2019年11月

2019年11月15日

「大嘗祭反対」「税金返せ」とシュプレヒコールを上げるキチガイども

 日没後、篝火と灯籠の薄明かりが灯される中で、陛下は廻立殿で身を清め、御祭服に着替え、悠紀殿へと向かう。宮内庁官長の先導で、侍従らが敷く葉薦の上を静々と進まれる陛下の頭上には、菅蓋が差し掛けられていた。

 弥弥、陛下が悠紀殿の中へ進まれると帳が閉じられる。中を窺い知ることは事は出来ないが、奈良・吉野に古くから伝わる歌「国栖(くず)の古風(いにしえぶり)」の後、悠紀地方の栃木の風俗歌が楽師らにより奏でられたという。

 大嘗祭に我が国の悠久の歴史を感じ、随神の道こそが日本人の教えであることを痛感する。それを示し導いてくれる存在こそが天皇である。

 神様とは何か、神道とは何か、元号とは何か。神道の祭祀を斎行する天皇とは何か。現神(あきつかみ)としての天皇の存在とは何か。現代に於いては、天皇の存在や祭祀は如何に重要かということを教わることはない。

 神社というのは近所に当り前に在って、祭りも愉しもうというだけで神への感謝はない。天皇の存在も同じで当たり前に在るものと考えている。

 神道とは新羅万象の全てが「神」の姿であるという考え方だ。山の神、海の神、森、川、泉、石ころや水、全てのカタチある物やそして人までも、その神の在る景色の一部に過ぎず、これこそが八百万(やおよろず)の神である。

 日本固有の信仰である神道は、こうした世界観の中から生まれた道である。神と共にあるから「惟神(かんながら)」といい、神の命を与えられているから人は「神の子」、生命は神の「分霊(わけみたま)」と考えられた。

 人は、彼等の暮らす土地の神である「産土神」の御陰を被って誕生し、産土神やその他諸々の神々と正しく付き合っていくことで四季の恵みを享受し、そして最後には産土神に導かれて祖霊の世界に帰って行ったという教えである。

 古の人々は神々の世界に対し、この様な確かな意味付けを必要としないまでも、それらを自然に体現し「神」を感じとっていたのだろうと推測する。

 我が国は天皇即日本であり、天皇の厳(いつ)を願うのは日本国民として当然のこと。我が国はいつの世も、時の陛下の御代である。いつの世にもそこには「君が代」の世界が存在し、それは存在し続けなければならないものなのだ。

 大嘗祭の反対集会があったという。我が国には共産党を始め反天皇勢力が存在する。その多くは天皇の存在を「天皇制」と断じる。だが、天皇という存在は天皇であって天皇制という制度ではない。天皇制とは共産党の造語である。

 反対集会の参加者らは「大嘗祭反対」「税金返せ」とシュプレヒコールを上げ、「たった一晩の儀式のために27億円もの税金を使い巨大な神殿が建てられた」と訴え、性悪にも「台風での被害者に充てろ」と災害や被災者をも利用する。

 現憲法下では、その是非は別として宗教色の濃い祭祀や祭事に公金を投入することは認められてはいない。大嘗祭の規定は現憲法や現皇室典範に明記されてはおらず、儀式の簡素化や憲法解釈で誤魔化しても違憲の誹りは免れない。

 左翼勢力が天皇を批判する論拠は現憲法だが、皇室予算は限られており、況してや天皇の祭祀が「私事」とされてしまった現在、その費用の捻出を皇族に賄わせるとでも言うのか。ならば憲法第八条の改正か撤廃しか方法は無い。

 憲法で定められている国事行為だけを行うのが天皇の務めではない。天皇が重んじるのは悠久の歴史の中で行われてきた祭事である。

 創価学会を始めとしたインチキ宗教団体が何千億、何兆円の非課税の布施を集めてる中で、天皇が祭祀予算の困窮を呼び掛けたらどれほどの寄付金が集まることか。左翼勢力が皇室への税金投入に反対するなら護憲では辻褄が合わない。

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2019年11月14日

五穀豊穣と国家安寧を祈る大嘗祭を寿ぎ奉る

 皇位継承に伴う重要祭祀である「大嘗祭」が、本日夜半から翌日未明にかけて執り行われる。中心の大嘗宮の儀は「悠紀殿供撰の儀」並びに「主基殿供撰の儀」。一子相伝の秘儀とされ、即位後最初の新嘗祭を大嘗祭という。

 新嘗祭は、日本書紀に「皇極天皇が皇極元年(642年)11月に執り行った」という記述があり、天皇にとって重要な祭事の一つである。旧くは霜月下旬の卯の日に斎行されたが、明治6年以降は11月23日に執り行われることとなった。

「勤労感謝の日」がその日だが、勤労感謝という言葉に因って天皇と国民の繋がりを薄れさせ、我が国の道である神道という教えを奪い取った。

 勤労というと何か労働していることに感謝する日の様に思ってしまうが、本当の意味は「人々の勤労によって生み出される万物の生産を祝う」というものだ。

 神の加護による農作物を始めとした恵に我々国民が互いに感謝し合う日なのだが、悲しい哉、その意味を取り違えている国民が殆ど。天皇の神事を見れば「勤労感謝の日」というより、収穫を祝う「新嘗祭」というのが相応しい。

 本日斎行される大嘗祭では、全国の都道府県から寄せられた米や野菜などの神饌が供えられる。正しく大嘗祭は、豊穣の実りに感謝する「祭り」でもある。

 陛下は「大嘗宮の儀」に臨むに当たり身を清める「廻立殿」に向かう。その際には白い束帯の「帛御袍(はくのごほう)」を身に着けられる。

 陛下は廻立殿に入ると身を清める潔斎をし、最も神聖な白い「御祭服」に着替えられる。この御祭服は精練されていない絹「生絹(すずし)」で仕立てた装束で、陛下が自ら神饌を捧げ拝礼し、神々に御告文を奏上した後、御自ら口にされる。

 悠紀殿並びに主基殿へは天皇陛下のみ。皇后陛下は「帳殿」、男性皇族は「小忌幄舎(おみあくしゃ)」、女性皇族は「殿外小忌幄舎」で拝礼される。

 こうした神事を男女平等で語り、「天皇と皇后を分けるのは差別ではないか」という声が、いつもの左翼勢力や性的変質者のジェンダーから上がる。

 天皇にとって最も大事なものは「祭事」である。祭事では生理は「穢れ」と捉えられ、精神統一が求められる皇霊祭では生理中は参加出来ない。生理中に情緒不安定になる女性への配慮と身体を気遣ってのことでもある。

 こうしたことも理解せずに、感情的に「生理は汚らわしいものではなく女性蔑視だ」との反論もよく聞く。だが、こうしたことは何も皇室だけの例外ではない。

 イスラム教では生理中にはモスクには入れない。ユダヤ教でも生理中の女性との握手を禁じている。これは女性差別ではなく伝統の中で培った教えである。

「女系天皇論」も「女性天皇論」も、こうした女性差別を理由に論じられているのだが、左翼や反天皇勢力というのは考えや物事の見方が実に薄っぺらい。

 それでは聞くが、歴代ローマ法王に女性はいない。我が国の歴史には八名の女性天皇が存在しているが、ローマ法王どころか選ぶ枢機卿にさえ女性はいない。左翼陣営の理論なら、それこそローマ法王は女性差別の権化ではないか。

 国連女子差別撤廃委員会が皇位継承に関して異を唱えたのは新しい。女性天皇や女系天皇の意味も知らずに、その実行を謀る。左翼らも、女性差別と断じるならば、ローマ法王の制度こそ女性差別であり、バチカンにも抗議したら如何か。

 日頃「レディーファースト」と自慢してる国でもそういうもので、伝統を継承するというのはそういうことで、現代の幼稚な価値観や倫理観で語るべからず。

 新聞報道では作為的に「大嘗祭関連費二十四億四千万円」という数字を載せる。それに左翼勢力が税金の無駄と叫び、「そんな金があるなら被災者に充てろ」「憲法違反の施設にそんな巨費を投じるな」と世論を誑かす。

 現憲法には大嘗祭の規定が無い。GHQの謀で消されてしまったのだ。現憲法では天皇に祭祀は私事となり、国事行為が優先されてしまっていることを憂う。

 憲法改正は第九条だけではないし、現憲法は皇統を護る機能を有していない。歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を現憲法を理由に否定し続けることは、未だ神道指令の呪縛から抜け出せずにいる証左である。

 擱筆するに当たり、本日からの大嘗祭が滞りなく斎行されますことを心より御祈り申し上げ奉ります。すめらぎいやさか すめらみこといやさか。

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2019年11月13日

左翼活動家でもある落合恵子の地元紙への特別寄稿に違和感

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 購読している地元紙の福島民報に祝賀御列の儀でも両陛下の御真影の下に、左翼活動家で反原発派でもある落合恵子の特別寄稿が載っているが、違和感を禁じ得ない。何故にこのタイミングで祝意でもない論説を載せる必要があるというのか。

「平和希求の象徴に」とする文には、国民として祝いの言葉はなく、嫌味たっぷりに「天皇皇后両陛下は、さぞお疲れでしょう」から始まる文章は、左翼人士独特の言い回しで私感に満ち溢れ、読者の投稿などを巧妙に利用して扇動を謀る。

「私たち一般市民には社会生活である『公』と『私』を分けることができます。お二人にはそれがどこまで可能なのでしょう」と問い掛ける。公私を分けるなど可能な訳がないだろう。私事でさえ私見は控えなければならない御立場である。

 天皇皇后両陛下を「お二人」と呼ぶことに強烈な違和感を覚える。唐突に「女性天皇に賛成81%」とのお仲間でもある共同通信社の世論調査を持ち出し、「これは政治的マターであり(お二人の)、さぞご心労のことと思います」と当て擦る。

「激戦地への慰霊の旅に熱心であった上皇ご夫妻の意から、沖縄の人々の思いが気になって琉球新報、沖縄タイムスを読みました」という。上皇上皇后両陛下を「ご夫妻」と呼び、思想が同じ沖縄の二紙の記事を取り上げ私感を垂れる。

「代替わり費用に約百六十億円」と、恰も高額だと言わんばかりに世論に訴える。歴史と伝統という重みを金で比べる不寛容さと無知。「代替わり」というと言葉は共産党が常用してる単語だが、落合も共産党と同類だということが理解出来よう。

 水問題に御詳しい陛下だが、皇太子殿下時代に述べられた「世の中で社会的に弱い立場にいる人が犠牲になっていることは、とても残念に思います」との言辞を引用して、台風19号被害に重ね合わせる。福島原発の処理水問題も言いたげだ。

 落合は、絵本などを扱う「クレヨンハウス」を主宰していることもあり、バーバラ・クーニーの「ルピナスさん」という絵本の内容を綴っている。

 何やら、主人公の女性が大好きだった祖父の世代になり、祖父が言った「世の中をもっとよくするために、なにかしなくては」という約束を実行するという。

 彼女はその約束を果たす為に、、マメ科の植物で青や紫、薄紅などの花を咲かせるルピナスの種を撒き続け、やがて村はルピナスの花に溢れ、彼女も村人に敬愛されるようになったという、正に左翼の頭の中に咲き乱れる御花畑の物語だ。

 落合は「慣例を超えて今までと違った取り組む人というのは最初は奇異にみられていても実に立派だ」と訴えたいのだろうが、要は陛下に2679年の歴史と長い伝統の中で培ってきた慣例を打ち破り、新しい天皇の道を歩めと言わんばかり。

 そして最後に、天皇皇后両陛下に向かって「お二人に願うことは、お言葉で繰り返された平和を、ずっと希求される『象徴』であって頂きたい」と願い、「そして『私』の部分をどうか大事にされますように」と結んでいる。

 天皇にとっての「私」は無い。精精、那須御用邸でのプライベートな余暇や趣味に講じられている時間くらいなもの。天皇というのは祈る立場であり、それは「平和」であり、痛みの無い世界の実現である。その為に只管祈る。

 天皇にとって大事なものは「祭事」であり、国事行為や私事より優先されるべきものだ。天皇=祭事というのを知らない故に女性宮家や女性天皇を語り、男女平等という現在の安っぽい価値観で女系天皇論までも持ち出す。

 歴代天皇が古来より司って来た祭事は、現憲法に因って天皇家の私事になり、天皇の最重要儀式である「大嘗祭」の規定は存在しない。日本国憲法が我が国の正統に於いて悉く異質で国益を損しているか考えたことがあるのか。

 天皇は憲法第一章の制約から、第六条及び第七条の国事行為に因り「国会の開会式」「首相や最高裁長官の親任式」「大臣の認証式」など年間約六十回、国賓・公賓への接遇や会見、会食などの御公務が約百七十回という激務を熟している。

 こうした天皇の激務を理解していない故に、軽々しく「『私』の部分を大切に」などと言えるのだ。ならば、堂々と第一条から第八条の現憲法第一章を論じ、国事行為の軽減を図るべきだが、護(誤)憲派のくせに天皇条項を蹂躙(苦笑)

 第一条には「天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基く」と在る。反天皇を叫ぶ共産党などが存在する限り「国民の総意」ではないということになる。

 つまり、天皇の地位は共産党が指摘してる通り違憲の存在でもあるのだ。その共産党や左翼らが「女性宮家」や「女系天皇」を容認している意味を知るべし。

 いつの間にやら我が国はカタチを変えた共産主義が蔓延り、その「カタチ」は実に陰湿になった。最近の反天皇運動は昔の様に赤旗を振り翳したあからさまな反対運動は行わない。如何にも陛下や皇后陛下を慮ったフリをして世論を誑かす。

 今回の落合恵子の投稿も正しくソレ。こうした新聞社の現状を見ると我々が想像している以上に左翼が権力側に入り込み、行政権と連結せしめ、それに呼応して在野の左翼どもが反天皇運動と皇統断絶を謀り、無知な国民がそれら呼応する。

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2019年11月11日

国民祭典の祝賀式典と祝賀御列の儀を滞りなく終える

 天皇陛下の御即位を祝う国民祭典の祝賀式典が土曜日九日夜に皇居前広場で催された。天皇皇后両陛下は二重橋に御出座し遊ばされ、国民の祝意に感謝し御言葉を賜られた。十日午後には御即位を国民に披露する祝賀御列の儀が行われた。

 国民祭典の祝賀式典での挨拶では台風19号などの被害に心を痛め、被災者へ寄り添う言葉を述べられた。東日本大震災後、上皇皇后両陛下は原発事故の風評が収まらない中で、御身は二の次にと被災地を行幸遊ばされた御姿と重なる。

 終戦後、昭和天皇が全国を行幸遊ばされ、国民の大きな励みになったのは誰もが知るところ。先帝陛下の御姿と両陛下の御姿が重なり、正に、国民と共に在りたいとの大御心に、改めて祖国日本に生まれたことに感謝せずにはいられない。

 台風被害が収まらない中でのパレードに違和感を唱える勢力が存在しているが、こういう時だからこそ陛下や皇族方の心の支えが必要なのだ。

 我が国の歴史を繙けば、仁徳天皇は高みから民の竈の煙をご覧になられ、明治天皇は日露戦争の最中、前線の兵と同じ食事を所望された。昭和天皇もまた東京大空襲で皇居へ被害が及ぶ中、御所に止まり、国民とその苦難を分かち合った。

 皇室は常に国民と共に在り。この「君民一体」こそが我が国體の精華である。我ら日本人が護るべきものは、平和・独立という主権、国益、国民の生命・財産だけではなく、日本という国柄や国體であり、畢竟、皇統であると痛感する。

 我が国は永い歴史の中から数々の伝統及び制度が生み出されてきた国家である。そんな中で永遠に無くなってはならぬものが天皇を戴く国家の在り方である。これこそが我が国のあらゆる制度の基盤であり核心であるのだ。

 我が国は日本即天皇、天皇即日本の天皇国家であることは言うを俟たない。2679年の永きに亙り「万世一系」の天皇を戴き、常に国民や世界の平和を祈り続けておられる天皇を、善き至高の存在として暮らして来た。

 天皇の御代が栄えることは、即国民の代が栄えることでもあり、この国體の精華は万邦類を見ないところである。正に、世界に冠絶した「君が代」そのものの世界が厳然と存在する国こそが、我が祖国日本なのだ。

 悲しい哉、日本という国に生を享けながらこうした国柄を否定し、天皇や皇室を批判する誠に以て不遜不敬、不届至極の不逞の輩がいるのも確か。

 祝賀御列の儀が生中継される中で、アナウンサーらは天皇皇后両陛下ではなく「雅子さま」だとか「秋篠宮さま」「ご一家」だとかの大合唱。ワイドショー並みの放映に終始し、国民も両陛下への親しみ易さを口にする。

 マスコミは陛下や皇室に対しては敬語を絶対に使わない。こうしたマスコミの「敬称・敬語不使用」や「開かれた皇室論」の姿勢は、今や国内外に蔓延し、天皇陛下や皇室に対する敬愛の念を薄れさせ続けている。

「開かれた皇室論」とは共産主義者に拠る反天皇運動である。戦後、マスコミは週刊誌などで陛下や皇族方を登場させ、不敬なスキャンダラスな記事で尊崇の念を薄れさせることに成功した。これこそが「開かれた皇室論」の狙いである。

「敬称・敬語不使用運動」も同じで、「雅子さま」「美智子さま」「秋篠宮さま」「紀子さま」「悠仁さま」という呼称は、本人は反天皇運動などと知らずにいても、共産党からの命令書を忠実に遂行している様なものなのだ。

 戦前の様に「畏れ多くも畏くも」とは言わないまでも、日本国民ならば「皇后陛下」「上皇(后)陛下」「秋篠宮(妃)殿下」「悠仁親王殿下」「(佳子・眞子)内親王殿下」との呼称使用し、節度ある敬意を表するべきである。

「開かれた皇室論」や「敬称・敬語不使用運動」、そして「女性宮家」から我が国の伝統文化や美徳が喪失して行くということを自覚しなければならない。

 今月には即位の最大の行事である大嘗祭が執り行われる。左翼勢力は大嘗祭を違憲と断じ、更には皇族減少を理由に女性宮家や女性天皇論を持ち出すだろう。

 祖国日本に巣食う奸賊共を排し迫る来る祖国の危機に対処し、天皇国日本を盤石の安きに置く使命を有する民族派陣営や真の保守派の覚悟は如何に。

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2019年11月06日

「子ども」表記してる自民党公認候補ってバカかマヌケなのだろう(笑)

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 地元紙の折込に入っていた福島県議会議員選挙郡山市選挙区の公報を見ると、自民党県議団のボスと称される佐藤憲保と根本匠代議士の秘書歴13年を売りに出馬してる鈴木優樹が「子供」表記ではなく「子ども」表記をしていた。

 平成26年6月、文科省は国会での議論を経て、マスコミや左翼どもが常用してる「子ども」表記を、漢字表記の「子供」に統一する通達を出している。

 現代国語を書き表す場合の漢字使用の目安として用いられる「常用漢字表(内閣告示)」というのがある。これを基にした「新公用文用字用語例集(内閣総理大臣官房総務課監修)」には「子供」と表記する様に示されている。

 マスコミを中心に左翼勢力は確信的に「子ども」表記を続けているが、自民党公認候補までもが「子ども」表記を使ってることはマヌケとしか言い様がない。

「子ども」表記というのは「子供」の「供」という字が「お供え物」「お供する」などを連想させ「差別的な印象を与える」というのが理由。共産党は「子供」とは「大人の付属物や人身御供を意味する」と主張している。

 誰が子供を「お供え物」「人身御供」と連想するというのだろう。遜った「私ども」の様な接尾語の場合は「原則、仮名で書く」とされているが、「大人」に対する「子供」を意味する場合、漢字二字で表記するのが正しい。

「大人のお供(とも)」を表しているというが、その場合の漢字は「お供」ではなく「お伴」。仏壇の供物と同じく「子供とはお供え物」とは正にキチガイの不当な言いがかりであり、即ち子供への敬意が足らない証左でもある。

 悪党や政治家らを悪意的に「悪党ども」とか「政治家ども」とか詰ったりするし、「野郎ども」「若造ども」などと言ったりするが、「ども」とは敬意が低く、目下の者や見下した意味合いに用いられる場合が殆ど。

 この場合の「ども」は漢字だと「共」だが子供の「供」を「子ども」と表記することは、逆に言葉遊びで子供を弄んでいると捉えられても致し方ない。「子供」の漢字を使いたくないなら、平仮名で「こども」と書けば好いだけのこと(苦笑)

「子供」と同じく「婦人」というのも、アホンダラ左翼どもやジェンダーフリーの性的変質者どもらの企てによって公文書から消されてしまった漢字の一つ。

 これは、インチキ漢字研究者が、後漢時代の「説文解字」を紐解いて、「婦人」とは「箒を持って掃除をする女のこと」と紹介したことに始まる。

 この自説に、前出の性的変質者どもとキチガイどもが飛び付いて「婦人は差別だ」と叫んで抹殺した。しかし、間もなくこの説は全く誤りだと判明する。

 甲骨文字、それに続く金文の研究から「婦人」の「婦」は、「宗廟に酒を捧げ清める高貴な女性の意味」だということが判明する。だが、男女共同参画社会でのこうした言葉遊びや造語が改められることなく常用されている。

 また、男女共同参画社会の今では「看護婦」ではなく「看護師」と呼ぶ様になった。この「師」というのは、師団、軍師、派遣、元帥、追撃などに含まれる「追」のツクリは、軍隊を派遣する時に食料である肉を分けることが原義だ。

 普段、「平和」「平和」と叫んでいるアホンダラ左翼どもらは「師」の意味も分からずに「看護婦」を「看護師」と呼び換えて満足してるが、無意識のうちに軍隊に起因する漢字を使用しているとは夢にも思っていないだろう(苦笑)

「男女共同参画社会」というのは、こうした言葉遊びから始まった左翼陣営の共同謀議的愚策であり、こうした愚策に保守派であるべき自民党議員どもが違和感を覚えることなく、それらに与し、率先して実践していることは滑稽極まりない。

「子ども」表記を使ってるのは共産党を始めとした左翼どもか、単なる無自覚左翼のアホどもと見て間違いない。つまりマスコミは左翼勢力であり、疑うことなく使ってる自民党議員どもは余程のバカと見て好いだろう(苦笑)

 アホ野党の公認候補や公明党公認候補は当然「子ども」表記。他の自民党公認候補では山田平四郎と長尾トモ子がきちんと「子供」表記にしている。こうした何気ない事に気が付かないようでは議員になっても碌な仕事は出来ないだろう。

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2019年11月03日

現憲法が公布された文化の日は第二の憲法記念日である

 本日11月3日は「文化の日」。皇居では文化勲章が下賜され、順次、旭日大綬章などが授与される。全国では文化に功労が著しい方々が叙勲される。

 祝日法には「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」を趣旨として制定された記念日である。昭和21年同日、日本国憲法が公布された日であり、「平和を愛し」との言葉を見るまでもなく「第二の憲法記念日」と言うのが正しい。

 現在の日本国憲法は、表面上は新憲法(日本国憲法)の制定とはなってはいるが、建前上は大日本帝国憲法(欽定憲法)第七十三条の条文に由る改正であり日本人自身が制定したことになっている。第七十三条の条文は次の通り。

「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スル必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス」

 昭和21年11月3日の帝国議会に於いて昭和天皇は次の様に下賜された。 

「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。御名御璽」

 これが示す通りであるが、当時我が国は連合国の占領下に在り、政府にしてみれば不本意ではあるが米国の様々な条件を呑まざるを得なかったというのが真相であり、現憲法が「米国からの押し付け憲法」と言うのはこういうことだ。

 11月3日は、戦前には明治天皇の御生誕を祝い、明治大帝の御遺徳を偲び「明治節」であり、国民挙って奉祝した日である。敢えてこの11月3日に現憲法を公布させたということに米国の如何わしい意図が窺える。

 占領統治時代には多くの策謀が実行されている。例えば「東京裁判」でも、所謂「A級戦犯」28名が起訴されたのは同年4月29日の「天長節」で、当時の皇太子殿下の誕生日である12月23日に東条英機閣下以下7名の絞首刑が執行された。

 現憲法の発布を、明治天皇の誕生日という記念日を選んだという事実は、日本人に対し、贖罪意識を植え付ける為のものであることは言うを俟たない。

 こうした事実を知るだけでも、米英を始めとした連合国が如何に非情で無慈悲な日本人矯正を謀ったことが理解出来よう。

 教育勅語を下賜され、教育・文化を重んじた明治天皇の御遺徳を偲び、我が国の文化を奨めることが目的の「文化の日」ならいざ知らず、「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」とは現憲法を絶対不可侵なものとしての強要である。

 現憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し・・・」という記述があるが、「平和を愛する」という感情と、現実的に平和を守るというのは違う次元だ。今こそ戦後のあらゆる不条理を検証せねばならない。

 また、保守派や愛国団体の中には本日を「明治節」として、明治神宮を参拝し、明治天皇の御遺徳を啓蒙するという行動も見受けられる。「明治節復活」は異論はないが、明治神宮がそれに相応しいかといえばそれもまた疑問である。

 明治神宮は周知の通り、国民の総意により明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社であることは言うを俟たない。だが、平成16年、明治神宮は突如として神社本庁から離脱し一宗教法人となった。

 神社庁からの離脱の理由として、平成16年4月の陛下御親拝の案内状に「陛下」を「殿下」と誤記してしまった責任を取って離脱したとしている。

 然し乍ら、それは詭弁であり、見苦しい言い訳に過ぎず、その実は神社庁での主導権争いや確執の末の離脱というのが真相である。

 これ即ち、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶという本分を忘れ、神社を私物化し、営利至上主義に奔っている証左であり、こうした現状を憂慮せざるを得ない。明治神宮のこうした姿勢も糺さねばならない。

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2019年11月02日

琉球王国の象徴でもあり世界文化遺産の首里城が全焼

 琉球王国の象徴でもある首里城が全焼した。玉城デニー沖縄県知事は「必ず復元する」と語ってるが、国の管轄から県に移行させたのだから当たり前。政府や文化庁も支援するだろうが、国を都合好く利用するのは止めて貰いたいものだ。

 デニーは沖縄の将来像として「自治州的な一国二制度」がベストとの認識を示し「独特な歴史、文化、地理的特性を持つ沖縄だからこそ、一国二制度に移行すれば日本にとっても沖縄にとっても将来展望がより広がる」との考えの持ち主。

「政府から『これだけの財源と権限で沖縄の行政をしっかりやって下さい』と任される一国二制度です」というが、沖縄の歴史的な背景を利用して過分な財源を貰いながら国の政策には真っ向から反対。政府は沖縄の単なるATMではない。

 抑々「一国二制度」という言葉は、中国共産党が台湾問題に関して使われた言葉で、デニーのいう一国二制度とは、日本政府を利用し、中共と習近平の御機嫌を伺う、沖縄の伝統でもある「二股主義」が根源にあると感じる。

 沖縄の住民は、日本本土から南下した日本人とポリネシア系、台湾系、支那華南系で、「明」の時代に支那に入貢して琉球国・中山王として冊封を受け、奄美大島から先の宮古・八重山までの領域を支配する中央集権国家を築いた。

 琉球から日本へ使者が派遣されたのは室町時代になってからで、徳川時代に幕府の命令で島津藩が琉球に出兵し奄美大島を直轄化したが、琉球はその後に支那に誕生した清朝の冊封も受け両属の立場を採った。

 首里城は、戦前には沖縄神社としての正殿などが旧国宝に指定されていたが、戦後に再建された城を見ると漆で朱塗りされていたり、装飾に国王の象徴である龍が多用されていたりと琉球文化というより大陸文化の影響を強く感じる。

 二千円の図柄である「守礼の門」は、支那からの冊封使を迎えて行う琉球王の即位式の会場だが、これをしても沖縄が日本と支那との両属だったかが解る。

 冊封使とは、中国王朝の皇帝が付庸国の国王に爵号を授けるために派遣する使節。付庸国とは属国。清国から冊封使の品位は、朝鮮に対しては正三品以上であったが、琉球に対しては正五品以下従七品以上で朝鮮より下位とされた。

 琉球は日本文化が拒絶した「宦官制度」を導入していたことでも支那の朝貢国だった一面を否定出来ない。また、日清戦争の際には日本派(開化党)と清国派(頑固党)が乱闘を演じた。日清戦争で日本が勝利すると清国派は支那に逃避した。

 明治三十九年に沖縄の歴史・言語・民俗を研究し、沖縄で初めて文学士となった「沖縄学の父」といわれる伊波普猷(いはふゆう)の著書「古琉球」に拠れば、沖縄人にとっては沖縄で何人が君臨しても構わなかったという。

「明」や「清」の変わり目に当たっては「清帝」と「明帝」とに捧げる二通りの上表文を持参して行ったとのことでも、琉球人の二股主義の心情が現れている。

 伊波普猷の指摘する沖縄人の意識がどう変わったのか判らないが、最近の沖縄を見ていると日清戦争前の「頑固党」と見間違うばかりの連中が「日本からの独立」と「中共への隷属」を本気で考えているとしか感じない。

 今や沖縄は左翼勢力の尋常じゃない行動が目に付くが、デニーの一国二制度も同じで、中共への朝貢国としての琉球国王に即位したいが為のものだろう(笑)

 普天間問題で殊の外日米感情を煽り、米軍を撤退させ、中共の謀略通りに「沖縄ビジョン」の遂行を謀る。米軍を追い出し、代わりに支那から移民を受け容れようなどとは言語道断だが、二股膏薬主義の沖縄人ならやりかねない。

 火事の出火場所は本殿の真ん中だったというが、何か不信感は否めない。首里城の全焼を受けて、デニーの本音は政府より中共からの支援。日本からの独立を約束し朝貢国を演じれば、習近平は喜んで莫大な援助してくれると思うよ。呵々。

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cordial8317 at 06:04|PermalinkComments(0)