2020年10月

2020年10月30日

「教育勅語」を奉読し日本人としての自覚を再確認しよう!

 明治23(1890)年10月30日、畏くも明治天皇は我が国の教育の指針とするべく、山縣有朋内閣総理大臣並びに芳川顕正文部大臣に対し「教育ニ関スル勅語」下賜し、我が国教育の指導原理となる教育勅語が渙発された。

 然し、大東亜戦争で敗戦後、占領下だった1948年(昭和23年)6月19日に国会決議に拠り教育勅語は廃止され、GHQに因り内務省所轄だった教育の在り方が抜本的に改革され、教育荒廃の現況となる「教育委員会」制度が導入された。

 教育委員会制度は、抑々、米国がその占領政策の一環として導入したものであり、現今の教育の荒廃、教育制度の在り方を見れば戦後の米国主導の教育が間違っていたのは明らかで、教育委員会は即時廃止するのが日本教育再生の道である。

 米国は「戦前の日本の軍国主義が日本の中央集権的教育制度を齎し、それが結果戦争に繋がった」と結論付けているが、詭弁以外の何ものでもない。

 こうした愚にも付かない理由から、我が国の学校教育を内務省の中央集権的統制から解き放ち、その管理を地域住民の代表により構成される合議制の「教育委員会」の下に置こうと画策し、それらの実行を謀った。

「教育委員会」のモデルとなったものが、米国の教育委員会制度である。これは米国の開拓時代の占領統治の思惑から生まれたもので、日本の統治も同様に、占領によって米国の意のままに置こうというのが狙いであったのだ。

 我が国の歴史・伝統・文化を否定し、国旗・国歌反対を叫び、皇室と国體破壊を目指す日教組や全教は国内最大の癌であるが、戦後の教育荒廃の元凶こそが米国の意の儘に民主教育行政を司った教育委員会であり文科省なのである。

 米国が実行した「戦後民主主義教育」は米国側の思惑以上に大きな成果を齎し続けている。戦後教育の誤りを見直さない限り教育の正常化はない。

 安倍政権は第一次政権下で「教育基本法」の改正を行い、米国時代の悪しき教育制度からの脱却を目指したこと自体は間違ってはいない。ならばその教育改革の総仕上げとして教育委員会制度廃止を実行すべきだったが看過した。

 旧態依然の我が国の教育制度を文科省に一任しところで仲間同士を庇い合って頓挫するのは目に見えている。教育理念が欠落してる文科省も教育委員会も日教組も全教も言うなれば一蓮托生であり、教育荒廃の腐った肥溜めなのだ。

 占領時代の陋習である教育委員会制度の廃止なくして教育改革はあり得ず、占領下に廃止された「教育勅語」を復活し教育の指針と成し教育の再生を図ることは、我が国の教育を正し日本民族の精神を取り戻す上でも重要なことだ。

 教育勅語には次の12の徳目が記されている。

 1.親に孝養を尽くしましょう(孝行)
 2.兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)
 3.夫婦はいつも仲睦まじくしましょう(夫婦の和)
 4.友だちはお互いに信じ合って付き合いましょう(朋友の信)
 5.自分の言動を慎みましょう(謙遜)
 6.広く全ての人に愛の手を差し伸べましょう(博愛)
 7.勉学に励み職業を身に付けましょう(修業習学)
 8.知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
 9.人格の向上に努めましょう(徳器成就)
 10.広く世の人々や社会の為になる仕事に励みましょう(公益世務)
 11.法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
 12.正しい勇気をもって国の為に真心を尽くしましょう(義勇)

 教育勅語を諳んじられたところで意味は無い。道徳教育で大事なものは幼年期の「躾」であり、道徳というものを概念的や論理的に捉えようとするのではなく、学んだことを如何に実践するか、如何に行動で表せるかが大事である。

 信仰や宗教でもそうだが「道」というものは日常の実践であり、特別に意識するのではなく、日常を過ごしながら身に付き、行動に現れてくるものなのだ。

 道徳教育の根本は、明治天皇の恩徳により渙発された「教育勅語」に示されている通り、日本人としての「忠孝の道」を確立することに在る。

 拙ブログの冒頭には、昭和天皇に論語の漢籍の進講をされたこともある戦前の日本を代表する倫理哲学者・哲学者・西晋一郎の次の言葉を記している。

「我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」 。要するに、「君国に忠、親に孝」これを離れては、人類愛も平和主義も憲法論議も空理空論どころか、空想に過ぎないということである。

 我が国は、2778年以上の歴史が続く君主国家であり、そして神武肇国の理念は「八紘を掩(おおいて)一宇と成す」という家族国家の形成に在る。

 日本を再生するということは日本が欧米の様な国になることではない。日本再生とはその原点である日本の背骨を取り戻すということである。

 その背骨とは何かといえば、日本人として生きて行く上で大切なものは国への忠誠心と親への孝養であり「君国に忠、親に孝」ということに尽きる。

 我が国は天皇を戴き(君)、全ての日本人が、陛下の下に一つの家族となって(忠)、先祖代々続く日本人としての血統を重んじ(親)、父祖に恥じない生き方する(孝)、ということ。教育勅語渙発の日に当たり、教育勅語を声高らかに奉読し、先人の営為と知恵に学び、日本人としての自覚を再確認しようではないか。

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2020年10月26日

この漫画が「子ども」表記のバカどもをよく表現している(笑)

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「子供いじめ(クリックすると大きくなります)」という漫画を見ると、当たり前に使われている「子ども」表記が如何にアホらしいかが分かる。「子供」という漢字表記を使いたくないなら、平仮名で「こども」と書けば好いだけのこと(苦笑)

 平成25(2013)年6月、文科省は国会での議論を経て、マスコミや左翼どもが常用してる「子ども」表記を、漢字表記の「子供」に統一する通達を出している。

 現代国語を書き表す場合の漢字使用の目安として用いられる「常用漢字表(内閣告示)」というのがある。これを基にした「新公用文用字用語例集(内閣総理大臣官房総務課監修)」には「子供」と表記する様に示されている。

 マスコミを中心に左翼勢力は確信的に「子ども」表記を続けているが、当時の下村博文文部科学大臣の下で通達を出していることなんぞ知らないのだろう、自民党議員までもが「子ども」表記を使ってることはマヌケとしか言い様がない。

「子ども」表記に固執している連中というのは、「子供」の「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ「差別的な印象を与える」というのが理由。共産党は「子供」とは「大人の付属物や人身御供を意味する」と主張している。

 何処のどいつが、子供を「お供え物」「人身御供」と連想するというのだろう。遜った「私ども」の様な接尾語の場合は「原則、仮名で書く」とされているが、「大人」に対する「子供」を意味する場合、漢字二字で表記するのが正しい。

「大人のお供(とも)」を表しているというが、その場合、「お供」ではなく「お伴」と書くことさえ理解してない。供物と同じく「子供とはお供え物」とは正にキチガイどもの言いがかりであり、即ち、子供への敬意が足らない証左でもある。

 悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、「野郎ども」「若造ども」などと言ったりするが、「ども」とは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆どということも知らないのか。

 この場合の「ども」は漢字だと「共」だが、子供の「供」を平仮名併用の「子ども」と表記することは、逆に言葉遊びで弄んでいると捉えられても致し方ない。

「子供」と同じく「婦人」というのも、アホンダラ左翼どもやジェンダーフリーの性的変質者どもらの企てによって公文書から消されてしまった漢字の一つ。

 これは、インチキ漢字研究者が、後漢時代の「説文解字」を紐解いて、「婦人」とは「箒を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに始まる。

 この自説に、前出の性的変質者どもとキチガイどもが飛び付いて「婦人は差別だ」と叫んで抹殺した。しかし、間もなくこの説は全く誤りだと判明する。

 甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、悲しい哉、男女共同参画社会の風潮の中でこうした言葉遊びや造語が改められることなく常用されている。

 また、男女共同参画社会の今では「看護婦」ではなく「看護師」と呼ぶ様になった。この「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」のツクリは、軍隊を派遣する時に食料である肉を分けることが原義だ。

 普段、「平和」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもらは「師」の意味も分からずに「看護婦」を「看護師」と呼び換えて満足してるが、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用しているとは夢にも思っていないだろうよ(苦笑)

「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼に拠る共同謀議的愚策であり、保守派であるべき自民党議員どもらが「子ども」に違和感を覚えることなくそれらに与し、率先して実践していることは滑稽極まりない。

「子ども」表記を使ってるのは共産党どもや左翼ども、単なる無自覚左翼のアホどもと見て間違いない。「子ども」表記を続けてるマスコミというのは左翼どもであり、疑うことなく使ってる野郎どもは余程のバカどもと見て好い(苦笑)

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2020年10月22日

迷故三界城 悟故十方空 本来無東西 何処有南北(無着道忠禅師)

「苦しいこともあるだろう。言い度いこともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣き度いこともあるだろう。これらをじっとこらえてゆくのが男の修行である」とは山本五十六元帥の金言である。

 修行の仕方には色々あるのだろうが、愚生の場合、手っ取り早いのは歩くことだと思っている。兎に角歩く。30分とか1時間ではなく半日くらい歩いてみる。

 初めこそ歩きながら頭に過った由無し事をあれやこれやと考えたり、演説の練習がてらペラペラと喋ってみたりするが、そのうち考えることも忘れて無心になる一瞬がある。これも座禅でいうところの無の境地というものなのではあるまいか。

 四国巡礼の御遍路にはいつか行ってみたいと思っている。歩くことで過去の自分と向き合い、あれやこれやと想いを巡らせているうちに歩くことに集中しそれが修行となる。四国巡礼の御遍路で被る笠には次の言葉が書かれてある。

 迷故三界城 (迷うが故に三界は城なり)
 悟故十方空 (悟るが故に十方は空なり)
 本来無東西 (本来東西は無く)
 何処有南北 (何処んぞ南北有らんや)無着道忠禅師 同行二人

 その意味は「迷いがあるから、まるで城に閉じ込められているかの如く愚劣な考えに縛られて自らを苦しめている。悟りを得ると大宇宙の如く自由自在な境地を得ることが出来る。この世には本来、東も西もない。拘りを捨て、ゆったりと世の中を渡って行こう」。「同行二人」とは、いつも弘法大師と共にあるということ。

 読書の秋ではあるが、最近は専ら映画ばかりで本を読む機会がめっきり減ってしまった。座右の書を一冊挙げろと言われれば吉田兼好の「徒然草」だろうか。

 三十八段に「名利に使われて、閑かなる暇もなく、一生を苦しむこそ、愚かなれ。財多ければ、身を守るにまどし。害を買い、累を招く媒なり。身の後には、金をして北斗をささふとも、人のためにぞわづらはさるべき。愚かなる人の目をよろこばしむる楽しみ、またあぢきなし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり」とある。

「世俗的な名声とか地位とか財産とかに身も心も使われて、心静かにゆったりと生活を楽しむ余裕もなく、一生あくせくと暮らすなど実に愚かなことだ。財産が多いとそれだけ身を守らねばならず、面倒な煩いを招くもととなる。例え死んだ後でも残された遺族たちは財産分与で揉めるだけだ。そんな愚かな人々の為に自慢したところで、それもまたつまらないことだ。利欲に惑うことは最も愚かな人である」と訓える。

 徒然草と同じく「葉隠」も好きな一冊だ。葉隠の正式名称は「葉隠聞書」といい、佐賀藩士・山本常朝が、同藩の田代陣基に語った口述記録である。

 三島由紀夫は「葉隠入門」で「行動の知恵と決意が自ずと逆説を生んで行く、類の無い不思議な道徳書。如何にも精気に溢れ、如何にも明朗な人間的な書物」と語っている様に、現代人にも通用するものも多く非常に役に立つ金言に溢れている。

 例えば「意見の仕方」のというのがある。「人に意見してその人の欠点を直すということは大切なことであり、慈悲の心とも言える。ただ、意見の仕方には骨を折る必要がある。大方の人は、人に好まれない言い難い事を言ってやるのが親切の様に思い、それが受け入れられなければ、自分の力が足りなかったとしている様だ。こうしたやり方は何ら役に立たない。ただ悪戯に人に恥をかかせ、悪口を言うだけのことと同じ結果になってしまう」と語っている。

 そう教えた上で、「意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、何時も信用する様な状態で仕向けるところから始めなければならない。言い方なども工夫し、時節を考え、自分の失敗談等を話しながら、余計な事を言わなくても思い当たる様に仕向けるのが良い。先ずは良いところを褒めて気分を引き立てる様に心を砕き、そうした上で欠点を直していくというのが意見というものである」と、意見に対する極意を説いている。

 意見一つに、これほどの細やかな気遣いをする現代人はいないだろう。三島由紀夫が「葉隠は道徳規範の書」であると教えるのはそういうことでもある。

 冒頭での「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」が独り歩きし、読みもせずに「危険な書」だと思っているのではないだろうか。葉隠は日本人必読の書である。

 葉隠では「美しく死ぬか」と教え、同時に「何の為に生きるか」と説く。「人間の一生なんて真に短いものだ。だから、好きなことをして暮らすべきである。(中略)。自分は寝ることが好きだ。だから、今の境遇に合わせて、家に閉篭り、寝て暮らそうと考えている」との一節がある。「寝て暮らそう」とはどういうことか。

 三島由紀夫はこうした喩えを「逆説」と教えているが、道徳規範の書と言われる葉隠は「その裏の真実を読み取る術が要求される」とも語っている。

 常朝の教えを真似している訳ではないが、団体を辞してからというもの家に引き籠っていることが多い。碌に働きもせずに浪人として生きて行くことは他人が考えるより過酷な精神修養で、小人故に暇を持て余して不善を成す危険と相対す(笑)

 最近は山歩きも御無沙汰だが、山を歩いてると苦しい中にも何かを感じることがある。一人で野営し、当たり前ではない日常をたった一日過ごしただけでも日々の見え方が違うし、例えば布団で寝れるという当たり前なことが有り難くも感じる。

 渓流釣りでもそうだが愉しい中にも崖を攀じ登ったり、それをまた下りたり、激流を超えたり泳いだりと、苦しさがあるからこそ実に清々しい気持ちになる。

 自然の偉大さを感じながらも自然と対峙することで「無の境地」に近付くからではあるまいかと勝手に思っている。来月からはワカサギ釣りが解禁されるが、座ったままで単純な動作を半日ほど繰り返すあの釣りもまた修行に近い。呵呵。

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2020年10月21日

facebookの検閲が止まらない。同じ記事で再々々のアカウント停止処分ってどうなのよ?

 昨日、facebookから「規約違反の通報を受け審査したところ記事の内容は『差別』に該当しますので本日より30日間の利用停止となります」との通告を受けた。コミュニティ規定違反だという当該記事は以前も30日間停止になった内容。

 同じ記事で、然も「公開」されていない記事でアカウント停止処分になるというのは納得いかない。「差別」とは付けたりに過ぎない理由で、やってることは思想差別であり、言論の自由は特定(左翼)の勢力だけに赦されるものらしい(苦笑)

 今回、再々々のアカウント停止になった原因は前回同様、山口敬之と伊藤詩織の「ゲロを吐きまくった女とやっちまった山口敬之が悪い(笑)」との記事の様だ。どう読んでも、この文章のどこが差別や不適切な表現なのかさっぱり分からない。

「ホテルに連れて行くなら、自分の部屋に連れ込むのではなく別な部屋を取ってやるべきだったわな。目が覚めた伊藤は、昨夜の自分の醜態に恥じ入ったのは想像するに難い。そんな申し訳なさからセックスに及んだのだろう」

「ホテルのトイレでゲロをそこいらじゅうに撒き散らし、それを健気に掃除する山口。愚生も経験はあるが、よく貰いゲロをしなかったものだ。まぁ、山口の下心なのか、優しさなのか。愚生ならそのまま放置プレイ必至(笑)」

 こうした愚生の経験から基く表現を不適切だということが不適切ではないか。まぁこうした措置でも経験の一つとして受け容れたら、またしても山口敬之と伊藤詩織の記事で3日間だった停止期間が更に延長されていた(笑)

「『据え膳食わぬは男の恥』とばかりにやっちゃった、たった一発の中田氏で330万円の賠償命令。外国人記者クラブで会見に応じ、裁判への不満と自分の正当性を訴えた。驚くのはその場に伊藤詩織が参加していたことだ」

「伊藤ってのはレイプされてその怖さからPTSD(心的外傷後ストレス障害)になったんじゃなかったっけ。そんな精神的に滅入ってる女が乱入してくるというのも何だかなぁ。PTSDの患者が、加害者と同じ空気を吸っている不思議(笑)」

 過去には、橋下徹関連の記事で「穢多・非人」のことを書いたら、何処の何方かに「差別的表現」として通報されたことがある。「穢多(えた)」や「非人(ひにん)」というのは広辞苑にも出ている様に別に歴史的な事実だ。

「穢多(えた)」「非人(ひにん)」とは、江戸時代の幕藩体制で「士農工商」の更に下の最下位層に位置付けられた人々で、明治以降は「新平民」と呼ばれている所謂「同和」や「部落解放同盟」などの「自称・差別されてる」連中のこと。

 江戸時代、同心を手伝った岡っ引きや十手持ち、罪人の世話や処刑、牛馬処理などを担ったという。明治以降には屠殺に関わり、精肉店や革製品製造などに従事してる人に多いと言われ、芸人も非人の起源と言われている。

「差別はいけない」と批判するが、そうした存在を黙(もだ)し、現代の幼稚な価値観を優先する余り、歴史から消してしまうことが好いことだとは思わない。

 我が国の歴史にそういう負の時代が存在していたのであれば、その成否はどうあれその事実を教えなければ「差別」の意味さえも理解することは出来ない。

 前回は鳥越俊太郎関連の4年前に書いた外国人参政権付与問題の記事で「差別」と警告を受けている。参政権問題は、在日朝鮮人が大半を占める「特別永住者」だけではなく、一般の永住者も選挙権の対象とされているということを書いた。

 参政権付与となれば在日朝鮮人のみならず、支那人永住者にも付与されることとなるのだが、外国人参政権付与問題ではこの点は殆ど議論されてはいない。

 外国人参政権付与問題は、支那人の移民問題にも繋がるもので非常に深刻な問題を孕んでいるのだが、単に「強制連行された」だとか「差別を受けてる」という在日朝鮮人の問題にして、この問題点については語ろうとしないという内容。

 この「朝鮮人」や「支那人」というのが「差別」だという。韓国人は朝鮮人じゃ無いということか?支那人にしても漢民族なら好いと言うことか?

「シナ(支那)は差別用語だから使用するのはダメだ」という。「支那(China)」とは、最初の統一王朝「秦」に由来している名称で、新井白石が「支那」と翻訳したのが始まりだという。岡倉天心の説では「新」に由来しているという。

 シナがダメならば「インドシナ半島」や「東シナ海」も使ってはダメな言葉だわな。「支那そば」も差別の食べ物か。ラーメンというより美味しそうだが(笑)

 中華人民共和国(中共)は日清戦争での敗戦もあって、日本にだけは自分達を世界の真ん中にある「中国」と呼ばせることで「北京が世界の中心だ」ということを暗に認めさせて、朝貢国に仕立て上げ外務省がそれに屈したというのが真相だ。

「中国」という言葉の一番古い意味は「首都」という意味で、「国民国家」を意味するものではない。日本でいう「中国」とは鳥取・岡山・島根・広島・山口県の中国地方のことで、別に「世界の中心」という意味でもない。

 尊皇愛国の書として有名な山鹿素行の「中朝事実」では、世の学者の外国(主として漢土)崇拝を批判し、皇統の一貫を根拠に「日本こそ万国に卓越した中華・中国と呼ぶに相応しい国である」との日本主義を主張している。

 英語圏では中共を「チャイナ」。フランスは「シーヌ」。イタリアは「チーナ」。ペルシャでは「チーン」。インドでは「シナスタレ」などと呼ぶ。ロシア語では「キタイ」。支那大陸の北部を支配しただけの契丹のことだ。

 大統一帝国の秦どころか、契丹と呼称とするロシアに「差別だ」との抗議の声が上がったことがない。要は、「中国」との呼称の強要は日本への逆差別である。

 愚生は常々「中国」と呼ぶのは国際的にも間違いで「支那」と呼ぶことが正しいと考えていたが、考えてみれば「支那」とは二千年の歴史のある言葉でもある。

 易姓革命で政権や王朝が代わっても、その基底にある自然・民族・文化を意味する名称として使われてきた国名であり、共産党一党独裁の近代国家如きを浪漫溢れる「支那」と呼ぶのは分不相応だと感じている。「チャイナ」で好いか。呵呵。

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 画像は、愚生的県内ラーメンナンバーワンの福島市の「支那そば佐川」の支那そば&半ライス&糠漬け。食べたいが、閉店してしまったのは残念至極(泣)

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2020年10月15日

「男系男子が絶えることなく続いて来た重みを踏まえる」との認識を確認したというが

 自民党の保守グループ「日本の尊厳と国益を護る会(代表・青山繁晴参院議員)」のメンバーが菅義偉首相と面会し、皇位継承に関し菅首相が「男系男子が絶えることなく続いて来た重みを踏まえる」との認識を確認したという。

 男系男子の継承を重んじ、GHQに拠り皇籍離脱させられた旧宮家の皇籍復帰を実現させれば歴史に名を残す名宰相となるだろうが、俄かには信じ難い。

 菅首相は官房長官時代に安倍と共に退位法案を成立させ、「将来の天皇が退位する際の先例に成り得る」と退位法案を強行させた逆賊の一人でもある。

 皇族の減少への対応策について「早々に対応しなければならない」との認識を持つ、強烈な女性宮家・女系天皇推進派でもある菅が「男系男子が絶えることなく続いて来た重み」とは、首相の座に就いて翻意したということなのか?

 抑々、男子皇族の後継者不足の問題が出始めたのは、敬宮愛子内親王殿下が誕生されてからのこと。現憲法第二条を曲解し「長子優先」を謀ったのが、今や国力低下を謀り反原発運動で国民を誑かしてる売国奴・小泉純一郎だった。

「長子優先」は、現憲法第二条「皇位は世襲のものであつて国会の議決した皇室典範の定めるところによりこれを継承する」を念頭に置いた策謀というのが正しい。

「皇位継承を安定的なものにする」というのは詭弁であり、その実は女性天皇や女性宮家、更には女系天皇を可能にし皇統断絶を謀る為の一里塚である。

 現代人の驕りから、皇統の問題を天皇の御意向を一切無視し、現代の価値観や法令で語ることに違和感というか、怒りを覚える国民は少なくない。

 女性天皇ありきの皇位継承の議論が始められたその翌年、秋篠宮家に長男である悠仁親王殿下が誕生する。小泉は悔しさを滲ませ「皇位継承順位を性別に関係なく長子優先とする」というとんでも法案の提出を断念したのは記憶に新しい。

 その後、皇位継承問題は落ち着いたと思いきや、民主党政権下、野田佳彦が「安定的な皇室活動」として女性宮家問題を提起したことで今に引き継がれている。

 悠仁親王が成人となられ、御成婚し、殿下が誕生するまで約20年はかかるだろうことを、何故に現代で法令を作って迄も変える必要があるとするのか。

 万世一系百二十六代の皇統が貴重である理由は、神武天皇から連綿として一度の例外も無く「男系」で繋がっているという厳然たる事実である。

 安定的な皇位継承を図るならば、占領下に臣籍降下させられた旧宮家の方々の皇籍復帰を成し、更には堂上公家を元に復せば解決する問題である。

 来月8日には「立皇嗣の礼」が行われる。「皇太弟」ではなく共産党の造語である「立皇嗣」と呼ぶ意味は、後の悠仁親王殿下即位阻止が目的である。

 この裏には秋篠宮家の内親王殿下を女性宮家とする目的が透いて見える。二階幹事長も女性宮家及び女性天皇推進派であり、その目論見は菅と一致する。

 皇位継承で大事なのは神武天皇以来の「男系」の血筋であり、「今上陛下とは血筋が違う」というのは反天皇勢力に拠って創られた現代の価値観に過ぎない。

 旧宮家とは「伏見(ふしみ)宮」「閑院(かんいん)宮」「山階(やましな)宮」「北白川宮」「梨本宮」「久邇(くに)宮」「賀陽(かや)宮」「東伏見(ひがしふしみ)宮」「竹田宮」「朝香(あさか)宮」「東久邇(ひがしくに)宮」。

 旧11宮家の方々は北朝第3代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とされている。

 東久邇宮盛厚王(明治天皇の孫)の妻は昭和天皇の長女である茂子内親王であり、上皇后陛下が民間から嫁がれていることをしても男系男子の正統性を有する。

 秋篠宮皇太弟~悠仁親王殿下の継承は決めっているが、東久邇家以外にも男系男子がおられ、皇位継承は旧宮家の皇籍復帰を成すことで盤石となる。

 占領下、旧宮家の皇籍離脱に最後まで反対した昭和天皇の意を汲み、旧皇族を皇籍復帰させることこそが皇統断絶を救う唯一の道である。全愛国者よ、団結せよ!

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2020年10月13日

選択的夫婦別姓を「何が問題なのかさっぱり分からない」というが(苦笑)

 橋下徹元大阪府知事が、フジテレビ系のニュース番組賛否両論の選択的夫婦別姓について持論を述べた。「夫婦別姓」は橋下のライフワークの様なもの(苦笑)

「別姓にみんなしなさいよ、別姓に強制しますよってことじゃないんでね。同姓でいきたい人は同姓でいいし、別姓でいきたい人は別姓でいいし。選ばしましょうって、何が問題なのかさっぱり僕、分からない」と視聴者を誑かす。

「うちの父親は再婚なので、父親と僕は名字違うままでずーっと来た」と自らの家庭事情を明かし、「名字違うからって家族の一体性がないなんて、ふざけんなコノヤローって言いたいですね。それは関係ないじゃないですか」とは理論の摩り替え。

 橋下というのは一見、保守を装っているが訴えてる中身は「反天皇」「外国人参政権付与」「沖縄独立」「国立戦没者追悼施設建立」等等売国的なものばかり。

 その一つに戸籍法廃止がある。橋下は「日本の戸籍は差別助長のツール」「夫婦別姓の実現には戸籍廃止しかない」と、戸籍法廃止の必要性を訴える。

 その理由は「現戸籍における本籍地や出生地の記載は被差別地域を確認すること以外に使い道がありません。本人の本籍地は簡単に変えることができますが、本人の出生地や先祖の本籍地・出生地は延々と付いてきます」という。

「現代社会において不用な、本人の出生地、先祖の本籍地・出生地情報を戸籍に記載することはもう止めようよという政治的な動きは全くありません。この不要な戸籍記載こそが、悲惨な差別問題を引き起こしている」という。

 部落差別は大阪や京都などの特異な地域での問題であって、また「差別」というが、その差別されてるという意識が被害妄想そのもの。「差別」を利用して戸籍法廃止を目論むこと自体が、同和などと同じ差別利用ではあるまいか。

 家族の一体感を維持しその絆を支えているのが「戸籍」である。国民の出生・結婚・死亡などの身分の変動を「夫婦と未婚の子」を単位として登録する戸籍制度は、結婚や相続など家族生活を営む上で極めて重要な役割を担っている。

 橋下の様な夫婦別姓推進派の目的は、夫婦別姓自体は付けたりに過ぎない理由で、真の目的は我が国が世界に誇る戸籍制度の崩壊と廃止である。

「別姓するくらいなら結婚などしなきゃいい」と思うのが普通だが、その目的が「戸籍法廃止」に在るのだとすれば合点が行くというものだろう。

 別姓推進派は、現在の戸籍制度が家族単位である点を「戦前の家父長制度の残滓」と捉え、戸籍を個人単位の「個籍」や「個人登録制」に改めることを求めている。こうした考えは家族制度の解体を意図していることは明らか。

 現在は民法と戸籍法によって婚姻のときの氏(姓)の決め方が定められている。 民法第750条には「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と明記されており、夫婦何れかの「氏」を夫婦の氏とする。

 この規定を大半の人は「片方が氏を変える」と理解しているが、「氏は個人の名前の一部」という誤解が混乱を招いているのも確かだろう。

 戸籍でいう「氏」というものは個人を表す名称ではなく、明治維新以前には武士や大店の商人以外は氏などない。明治維新に拠り、戸籍を整える為に全ての国民に「氏」を与え、国民は皇室の家族の在り方を理想とした。

 戸籍には筆頭者のみが氏と名で書かれており、その他の家族は続柄と名しか書かれていない。つまり、氏は個人の名前ではなく家族を表す名称なのだ。

 日本人の日本人らしさの根幹を成す制度というのが「戸籍制度」であり、個人だけでなく、親兄弟や子といった歴史の縦軸の中に生きるという制度であり、正に我が国の「戸籍制度」は世界に誇る制度であると言えるのだ。

 先祖が「穢多(えた)」や「非人(ひにん)」と言われる橋下が反対するのはこういうことで、本音は「差別」を利用して先祖の正体を消し去りたいだけ。

 穢多・非人というのは広辞苑にも出ている言葉で差別用語でもない。江戸時代の幕藩体制で「士農工商」の更に下の最下位層に位置付けられた人々をいう。

 明治以降は「新平民」と呼ばれている、所謂「同和」や「部落解放同盟」などの「自称・差別されてる人々」のこと。日本の歴史的な事実でもある。

 江戸時代、同心を手伝った岡っ引きや十手持ち、罪人の世話や処刑、牛馬処理などを担ったという。明治以降には屠殺に関わり、精肉店や革製品製造などに従事してる人に多いと言われ、芸人も非人の起源と言われている。

 橋下にしろ、問題が出ると必ず「世界ではこうだ」とか「何処何処の国では・・・」という意見を散見する。何か日本が世界に比べて遅れているかの様な言い分に聞こえるが、日本は日本であって他所の国なんぞどうでもいいではないか。

「選択的夫婦別姓制度」を導入したイタリア、オーストリア、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、ハンガリー、フランス、スペインなど欧州の国々では婚姻率が4割以上も減り、離婚率が2倍となり、婚外子の割合が5割も増加した。

 北欧、フランスでは婚外子が5割を超え、従来の家族制度が崩壊している。何故にこうなったのかは「選択的夫婦別姓制度」の導入が最大の理由だ。

 抑々、婚姻に際し氏を変える者で職業上不都合が生じる人にとって、通称名で旧姓を使用することが一般化しており、婚姻に際し氏を変更するのも、関係者知人に告知することにより何の問題も生じない。現在はそれが当たり前になっている。

 また「氏を変えることにより自己喪失感を覚える」という様な意見もある。だが、結婚に際し夫婦が同じ姓となり、これから新たな家庭を築くという喜びを持つ方が圧倒的多数であり、それが極めて一般的な日本人の感覚だろう。

 別姓が導入され、別姓世代が続けば家系は確実に混乱して、我が国の戸籍制度や家族制度は瓦解し、祖先と家族・親と子を結ぶ連帯意識や地域の一体感、延いては日本人の倫理道徳観にまで悪影響を及ぼすのは必至である。

 我が国は天皇を族長と仰ぐ家族国家でありこの国體の精華は万邦無比である。反天皇主義者であり、穢多や非人ではないかと囁かれる橋下にしてみれば、日本的家族制度が我慢ならないし、その元凶が戸籍制度だと信じて止まない。

 橋下は、選択的夫婦別姓を「同姓でいきたい人は同姓でいいし、別姓でいきたい人は別姓でいい」とか、戸籍法も「マイナンバーで事足りる」などと世論を誑かしているが、その裏には国體破壊という目論見があることは疑う余地がない。

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2020年10月05日

「戦争回避を唱えていた近衛文麿首相」というが近衛こそが真の戦争犯罪人

 地元紙の読者の欄の福島市在住の92歳になる女性の投稿が目に留まった。朝ドラの古関裕而の「暁に祈る」の発表会のシーンに感動し、「女子生徒が『暁に祈る』を舞う姿が二度と来ない世の中になる様に祈っています」と反戦を訴える。

 まぁこういう気持ちは分からなくはないが、戦争の認識を穿違えている。というのも投稿には「当時、戦争回避を唱えていた近衛文麿首相が辞すると、次の東条英機首相になると真珠湾攻撃が決行され祖国の歴史に汚点を残しました」と綴る。

 そうした認識の上で「近衛首相が辞めないでいれば、と今でも悔やまれます」と語っている。これが普通の歴史認識なのだろうが、別に大東亜戦争は東条英機が惹起したものではない。東条英機ら所謂A級戦犯は、敗戦の責任を負ったに過ぎない。

 この高齢の女性だけではなく、多くの国民が戦後民主主義教育の洗脳から、先の大戦の意義を理解することなく、「実に愚かで無謀な戦争であった」と断じ、戦争を決断した当時の首相だった東条英機や軍部と政府を批判して止まない。

 先の大戦を、現代の価値観や倫理観で批判することに意味は無い。これもまた日本人へ贖罪意識を植え付ける為の米国に因る戦後民主教育の遺物であろう。

 所謂「A級戦犯」として処刑された方は東条英機元首相を始め、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章、広田弘毅の7名。所謂「B・C級戦犯」は1068名。凄惨なリンチに等しいもので亡くなった方など約100名に及ぶ。

「無謀で愚かな戦争」と断じることは容易だが、東京裁判の茶番劇で7名の戦争殉難者を始め、外国の地で不当な裁判に処せられ、言い訳もせずにその罪を償ってくれた1068名とリンチ等で亡くなられた方々の命は決して軽いものではない。

 今に生きる我々は、未だに「戦犯」との汚名を着せられながらも、その不当な判決でさえも諒として受け容れ、「我が身が犠牲になることで救われるなら」と一身にその罪を償ってくれたという事実を忘れてしまっているのではなかろうか。

 大東亜戦争を「侵略戦争」であるとか「アジアの人々に多大の迷惑を掛けた」と罵り、戦争の原因を天皇や軍部、そしてA級戦犯である東条英機らであるなどと喧伝しているのは無知に加え、大戦の原因を隠し続けたいからに他ならない。

 戦争犯罪人は「大日本帝国憲法」でもなく「天皇」や「統帥権」でもなく、況して「軍部」でもなければ「軍国主義」でもないし、東条英機元首相でもない。

 真の戦争犯罪人はそれこそ、この高齢の女性が「戦争回避を唱えていた」という近衛文麿であり、ソ連のスパイ・尾崎秀美やそのブレーン達であり、即ち日本国内で蠢いていた共産主義者らであるということは今や歴史的事実である。

 大東亜戦争とは、ソ連コミンテルンと中国共産党、そして我が国に巣食っていた近衛や尾崎ら共産主義者が仕組んだ共産革命の実現の為の争いであり、そのマルクス・レーニン主義者らの策謀にまんまと嵌ってしまった戦争だったと言えるのだ。

 大東亜戦争自体は決して恥ずべきものでもない。我が国はアジアの星だったのは紛れもない事実。その視点に立った時に果たして我々は何を成すべきなのか。

 先の大戦を「侵略戦争」と罵るのは勝手だが、我が国はアジアを侵略したのではなく、アジアを侵略していた米英を始めとした連合国と戦いに臨んだのだ。

 それでも我が国が「アジアの人々に謝罪し償う必要がある」というなら、その最大の過ちは、戦後、アジア全域に共産主義の跳梁跋扈を許したことであり、償いは覇権主義著しい中国共産党を始め国體破壊を謀る共産主義を失くす以外にはない。

 歴史を検証するとは、古今東西、世界に蔓延る覇権主義の克服を主張すべきであって、幼稚な正義感や倫理観から他国の覇権主義には目を瞑り、一方的に我が国だけが「無謀で愚かな戦争」などと自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。

 今こそ、東京裁判史観を検証し連合国の不条理と公正な歴史を学ぶと共に、大東亜戦争の意義を知ることは平和を謳歌する現代日本人としての義務でもある。

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2020年10月04日

愛知県のリコール運動に右翼団体は関わるなっての(笑)

 高須クリニックの高須克弥院長と名古屋市の河村たかし市長が中心に行われている愛知県の大村秀章知事の解職請求(リコール)署名運動。血税が差別と偏見に満ちた嘲り満載の反日侮日展に使われることは断じて赦されない。

 現憲法では確かに「言論の自由」「表現の自由」が保障されているが、憲法での自由や保障云々の前にそこには公共の秩序を守るなどの最低限の常識や良心がなくてはならないのだ。是非ともリコールが成立して欲しいと願う。

 気になるのは、こうした愛知県民の常識が問われ運動に保守系団体や自称愛国者らが参集して応援するのは未だ分かるが、右翼団体らが応援に駈け付けてる光景に違和感を覚える。何故なら右翼というのは未だ社会からは受け入れ難い存在。

 右翼団体は純粋に大村秀章知事や反日侮日行為を監修した津田大介は絶対に赦さないという思いなのだろうが、端から見れば贔屓の引き倒しにしか見えない。

 その昔、参院選・山梨選挙区で、輿石東に無名の元高校教師・宮川典子が挑み、僅かの差で惜敗したことがあった。負けた原因は正しく「贔屓の引き倒し」。

 輿石は周知の通り「日教組のボス」と称され民主党内(当時)の左派を束ねる参院のドンである。その輿石が「参院選挙で落選するのでは」という予想が、各報道機関の世論調査で明らかにされた。宮川の勝利が眼前にあったが脆くも崩れた。

 宮川の票が伸びなかった大きな要因は、対抗馬が日教組の輿石ということで保守政党のたちあがれ日本(当時)が輿石批判を訴え、更には右翼団体が押しかけ輿石糾弾をした。結果、眼前にあった当選が徐々に遠退いて行った。

 正しく右翼団体の応援が贔屓の引き倒しになってしまったのだ。輿石74歳、宮川31歳、宮川陣営は世代交代を訴えたかった。選挙選後半は世代交代を訴える。有権者も宮川を好意的に捉えつつあったが、右翼団体の登場で情勢に変化が起きた。

 宮川の選対幹部は「右翼団体が街宣車で押しかけて来て盛んに輿石糾弾をしました。彼らにすれば当然の糾弾でしょう。輿石のやっていることも糾弾に値します。だけどそれが宮川に優位に働くかというと必ずしもそうではない」とは正しく。

 愚生も元行動右翼人に所属していたので、恕から出でる右翼団体の行動を責める立場には無いが、過去の行動を振り返れば反省すべき点は多い。自分では好かれと思った行動が贔屓の引き倒しになっている場合もあるということを自覚すべき。

 その贔屓の引き倒しの最たるものが、所謂「終戦記念日」の靖國神社参拝だろう。「反天連」等の蛆虫左翼の反日活動に対峙するのは結構だが、多くの右翼団体や営業保守や軍事オタクらが大挙して集合してパフォーマンスを繰り広げる。

 8月15日という日は遺族にとって大事な日であるのに、右翼や営業保守派らが遺族を押し退けてまでパフォーマンス的参拝をしている光景は異様としか感じない。

 所属していた団体の初代・福田進総隊長は、その昔「8月15日は遺族の日であるから貴様らは決して行くな」と訓示した。以来、8月15日に靖國神社へ詣でたことはない。そう思えば、現在の右翼幹部は恭倹己を持することのないアホばかり。

 今では8月15日に靖國神社に参拝するのが保守派や右翼の踏み絵になってるが、この8月15日に初めて参拝したのは三木武夫で、公式参拝したのは中曽根康弘。

 中曽根以降、公式参拝をした総理大臣はいないが、その公式参拝は中共からの抗議で直ぐに撤回して謝罪した。8月15日を自民党総裁選で利用したのが小泉純一郎であり、安倍晋三も靖國を利用した一人。こう見ると国賊ばかり。

 歴代の総理大臣は春秋の例大祭に詣でるのが恒例だったが、中曽根の公式参拝で靖國が政治問題化して以来参拝出来なくなってしまった。つまり、8月15日の靖國神社への参拝は、三木・中曽根から続く靖國神社冒涜運動の継承であるのだ。

 8月15日は終戦記念日ではなく「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であり、戦没者は何も靖國神社に祀られている英霊だけではない。保守派や右翼団体らが8月15日の靖國神社に拘れば拘るほど、陛下の靖國神社への御親拝が遠退いて行く。

 高須院長や河村市長が中心となり行われているリコール運動も、右翼団体が表立って応援することで血税問題が右翼と左翼の左右対決に歪曲されてしまう可能性は否定出来ない。世間から忌み嫌われてる右翼は、引っ込んでなさい。呵呵。

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2020年10月03日

ウソに隠された真実や真意を見抜ける能力を身に付けることが大事

 自民党の杉田水脈議員が発した「女性はいくらでもウソを吐ける」との発言は褒められないが、言わんとする趣旨は理解出来る。「性被害者を装った場合、女性の証言は男性よりも信用され易い」と喩えたら好かったのではあるまいか。

 杉田が言う「女性はいくらでもウソを吐ける」とは、悪意のある嘘を吐く女性がいるという喩えであって曲解する方がヘン。悪意ある嘘は論外だが、「嘘も方便」という様に嘘とは相手への思いやりや優しさが込められたものでなければならない。

 例えば、釈迦牟尼は「地獄」「極楽」を創られたと言ってるが、アレも噓だろう。だがこうした噓を吐いて、人々が抱く死の恐怖を軽くすることで民衆の心に安らぎを与えた。キリストもまた「天国」への夢を誘って多くの人々を救ってきた。

「人は小さな嘘には騙されないが大きな嘘には騙される」とはアドルフ・ヒトラー。「地獄」「極楽」「天国」なんてのは大きな嘘の典型だろう。葬式仏教のインチキ坊主やインチキ宗教家らが色々と言ってるが、人間死んだら終わり(笑)

「極楽浄土」なんてのは自分よりも劣る者や弱い者を助け、そして与えられるか。難渋している人に施しをしてあげられるか。現世の苦しみや悩みを自分なりに努力して救ってやることこそが極楽浄土であると、愚生は単純にそう考えている。

「不妄語戒(ふもうごかい)」という仏語がある。「嘘偽りを言ってはいけない」という戒めの一つだが、これもまた嘘の典型の様なもの。人というのは見栄を張り、嘘や偽りを騙る性分なので、そうした自戒を込めた箴言だろうか。

「五戒」とは「不殺生戒(ふせっしょうかい)」。生き物を害してはならない。また他人に殺さしめてはならない。また他人が殺害するのを容認してはならない。

「不偸盗戒(ふちゅうとうかい)」。他人のものを盗んではいけない。また他人をして盗らせてはならない。また他人が盗るのを認めてはならない。

「不邪婬戒(ふじゃいんかい)」。不道徳な性行為を行ってはならない。これは、不倫や強姦を指すが、他にも性行為に溺れるなどの行為も含まれる。

「不妄語戒」。嘘をついてはいけない。また他人をして偽りを言わせてもならない。また他人が偽りを語るのを容認してはならない。

「不飲酒戒(ふおんじゅかい)」。酒を飲んではいけない。また他人をして飲ましめてもならない。また他人が酒を飲むのを容認してはならない。

 愚生的に「不飲酒戒」や「不邪婬戒」を守るのは絶対無理。ホント、仏教徒じゃなくて好かったと思うが、仏教徒でこの五戒を守ってる人なんているか(笑)

 政治家の世界というのはホンネは出来るだけ出さない方が好いとされている。善し悪しは別に、日本の政治家にとって腹の中を見せないのは伝統でもある。

「嘘は泥棒の始まり」「嘘を吐くと閻魔様に舌を抜かれる」など、嘘というのは悪いものだと教わって来た。だが、現代は「嘘は政治家の始まり」というのが当たり前となり、そうした嘘吐き政治家を戴くことは国民の不幸でもある。

 嘘を吐くにもやはり洒落が欲しい。「嘘は世情の宝」ともいうし、噓というのは世間や周りの人達を和ませるものが好い。「講釈師見て来た様な嘘を吐き」なんてのもあるし、嘘だと分かっていても、ついついニヤッとして笑えるのが好い。

 花魁の世界には「手練手管(てれんてくだ)」なんていうのがある。今でいうとキャバ嬢やホステスだろうか。「手練」とは人を思うままに操り騙す技巧のこと。

 酒飲みの男性なら、スナックやクラブで隣りに座ったホステスの嘘や笑顔を勘違いして、ついつい熱くなって店に通い続けたという経験があるだろう(笑)

「商人は損と求めて蔵を建て」というのもある。商人の「儲かりません」というのも多くは嘘だ。口では「儲かりません、儲かりません」と言いながら、大きな蔵を建てるなんてのはよくある話し。今なら豪邸や高価な自家用車だろうか。

「紺屋(こうや)の明後日」なんてのも笑える嘘だ。愚生の実家のラーメン屋で出前の催促が来ると「今、出ました」なんてよく言ってたが、アレと同じ(笑)

 嘘には好い嘘と悪い嘘があるのは理解しているだろう。自分の為や言い訳がましい嘘は感心しないが、周りを安心させる様な、また和ませる様な嘘ならば吐いても差し支えはない。そんな「好い嘘」も吐けないのは正直というよりバカ正直。

 真面目を通り越してバカ正直なそんな輩は世間からは遠ざけられる傾向があるが、そんなバカ正直な人も最近はめっきり見かけなくなってしまった。

 まぁ、杉田の発言を論うのではなく、何事も一面な見方や考え方ではなく、噓に隠された真実や真意を見抜ける能力を身に付けることが大事だと思う。皆さんも、シャレの効いた嘘をたまには吐いてみませんか。呵呵大笑。

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2020年10月02日

つ~か「女性はいくらでもウソを吐ける」でしょ(笑)

 自民党の杉田水脈が党内の会議で「女性はいくらでもウソを吐ける」と発言したとされる問題は、マスコミの作為的報道もあって前後の脈絡を無視し「女性はいくらでもウソを吐ける」との一部の言葉だけが独り歩きしてしまっている。

 杉田は自身のブログで「報じられている慰安婦関係の民間団体の女性代表者の資金流用問題の例をあげて、何事も聖域視することなく議論すべきだと述べる中で、ご指摘の発言があったことを確認しました」と、発言に至る経緯を説明し謝罪した。

 マスコミは杉田が問題発言に至る中で、日韓問題の元凶とも言える慰安婦問題が絡んでいることは一切報じることなく、恰も例の元TBS社員の男性ジャーナリストを訴えた女性ジャーナリストが「嘘吐き」であると発言したかの様に装った。

 この山口敬之と伊藤詩織の下半身問題は、当事者同士の問題だから詳しいことは分からないが、報道を見る限り実に胡散臭げというのが本音。この問題をFacebookで面白可笑しく論評したら規約違反に問われてアカウント停止になった(笑)

 原因は「ゲロを吐きまくった女とやっちまった山口敬之が悪い(笑)」との記事だった。以下の文章のどこが不適切な表現なのかさっぱり分からない。

「ホテルに連れて行くなら、自分の部屋に連れ込むのではなく別な部屋を取ってやるべきだったわな。目が覚めた伊藤は、昨夜の自分の醜態に恥じ入ったのは想像するに難い。そんな申し訳なさからセックスに及んだのだろう」

「ホテルのトイレでゲロをそこいらじゅうに撒き散らし、それを健気に掃除する山口。愚生も経験はあるが、よく貰いゲロをしなかったものだ。まぁ、山口の下心なのか、優しさなのか。愚生ならそのまま放置プレイ必至(笑)」

 こうした愚生の経験に基く表現を不適切だということが不適切ではないか。まぁ、こうした規約違反の措置でも経験の一つとして受け容れたら、別な(以下参照)山口敬之と伊藤詩織の記事が通報され、3日間だった停止期間が更に延長された(笑)

「『据え膳食わぬは男の恥』とばかりにやっちゃった、たった一発の中田氏で330万円の賠償命令。山口は外国人記者クラブで会見に応じ、裁判への不満と自分の正当性を訴えた。驚くのはその会見の場に伊藤詩織が参加していたことだ」

「伊藤ってのはレイプされてその怖さからPTSD(心的外傷後ストレス障害)になったんじゃなかったっけ。そんな精神的に滅入ってる女が乱入してくるというのも何だかなぁ。PTSDの患者が加害者と同じ空気を吸っている不思議」と綴った。

 Facebookでは「議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件」「従軍慰安婦」などの韓国関連の記事もヘイトや不適切な内容として通報されてるが、検閲してる連中は、日頃「言論の自由」や「表現の自由」を振り翳している連中に違いない(笑)

 過去にも、橋下徹関連の記事で「同和」や「穢多・非人」のことを書いたら、「差別的表現」として通報されたことがある。「穢多(えた)」や「非人(ひにん)」というのは差別表現ではなく、広辞苑にも出ている日本の歴史的な事実である。

「差別はいけない」と批判するが、そうした存在を黙(もだ)し、現代の幼稚な価値観を優先する余り、歴史から消してしまうことが好いことだとは思わない。

 我が国の歴史にそういう負の時代が存在していたのであれば、その成否はどうあれその事実を教えなければ「差別」の意味さえも理解することは出来ない。

 現代の思想家であり、評論家の新崎智こと呉智英は「差別は正しい、差別と闘うのが正しいのと同じぐらい正しい。人類が目指すべきは『差別もある明るい社会』である」と逆説的に訴えているが、蓋し正論である。

 話を戻すが、電車内での痴漢行為で逮捕された冤罪被害者は少なくない、その多くが女性の嘘が原因だ。杉田が言いたかったのは日本軍の被害者を装った自称・慰安婦の嘘であり、性暴力という名の下で増え続ける冤罪事件への警鐘だろう。

 こうしたことには一切触れずに「セカンドレイプ」などと騒いでる方が可笑しい。況してや「女性はいくらでも嘘を吐ける」というのは一理あるだろう。斯くいう愚生も、女性の見え透いた手練手管、否、優しい嘘に何回騙されたことか(笑)

 山口某はライダイハン問題を取り上げたことで左翼陣営の怒りを買った。杉田も慰安婦問題への批判も然ることながら、自民党内でも保守派として活躍している議員でもある。要は、今回の杉田発言騒動は左翼勢力に拠る保守議員潰しである。

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