2019年03月

2019年03月30日

「女性天皇を容認」とのタイトルが躍っているが・・・

 地元紙の一面には「女性天皇を容認」とのタイトルが躍っている。これは今や反原発運動家としてその名を轟かす小泉純一郎政権時代の話だが、皇室典範改正に乗り出そうとしていたことでも小泉のその売国性が窺える。

 当時、男子皇族には皇太子殿下と秋篠宮殿下の御二人しかおらず、秋篠宮家の真子内親王を即位可能にさせる為に検討会が発足したが、これは政府に巣食う共産主義者や男女共同参画局で検討していた陰謀というのが正しい。

 そして今、恰も過去に「政府が容認した」という作為的な情報を垂れ流し、安倍政権下で「女性宮家」や「女性天皇」の実現を謀る。

 皇太子殿下が第1位で再来月には即位するが、その後の皇位継承順位第1位は秋篠宮殿下となり、第2位が悠仁親王殿下となるが、男系男子は悠仁親王殿下唯一人であることで「皇統の危機」を理由に女性宮家の実現を企てている。

 男子皇族の危機的現状は、GHQに強制的に臣籍降下させられた元皇族の皇籍復帰を実現させれば、男系男子皇族が増えて皇統は盤石なものとなるが、女性差別を理由に男女共同参画局などの共産主義勢力がそれを許さない。

 過去には8人10代の女性天皇がおり女性が天皇になることは理解出来る。だが、天皇に就くというのは普通の生活は送れないという意味でもある。

 女性皇族が結婚することで皇籍を離れるのは「今後は一般国民としての生活を重んじよ」との天皇の思し召しでもある。そうした大御心も理解せず、恰も女性差別であるかの様に女性天皇論を語ることは皇室への逆差別でもある。

 不逞の輩らは「旧皇族の皇籍復帰は現代にはそぐわない」とか「男系男子を増やす目的だけで」だとか、彼是と理由を吐けては反対しているが、皇籍復帰実現の暁には若年皇族や幼年皇族には皇族としての帝王学を学ばせれば好いだけのこと。

 喩え、女性天皇が誕生したとして、その女性天皇と結婚出来る資格のある人がいるとも思えない。相手と言えば元皇族男子となるのだろうが、ならば早々に元皇族の皇籍を復活させ、天皇を盤石の安きに置くべきであろう。

 まさか、一般の男子が皇族となることを容認するのか。旧皇族の皇籍復帰をさせずに、旧皇族の男子との婚姻を認めるというのは本末伝統の愚論である。

 昭和22(1947)年10月、昭和天皇の反対も空しく、GHQによって11宮家の臣籍降下が強制された。未だに、旧皇族の皇籍復帰を決断しないことは占領下のGHQの非理非道を認めることであり、真の主権回復をも阻むものだ。

 皇籍離脱をされた旧宮家の方々は、北朝第3代崇光天皇の皇子、栄仁親王から始まる伏見宮の系統に属し、今上天皇との関係は、室町時代の伏見宮貞成親王を共通の祖先とされる。皇籍復帰に何の抵抗や違和感があるというのか。

 臣籍降下を命じたのはGHQだが、それを忠実に実行したのが政府であり大蔵省(当時)である。戦後の内閣というのは正しく米国の傀儡だった。中でも大蔵省は11宮家に予算を計上せず、実に皇室財産の90%以上を没収した。

 また、戦後は皇室典範に関する最終決定権を「皇族会議」から「国会」に移し、畏れ多いことに憲法や法律以前の御存在である天皇を法の下に置いた。

 明治皇室典範に於ける皇族会議は、成年男子皇族20名によって組織された機関であった。非皇族である内大臣、枢密院議長、宮内大臣、司法大臣、大審院長の5名は、会議全体の構成員的には4分の1でしかなかった。

 現典範は皇族会議ではなく「皇室会議」となり皇族は2名のみで、非皇族が8名という構成下で皇統や天皇の在り方が論じられている異常事態である。

 最近では「皇室会議」ではなく「有識者会議」なるものが、女性宮家や女性天皇を論じているが、この有識者会議には反天皇勢力に与する胡散臭げなメンバーも少なくない。抑々、臣下である国民が皇統を論じることに何の意味があろうか。

 検討会や有識者会議などの進言により、万世一系の皇統の危機が眼前に迫る今、拱手傍観を極め込んでいる訳には参らない。旧皇族の皇籍復帰を実現し、成年男子皇族を中心とした「皇族会議」に戻すことこそ肝要である。

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2019年03月29日

実践の伴わない道徳教育より、神道の「随神の道」を教えよ!

 神様とは何か、神道とは何か、元号とは何か。神道の祭祀を斎行する天皇とは何か。現神(あきつかみ)としての天皇の存在とは何か。現代に於いては、天皇の存在や祭祀は如何に重要かということを教わることはない。

 神社というのは近所に当り前に在って、祭りも愉しもうというだけで神への感謝はない。天皇の存在も同じで当たり前に在るものと考えている。

 天皇とは何か、そこの神社には御祭神には何が祀られて、どんな歴史があるということを理解してる住民は少なく、また教えるべき者もいない。

 神道とは新羅万象の全てが「神」の姿であるという考え方だ。山の神、海の神、森、川、泉、石ころや水、全てのカタチある物やそして人までも、その神の在る景色の一部に過ぎず、これこそが八百万(やおよろず)の神である。

 日本固有の信仰である神道は、こうした世界観の中から生まれた道である。神と共にあるから「惟神(かんながら)」といい、神の命を与えられているから人は「神の子」、生命は神の「分霊(わけみたま)」と考えられた。

 人は、彼等の暮らす土地の神である「産土神」の御陰を被って誕生し、産土神やその他諸々の神々と正しく付き合っていくことで四季の恵みを享受し、そして最後には産土神に導かれて祖霊の世界に帰って行ったという教えである。

 古の人々は神々の世界に対し、この様な確かな意味付けを必要としないまでも、それらを自然に体現し「神」を感じとっていたのだろうと推測する。

 戦後、神道指令の下、住民と神社(神道)との分断を謀ろうと各地に集会所が建設された。戦前は住民の会合などは神社の境内で行われることが多かったが、戦後は神社ではなく集会所で行われることとなった。

 未だにGHQの謀った神道指令に怯え、天皇の存在と皇位継承をGHQ製の現憲法で語り、元号制定の過程ばかりが優先され、興味本位で新しい元号名を予想しているが、肝心な天皇と元号の重要さを教えることはない。

 元号とは、節季の習俗を時代の流れに応用する先人の智慧でもあり、我が国の歴史が天皇を中心に織りなされて来たという厳然たる事実の証明でもある。

 天皇とは別に国事行為をする日本政府の都合の好い存在ではない。現在の天皇は現憲法下で政府の配下に置かれた傀儡の様な存在となってしまった。だが、天皇とは憲法以前の御存在であり、現憲法で語ること自体が意味を成さない。

 天皇とは分かり易く言えば神主(神官)の最高の地位者であり、ローマ法王と同じく祈りを重んずる祭主である。諸外国の様な王室や国王ではない。天皇は国王という考えだから「退位」させ様などという戯言が罷り通る。

 悲しい哉、戦後の日本人は、日本に生を享けながらも国柄でもあり国教とも言うべき神道の教えというものを知らなさ過ぎるのではなかろうか。実践の伴わない道徳教育より、神道の「随神(かんながら)の道」を教えるべきだ。

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2019年03月27日

万歳三唱で厳重注意処分を受けた白鵬がまたやらかした(笑)

 大相撲春場所は白鵬の全勝優勝で終わった。久しぶりに白鵬の全盛期を思わせる堂々とした取り口で、大関陣が好調な中での優勝は価値がある。

 ただ、頂けないのはインタービューで白鵬が三本締めを求めて観客がそれに応じる。以前、万歳三唱で厳重注意処分を受けていながらまたやらかした(笑)

 万歳や手締めは相撲の仕来りではないが、場違いも甚だしい。学習能力に欠けてるのかバカなのか。日馬富士の引退も貴ノ岩がああなったのも本を正せば白鵬が原因だし、本人だけが浮かれていることに違和感を覚える。

「三本締め」とは、全ての人に礼を尽くすという意味で使われる。三本締めは「三方礼」に由来する。1回目はその回の主催者、2回目は来賓や来客、3回目はその会自体や出席出来なかった人に向けたものだとも言われている。

 ただし、来賓などに手締めを求めるのは失礼に当たる。来賓も手締めを求められたら断るのもまたマナーでもある。観客も平成最後の場所での全勝優勝を称える意味で応じたのだろうが、白鵬も三本締めの意味も分かっていないのは確かだ。

 大相撲は「断髪令」が出ても丁髷の伝統を貫き、戦後も表彰式で国歌「君が代」を斉唱し続けてきた保守の牙城ともいうべき存在でもあるが、最近の大相撲は横綱も軽々しくなり、単なるスポーツイベントに成り下がった感は拭えない。

 相撲は千五百年以上の歴史を有し、古来より、五穀豊穣を祈り、その恵みに感謝する神事でもあり、現在の大相撲は、平安時代に天覧相撲である「相撲節会(すまいのせちえ)」が行われたことが始まりとされている。

 本場所初日の前日には「鎮め物」として、萱(かや)の実、勝栗、スルメ、昆布、塩、洗米といった神饌が土俵中央に納められ、立行事が祭主を務め「土俵入り」が行われる。使用した御幣は、神の降臨の証しとして四色の房に飾られる。

 力士が「四股」を踏むが、これは地面に潜む邪悪なものを封じ込める為の所作であり、「塩撒き」も土俵の邪気を祓い、神への祈りである。

「力水」や「力紙」は清めの作法。清めを終えた力士は、「蹲踞」から「揉み手」「柏手」し、両腕を開く「塵手水(ちりちょうず)」と一連の動作が続く。

「塵手水」は、手に武器を持たないことを表すものだ。「揉み手」は、古来は雑草の露で手を清めていた所作の名残りで、「柏手」は神に拝する際に打つ動き。

 力士が勝ち名乗りを受ける際に「手刀」を斬る。これは左が「神産巣日神」、右が「高御産巣日神」、真ん中が「天御中主神」三神への感謝である。

 白鵬の懸賞金の受け取り方は、以前より好くはなったが毟り取る様な仕草は治らない。アレは間違いというより、三神への冒涜とも言えなくもない。要は、白鵬はスモウレスリングには強いが日本文化としての相撲道の精神に欠けている。

 力士は神の遣いであり、横綱とはその中の最高峰の存在である。勝敗に拘る以前にその所作や風格が大事であるというのは言うまでもない。

 千秋楽の終了後「神送りの儀式」が行われる。御幣を抱えた新弟子力士らが胴上げすることで相撲の神々は昇天し、そうして場所を終える。

 白鵬もつい調子に乗ってしまったのだろうが、手締めをするなら儀式終了後、或いは後援会だけでやれば好い。優勝回数が増えて軽々しさも増している(笑)

 大相撲も他の競技と同じ様に勝敗ばかりが優先され、スポーツ化し、営利主義に奔る相撲協会に危機感を抱いてるのは相撲ファンは少なくない。そんな中で、小柄ながらも突き押し一本で大関の座を仕留めた貴景勝の活躍に期待したい。

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2019年03月26日

天皇の大権である「元号」が国民の知る権利の中で軽々しく論じられている

 政府は省庁の御都合主義から4月1日に前倒しすると表明しているが、公表まで1週間となり元号に関するニュースが多くなった。

 元号は四書五経など支那の古典から引用されたものが多い。今回は安倍首相の意向もあり日本の古典を基にした案が選ばれる可能性があるということだったが、日本と支那双方の古典に由来する名前になるという。

「平成」の元号は、「史記・五帝本紀」の「内平外成(内平かに外成る)」や「書経」の「地平天成(地平かに天成る)」に由来し、「内外、天地とも平和が達成される」という意味は、「昭和」の元号の想いに通じている。

「昭和」は「書経尭典」の「九族既睦平章百姓百姓昭明協和萬邦(九族⦅きゅうぞく⦆既に睦まじくし て百姓⦅ひゃくせい⦆を平章す。 百姓昭明にして萬邦を協和す)」に由来し、国民の平和と世界の共存繁栄を願う意味が込められている。

 然し乍ら、元号のその願いとは裏腹に、昭和時代には国難とも言うべき事変や戦争が続き、平成では天譴とも言うべき未曾有の災害や事件が繰り返された。

 元号は、主として吉凶禍福とか瑞祥などによって行われ、歴代の天皇は数年から10年を目途に「改元」して巧みに時代転換をして来た。

 そういう意味では、平成の御代に陛下が「国事行為を全うすることが困難」というなら、退位よりも改元して解決を図るべきではなかったかとも思う。

 元号こそ節季の習俗を時代の流れに応用する先人の智慧でもあり、我が国の歴史が天皇を中心に織りなされて来たという厳然たる事実の証明でもあるが、行政システムなどを優先した元号を国民が有難がるとも思えない。

 多くの日本人は「四書五経」を好意的に捉え、支那への憧れを膨らませている中で、安倍が「日本の古典」からの固執してるのは保守派への目晦ましに過ぎず、結果、こうして軽々しく論じられる元号を意味のないものにしている。 

 元号の改定は、織田信長や豊臣秀吉らの戦国時代や権力を独占した徳川時代でさえ朝廷の大権だった。だが、安倍政権は、行政のシステム改修の問題を理由に改元詔書渙発を廃止し、天皇の大権である元号制定権を簒奪した。

 天皇は今や政府の言いなりで単なる都合の好いロボットでしかなく、祭主としての立場は軽んじられ、天皇の在り方が語られることはなく、また元号にしても名前ばかりが興味本位に語られ、元号の意味や意義を教えることはない。

 明治欽定憲法下に於いては、元号に関する規定は旧皇室典範第12条に明記されていたが、敗戦後の統治下でGHQ製の日本国憲法が制定されると旧皇室典範までも改悪され元号に関する条文が消失し法的明文が無くなった。

 安倍は「戦後レジームからの脱却」や、自衛隊を利用した「憲法改正」を口にするが、元号制定の過程は憲法第4条を理由に天皇の関与を否定する。

 因みに、第4条とは「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる」というものだが、これこそ見直すべき条項だ。

 安倍が真に「戦後レジームから脱却」を図るなら、こうした現憲法の天皇条項の矛盾を糺し、旧皇室典範の復元を果たし元号制定権を奉還すべきである。

 国民の総意であるべき象徴としての天皇が、共産党を始めとした左翼らに蹂躙されているのなら、それを理由にして憲法改正の狼煙を揚げ現憲法の是非を国民に問うべきであり、また総意を無視する共産党も違憲の存在であると断じるべきだ。

 元号制定の過程が「国民の知る権利」という理由で軽々しく論じられていることは憂慮せざるを得ない。このままでは、後々「元号は要らない」とか「天皇は要らない」という不敬極まる意見が幅を利かせて来るのではあるまいか。

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2019年03月24日

「蛍の光」には3番・4番があったことを知ってますか?

「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花(本居宣長)」。東京九段の靖國神社境内の標準木「迅雷桜」の蕾が咲き開花し、月末には見頃を迎える。

 正に桜のシーズン到来で気持ちもどこかウキウキしてくる。この時期というのは卒業式、入学式、また退職や新社会人の別れや門出の季節でもある。

 昔は卒業式や別れの定番曲といえば「蛍の光」だったが、いつの頃からか歌われなくなった。この歌が拒否された理由は、国歌斉唱拒否と同じで、我が国の歴史を否定する所から始まったものであろう。

 蛍の光の原曲は、スコットランド民謡の「オールド・ラング・ザイン」で、その曲に詩を書いたのはは国学者の稲垣千頴(チカイ)と言われている。千頴は、陸奥国棚倉(現・福島県東白川郡棚倉町)出身。

 棚倉藩を治めていた松井松平家の家臣・稲垣半太夫の次男として生まれ、幼少期から学問に頭角を現し、日光の寺院へ留学する。棚倉藩主・松平康英の川越転封に伴い、川越藩藩校長善館の教員となる。

 その後、京都遊学を経て東京に移り、明治2年(1869)23歳で平田篤胤死後の国学塾「気吹舎(いぶきのや)主宰・平田銕胤」に入塾する。

 直ぐに頭角を現し、塾頭に就任するも、塾則で禁じられていた遊郭登楼が発覚し、千頴をやっかむ塾生らから意見書が提出され退塾処分となったという。

 遊郭通いとは中々洒落てるじゃないか。それを高が遊郭遊び如きを非難してチンコロするなんぞ、これから国学を習おうとする塾生としての心構えがなってはおらん。国学が廃れた一因はこうした融通の利かない窮屈さだろうか(笑)

「蛍の光」は、GHQ統治下だった昭和24年、教科書検定制度最初の小学5年生の音楽教科書に掲載されたが、GHQは「国家主義的な色合いが強い」という理由で「3番」「4番」の歌詞は削除した。その詩と意味は次の通り。

 3、筑紫(つくし)の極み 陸(みち)の奥 海山遠く 隔つとも その真心は 隔て無く 一つに尽くせ 国の為

(九州の端や東北の奥まで、海や山々によって遠く離れていても、真心は唯一つにして互いに国の発展の為に尽くそうではないか)

 4、千島の奥も 沖縄も 八州(やしま)の内の 守りなり 至らん国に 勲しく 努めよ我が背 恙無(つつがな)く

(千島列島の奥も沖縄も、日本の国土の守りだ。学を修め職を得て、どの地に赴こうとも、日本各地夫々の地域で、我が友よ、我が夫よ、我が兄弟よ、どうか無事にお元気で、勇気を持って任に当たり、努めを果たして頂きたい)

 因みに、4番の歌詞の前半部分は、領土拡張により何度か改変されている。

 千島の奥も 沖縄も 八洲の外の 守りなり(明治初期の案)

 千島の奥も 沖縄も 八洲の内の 守りなり(千島樺太交換条約・琉球処分)

 千島の奥も 台湾も 八洲の内の 守りなり(日清戦争による台湾割譲)

 台湾の果ても 樺太も 八洲の内の 守りなり(日露戦争後)

 この詩に我が国の歴史や先人の営為が見える。蛍の光の「3番」「4番」の削除を見るまでも無く、米国はこうした細部に至るまで検閲し修正を謀った。

 今や米国主導の戦後民主教育という悪しき教育制度や価値観は今や日本の隅々にまで浸透し、日本の尊い価値観を見失ってしまっている。

 大東亜戦争に敗れ無条件降伏した日本は米国の51番目の州になっても不思議ではなかったが、米国はその代りに徹底的に行ったのが教育改革という名の日本人の矯正だった。その戦後民主主義教育は、米国が意図した以上の効果を上げた。

 戦後民主主義とは、自国の歴史を汚辱に塗れた過去と捉える自虐史観である。その教育で育った者は、国家から恩恵を享けながらも個人と国家を常に対立させ、恰も国家は人間を抑圧する組織と見做すことで己を正当化する。

 我が国の珍左翼らが正にそうで、反国家反体制のポーズを採ることが進歩的で文化的だと錯覚している。米国は日本人の中に別なニホンジンを創り上げた。「反米」を掲げる左翼こそ、米国製の矯正されたニホンジンである。呵々。

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2019年03月22日

祝祭日の意味と意義を国民に教えて行かねばならないと痛感する

 昨日は「春分の日」。仏教では春彼岸の中日として墓参りに出向く。祝日法では「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨としている。

 戦前は、春分の日ではなく「春季皇霊祭」と称した。明治11年(1878年)、歴代天皇や主たる皇族の忌日を春と秋に纏め奉祀した。一般の彼岸の先祖供養に相当する祭儀であるが、占領下、GHQの神道指令などにより廃止された。

 皇居内の宮中三殿の「皇霊殿」には歴代天皇、皇族の霊が祀られている。皇霊祭では天皇陛下が御告文を読み上げ、皇后陛下、皇太殿下、皇太子妃殿下が順に拝礼なされる。また全国の神々の神恩に感謝する「春季神殿祭」も斎行される。

「春彼岸」と呼ぶなら未だ好いが、「春分の日」「秋分の日」という名称は如何なものか。この日は別に冬と春の境の日でも夏と秋の分かれ目でもない。また「自然をたたえ、生物をいつくしむ」とは実に意味不明な趣旨だ。

 諸外国に比べ、日本の祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はない。だが、多くの日本人が、祝祭日をただの休みとしか考えなくなったのは、政治家の不作為も然ることながら日本人の精神的貧困を顕している。

 祝日法の改正により導入された、所謂「ハッピーマンデー」は、左翼陣営が国體破壊を目的として休日の意義を薄れさせる為に施行された策謀である。

 1月15日の小正月に行われる「成人の日」や明治天皇東北御巡幸帰還日の7月20日の「海の日」、アジアでまた有色人種国で初めての東京オリンピック開催日の10月10日の「体育の日」もハッピーマンデーに組み込まれた。

 国體破壊を目指す左翼陣営の最終目的は、重要な祭日である11月23日の「新嘗祭(勤労感謝の日)」と2月11日の「紀元節(建国記念日)」をハーッピーマンデーに組み入れ、祭日を意味のない休日にすることである。

 自民党内でも、観光立国の国策や景気優先から「ハッピーマンデー」に同調する意見もあるというが、最早保守政党として体を成していない証左だ。

「日本を取り戻す」「戦後レジームからの脱却」というなら、景気対策以前にGHQの謀った様々な策謀と相対するべきではないのか。

 安倍は「日本を取り戻す」「戦後レジームからの脱却」を叫べども、皇室典範に皇統破壊に繋がり兼ねない退位特例法を附帯し、祝日法の改正どころか発展途上国並みの観光立国を国策とし、外国人労働者という移民政策を強行する。

 春分の日を「春季皇霊祭」、秋分の日を「秋季皇霊祭」として復活させることは、我が国の国體の精華を取り戻すことでもあり、それが「日本を取り戻す」ことであり、「戦後レジームからの脱却」に繋がって行くのだ。

 同時に、建国記念の日を「紀元節」、勤労感謝の日を「新嘗祭」と本来の名称に戻し、「憲法記念日」や「山の日」など意味の無い休日を廃止し、4月3日の「神武天皇祭」と10月17日の「神嘗祭」を復活させることが求められる。

 GHQが我が国の歴史や伝統、文化を否定することから始まった「祝日法」を再改正し、天下の愚策である「ハッピーマンデー」を廃止すると共に、祝祭日の意味と意義を国民に教えて行かねばならないと痛感する。

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2019年03月21日

現憲法との整合性で退位を謀った安倍晋三こそ究極の護憲派である

 皇統断絶に与する安倍政権は「式典委員会」を開き、来月末に行われる「退位礼正伝の儀」の細目を決定した。現憲法との整合性を優先し、2679年続く皇統の歴史や天皇の祭祀を軽んじて現憲法下で象徴天皇を固定化する企てが見える。

 安倍は保守票欲しさに憲法改正を訴え自衛隊を憲法に明記しようとしているが、天皇条項に対しては現憲法との整合性を優先するというのは矛盾してないか。

 譲位礼や即位礼、大嘗祭等等が憲法に抵触し、左翼から「違憲だ」と訴えられるなら正々堂々と受けて立ち、憲法改正の狼煙を上げれば好いではないか。

 今回の退位礼正殿の儀は、皇太子殿下への譲位の宣命を発することなく「天皇を御辞めになる」という意思を国内外に知らせるものでしかない。

 天皇が崩御されると、その瞬間に今上天皇が践祚(せんそ)される。践祚とは皇位の継承そのものをいう。今回の退位礼正殿の儀は、あくまでも「譲位ではない」との理由から、皇太子への「宣命」はなく「剣璽等承継の儀」は行われない。

 歴代の天皇の譲位は「宣命」された瞬間に皇位が移る。皇太子は拝礼をされ「受禅(じゅぜん)」すると、前天皇から剣璽等承継の儀が行われる。

 剣璽とは「三種の神器」の天叢雲剣と八尺瓊勾玉を併せた呼称で、三種の神器の一つである神鏡は宮中三殿の賢所の神体である為に「剣璽等」となる。

 今回の退位礼では皇太子への宣命はせず、この日の「剣璽等承継の儀」を行わない。草薙剣と勾玉を政府が取り上げ、翌日に政府から侍従を通し渡される。

「剣璽等承継の儀」には男性皇族のみが加わるというのが習わし。「男性皇族のみ」というのが、男女共同参画社会や女性宮家論者らの逆鱗に触れる恐れがあるということが、剣璽等承継の儀を行わない最たる理由だろう。

 女性宮家論に与する連中は「時代の変化に即した対応」などと女性皇族の参加を求めているが、臣下降下され皇籍離脱した旧皇族の皇籍復帰の実現を図り祭祀を復活させることこそが皇統を盤石の安きに置く最善最良の策である。

 儀式では、陛下より先に安倍が「退位特例法に基づき退位する」と表明し、陛下が最後の御言葉を述べるという流れらしいが、安倍は何様のつもりなのだろう。

 何やら、安倍より先に陛下が御言葉を述べると「自らの御意志で退位する」と解釈されれば「天皇の政治利用」として現憲法に抵触するからだという。

 陛下が「高齢になり象徴として国事行為が全う出来なくなった」との御発露を利用して退位を謀っておきながら、今更、何が天皇の政治利用か。

 退位礼翌日に「剣璽等承継の儀」を行うことが、宣命も受禅も無い形だけの皇位継承が、今後の皇統の歴史に大きく影響を及ぼすのは火を見るより明らか。

 現憲法の整合性を優先するばかりのこんな儀式に意味があるとも思えない。畏れ多くも天皇とは憲法以前の御存在であり、GHQが国體と皇統破壊を目指して創られた現憲法で語ること自体が間違いである。

 天皇の祭祀は皇室典範に基いて行うべきだが、現皇室典範もまたGHQにより改悪された。今回の特例法案に基づく退位礼正殿の儀は、我が国の長久の歴史の改竄と皇統断絶の一里塚であり、安倍こそ天皇廃止論者に与する究極の護憲派である。

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2019年03月12日

「秋篠宮皇嗣殿下」という呼称に見る宮内庁と安倍政権の売国性

 皇統断絶を謀る宮内庁並びに政府は、譲位後に皇位継承第一位となる秋篠宮殿下の尊称を「秋篠宮皇嗣(こうし)殿下」と呼称すると発表した。

 新聞記事には「天皇代替わり後、皇位継承第一位となられる秋篠宮さまの呼称・・・」などと、譲位や即位ではなく、ヤクザの組長と同じく「代替わり」と報じ、また日頃から敬称を略し「さま」呼ばわりしながら敬称を論じる矛盾。

「代替わり」や「退位」「新天皇」「女性宮家」というのは共産党が好んで使う言葉であり、「皇嗣殿下」は「天皇制」と同じく共産党の造語である。

 宮内庁は「皇位継承第一位であること、秋篠宮家の当主であることが広く対外的に明確となる呼称が望ましい」と説明し、更には「新天皇陛下の弟君であり、日本語では皇太子とは違う」と、英語表記を並べて詭弁を弄している。

 今上陛下は譲位後、「上皇」と「上皇后」と呼ばれるが、皇統の歴史に倣えば「太上天皇」であり、皇嗣殿下ではなく「皇太子」や「皇大弟」である。

 共産主義者ら狙いは「皇太子」を空位とし、東宮職を消滅させることだ。秋篠宮家の存続は内親王殿下の女性宮家の布石であり、皇太子を空位にさせる意味は、後の秋篠宮悠仁親王殿下即位阻止への一里塚である。

 女性皇族は結婚に因り皇籍を離れるが、要は「秋篠宮家」を残して内親王を女性宮家にしようという宮内庁や反天皇活動家らの策謀に他ならない。

 女性宮家というが、宮家は男性皇族だから宮家なのであり、女性皇族とが婚姻するのは旧皇族の男系男子からの婿入り(養子)とは如何なものか。

 女性皇族が、天皇としての一部の国事行為や公的行為は継承出来ても、女性宮家を創設したところで出来るのは皇室外交くらいなもの。皇本来の御勤めである祭祀を継承したり代行することは不可能ということを理解していない。

 保守派の論客である櫻井よし子や八木秀次、保守評論家や学者らの多くが、旧皇族の婿入りを主張しているが、臣籍降下させられた旧皇族の皇籍復帰もせずに男系皇族を婿入りさせようなどとは本末転倒と断じる他はない。

 旧皇族の男系男子が拒否した場合にはどうするのか。一般人が皇族となる可能性もあり、こうした認識不足が反天皇勢力に付け入られる。

「女性宮家」では祭祀が叶わない。臣下降下された皇籍離脱した旧皇族の皇籍復帰の実現を図ることこそが皇統を盤石の安きに置く最善最良の策である。

 旧皇族の復帰を図り、廃絶になった宮家(秩父宮・高松宮、女性皇族しかいない常陸宮と三笠宮)を再興し、祭祀を継承して戴かなければならない。

 共産主義者らが何故に女性宮家創設を急ぐかは、男系男子の皇統の歴史に楔を打ち込み、現憲法第二条に拠る世襲を強行し、愛子内親王殿下を即位させ皇統断絶を完遂しようという反天皇運動、皇統断絶への実行である。

「戦後レジームからの脱却」を標榜する安倍政権下、ヤルタポツダム体制からの脱却どころか、共産主義者らに与し、我が国の皇統の歴史が改竄され皇統断絶に邁進していながら、よくもいけしゃあしゃあと言えるものだ。

 譲位後は「皇族減少」を理由に女性宮家創設の動きが活発になるだろう。占領下、GHQの謀る皇籍離脱に最後まで反対した昭和天皇の意を汲み、旧皇族を皇籍復帰させることこそが皇統断絶を救う唯一の道である。愛国者よ、団結せよ!

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2019年03月11日

早いもので東日本大震災からもう8年かぁ

 早いもので東日本大震災からもう8年かぁ。震災当日の午後3時頃、国会中継を見ていると「緊急地震速報」のテロップが流れ、数秒後、ゴーという不気味な音と共にドカ~ンっという大きな揺れに徒ならぬ不安を覚える。

 直ぐに止むと思っていたその揺れは収まるどころか更に強まり、部屋中の物が散乱した。間隔を置いて3回、凡そ5分間の激震が続いた。

 兎に角、経験したことの無い長く強い地震だった。余震の続く中、部屋を見渡すと物は落下し、天井は歪み、サッシ戸や窓は開き、風呂場の壁は剥がれ落ちてた。そんな中でも無事だったのは幸いだった。

 愚妻に連絡を取るも携帯は繋がらない。愚妻にtwitterなどのSNSをやらせとけばと悔やんだが仕方ない。散乱した物を片付けながら帰りを待った。漸く帰宅すると倅夫婦と孫も一緒で、無事な様子に安堵したことを思い出す。

 倅夫婦の住まいもかなり古い家屋なので、倒壊するのではと着のみ着の儘で出て来た為に、孫のミルクもオムツなども持って来る余裕も無く、余震が続く中、近所のツルハドラッグに買い出しに行った。

 地震で散乱した店の中で必要な物を探しレジに持っていくと、店員さんが「こういう状況なので御代は落ち着いてからで結構です。困ってる時は御互い様です。また来店して下さい」との言葉に甚く感動した。

 翌日、イトーヨーカドーへ。水を購入しようと探すも2ℓサイズは既に売り切れで、普段は30円程で売ってる小さな300㎖が一人2本限定で1本100円で売っていたのには厭きれた。正に便乗商法ではないか。

 ツルハドラッグの店員とはエラい違いで、商魂逞しいと言えばそれ迄だが営利主義の賤しさを目の当たりにし嫌な気分になったのは忘れていない。

 震災後、「絆」という言葉が合言葉になり、陛下は「国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共に夫々の地域の復興の道のりを見守り続けて行くことを心より願っています」と思し召し遊ばされた。

 福島県の被災者は宮城や岩手県の被災者に比べて東電からの手厚い補償もあって恵まれている方だと思うが少し甘え過ぎてはいないか。

 被災者は生活の不満を口にし、逸早く県内から逃亡した自称・被災者らも何かと理由を吐けては帰還を拒み、生活苦を訴え、賠償、賠償のオンパレード。

 原発事故の被害は原発周辺者に限らず県民なら誰もが同じことで、偶偶、原発周辺20㌔以内に住んでたからこそ補償の対象になっているだけのこと。これは当時の菅政権の愚策に感謝すべきだろう(苦笑)

 菅は、SPEDDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の数値を隠蔽し、科学的根拠を無視して原発周辺20㌔圏内の住民の避難を指示した。

 この愚策が要らぬ被災者を生み出し、放射線量が低いのに避難を余儀なくされた双葉病院の入所者44名の死亡した正しく人災だった。

 そんな被災者らは口々に「帰りたくても帰れない」と不安を口にする。だが、故郷に帰るより東電からの賠償金で暮らしてた方が楽というのが本音。

 また、原発周辺の住民は東電関連の仕事に従事していた方が多く、福島第二原発の再稼働が成されない現状では帰っても仕事が無いというのが現実。

 福島第二原発が廃炉となれば更に帰還は困難になるだろう。そうした本音を直隠し「我々は被害者だから優遇されるのが当然だ」と言わんばかりの限りない無心は、同じ福島県民としてホントみっともない。

 反原発派も被災者同様本音を隠す。戦後「平和」という言葉が共産党など左翼政党の党勢拡大に最も効果的な武器となった様に、「反原発」も放射線の恐怖を煽り、国民の不安に便乗した革命謀略運動である。

 代替エネルギーの太陽光発電にしても、原発事故を利用した便乗商法というのが正しく、原発再稼働が滞る限り国民負担の賦課金は殖え続ける。

 国民に負担金を強いる再生可能エネルギーは国力低下を招くのは必至。それよりも我が国の技術力をもっと信用し原発の再稼働を急ぐべきで、東京電力福島第二原発や東北電力女川原発の再稼働こそ復興の象徴になるだろう。

 一時的な感情論で福島第二原発の廃炉を決めるのであれば、被災者に対し避難している今の土地での再起を促し納得させることも政治の責任である。

 原発事故以来、ロクに休養も取らず、家族にも会えず、原発構内で命懸けで事態を収束させようと努力している方々がいる。そうした方々の努力や犠牲の上に今の生活が成り立っていることを忘れてはならない。

 世界が注視する中で、過酷な現場で従事している彼らの人智が我が国の未曾有の国難を救い、その努力が必ずや報われることを願って止まない。

 東日本大震災日の今日、県内は追悼集会に加え、迷惑なことに反原発派が騒ぎ立てる。各々の主張は控え、心静かに今日の日を過ごしたいものです。東日本大震災に於いて犠牲になられた方々に対し衷心より哀悼の意を表します。

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2019年03月10日

3月10日という日を忘れてはならない!

 日露戦争開戦前、世界の軍事専門家の中で極東の小国であった我が国が当時世界最大の軍事大国ロシアに勝利すると予想した者は一人もいなかった。

 明治37年2月10日、我が国はロシアに対し敢然と宣戦布告。約1年半に及ぶその戦いで我が国は奇跡ともいえる勝利を収め、「日本」という国の存在がアジアの、そして世界の植民地支配の国にとって希望の星となった。

 国民が決死の覚悟を以て開戦に踏み切った日露戦争の勝利は、結果として欧米列強に我が国の地位を認めさせることとなり、幕末以来の懸案事項であった不平等条約の改正に繋がって行くこととなる。

 即ち、明治維新の真の目的であった「治外法権」と「関税自主権」という二つの不平等条約の改正が日露戦争の勝利によって実現されたのだった。

 二つの不平等条約の内の「治外法権」は日清戦争後の明治32年に克服していたが、「関税自主権」の回復は日露戦争の勝利によって実現されたことで明治維新は成就し、我が国は真に独立を恢復することが出来たのである。

 日露戦争の勝利は世界の植民地政策で搾取や弾圧を受けている民族の独立心を駆り立て、後の大東亜戦争後の植民地の解放に繋がって行く。我が国は大東亜戦争に敗れはしたが、戦後の植民地支配の解放が示す通り大義があったのだ。

 日露戦争の世界史に於ける歴史的意義は、有色人種の日本人が白人に勝利することによって、当時、欧米列強に植民地にされていた世界中の被抑圧民族を感動させ、独立への夢を駆り立てた大きな意義を持つものだった。

 明治38年(1905年)3月1日、大山巌陸軍大将指揮下で日露戦争最後の陸上戦「奉天会戦」が行われ、同月10日ロシア軍を撃破した。この成果を称え祝おうと、翌年、政府は3月10日を「陸軍記念日」として制定した。

 昭和20年3月10日、米国は敢えて「陸軍記念日」を狙い本土攻撃を断行する。この大空襲に因って多くの無辜の人々の尊い命が失われた。

 米軍は最初の空襲を敢えて陸軍記念日を選んだ。日本の多くの家屋が木造だという理由から火炎の強い焼夷弾を投下したことでもその非情さが分かる。

 米軍は3月10日の爆撃に飽き足らず、4月13日、同月15日、5月25日にも空襲を断行した。5月24日未明から翌日25日の空襲では、その戦災は皇居にも及び、宮殿が全焼し、陛下の執務室や御所、正殿などの儀式殿を失うこととなった。

 宮殿が全焼という中で、昭和天皇は、御文庫を仮の御所とされ、昭和36年吹上御所に御移りになられる迄の17年間を御文庫で御過ごしになられた。

 3月10日の大空襲以降も陛下は、戦争で疲弊した国民生活の向上が最優先であるとの思し召しから「国民と共に苦楽を分け合う」と仰せになられ、皇居から御移りになられることはなかった。戦後も新宮殿の再建を御許しにならなかった。

 東京大空襲での死者は8万3793人に上り、罹災者は100万人を超えた。史上最大の虐殺と言っても過言ではなく、広島、長崎への原爆投下と同様に一般人を犠牲にした蛮行は戦争犯罪や人道に対する罪からも断じて許されるものではない。

 マッカーサーの右腕の一人、ボナ・エラーズが、日本への空襲を「史上最も冷酷野蛮な殺戮」と証言していることでも分かる様に、大空襲や原爆投下、ドイツのドレスデン爆撃は「国際法違反」の代表的例である。

 東京裁判で連合軍は、その理由を「東京への爆撃は重慶、南京の日本軍のよる爆撃への報復」と詭弁を弄した。戦後、GHQは日本人に対し、未来永劫、贖罪意識の植付けと日本弱体化の為にあらゆる施策が謀られた。

 悲しい哉、日本人の中にも未だ、こうした米国のプロバカンダを信じ「日本が戦争さえしなければ空爆されなかった」といった自虐史観が散見されるが、いい加減、米国の謀った戦後民主主義という洗脳から目覚めなくてはならない。

 米国製の日本国憲法然り、戦後教育然り。米国による戦後占領政策の意図は予想以上に成果を上げ、悪害を齎し続ける。そして「日米同盟」とは名ばかりの「米国のポチ」として忠誠・従属を誓い続けている。

 陸軍記念日であり、東京大空襲が始まった3月10日という日は、国民が「国防」という意味を理解し、米国依存体制からの脱却を図り、真の主権恢復の為には何を成すべきなのかを考える一日でありたい。

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2019年03月08日

詐欺師・籠池を始めとした似非愛国者らが付けてる拉致バッチ

「安倍晋三小学校(後の瑞穂の國記念小学院)」の設立を目論み、国や大阪府、大阪市の補助金目当てに工事請負契約書を偽造し、1億7700万円を騙し取った籠池夫婦の初公判が大阪地裁で行われた。

 籠池は「国策捜査」「国策逮捕」と無罪を主張した様だが、その主張はソシオパス(社会病質者)そのもので早々に刑務所の収監すべき輩だ。

 周知の通り「森友学園」は籠池泰典が始めた愛国ビジネス。児童に教育勅語を唱和させ、罰当たりなことに昭和天皇が学園を訪問したとの記述をホームページに載せて、学園が神道を重んじた学園であるかの様に偽装した。

 安倍明恵首相夫人や今回の平沼赳夫や鴻池祥肇などの政治家を利用して「瑞穂の國記念小学院」の設立し補助金を詐取しようと目論んだ。

 当初、愛国者を気取る籠池を安倍糾弾の好材料とする野党やマスコミは、恰も安倍が学園設立に熱心だったかの様に世論誘導し、安倍夫人にその矛先を向けた。だが、全てが籠池の一人芝居だったことが露呈する。

 籠池逮捕で一件落着かと思いきや、野党もマスゴミも倒閣運動に籠池を利用し、作為的な記事を垂れ流しては籠池が正しいと言わんばかりに国民を誑かした。

 籠池も籠池で、詐欺を働きながら恰も被害者を装い詭弁を弄し、言い訳に終始しているが、正にソシオパスの典型で、反社会的人格障害ぶりを現す。

 籠池が愛国者なら、天皇陛下を利用した不敬極まりない行為を恥じ腹を召すべきだが、所詮は似非だからそうした覚悟は毛頭無く、醜い言い訳に終始する。

 国会証人に呼ばれた籠池は、愛国者を気取り「天皇国日本」という言葉を口にして「このままでは憲法改正は出来ないのではないかという疑念を抱いた」と安倍への嫌味たっぷりに語り悦に入ったのは記憶に新しい。

 籠池が憲法改正や教育勅語を口にする度に保守派や愛国者が実に軽々しい印象を与え、国民もまた保守派に対する疑念を抱いたのも確かだろう。そういう意味でも、愛国者や保守派を軽んぜらせた籠池は罪深い。

 こういうインチキ野郎が、拉致バッチ(ブルーリボン、ブルーリボンバッチ)を付けているのを見ると、拉致問題を揶揄しているとしか思えない。被告人という立場を弁えるべきで、とっとと外して欲しいものだ。

 拉致バッジは、1日も早い拉致問題の全面解決を願い、拉致被害者を吸湿しようという無言の意思表示だが、政治家はパフォーマンス的に付け、自称愛国者らは単なる愛国者のポーズでしかなく、バッチを付けることで満足している。

 先行われた米朝会談では、トランプ大統領は非核化の問題の前に拉致問題を取り上げたという。次は安倍が、同胞が拉致されたという事実に日本国民がどれ程の怒りを持っているかということを金正恩に伝えなければならない。

 自分の子供を、家族が危害を受けて黙っている者はいないだろう。況してや暴力によって不当に拉致された家族を取り戻したくても個人ではどうにもならず、安倍では心許なくトランプ大統領を頼るしかないのが悲しい現実なのだ。

 安倍は拉致家族会の前で日朝首脳会談を行う旨を話したという。米朝会談が物別れに終わり、北朝鮮はミサイル発射基地復旧に踏み切ったとも聞く。

 米朝会談の結果次第などと悠長なことは言っていられない。米国との関係が悪化しようともあらゆるルートを駆使して金正恩との会談を実現させ、自分が身代わりになるくらいの意気込みを以て拉致問題の解決を図るべきだ。

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2019年03月07日

玉城デニー沖縄県知事が「一国二制度」に言及

 玉城デニー沖縄県知事は沖縄の独立を否定し、沖縄の将来像として「自治州的な一国二制度」がベストとの認識を示した。

「沖縄にいる自衛隊が、アジア各地の災害に真っ先に駆けつけるという存在になれば諸外国から信頼と安心感を持って受け止められる」とも語った。

 米軍撤退は大いに結構な話だ。米軍を追い出すのであれば自衛隊強化が必要だが「沖縄にいる」というのがミソか(笑)

「独特な歴史、文化、地理的特性を持つ沖縄だからこそ、一国二制度に移行すれば日本にとっても沖縄にとっても将来展望がより広がる」という。

「政府から『これだけの財源と権限で沖縄の行政をしっかりやって下さい』と任される一国二制度です」というが、何か胡散臭い。

 抑々「一国二制度」という言葉は、中国共産党が台湾問題に関して使われた言葉で、玉城知事のいう一国二制度とは、都合よく日本政府を利用し、中共の顔色を伺う沖縄の伝統でもある「二股主義」ではないのか。

 地理的に日本と支那の中間に位置する沖縄は日本から見れば同じ日本人だが、支那や沖縄から見れば寧ろ支那と同族の関係と考えられている。

 反日左翼の沖縄メディアの洗脳も然ることながら、そういう支那への哀愁が消えていないのは確かだろう。だが、現在の支那は共産党一党独裁の中華人民共和国であり、日本故にこうした活動が赦されているだけで現実逃避でしかない。

 沖縄の住民は、日本本土から南下した日本人とポリネシア系、台湾系、支那華南系で、明の時代に支那に入貢して琉球国・中山王として冊封を受け、奄美大島から先の宮古・八重山までの領域を支配する中央集権国家を築いた。

 琉球から日本へ使者が派遣されたのは室町時代になってからで、徳川幕府の命令で島津藩が琉球に出兵し奄美大島を直轄化したが、琉球はその後に支那に誕生した清朝の冊封も受け両属の立場を採った。

 2千円の図柄の「守礼の門」は支那からの冊封使を迎えて行う琉球王の即位式の会場であるが、これをしても沖縄が日本と支那と両属だったかが解る。

 琉球は日本文化が拒絶した「宦官制度」を導入していた様に支那の属国の一面を否定出来ない。また、日清戦争の際には日本派(開化党)と清国派(頑固党)が乱闘を演じた。その戦争で日本が勝利した結果、清国派は支那に逃避した。

 沖縄人にとっては沖縄で何人が君臨しても構わなかった様で、「明」や「清」の変わり目に当たって支那に使した使節の如き、「清帝」と「明帝」とに捧げる二通りの上表文を持参して行ったとのことでもその心情を理解出来る。

 現在の沖縄も「頑固党(清国派)」と見間違うばかりの連中が「日本からの独立」と「中共への隷属」を本気で考えている様にしか感じない。

 沖縄県民の米軍基地アレルギーは理解出来なくもない。だが、米軍が否なら自衛隊を増強すればいいだけ話し。それには日米安保や日米地位協定、何より現憲法の見直しを要するが、それは容易なことではない。

 沖縄から米軍が出て行ったとして本当に困るのは、反米運動を生業にしてる左翼やプロ市民、労働組合やマスコミに煽られて「反基地」活動を支援して小遣いを稼いでる住民なんだろうと思うと気の毒にも思えなくもない(苦笑)

 沖縄という地域は日本全体の安全保障上の重要な要であり、国防や安全保障という国家の大本を米国に委ねる歪なカタチを見直さない限り、こうした「基地外(キチガイ)」運動は決して消えることは無いだろう。

 まぁ、沖縄左翼が席捲しようが、沖縄の保守派が危機を喚こうが、どちらも平和ボケの延長の様なもので、日米同盟が続く限り何も変わらんよ(笑)

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2019年03月05日

退位法案と新元号に見る安倍晋三の思い上がり

 天皇退位法案成立を謀った安倍は、5月1日の即位に伴う新元号について、省庁の御都合主義から4月1日に前倒しすると表明したのは報じられてる通り。

 昭和天皇が崩御し今上陛下が即位し元号を「平成」と改めた。昭和天皇の御不例の際には国事行為や祭祀は皇太子殿下が輔弼し輔佐した。これらに何の不都合があったというのだ。譲位の問題も、この前例に倣うべきだったが後の祭り。

 天皇の自らの意志で退位するかの様な企てを謀った安倍の口から「譲位」という言葉が発せられたことはないことでも、安倍は共産主義者と同列の、否、それ以上に皇統断絶に熱心な確信犯であることは疑い様のない事実だろう。

 安倍が対中共や対北朝鮮を見据え、頻りに国防強化や自衛隊の存在を理由に憲法改正を訴えるのは保守票目当てのパフォーマンスに過ぎず、一方で皇統断絶を謀りながら国防強化とは恐れ入る。これ正に保守を騙る獅子身中の虫。

「国防」とは単に領土の防衛だけに非ず、我が国の伝統文化や我が国の精神文化を護ることであり、何より死守しなければならないものは皇統である。

 安全保障や憲法観より重んじるべきは「国家観」であり、皇統(国體)を護る気概が無くして安全保障は語れない。安倍には国體を護る気概、つまりは尊皇精神が決定的に欠落しているのだ。正にこうした似非保守が国を亡ぼすのだ。

 新元号制定の過程も元号の二文字ばかりが話題に上り、我が国の元号の重要性が語られることはない。元号とは、我が国文化を象徴であり、先人の営みと我が国の歴史が天皇を中心に織りなされて来たという厳然たる事実の証明でもある。

 元号は、第36代孝徳天皇の御代に建てた「大化」に始まる。斉明、天智、弘文天皇の御代には定かでないとされているが「平成」に至るまで約1300年間途切れることなく続き、南北朝時代に並行した元号を合わせると実に248に及ぶ。

 歴代の天皇は数年から10年を目途に「改元」し、巧みに時代転換をして来た。中でも幕末の混乱期に御即位した孝明天皇は、御在位21年の間に「嘉永」「安政」「万延」「文久」「元治」「慶応」と実に6回も改元為された。

 これ即ち幕末という混乱の時代を如何に転換させるかの苦衷の表れでもある。元号は、節季の習俗を時代の流れに応用する先人の智慧でもある。

 元号に関する規定は旧皇室典範第12条に「践祚ノ後元号ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ従フ」と明記されていたが、現日本国憲法下、現皇室典範が制定されるに伴って条文が消失し、法的明文が無くなった。

 旧皇室典範第12条の「明治元年の定制」とは、明治元年9月8日発令の「太政官布告」である。ところが大東亜戦争後の昭和22年5月3日の憲法記念日に合わせて旧皇室典範は廃止され、現皇室典範がGHQの策謀に因って国会議決された。

 現皇室典範には大嘗祭と同じく「元号」に関する規定が無い。新元号を民間から選抜した有識者が選定し、憲法下で公正に決められたものであるかの如く取り繕ったところで、左翼らから元号使用は憲法違反であると提訴されるのは明らか。

 安倍政権下、天皇の大権である元号制定権を簒奪し、天皇を政令や憲法以下の存在に貶めておきながら、何が「美しい日本」か、嗤わせるな。

 安倍は「皇位は践祚される」という我が国古来の法を破壊し、現憲法の配下に天皇を置こうとしている様だ。その為にも第九条の改正を実行し日本国憲法を絶対的なものとしているが、売国性著しい安倍の思い上がりは断じて赦し難い。

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2019年03月03日

韓国の妄想なんぞ一々相手にする必要はない

「三・一独立運動」が起きたとされる1919年から100年の昨日、ソウルで記念式典が行われ、相変わらず被害者意識丸出しの妄言を垂れ流した。

 何やら独立運動では「約7500人の朝鮮人が殺害され、約1万6000人が負傷、約4万6000人が逮捕・拘禁された」と演説したという。この数値に根拠は無いが、独立と抵抗運動であればかなり少なくないか(笑)

 大韓民国臨時政府が発足される10年前、10月26日、ロシアのココツェフ外相との会談の為ハルピンに到着した伊藤博文は駅構内で凶弾に倒れた。

 殺犯は抗日運動の英雄でもある安重根とされているが、捜査の結果、伊藤博文に向けて13発の銃弾が発射され、このうち安重根から発射された銃弾は5発。だが、その全てが伊藤には命中していない。

 致命傷になった弾丸は駅構内の二階から発射されたフランス騎馬銃の弾丸2発で、安重根が犯人ではないのは今や歴史的事実である。

 当時、韓国では人種差別的に日本人に反感を持つ欧米の宣教師達が朝鮮の信者を焚き付け反日行動を煽っていた。安重根もそんなカトリックの信者で、日本の韓国支配が進むことへの不安から義兵闘争に参加する。

 当時、列強が虎視眈々と狙っている国際背景に対する理解や、韓国が独立国としての対応能力を失っている点に気付かず、更に自国に対する批判や反省をすることなく、伊藤博文へのテロの実行に至った。

 伊藤博文は韓国併合反対派だった。この事件は日本は勿論のこと朝鮮国内をも震撼させ、日本の報復を怖れた韓国政府と民衆の反応は以前から取り沙汰されていた日韓併合に傾き、日本国内でも併合論が大勢を占めて行く。

 韓国併合反対だった伊藤博文が暗殺されたことで、皮肉にも日韓併合は急速に進んだ。つまり伊藤博文暗殺は、日韓併合に反対する勢力というより、日韓併合派が謀ったテロであり安重根を英雄視するのは間違いだ。

 この事件について高宗は「伊藤を失った事は、我国と謂わず、日本のみならず、東洋の不幸である。その凶弾が韓国人と在っては赤面の外無い。日本天皇は唯一の重臣にして太師の伊藤を亡くされた。それなのに伊藤を害した兇徒を出した国の皇太子を、飽く迄も輔育する誠意を見せた。山よりも高く海よりも深い恩義有る日本皇室に、どう感謝の意を表すべきだろうか」と述べている。

 日本に敵対して来た高宗の言葉だけに、これを聞いた朝鮮民衆の日韓併合への抵抗は薄れたのだった。その10年後に独立運動が起きて大韓民国臨時政府が発足したというのは、朝鮮人特有の我田引水的妄想でしかない。

 安重根の純真な愛国心を否定するものではないが、日清戦争後、ロシアが南下政策を開始し、遼東半島に攻め入り、韓国までも触手を伸ばすが、これを韓国独自で対峙することなど出来なかったのは歴史が証明している。

 その意味では寧ろ、日本による韓国保護の必要性を認め、日本と一体となった上で、民族の自立発展の道を模索しようとした、李完用ら「日韓合邦派(親日派)」の主張の方が現実的だったと言えよう。

 韓国が非難して止まない差別と弾圧の「日帝支配」なるものも真実はその逆で、世界に例を見ない極めて公平で平等な制度だったのだ。

 今や「日韓併合」は「日帝支配」と歪曲され、日韓合邦派は犯罪者とされてしまっているが、果たしてどちらが本当の愛国者だったか。

 歴史を直視しない韓国は、安っぽい愛国心から安重根を救国の志士と称えるが、単に安重根は「反日」の精神的支柱として利用しているに過ぎない。親日派として断じられている李完用こそが真の愛国者であり英雄であろう。

 独立運動から100周年を迎え、植民地支配時代の抗日運動が美化され、韓国内の反日感情が高まるだろうが、所詮は歴史を直視しないことから起こる妄想でしかなく、我が国は一々相手にする必要はない。

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2019年03月02日

「元号法」の廃止を訴える共産党が退位法案に賛成した意味を知るべし

 共産党の志位が「元号は時をも君主が支配するとの考えから来ている。国民主権の原則に馴染まない」と述べ「元号法」の廃止を訴えた。

 志位は「元号は時をも君主(天皇)が国家を支配する」というが、あの巨大な権力を支配した徳川時代でさえ元号の改定は朝廷の大権だった。

「君主が支配するとの考え」という認識こそ、世は支配者(天皇)と隷属者(民衆)だけとしか考えない共産主義者ならではの歪んだ発想である。

 暦とは別に「元号」こそ節季の習俗を時代の流れに応用する先人の智慧であり、我が国文化を象徴するものである。

 志位は先日も「戦争責任は前天皇にある」とホザいてたが、志位を始めとした天皇廃止論者らが「退位法案」に賛成したという意味を知るべきだ。

 志位らは日本国憲法第一条の「総意ではない」という理由で天皇の存在を違憲であるとしている。また、現皇室典範には「元号」に関する規定が無いという理由から、元号に対しても反対すると思っていたが、果たせる哉。

「元号法」という法律がある以上、元号を用いるべきであるが、売国マスコミらは敢えて元号を使わず西暦を常用している。共産党に至っては党の機関紙「赤旗」では昨年から西暦と元号を併記していたというから実に巧妙だ。

 無神論者である共産主義者が、キリスト生誕を起源とする西暦を使用するというのも可笑しくないか。天皇がダメで何故にキリストは好いのか(笑)

 元号反対の理由を見れば「元号は戦前からの慣習であり、天皇の元首化を狙うものだ」とか「元号は旧憲法下の天皇制に付随したものである」とか、皇室に対する怨念を込め、我が国體の否定を顕した愚にも付かないものばかり。

 昭和54(1979)年の元号法成立の過程で、共産党や左翼陣営は「元号は天皇主権の旧憲法への逆戻り」「元号は天皇元首化の動きと直結」「元号によって天皇の権威を国民の隅々にまで行き亘らせる狙い」だと騒ぎ立てた。

 こうした屁理屈は今も変わりはない。だが、共産党らが指摘した通りで、元号とは陛下の御稜威を国民生活の隅々にまで行き亘らせることにある。天皇即日本であり、天皇の厳(いつ)を願うのは日本国民として当然のことではないか。

 我が国はいつの世も、時の陛下の御代である。いつの世にもそこには「君が代」の世界が存在し、それは存在し続けなければならないものである。

 その御代を端的に表現するものが「元号」であり「一世一元」制である。正に我が国の国體の精華であり、世界に誇る美風である。だが、安倍政権下、徳川時代でさえ触れなかった天皇の大権である元号制定権を簒奪した。

 行政のシステム改修の問題を理由に改元詔書渙発を廃止し、憲法や法令を優先し「皇位は践祚される」という古来の法を破壊した罪は重い。

 陛下の御身体への負担を理由にし4月30日の退位式、そして翌日の即位式を行うが、譲位(践祚)されることなく、10数時間ではあるが皇統が空位により断絶するという歴史的事実を、反天皇勢力は利用して騒ぎ立てるだろう。

 保守を自任しながら尊皇精神に欠けている。こうした中途半端な認識と行動が志位ら共産党を始めとした天皇廃止論者に付け込まれるのだ。

 元号を確実なものとする為にも現憲法と現皇室典範を破棄し、大日本帝国憲法下(欽定憲法)と旧皇室典範の復元を図るべきだが、あろうことか安倍は憲法九条改正に拠って現憲法を絶対なものにしようと企んでいる。

 践祚を無視した退位式典然り、女性宮家問題然り、共産主義者が謀る天皇廃止運動は、保守派を抱き込んで国民が気付かない儘に巧妙に実行されている。

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cordial8317 at 06:06|PermalinkComments(0)