは妙に納得。そういえば、父母が亡くなってなって帰省する機会が減ったのはやはりそういうことなんだろう。

 菅総理がラジオの放送番組で、皇位継承問題について「現状に於いては男系継承は最優先にすべきだ」と述べたことで、インチキ保守派や自称愛国者らが安堵しているみたいだが、男系は秋篠宮悠仁親王だけではなく敬宮愛子内親王も含まれる。

「男系継承」ではなく、「男系男子の継承」と敢えて言わないところに皇統断絶に与する菅の強かさが見える。安定的皇位継承というなら旧皇族の皇籍復帰を成す以外には無いが、皇籍復帰に「私の立場で発言は控える」とは全く以て意味不明。

 昨年、「日本の尊厳と国益を護る会(代表・青山繁晴参院議員)」のメンバーが菅首相と面会し、皇位継承に関し菅首相が「男系男子が絶えることなく続いて来た重みを踏まえる」との認識を確認したと言ってたが、舌も乾かぬうちに(苦笑)

 菅首相は官房長官時代に安倍と共に退位法案を成立させ、「将来の天皇が退位する際の先例に成り得る」と退位法案を強行させた逆賊の一人でもある。隠れ女系天皇推進派でもある菅がそう簡単に「男系男子」や「皇籍復帰」は成さないだろう。

 皇位継承で大事なのは神武天皇以来の「男系」の血筋であり、「今上陛下とは血筋が違う」という理由は反天皇勢力に拠って創られた現代の価値観に過ぎない。

 宮家を再興するということは男系男子の皇位継承の安定を図るだけではなく、皇室の本分である祭祀を継承して戴くということにある。

 旧宮家とは「伏見(ふしみ)宮」「閑院(かんいん)宮」「山階(やましな)宮」「北白川宮」「梨本宮」「久邇(くに)宮」「賀陽(かや)宮」「東伏見(ひがしふしみ)宮」「竹田宮」「朝香(あさか)宮」「東久邇(ひがしくに)宮」。

 旧11宮家の方々は北朝第3代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とされている。

 東久邇宮盛厚王(明治天皇の孫)の妻は昭和天皇の長女である茂子内親王であり、上皇后陛下が民間から嫁がれていることをしても男系男子の正統性を有する。

 秋篠宮皇太弟~悠仁親王殿下の継承は決めっているが、東久邇家以外にも男系男子がおられ、皇位継承は旧宮家の皇籍復帰を成すことで盤石となる。

 占領下、旧宮家の皇籍離脱に最後まで反対した昭和天皇の意を汲み、旧皇族を皇籍復帰させることこそが皇統断絶を救う唯一の道である。「養子論」で世論を誑かす営業保守に騙されること勿れ。ということで、徒然なるまゝに綴ってみました。

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2021年01月03日

父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました(円谷幸吉)

 愚生の住む福島県内を始めとする東北地方や北関東の一部の地域では、正月の3日にはとろろメシ(汁)を食べる風習がある。ということで、朝は三日とろろ。

「三日とろろ」を食べるとその年は風邪をひかないと言われている。まぁ、風邪をひかない様にというより「七草粥」の様に、年末年始で飲み過ぎて疲れた胃腸を労わり滋養を付けるという意味からとろろを食べる様になったのだと思う。

「三日とろろ」でいつも思い出すのは、福島県須賀川市出身で東京五輪マラソン銅メダリストの円谷幸吉選手を思い出す。遺書の最初に「父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました」と認められ、家族皆への感謝が綴られている。

 遺書の最後には「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」で結ばれ、中でも「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい」の言葉は、マラソントップ選手故の苦悩の現れであり、衝撃的でもある。

 円谷選手が遺書は、世話になった方々から頂いた美味しい食べ物への感謝の言葉で綴られ、彼の人となりが十分伝わってくる内容だ。(以下、遺書の全文)

「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました。干し柿、もちも美味しうございました。敏雄兄姉上様、おすし美味しうございました。勝美兄姉上様、ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。巌兄姉上様、しそめし南ばんづけ美味しうございました。喜久造兄姉上様 ブドウ液養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。幸造兄姉上様、往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。正男兄姉上様、お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になってください。父上様母上様、幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮しとうございました」

 アジアで初であり、有色人種国として初めて開催された東京オリンピックで銅メダル獲得という快挙を成し遂げた幸吉は、レース後の会見でこう語った。

「私一人が走っているのではなく、日本国民全部の人が後ろから私を押していてくれるという感じを受けました」。この言葉は正しく幸吉が国士だった証しだろう。

 遺書というのはその人の人物像が現れる。中でも、特攻隊員や靖國に眠る英霊の遺書は正しく「神」そのものの渾身の叫びであり、その言葉には言霊が宿り、その精神は日本人の心の奥に響き、時空を超えて明らかに現代に感応している。

 右翼人の愚生には左翼という生き方はどんなものかは知らないが、二十八歳で自裁した連合赤軍中央委員会委員長・森恒夫の遺書には「自己の責任の重さに絶望し、自らに死刑を下す」と綴られている。その内容は次の様なものだった。

「御遺族のみなさん、十二名の同志はぼくのブルジョア的反マルクス的専制と戦い、階級性、革命性を守ろうとした革命的同志であった。責任はひとえにぼくにある。同志のみなさん、常に心から励まして下さってありがとう。お元気で。父上、ぼくはあなたの強い意志を学びとるべきだった。強い意志のない正義感は薄っぺらなものとなり、変質したのである。お元気で。愛する人へ、希望をもって生きて下さい。さようなら。荷物は坂東君に」

 森は逮捕されてからはキリスト教に関心を示していたという。革命に向けて自ら行った虐殺の罪を悔い改めてはいるが、それはその手法であって遺族への謝罪は全くないことをしても左翼思想云々以前に人間的な幼稚さが露われている。

 一方で、浅沼稲次郎社会党委員長を刺殺した山口二矢は供述調書を取り終えると移送された練馬鑑別所で自裁。その調書の中で遺族に対して心境を吐露している。

「浅沼委員長を倒すことは日本の為と堅く信じ殺害したのですから、行為については法に触れることではありますが今何も悔いる処はありません。しかし、浅沼委員長は最早故人となった人ですから、生前の罪悪を追及する考えは毛頭なく唯故人の冥福を祈る気持ちであります。又浅沼委員長の家族に対しては、如何なる父、夫であっても情愛に変わりなく、殺害されたことによって悲しい想いで生活をし迷惑を掛けたことは事実ですので、心から家族の方に申し訳ないと思っています」

 二矢は練馬鑑別所に於いて、「國のため 神洲男児晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅へ」「大君に 仕えまつれる 若人は 今も昔も 心かわらじ」の辞世を遺し、「天皇陛下万歳」と従容として死に就いた。享年十七歳。

 二矢は、「私には日本人の血が流れており唯物論では到底割り切れない。持って生まれた日本精神という唯心論的なものが滾っており、天性からこういう人生観、思想などが形成されたと思っています。尚、本当の日本人であれば、私の様な人生観、思想というものが心の奥底には必ず在ると思います」と述べている。

 十七歳の二矢と二十八歳の森恒夫との人生観の違いは歴然だろう。二矢と円谷幸吉の遺書に日本人としての惻隠の情を犇々と感じ、人というのはどれだけ長く生きたかではなく、どう生きたか、どう生きるかが大事だと痛感する。合掌再拝。

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2021年01月02日

祭祀が軽んじられて天皇は憲法下で政府の傀儡と化している

 新型コロナの影響で一般参賀が中止となり、代わりに天皇陛下のビデオメッセージが発表された。詔勅ではなく、天皇が御自らの意志をこうした形で吐露遊ばされることは天皇が現憲法下で宮内庁や政府の傀儡と化している様に感じてならない。

 天皇は現憲法では国民統合の象徴とされているが、天皇とはどの様な存在であるかを知らぬ国民が多過ぎる。畏くも陛下の一年は、元旦未明に斎行される「四方拝」で始まる。四方拝は「新嘗祭」に並ぶ宮中祭祀中でも重要な祭事である。

 元旦未明から陛下は潔斎し身を清め、古式に則った黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)の装束を身に纏い、伊勢神宮や陵墓、四方の神々に拝し、国の安寧や豊作を祈る。これこそが歴代天皇が行ってきた努めであり秘儀である。

 近年は天皇の祭祀は軽んじられ、正装である黄櫨染御袍正装ではなく、憲法で明記されている国事行為の「新年祝賀の儀」が優先されてモーニング(礼服)を着ての拝礼で済まし、年始の祭典である「歳旦祭」も掌典職が代拝している。

 元旦の四方拝に続き、正月三日には国と国民の繁栄を祈る「元始祭」、四日は「奏事始め」、七日は「昭和天皇祭」等等、宮中祭祀は年に二十件前後斎行されるのだが、近年は公務の軽減という理由から代拝や短縮などの簡略化が謀られている。

 宮中祭祀でも最も重要な祭事が十一月二十三日に執り行われる「新嘗祭」である。 新嘗祭は、天皇がその年に収穫された新穀などを天神地祇に供えて感謝の奉告を行い、これらの供え物を神からの賜りものとして自らも食する儀式である 。

 因みに、天皇が即位し始めて行う新嘗祭を「大嘗祭」と言う。正しく天皇とは祭主であり、祈る存在であらされるのだが、現憲法にはそうした天皇の祭祀の条項はなく、GHQが改悪を謀った現皇室典範には大嘗祭の規定すらない。

 新嘗祭は、当日の「夕の儀」に始まり、夜半に「暁の儀」が斎行される。だが、平成24年から負担軽減を理由に暁の儀が中止されている。暁の儀の取り止めは、皇極元年より受け継いできた祭祀に、今後少なからず影響を齎すのは明らか。

 本来ならば、歴代天皇が司ってきた祭事を最優先して国事行為こそ軽減すべき。上皇陛下が御高齢を理由に譲位遊ばされたが、負担軽減というなら国事行為や公的行事を当時の皇太子殿下や秋篠宮親王殿下が輔佐する環境こそ整えるべきであった。

 だが、あろうことか当時の安倍亡国内閣は、皇室典範に退位を附帯して実質的な皇室典範の改悪を謀り、畏れ多くも陛下の譲位(退位)を強行し、更には天皇の大権である元号制定権をも剥奪したことは我が国の歴史の汚辱であった。

 現憲法は、実に御粗末なことに歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定し、天皇の「国事行為」のみで「公的行為」は明文化されていない。然し乍ら天皇は憲法以前の御存在であらせられるのだ。

 インチキ愛国者らへの目晦ましと保守票欲しさから憲法九条を改正し自衛隊の憲法明記に躍起だが、陛下の象徴としての御立場や国事行為が列記される憲法第一条から第八条に及ぶ「第一章・天皇」条項こそ議論し見直さなくてはならない。

 神武肇国から続く万世一系の皇統が、平成の世を境に断絶の方向に進み、憲法以前の御存在であらされ、祈る存在であるべき天皇が現憲法下で傀儡と化し、都合好く利用されてしまっている現状は皇国臣民の一人として忝く思う。

 天皇の祭祀を軽んじてるのは皇統断絶を謀る獅子身中の虫である宮内庁か、反天皇勢力でもある左翼どもなのか。それとも保守を標榜しながらそれらに与する自民党が元凶か、自公政権か。祖国日本を破壊する国賊どもを剔抉粛正せねばならない。

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2021年01月01日

全愛国者よ、天皇国日本の真姿開顕に奮励前進、捨身奉公せよ!

 皇紀2681年、令和3年の年頭に当り、謹んで天皇陛下と皇室の弥栄を寿ぎ奉り、併而、御支援御厚情を賜る皆々様方の御隆昌と御健康を祈念申し上げます。

 拙ブログのサブタイトルに「わが民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない(西晋一郎)」との言葉を記している。

 心ある日本人は祖国日本に生を享けた者としてその日本の将来を憂い、心中密かに期するものがあるだろう。それは一体何か、何であらねばならないのか。

 この心中に在る想いを一言にして表現するならば、世界に比類なき天皇国日本の真姿開顕に奮励前進、捨身奉公するということに尽きよう。

 是つまり、皇祖天照大御神が垂示し給うところの、「葦原千五百秋之瑞穂國、是吾子孫可王之地也。宜爾皇孫、就而治焉。行矣。寶祚之降、當與天壤無窮者矣」との天孫降臨の御神勅を、心魂に刻んで日々奉拝することである。

 この御神勅は、皇祖・天照大神が、皇孫である瓊瓊杵尊に対して下した勅にて、日本列島統治に於ける皇室の正統性、皇室及び国の永続性を祝福したものである。

 読み下し文は「豊葦原の千五百秋の瑞穂の國は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)也。宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)、寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壤(あめつち)と窮(きわま)り無かるべし」と読む。

 大日本帝国憲法(欽定憲法)が施行された明治22年2月11日の紀元節に於いて、明治天皇は国民に下し給える憲法発布勅語の中でこう思召し遊ばされた。

「惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テ無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ」

 この勅語こそ正に天孫降臨の御神勅の精神の継承である。大日本帝国憲法こそが不磨の大典であり我が国の正統な国法であることの証明でもある。

 第一条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と記されている通り、我が国は「天皇国日本」なのである。これこそが日本国民たるものとして肝に銘じ、忘れてはならない万古不磨の大原理大原則である。

 南北朝時代の公卿・北畠親房卿は「皇統正統記」の序論で「大日本者神国也、天祖ハジメテ基ヲヒラキ、日神ナガク統ヲ伝給フ。我国ノミ此事アリ。異朝ニハ其タグヒナシ。此故ニ神国ト云也」と記している。

(大日本国は神の国なり。天祖(あまつみおや)が初めて国の基礎を築き、日神(天照大神)が長らく国を統括してきた歴史を持っています。他の国々にはこのような例はありません。故に我が国は神国である)との意味だ。

 この北畠親房卿の「皇統正統記」もまた日本国民が矜持すべき信念であり、日本人としての信仰であらねばならないと断言して憚らない。

 この古より伝えられた日本民族の精神と、道統を受け継ぎ、これを護持し、これを宣布し、そして子孫に伝えるところの責任と使命を有する者は、今を生きる我々日本人であることは言うを俟たないところであろう。

 然るに、この万邦無比の国體、尊厳崇高なる祖国日本の歴史と道統に目を覆い、或いは西洋物質文明に被れ、或いは共産主義反逆思想に随喜して、日本人の本質を自ら喪失し、無機質な人種が増殖する傾向は由々しき一大事と言わざるを得ない。

 江戸時代の国学者である本居宣長は、自著「うひ山ふみ」の中で、「やまと魂だによく堅固(かた)まりて、動くことなければ、昼夜からぶみをのみよむといへども、かれに惑はされるうれひはなきなり」と教示している。

「からぶみ」とは「西洋かぶれ」ということだが、現代人もまた「やまと魂だによく堅固まりて」どころではなく、高邁な日本精神を忘却してしまった。

 国内には未だ米国の占領政策の洗脳から目覚めることなく、米国や中共の走狗となった不逞の徒輩により大和魂の基盤そのものが逐次掘削され、国家の大本を忘却し経済至上主義に現を抜かし祖国日本は消滅寸前の様相を呈している。

 この迫り来る祖国の危機に対処し、天皇国日本を盤石の安きに置く使命を有するものは我ら日本人である。正にその存在の意義を示す神機は近付きつつあるのだ。さあ、全愛国者よ、その一旦緩急に備え遺憾無きを期そうではないか。

 念頭に当り、正統右翼浪人として、貧すと雖も志士の覚悟を忘却することなく一維新者として草莽の道を歩んで往こうと思っておりますれば、本年も引き続き拙ブログに御付き合いの程宜しく御願い申し上げます。すめらぎいやさか。

 皇紀2681年歳旦 佐久間五郎拝

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