2020年12月

2020年12月30日

「今日は無礼講だから遠慮しないでどんどん呑め!」とか言われて調子に乗って杯盤狼籍(笑)

 忘新年会のシーズンだが、新型コロナの影響で例年とは事情が違う。忘年会などで「今日は無礼講だから遠慮しないでどんどん呑め」とか言われてその気になって泥酔して杯盤狼籍。翌日には記憶もカネも無いなんてのはよくあるだろう。

 先輩や上司から「無礼講だ」と言われてもやはり酒席では礼節は失ってはいけません。大体、会社や先輩での酒席は修行の一環。気を遣って飲む酒なんぞ旨くもないし楽しくもない。やはり酒は身銭を切って飲むのが旨いし愉しい。

 毘沙門天を信仰し、生涯質素な生活を送った質実剛健の戦国武将の上杉謙信は、東北山形を勢力にしたということもあって敬愛している。謙信は酒には目が無くて、お気に入りの大ぶりの盃を持って部下と一献するのが楽しみだったという。

 部下に大いに酒を勧めながら酔っ払った姿を観察し、酒に呑まれて我を忘れる部下を酷く嫌い、また、酔った勢いでここぞとばかりに進言したりする部下も信用しなかったという。普段も酒席でも同じ態度で接してる者を重用したという。

 そんな謙信も、酒の飲み過ぎでが原因で脳卒中で死んだ。何か親近感が沸くというものだが、脳卒中というのはの脳梗塞を経験してる愚生も他人事ではない。

 酒席を同じくした鼻に付く先輩などには、愚生は敢えて苦言を呈す時もある。ただ、翌日には「昨日は酔っぱらってついつい言い過ぎました」と謝ることにしているが、酒の所為にすれば大概赦される。でも、酔って発した言葉は本音です(笑)

 吉田松陰は「常に直諫なくば」と訓えている。謙信の「酔った勢いで」も同じで、先輩や上司への諫言とはシラフの時に言った方が好い。ただ、そんな諫言を赦してくれる度量の大きな先輩や上司は限りなく少ないので御注意を(笑)

「今日は無礼講だ」と勧める一方で、酒席の様子や酔っ払いぶりを謙信の様に冷静に観察している上司や先輩方がいることを忘れてはいけません。酒席というのは箸の使い方や所作というのも目に付くし、相手の人となりがよく分かるものなのです。

 酒を飲まない人には分からないだろうが、酒っていうのは失敗も多いが失敗で得る方が断然多い。正しく失敗は成功の基。「酒が人間をダメにするんじゃなく、酒は如何に人間がダメなものかを教えてくれる」とは立川談志だが、蓋し正論。

「酒は飲むべし 酒は飲むべし 人生唯酒ありて肝を開く 酔中の快楽人知るなし」とは坂本龍馬。酒は男を磨く道具の一つである。肴は特に拘らなくても好いが、飲む酒にはチョッとは拘りたいものだ。ということで呑み過ぎには御注意を。呵呵。

 この拙文を以て今年最後のブログと致します。今年も「爆ちゃん吼える」に御付き合い頂き感謝申し上げると共に、謹んで陛下と皇室の弥栄を寿ぎ奉り、併而、来る年が皆様にとって実りある年と成ります様に御祈念申し上げます。

※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方や御意見、メッセージは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:55|PermalinkComments(0)

2020年12月24日

袴田事件の再審を急ぎ「無罪」判決を言い渡せ!

 東京高裁は一昨年6月、昭和41(1966)年6月30日、「王こがね味噌橋本藤作商店」の専務宅が放火され、焼跡から専務と妻、次女、長男の計4人の他殺死体が発見された所謂「袴田事件」で、静岡地裁が認めた再審開始を取り消す決定。

 この高裁決定を不服として最高裁に申し立てていた裁判で、最高裁第3小法廷(林道晴裁判長)は、裁判をやり直す「再審」を認めないとした東京高裁決定を取り消し、審理を高裁に差し戻した。一応は妥当な判断だろう。 

 再審決定から徒に4年も費やした上に、検察や警察のメンツを慮った決定は正に不条理そのもので、司法の正義は無きに等しい。今回の最高裁の決定も、再審開始の可否の方向性を示さず賛否が拮抗してたというのだから厭きれてしまう。

 事件発覚から5日後の7月4日、清水警察署は工場及び二階の従業員寮を捜索し、当時、従業員で元プロボクサーの袴田巖の部屋から極微量の血痕が付着したパジャマを押収。8月18日、警察は袴田を強盗殺人、放火、窃盗容疑で逮捕した。

 自供は得られず、事件の証拠品は微量の血痕が付着したパジャマのみ。物的証拠が乏しい中で一審の公判中の昭和42年8月31日、何故か不可思議なことに言い渡せ工場内の味噌タンクの中から麻袋に入っていた血痕の付着した衣類が発見された。

 証拠品はパジャマから一転し、この衣類が決定的な証拠となった。 パジャマの血痕、発酵する味噌タンクから発見された「5点の衣服」、そして犯行時に使用したとする切り出しナイフなど、誰が見ても不可思議な物的証拠だった。

 犯行着衣とされた「5点の衣類」に弁護側は、「サイズから見て被告人の着用は不可能」と疑問を呈すも、検察は「1年間近く、味噌漬けになってサイズが縮んだ」と主張しているが、味噌タンクに漬けてて縮むことはあり得ない。

 袴田被告の実家を家宅捜査した際に犯行着衣と同じ共布を発見。これが犯行を裏付ける証拠として採用された。2010年9月に検察が一部開示した証拠品を弁護側が検証したところ、共布発見の8日前と6日後の2度に渡り、捜査員がズボン製造元から同じ生地のサンプルを入手していたことが判明している。

 事件を担当した紅林麻雄刑事は拷問による尋問、自白の強要、懐柔、供述調書の捏造、自己の先入観による違法捜査、違法な取調べは夙に有名で、袴田さんも紅林刑事の過酷な取り調べによって自白を強要されたのは想像に難い。

「二俣事件」「幸浦事件」「小島事件」など、紅林が過去に主導した数多くの捜査でもその取調べの行き過ぎが指摘されていることでも理解出来るだろう。

 袴田事件の自白調書である全45通の内、44通を「強制的・威圧的な影響下での取調べによるもの」等の理由で任意性を認めず証拠から排除していることでも、紅林に因る自白の強要や違法捜査や証拠品の捏造は明らか。

 高裁で衣類のDNA鑑定や証拠といった地裁判決を悉く覆しながらも、警察に因る捏造を裏付ける為の元警察官の証人申請を認めず、証拠品発見の不可解な経緯については一切言及もせずに「捏造は論理の飛躍」と一蹴している御粗末さ。

 再審決定に至る地裁判決の疑問点を精査することこそ大事なのに、DNA鑑定に関する有効性の否定と証人申請却下は、単に検察のメンツに与しただけ。

 DNAの鑑定を疑問視し「科学的に信用出来ない」と主張するが、この事件に疑問を抱いてる国民は当時の警察による違法捜査と捏造を問題視している。先ずは違法捜査を認めた上で、DNAの鑑定の有効性を検証すべきではなかったか。

 今の時代は科学捜査が当たり前になっているが、一昔前には信じられない様な驚く鑑定が相次いだのも事実。例を挙げれば、昭和24年、弘前大学の松永藤雄教授宅で妻が何者かに咽を斬られ殺された事件が起きた。

 近所に住む那須隆という男が逮捕され、彼の着衣から血痕が見つかり、それを証拠に犯人と断定した。彼は犯行を全面的に否認するも起訴される。

 自白すれば情状酌量が認められる、こうした自白の強要が冤罪を生む要因となっているのも確か。やってもいないのだから自白のしようがないないが、これを「反省も無い」と判断され情状は認められず15年の刑を務めることになった。 

 那須さんが刑期を終え釈放されて間もなく、滝谷福松という男が「弘前大学教授夫人殺害は自分だ」と名乗り出た。証言に因れば、教授宅はミシン修理に行って面識もあり、犯行時の詳細を供述し、紛れもなく滝谷の犯行だった。

 真犯人が那須氏は早速仙台高裁に再審請求するが、摩訶不思議なことに高裁はそれを棄却した。更に2年後、那須さんが再審請求すると今度はあっさり受理されて、直ぐに無罪判決が出た。真犯人が名乗り出ているのだから当たり前。当時証拠とされた着衣の血痕は鑑定で「別の人物のものだった」といけしゃあしゃあと発表した。

 証拠の信憑性の無さは誰もが判りきっていたが、何故に2年前には再審請求が却下されたのかと言えば何のことはない、捜査で血液鑑定を行った古畑種基東大教授が生きてたから。古畑教授が亡くなると再審がすんなり受理された(笑)

 要は、事件の事実解明よりも、科学捜査研究所所長も務め、文化勲章を授与された古畑教授の名誉とメンツが優先されたのだが、「袴田事件」も同じで、死刑判決という重い判断をした裁判官を庇う為だけのもので、そこに正義は無い。

 冤罪を生む元凶は捜査に携わる警察や検事の驕りや傲慢さ、過ちを文(かざ)り、屋上屋を重ねることの結果だが、こうした冤罪によって真犯人を取り逃がすことになることこそ最悪の結果となるということを忘れてはならない。

 過ちを素直に認め改めることこそ、法の正義を守る上で最も大事なこと。司法の世界は未だにメンツを重んじる風潮があるのも確か。最高裁判決で賛否が拮抗したというのが、未だに陋習が蔓延っていることを示唆している。

「過ちて改めざるこれを過ちという」「過ちては即ち改むるに憚ること勿れ」というが、くだらんメンツを重んじて正義を失うことがあってはならない。

 冤罪は不当逮捕された当人にしても最悪だが、被害者遺族にとってもその無念が晴れることは無く、断腸の思いであることは言うまでもない。

 警察の訃報逮捕で人生を翻弄された袴田巌さんも84歳と高齢となった。過去の過ちを改め再審開始を急ぎ、無罪判決を下して袴田さんに謝罪することを望む。

※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方や御意見、メッセージは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 06:43|PermalinkComments(0)

2020年12月23日

我が国には「A級戦犯」「B・C級戦犯」「戦争犯罪人」はいない

 本日は上皇陛下の御生誕日。謹んで陛下の弥栄と長久を祈念申し上げます。また、12月23日は所謂「A級戦犯」として処刑された方々の命日でもある。

 GHQは当時の皇太子生誕の日を選び処刑を行った。日本人には未来永劫に亘り、戦争犯罪という贖罪意識を持たせる為に敢えてこの日を選んだのだ。こうしたことでも米英を始めとした連合国が如何に非情かが解るだろう。

 我が国には「A級戦犯」「B・C級戦犯」「戦争犯罪人」はいない。第十六国会の議決により「戦傷病者戦没者遺族援護法」が改正され、それを以て法的に復権されている。由って国民が「戦犯」と呼称することは愚かなことだ。

 連合国側が定めたA(class-A war criminal)、B、C級の区分に関係なく、刑死、獄中死された方々は「法務死」、靖國神社では「昭和殉難者」としている。

 所謂「A級戦犯」として処刑された方は東条英機、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章、広田弘毅の7名。所謂「B・C級戦犯」は1068名。凄惨なリンチに等しいもので亡くなった方など約100名いる。

 戦勝国に因る見せしめとして行われた極東軍事裁判に於いて、弁護する機会も碌々与えられず、一審即結審という復讐という名の茶番劇で、或いは外国の地で不当に処刑されたこの方々の命は決して軽いものではない。

 敢えて反論もせず、その運命を諒とし、命を以て日本への罪を償ってくれたのだ。今を生きる我々は、英霊の方々への恩とその悲劇を決して忘れてはならない。

 極東軍事裁判で、パル判事は「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判した。

「国際法の原理に基づきこの法廷で日本を裁く権利は無い」
「日本の戦争を一方的な侵略戦争とは断定できない」
「真珠湾攻撃以前の案件を扱うことは事後法となり、管轄権を侵害している」
「非戦闘員の生命財産の侵害が戦争犯罪となるならば、日本への原子爆弾投下を決定した者こそを裁くべきであろう」
「各被告は全ての起訴状中の各起訴事実部につき無罪とされなければならない」

 パル判事のこうした公正な意見は連合国側に忙殺された。だが、判決から2年半後、米国軍事委員会でマッカーサーが「彼ら(日本)が戦争に入った目的は、主として自衛の為に余儀なくされたものだ」と証言したのだ。

 極東軍事裁判は連合国最高司令官の権限に基づいて行われたものだが、その責任者であるマッカーサーが公的な場で日本の正当性を認めたことは重い。

 大東亜戦争を「侵略戦争」であるとか、「アジアの人々に多大の迷惑を掛けた」と罵り、戦争の原因を天皇や軍部、そしてA級戦犯であるなどと喧伝しているのは無知に加え、大戦の原因や犯人を隠し続けたいからに他ならない。

 我が国の政治家は安倍首相を筆頭に「歴史は歴史家に任せる」という。だが、歴史の問題は一国の存亡に係わる大事である。その歴史家が偏狭な歴史認識の持ち主ならどうするのか。歴史が捏造された儘で国家が存続出来るのか。

 戦後、東京裁判史観に侵され、近代史や大東亜戦争に至る経緯とその後の検証を怠ったのは、経済復興や景気対策と社会保障といった目先のことばかりが優先され、中韓からの要らぬ抗議を避ける為に謝罪や譲歩を続けたのが大きな要因である。

 世界の如何なる国も国民も、その国家の為に殉じた人々に対して敬意を払う権利と義務があるのは言うまでもない。国家の危機の要請に応じ、敢然と戦場に赴いて戦い散って逝った英霊に対し、感謝の誠を捧げることは当然のこと。

 悲しい哉、靖國神社の在り様を思う時、我が国の政治家らが国家に殉じた英霊に敬意を示さない姿は情けなく恥ずかしい。政治家のこうした姿が、どれだけ国民精神の頽廃を招いていることか政治家どもは省みたこともあるまい。

 愛国心の欠落と国防意識の低下。高邁な精神は欠落し、日本国民としての誇りや自信の喪失。子殺しや親殺しなどの自己本位の犯罪等々、現在の我が国の社会に蔓延する諸問題の全ては国家に殉じた方々への感謝の欠落に起因する。

 何度も言うが、我国には「戦犯」など存在しない。マスコミや政治家、国民までもが「戦犯」という蔑称を使っていることに違和感どころか怒りを覚える。

 上皇陛下の弥栄と長久を祈念すると共に、英霊への戦犯との汚名を雪ぐと共に御霊の安らかならんことを祈る。すめらぎいやさか すめらみこといやさか

「東条英機の遺言書」http://cordial8317.livedoor.blog/archives/52044601.html

※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方やメッセージは mr.cordial@live.jpへ御気軽にメールで御連絡を!

cordial8317 at 03:23|PermalinkComments(0)

2020年12月22日

その昔は「冬至」からが一年の始まりだった

 昨日は二十四節季の一つである「冬至」。その昔は、冬至からが一年の始まりとされた。古代、冬至は一年の始まりであり、運が巡って来るとされるとされる「一陽来復(いちようらいふく)」とも呼ばれて、実にめでたい日でもあった。

 因みに「めでたい」とは、「愛(めづ)」「甚(いたし)」の「めでいたし(褒め称える程度が甚だしい)」の転で、「目出度い」や「芽出度い」は単なる当て字です。冬至に月を見上げ祈ると金運もアップするらしい(笑)

 冬至の中でも十九年に一度、冬至と新月が重なるのが「朔旦(さくたん)冬至」。「朔」とは「新月(三日月)」のこと。月初めを「朔日(ついたち)」という様に「始まり」という意味で、「旦」には太陽が昇るという意味がある。

「元旦」というのも「一年の初めの日の出」という意味合いがある。冬至に「柚子湯に入ると風邪をひかない」と言われるが、本来は柚子湯に浸かり、その香りと薬効で身を清める「禊(みそぎ)」を意味したからだ。

 冬至に「かぼちゃ」を食べるのは、「ん」の付く食べ物を食べで「運」を呼び込むという縁起担ぎ。かぼちゃに「ん」が付かないというひねくれ者がいるが、かぼちゃを漢字にすると「南瓜(なんきん)」と「ん」が二つも付く。

 この「ん」の付く食べ物は沢山ある。にんじん、だいこん、れんこん、ぎんなん、きんかん、インゲン・・・。ラーメン、タンメン、うどん、天丼、天津丼、アンパン、あんまんなどなど色々と考えるのも楽しいかも(笑)

 落語などでもそうだが、昔の江戸っ子は「牛蒡(ごぼう)」のことを「ごんぼう」と呼んだ。こうした言葉も「ん」を付けて縁起の良い食べ物としたからだ。福島県内でも牛蒡を「ごんぼ」というが、単に訛っただけではないと思う。

 最近は江戸弁なんて殆ど聞かなくなった。都会で使われてるのは標準語。標準語というのは、明治維新後に士族らの蝦夷開拓事業もあって創られた言葉だ。

 愚生の周りに都会っ子ぶってる連中というのは、自分達が使ってる言葉は矯正させられた「標準語」であり、「均一化」された言葉という自覚も無い。標準語が使われ出したと並行して個性の無い同一化された日本人が多くなったのは気の所為か。

「いなかっぺ大将」の影響からか、いなかっぺは「田舎の人」の様に思われてしまっているが、本来は「井の中の蛙大海を知らず」の意味だ。井戸の中からは塀が高くて外は見えないから、江戸っ子らが世間知らずの人を揶揄した言葉だった。

 因みに、田舎や山里で育った人は「田舎っぺ」ではなく、「山家(やまが)育ち」という。尤も、こうした言葉は古典落語や時代劇でしか聞かない(笑)

 古き良き時代には、正月を迎える準備を始める「正月事始め」というものがあった。嘗ては、旧暦の12月13日に行われた。現在は新暦12月13日に行われるが、こうした風習を守ってるのは山口組や芸妓の世界くらいではなかろうか。

 ということで、昨日の朝飯は天津丼を食べ、昼は鴨つけめん。晩酌のつまみに「ん」の付く料理は無かったが、それでも日本酒は「純米大吟醸」、焼酎は「れんと」、ウイスキーの「タンサン」割りを飲んだか別に好いか(笑)

 晩酌のつまみに「イカにんじん」か「みそかんぷら」でも作れば好かったな。因みに「かんぷら」とは、福島県の方言で「ジャガイモ」のことです。呵呵。

※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方や御意見、メッセージは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:26|PermalinkComments(0)

2020年12月21日

汝、ゆめ晴天の友となる勿れ、雨天の友となれ!

「汝、ゆめ晴天の友となる勿れ、雨天の友となれ」という言葉がある。天気の良い時、つまり順調な時にだけは付き合うが、少し具合が悪くなると、いつの間にか遠ざかって寄り付かなくなる。こういうのを「晴天の友」という。

「晴天(人生が順調)の人と友達になろうとはするな。寧ろ雨天(苦難に直面)の人に心を寄り添える様な人間になろう」という意味だが、人間落ち目になったりすると遠ざかって行く。人というのは多くは権威主義だから当然と言えば当然。

「人の痛みの分かる人間になれ」というが、人の痛みなんぞ分かるものではなく所詮は他人事。人の痛みを分かる人間なんぞそう滅多にはいない。

 相手の悩みや苦しみを聞いて、如何にも同情しているフリをしているに過ぎない。そういうヤツに悩みや弱みを見せれば、単に恥を曝すことにもなり兼ねない。「人の不幸は蜜の味」ではないが、それが人間の性でもある(笑)

 会社で出世出来ないのも、設立した会社が倒産したりするのも、要は実力が無いからだが、そんな弱者に寄り添ってくれる人などいないと思え。

 逆境やピンチになると、人というのは潜在能力を発揮するものなのだが、その逆境やピンチを避けて悩み事を直ぐに吐露するというのは如何なものか。

 人間というのはそれだけ精神が弱いのだろうが、眼前の悩みなんぞ死に逝く特攻隊員の渾身の悩みに比べればどうってことは無いではないか。

 苦難とは危険を教える慈悲の鞭でもある。幸福と苦難は表裏一体であり苦難の本質を弁えれば、人生の苦難や悩みとはやはり天の与えた試練と考えるべきだ。

 未だ起きてもいないことに、また将来のことを気に病んでいるよりも、今日一日を本気で真剣に生きることに心血を注げ。「一日一生」とはそういうこと。

 人というのはどうしても自分よりも強い者には媚び諂うが、自分より弱い者や自分の能力より劣る者には強気に出るし、外見や肩書などで見下したりする。

「弱きを助け、強きを挫く」のが仁侠道だが、今やそうしたヤクザはおらず単なる暴力団と化してるが、社会全体も弱い者が淘汰される「仁義なき戦い」そのもので、社会構造そのものが自己中心的で金銭欲逞しい暴力団とどっこいどっこい。

 ヤクザというのはそうしたことを理解しているから見栄を張る。高級車を乗り回し、仕立物の背広を着て、高給時計を身に着けては偉くなったと勘違い。

 組織の名刺ひとつでも貫目が違えば見下し、上の者には諂屈する。漢(おとこ)の世界などとカッコつけたところで、所詮は見かけ倒しの世界でしかない。今や右翼団体もその暴力団傘下に甘んじているのだから何かを況んや。

 要するに、現代に生きる人というのは外見や肩書でしか判断しないし、そうした者にとっての価値感というのはその程度のものなので気にする必要もない。

 愚生の嫌いな輩は「貧銭を以ってこれを軽蔑する者は 富貴を以ってこれに諂屈する(吉田松陰)」という手合い。こういう手合いが暴力団や右翼の世界にはうじゃうじゃいる。こういう輩は何事も掌返しが御上手で晴天の友ばかり(笑)

 そんな友というのはチョッとでも雨天になるといなくなるものだ。良い時も悪い時も同じ様に接してくれる友人が一人でもいてくれたら人生捨てたものでもない。そういう意味では同級生や故郷の幼馴染の友人というのは有難い存在なのだと思う。

※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方や御意見、メッセージは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 06:42|PermalinkComments(0)

2020年12月17日

「進め社」や「日本労農党」代表・福田狂二の「狂」とは陽明学の「狂」

tumblr_kto9dlYQTq1qz797to1_500

 愚生が所属していた団体「防共挺身隊」の創設者は福田進。その父親は「進め社」や「日本労農党」代表の福田狂二。画像を拝しても好い面構えだ。

 極左・中核派の「前進社」も「進め社」のパクリだろうが、狂二は国権から弾圧を受け支那に亡命するなど伝説の革命家で左翼にも信奉者は少なくない。

 日本に帰国すると名を「素顕」と改め、国家社会主義者に転向し、「防共新聞」を創設し主幹となる。防共新聞の行動部隊が長男・進の防共挺身隊である。

 破天荒な父から生まれた息子もその血は争えない。福田進を一躍有名にしたのが、国会議事堂の玄関前での「人糞事件」だろう。一斗缶にクソを詰め、共産党員と共産党被れの国会議員ども5、60人にクソをぶっかけた。

 クソをぶっかけられた連中の屈辱を思えば気の毒としか言い様がない。刺されたり、撃たれたり、殴られたりなら「男子の本懐」ってな具合で納得もするかも知れないが、なんせクソ塗れなんだから恥ずかしかっただったろうよ(爆笑)

 この事件で懲役3年を喰らう。出所すると福田はツキまくり、次から次と活動資金が舞い込んだ。「ウンコ撒いたら運が付いた」という福田は「右翼総会屋」として企業防衛に一役買い、高度成長を陰で支えたのは言うまでもない。 

 この福田進の父の名の狂二の「狂」という字を、単に「気が狂った」という意味に捉える人が殆どだろうが、本来この「狂」は、陽明学の「狂」の教えであり、「狂」の思想とは、王陽明が「伝習録」で訓えたものと言われているものだ。

 陽明学は「知行合一の教え」ということを知ってる人は多いだろう。言葉にしたことは必ず実行するという「知行合一」は極めて陽明学的思考だ。陽明学は「志を立てる」ところから始まり「行動に昇華する」ことで終結する。

 逆を言えば「実行できるかどうか分からないことは言葉にしない」ということでもあり、己の発言に責任を課していることを意味する。最近の政治家の言葉が軽いのは、この陽明学を学ぶことがない故に行動に責任も持てない輩が多い。

 つまり、例えば政治家や起業家を志すにしても、自分の言葉に責任を持ち、自らが率先垂範して国民や社員の模範となることが大事で、そして何よりその志は「親に対する孝」と「国に対する忠」が源でなければならないのだ。

 陽明学は人間の格位を「聖賢」「狂」「狷(けん)」「卿愿(きょうげん)」の四つに分けており、孟子はこれを注釈し「聖賢」とは、知識・人格に優れた人物。「狂」は理想主義。「狷」は不潔を潔しとしない者。「郷愿」は世俗と歩調をあわせた風俗とし、徳の賊(道徳家を装って郷里の評判を得ようとする俗物)だとした。

 要するに、陽明学派の「狂」とは「気が狂う」というのではなく、理想を高く持ち、何の虚飾も隠し立てもなく、一途に率直に行動することであり、「狂」とは、一つの信念に向かって脇目もふらずに突進する仁侠の精神とも言える。

 福田狂二の生き方もその名の通り、理想を高く、心の赴くままの正義感からの行動だったのだろう。因みに福田進の実弟は「狂介」という名だ。第三代、第九代内閣総理大臣に就いた山県有朋も自らを「狂介」と号している。

 また「狂」は、キリストの「悔い改めよ」ではないが、「もし過失があれば改めさえすれば好い」とする臨機応変的なものでもあり、世俗社会の常識に対し果敢に挑戦する「実践的理想主義」とも言える思想だとも言えよう。

 自らの行動を「狂挙」と敢えて言える為には、歴史を見つめる「冷静な目」が必要であり、この陽明学的「狂」の精神こそが、幕末の混乱期を凌ぎ、明治維新への道と切り開く転換点となったと言っても過言ではない。

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時に生まれる常軌を逸した行動こそが「正気」の「狂気」であり「狂挙」である。山口二矢や三島由紀夫、森田必勝、野村秋介などのこの狂気の狂挙こそが混沌たる現状打破の大きな力となり得るのだ。

 愚生的には「狂」といえば無頼の徒「眠狂四郎」を思い浮かべる。高い理想と率直な行動力は無理でも、狂四郎のあのドSぶりは見倣いたいものだ。呵呵。

※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方や御意見、メッセージは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 08:41|PermalinkComments(1)

2020年12月15日

「喪中につき年末年始の挨拶はご辞退させて頂きます」というが

 年末になると喪中葉書が届き、「喪中につき年頭の挨拶はご辞退させて頂きます」だとか、「喪中なので初詣には行かない」いう様な声を聞く。こうしたことも古くからの習慣であり、大した意味はなく受け継がれている。

「初詣」も、神道ならば50日を過ぎていれば問題はない。仏教でも浄土真宗などは「死」は「穢(ケガ)れ」ではなく、故人を阿弥陀如来の智慧の光明に縁り極楽浄土へと導くという真理であるという教なのだから別に問題はない。

 日本人というのは天皇陛下の御生誕を祝わないのにキリスト誕生を祝い、大晦日には除夜の鐘を撞き、初詣には神社に参拝する。結婚式を教会や神社で挙げ、葬式は仏教と実に好い加減な民族ともいえるが、何故か「喪中葉書」だけはマメ(笑)

 先祖の宗派も分からず、神仏などを軽んじていながら身内の死に対してだけは信心深くなる。「喪中」という言葉にしても都合好く利用してるとしか思えない。

 近親者が亡くなった場合、一定の期間はその死を悼み、身を慎むことを「忌服」、或いは「服喪」という。 古くは、門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲をなさず、嫁取りをせず、財を分かたずという仕来りがあった。

 今日では、それらの一部分が慣例として受け継がれているだけ。 ここまで喪に服することはないし、そこまでした人を見たことも聞いたこともない。一週間も仕事を休んだものなら「もう、君は会社に来なくてイイよ」と誹られるだろう。

 日本での喪中の規定に関する法律は、奈良時代の「養老律令」が出された頃には既に見られ、江戸時代になると「服忌令」という法律に喪中の規定が記された。これらの法令に由ると父母の喪は12ヶ月~13ヶ月であると制定されている。

 明治7年に出された太政官布告「忌服令」では、「父母、夫、50日、13ヶ月。妻、兄弟姉妹、20日、90日」などと「忌(忌中)」と「服(喪中)」の期間をこと細かく定めている。 この法令は昭和22年に廃止されている。

「忌」と「服」は、謹慎度の深さによって分けられるが、大まかには「忌」は自宅に謹慎する期間で、法要(四十九日)が終わる期間をいう。「服」は、喪服を着用する期間で、死者を偲ぶ期間と考えて好いだろう。

「忌中」とは、神道の「穢れである死を忌む期間」という考え方から、忌中時(五十日)は「出仕(仕事)を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、神社に参拝しない」としている。 浄土真宗では死は穢れで無いので忌中は意味を成さない。

 現在ではこうした法令は全て撤廃され、仏事の慣例としては今もこの太政官布告が一つの目安にされていて、喩えば父母の死亡に際しては七七忌(四十九日)までが忌中、一周忌(一年間)までが喪中とされることが多いが、今では意味を成さない。

「喪」とは、儒教から生じているもので、父母の死については13ヶ月間喪に服するということになっている。昔は「0」という観念がないので、その月が終われば1ヶ月と数え、翌月は2ヶ月目になる。二年目の法要が三回忌となるのと同じ。

 服喪期間という個人の故人への思いはそれはそれで好い。「喪中葉書」も信心深さの表れなのだろうが、実際に喪に服している訳でもないのに変な風習だ。

 年賀状のやり取りにしても、喪中の相手を気遣うという意味では年賀状を送るというのは思慮不足なのかも知れないが、悪気が在って送る訳でもないだろう。年末年始の挨拶如き亡くなった人まで巻き込んで一喜一憂などする必要はない。

 尤も「喪中だから」と門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲を成さず、嫁取りをせず、財を分かたず、出仕(仕事)を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らずと自らを厳しく律している方なら別だが、そんな人は見たことも無い(笑)

 仏教徒の多くは、死んで戒名さえ貰えば極楽浄土に往けると思ってるが、戒名を頂くということは釈迦牟尼の弟子になるということ。要は、仏教徒というのは生きている間も、死んでからも修行は続くのだ。ホント、御苦労様です。呵呵。

※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方や御意見、メッセージは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ


cordial8317 at 05:29|PermalinkComments(0)

2020年12月14日

時に元禄十五年十二月十四日、江戸の夜風をふるわせて響くは山鹿流儀の陣太鼓・・・

 実兄の十八番に「俵星玄播」がある。子供の頃から幾度となく聞かされた。その御蔭で門前の小僧ではないが、その歌詞(台詞)をよく覚えている(笑)

「時に元禄十五年十二月十四日、 江戸の夜風をふるわせて、 響くは山鹿流儀の陣太鼓、 しかも一打ち二打ち三流れ、思わずハッと立ち上がり、 耳を澄ませて太鼓を数え、おう、 正しく赤穂浪士の討ち入りじゃ、 助太刀するはこの時ぞ、 もしやその中に、昼間別れたあの蕎麦屋が居りわせぬか、名前はなんと今一度・・・」

 赤穂浪士が吉良邸に討ち入りしたのは元禄15年12月14日夜から翌朝にかけてとされているが、本来は旧暦であって、事実は、元禄16年1月30日。

 映画やテレビドラマでの討ち入りの日は満月とされ、雪もあり明るい夜だったとさているが、旧暦30日だと新月、三日月なので暗かったのではと推測する。

 旧暦は1年が13ヶ月、月の満ち欠けで「1ヶ月」を現した。月の周期は15日で太陽と同じ方向にある場合を新月(朔)、反対方向にある場合を満月(望)となる。

 古の日本人というのは、月の満ち引きで月日を数え、そして生活に生かし、実に自然と共に活き活きとしたロマンチックな生活を営んでいた様に思う。

 因みに、赤穂浪士が討ち入った30日は満月ということになるが、新暦表記の14日では新月となり暗かったのではあるまいか、と勝手に解釈している(笑)

 赤穂浪士の精神的支柱となったのが、陸奥国会津若松城下(現・福島県会津若松市)生まれの山鹿素行(やまがそこう)。素行というと「山鹿流軍学の祖」として知られているが、江戸時代に於ける武士道の理論を確立した人物でもある。

 山鹿の門人達が素行の談話を筆記した「山鹿語類」や、尊皇愛国の書として有名な「中朝事実(ちゅうちょうじじつ)」は日本人必読の著である。

「中朝事実」で素行は、当時の学者の外国(主として漢土)崇拝を批判し、皇統の一貫を根拠にして、「日本こそ万国に卓越した『中華・中国』と呼ぶに相応しい国である」との日本主義を主張した人物としても有名である。

 王朝の度々変わった漢土に対し、「日本は天子の地位を侵すような不義不道の者がいなかった為に皇統が一貫している」と、日本の卓越性を強調している。

 江戸時代の267年の中で、理不尽な御家断絶や御家騒動は他にもあったが、唯一、赤穂藩の四十七士だけが「義士」と呼ばれ「武士道の華」と評価されたのは、素行の「正義の遂行」の本義に基づく教えが在ったからだと言っても好いだろう。

  一方で、忠臣蔵の討ち入りに主君の敵討ちなどという「大義」ではなく、単なる「打算」だと断じる批評家もいるのも確かで、先日、週刊誌で「赤穂浪士の討ち入りは『単なる逆恨み』である」との自説を唱える人の主張に括目した。

 その意見とは「大石内蔵助は忠義心によって討ち入らなければ大石家は山科で帰農し、そのまま埋もれただろうが、けれど吉良を討ち取った結果、子孫は本家の浅野家に千五百石の高録で召し抱えられた」というもの。

 この事実をして「忠義ばかりでなく、子孫の将来まで考えて討ち入った」「吉良からすれば逆恨みと言う他なく、幕府の裁定は妥当」とか意見は様々だが、こういう批評は武士の美学というものを理解していない軽々しい戯言でしかない。

 愚生は別に赤穂浪士の行為を否定するものでもないし、殊更に賛美するものでもない。「葉隠」では、赤穂浪士の討ち入りに触れた部分がある。

「赤穂浪士の仇討ちも、泉岳寺で腹を切らなかったのが落度と言うべきだ。それに主君が死んで、敵を討つまでの間が長過ぎる。もしもその間に、吉良殿が病死でもなされた時にはどうにもならないではないか」とは蓋し正論であろう。

  仇討ちというのは緻密な計画でやるものではなく、武士とは即刻「やられたらやり返す」というのが本道で、事の「成否」は問題ではなく「成否」よりも行為自体に意味が在るという。そういう意味では内蔵助は「打算的」と言える。

 葉隠では、仇討ち計画性に疑問を呈した上で、赤穂武士を「上方の人間は小利口だから、世間から褒められる様にするのは上手である」と嘲笑している。

 愚生は、こうした「葉隠」の批評に賛同しているが、赤穂浪士の討ち入りを日本人の美意識の表れと見るか打算的と見るか否かは夫々だろう。だが「仮名手本忠臣蔵」が日本人の美学を現し、多くの国民から愛されているのは確かだ。

 我が故郷の二本松藩主の丹羽光重と赤穂藩の浅野内匠頭との逸話が遺されている。丹羽公は、吉良上野介を討ち損じたとの報に接し、「何故、浅野公は斬りつけたのか、斬りつけずに突けば好かったものを!」と、酷く悔しがったという。

 以来、二本松に於いては「斬らずに突け」が伝統となった。二本松少年隊の成田才次郎が出陣の際に父から訓されたのも、この「斬らずに突け」だった。

 才次郎、「必ず敵将を斃してやる」との一心で、一の丁の物陰に潜んでいたところ、馬上豊かに立派な武士が一隊を率いてやって来るのが見えた。

 長州藩士・白井小四郎が率いる部隊だった。才次郎、隊列が目前に来るまで充分に引き付け、大刀を真っ直ぐに構えるや、一気に白井に向って突進した。

 歴戦の長州兵は、この遮二無二突進する小さな刺客に即座に反応する。白井隊長を護るべく馬前に出た兵に、白井は「子供じゃ、手を出すでない」と一喝。

 白井は、突っ込んで来るのが子供だと瞬時に見抜き兵を制した。だが、それが徒となった。才次郎の剣は、狙い違わずこの敵将の脇の下から胸部を突き刺した。

 白井が落馬する。驚愕した長州兵らは慌てて才次郎を捕えようとするが、才次郎に近寄ることも出来ず、手古摺った長州兵は已む無く鉄砲を使い、この小さな勇士を仕留めたという。白井が30歳、才次郎14歳だった。

 白井は地元の寺に懇ろに葬られた。少年への一瞬の憐憫が自らの死を招いたこの長州の将の墓前には、今でも参詣者からの香華が絶えることはない。

 会津武士道の昇華を白虎隊に喩えるが、白虎隊よりも更に年少だった二本松少年隊は、正しく二本松武士道の昇華そのものであり、我が故郷の誇りである。

 浅野公と吉良公にしろ、幕末期の東軍と西軍にしろ、それは喩え敵味方と雖も、その生き様は今を生きる我々に何かを示唆しているのではなかろうか。今こそ先人の覇気と生き様に学ばねばならないと痛感する。合掌。

※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方や御意見、メッセージは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:38|PermalinkComments(0)

2020年12月13日

儒教などの外国の思想が輸入され「国意」に悪影響を及ぼした

「万葉集」の研究家でもあり、江戸中期に「国学」の基礎を確立し、支那の歴史と日本の歴史を比較した賀茂真淵。国学とは古事記や日本書記、万葉集など、儒教や仏教伝来以前の日本文化や日本精神を重んずる学問であり教えである。

 支那大陸の「易姓革命」を見るまでもなく、様々な王朝が権力抗争を繰り返して来た支那に対し、我が国の古の時代には大きな諍いもなく、大らかで自然な皇位の継承が成されて来たことに着目した真淵は、その「和」の精神を高く評価した。

 何故に古代の日本はそれ程までに平和であったのか。それは元々、日本人が道徳的に立派な人種であったからで、支那の思想は所謂「中華思想」であり、「中国こそが世界の中心で、周りの国や人種というのは野蛮人である」と考える思想である。

 支那人というのは自己主張が烈しく本性は劣悪で、他人への思い遣りに乏しく、規則を厳しくしないと統制出来ない。中華人民共和国が共産主義を最高原理として崇め、人民に信仰の自由や言論、結社、出版等々の自由を認めないのはその為だ。

 方や日本人はどうだろう。現代人は兎も角として「謙遜」や「謙譲」を知り、それが身に付いていたから細かい規則など無くても人倫の道が行なわれていた。

 真淵は、古代の日本に理想郷を見る。そして古の日本人の美しい心を「国意」と表した。つまり、国意とは儒教や仏教伝来以前の、日本の中だけで育まれた日本独自の倫理であると考えたのだ。それが古事記や万葉集、日本書記に在ると教える。

 政治にしても、人為的で論理的な規則は必要なく人々の心の中で国意が自然に働けば、それで「平和」になるという。然し、実際の日本の歴史というのは平安時代後半からの権力抗争、鎌倉期以降の戦乱の時代と幾つのも乱が起きている。

 この歴史的事実を、真淵は「儒教などの外国の思想が輸入され、国意に悪影響を及ぼしたからだ」と説明する。つまり、日本人本来の心の美しさが歪んだのではなく、外からの邪悪な思想に染まってしまったから日本が悪くなったと考える。

 真淵は、仏教や儒教を安易に享け入れた過去を反省し、国意を取り戻すべきだと訴えた。その具体的な方法とは「万葉集を知ること」だと説いた。

 現在の我が国を顧みれば、仏の教えもなく、儒教の教えもなく、単に米国の新自由主義を妄信し、頭にあるのは私利私欲のみ。迷えるものはつまらぬ宗教に奔り、日本人は心の中の高貴さを失い、高邁な知性の磨きを忘れてしまった。

 右翼陣営も例外ではなく、戦前の右翼と戦後の右翼は全く違う存在となってしまった。戦前の右翼というのは「国粋主義」的要素が強く、外国思想は全て悪と捉えるという考えであり、それは共産主義だけではなく、営利至上主義の資本主義であろうが、大衆迎合の民主主義であろうが批判されるべき対象だった。

 右翼がそうした「大義」を忘れ、居の安きを求め、資本主義に溺れて金儲けなどに興じていれば、ヤクザが「仁侠道」を忘却し暴力団化した様に、国民からの信頼は失せ、必要価値のないものに成り下がって行くのは必然であろう。

 右翼の使命とは、日本の純粋性を曇らすもの、つまりは我が国の国體と皇統を損ねる主義思想に断固として対峙して行かねばならない。

※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方や御意見、メッセージは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 08:09|PermalinkComments(0)

大和国は丈夫の国にて、古は、おみなもますらおに、習えり。故、万葉集の歌は、凡丈夫のてぶり也

「万葉集の歌は、外国の思想的な影響を受ける前の純粋な日本の心で詠まれた歌である。だから万葉集こそが純粋な国意を伝える日本の聖典である」と説いたのは、万葉集の研究家でもあり、江戸中期、国学の基礎を確立した賀茂真淵。

 真淵は、国学・歌論について記した書である「にひまなび(新学とも表記される)」で、「大和国は丈夫(ますらお)の国にて、古は、おみなもますらおに、習えり。故、万葉集の歌は、凡丈夫のてぶり也」と教えている。

 多くの日本人は「万葉集」も「古今和歌集」も同じ文学的価値のものだと思っているが、真淵は「両者(万葉集と古今和歌集)は大きく違う」という。

 前出の「にひまなび」の続きは、「山背国はたをやめの国にして、丈夫もたをやめを習いぬ。かれ、古今和歌集の歌は、専ら手弱女(たおやめ)のすがた也」

 真淵は「古今和歌集」の歌は、儒教や仏教に毒され、技巧を弄した作品であり、「万葉集」の単純な写実から、素直ではない形式的な技巧と断じている。

「万葉集」の素直でな風景描写や率直な感情表現を「高く直き心」と説き、これこそが素朴で雄渾な日本人の魂であると評し、これを「ますらおぶり」と現した。

 対して、平安時代(山背国)に成立した「古今和歌集」は、外国(とつくに)の影響を受けた歌風であると評し、これを「たをやめぶり」と呼んだ。

「手弱女(たおやめ)」とは、優しいとか、淑やかな、という意味もあるが、浮かれ女、遊び女、という意味もあり、要は、大和国の「丈夫(ますらお)」ぶりを詠った万葉集に比べて、古今和歌集は女々しいと感じたのだろう。

 分かり易く喩えれば、万葉集は男性的であり、古今和歌集は女性的。つまり、真淵の思想は男性優位であり、男女共同参画社会の現代に於ては、ジェンダーフリーを叫ぶ性的変質者らからは非難の対象となるに違いない(笑)

 況してや、古今和歌集に集録されている約1100首の歌は天皇の勅撰和歌集でもあり、今なら国士を気取る自称愛国者らからも糾弾されるかもなぁ(笑)

 真淵は、「和歌は政治の根本であり、経世・経国に役立つもの」と教える。何故なら歌には人心を和らげ、世の中を和やかにする力があるからだという。

 真淵が「万葉集」研究に打ち込んだのは、趣味や文化研究でもなく、日本を佳い方向へ導く為の教えを模索していたのだろう。では、万葉集から何を学ぶか。

 万葉集を学ぶには万葉集で使われている古語を習得することだという。これが凡人の愚生には容易なことではない。ならばどうするか、要は万葉集を見様見真似で何度も何度も繰り返して詠んでみることに尽きる。

「今、右翼にとっての真なる敵は右翼自身である。フィクサーを気取ったただの金権右翼、思想も信念も持たないゴロツキ右翼、詩心を持たない乞食右翼等等、我が内なる敵は多岐にわたる」と喝破したのは新右翼のカリスマ・野村秋介。

 愚生は金権右翼団体に所属はしていたがカネに縁が無いゴロツキ右翼か、詩を詠もうにもどうも語彙に乏しく上手く詠めないから乞食右翼の両方か(笑)

「人真似上手は個性を想像する」という言葉が在る。敬愛する人の言行を何事も真似てみるというのはその道を極める上では重要なことでもある。その人の考えや所作などを真似することは悪いことではないし、後々己の個性が醸成されて行く。

 武道などの「稽古」とは、技芸などを師から習い身に付けることをいうが学問も同じこと。稽古とは「古(いにしえ)の道を考える」ということであり、師や先達に学ぶこともなく、また古の教えも知らないのでは修業とは言えない。

 稽古の「稽」とは「考える」という意味があり、「古書を紐解いて古人の教えを学ぶ」というのが「稽古」の本来の意味でもある。

 真淵は、古代の純粋な日本人の心を会得し復元する為に、万葉集で使われていた言葉を紐解いて蘇らせる。これは「心と言葉は直結した存在である」との考えで、古の人の心や思想、人倫が言葉に現れていると確信したからだろう。

 そのことによって「国意」を形成しようとしたのだ。この発想こそが国学の基本であり日本こそが「世界で唯一正しい国である」との確信に行き着くのだ。

※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方や御意見、メッセージは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:51|PermalinkComments(0)

2020年12月12日

「ガソリン車をゼロにして温室効果ガスを実質ゼロにしよう」だとさ(笑)

 地元紙一面の「安倍前首相に聴取要請」の下に「ガソリン車の新車ゼロへ」という記事が載っている。自動車を全て電気時自動車やハイブリッドにするというが、世界トップを誇る我が国の自動車を見捨てるかの様な愚策には厭きれるしかない。

 我が国の基幹産業は自動車であり、自動車産業の関連事業などに拠って成り立っている。電気自動車やハイブリットでも世界トップレベルだが、ガソリン車を無くすことで温室効果ガスを実質ゼロにしようというのは本末転倒だろう。

 世界で最も多く化石燃料などを使っている国は、中国21%、米国16%、インド6%、ロシア5%、日本はたった3%に過ぎない。ドイツは2%、韓国2%、カナダ2%,フランス2%など。温暖化は温室効果ガスだけが原因ではない。

 地球上の二酸化炭素排出の殆どは海から出ており、人類が出すCO2は僅か3%程とも言われてる。温暖化は自然の摂理であり、地球という星の寿命でもある。それをガソリン車を目の敵にして「持続可能な開発目標(SDGs)」とは嗤うしかない。

 欧州や中共は、我が国の自動車技術には敵わないという理由から電気自動車に力を入れているが、温室効果ガスの問題と電気自動車への移行は別問題。況してや、騒がれている「地球温暖化」は温室効果ガスを減らすことで防げるとも思えない。

 温室効果ガスをゼロにしたいなら原発を再稼働するのが先決だろう。現在のエネルギーの7割近くは化石燃料に因るもの。ガソリン車ゼロ政策は原発技術や核のリサイクルを放棄した流れと同じで、技術立国としての日本の力を削ぐ愚策である。

 日本が脱原発に移行する中で、原発輸出から撤退した英国では原発事業を中共が引き継ぐこととなったという。反原発派や経団連を筆頭に原発の安全性確保に疑問を呈し、原発を斜陽産業と考えてることは中共への利敵行為でもある。

 中共は電気自動車に力を注ぐと同時に、2030年迄に原発を300基に増設する計画を立てている。「原発技術で世界を制することが世界を制することだ」と訴えた鄧小平の確信を継承しているのだが、我が国はマヌケなことにその逆を目指している。

 反原発派は東京電力福島第一原発事故を利用して原発の安全性に疑問を呈し、彼奴の非科学的感情論に煽られた国民の異常とも言える放射線への拒否反応で原発再稼働が停滞し、新規原発の増設は実質的に不可能となってしまった。

 原発を稼働すると使用済み燃料が出る。この使用済み燃料を再処理するとプルトニウムを含む酸化物が精製される。つまり、使用済み核燃料を再処理してしまうと原発を動かし続けなければならないということになる。

 反原発派が頻りに「再処理せずに原発停止」を訴えてるのは無知に加えて無責任の極みである。彼奴等の狙いは国民世論の分断と破壊活動であるのだ。

 精製された酸化物を「プルサーマル」や「フルMOX」として使わなければ、国際公約違反に問われることになってしまうし、処理せずに余剰プルトニウムを持つことは国際的に許されない。こうした問題に誰もが口を噤んで反原発を騙る。

 核燃料サイクルの施設「もんじゅ」が予算の都合で頓挫し、プルサーマルも先行き不透明の儘で再生可能エネルギーに移行して国民から賦課金を詐取している。

 賦課金とは、税金と同じく国民に割り当てられて負担する金のことで、正に再生可能エネルギーとは、原発事故と風評被害に便乗した政治的策謀であり、国家の基幹エネルギー政策を無視した愚策の最たるものと言っても過言ではない。

 技術立国の目玉であった「もんじゅ」は、生成されたプルトニウムや燃え残りのウランを混合酸性物(MOX)燃料に加工し再利用しようというエネルギー政策であり、高速炉開発という夢の方向性が絶たれたことは返す返すも残念至極。

 高速増殖炉に成功させることで世界のエネルギーの平準化を達成出来れば、我が国が世界から尊敬されるだろうに、担当大臣が「予算的に」という理由で廃炉を決定したことは経済大国並び技術立国の放棄であり実に情けないことだ。

 原発利用の普及と同時に原子力システムを構築する必要がある。「もんじゅ」は単にエネルギー確保だけでなく、安全保障などの視点からも重要な問題であり、我が国が高速炉サイクル技術分野でも世界をリードして来たことを放棄するとは何事か。

「ガソリン車ゼロ」も経産省のアホ官僚どもの日本潰しなのだろうが、もんじゅ廃炉と同じ轍を踏んではならない。我が国が目指すべきは技術立国なのである。

 余談だが、郡山市の品川市長もこの政策に迎合し、公用車を電気自動車やハイブリッド車に切り替えるという。品川を見るまでもなく、温室効果ガス削減を理由に「地球環境を守ろう」とか「SDGs」を掲げる連中というのは何か胡散臭い。

※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方や御意見、メッセージは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:48|PermalinkComments(0)

2020年12月10日

「協働」を始めとする共産党用語に最近では「持続可能な開発目標(SDGs)」が加わった

 今や誰もが使う「協働」という言葉だが、この「協働」は抑々共産党系のスーパーでもある生協が使用してた言葉で共産党の造語である。その意味は「同じ目的の為に、対等の立場で協力し て共に働くこと」だと説明する。

 コラボレーション(collaboration)だというのだが、ならば「共同」で十分だろうに、何故か「協働」という言葉を有り難がって使用する不思議。

「共同」と「協働」の意味は同じだと言うが、その目的は全く違うものだ。「共同」とは、一つの目標の為に複数の人が力を合わせることであるが、「協働」のその主体は「国民」ではなく、あくまでも「市民」が主役なのである。

 共産主義者や戦後民主主義教育に侵されてる連中というのは「国民」という言葉を毛嫌いしてる連中は、この「市民」という言葉を使いたがる。

「協働」の目的とは、国家と国民を切り離すことにあるといって好いだろう。国家と地方を切り離して、共同体(commune)を創り上げることを目的とする。

 地方の集落や住民が協力して絆を深めるのは大いに結構なこと。だが、「協働」や「共同参画社会」の究極の目的は、同じ共同体でも共産主義インターナショナル(Communist International)、コミュンテルンの創造であるのだ。

 共産主義とは、生産から分配までの経済行為のすべてを共同的(共産的)に実行しようとする考えで、生産機関の共有や生産物の分配も個人主義的自由を認めず、全て共産的に行おうとするもので「協働」とはその目的達成の為の一つである。

「協働」と同じく「男女共同参画社会」は「共産(共参)社会の実現」が目的であり、これらの企画は、総理府や国立婦人教育会館に巣食っていた元全共闘系と共産党系の女革命家ら革新的左翼が共同謀議的に考案したものである。

 こうした愚策を、戦後民主主義教育で育った無自覚左翼が犇く自民党政権下で疑いも無く導入し、今では担当大臣までいるという御粗末さは厭きれるばかり。

 戦後民主主義教育で育った者は国家から恩恵を享けなが、個人と国家を常に対立させ、恰も国家は人間を抑圧する組織と見做し、反国家反体制のポーズを採ることが進歩的で文化的だと錯覚している。その共通の標語が「市民」なのだ。

「協働のまちづくり」推進派は、「市民とは必ずしも地域住民に限定されるものではなく、NPOを始め、企業などの企業市民も含まれ、また、地域の一員という意味では行政もまた行政市民という名の市民である」と尤もらしく説明する。

 今や「天皇制」を始めとした共産党造語があらゆる場面で飛び交い、保守を標榜する政治家までもが何の疑いも無く使っている始末。最近では女性宮家が受け容れられないと見るや「皇女制度」に切り替えて国民世論を誑かす。

 最近流行りの「持続可能な開発目標(SDGs)」もその一つ。世界規模で共通の目標に向かおうというものだが、世界を股にかけて金儲けを企む「地球市民」と同じ臭いを放つ、世界の共産主義者に因る左翼運動ではあるまいか。

 SDGsとは「全ての人々にとってよりよいより持続可能な未来を築く為の青写真です。貧困や不平等、気候変動、環境劣化、繁栄、平和と公正など、私たちが直面するグローバルな諸課題の解決を目指します」ということらしいが、実に胡散臭い。

 いつの間にやら我が国はカタチを変えた共産主義が蔓延り、その「カタチ」は実に陰湿になった。こうした行政側への共産主義の介入を奨めたのは共産党ではなく、保守を標榜する自民党だったというのは吉本新喜劇以上の御笑い種だ。

 昨今の共産主義者は、昔の様に赤旗を振り翳したあからさまな反対運動は行わない。反天皇運動も如何にも陛下の高齢や体調を慮り、そして世論誘導を謀る。その結果、易易と退位法案を成立させ退位の実行を謀った。

 そうしてカタチを変えた左翼勢力は、男女共同参画社会、夫婦別姓、ジェンダーフリー、人権擁護法案、共生社会、外国人参政権、極め付けは女性天皇や女性宮家論~皇女制度と次から次へと国體破壊の策謀を積み重ねている。

 左翼の造語と左翼に因る企画や愚策が氾濫し、それを国民が疑いも無く使用し、賛同している実態は、我々が想像している以上に左翼勢力が権力側に入り込み、行政権と連結せしめてしまっているという証左でもある。

 嘗て三島由紀夫は「文化防衛論」の中で「我々はあらゆる革命に反対するものではない。暴力的手段たると非暴力的手段たるとを問わず、共産主義を行政権と連結せしめようとするあらゆる企画、あらゆる行動に反対するものである」と語っている。だが、今や 我が国の現状は三島が悲観した当時よりも酷い状況に陥っている。

 これら左翼勢力の謀った愚策に対峙するべき保守陣営や愛国陣営を見渡せば「反中共」や「反韓」を叫んでいるばかり。敵は外患ではなく、正に内憂に在り。

 自民党の「立党宣言」にも「社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。われらは暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する」と在るが、情けないことに単なる画餅と化してしまっている。

※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方や御意見、メッセージは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:47|PermalinkComments(0)

2020年12月08日

東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス

 昭和16(1941)年12月8日、「大東亜戦争・開戦の詔勅(米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)」が渙発せられ、大日本帝国海軍はハワイの真珠湾を攻撃、東アジアに永遠の平和を確立し、我が国の光栄の保全を期す戦いの火蓋が切られた。

 米国では12月7日(現地時間)を「汚名の日・リメンバー・パールハーバー」とし、戦没者追悼式が行われている。我が国を「騙し討ち」をした卑怯な国として糾弾し、日本蔑視は未だに止むことはない。

 我が国がこうした「卑怯者」の汚名を着せられ続けるのは、あろうことか前の晩に酒を飲み過ぎて「宣戦布告の覚書」を指定時間に渡せず、真珠湾攻撃から1時間後に持参した駐米大使の大失態に他ならない。

 我が国の外交史上歴史に残る大失態なのに誰一人として咎められず、責任も取っていない。然も、彼らは外務次官や駐英大使、その他第一級ポストに昇進し、叙勲までされている事実には驚く他はない。

 彼らが、職務を遂行していれば我が国も日本国民も「嘘吐き」「卑怯者」といった汚名を着せられずに済んだろう。だが、抑々、大東亜戦争に至ったのは「騙し討ち」と言われる真珠湾攻撃そのものが原因ではない。

 我が国が何故に米英との大東亜戦争開戦を決意し、何故に真珠湾攻撃に至ったかは、江戸時代末期の1953年のペリーの黒船来航時代まで遡り、アジアの近代史と世界史を学ばなければ到底理解することは出来まい。

 ペリーの黒船来航に衝撃を受けた我が国は西洋列強に追い着くべく、強力な中央集権国家を形成しようと明治維新という大業をたった数年で成し遂げた。

 15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の波がアジアにも押し寄せ、当時、アジアは次々と列強に蚕食され植民地となった。明治開国後に勃発した日清・日露戦争に至ったのも、或いは日韓併合も歴史の必然である。

 日清戦争に勝利し、その後の日露戦争での「日本大勝利」の報は世界の人々を驚嘆させ、特に植民地国や有色人種に与えた影響は強烈なものだった。

 日露戦争勝利から15年後、パリ講和会議で我が国は「人種平等の原則」を国際連盟規約に載せることを提案する。だが、議長を務める米国大統領・ウイルソンは「有色人種に人権など必要無い」と拒絶し否決した。米国人ら白人による人種差別が横溢していたのは明らかで、中でも日本人差別は異常なものだった。

 大東亜戦争は支那事変に端を発した日本軍の一方的な侵略戦争ではない。これもまた避けては通ることの出来ない歴史の一齣であり必然だったのだ。

 満州国を設立させた我が国への蔑視と差別は止むことはなく、米国、英国、中華民国、和蘭から我が国へ所謂「ABCD包囲網」が敷かれ四面楚歌に陥った。そして決定的となる最後通牒「ハルノート」が突き付けられることとなった。

 降伏は即ち植民地の道しかなく、最早、我が国の生き残る道は連合国との戦争しかないとの決断、開戦の詔勅を賜り、真珠湾攻撃へと至ったのだ。

 今も糾弾して止まない「リメンバー・パールハーバー」も、我が国と日本人への偏見と差別であり、先の大戦を猛省すべきは我が国に非ず、米国自身である。

 抑抑、何故に我が国が大東亜戦争の開戦を決意したかが問題であって、現代の幼稚な倫理観や道徳観で一部分の歴史を見て断じることに何の意味が在るというのか。

 歴史の検証で自国の罪を論うことは大事なことであるが、大切なのは古今東西、世界に蔓延る覇権主義の克服を主張すべきであって、他国の覇権主義には目を瞑り、一方的に我が国だけが自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。

 我が国にとって先の大戦は結果的に敗れはしたが、日露戦争以降の懸案だったアジア諸民族の独立と復権を齎し、「米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書」で示された大義とアジアの「希望の星」としての役割は見事に果たしたと言えよう。

 日本に生を享けた者として真の歴史と意義を知ることは国民としての義務でもある。大東亜戦争の開戦日に当たり、先の大戦で戦陣に散った英霊に対し感謝の誠を捧げると共に、畏くも陛下の弥栄を祈念する。すめらぎいやさか。

※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方や御意見、メッセージは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:15|PermalinkComments(0)

2020年12月07日

「シュガーキング」と呼ばれた松江春次を知ってますか?



「シュガーキング」呼ばれた日本人がいる。その日本人とは松江春次。角砂糖を作った人物である。台湾に烏山頭ダムを設計した八田興一の銅像が在るが、当時台湾は日本領であり、それ以外に外国で建てられた日本人の銅像は二人だけだという。

 一人は黄熱病の研究で世界的に注目され野口英世博士、そしてもう一人はシュガーキング・松江春次。野口英世博士の説明は要らないだろう。春次は、映画「バルトの楽園」で有名になった板東捕虜収容所所長・松江豊寿大佐の実弟である。

 角砂糖製造で成功を収め「キング・オブ・シュガー 」と称された春次は、明治9年市内馬場町(現在の中央二丁目)に生まれ、会津中学(現会津高校)を卒業。

 苦学して東京工業学校(現東京工業大学)応用化学科を卒業し大日本製糖に入社。春次はその後、米国ルイジアナ大学へ留学し砂糖科を卒業している。

 その後、技術習得の為にヨーロッパへ出向し31歳で帰国し、そして角砂糖の製造に成功する。その後も製糖会社を転々とし台湾での製糖業で成功を収める。

 それでも満足することなく、自身が描く南洋開発の夢の為に退社しサイパンへ渡る。当時、サイパンには5万人もの日本人が入植しており「南国の楽園」と言われた島だった。春次はこのサイパンで人類の共存を目指す夢に走り出す。

「南国の楽園」と言われたサイパン島だったが、ブラジル入植や戦後の北朝鮮帰還事業と同じく、実際には国の入植事業に失敗した日本人が生活に苦しんでいた。

 サイパン島をくまなく調査し、製糖事業の成功を確信した春次は、生活に苦しむ日本人と地元の人々を救う為に「南洋興発株式会社」を設立し開拓に着手する。やがて製糖事業は大成功し、日本からも多くの入植者を迎えることとなった。

 成功した春次は驕ることなく成金趣味を持たず、質素倹約を旨とする会津人らしく清貧な生活を続けた。「松江賞」というものを創設し、日本人や島人を問わず優秀な児童生徒に奨学金や教科書などを贈り若者の育英事業に私財を投じた。

 春次は、自分の苦難の経験から「青年に投資する」を持論とし、自分の土地、株券を売却し、故郷の会津工業高校へ33万円(現在の数億円に相当)を寄付し、機械科を創設させ、多くの技術者が育ち、後に日本の成長に貢献することとなる。

 会津白虎隊の悲劇は誰もが知るところだが、春次もまた日本の将来の為にも青年を育てなければという思いに駆られたのだろう。 だが、第二次世界大戦に巻き込まれ、真珠湾攻撃で大東亜戦争が勃発。激烈を極めた日本軍は終に敗走する。

 サイパンの「バンザイクリフ」は、戦争の悲劇の象徴でもある。サイパンを占領した米軍は、戦前に建てられた「キング・オブ・シュガー・松江春次像」の倒壊を謀るが地元住民からの懇願で断念。春次が如何に慕われていたかが分かる逸話だ。

 春次は、サイパン島の戦いの敗戦に因り財産の殆どを失ったが、砂糖製造を中心に開発事業に成功した優れた開拓者として今も尚語り伝えられている。野口英世もこの松江春次も、我が福島が生んだ偉人であり英雄であり県民の誇りでもある。

 晩年は、サイパンへの郷愁を抱きながら酒を酌み交わすことが楽しみだったという。春次は「生来無一物(しょうらいむいちぶつ)」との言葉を好んで揮った。「生来無一物」という言葉に激動の時代を生き抜いた春次の人となりを感じさせる。

 菩提本無樹「菩提本(もと)樹(じゅ)無し」
 明鏡亦非台「明鏡も亦台に非ず」
 本来無一物「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」
 何処惹塵埃「何れの処にか塵埃(じんあい)を惹かん」

「生来無一物」とは禅の教えでもある。前出の詩の大意は「本来菩提には樹などという不変なものはない、明鏡という心もない。故に、本来無一物である。由って塵埃の溜まりようがないから払拭の必要もないではないか」という意味だ。

 私心も無く、また資産も財産も無くなった春次の自虐的洒落に渾身の悩みと満足感が窺える。斯くいう愚生に私財は無いが、生き様は春次に学びたいものだ。

※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方や御意見、メッセージは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:42|PermalinkComments(0)

2020年12月05日

何事も両目をカッと見開いて物事の真意を吟味しよう

 当り前だが人間には目玉が二つある。だが、「明き盲(めくら)」という言葉がある様に、多くの人は世の中の事柄を片目(一面)でしか見ていなかったり、理解力が乏しかったり、自分で判断もせずに大勢に流されてしまう人ばかり。

 伊達政宗や前田利家、柳生十兵衛、乃木希典、北一輝、小泉八雲、双葉山などなど、歴史上で大成した人物には隻眼(せきがん)が多いが、片目の方というのはその不自由さ故に物事の見方や事象を冷静に見て判断するからではあるまいか。

 世の中(大衆)というのは自分で見聞きしたものよりも、数の多いものが「当たり前」と捉え、数の少ないものを「間違い」と決め付ける癖がある。

 徳川時代に日本にやってきた外人は、日本人の丁髷を見て、日本人の男は恐ろしい、頭にピストルを載せているとびっくりしたという。それに尾鰭が付いて「チョンマゲ、ハラキリ、フジヤマ、ゲーシャ」などの変な日本人観が生まれた。

 そういう日本人も来日した外人を見て、背の高い赤毛の天狗が来たとびっくりしたというからお互い様だが、人の見る目と噂というものは存外そんなもの(笑)

 もう直ぐ大東亜戦争の開戦記念日を迎えるが、先の大戦に突入する頃は「対米開戦已む無し」の声が大勢を占め、当時の国会議員の中で反対したのは大日本愛国党総裁で当時参議院議員だった赤尾敏ら少数議員だったというから嗤えない。

 当時の多くの国民は「神州不滅」を信じ「戦争反対」の意見を吐くものなら周りから「非国民」と罵られ、憲兵にしょっ引かれて酷い目に遭わされた。右翼は好戦家に思われがちだが赤尾の行動に見る様に俯瞰した意志と行動こそ大事。

 つまり、いつの世も大衆が時代を創っているのだが、その大衆の多くは無知で愚かであり、扇動される大衆というのは実に操縦し易く、都合好く世論操作が行われる。そういう意味では国民意識というのは戦前から何も進歩もしていない。

 反原発派らが目の敵にする原発だってそうだ。第一次オイルショックを経験した日本は、基幹エネルギーに原発を選択する。そして我が国は高度成長に乗り、三種の神器といわれるテレビ、冷蔵庫、洗濯機といった家電が普及する。

 こうした便利さを多くの国民は当たり前だと思ったのは事実で、今更、原発を批判するのは筋違いだろう。そうした恩恵の全てを否定して「原発の無い時代に戻せ!」とか「故郷を返せ!」というのは本末転倒と言う他は無い。

 民主主義は多数決だが、数の多い意見が正しいとは限らないし、同様に善人必ずしも善人とは限らず、悪人必ずしも悪人と言い難い。大衆から「キチガイ」や「変人」と呼ばれてる人から見れば、大衆こそが変人に見えてるのかも知れない(笑)

「世評なんぞ気にかけるな。人間の評価など十年毎に浮き沈みするものだ。大奸物、大逆物と言われた勝麟太郎も今では伯爵という華族様の勝安芳様と言われる様になった。世評など変わるものだし、信じるものではない」とは勝海舟。

 人間の賢愚、美醜、善悪など、そう簡単に決められるものではない。その時代の価値観や何事も極一部の人間(指導者)の判断で決まるもので、大衆はいつの時代も指導者の意に沿ってどうにでも、どっちにも動き流されるものなのだ。

 ヒトラーは「大衆は、小さな嘘より大きな嘘にだまされやすい。なぜなら、彼らは小さな嘘は自分でもつくが、大きな嘘は怖くてつけないからだ」と叫ぶ。

 そしてこう訓える。「必要不可欠なのは、一人の指導者の意志、一人が命じ、他の人はそれを実行すればよい」。つまりトップに立つ人の意思が大事なのだが、そのトップに立つ人に国家観や人間性が乏しいと国民が不幸に陥ることとなる。

 我が国の政治が大衆迎合主義に陥るのは、マスコミに誘導された大衆に媚びるばかりで強固な意志(国家観)を持った政治家がいないことに尽きる。

 議論し合うことは必要なことではあるが、大事なのは意見が対立した場合に上に立つ者の意志と実行力が結果を左右する。これは組織も会社も同じこと。社長や役員がだらしなければその会社に未来は無い。さっさと辞めるに限る(笑)

 世評なんぞ懼れるに足らず。坂本龍馬は「世の人は我を何とも言わば言え、我が成すことは我のみぞ知る」と訓えているが、強い信念を持つべし。

 時代の怪しい風潮や大勢の意見に流されることなく、何事に於いても両目をカッと見開いて、その中身を吟味し判断する癖を付けたいものだ。呵々

※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方や御意見、メッセージは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 07:35|PermalinkComments(0)

2020年12月03日

若者よ、あがいて、あがき続けなさい。必ず道は拓ける!

【馬賊の歌】を知ったのは国士舘大学に入ってからだった。防共挺身隊のテーマソングは「出征兵士を送る歌」だが、この歌もよく宣伝車で流したりしていたので耳にこびり付いている。拓大の応援歌でもあるが、実に大陸浪人の浪漫を感じさせる。

【馬賊の歌】

 俺も行くから君も行け 狭い日本にゃ住み飽いた
 海の彼方にゃ支那がある 支那にゃ四億の民が待つ

 俺には父も母もなく 生まれ故郷にゃ家もなし
 慣れに慣れたる山あれど 別れを惜しむ者もなし

 嗚呼いたわしの恋人や 幼き頃の友人よ
 いずこに住めるや今はただ 夢路に姿辿るのみ

 昨日は東今日は西 流れ流れし浮草の 
 果てしなき野に唯独り 月を仰いだ草枕

 国を出るときゃ玉の肌 今じゃ槍傷刀傷
 これぞ誠の男児じゃと 微笑む顔に針の髭

 長白山の朝風に 剣をかざして附し見れば
 北満州の大平野 俺の住処にゃまだ狭い

 御国を出てから十余年 今じゃ満州の大馬賊
 亜細亜高嶺の間から 繰り出す手下五千人

 今日の吉林の城外に 木だまに響く嘶きも
 駒の蹄を忍ばせて 明日は襲わん奉天府

 長髪清くなびかせば 風は荒野に砂を捲き
 パット閃く電光に 今日得し獲物幾万ぞ

 繰り出す槍の穂先より 竜が血を吐く黒竜江
 月は雲間を抜出でて ゴビの砂漠を照らすなり(以上)

 時代が時代なら、愚生も馬賊となって大陸で大暴れしてみたかったとも思ったりもする。日本でも戦国時代には裸馬に跨った野武士や夜盗、素浪人がいた。

 そうした裸馬から立身出世した人物も少なくない。戦国武将の北条早雲も裸馬から出世した一人で、若い頃には「新九郎」と呼ばれて伊勢地方で育った。四十近くまで裸馬の生活をしながら一国一城の主を夢見ていた変わり者だった。

 裸馬というのは乗り熟すのは難しいという。鞍を付けると馬は大人しくなるが、人間もこれと同じで持ってるものがあると大人しくなる。荷鞍が多ければ多いほど、それを落してしまうのではないかと心配し行動が鈍くなるからだ。

「失敗したらどうしよう」「怒られるのではないか」とあれやこれやと余計なことを心配し、裸馬時代の様な若々しい覇気が失せ、こじんまりとしてしまう。

 よくよく考えてみれば、若い頃の荷鞍なんぞ高が知れてるものだ。そういう小さなものに執着し、拘っていては大成なんぞ出来はしない。裸馬の若い時代には失敗して好いのだ。否、若い時代こそ失敗から学ばなければならない。

 裸馬も乗り熟せていないのに荷鞍を付けて、それを護ろうとするから無難に生き様とするのだ。裸馬の時代というのは正に武者修行と捉えるべきなのだ。

 失敗し、ヤケドを負い、その失敗や享けた恥から学ぶことで人としての器が大きくなって行く。場数を踏むとはバカ(失敗)の数でもある。

 戦国時代の英雄と呼ばれる人の多くが、若い時分には野武士の如く戦場を駆け巡って、失敗しながらあの地位に上り詰めたのだ。若者よ、君は今、裸馬の時代ではないか。何を守りに入っているのだ。少しばかりの荷鞍なんぞを気にするな。

 上の者や周りの目ばかりを気にすること勿れ。天下の素浪人になったつもりで暴れてみるのが好い。あがいて、あがき続けなさい。必ず道は拓ける!

※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方や御意見、メッセージは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 06:58|PermalinkComments(0)

2020年12月02日

多くは自分の意見や理論こそが正しいと思っているが

「人間というものは知性に根拠を持たず、大抵は無意識に、ただ感情によってのみ支えられた先入観に囚われていることが稀ではない。こういった本能的な嫌悪、感情的な憎悪、決めつけられた拒否というような柵を乗り越えることは、欠点のある、或いは誤った学説を正しく直すことよりも千倍も困難である」とはアドルフ・ヒトラー。

 正義や良識というのは己の価値観であって、それが正しいかというとそうでもない。特に正義ということになればその正義は真逆な場合が多い。

 例えば、米国の行動を正しいと思う人もいれば、リビアや北朝鮮の様に米国の圧政を不正義だと思ってる国も在る。中共の弾圧で苦しむ国にとっては、自国の正義を実現しようという行動さえも容易に敢行出来ない国も在る。

 愚生の場合、己の意見が万人に正しいものだとは思ってはいない。右翼を自任する者として、日本国民であるならばこう考える、こう行動しなければならないというものであって、それを絶対無謬で右翼共通のものだとの驕りもない。

 人の多くは自分の意見や理論こそが正しいと思っている。SNSの世界も同じで、自分の意見と異にする者を説き伏せようとしたり、感化させようとしたりする。だが、固定観念や先入観に囚われてる屁理屈ってのは実に厄介なものでもある。

 意見の隔絶してる者を翻意させることなど到底無理なことなのだが、それにも気付かずに意味の無い論争を繰り返している様子は気の毒にも思う(笑)

 論争で理論的な間違いを指摘出来たとしても、論争してる相手側がこちらに「敬」を抱くことがなければ、喩えその指摘や意見が正論であり、また相手を慮っての意見と雖も、相手に通ずることも受け容れられることはないだろう。

 左翼というのは確信犯だから翻意することはないが、無自覚左翼という戦後民主主義者にはこの手が多く、聞く耳を持たず偏狭な屁理屈を垂れる輩が多い。

 まぁ、右でも左でも、どっちにしても、人というのは結局は「好きか嫌いか」で判断される。「正しい」とか「間違ってる」という基準も「好きか嫌いか」の延長であり、好きなものは精神的に正しいと思い込んでいるに過ぎない。

 意見の食い違い以前に、嫌われてる相手に幾ら熱く語ったところで疲れるだけだ。「生理的に合わない」とか「以心伝心」というが、自分が嫌いだとか苦手だなと思ってるいる相手は、向こうも同じ様に感じているものなのだ(笑)

「人に意見や指導をしてその人の欠点を直す」ということは大切なことであり、親切心であり、慈悲の心だとも言えなくもないが、意見される側がそれらを受け容れる気持ちが無ければ、意見や苦言は単なる「余計なお世話」でしかない。

「葉隠」では、意見というものは先ず、その人がその意見を受け入れられるかどうかを見極めることが大事であり、先ずは相手と親しくなり、自分を信用して受け容れる状態になってからでないと意見というものは通じることもないと教えている。

 食事や痛飲しながら相手に心を許し、自分の失敗談などを話し、意見を言わなくても、相手に間違いを思い当たる様に仕向けることが出来れば成功だという。

 相手の長所を先ずは褒めながら、その上で感じた欠点や間違いを指摘し直そうと努力するというのが親切心であり、本来、意見というのは斯く在るべきなのだ。

「人というのは結局は好きか嫌いかである」というのは実に正鵠を射たものだろう。右翼風情が声を大にして正論を吐いたところで、相手に通じないのは世間から忌み嫌われているということ。要は、生理的に合わないということに尽きる(笑)

 まぁ、立派な主張が通じないのは理論よりも人柄や人格の問題か。理論武装も好いが、その性格や人となりを磨くのは容易なことではない。呵呵大笑。

※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方や御意見、メッセージは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 05:08|PermalinkComments(0)

2020年12月01日

義勇公ニ奉シ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スへシ!

 中国共産党の尖閣諸島への主権侵害を批判し、「日本は滅びる!」「日本が危ない!」と徒に危機を煽り、我が国が滅亡するかの如く騒ぎ立てる営業保守らの言葉を真に受けて、その御先棒を担いでるのがネット右翼や自称愛国者らだ。

「愛国」や「保守」を生業としている営業保守らに共通するのは、尖閣や竹島など日中韓に存在する領土主権には声高に叫んではいるが、北方領土に関する認識は全千島列島並びに南樺太ではなく自民党の院外団的に四島返還に容認する。

 尖閣の危機は叫べども、皇統の危機には拱手傍観を極め込む。国體や尊皇精神というのが決定的に滑落していながら、何故か「靖國神社」だけは贔屓にし、何故だか8月15日の参拝に拘り、自称愛国者やインチキ右翼らがそれに迎合する。

 斯くいう愚生も、右翼重鎮や先輩らに煽られ、読み齧った保守論壇界の文士の言葉を真に受けて右翼運動に身を投じていたのも確かだが、靖國神社に関しては8月15日の参拝を批判し、大東亜戦争のミュージアム的な風潮に苦言を呈している。

 8月15日を「終戦の詔勅渙発記念日」と称し、この日に靖國神社に参拝すれば愛国者という風潮は単なる贔屓の引き倒しであり、営業保守の靖國利用にはうんざり。そんなことより5万円で終身会員になった方が靖國神社側にとっては有難い(笑)

 よくよく考えてみれば営業保守というものは昔から続く生業であり、昨今の愛国ブームも、ネット右翼や自称・愛国者らを狙った売文業というのが正しい。

 こうした保守派や自称愛国者と対象的に左翼ブームでもあるという。確信的左翼の「赤旗」は別にして、朝日新聞を始めとした左翼マスコミにしても、戦後民主主義教育と幼稚な正義感を振り翳す御花畑らを顧客に取り込む営業左翼である。

 世界には多くの共産主義者がいるが、その全ては愛国者だ。我が国の日本共産党や左翼の​様な自国を卑下してる売国奴は世界でも稀で珍現象の一つでもある。

 愚生は右翼人ではあるが、キューバのカストロやゲバラ​ら共産主義者には共鳴を覚え​る。ゲバラの様な真の革命家に出会っていれば行動を共にしたに違いない​。

 アングロサクソンとして生まれていれば敬虔なカトリック教徒として国に忠誠を誓っただろうし、イスラエルに生まれていればユダヤ教徒になっていただろう。

 イスラムならウサマ・ビンラディンと共に行動していたかも知れない。つまり、宗教や思想信条とは、結局は何時の時代に何処で生まれたかの問題であるのだ。我が国の左翼が祖国日本を貶し続ける限り、営業左翼から脱却出来まい。

 日本に生まれた者として、我が国の今が未曽有の危機ならば、夫夫の立場で懸命に努力すべきであって、「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉シ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スへシ」とはこういうことだ。神国日本の不滅を信せずに何が保守か、何が愛国者か。

 正統保守ならば、神州不滅を信じ、神武肇国の精神の高揚と国家国民の繁栄をこそ目指すべきで、我が国が滅んでしまうかの物言いは本末転倒と断じる他は無い。

 現代日本人は、豊葦原瑞穂の国に生を享けていながら「農」という根幹を忘れ去ってしまった。農業を金儲けの道具と捉える営利至上主義こそ見直さなければならないのだが、農家や農業を守るべきJAも政府の出先機関に成り下がってしまった。

「農業」とは愛郷心、祖国愛に繋がるもので、国家の大本でもある。世界の国々では「農業」の保護政策が行われているが、これは「農は国の本」ということを自覚しているからだ。だが、悲しい哉、農耕民族である我が日本人にはその自覚は乏しい。

 何故にこの様になってしまったのか。それは戦後GHQによって強行された日本弱体化政策が元凶であるのは明らか。GHQの洗脳と戦後民主主義教育に因り、戦前からの日本人の美徳や農本主義的国家観は排除されてしまった。

「一国独立」どころか、未だ米国の戦略に嵌ったまま現在に至っているというのが実情。「国防」という国家の大本を米国に依存し軍事的安全保障でも自立出来ず、「食料安保」でも自立出来ず、これで果たして真の独立国家といえるのだろうか。

 種子法廃止法案に見る農業政策にしろ、労働者不足を理由にした実質的な移民政策にしろ、賤しい財界人共の我田引水的政策を謀る自民党は保守とは懸け離れた政党である。他の野党を見渡せばコレもまた自民党の劣後、欠陥政党である。

 正統の保守主義者に於いて時間を体験する仕方は、過去の意味を直視し、その中に価値を見出す発見によって未来を創造して行くものである。

 高い精神の伴わない現在の我が国の様な繁栄はやがて衰退する。我ら大和民族は目先の繁栄ではなく、神武肇国の精神の高揚と国民国家の繁栄をこそ目指さねばならないのだ。ならば、国を愛する心を涵養するとは如何なることなのか。

 街頭に立ち、日の丸や旭日旗を掲げて街中を闊歩することではない。それは、八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと。つまりは神武肇国の大理想「八紘一宇」を掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進すること以外に無いのだ。

 真の愛国者よ、真の保守主義者よ、目先の問題に一喜一憂すること勿れ。今こそ武士道精神と大和魂を以て、堂々と天下国家論を述べ、国家観を共有する同志らと連携を深め、真正保守の再興を目指すと共に天壌無窮の皇運を扶翼すべし!

※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方や御意見は mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。

〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ

cordial8317 at 08:03|PermalinkComments(0)