2020年05月

2020年05月31日

未だに「子ども」表記を続けているナンチャッテ保守ども(笑)

 Twitterで自民党に鞍替えした細野豪志のツイートでの「子ども」表記が目に留まったので苦言してみるも効果なし。フォローするのを止めた。細野に限らず、無自覚左翼から抜けきれないナンチャッテ保守どもが余りにも多過ぎる。

 平成26年6月、文科省は国会での議論を経て、マスコミや左翼どもが常用してる「子ども」表記を、漢字表記の「子供」に統一する通達を出している。

 現代国語を書き表す場合の漢字使用の目安として用いられる「常用漢字表(内閣告示)」というのがある。これを基にした「新公用文用字用語例集(内閣総理大臣官房総務課監修)」には「子供」と表記する様に示されている。

 マスコミを中心に左翼勢力は確信的に「子ども」表記を続けているが、当時の下村博文文部科学大臣の下で通達を出しているにも拘らず、自民党議員までもが「子ども」表記を使ってることはマヌケとしか言い様がない。

「子ども」表記というのは「子供」の「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ「差別的な印象を与える」というのが理由。共産党は「子供」とは「大人の付属物や人身御供を意味する」と主張している。

 誰が子供を「お供え物」「人身御供」と連想するというのだろう。遜った「私ども」の様な接尾語の場合は「原則、仮名で書く」とされているが、「大人」に対する「子供」を意味する場合、漢字二字で表記するのが正しい。

「大人のお供(とも)」を表しているというが、その場合の漢字は「お供」ではなく「お伴」。仏壇の供物と同じく「子供とはお供え物」とは正にキチガイの不当な言いがかりであり、即ち子供への敬意が足らない証左でもある。

 悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、「野郎ども」「若造ども」などと言ったりするが、「ども」とは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆どだ。

 この場合の「ども」は漢字だと「共」だが、子供の「供」を「子ども」と表記することは、逆に言葉遊びで子供を弄んでいると捉えられても致し方ない。「子供」を使いたくないなら、平仮名で「こども」と書けば好いだけのこと(苦笑)

「子供」と同じく「婦人」というのも、アホンダラ左翼どもやジェンダーフリーの性的変質者どもらの企てによって公文書から消されてしまった漢字の一つ。

 これは、インチキ漢字研究者が、後漢時代の「説文解字」を紐解いて、「婦人」とは「箒を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに始まる。

 この自説に、前出の性的変質者どもとキチガイどもが飛び付いて「婦人は差別だ」と叫んで抹殺した。しかし、間もなくこの説は全く誤りだと判明する。

 甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、男女共同参画社会でのこうした言葉遊びや造語が改められることなく常用されている。

 また、男女共同参画社会の今では「看護婦」ではなく「看護師」と呼ぶ様になった。この「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」のツクリは、軍隊を派遣する時に食料である肉を分けることが原義だ。

 普段、「平和」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもらは「師」の意味も分からずに「看護婦」を「看護師」と呼び換えて満足してるが、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用しているとは夢にも思っていないだろうよ(苦笑)

「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼に拠る共同謀議的愚策であり、保守派であるべき自民党議員どもらが「子ども」に違和感を覚えることなくそれらに与し、率先して実践していることは滑稽極まりない。

「子ども」表記を使ってるのは共産党どもや左翼ども、単なる無自覚左翼のアホどもと見て間違いない。「子ども」表記を続けてるマスコミはつまり左翼勢力であり、疑うことなく使ってる野郎どもは余程のバカと見て好い(苦笑)

「子供」でも「子ども」でもどっちでも好いだろうと思う勿れ。こうした小さなミスにも気が付かないようでは議員になったところで碌な仕事は出来ないだろう。

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2020年05月26日

誹謗中傷や悪口・陰口というのは嫉妬の裏返し

 プロレス団体・スターダムに所属する人気女子プロレスラー・木村花が自殺した。SNSで浴びせられた誹謗中傷が理由だという。

 その誹謗中傷の内容はどういうものなのか知らないが、誹謗中傷や罵詈雑言なんてのはネットやSNSでは当たり前で、批判する側が本名ではなくハンドルネームならやりたい放題。気にするなと言ったところで気になるのが正直なところ。

 愚生も、2ちゃんねるや爆サイなんかでは、匿名の正体不明な連中にあれやこれやと悪口を言い触らされている。態態「書き込まれてますよ」と教える匿名の方もいるが、自分で書いておきながら親切ぶって知らせている節もある。

 書き込んでるのはいつものメンバー。中には元警察官らしきものと思われるネタや、一部しか知らない情報も書き込まれていたり。前はよく目を通していたが、悪口なんて気にならないと言ってもやはり気になるので閲覧を止めた(笑)

 往々にして悪口や陰口というのは嫉妬の裏返し。羨ましいとかヤキモチが悔しさとなり、誹謗中傷に奔る。逆を言えば実力を認めているということであり、だから正体不明の便所の落書きと同じ書き込みに一喜一憂する必要も無い。

 大勢の意見とは正論というより、単に平均的意見に過ぎない。そうした平均的意見に異を唱えたら酷い目に遭うのがネットの世界というものでもある。

 人というのは単純に「好きか嫌いか」のどちらかで判断するもの。反抗的且つ先入観に囚われる者に、滔々と説得を試みたところで受け容れられることはないし、相手側が矯正されることは殆どない。

 愚生の様な浅学な右翼浪人如きが、正論を訴えれば訴えるほど相手側は癪に障る。だから、理論とかではなく、人格などを攻撃しては悦に入る。

「預言者郷里(世)に容れられず」という言葉が、新約聖書・ルカ福音書四章に書かれている。「優れた人物というのは往々にして、故郷や世の中では受け容れられないことが多い」という喩え。評価するのは後世の人というのが常。

「受け容れられない」というよりも、「受け容れたくない」というのがホンネだろうか。身近な者が出世したり、自分よりも優れていればヤキモチを焼くのは人間の性というものでもある。「隣の家に蔵が建つと腹が立つ」とも言うし(笑)

 批判されたり、軽んじられてる意見こそが正論だったり事実だったりするもので、喩えるならキリストは愛を説いて十字架に架けられた。日蓮は道を説いて流罪に遭った。また政治家も偉いヤツほどテロで殺されている。

 古来、真理を説き、道理を訴えた者は世の中に受け容れられることはなく、その多くはバカかキチガイ扱いされた上に罰せられるか殺されている。逆をいえば、バカとかキチガイだとか変人だとか言われる様になればホンモノ。

「天動説」が当り前だった時代に、ガリレオ・ガリレイの「地球が太陽の周りを廻ってる」などとは考えられなかったのは当然といえば当然のこと。結果「地動説」を唱えたガリレオは、世を誑かす者だとして宗教裁判で弾劾された。

 当時は、天動説が大勢であり正論だった訳で、地球が回転しながら周回してるなどと誰も思うまい。世間からは気が狂ったと思われたに違いない。

 今も当たり前だとか、正論だとか、常識だと思っていることも、後の世には間違いや非常識だったとされる場合も無きにしも非ずということだ。

 正しいことというのは、いつの世も後になって気付くもので、そんな時代に懸命に正論を吠えたところで理解してくれないのは当然のことでもある。

 分かり易くいえば、何しろ世の中にはバカの方が多いのだから、どうしてもそういう結果になってしまうのは自明の理とも言えなくもない。

「万機公論に決すべし」というが、公論が正しい訳ではない。何故なら、国民の判断力は古今東西常に低く、実に幼稚で気紛れなものだからだ。

 特に政治とは、世論に迎合することなく国家観を重んじながら、時には国民目線とかけ離れた歴史観、人間観、世界観、高度な権謀術数を必要となる。

 今の世の中というのは「あの人は良い人だ」とか「アレは正しい」などというのも、古来に学べば大半は間違っていると思った方が好い。

 ネットと雖も、悪口を浴びせられたり、誹謗中傷の対象となったのは見方を変えれば実力が備わってきた証し。気に病む必要なし。堂々と我が道を行け!

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2020年05月24日

「イチゴが~」「日本の種苗が~」と騒いでる自称愛国者からバカ呼ばわり(笑)

「種苗法改正」に疑問を呈し、反対した連中をバカ呼ばわりし「イチゴが~」「日本の種苗が~」と騒いでる。愚生もそのバカの一人らしい(笑)

 何やら、自称愛国者の賛成派は「イチゴの苗をまた韓国に持ち去られてもいいのか」という意見が多くを占める。賛成することが愛国者だというのだ。

 確かに種苗法改正では「種苗の知的財産権」が強化され罰則規定を設ける。知的財産権が強化されると同時に、何故か農家の「自家増殖の権利」が制限される。

「自家増殖」とは農業者が、次期作付け用に収穫物の一部を種苗として生育させて使用する「自家採種」のことだが、自家採種してる農家は少ない。自家採種する農家を増やす施策を図るなら好いが、その権利をも制限するとはどういうことだ。

 海外への種苗の持ち出しを制限するらしいが、一方で、農水省は、農家の自家増殖の権利を制限するばかりか、自家採種を規制する為に「自家増殖禁止の品目」を増やしており、現在では387種まで急拡大しているという意味は何なのか。

「外国への種苗の持ち出し禁止」を強化するということをして「韓国へのイチゴが~」と騒いでるのだろうが、だとしたら安っぽい「反韓」だろう。外国人や外国資本の農業参入を許していながら「日本の種苗を守る」とは嗤うしかない。

 外資の農業参入を規制していない「農業競争力強化支援法」を成立させた我が国の農業は、イチゴ農家に限らず、サクランボやメロン、米や野菜など、日本の美味しい農作物が、外資に荒らされ丸ごと乗っ取られることだろう。

 種苗法改正法案見送りで、自称愛国者らは種苗法に異を唱えた連中をバカ呼ばわりしてる。「種苗法改正」を実現させるのは別に好いとしても、「種子法廃止」「農業競争力強化支援法」「残留農薬基準の大幅緩和」には反対したのか。

「種子法廃止法案」は「種苗法改正」どころの話ではない。種子法廃止法案は、別名「モンサント法案」とも言われていた。種子法廃止により、我が国は米国モンサント社に食料を依存することになってしまったと言っても過言ではない。

 現在の日米関係は良好だが、政治的な問題などが発覚した場合には「種子の売り控え」ということも考えられる。更には我が国が培った研究資料やデータが盗用され、特許取得となれば種子を容易に使用出来なくなることも考えられる。

「残留農薬基準の大幅緩和」は「農薬の残留基準」の改正案で、安倍が妄信する環太平洋連携協定(TPP)や自由貿易協定(FTA)の流れからの既定路線で、我が国の食品も外国の基準に合わせて残留農薬基準を大幅に緩和を謀った。

 安倍というのは保守ではない。単なる新自由主義経済の信奉者であり、そうした似非保守が発覚する気配になると、保守票を欲しさに「改憲を我が政権の内に」だとか「靖國神社参拝」を匂わせて、アホな保守層を煙に巻いてきた。

「種苗法改正」も同様で、いつもの保守派が安倍の目晦ましに踊らされてるのだろう。海外の企業や外資が「農業競争力強化支援法」成立で、外資が日本に参入出来るのだから危険を冒してイチゴの苗を持ち出すバカもおるまいに(苦笑)

「種苗法改正」では、日本からの種苗の持ち出しを禁止し罰則規定を設けてはいるが、インチキ種苗法なんぞより、外資の日本農業への参入を謀った「農業競争力強化支援法」を見直し、外資の日本農業への参入こそ規制することが先決だ。

「種子法廃止」が世界の種子市場を巨大種子企業に拠る寡占化が目的である。安倍の謀る農業改革はグローバリズムの一環であり、自称愛国者ら種苗法改正賛成派は、農業潰しを謀った安倍政権のガス抜きに利用されてるに過ぎない。

「農」とは、愛郷心や祖国愛に繋がるもので、それは正に国造りでもある。「農」をグローバリズムという営利主義で考えることがあってはならない。農業の危機とは、豊葦原の瑞穂の国という我が国柄の崩壊でもあるのだから。

 そう考えるとき、グローバリズムで農業政策を行っている安倍政権は国賊と断じる他は無い。農耕民族としての誇りを捨て去った安倍故に、天皇退位法案を実行し、元号制定権という天皇の大権を奪うことも厭わなかったのだろう。

「#検察庁改正法案に反対します」に続いて「#種苗法改正見送りに抗議します」がトレンド入り。保守派の評論家であり思想家でもある故西部邁が、世のブームを揶揄して「世論の反対が正論である」と訓えたが、蓋し正論である。

「日本の農業が~」「日本の種苗が~」「イチゴが~」と、「種苗法改正」に疑問を呈した連中をバカ呼ばわりしてるが、「種子法廃止法案」「農業競争力強化支援法」「残留農薬基準の大幅緩和」を看過しながら何を今さら(苦笑)

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2020年05月23日

雀士・黒川検事長の命運も尽きる(笑)

 東京高検の黒川弘務検事長が賭け麻雀で辞表提出。賭け麻雀なんぞ何処の世界でもやってるととだろう。以前、外務省の機密費問題が浮上した際、高級官僚へ麻雀で勝たせて小遣い稼ぎをさせていたということが発覚している。

 一人当たりの掛け金は数千円~二万円程との取り繕った金額は嗤うしかないが、愚生が知りたいと思うのは賭け麻雀をリークした出所で、噂されてる様な名古屋高検の林真琴検事長の周辺者なら、それはそれで問題の様な気もする。

 黒川本人は辞表提出で済むが、問題はこの後に閣議で了承され、陛下の裁可を頂く。こうしたくだらん問題に陛下の手を煩わせることに憤りを禁じ得ない。

 それにしても検事庁法改正問題で時に人となった黒川検事長も命運も尽きた。「月満つれば即ち虧(か)く」というが、盛衰の無常を思い知らされる。

 麻雀で思い出すのは色川武大こと阿佐田哲也。阿佐田の代表作は「麻雀放浪記」。色川から阿佐田に名前が替わったのは、徹夜で麻雀し朝を迎えたというのが謂れだという。「麻雀放浪記」は、黒川検事長も読んだに違いない。

 阿佐田はギャンブルから学んだ人生観を相撲の勝敗に喩え「9勝6敗を狙え。8勝7敗では寂しい。10勝を狙うと無理が出る」と教えた。「幸運が続き過ぎると危ない」「ツキの流れを読んでそれに従う」という考えを持っていた。

 黒川は阿佐田の「ツキの流れを読んでそれに従う」との人生観は学ばなかった様だ。勝負事の経験のある人は分かると思うが「ツキ」というのがある。このツキが勝負事では勝敗を左右する。ツキ出すと自分でも驚くくらい当たり出す。

 ツキとはそんなもので、別にツキというのは博打や勝負事だけのものではなく、人生に於いても当て嵌まる。黒川検事長はそのツキに見放された。大好きな麻雀で辞任するというのは、ギャンブラーの宿命とも言える(笑)

 ツイてる時には、そのツキを味方に付けて勝負することだ。逆にツイてない時は軽挙妄動を戒めて、じっと「その時」が来るまで待つことが大事である。「時が解決する」というのは別に失恋だけのことでもないのだ(笑)

 だが、そのツキの判断は難しい。折角ツキ始めたのにそのツキを逃してしまったり、ツイてもいないのに無理に事を構えて痛手を深くしてしまったり。

「時はカネなり」とか言ってるが、それはツイてる人の言葉であって、ツイてもいないのに焦って行動してはダメだ。人間誰でも好調、不調はある訳で、その処し方で成功、不成功が決まると言っても過言ではあるまい。

「得意冷然、失意泰然」とか「失意泰然、得意淡然」というが、こうした言葉はそういう大事な心構えを訓えている。「失意の時には泰然と構え焦らず、上手くいっている時は淡々と構え驕らないこと」という意味だ。

「時」という時間を味方に付け、じっくり考えて決断する。尤も、その決断するタイミングというのは己の経験からしか分からない。つまりは日々の修行や成否はどうあれ経験を積むことが大事であるということだ。

 人間というのは往往にして成功から学ぶことは無い。失敗を経験し、そこから学んだ者の知恵が傾聴に値するのは、失敗することで「反省」し、そこから「思索」し、生きた学問を学んでいるからこそ面白くて参考にもなる。

 失敗を経験した数が「場数」であり、愚生は「バカ数」と言っている。つまりは「失敗」というバカな経験を積み重ねることによって、男の重みが変わって来るのものだと思っている。だから、失敗や苦い経験こそが貴重なのだ。

 我が母校・国士舘の徳目である「読書」「体験」「反省」「思索」とは、創立者・柴田徳次郎先生の自らの経験や失敗が活かされた教えであり、それは国士舘の大理想でもあるが、人間としての根本原理でもある。

 黒川検事長の辞任から話が逸れたが、男たるものこじんまりすること勿れ。決して都合の好い、当たり障りのない無難な男になるべからず。呵呵大笑。

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2020年05月21日

「種苗法改正」は売国法案の「種子法廃止」と「農業競争力強化支援法」とは違うらしいが

「検察庁法改正法案」に反対する声は聞こえるが、それより「種苗法改正法案」が興味深い。二年前、我が国の「食糧管理制度(食管法)」を支えている法律の一つであった「種子法(主要農作物種子法)」が廃止されたのは記憶に新しい。

 種子法は、農家に優良な種子を提供する為に制定された法律で、品種改良や種子の提供に関して、政府や都道府県が責任を持つことを定めている。

 米、麦、大豆など主要農産物の品種改良を国や都道府県の公的研究が行い、良質で安価な種子を農家に安定的に供給してきた法制度である。

 戦後、我が国は食管法の下、主食である米や麦などの主要農作物については、政府が市場をコントロールしてきた。その食管法が平成7年に廃止され「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律(食糧法)」に引き継がれた。

 だが、政府はグローバリズムという経済至上主義から農業の要でもある種子法廃止を謀った。廃止する理由として、米の減反(生産調整)制度が今後無くなる見通しであることから、品種開発の分野についても民間開放するとしている。

 この「民間開放」というのは詭弁そのものであり、その実は「外資(外国)」参入を目的としたもので、国家の柱でもある農業を経済論で語るとは新自由主義を妄信し、食糧安保という意識に欠落している安倍の為せる業でもある。

 更に政府は、種子法廃止法案の追加措置として「農業競争力強化支援法」「残留農薬基準の大幅緩和」というトンデモ法案を通したことも忘れてはならない。

 種子法廃止に続くこれらの売国法案は、驚くことに外資等の規制はしておらず、外国の企業が我が国の農業に容易に参画することが可能となった。

 つまり、公的研究機関や各県や自治体に在るハイテクプラザなどで培った研究資料やデータが外国資本に無償で提供され、それを盗用され、一部を変更することで特許取得となれば今迄の様には使用出来なくなるという危険を伴う。

 種子法廃止法案は、別名「モンサント法案」とも言われていた。モンサント社は、ベトナム戦争で悪名高い枯葉剤「エージェント・オレンジ」を開発し、ダイオキシンを撒き散らした世界最大のバイオ化学会社である。

 種子法廃止により、我が国は米国モンサントに食料を依存することになると言っても過言ではない。つまり、政治的な問題などで、種子の売り控えということになれば我が国の農業そのものが崩壊するという危険を孕んでいる。

「残留農薬基準の大幅緩和」は「農薬の残留基準」の改正案で、安倍が妄信する環太平洋連携協定(TPP)や自由貿易協定(FTA)の流れからの既定路線で、我が国の食品も外国の基準に合わせて残留農薬基準を大幅に緩和を謀った。

 安全安心と言われた我が国の農作物が「種子法」の廃止と「農業競争力強化支援法」の成立で危機に瀕し、「残留農薬基準の大幅緩和」に因って外国産と変わらない怪しげで危険な農産物が氾濫するだろうこと火を見るよりも明らか。

 そして「種苗法」にも手を付ける。種苗法の前身は「農産種苗法」で、品種の育成の振興と種苗の流通の適正化し、農業の発展を目指す為のものだった。

 我が国が「植物の新品種の保護に関する国際条約(UPOV)」に加入することとなり、農産種苗法を全面改正して「種苗法」が作られた。

 種苗法も「国際的流れ」というカタチで改正される。「種子法廃止」が世界の種子市場を巨大種子企業に拠る寡占化が目的であったのと同じく、安倍の謀るグローバリズムの一環である。抑々「国際基準」「国際的流れ」とは何なのだ。

 安全安心と言われた我が国の農作物が、「種子法廃止」「農業競争力強化支援法」「残留農薬基準の大幅緩和」で日本の農業は単なる営利主義の残骸となる。農業の危機とは、豊葦原の瑞穂の国という我が国柄の崩壊でもあるのだ。

 農耕民族としての自覚を喪失している保守派や自称・愛国者らは、尖閣諸島を脅かす中共軍の違法行為は声高に叫ぶが、農業崩壊=日本の危機という認識はなく、「農業を以て立国の基本とする」という考えは持ち合わせてはいない。

 野党を見れば「検察庁法改正法案反対」で国民を誑かし扇動を謀り、アホな国民が連なる。きゃりーぱみゅぱみゅらアホタレってのは、流行に流され易い日本人らしいが、本来「流行」とは「病気」の意味だということを思い知る(苦笑)

 こんな問題より、種苗法改正に警鐘を鳴らした女優の柴咲コウは一目に値する。賛成派は、種苗法が改正されないと「国産イチゴが韓国に無断で持ち出されても規制できない」と説明するが、果たしてそうなのだろうか。

 種苗法改正で「種苗の知的財産権」が強化されるが農民の「自家増殖の権利」が制限される。「自家増殖」とは、農業者が次期作付け用に収穫物の一部を種苗として生育させ使用する「自家採種」のこと。だが、自家採種してる農家は少ない。

 農水省が定める「自家増殖禁止の品目」は現在387種まで急拡大している。更に登録品種が全くない野菜や果樹など対象品種は殖える一方。イチゴは韓国の盗用が問題となり登録対象に含まれてないが解除されるのは時間の問題だろう。

 改正概要には「当該種苗等を育成者の意図しない国へ輸出する行為や意図しない地域で栽培する行為について育成者権を及ぼせるよう特例を設ける」として「育成者権の侵害罪」を設けて罰則を強化する。だが所詮は「特例」に過ぎない。

「種苗の知的財産権」を強化し罰則規定を設けたところで、海外に自家採種した種苗を持ち出すリスクを考えれば、日本国内で農業に参入すれば済むことだ。

 農林水産省は「自家増殖原則禁止が国際標準であり日本は他国に比べて取り組みが遅れており、今後は品目リストを増やし、これまでの対象であった栄養繁殖の植物だけでなく種子繁殖の植物も対象にしていく」と答えている。

 政府は種苗法改正の理由を「農業者の皆様に優良な品種を持続的に利用して貰う」という。つまり、優良な品種であれば外国産でもOKということだ。イチゴにしても種苗等を育成者が同意すれば韓国へ輸出することも可能と解釈出来る。

 種子法廃止を実行し「農業競争力強化支援法」で外資の参入を謀りながら、イチゴの保護という一例を出して正当化してることに違和感を覚える。

 政府は国家公務員法改正に続き種苗法改正を見送った。改正を陳情した農協青年部らが抗議の声を挙げている様だが、彼らが種子法廃止や外資の農業参入に反対の声を挙げたことがあったのだろうか。種苗法改正法案も実に胡散臭い。

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「アビガンは日本人には有効性が無い」と言わんばかりの専門家の意見

「アビガン有効性示せず」との記事が地元紙一面に躍る。アビガンを新型コロナウイルス治療薬として否定してる自称専門家らは「催奇形性の問題」の理由を挙げて「安全性に問題あり」との見解を示しているが、違和感を覚える。

 アビガンの認証に否定的なのは、開発者の富士フィルムが「製薬会社ではないから」との理由が厚労省内に横溢しているとも聞く。そこに胡散臭げな自称専門家が登場して世論を誑かす。ここに来てまで既得権益を失いたくない。

 新型コロナウイルスに罹患し、重篤な状況から生還した芸能人や著名人らが口を揃えてアビガンの有効性や特効性を訴えていたのは何だったのか。

 アビガンの有効成分「ファビピラビル」に関するライセンス契約を富士フイルムと2016年に結んだ中共の製薬大手・浙江海正薬業が後発医薬品を増産し効果を発揮してるというのに、日本人には「有効性が無い」とはどういうことか。

 ワクチンとは、ウイルスの生体から作られ、弱毒化・無毒化された抗原のこと。抗原を体の中に入れることにより、ウイルスをやっつける抗体が出来る。その抗体によってウイルスから守られるのだが、アビガンはワクチンではなく治療薬。

 ウイルスに勘違いを起こさせて、取り込ませることによって、ウイルスの増幅を止めてしまう化学物質であり、効果的なワクチンが開発されるまでの治療薬としてアビガンを喫緊に使用することに何を躊躇する必要があるというのか。

 専門家らは「安全性」「副作用」という尤もらしい理由を吐けて反対してるが、多くの国民がアビガンに抱くイメージは新型コロナウイルスへの不安解消や罹った際の安心感であり、批判的意見は国民の期待に水を差すものでしかない。

 マスコミも国家的危機意識に乏しい専門家や有識者に迎合し、胡散臭げなコメンテーターを出演させてはそれらしい意見を述べさせる。一見、正論らしく公正に見せかけてはいるが私感に満ちた偏向報道というのが正しい。

 要は、アビガンの副作用が多く見られた場合の責任問題を考えて反対してるとも言えるが、若し、厚生省と製薬会社の加担だとしたら怪しからんことだ。

 アビガンで急場を凌ぎ、新型コロナウイルスに効くワクチンの開発に成功すれば国益にも繋がる。それは畢竟、日本経済及び人類を救うものとなるだろう。

 新型コロナウイルス感染者数は世界で473万4000人を超え、死者は31万7000人。ワクチンが開発されない限り惨禍の終息は見込めない。

 何故にこれ程までに感染が世界中に広がってしまったのか。やはりこうした要因は発生源でもある中華人民共和国の共産主義に由る隠蔽体質と習近平の歪な権力志向。それに追随したWHOの対応の拙さに尽きる。

 先日行われたWHOの新型コロナウイルスの総会での台湾の参加拒否に見るまでもなく、WHOは公正中立な機関ではなく中共の下部組織に成り下がった。

 日本はWHOに台湾への参加を促したというが、取り繕った日台関係ではなく、昭和47(1972)年に田中角栄が行った日中国交条約締結の際の日華国交条約破棄を台湾に詫び、台湾を正式に国家と認めることが先決だろう。

 昭和47(1972)年9月29日、田中角栄は「日中共同声明」の調印の際に「中国共産党を唯一の政府」と認め、国際法規である「日華国交条約」を一方的に破棄するに至った。中華民国は直ちに我が国との国交を断絶する。

 我が国が台湾を国家として認めていないのは田中の国際条約の蹂躙が原因である。主権国家として実に恥ずべきことであり、道義国家として断じて赦されるものではない。況してや国際条約の蹂躙は日本国憲法98条違反でもある。

 国連にしても、何故か第二次世界大戦の参加国でもない中華人民共和国が戦勝国を気取り、常任理事国として大手を振っているが、これは田中角栄の認識と同じで国共戦に勝利した中国共産党の戦略にまんまと嵌ったからだ。

 トランプ大統領はチャイナウイルスの発症原因とその責任を中共に求めている。更にはWHOの改革を訴え脱退をも示唆しているが、国連に於いても台湾を正式な国家として自由主義国の一員として迎え入れるべきだろう。

 コロナ禍が落ち着いたら、米中の対立と新たな冷戦時代として世界の枠組みが変わるのは必至。然し乍ら、思い起こせば、アジアの動乱の原因はいつも時代も米国と共産主義だったことは歴史が証明するところ。日本外交の岐路でもある。

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2020年05月17日

「三権分立(立法・行政・司法)が侵される」という声

「#検察庁法改正法案に抗議します」がトレンド入り。「我こそは正義のツイート」とばかりにアホタレどもを筆頭にこの話題を垂れ流し国民が追随。

 コロナ禍もあり、この世論の雰囲気の中で強行するのは拙いとばかりに審議延長を決めた。この政府の決断は反対派にとってはしてやったりだろう(苦笑)

「特措法を含め新型コロナウィルスに関する質疑を優先すべきではないか」というのは理解出来る。ならば「種苗法改正」はどうなのだ。「国家公務員法改正案」の名称を摩り替え、この法案のみに固執するのは党利党略でしかない。

 反対派の理由に「三権分立(立法・行政・司法)が侵される」という声が多く聞こえてくる。だが、三権分立の何が脅かされるというのだろう。

 恐らくは「検事というのは司法組織の存在だから、検事の定年延長を行政組織である内閣で決めるのは怪しからん」と考えているのだろう。

 だが、検察は裁判所の様な司法機関ではない。検察庁は行政府に属し、検察権は行政権の一つであり、検事は国家公務員である。

 人生100年時代を見据え、民間企業が定年延長を進める中で、国家公務員の定年も延長すべきというのがこの法案の趣旨。ただ、定年延長が民間企業とは違い、定年前の給与額の儘で成されるということが赦されるのか。

 森まさ子法務大臣の答弁などが混乱を生んだことは否めないが、国家公務員の定年延長を安倍政権打倒に利用する野党も野党だ。こんな定年問題より、行政権の一つに過ぎない検察の巨大な権限こそ議論すべきではなかろうか。

 我が国の刑事裁判は、99.9%の有罪率を誇るものとして「精密司法」とも呼ばれる。起訴されれば極端な話、冤罪だと否認しても刑罰が処せられる。裁判では時間と費用が嵩む為に上訴してまで争うのを諦めてしまう人は少なくない。

 国家公務員の定年延長という末の話よりも、こうした検事に与えられている巨大で歪な刑事訴追をする権限に疑義を呈し是正するべきではあるまいか。

「検察庁法改正法案」ってのは正式には「国家公務員法改正案」。左翼というのは安倍政権が提出する法案を都合好く名称変更し糾弾するのは常套手段。

 例えばテロ等準備罪を新設に当たって「組織犯罪処罰法改正案」が議論されると、左翼勢力は法案の名称を「共謀罪」などとして反対した。「安保関連法案」の時も「戦争法案」だとして国民を扇動したっけなぁ(苦笑)

「#検察庁法改正法案に抗議します」がトレンド入りしたのは、左翼陣営の組織的なツイートに、きゃりーぱみゅぱみゅなどのタレントが便乗したのが要因。

 芸能界には保守的な芸能人も多くいるが、逆に共産党シンパや無自覚左翼も少なくない。というか、左翼に感化されてるアホタレが目立つ。

 タレントとは「一芸に優れている人」という意味だが、やはり天は二物を与えないらしく、安っぽい幼稚な正義感からの政治的言動は嗤うしかない。

「芸能人(タレント)だからと批判するのは差別だ」と言うが、芸能人の「言葉」は社会的影響が大きいだけに、安易な政治的発言は慎んで欲しいものだ。

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2020年05月16日

「平和」の反対が「戦争」ではない。「平和」の反対は「混乱」である。

 5月15日は「沖縄本土復帰記念日」。沖縄では未だに「日本は沖縄を見捨てた」「日本は沖縄を捨石にした」などとの声を耳にする。だが、沖縄と祖国日本を救う為に、尊い命を捧げてくれた若者がいたことを決して忘れてはならない。

 先の大戦での「沖縄戦」に於いては特攻隊を始め、特殊潜航艇、回天魚雷、空挺特攻、対戦車特攻、震洋特攻艇、陸軍海上特攻など、劣勢を覆す為の特攻攻撃が行われた。特攻戦死者の実に76%が沖縄戦で亡くなっている。

 鹿屋基地(海軍航空)から沖縄へ飛び立った特攻に因り1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1036名が散華している。

 沖縄本土復帰を喜ぶのはいい。だが、反米・反基地ばかりが問題視され、散華された英霊に対する感謝の声が全く聞こえて来ないのは悲しいことだ。

 沖縄では「米軍基地反対」さえ叫んでいれば平和が訪れると思っている県民も少なくないが、米軍の撤退はイコール中共からの併呑を意味する。

 米軍を否定するなら自衛隊による自主防衛を訴えるべきだが、沖縄左翼は、摩訶不思議なことに自主防衛を語ることもない。これこそが何を況や。

 政治家も「平和を守る」というスローガンを掲げて有権者に訴える。だが、軽々しく「平和」を口にはするが、どうやって我が国の平和を創造するかという具体策は言わない。正に政治家こそが無防備の害となっている。

 三島由紀夫は「戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス(無防備の害)だ」と訓えたが、軽々しく「平和」を訴えている政治家こそが政治や外交を危ぶみ、戦争を誘発する最大要因となる。

 憲法を守り、米軍に反対し、自衛隊が無くなれば当たり前に平和が存在するのだと疑って止まないが、平和を守るには自衛隊の存在なくして語れない。

 我が国では「自国の防衛を否定する現憲法には問題がある」と言った途端に反発を食らうが、正に思考停止、無防備の害そのもの。

「オストリッチ・ファッション」という言葉を知ってるだろうか。欧米諸国は日本を「オストリッチ・ファッション」と嘲う。オストリッチとはダチョウのこと。

 ダチョウというのは自分に危機が迫ると穴に首を突っ込み、危機を見ないことにして危機から逃れたつもりになるのだという。

「軍事」「戦争」「憲法改正」と言った途端に思考停止に陥る日本人を揶揄した言葉だが、正しく「オストリッチ・ファッション」とは言い得て妙(笑)

「平和」とは創り出すものだが、アホ野党にとって「平和」とは、党勢拡大の為に使う便利な言葉であり、左翼勢力にとって「平和」とは、無知で幼稚な平和主義を信じて疑わない人々を騙す革命謀略の為の最大の武器でもある。

「平和」の反対が「戦争」ではない。戦争は政治や外交の延長線上にあるもので、国際法上認められた正当な行為である。

「平和」の反対は「混乱」である。「平和は当たり前」にあるものだと思っているが、「当たり前」の反対は「有り難い」であり、平和は当たり前に存在していることではなく、稀に存在する「有り難い」ことなのだ。

「平和」という偶然に「有り難い」ことと感謝することは当たり前のことだが、沖縄左翼に足りないのは、沖縄の平和に貢献してる米軍を「当たり前」の存在として敵視している。

「平和」を口にしてる連中というのは、この「平和で有ることが難い」ことであるいう自覚が無く、平和は「当たり前」に存在することなのだと勘違いしている故に米軍や自衛隊に感謝することもない。

 我が国の「平和」というものは、単に日米安保条約や米国の核の傘の下でのまやかしの平和であり、戦後、戦争に因る混乱が無かったのも冷戦時代の米ソやNATOとワルシャワ条約機構のパワーオブバランスに因る単なる偶然に過ぎない。

 我が国の平和が米国の庇護の下での存在であることに気付きながら、米軍に感謝するどころか批判し否定する。そんな薄っぺらな平和主義が沖縄左翼の平和運動であり、反米闘争というのはつまり中共に与する革命運動である。

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2020年05月14日

食べ物を大事にしないということは命を大事にしていないこと同じ

「食べ物を大事にしないということは、命を大事にしていないこと同じだ」との某ベテラン女性料理家の言葉を思い出す。「食を軽んじるということは、命を軽んじることに繋がる」というのは、蓋し正論だろう。

 安倍総理を筆頭に箸をまともに握れないのも、鯔のつまり食というものを軽んじ、腹に押し込めば好いくらいにしか考えていないからだろう。「食」を軽んじてるが故に「種子法廃止」や「残留農薬基準の大幅緩和」などに奔る。

 愚生は食べるのも料理も好きで、和洋中ジャンルは問わず色々作る。自己流だが料理を作ってるとストレス解消にもなるし、コンビニやファミリーレストランとかの化学調味料だらけの食べ物よりは美味しいし健康的だと思っている。

 レトルト食品やインスタントラーメンでも、チョッとでも美味しく食べようと工夫してみることは脳の活性化にも好いし何より美味しい。失敗することも多いが、その失敗が次に繋がる、要は料理は人生と同じで失敗から学ぶ。

「美味しい」と感じる味覚は、やはり美味しい料理を知らなけりゃ分かることもない。それには食べ歩きをしなきゃ味覚のセンスは磨かれまい。

 毎日、安い外食をするなら、自宅でおにぎりや弁当を作れば昼飯代は浮く。それが500円なら5日で3000円、20日で10000円になる。それだあれば寿司にしろステーキにしろそこそこ贅沢な昼飯を食べられるだろう。

 そうやって節約しながら自分に投資して、自分を高めに置こうとする努力は若い頃には必要で、若い頃の投資が、後々の人生に生かされるのだ。

 貯金なんぞ30~40歳から考えれば好い。つ~か、愚生の場合、長生きするとも思ってもいなかったし、貯蓄するという考えが無かったのが失敗(笑)

 始めて会う人の嗜好というのは、その人が行く馴染みの料理屋で分かるし、食事の作法でその人が育った環境や人となりが窺い知ることが出来る。

 別に安くても美味しい焼鳥屋や酒場とかは在るもので、それを初対面でいきなり大手居酒屋チェーンなんかに連れてかれたら興醒めだし、そんな大人と付き合っても意味はない。男子たるもの贔屓の店の2.3軒は無くてはならない。

 行きつけの寿司屋とまでは言わないが、行きつけのバーや好きなジンの銘柄くらい知ってて損はない。因みに愚生の好きなジンは「ゴードン(Gordon's)」。

 一見の店に行ったところで、上っ面だけでその人の人となりなんぞ分かるまい。女性がその男性を知りたいなら、馴染みの店に連れてって貰うのが好い。

 常連さんであるその男性に対する店側の対応や、その男性の嗜好や振舞いを観察すれば大概のことは知ることが出来るだろう。男女の仲は価値観が似ているというのが好いが、食の好みが合うというのが一番。

「性の不一致」というが、性の相性なんぞより食べ物の嗜好や物事に対する価値観が大事で、SEXしてるうちは本物の夫婦愛ではない。「仕事とSEXは家庭に持ち込むな」が愚生の信条でもある(笑)

「これが最後の食事だと思って食べろ」とは池波正太郎。やはり「食」は人の出会いと同じ一期一会であり、真剣勝負であらねばならないと思っている。

 今年で還暦になる。愚生の人生も終盤に差しかかった。これからの残りの人生でどれだけの「食」と「人」に出会うか知らないが、何事も「これが最後かも」との人生観を以て清々しく生きて行きたいものである。

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2020年05月09日

百田尚樹の靖國神社の会報への投稿を読んでの雑感

 今月の靖國神社の会報「靖國」に百田尚樹が投稿してたので読んでみた。「靖國神社は国民の神社である」というタイトルで、流石に作家らしく読み易い文章だが、中身は今どきの保守派や自称・愛国者が喜びそうな内容。

 百田は、中曽根康弘の靖國神社への参拝を批判した朝日新聞の責任を問うてるが、それよりも問題は中曽根の昭和60年8日15日の参拝だろう。歴代続いた例大祭への参拝ではなく、中曽根は敢えて8月15日に公式参拝した。

 百田は「終戦記念日」との名称を使ってるが、8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であり終戦記念日ではない。終戦記念日とはGHQの洗脳である。

 当時の松平宮司は、中曽根のこの日の参拝を「手水もせず、御祓いも受けず、玉串奉奠もせず、ニ礼ニ拍手一礼もしない、黙祷だけという、神道否定、神社冒涜の異様な光景だった」と断じ「人の家に泥靴で踏み込む様な人」回想している。

「遺族を参道に並ばせ、非常に芝居がかった演出、驚いたのはその横に4人のボディガードを連れて行動したんですね。うちの神様方というのは皆手足四散して戦場で亡くなられた方が大部分です。そこへ参拝するのに自分のみ安全を謀るSPを伴うというのは無礼、非礼の極みという他ありません」とも語っている。

 8月15日に靖國神社に初めて参拝したのは三木武夫であり、その後、中曽根康弘が続いた。8月15日の靖國参拝を利用したのが小泉純一郎。安倍晋三も終戦記念日に参拝出来なかったことを後悔してるが、何れも国賊ばかり。

 一昨年の靖國会報に、保守派の重鎮でもある小堀佳一郎が「終戦の詔勅奉戴日に寄せて」というタイトルで陛下の御親拝を切望し、「終戦の詔勅奉戴日こそが御親拝に最も相応しい日である」との論文を寄稿したのは記憶に新しい。

 大東亜戦争終結に関する詔勅の渙発は二日前の13日であり、内閣が署名し公布したのが翌14日。そして15日は録音による「玉音放送」が流された日だ。

 国民の多くは玉音放送があった8月15日を「終戦記念日」と称し、保守派や右翼、軍事マニアらが靖國に参集しパフォーマンスを繰り広げる。そうした風潮に便乗するかの様な「終戦記念日に御親拝を」というのには違和感しかない。

 小堀や百田らは、昨今の保守ブームの火付け役といって好いだろう。自称・愛国者らにはこうした勇ましい論文はウケが好いのだろうが、近年の8月15日の動向に眉を顰めてる国民は少なくなく、正しく靖國の贔屓の引き倒し。

 こうした論説は、なんちゃって保守や自称・愛国者を喜ばせるが、一方で世論を撹乱させる。「生前退位」が実行され様とした際も、結局退位阻止出来なかったのは、保守派の中途半端な認識と論説が反天皇勢力に付け入られた。

 靖國神社は、明治2年、明治天皇の思し召しにより創建された。その合祀対象は、尊王攘夷派公家の中心的存在であった三条実美が関わり、祭文には「皇軍に役立ちして賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩」と明示している。

 この祭文の原則がある限り、会津藩や我が二本松藩、西郷軍関係者などが本殿に祀られることはなく、未来永劫 「賊軍」の汚名が灌がれることはない。

 靖國神社は百田が言う様な「日本の為に戦って命を落とした人々が祀られている」という認識は根本的に間違っている。「天皇の為に」というのが正しく、京都守護職として奉公した会津藩が賊軍というのは不条理そのもの。

 抑々、三条実美は、会津・薩摩を中心とする公武合体派の改革に由り「七卿落ち」となった一人であり、維新後は明治新政府に重用されるが、靖國神社とは明治天皇の思し召しとは程遠い、長州の遺恨で創られた社でもある。

 靖國神社が戦没者の顕彰を重んじる神社であるなら、賊軍とされた方々を「鎮霊社」という別なカタチで祀ることと本殿に祀ることとでは、どちらが時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのか。

 死者の選別を続けることは日本人の死生観にもそぐわないし、創建の趣旨でもある「顕彰」からも逸脱している。所謂「A級分祀論」も然り。

 百田は大東亜戦争での逸話を語って靖國神社の正統性を語っているが、最近の靖國神社は幕末から明治維新という大業と開国に当たっての犠牲ということが忘れ去られ、大東亜戦争を殊更に正当化する主張が目立つ。

 靖國神社側が、8月15日の保守派やインチキ愛国者らの集団参拝に苦言を呈することなく受け容れてる姿は、陛下の御親拝が遠退くばかりか、神社庁との主導権争いから宗教法人となった明治神宮と同じく営利主義にしか感じない。

 官軍である長州閥の下で創られた靖國神社の在り方を見直す時期に来ていると思う。先ずは鎮霊社という死者の選別を止め、与野党有志で「靖國法案」を提出し宗教法人格を外し、「国民の神社」として国家護持を実現させよ。

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2020年05月05日

五月五日は「男子の健やかな成長を願う」端午の節句

 今日は「こどもの日」。古くは「端午の節句」として、菖蒲や蓬を軒に挿して邪気を払う習わしがあったが、江戸時代以降は男子の節句とされ、武家で甲冑や幟を飾ったことに倣い、町人も武者人形や鯉幟を立て祝う様になった。

「男子の健やかな成長を願う」ということに、いつもの性的変質者の左翼オバハンらが「女の子への差別」だと反発し今日に至っている。

 五月五日は別名「あやめの節句」や「菖蒲の節句」、五が重なる「重五(ちょうご)」「端陽(たんよう)」と縁起の良い日とされている。

「こどもの日」の趣旨とは「未来を担う子供の人格を重んじ、幸福を図ると共に、子供は自分を生み育ててくれた親に感謝する日」である。

 制定された当時は「親」ではなく「生んでくれた母に感謝する日」だったが、この「母」にも前出のオバハンらが騒ぎ立て「親」となった。

 男女共同参画社会とはこうした言葉遊びで男女の差別を無くそうというマヌケな謀に過ぎない。「子供」も今では「子ども」表記が氾濫している。

 文科省は平成26年6月、国会での議論を経て、左翼やマスコミが使用する「子ども」との表記を「子供」に統一する通達を出した。だが、今でも改められることなく、通達を出した与党の自民党議員までも「子ども」を使用している(苦笑)

 日本共産党やマスコミらが「子供」や「こども」ではなく、敢えて「子ども」表記を使うのは「子供」の「供」という字が、「お供え物」「お供する」などを連想させ、「差別的な印象を与える」というのがその最たる理由である。

 ならば「子ども」ではなく、平仮名の「こども」で好いではないかと思うが、何故か文科省通達を無視して「子ども」表記に固執する。

 悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、「野郎ども」「若造ども」などと言ったりするが、「ども」とは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆ど。

 この場合の「ども」は漢字だと「共」だが、子供の「供」を「子ども」と表記することは、逆に言葉遊びで子供を弄んでいると捉えられても致し方ない。

 こうしたギャグの様なマヌケなことを真顔で実行し、それを疑いもせずに真似てる自民党や自称保守派というのもまた嗤うしかない。

「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼陣営による共同謀議的大愚策なのだが、これを自民党政権下で実行し、今や保守を標榜する安倍政権下でも担当大臣が存在しているのだから呆れ甚し。

 こうしたキモ~イ屁理屈を並べ立てて騒いだのは、全共闘世代や共産党といったいつものキチガイ左翼やジェンダーフリーの変質者共だが、そうした輩らが総理府など政府中枢に入り込んでいたことに驚くしかない。

「子供」と同じ様に「婦人」という言葉も、こうしたキチガイ活動家らの企てによって公文書から消されてしまった漢字の一つである。

 これは漢字研究者の諸橋轍次が、後漢の時代の「説文解字」を紐解いて「婦人とは箒(ほうき)を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに、前出のキチガイ共が飛び付いて「女性差別」だと叫んで「婦人」を抹殺した。

「婦人警官」が「女性警察官」となり、「看護婦」が「看護師」、「女優」が男女に関係なく「俳優」と呼ばれる様になったのもこうした影響だ。

 その後、諸橋の説は全くのウソだとバレた。甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明するも、奴らはその間違いを認めることなく使い続けている。

「看護師」の「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」の旁(つくり)は、軍隊で肉(食料)を分けることが原義だという。

 普段「平和」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼らがその意味も分からず、「看護婦」を「看護師」と呼び換えて満足し、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用していることは実にマヌケで滑稽でもある。呵呵大笑。

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2020年05月03日

「憲法記念日」より「新憲法の制定を祈念する日」が相応しい

 本日は祝日法に由れば「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日」。何故か現憲法を頂戴した有難い日となっている。「憲法記念日」との名称は「終戦記念日」と同じく、GHQに因る戦後民主主義教育の洗脳である。

「国の成長を期する日」であるならば、国の成長を阻害する元凶でもある現憲法を時代に合わせて見直すことは当然であり、ならば、「憲法記念日」より「新憲法の制定を祈念する日」という名称こそが相応しい。

 護憲派は幼稚な平和主義を掲げて「九条」を死守しようと叫び、営業保守派や自称・愛国者らは「九条」は領土主権を守る上でも早々に改正すべきであると主張する。どちらの勢力も「九条」こそが重要だと認識している。

 右派の謀る「取り敢えず九条の改正」にしても「九条の会」を始めとした護憲派にしても、第九条が本丸と思っている点では同じ穴の狢というのが正しい。

 現憲法は最早、国の最高法規として機能しておらず、矛盾だらけのクソ憲法と化している。矛盾の最たるものが第九条だが、自衛隊の合法化を理由に右派が改正を訴え、誤憲派は軍事の放棄から「平和憲法」と信じて疑わない。

 現憲法前文では「平和を愛する諸国民の信義と公正」を重んじている。つまりは悪いことをする者(犯罪者)はいないという前提で憲法が制定されている。

 この前文を遵守すれば犯罪者が出ることもなく、拠って警察も必要ないのだが、現実には協力な警察組織によって治安や公共の福祉が守られている。

 憲法とは「法律」ではなく、国家の理想を留めた「法」である。法律では無い故に違反したとしても罰則規定はない。憲法に書かれてあるのは国家の国民の理想であり、それを基に現実に法整備を整えて対処するのが政治である。

 然らばこの国家の基本法が間違いだったり、時代遅れであるならば政治も混迷を深めるのは言わずもがなだろう。現在の政治の混迷の元凶は現憲法に在る。

 最早、現憲法は改正などというレベルで済む状況ではない。早急に破棄し、自主憲法を制定する以外に無いが、新憲法は国家の宝とも言うべき大日本帝国憲法(欽定憲法)を復元し、時代を鑑み改正するのが最良である。

 因みに、大日本帝国憲法を「悪の権化」であるとか「太平洋(大東亜)戦争勃発の要因」と考えてる人の多くが条文を読んでいない人達ばかり。大日本帝国憲法こそ日本人(先人)の智慧と叡智が詰まった正統な国法である。

 憲法の改正条項にしても国民の半数の賛成などという複雑なものではなく「国会議員の3分の2以上の出席、且つ3分の2以上の賛成で成立する」と明記されている。実に分かり易く、態態「国民投票法案」を成立させてまでやる必要はない。 

 改憲の理由は様々だが、保守派や自称・愛国者らに現憲法否定の理由には「米国から押し付けられた憲法だから」という声が少なくない。だが、米国から押し付けられたものは別に日本国憲法だけではあるまい。

 戦後民主主義にしろ、営利至上主義の新自由主義の経済理論にしろ、戦後の平和や繁栄にしろ、或いはファッションや食べ物、価値観に至るまで米国製だ。

 労働三法や教育委員会なども米国製だ。「押しつけ」がダメなら米国製の憲法は当然ながら我が国に蔓延る米国人の価値観なども全てを否定すべきであろう。

 我が国の重苦しい閉塞感や欠落している国家の大本を取り戻し、隘路を切り開くには現憲法を見直す以外には手は無いが、憲法改正では間に合わない。

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