2020年08月

2020年08月31日

女性宮家・女性天皇推進派の菅義偉が総裁選レースのトップに躍り出た

 菅義偉官房長官が自民党総裁選への出馬の意向を固めた。二階幹事長の支援表明で、菅が総裁選レースの第一位に躍り出た。対抗馬は岸田文雄政調会長だが、派閥の論理と長老支配で党内の世代交代は未だ未だ先に引き伸ばされた。

 菅官房長官は「将来の天皇が退位する際の先例に成り得る」と退位法案を強行させた逆賊の一人であり、皇族の減少への対応策について「早々に対応しなければならない」との認識を持つ、強烈な女性宮家・女系天皇推進派でもある。

 抑々、男子皇族の後継者不足の問題が出始めたのは、敬宮愛子内親王殿下が誕生されてからのこと。現憲法第二条を曲解し「長子優先」を謀ったのが、今や国力低下を謀り反原発運動で国民を誑かしてる売国奴・小泉純一郎だった。

「長子優先」は、現憲法第二条「皇位は世襲のものであつて国会の議決した皇室典範の定めるところによりこれを継承する」を念頭に置いた策謀というのが正しい。

「皇位継承を安定的なものにする」というのは詭弁であり、その実は女性天皇や女性宮家、更には女系天皇を可能にし皇統断絶を謀る為の一里塚であるのだ。

 現代人の驕りから、皇統の問題を天皇の御意向を一切無視し、現代の価値観や法令で語ることに違和感というか怒りを覚える国民は少なくない。

 旧宮家の皇籍復帰を望まない皇位継承の議論が始められたその翌年、秋篠宮家に長男である悠仁親王殿下が誕生する。小泉は悔しさを滲ませ「皇位継承順位を性別に関係なく長子優先とする」というとんでも法案の提出を断念した。

 その後、皇位継承問題は落ち着いたと思いきや、民主党政権下、野田佳彦が「安定的な皇室活動」として女性宮家問題を提起したことで今に引き継がれている。

「女性宮家」を創ったところで祭祀を継承するのは無理なこと。女性皇族として精精、国賓・公賓への接遇や会見、会食などの御公務のみ。要は、女性宮家創出に拠って「都合の好い皇室活動」をさせたいが為の政治利用に他ならない。

 悠仁親王が成人となられ、御成婚し、殿下が誕生するまで約20年はかかるだろうことを、何故に現代で法令を作って迄も変える必要があるとするのか。

 万世一系百二十六代の皇統が貴重である理由は、神武天皇から連綿として一度の例外も無く「男系」で繋がっているという厳然たる事実である。

 安定的な皇位継承を図るならば、占領下に臣籍降下させられた旧宮家の方々の皇籍復帰を成し、更には堂上公家を元に復せば解決する問題である。

 安倍政権下、反天皇勢力に与し退位法案を成立させ、更に「皇太子」を空位にした。「皇嗣殿下」とは共産主義者らの造語であるが、「皇太弟」ではなく共産党の造語で呼ぶ意味は後の秋篠宮悠仁親王殿下即位阻止が目的であるのは明らか。

 この裏には秋篠宮家の内親王殿下を女性宮家とする目的が透いて見える。二階幹事長も女性宮家及び女性天皇推進派であり、その目論見は菅と一致する。菅や二階は男女共同参画社会の名の下で皇統断絶の完遂を謀っているのは間違いない。

「国防」とは領土防衛だけではなく国體、つまり皇統の死守である。そう考えれば、靖國神社に参拝したことも無い親中派で自虐史観著しい石破茂は論外。

 皇統断絶の完遂を目指す菅に対抗するのは岸田文雄。安倍のやり残した憲法改正を引き継ぐと共に、「男系男子の継承」を重んじる姿勢は好感が持てるが、女性宮家や女系天皇を謀る勢力から糾弾されることになるだろう。

 次期自民党総裁選挙は女性宮家・女系天皇論など皇統断絶を謀るか否かの戦いになるが、尊皇なき自民党にそうした危機感は無く議員らは勝馬に乗るのに必死。

 正統保守を自任する自民党内のグループが菅内閣で謀る女性宮家創設と、それに伴う女性天皇論を諌め、皇統断絶を食い止めるには余りにも頼りない。菅総理誕生で女性宮家創設の動きが活発になるのを食い止めなければならない。

 占領下、旧宮家の皇籍離脱に最後まで反対した昭和天皇の意を汲み、旧皇族を皇籍復帰させることこそが皇統断絶を救う唯一の道である。全愛国者よ、団結せよ!

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2020年08月30日

歴代最長政権の記録を更新中だった安倍首相が突然の退陣表明

 安倍晋三首相が辞任を表明した。後出しジャンケンになってしまうが、安倍首相の後継の一人でもある岸田文雄政調会長が8月16日に靖國神社へ参拝し、唐突に男系男子の継承と憲法改正の継続と意気込みを語ったことに違和感を感じていた。

 野党やマスコミに拠る首相の病状に対する説明責任に対し、麻生太郎党副総理や小泉進次郎大臣が批判していたことでも病状の深刻さを感じていた様にも思える。

 何より安倍政権を批判して止まない石破茂が、政権記録を更新した際に「容易な事ではない」と賛辞を送ってたことは、既に安倍退陣を悟ってたのだと思う。

 難病である潰瘍性大腸炎再発で辞任せざるを得なかった心情は察するに余りある。毀誉褒貶相半ばする安倍政権ではあるが、外交は見張るものがあった。中でも。提唱した 「アジアの民主主義セキュリティダイアモンド」構想は括目に値する。http://cordial8317.livedoor.blog/archives/51867756.html?fbclid=IwAR1ITeptmT_6egjILHEHLFN-v66_cTXYOmJVv-MW4H3h-0yHdEhqGtvEGWw

 日米同盟の是非は兎も角、米国大統領に意見を出来る総理がいただろうか。また、民主党政権下でボロボロになった経済を立て直したことも成果だろう。

 ロシアとの外交に自信を持った安倍はプーチンに二島返還を示す。だが、強かなプーチンは実質的に北方領土をロシア領ということ内外に知らしめることとなった。外交に自信を持ってただけに、逆に外交で墓穴を掘った。

 安倍政権で不満だったのは「退位法案」を皇室典範に附帯し退位を強行し、行政への影響との理由で天皇の大権である元号制定権を簒奪したことは万死に値する。

 安倍の歴史認識も「河野談話」や「村山談話」と大して変わらなかった。戦没者追悼式に於いても「心ならずも戦場で斃れ」だとか、「多くの国々、とりわけアジアの諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えて来た」と語ったことも記憶に新しい。

 安倍の掲げた「戦後レジームからの脱却」なんぞ自称・保守派を誑かす画餅に過ぎない。前々回の総選挙前、安倍は前政権下での靖國不参拝を問われ「断腸の思い」とその悔しさを滲ませ、そういう安倍の無念さに国民は共鳴し支持したのだ。

 なのに何故に「とりわけアジアの諸国の人々に」などという戯言を抜かすのか。安倍の言行は靖國など見向きもしない政治家より悪質で始末が悪い。

 拉致問題も安倍政権の最重要課題とし「我が政権で解決を図る」と公言していただけに、任期途中での退任は無念さが滲む。総理の座を辞しても拉致問題を見捨てることなく、元総理として単独で訪朝してでも解決して欲しいものだ。

 自民党が未だ野党だった平成24年12月、衆議院総選挙が告示され、安倍総裁は福島県で第一声を上げることとなった。場所は愚生の実家でもある二本松市(旧岩代町)小浜四つ角、司会進行は地元の自民党支部長でもある愚生の実兄が担った。

 政治で大事なことは「国防」と「教育」であり、その認識を共有する安倍は、中でも教育に対し「将来を担う子供達が自分の国に誇りの持てる教育を施す」と訴えた。愚生は安倍信者ではないが、この認識だけでも安倍を支持する理由になった。

 政権に返り咲き、教育大国を目指し教育改革を打ち出すのかと思いきや頓挫した。「戦後レジームからの脱却」は教育改革無くして語れない。況してや教育は国家百年の大計であり、政治家が行うべき最大のものだが語られることが少ない。

「国防」も然り、尖閣列島などの領土防衛は国防の一つではあるが、国防とは「それを亡くしてしまえば日本ではなくなってしまうもの」を死守することであり、つまり我が国の歴史・伝統・文化を守り、天皇を戴く日本という国柄を護り抜くことだ。

 然し乍ら、安倍首相を始めとした保守派や自称・愛国者らは天皇条項である憲法第一条~第八条の見直しではなく、憲法九条のみに拘る。憲法九条こそが大事と思っている点では保守派と言うのは、護憲派の「九条の会」とどっこいどっこい。

 愚生は安倍政権誕生後、ブログなどでも幾度となく、「新自由主義を盲信し、経済至上主義に奔る安倍を見ていると、吾、疑心暗鬼どころか、屋上屋を架す大馬鹿者だと断言せざるを得ない!」と安倍を評してきた。

 期待してただけに余計にう裏切られた思いが強いのか、元々見る目が無かったのか。抑々、安倍というのは、ベターなだけでベストな首相ではない。所詮は「安倍より他はいない」程度のものと知りながら、それ以上に期待していたのが間違い。

 7年8ヶ月の長期政権は、自民党内の人材不足というのが大きい。ポスト安倍を見れば小粒揃いで、国民が支持する次期総裁候補第一位は親中派の売国奴。安倍政権が終焉を迎え、米国大統領選挙でトランプが負けたらと考えると空恐ろしい。

 街頭演説前、安倍総裁御一行は実家の「相模屋食堂」で名代の「勝どん(カツ丼)」食べた。肉類は潰瘍性大腸炎では厳禁。そのカツ丼を食べたということで難病を克服したと思っていただけに、再発は本人にとって大きなショックだろう。

 麻生副総理や二階幹事長ら長老と比べても未だ65歳と若い。第一次安倍政権の失敗が第二次安倍政権の糧になった様に、今回の挫折を教訓に、先ずは体調を万全にし、来るべき第三次安倍政権待望論に備え捲土重来を期して欲しいものだ。

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2020年08月25日

「会津の黄門さま」と親しまれた渡部恒三が幽冥境を異に

「会津の黄門さま」と親しまれた渡部恒三が幽冥境を異にした。伊東正義元外務大臣に続き、会津の顔とも言える政治家がまた消えたのは寂しい限り。各界から惜しむ声が届きその偉業を称える。「天下の御意見番」として括目する発言は多い。

 当時、権力を握る小沢一郎に苦言を呈することの出来る人は少なく、恒三さんの存在は貴重で、発言には会津人の「ならぬものはならぬ」という会津魂を感じた。

 小沢一郎を「小沢くん」と見下した物言いで苦言を呈し、騒がれた政党交付金絡みの土地購入問題でも「金が無くて土地を売ったという政治家はいるが、土地を買ったという話は始めて聞いた」と会津弁丸出しで話していたことを思い出す。

 小沢は「新生党」と「自由党」の政党交付金23億円をネコババして不動産購入や蓄財に充てた。政治資金規正法違反に問われた小沢一郎の「政治とカネの問題」は、本を糺せば政党交付金の在り方を論じなければならない問題だった。

 小沢は政治資金の在り方に関し、自著「日本改造計画」で「政治資金の出入りを1円に至るまで全面的に公開し流れを完全に透明にすること」と提唱した。

「同時に罰則の強化も主張し、違反の言い逃れを封じる為に「連座制」を導入すべきとも訴えた。然し、現実には、こうした主張をしてる蔭で、既に西松建設のダミー会社から献金を受け取っていたのだからフザけた話だ。

 西松建設事件で問題になった3億円も、不動産疑惑で問題になった10億円以上の献金も、北朝鮮系の水谷建設からの1億円の闇献金も、新生党と自由党解党時の政党交付金23億円余りの金が、今以って小沢の手中に留まっている。

 恒三さんは、陛下と習近平副主席(当時)の会見を巡る問題でも、小沢幹事長の目に余る言動に対し「政治主導は天皇陛下の問題では全く関係ない。これは日本の国体に関する問題で慎まなければならない」と苦言を呈したが天晴れだった。

 陛下と習近平の謁見について小沢は、「宮内庁の長官が陛下がお疲れだとか、他の日程があるとか屁理屈を付けた」「陛下の御体調が優れないのであれば、他のどうでもいい様な日程を外せば良い」と言いたい放題。

 小沢らが強行させた拝謁は、世界各国が遵守してきた一ヶ月前迄の文書での正式申請の絶対前提を無視したばかりか、各国に対して平等の適用してきた立場を大きく失墜させ、皇室への尊崇の念や威厳を薄れさせる愚行だった。

 中共への忠誠と媚び諂いに畏れ多くも陛下が利用された事は、正に国賊の所業であり断じて看過出来るものではない。未だに権力にしがみ付き醜い権力闘争に与しているが、もうそろそろ政界から身を退くべきだと思う。

 民主党政権下での衆院本会議での法案強行採決に関しても、恒三さんは「国民に恥ずかしい。これをやらなければ明日の日本がないという様な意味がなければならないが、それ程の意味のある法案ではない」と指摘していたこともあった。

 ユーモアというか、独特の嫌味は単純明快で実に解り易く非常に愉快だった。環境大臣時代に「タバコが健康の秘訣だ」といって反響を呼んだことも記憶に新しい。あの世ではのんびりと煙草を燻らして我が国の行く末を案じて欲しいものだ。合掌。

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2020年08月24日

東軍で唯一靖國神社に祀られている二本松藩・三浦権太夫義彰

 地元紙に「尊皇の士」として知られ、戊辰戦争・供中口(ぐちゅうぐち)の戦いで亡くなった二本松藩士・三浦権太夫義彰を顕彰する為に、二本松市の安達ケ原顕彰会は「三浦権太夫義彰戦士の地」の案内板を新設したという記事が出てた。

 清廉潔白な義彰は、藩主の参勤交代に従って江戸詰となった折り、家老座上の丹羽丹波ら重臣らが藩政を縦(ほしいまま)にしていることに憤慨し藩政刷新の建白書を出すも、「藩政を乱す者」として二本松に送還され投獄処分となった。

 建白書の内容は、「人材を登用し、能吏に任じて兵制を改革し、軍備を充実すべし。また冗費を節約すべし。更にに費用が続かねば、三百石以上の重臣の俸給を半減すべし。」というもので、二本松藩の訓えである「戒石銘」の実践である。

 慶応4年、戊辰戦争の戦火は白河以北に達し、7月下旬には二本松藩領まで及んだことで赦免され、農兵司令士として出陣。鏃(やじり)を外した矢で応戦するも供中口で奮戦するも戦死した。享年32歳。近くの観世寺に懇ろに葬られた。

 二本松藩の家老・丹羽一学は「敗戦は必定なれど三春に倣うべからず。二本松は城が灰燼に帰し、一族屍を野に曝すとも武士道と信義に殉ずべきである」と徹底抗戦に纏め上げた。だが、奮闘空しく応戦その日に落城。戦死者は337名を数える。

 二本松藩へ罵詈を浴びせる歴史家もいるが事実はそんな簡単なものではない。圧倒的な武力を前に「東北列藩の信を以て滅びようではないか」と義を貫いたのだ。

 西軍隊長だった板垣退助も「一藩挙って身命を擲ち、斃れて後已むまで戦い抜く、武士道の精髄を尽くしたのは二本松を以て最上とする」と讃えている。

 幕末の薩摩藩士で陸軍元帥の野津道貫は「兵数不詳の敵兵は、砲列を布いて我軍を邀撃するのであった。我軍は早速之に応戦したが敵は地物を利用して、おまけに射撃はすこぶる正確で、一時我軍は全く前進を阻害された。我軍は正面攻撃では奏功せざる事を覚り、軍を迂回させて敵の両側面を脅威し、辛うじて撃退することを得たが怨恐らく戊辰戦中第一の激戦であったろう(近世国民史)」と回顧している。

 義彰が持っていた弓弦には、「あす散るも色は変わりじ山桜」との辞世の句が結び付けてあったという。明治維新の後、義彰は新政府から、「尊皇の志が篤い」として東軍戦死者で唯一、靖國神社に合祀されている。

 靖國神社は、明治2年、明治天皇の思し召しにより創建された。その合祀対象は、尊王攘夷派公家の中心的存在であった三条実美が関わり、祭文には「皇軍に役立ちして賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩」と明示している。

 この祭文の原則がある限り、会津藩や我が二本松藩、西郷軍関係者などが本殿に祀られることはなく、未来永劫 「賊軍」の汚名が灌がれることはない。

 靖國神社は営業保守派が言う様な「日本の為に戦って命を落とした人々が祀られている」という認識は根本的に間違っている。「天皇の為に」というのが正しく、京都守護職として奉公した会津藩が賊軍とされているのは不条理そのもの。

 抑々、三条実美は、会津・薩摩を中心とする公武合体派の改革に由り「七卿落ち」となった一人であり、維新後は明治新政府に重用されるが、靖國神社とは明治天皇の思し召しとは程遠い長州藩の遺恨から創られた社となっている。

 靖國神社が戦没者の顕彰を重んじる神社であるなら、賊軍とされた方々を「鎮霊社」という別なカタチで祀ることと本殿に祀ることとでは、どちらが時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのか。

「本殿と鎮霊社」という死者の選別を続けることは日本人の死生観にもそぐわないし、創建の趣旨でもある「顕彰」からも逸脱していると思うが如何だろう。

 義彰が東軍戦死者で唯一、靖國神社に合祀された理由が「尊皇の志が篤い」ということなら、幕末の動乱期、京都守護職を任じられ孝明天皇を御守りし、幕府唯一の神道を重んじた会津藩が祀られないのは明治新政府の遺恨からのものだ。

 最近の靖國神社を見ると、幕末から明治維新という大業と開国に当たっての犠牲ということが忘れ去られ、大東亜戦争のみを正当化するミュージアムの様だ。

 8月15日の営業保守派やインチキ愛国者らの集団参拝に苦言を呈することなく受け容れてる姿は、陛下の御親拝が遠退くばかりか、神社庁との主導権争いから神社庁を離脱し「宗教法人」となった明治神宮と同じく営利主義にしか感じない。

 官軍である長州閥の下で創られた靖國神社の在り方を見直す時期に来ていると思う。先ずは本殿と鎮霊社という死者の選別を止め、与野党有志で「靖國法案」を提出し、宗教法人格を外しと共に「国民の神社」として国家護持を実現させよ。

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2020年08月22日

「世界で唯一の平和憲法」だとか「憲法九条は世界の宝」という無知

 地元紙に「平和の願い」を投稿したが採用される様子はない。愚生の言う「平和」と、共産党や無自覚左翼が考える「平和」とは異質なものらしい(笑)

 地元紙の読者の欄には「九条の会」のメンバーという人の投稿が載っている。殊更に放射線物質の危険を煽り「世界に誇れる平和憲法」の重要性を訴える。

 護憲派らのいう「世界で唯一の平和憲法」だとか「憲法九条は世界の宝」とは無知から来る現実逃亡であり、戦後民主主義教育の悪害そのもの。

 現憲法の基となったのは第二次大戦後の「不戦条約」である。この不戦条約には我が国を始め、米国、英国、仏国、伊国など多くの国が締結している。

 戦争放棄の国際条約を結んでから、世界は皮肉なことに条約の理想とは全く正反対の道を歩んで往った。こうしたことをしても理想と現実は違うのだ。

 戦争とは国際法上認められてる行為であり「悪」ではない。我が国は先の大戦で負けてしまったから、「戦争=悪」となってしまったのだ。

 米英は「戦争とは政治の継続である」と教え、ドイツでは「戦争とは別の調停手段を伴う政治的な取り引きの継続である」と教える。

 つまり、戦争とは政治の延長なのだ。幼稚な正義感や安っぽい平和主義で国民を賺(すか)し、党勢拡大と革命謀略を謀る左翼政治家と、それらに便乗する勢力と無自覚左翼の有権者こそが戦争を誘発する最大要因となる。

 共産党を始め、野党議員の多くが「平和」というスローガンを掲げて有権者に訴える。軽々しく「平和」を口にはするが、どうやってその平和を創造するかという具体策は言わない。正に、こうした政治家が無防備の害を実践している。

 共産党や左翼陣営や野党にとって、端から「平和」を創り出そうとは思ってはいない。「平和」という言葉は、アホな有権者を騙す最大の武器でしかない。

「戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス(無防備の害)だ」と訓えたのは三島由紀夫。「平和」を訴えている勢力こそが我が国の政治や外交を危ぶみ、戦争を誘発する最大要因となるのは歴史が証明している。

 憲法を守り、米軍に反対し、自衛隊が無くなれば当たり前に平和が存在するのだと疑って止まない。「自国の防衛を否定する現憲法には問題がある」と言った途端に反発を食らうが正に思考停止となるのは無防備の害そのものだろう。

 欧米諸国は安全保障に於いて日本のことを「オストリッチ・ファッション」と嗤うという。オストリッチ(ダチョウ)というのは自分に危機が迫ると穴に首を突っ込み、危機を見ない様にして危機から逃れたつもりになるという。

「自衛隊」「憲法改正」と言った途端に「戦争」をイメージし、思考停止に陥る日本人を揶揄した言葉だが、実に分かり易い喩えだ。抑々「平和憲法」って何なんだ?

 不戦条約に加盟したということもあり、憲法で「平和主義」を謳っている国は80ヶ国以上に上り、イタリア、スペイン、ハンガリー、エクアドル、フィリピンは日本と同じ規定が在るのを知らないから「世界の宝」などと言えるのだ。

 護憲派のいう「世界で唯一の平和憲法」という賛美は、これこそ安直な平和主義を盲信する日本人の奢りであり、無知以外の何ものでもない。

「護憲」とは正に「誤憲」であり【護憲=誤憲=無知=バカ】と訳すのが正しく、無知でバカな誤憲派らこそ戦争を誘発する無防備の害となる(苦笑)

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2020年08月20日

北の島々に眠る御霊と共に帰れ!北方領土!

 ポツダム宣言の受諾後も、ソ連軍による北方領土(南樺太・千島列島)での強奪、残虐非道、鬼畜の所業は収まる事はなく、昭和20年8月18日には千島列島の最北端の島、占守島守備隊の日本軍に対し奇襲上陸した。

 ポツダム宣言の無条件降伏の下、武装解除準備を始めていた守備隊は武装を整え直し自衛戦闘を開始。この戦闘は日本軍死傷者約600名、ソ連軍死傷者約3000名という日本軍の圧倒的勝利の中で21日に武装解除に応じ戦闘が終結した。

 ソ連軍は千島列島だけではなく、当然の如く樺太でも蛮行を繰り返した。外務省の外交文書「ポ宣言受諾関係・善後措置及び各地状況関係」には、昭和20年8月9日以降のソ連(ロシア)の蛮行が生々しく書かれている。その一部を摘記する。

「(東部北鮮在留日本人の状況として)、ソ連兵ハ30年来ノ怨ミヲ晴ラスハ此時ナリトシ 邦人ノ所持品ハ一物ヲモ残サズ略奪シ 婦女子ニ対シテハ時所ヲ弁エズ暴行ヲ加フルノ暴挙ノ出テ・・・」

「(鉄原の状況として)、ソ連進駐ト共ニ市街ノ様相ハ一変シ ソ連兵市内ヲ横行シ略奪ヲ擅(ほしいまま)ニシ9月1日男24名ヲ本願寺ニ 女32名ヲ広島屋ニ監禁シ女ハ一室ニ一名宛閉ジ若キ娘ハ毎日14、5名 年配ノ婦人ハ毎日10名交代ニ暴行ヲ加ヘ其ノ結果6名ハ死亡シ、然ラザル者モ負傷ノ為歩行ノ自由ヲ失ウニ至ル・・・」

「捉えられた婦女子は、監禁され、ソ連兵に凌辱される」という恐怖から、自裁する道を選択せざるを得なかった女性も少なくない。樺太真岡郵便局の女子郵便局員の、伊藤千枝(23歳)、可香谷シゲ(23歳)、沢田キミ(19歳)、志賀晴代(22歳)、高石みき(24歳)、高城淑子(19歳)、松橋みどり(17歳)、吉田八重子(21歳)、渡辺照(17歳)の9名は、8月20日の最後まで職務を全うし、最後は従容として青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。

 彼女達の悲劇を伝えた「氷雪の門」という映画がある。

【(あらすじ)昭和20年夏、樺太の西海岸に位置する真岡町でも日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦したソ連軍の侵攻に脅かされようとしていた。ソ連軍侵攻からの避難民は群をなして真岡町に向った。8月15日には玉音放送によって終戦が告げられ、樺太全土に婦女子の強制疎開命令が出されるも、20日のソ連軍の上陸で間に合わなかった。志願して職場に留まり、追い詰められた女性交換手達は、通信で寄せられるあちこちで次々と殺害される市民の状況から、自らも青酸カリによる自決を選ぶしかなかった。9人の乙女の像に刻まれている「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」が通信最後の言葉だった・・・】

 今ではこの映画もレンタルビデオでも気軽に見れる様になったが、この映画の上映が決定された昭和49年、ソ連の御先棒を担ぐ日本社会党(社民党)や日本共産党らは上映阻止運動を展開し、終には上映禁止に追い込まれている。

 日頃、彼らは「平和」を口にして原爆投下の米国を執拗に糾弾するが、ソ連の蛮行には口を噤む。これだけでも彼らに「平和」を口にする資格は無い。

 共産党や社民党というのは所詮はこの程度の政党であり、彼らの言う「平和」という言葉は党勢拡大の為の武器でしかない。所謂「平和団体」や反基地活動も同じくソ連(ロシア)や中国共産党の御先棒を担ぐ第五列である。

 終戦間際に参戦したソ連の鬼畜の如き蛮行で亡くなった方は、広島・長崎への原爆で亡くなられた数を遥かに超える。千島列島の守備隊が武装解除するとみるや、ソ連軍は全ての軍人と軍属、民間人をシベリヤに強制連行した。

 極寒のシベリアへ抑留された日本人は、日本国内では約60万人と言われているが、この数字は軍属だけの数字で民間人を含めると更に多い。

 ロシアの資料でも約70万人、米国の資料では約90万人と言われているが、その中で寒さや餓えで亡くなられた方はどれ程に上るのか未だに正式な被害者数は出ていない。これつまり我が国政府の不作為と弱腰外交を如実に現わしている。

 歴史の検証をする際に我が国の罪を論うことは当然ではあるが、大事なのは古今東西、世界に蔓延る覇権主義の克服を主張する事であって、他国の覇権主義に目を瞑り、一方的に自虐の淵に止め処なく漬かり込むことではない。

 今こそ、戦後の歴史認識の基となった東京裁判の不当性と、占領下で実行されたGHQに因る策謀と戦勝国を気取るロシアの過去に行った蛮行と不条理を徹底して検証し、国内に蔓延する戦後民主主義と自虐史観の払拭を図らねばならない。 北の島々に眠る同胞の御霊に対し衷心より哀悼の意を表します。合掌再拝。

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2020年08月19日

爆発五郎的現代右翼行動学沈思(笑)

 国士舘大学時代、行動右翼のパイオニアを自任する防共挺身隊に所属しつつ、学内に於いては「日本論壇倶楽部」という愛好会を創った。

 これからの右翼には理論も大事だと思い、当時渋谷ハチ公前で活発な活動をしていた国際勝共連合ばりに理論武装の必要性を感じ、街宣も新右翼の様なジーパンではなく、スラックスに白のブレザーなどで揃えてやろうなどと夢を語った。

 勝共連合の責任者らとも意見を交換し、赤坂に在る本部にも顔を出したこともあった。当時、映画「氷雪の門」は勝共連合がその放映権を所有していた。同級生で兄弟分の瑞穂塾代表の伊藤満と観に行って涙したこともあったっけ(笑)

 勝共連合は、周知の通り悪名高い文鮮明が創立した「統一教会」の傘下団体であり、その運動理論は「勝共理論」による「反共」でしかない。

 下宿にも勝共連合幹部や統一教会らしき女性が足繁く通い、熱心に勧誘されもしたし、学費免除、生活費保障で米国への留学を進言されたこともあった。

 だが、「愚生は右翼としてやるべきことは反共も大事だが、反共よりもそれ以上に戦わなければならない相手がいる」と断り、愚連隊的右翼活動を愛した。

 今考えてみれば、当時、米国へ留学し、勝共連合の一員としてやっていれば、ソウルでの合同結婚式で桜田淳子と結婚していたかもしれないなぁ(笑)

「日本論壇倶楽部」を創って間もなく、野村秋介も自著「反共右翼からの脱却」で理論の必要性を訴えていることを知り、自分の方向性が間違ったものではないと確信した。でも、アレって鈴木邦男との対談での話なんだよな(笑)

 だが、理論を齧った右翼は違った方向へと進んで行く。理論や思想(思想を持ってる右翼人に会ったことはないが)を持ち合わせていない者は右翼に非ず、と言わんばかりの風潮が民族派陣営に横溢して行った。

 野村秋介の影響は大きく、感化された右翼の多くが何を勘違いしたのか、理論には程遠い浅学をひけらかし、その結果、頭でっかちな、中途半端な、保身ばかりを気にする、聞き分けのいい、画一化された右翼ばかりになってしまった。

「今、君に牙はあるか」と問えば、牙など無く塵中に人もいない。「友よ山河を滅ぼす勿れ」などと、都合の好いフレーズを利用して悦に入っている。

 32歳で本部の行動隊長となり、毎週木・金曜日と夕方からの新橋での街宣前に午前中から都内を巡り、若手と共に啓蒙運動に邁進していた。

 あの頃の趣味は「右翼」だった。右翼の活動も新たな時代に入り、活発だったのも確かで、他団体の活動家らは定期的に集まっては「勉強会」と称する集会を開いてた。その「勉強会」に運動の途中で一度だけ立ち寄ったことがあった。

 だが、齧った衒学を仲間内でひけらかしてるだけのものでしかなく、刮目して相対すこともなく、武士道の嗜みなんぞどこにも感じない光景だった。

 司会進行役の後輩から「先輩からも何かありませんか!」と振られたので、「若手は能書きよりは上から命令されたことだけを忠実にやることが大事だと思う」という様なことを述べたら、理論家を気取る連中の失笑を買った。

 理論や思想というのなら未だしも、その辺の売文屋や営業右翼が語ってる薀蓄や、まともに学んだ者ならば誰でも知り得る日本史や近代史を、自分のことの様にひけらかしてる様は滑稽に見えて、以来こうした会合には出たことはない。

 嫌われる様な言行は避ける風潮にあるから、異論があっても戦わすこともない。そんな「勉強会」という仲良しクラブだから間もなく消え失せた。

 学問とは本来、自分自身の向上の為にするもので、仲間内でやる勉強会に意味はなく、懸命に学んだ理論を徹底して戦わすことこそが大事だと思っている。

 右翼が牙を無くし、過激さを忘れ、仲良しクラブの様になってしまった現状は、果たして何処で道を間違えてしまったのか、誰の責任なのだろうか。

 嘗て、石原慎太郎は、中韓やマスコミから右翼と罵倒されてる状況を顧みて「蛮勇を以て右翼と称するのであれば僕は右翼で結構!」と宣った。

 石原を好きか嫌いかは別として刮目に値する。「蛮勇」とは周辺の配慮もなく乱暴な大胆さを言うが、後先ばかりを考える今の右翼には蛮勇など皆無だ。

 三島由紀夫の言葉を揶揄して言えば、個性の無い、無機的な、空っぽな、ニュートラルな、シノギばかりを考える、抜け目がない、高目ばかりを夢見てる自称・右翼ばかりなり。やはり右翼とは削げ者であらねばならないと思っている。

 削げ者とは、つまりは偏屈者。愚生に足りないものはやはりその偏屈ぶり。もっともっと修行し、真の偏屈者、真の削げ者とならなければと思う(笑)

 演説にしても聞き齧った耳学問的評論家の様な演説ばかり。右翼も左翼も本来演説とは大衆を煽るアジテーションでなくてはならず、右翼陣営をざっと見渡しても上手な演説家はいるがアジテーターは故横山武彦がピカイチだった。

 アジテーションとは「そそのかす」「煽動」という意味だが、演説によって大衆の不満を如何にしてその行動に繋げられるかが大事で、聞き齧った理論や意見を演説し、それらを聴衆に理解させるかではない、煽ることが大事。

 赤尾敏が、右翼陣営は当然ながら一般大衆に持て囃されたかは、簡単に言えばアジテーターだったことが大きい。アジテーター的にいえば、現在のこじんまりしてしまった右翼よりも在特会の方が煽動という意味に於いても上だろう。

 右翼の演説を聞いていると「前に話したから」と、同じ演説はしたがらないのが多い。ここぞとばかり話題豊富に語ってはいるが、結局は自己満足的演説に終始し、アジ演説には程遠い評論家にも劣る話っぷりや内容ばかり。

 その点、噺家(落語家)というのは大したもので、江戸時代から続く古典落語なんてのはその内容もオチ(サゲ)も知っていても思わず笑ってしまうのは話芸の極意であり、これこそがプロが成せる業でもある。

 右翼も周りの迷惑を顧みず街頭で演説をするのだから、ある程度は話が上手じゃないと聞いてる方には迷惑千万。本を読んで理論武装するのも好いが、先ずは寄席にでも行って話し方を学んだ方が勉強になると思うんだが(笑)

 街宣を「運動」と理解しているが、防挺の初代総隊長の福田進は「街宣なんてのは運動じゃねぇよ。右翼の運動ってのはパクられてナンボ。街宣は株主総会で発言する度胸を付ける為のもので大して意味はねぇんだよ」と言っていた(笑)

 新橋でやるのも単に官庁が近いというのもあるが、何のことはない一部上場企業が多いからで、日教組大会など運動でパクられれば新聞に団体名が載る訳で、新橋で街宣をすればするほど総会屋右翼としての評価が上がって行った。

 所属していた団体幹部がその昔、こうも言っていた。「右翼に理論なんぞ必要ないよ。あるのは行動のみ。パクられて起訴されりゃ、理論なんてのは弁護士の先生が考えてくれるよ(笑)」。正に正鵠を射た意見だと改めて思う(笑)

 全国の右翼は今こそテロを担保にした行動に回帰すべし。斯くいう愚生はどうかというと、ヤクザ傘下になった防挺の変わり様に追いて行けず脱落した。

「右翼絶望派」といえば聞こえは好いが、名刺は「政治評論家」。正に評論家風情というよりその評論家に成り下がったが、肝心な講演依頼も来ない(笑)

 人を批判するほど己は峻烈に生きているのかといえばそうでもない。敬天新聞の白倉先輩に倣い「今日勝つ」ことで精一杯。若い頃には明日のことなど考えもしなかったが、最近は色々と考えてしまう。やはり老いを痛感する。

 高齢化の弊害はヤクザや右翼陣営も例外ではなさそうだ。まぁそれでも「乞食に氏(うじ)無し」という様に、心掛けが悪いからそうなってるだけで、慢性的不如意を気にしなければ「乞食の朝謡(あさうたい)」宜しく気楽な境遇だ。

 まぁ、悪習は染まり易く改めるのは困難を極める。「乞食も三日すれば忘れられぬ」というが、昔の人は巧い喩え話を言ったものだと熟熟感心する。

 つ~か「乞食に貧乏無し」ってのもあるし、まぁ今より悪くなることはあるまい。序でに言わせて貰えれば「ハゲに癌無し乞食なし」ってのもあるらしい(笑)

 野村秋介の「自問自答の訓」というものがある。

「常に世俗にありてその一隅を照らし

 常に在野にありて権力悪と闘い

 常に人々を愛し共に涙を流し

 常に海を愛し空を愛して神々を敬い

 常に友情と信義を胸中にして熱く燃え

 常に名利を求めず正義を追い

 常に月を愛し酒を愛し女を愛し

 常に自由にして奔放であり

 常に一剣を懐中にして平天下を願う」

 これほどカッコいい生き方は出来ないが、酒を愛し女を愛し、常に自由にして奔放な無頼派右翼で在りたいと思う。宅見勝という伝説のヤクザが遺した言葉がある。

「生ある人生がいつかは必ず来るべき死を

 約束づけているならば

 俺は法律がどう変ろうが

 社会の常識がどう変ろうが

 財力に諂わず

 権力に屈することなく

 正しいものを 正しいものとして

 どこまでも俺の信念を

 押し進めて行きたい」

 どちらかというと、愚生は野村烈士の訓えよりも宅見親分の訓えの方が性に合う。草莽の浪人ではあるが、こんな生き方を全うしたいものだ。呵々。

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2020年08月18日

ポツダム宣言受諾後の昭和20年8月18日に起きた占守島の戦いを忘れるな!

 昭和20(1945)年8月14日、我が国はポツダム宣言を受諾。そして9月2日に降伏文書に調印した。マスコミは8月15日を「終戦記念日」として戦争の悲惨さを伝えるが、15日~9月2日迄に一体何が起きていたかは伝えない。

 昭和20年8月18日の早暁午前1時頃、千島列島最北端の占守島(しゅむしゅとう)に駐留していた日本軍に対し、ソ連軍が奇襲上陸。終戦により武装解除準備を始めていた守備隊は武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。

 占守島での戦闘で日本軍の死傷者は約600名、ソ連軍の死傷者は約3000名に及んだ。日本軍の圧倒的勝利ではあったが、3日後の21日に武装解除に応じ戦闘が終結。日本軍が武装解除を終えたのは24日だった。

 この千島列島での戦いによりソ連軍の千島列島の占領が遅滞された。その間に米軍の北海道進駐が完了したことで、ドイツや朝鮮半島の様な北海道の分割統治は避けられた。そういう意味でも「占守島の戦い」は大きな意義があったのだ。

 この後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てと住民までもがシベリアに強制連行されることとなった。

 ソ連軍の理不尽な終戦後の攻撃に対し勇敢に戦った兵士達は、シベリア抑留という理不尽な仕打ちさえもポツダム宣言受諾の無条件降伏の無条件のうちだと信じて、飢えも寒さも、その結果としての知れ切った死すらも潔く受容した。

 ソ連は占守島や中千島、南千島以外の地域からも軍人や軍属だけでなく非戦闘員である住民までもシベリアへ強制連行し不当に抑留した。実にその数80万人、その半数以上の同胞が酷寒の地で凍死や餓死で亡くなられているという。

 シベリヤに抑留された日本人同胞は国内では一般には約60万人と言われているが、この数字は軍人・軍属だけの数字で、民間人を含めると更に多く、ロシアの資料では約70万人、米国の資料では約90万人とされている。

 シベリア抑留で亡くなられた日本人同胞の正式な被害者数を調査しなければならないのが、政府は何故か未だに拱手傍観を極め込んでいる。

 東京大空襲や広島・長崎への原爆投下を実行した米国もそうだが、非戦闘員の殺戮にしてもシベリアへの強制連行にしても全てが国際法違反であり、戦勝国と雖もこうした人道に悖る行為を正当化する権利が在るとは思えない。

 況してや終戦間際に我が国と締結していた日ソ不可侵条約を蹂躙し、一方的に宣戦布告し戦闘に加わったソ連の蛮行は断じて赦されるものではない。このソ連の参戦は「ヤルタ秘密協定」での米英との約束の忠実な実行である。

 1945年(昭和20年)2月、ルーズベルト、スターリン、チャーチルはクリミア諸島のヤルタで会談。ルーズベルトは千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄を進言、ソ連の対日参戦を促した。

 ヤルタ協定では「ソ連が日本との戦争に参戦すること」「南樺太をソ連に返還すること」「千島列島をソ連に引き渡すこと」などが決められた。ドイツが無条件降伏した約3ヵ月後の昭和20年8月9日、ソ連はヤルタ協定を忠実に実行し参戦した。

 公正な歴史を紐解く上でも、またソ連の北方領土への侵略と不当性を知る上でも、ソ連参戦を要求した米英主導の「ヤルタ秘密協定」の不当性と残虐性を暴き、戦後の不条理と不正義を再検証しなければならない。

 己の土地を他人に奪われて黙っている者はいないだろう。況してや、父祖伝来の国土が強奪されて泣き寝入りする民族が何処にあろうか。

「北方領土奪還」は正に日本民族の悲願であるが、北方領土問題は解決されるどころか、未だ解決の糸口すら見えて来ないのは一体何故なのか。

 思うに、平和ボケした国民の領土主権そのものの重要性に対する認識不足と、如何に不法に占拠されたかという真相把握が決定的に欠如しているのだ。

 占守島の戦いを始め、北方領土や南樺太での凌辱と虐殺などの筆舌に尽くし難い悲劇と不当なシベリア抑留は、現代を生きる我々が決して忘れてはならない歴史であり、如何に8月15日が断じて「終戦の日」ではない何よりの証である。

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2020年08月17日

Facebookでまたもや規約違反に問われ出入り禁止に(苦笑)

 昨日、facebookから「規約違反の通報を受けましたので審査しましたが記事の内容は『差別』に該当しますので30日間の利用停止となります」との通告を受けた。差別とされる記事は4年以上前に綴った外国人参政権の問題。以下参考。

 鳥越俊太郎ってのはホントにジャーナリストなのだろうか。愚生でも分かる様なネタを真顔で訴えて、それらを疑うことも恥じることもない。

 ジャーナリストとして現場主義を貫き「趣味はニュース」だというが、その現場にしろ、見聞きするニュースも偏ったものばかりで何がジャーナリストか。

 鳥越はジャーナリストというより左翼思想を生業にした営業左翼、否、左翼活動家というのが正しい。東京都知事選の公約に「永住外国人への参政権付与」を掲げている鳥越は、テレビでいけしゃあしゃあとこう述べた。  

「外国人参政権、アメリカでも一定年齢を過ぎて資格があれば市民権が得られます。それと同じように日本でも、例えば10年住んでいれば参政権が得られるというようなシステムを作る必要があると思いますね」

 アメリカでは「市民権」と「永住権」は別のもので、永住権取得から5年で市民権取得を申請する資格を得られるが、選挙権は「米国籍を有すること」が条件であり、居住が何年だろうが、納税さえすれば得られるというものではないのだ。

 こうしたことさえ分からない鳥越はジャーナリスト失格と言えるが、敢えてそれを知りながら国民や有権者を誑かしているのだとすれば、鳥越の公約である「外国人参政権付与」とは国家転覆を謀る手段の一つなのだろう。

 外国人参政権付与問題は、在日朝鮮人が大半を占める「特別永住者」だけではなく、一般の永住者も選挙権の対象とされている。

 そうなれば在日朝鮮人のみならず、支那人永住者にも付与されることとなるのだが、外国人参政権付与問題ではこの点は殆ど議論されてはいない。

 というのも、在日朝鮮人が大半をしめる「特別永住者」は年々減少し続け、減少傾向が止まらないのに対して「支那人一般永住者」はここ数年で急増している。

 在日韓国人が日本国民と結婚しその子供は総て日本国籍になっているのに比べ、支那人永住者の方は、留学生の増加などによって更に増加し、永住外国人の前提となる一般の在留外国人の登録者数は今や韓国・朝鮮人の数を上回っている状況だ。

 外国人参政権付与問題は、支那人の移民問題にも繋がるもので非常に深刻な問題を孕んでいるのだが、単に「強制連行された」だとか「差別を受けてる」という在日朝鮮人の問題にして、この問題点については語ろうとしない。

 要は、鳥越らは在日朝鮮人の擁護者というより、中国共産党の第五列(だいごれつ)というのが正しい。因みに「第五列」とは、内部にあって、外部の敵勢力に呼応して、その方針の下に活動してるグループをいう。

 世界の左翼は愛国者だが、我が国の左翼に愛国者がいないのは世界の珍現象。それは外部(中国共産党)の出張所的インチキ左翼ばかりだからだ(苦笑)

 以前、鳥越はテレビでの討論会で、尖閣諸島周辺での中共やミサイル発射で威圧する北朝鮮の動きを警戒する主張に、色を作(な)して「何処の国が日本を攻めて来るんですか!」と反論したことがあるが、こうしたことでも、中国共産党や金正恩への忠誠心とその働きぶりが分かるというものだろう(笑)

 そんな中で都知事選の世論調査が行われ、自民党に見切りを付けた小池百合子が一歩リードしてるとの報道が成されている。このまま小池が勝利し、旧態依然のボス政治を続ける自民党への警鐘になることを期待している。

 以上が「差別」とされた記事だ。どう読んでも「差別」に該当するとも思えないが、facebook側は規約違反だと一方的に断じる。然も、反論さえ出来ないのは如何なものか。それにしてもストーカーの様な閲覧者には厭きれるばかり。呵呵。

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2020年08月16日

神となられた英霊の死を悼み悲しむというのは如何なものか

「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に御臨席遊ばされた天皇陛下は、上皇陛下から受け継いでいる「深い反省」との文言を盛り込まれた。不戦の誓いを新たにすることは諒とするが、宮内庁幹部の意向を汲んだ「深い反省」は止めた方が好い。

「深い反省」とは、先の大戦での日本悪玉論を認めることに他ならず、「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅」と照らし合わせても矛盾を感じるし軽々しく思う。

「深い反省」とは何を指すのか。昭和天皇の責任か。大東亜戦争は無謀な戦いだったのか。敗戦したことを深く反省するのか。余りにもアバウト過ぎる。

 欽定明治憲法下では国務は国務大臣、統帥は参謀総長及び軍令部長が陛下を輔弼しその責に任ずることになっており陛下には法的に責任は無い。しかし乍ら、先の大戦の結果を道義的に最も責任を痛感されたのは昭和天皇であった。

 渙発された「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅」の中で、昭和天皇は「帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク 且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫念スル所ナリ」と仰せられた通り、昭和天皇御自らが身を苛まれたのだ。

 一方の安倍総理の式辞は「深い反省」の言葉もなく無難なものだった。「積極的平和主義」という文言に有識者らは尤もらしい批判をしているが、我が国が目指すべきは防衛力の強化という積極的平和主義の確立であることに間違いはない。

 二度と敗戦という過ちを繰り返さない為にも万全な防衛体制を構築することこそ、先の大戦で犠牲となられた方々に報いるものだと信じている。

 我が国が「アジアの人々に謝罪し罪を償う必要がある」というなら、最大の過ちは敗戦に由って中国共産党の跋扈を許したことであり、その償いは共産主義を失くすこと以外にない。その為にも積極的平和主義を我が国外交の柱とすべきだ。

 昨日、小泉進次郎環境相や高市早苗総務相ら閣僚4人が靖國神社を参拝した。安倍首相は代理で玉串料を奉奠。保守票目当ての政治家を始め、営業保守や自称・愛国者、インチキ右翼らが靖國神社に参集し英霊に哀悼の意を表す。

 靖國神社は英霊の功績を顕彰する社であり、英霊は神である。神となられた英霊の死を悼み悲しむというのは如何なものか。靖國神社の創建の意味を知らないから、こうした「哀悼」だとか「慰霊」「追悼」という場違いが罷り通る。

 中韓や靖國神社に反対する勢力らもそうだが、靖國神社は追悼施設だと思っている国民は少なくない。慰霊や追悼というなら、遺骨が埋葬されている千鳥ヶ淵墓苑に御参りすれば好いし、千鳥ヶ淵墓苑を国立追悼施設にすれば好い。

 石原慎太郎が「天皇陛下に参拝していただきたい」と語ってたが、それを言うなら「御親拝」だろう。タカ派を気取ってはいるが相変わらず尊皇精神に乏しい。況してや8月15日の靖國参拝には意味が無いのに、何故に8月15日に拘るのか。

 明治天皇の思し召しで、明治維新と日清日露の犠牲者を祀る神社が、昭和に入ると殊更に護国の英霊に感謝し崇敬の誠を捧げる為の社となって行った。

 靖國神社が戦意高揚に利用されていたというのは否定出来ないし、最近の靖國神社を見ていると恰も大東亜戦争のミュージアムになったかの様だ(苦笑)

 8月15日に拘れば拘るほど靖國神社の創建の趣旨が曲解されて行くだろう。特筆すべきは、靖國神社の春秋の礼大祭に限り天皇陛下が御親拝せられたことだ。

 明治・大正・昭和と続いた大祭の御親拝が、平成の御代で途切れたのはA級戦犯の合祀が理由ではない。宮内庁幹部と8月15日の参拝こそが元凶である。

 天皇陛下の御親拝こそが英霊の御魂を鎮める唯一無二のものであり、聖恩無辺、英霊並びに遺族にとっての感激と光栄、之に優るものはなし。今上陛下に於かれましては雑音を排し、御親拝遊ばされることを冀(こいねが)う。

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2020年08月15日

8月15日「終戦記念日」ではなく「戦没者を追悼し平和を祈念する日」

 8月15日を一般には「終戦記念日」というが、正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」。「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅」が流された日に過ぎない。その玉音放送が流されたことを記念しているのであればそれは間違いと言わざるを得ない。

 昭和天皇の御聖断によりポツダム宣言受諾が決定され「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅」が渙発されたのは13日、内閣が署名し公布したのは14日。降伏文書に調印した日は9月2日であり、連合国は翌3日を「対日戦勝記念日」としている。

「記念」とは「思い出」という意味であり、何故に戦争終結を記念しなきゃならないのか。国民の殆どが疑いもなく「終戦記念日」と信じて止まないが、これ正にGHQに因る洗脳であり、戦後民主主義教育の象徴とも言える呼称である。

 我が国が最終的に戦争状態を終結し主権回復したのは昭和27年4月28日であり、ならば「終戦記念日」はGHQの統治から解放された4月28日が相応しく、8月15日は敢えて言うのなら「平和祈念日」と呼ぶのが相応しい。

 保守票目当ての政治家や営業保守、右翼団体らが8月15日を終戦記念日と称し靖國神社に詣でるが、戦没者は何も散華された英霊だけではない。況してや「詔勅奉戴日」であるなら全国各地の夫夫の住んでる場所で平和を祈れば好いではないか。

 まやかしの平和を享受している我々は、改めて「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅」を奉読し、先の大戦の大義と陛下の大御心をを再確認しようではないか。

 朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ 茲(ここ)ニ忠良ナル爾(なんじ)臣民(しんみん)ニ告ク(ぐ) 朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ 抑々(そもそも)帝国臣民ノ康寧(こうねい)ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕(とも)ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサ(ざ)ル所曩(さき)ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾(しよき)スルニ出テ(で)他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ(が)如キハ固(もと)ヨリ朕カ(が)志ニアラス(ず)然(しか)ルニ交戰已ニ四歳(しさい)ヲ閲(けみ)シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精 朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘(かかわ)ラス(ず)戦局必ス(ず)シモ好転セス(ず)世界ノ大勢亦我ニ利アラス(ず)加之(しかのみならず)敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻(しきり)ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ惨害ノ及フ(ぶ)所(ところ)真(しん)ニ測ルヘカラサ(ざ)ルニ至ル而(しかも)モ尚(なお)交戦ヲ継続セムカ終(つい)ニ我カ(が)民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス(ず)延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却(はきやく)スヘ(べ)シ 斯クノ如クムハ(ごとくんば)朕何ヲ似テカ億兆ノ赤子ヲ保(ほ)シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ(が)帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セ(ぜ)シムルニ至レル所以ナリ 朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対し遺憾ノ意ヲ表セサ(ざ)ルヲ得ス(ず) 帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ(じ)非命ニ斃(たお)レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ(ば)五内為(ため)ニ裂ク且(かつ)戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙(こうむ)リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫(しん)念(ねん)スル所ナリ 惟(おも)フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固(もと)ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情(ちゆうじよう)モ朕善ク之ヲ知ル 然レト(ど)モ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所堪(た)ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ(び)難キヲ忍ヒ(び)以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス 朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠(せきせい)ニ信倚(しんい)シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若(も)シ夫(そ)レ情ノ激スル所濫(みだり)ニ事端(じたん)ヲ滋(しげ)クシ或ハ同胞排擠(はいせい)互ニ時局ヲ乱(みだ)リ為ニ大道(だいどう)ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ(が)如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜(よろ)シク挙国一家子孫相伝へ確(かた)ク神州ノ不滅ヲ信シ(じ)任(にん)重クシテ道遠キヲ念(おも)ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤(あつ)クシ志操ヲ鞏(かた)クシ 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運(しんうん)ニ後(おく)レサ(ざ)ラムコトヲ期スヘ(べ)シ 爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体(たい)セヨ 御名御璽 昭和二十年八月十四日

【現代語訳】

 朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾しようと思い、ここに忠良なる汝ら帝国国民に告ぐ。朕は帝国政府をして米英支ソ四国に対し、その共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させたのである。抑々帝国国民の健全を図り、万邦共栄の楽しみを共にするは、天照大神、神武天皇始め歴代天皇が遺された範であり朕は常々心掛けている。先に米英二国に宣戦した理由もまた、実に帝国の自存と東亜の安定とを切に願うことから出たもので他国の主権を否定して領土を侵す様なことはもとより朕の志にあらず。然るに交戦既に四年を経ており、朕が陸海将兵の勇戦、朕が官僚官吏の精勤、朕が一億国民の奉公、それぞれ最善を尽くすに拘わらず戦局は必ずしも好転せず、世界の大勢もまた我に有利ではない。こればかりか、敵は新たに残虐な爆弾を使用して多くの罪なき民を殺傷しており、惨害どこまで及ぶかは実に測り知れない事態となった。然もなお交戦を続けるというのか。それは我が民族の滅亡をきたすのみならず、延いては人類の文明をも破滅させるはずである。そうなってしまえば朕はどの様にして一億国民の子孫を保ち、皇祖・皇宗の神霊に詫びるのか。これが帝国政府をして共同宣言に応じさせるに至った所以である。 朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力した同盟諸国に対し遺憾の意を表せざるを得ない。帝国国民には戦陣に散り、職場に殉じ、戦災に斃れた者及びその遺族に想いを致せば、それだけで五内(五臓)引き裂かれる。且つまた戦傷を負い、戦災を被り、家も仕事も失ってしまった者へどう手を差し伸べるかに至っては朕が深く心痛むところである。思慮するに、帝国が今後受けなくてなたない苦難は当然のこと尋常ではない。汝ら国民の衷心も朕はよく理解している。然しながら朕は時運がこうなったからには堪えがたきを堪え忍びがたきを忍び、子々孫々の為に太平を拓くことを願う。 朕は今、国としての日本を護持することができ、忠良な汝ら国民のひたすらなる誠意に信拠し、常に汝ら国民と共にいる。もし感情の激するままみだりに事を起こし、あるいは同胞を陥れて互いに時局を乱し、為に大道を踏み誤り、世界に対し信義を失うことは、朕が最も戒めるところである。宜しく国を挙げて一家となり皆で子孫を繋ぎ、固く神州日本の不滅を信じ、担う使命は重く進む道程の遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、道義を大切に志操堅固にして、日本の光栄なる真髄を発揚し、世界の進歩発展に後れぬよう心に期すべし。汝ら国民よ、朕が真意をよく汲み全身全霊で受け止めよ。

 この「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅」が発布されたことをして戦争が終結した訳ではない。形的に戦争状態を停止したということに過ぎない。

 5日前の9日未明、旧ソ連は「ヤルタ秘密協定」を忠実に実行に移し、「日ソ不可侵中立条約」を一方的に破棄し満州や南樺太に侵略を開始。日本人同胞の虐殺、強姦、略奪がこの日を以て開始され鬼畜の如き所業が各地で重ねられた。

 千島列島の最北端の占守島(しゅむしゅとう)では、8月18日の早暁午前1時頃、日本軍にソ連軍が奇襲。ポツダム宣言受諾で武装解除準備を始めていた日本軍守備隊は、対抗する為に武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始する。

 3日間の戦闘で日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及び、日本軍の圧倒的勝利の中で、8月21日に武装解除に応じ戦闘が終結した。

 日本軍が武装解除を終えたのは3日後の8月24日。「占守島の戦い」によりソ連軍の千島列島の占領は遅滞された。千島列島はソ連に強奪されるに至ったが、この間に米軍の北海道進駐が完了したことで、ドイツや朝鮮半島の様な北海道の分割統治は避けられた。そういう意味でも占守島での戦いには大きな意義があったのだ。

 これをしても8月15日を終戦記念日だと言い張るのか。この後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てが酷寒の地であり不毛の土地であったシベリアに強制連行されることとなった。

 理不尽な終戦後の戦争を勇敢に戦った我が日本軍の兵士達は、こうしたソ連の理不尽な仕打ちさえも無条件降伏の無条件のうちだと信じて、飢えにも寒さにも耐え、その結果としての知れ切った死すらも潔く受容したのだ。

 8月20日には、樺太真岡郵便局の女子局員伊藤千枝(23歳)可香谷シゲ(23歳)沢田キミ(19歳)志賀晴代(22歳)高石みき(24歳)高城淑子(19歳)松橋みどり(17歳)吉田八重子(21歳)渡辺照(17歳)の9名が最後まで職務を全うし、最後は従容として青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げた。

 外務省の外交文書「ポ宣言受諾関係・善後措置及び各地状況関係」には、ソ連の蛮行が生々しく書かれている。東部北鮮在留日本人の状況として「ソ連兵ハ30年来ノ怨ミヲ晴ラスハ此時ナリトシ邦人ノ所持品ハ一物ヲモ残サズ略奪シ婦女子ニ対シテハ時所ヲ弁エズ暴行ヲ加フルノ暴挙ノ出テ・・・」

 鉄原の状況として「ソ連進駐ト共ニ市街ノ様相ハ一変シ、ソ連兵市内ヲ横行シ略奪ヲ擅ニシ9月1日男24名ヲ本願寺ニ、女32名ヲ広島屋ニ監禁シ女ハ一室ニ一名宛閉ジ若キ娘ハ毎日14、5名、年配ノ婦人ハ毎日10名交代ニ暴行ヲ加ヘ其ノ結果6名ハ死亡シ、然ラザル者モ負傷ノ為歩行ノ自由ヲ失ウニ至ル・・・」

 捉えられた婦女子は「監禁され、ソ連兵に凌辱される」という恐怖から自裁する道を選択せざるを得なかった。樺太真岡郵便局の女子郵便局員も大和撫子として自裁する道を選んだのだ。酷寒のシベリアへ抑留された軍人や軍属、満州や樺太の地で亡くなられた方々にとって8月15日が終戦の日である筈がなかろう。

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2020年08月01日

今や8月15日の靖國神社参拝が保守派の踏み絵になっているが

 葉月朔日ということで身を清め、神饌を替え、陛下の弥栄と心願成就を懸ける。今月は個人的には還暦を迎える。実に感慨深くもあり、羞かしくもある。

 今月は所謂「終戦記念日」がある。今年もまた右翼団体や営業保守、ネット右翼らが靖國に参集しパフォーマンスを繰り広げると思うと鬱陶しくもある。

 8月15日は終戦記念日ではない。8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であり、戦没者は何も靖國神社に祀られている英霊だけではない。保守派や右翼団体らが靖國神社に拘れば拘るほど靖國神社が国民から遠退いていく。

 8月15日は「終戦記念日」ではなく、平和を祈念する「平和祈念日」と称するべきだろう。「記念」とは「思い出」という意味であり、平和を「祈念」するなら未だしも、何故に戦争終結を記念しなきゃならないのか。

 国民の殆どが疑いもなく「終戦記念日」という呼称を使い続けてるが、これ正にGHQに因る洗脳であり、戦後民主主義教育の象徴でもあり、要は「(米軍のお陰で)戦争が終わってめでたしめでたし」ということなのだろう(苦笑)

 ポツダム宣言による降伏文書に調印した日は昭和20年9月2日。連合国はその翌日3日を「対日戦勝記念日」としている。15日は「玉音放送」が流された日というだけで、我が国の「終戦の日」は主権が回復した昭和27年4月28日である。

 保守派の論客である小堀佳一郎が「終戦の詔勅奉戴日こそが御親拝に最も相応しい日である」との持論を垂れ流し、それを営業保守派が追随する。戦没者は別に靖國の英霊だけではないのに、正しく靖國を利用した売文である。

 小堀のいう「終戦の詔勅奉戴日」とは8月15日であり、あろうことかこの日を「終戦記念日」と称する御粗末さ。「大東亜戦争終結に関する詔勅」の渙発は二日前の13日。公布したのが翌14日。15日は「玉音放送」が流されたが終戦ではない。

「大東亜戦争終結ニ関スル詔勅」に由り、形的に戦争状態を停止したということに過ぎない。だが、「日ソ不可侵中立条約」を一方的に破棄した旧ソ連は満州や南樺太に侵略を開始した。ソ連軍との戦闘は8月15日以降も続けられいている。

 樺太真岡郵便局の女子局員9名が青酸カリを服用し壮絶な最後を遂げたのはソ連軍が侵攻して来た8月20日だ。こうした事実をしても、8月15日を「終戦記念日」とか「終戦の詔勅奉戴日」として靖國神社に詣でる意味が分からない。

 今では8月15日に靖國神社に参拝するのが保守派や右翼の踏み絵になってるが、この8月15日に初めて参拝したのは三木武夫で、公式参拝したのは中曽根康弘。

 中曽根以降、公式参拝をした総理大臣はいないが、その公式参拝は中共からの抗議で直ぐに撤回して謝罪した。8月15日を自民党総裁選で利用したのが小泉純一郎であり、安倍晋三も靖國を利用した一人。こう見ると国賊ばかり。

 三木総理以前の総理大臣は春秋の例大祭に詣でるのが恒例だったが、中曽根の公式参拝で靖國が政治問題化して以来参拝出来なくなってしまった。つまり、8月15日の靖國神社への参拝は、三木・中曽根から続く靖國神社冒涜運動の継承である。

 8月15日は遺族の方々が心静かに詣でられる静謐な環境を整えるのが先決であり、あの左右入り乱れての喧騒は頂けない。営業保守派らが「8月15日こそが御親拝に最も相応しい日である」と言うのなら、この日は静かにしてたら如何か(苦笑)

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