2018年11月

2018年11月28日

福島民報新聞「戊辰150年・第三章~信義を貫いて~」・河井継之助編

 連日、地元紙の一面は「戊辰150年・第三章~信義を貫いて~」の連載。49、50回目は長岡藩家老で軍事総督の河井継之助関連の記事が躍っている。継之助の評価は賛否両論あるが愚生的には幕末の武士の中でも最も尊敬する英雄である。

 慶応4(1968)年1月3日(1月27日)、鳥羽伏見の戦いが勃発。西軍は次第に勢力を強めて、3月には江戸城開城、上野寛永寺の戦いなどにも勝利し、最大の目標である会津を目指し北上する。7月、北越の地にも西軍が迫る。

 小千谷の慈眼寺に於いての会談は東西の戦いに決定的な影響を及ぼした。軍事総督の継之助は、内戦を続けることは互いに得策ではないと、長岡藩の中立を保ちつつ東西の和平交渉を進めようと立ち上がる。

 継之助は山縣狂介(有朋)か黒田清隆との会談を希望するも弱冠23歳の岩村精一郎が対応。会津藩を恭順させる旨を訴えるも、岩村は「長岡藩も朝敵と見做す」と一蹴し会談は決裂した。この時、継之助42歳。

 長岡藩は、継之助の下、藩内を統一し「非武装中立」を貫こうとするも、小千谷会談が決裂し、継之助は東軍勢力として戦うことを決意する。長岡藩は奥羽列藩同盟に加わり「北越戦争」へと突入する。

 郷土長岡の行く末を案じた継之助は、藩の財政を立て直すと富国強兵を掲げ、長岡藩の独立と中立を目指す。その為には強大な軍事力が不可欠であると、江戸藩邸を売却して当時3門しかなかったガトリング砲を2問を1万両で購入した。

 長岡藩兵は洋式銃を1人に1丁を買い与え、ガトリング砲と合わせ近代的な訓練と最新兵器の武装を施されていた。そうしたこともあり新政府軍と互角に戦った。

 しかし、圧倒的物量を有する西軍に比べ絶対的な兵力に劣る長岡軍は徐々に押され始め、5月19日(7月8日)長岡城を奪われる。6月2日(7月21日)、今町の戦いを制して逆襲に転じ、7月24日(9月10日)夕刻、敵の意表を突く「八丁沖渡沼作戦」を実施し長岡城を再奪還した。

 これは軍事史に残る快挙であり、戦力で劣る東軍に駆逐された西軍側の衝撃は大きかった。後の関東軍参謀で陸軍中将・石原莞爾の陸軍大学校における卒業論文は河井継之助のこの「八丁沖渡沼作戦」戦術を研究したものだ。

 だがこの奪還の代償は大きく、継之助は左膝下に被弾、重傷を負った。これにより長岡藩の士気が下がり、戦線は次第に後退して行った。

 継之助は、家臣や同士から「会津藩を頼り、会津で再起を図ろう」という進言を受けるも故郷で死にたいとの思いから拒否。だが、戦局は益々不利となり、傷も化膿が酷く破傷風に罹ってしまい、已む無く会津での捲土重来を期すこととなった。

 会津へは国境の八十里峠を超えなければならなかった。峠越えの途中、継之助は次の様な詩を詠んだ。「八十里こしぬけ武士の越す峠」。

 8月5日(9月20日)、会津領の只見に入り、叶番所で休憩した後、只見村の目明し清吉宅に身を寄せ7日間を過ごす。8月12日(9月27日)に只見を出発、塩沢村に到着し、塩沢の医師・矢沢宗益宅に留まる。

 15日(30日)夜、継之助は従僕の松蔵を呼ぶと、「松蔵や、永永厄介して呉りやって有難かったでや」と労いの言葉と共に死期を悟った継之助は火葬の仕度を命じた。「松蔵、火を熾(さかん)にせよ!」

 翌16日(10月1日)の昼に継之助は談笑しひと眠り就くとそのまま危篤状態に陥り、再び目を覚ますことのないまま同日午後8時頃死去した。享年42。

 会津藩への講和交渉提案を引き受けるとまで申し出た継之助に対し「単なる時間稼ぎ」と一切の交渉の機会を与えなかった岩村というのは、刮目して相対することを知らず、一軍の将としては狭量と言える。

 この岩村の無知と熟慮を欠いた判断が、長岡藩を奥羽列藩同盟側へ追い込むこととなったのだが、こうした刮目して相対すことも出来ない若造から罵られた継之助の心境は想像するに余りある。

 長岡藩は東軍勢力として戦うことを決意する。「北越戦争」に於いて新政府軍は長岡藩の抵抗によって大損害を被り、一旦陥落させた城を再び奪われるという軍事史的に稀な大失態を起こすことになった。

 本来であれば岩井は切腹ものだが、こうした失態の責任を問われたり罰せられてはいない。これをしても新政府軍というのは卑しい権力欲ばかりで、武士の精神は既に崩壊してしまっていたと言えよう。

 歴史に「もし」はないが、もし継之助と山縣や黒田との会談が実現していれば「北越戦争」や「会津戦争」は避けられただろう。また維新後に長州閥で固められた後の日本の姿も違っていたかも知れない。

 後に岩村は自伝で「途中で従う様になった信州各藩の家老は平凡な人材ばかりで、河井についても経歴や人物を知らなかった為に、時間稼ぎをしているだけだと思った」と述懐している。

 日本文学と日本文化研究の第一人者であるドナルド・キーンも、この岩村の人物像をして「無能で横柄な岩村の抜擢は最悪の選択だったと言える」と厳しく評しているが、何時の時代もこうした高慢極まる人物が国家の行く末を違える。

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2018年11月27日

日台分断工作か、台湾が日本食品の禁輸を継続!

 台湾の統一地方選挙は親日派の与党・民進党が大敗し、親中派の国民党が議席を伸ばした。選挙に伴う住民投票も行われ、福島原発事故以来続けている福島県や千葉など5県の輸入規制継続の投票では「継続賛成」が多数となった。

 与党が政権に就いてれば野党が勢力を伸ばすというのは台湾でなくてもどこの国でもよくあることだが、政権批判に福島原発事故を利用し、恰も福島県産の農産物などが危険であるかの様な政策を掲げて選挙戦を戦ったことに憤りを感じる。

 国民党は「日本産食品は核食(放射性物質に汚染された食品)」だとの危険なイメージを有権者に訴え、この結果、輸入緩和反対が779万票を獲得、規制緩和支持票223万票に3倍もの賛成票を得たが、福島への悪評が功を奏した。

 科学的にも福島県産の食品は安全であり、2018年の「特A」評価だった43銘柄中福島県産米は国内最多の4銘柄が選ばれている。

 福島県産の果物も美味しいし正に農業王国でもあるが、福島だけではなく千葉県や東北地方が原発事故後もこうして批判に曝されていることは一体何が原因なのか。国内で福島を貶めてる輩がいることも関係しているのは間違いない。

 山本太郎ら反原発派は未だに「福島県内の農家は汚染物を作り、ばら撒き続けている」「福島県産を買うくらいなら中国産を買う」「福島の人達は命に怯えながら生きている」と口外して憚らない。

 反原発運動は有権者の不安に便乗した政治闘争の一つであるが、反原発派に因る流言蜚語を国民党らが政争に利用する構図は左翼特有のものでもある。

 福島原発事故後、原子力規制委員会は放射線防護対策の年間被曝線量は「20ミリシーベルト以下」であれば人体に影響が出ることもないとの提言を行っている。被曝線量年間20ミリシーベルトは科学的に決められた世界の常識でもある。

 未だに1ミリシーベルトという科学的根拠の無い数値が独り歩きしている。こうした不適格な数値を改められないのは正に政治の怠慢以外の何物でもないが、一度信じてしまった思い込みを払拭するのは容易なことではない。

 春先に行われた福島県産の食品購入への意識調査では、未だに放射性物質に不安を感じてる国民が13.9%もいることに驚いた。こうした少数派の多くは反原発派やそれに煽られてる国民だろうが、それを翻意させるのもまた困難でもある。

 原発事故当時、原子力安全・保安院は、福島原発から放出されたセシウムの量が広島原爆の168倍とする試算を公表し、これをマスコミが大きく報じた。

 後に「広島原爆の168倍」という数字が全く意味のないものだったことが分かったが、国民の放射線への恐怖や不安を植え付けるのには効果的だった。

 だが、広島・長崎の原爆では放射線セシウムによって死んだ人はいない。死者の殆どは熱線、爆風、そして半減期の短い強力な放射能によるものだった。

 反原発派らはそれに飽き足らず「福島原発事故はチェルノブイリよりも規模は大きい」と根拠の無い、悪意ある嘘を垂れ流し続けた。

 チェルノブイリの原発事故での放射線量は最大50シーベルトと言われているが、福島原発事故はその1000分の1以下だったということも証明済みだ。

 東京オリンピックが開催された昭和39(1964)年から中華人民共和国の核実験は始まった。チェルノブイリより酷いのは中共の地上核実験だろう。

 この核実験に因って放出された放射線量はチェルノブイリ原発事故の実に800万倍に及んだということを山本らは知らないとでも言い張るのだろうか。

 以来、黄砂と一緒に放射性物質が日本全国に降って来た。中でもストロンチウムは福島原発事故の1万倍の量とも言われている。

 セシウムの生物半減期が100日なのに対し、ストロンチウムの生物半減期は15年。中共の核実験の結果、飛来したストロンチウムに因る日本人の体内被曝量は実に1~7ミリシーベルトに及んだ。

 だがどうだろう、そのストロンチウムに因ってどんな影響があったというのか。東京オリンピックに働き盛りだった多くの人は長寿を謳歌している。

 中でも団塊の世代といわれる連中は健康そのもの。この世代に多い戦後民主主義者や無自覚左翼という症状はストロンチウムの影響か(笑)

 台湾での福島県産食品への不安はマスコミや反原発派に煽られた集団ヒステリーというのが正しく、親中派に拠る日台分断工作であることを知るべし。

 政府は風評被害払拭の為に科学的根拠に基づく正しい情報の発信強化は大事だが、親中派に拠る工作を撥ね退け、更なる日台親善を目指すべきだ。

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2018年11月25日

三島由紀夫と森田必勝らの行動こそが正気の狂気である

 昭和45(1970)年11月25日午後0時15分、三島由紀夫は同行した楯の会メンバーの森田必勝、古賀浩靖、小川正洋、小賀正義と共に陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地・東部方面総監室を占拠。この衝撃的な事件を鮮明に記憶している。

 携行した「檄」で三島はこう喝破する。※檄文(全文)http://www.geocities.jp/kyoketu/61052.html

「もっとも名誉を重んずるべき軍が、もっとも悪質な欺瞞の中に放置され・・・自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず・・・」

 自衛隊は現行憲法下では明らかに憲法違反の存在であり、未だ「警察予備隊」時代のまま「集団的自衛権の憲法解釈」などという目先の誤魔化しによってかろうじて存在し、あやふやな中途半端な存在のまま放置され続けている。

 安倍政権下で、正に健軍の本義もなき物理的な巨大な警察機構としての地位を取り払うことなく、憲法九条に附帯するという形で自衛隊を明記しようという愚行が成され様としているが、これつまり現憲法の固定化である。

 自らの国家の防衛をも否定する矛盾だらけの現憲法を破棄し、違憲状態の自衛隊を「国軍」とすることに何を躊躇し、誰に憚るというのか。

 日夜、国の防衛の為に努力する自衛官の姿は心強いし、災害に立向かう自衛隊の存在は実に頼もしい。自衛官は我が国の誇りである。

 国防を論ずることなく、自衛隊の存在を憲法に明記することは自衛隊員への冒涜であり、平和主義を謳う現憲法との更なる矛盾を生むだろう。

 三島由紀夫と森田必勝らは現憲法の矛盾と戦後の不条理と欺瞞を訴えて壮絶な割腹自決を遂げた。常軌を逸した行動は旧来の思想や社会構造を打破しようとする命懸けの行動であり、憂国の至情である。

 こうした行動こそが正気の狂気であり、この狂気こそが我が国に圧し掛かる重苦しい閉塞感を打破する力に成り得るのだ。

【益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐へて 今日の初霜】(三島由紀夫)

【今日にかけてかねて誓ひし我が胸の 思ひを知るは野分のみかは】(森田必勝)

 あらゆる困難に耐え、忍び難きを忍び、決して挫けることなく、初一念を貫いて、皇国日本の再建に邁進せよ(三島由紀夫)。すめらぎいやさか。

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2018年11月24日

大嘗祭や皇位継承に伴う儀式の簡素化こそ現憲法の護持を規定化するものである

 政府は、大嘗祭後に賓客を招く「饗宴の儀」の簡素化を発表。こうしたことは憲法違反の疑いのある大嘗祭を考慮したもので、また饗宴の儀には我が国が国家として認めていない台湾は招待されない可能性もある。

 周知の通り、台湾は世界の中で最も親しい国家であり、東日本大震災での義援金は270億円を越えた。「信義誠実の原則」という我が国が忘れてしまった日本的価値観の美徳が台湾にはまだ連綿と生きている。

 日本の統治時代について台湾の歴史教育は、実に公正に教えており、台湾の近代化にかなり役に立ったという論調で書かれている。鉄道や電気、水道といったインフラ、教育までも日本と全く同じレベルに徹底されている。

 台湾に「日本精神(リップンチェンシン)」という言葉があるという。「勤勉である」「約束は破らない」「人を裏切らない」こういう人を「あいつは、日本精神がある奴だ」と喩える。現代の日本人は恥ずかしくて赤面してしまいそうだ。

 台湾を国家として認めない状況は道義国家として恥ずべきことで、旧ソ連の中立条約蹂躙と同じく日華国交条約の破棄を謝罪し国家として認めるべきである。

 天皇の御地位も現憲法下では、共産党が諸手を挙げて天皇反対を叫んでいる以上「国民の総意」ではなく違憲の存在でもある。本来ならば第9条より第1条から第8条までの天皇条項こそ改憲の突破口とすべきなのだ。

 天皇にとって最も大事なものは「祭事」であるが、歴代天皇が古来より司って来た祭事は、現憲法によって天皇家の「私事」になってしまい、現皇室典範には「大嘗祭」の規定は存在しない。

 現憲法はGHQの国體破壊の目論見が反映され、歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定してた。

 天皇の「国事行為」については、首相の任命、憲法改正や法律の公布、外国大使らの接受等を定めているが「公的行為」は明文化されていない。

 これ即ち、未だ占領政策の一つである「神道指令」の呪縛が解除されずにいる証左である。だが、悲しい哉、安倍を始め保守派からは第9条ばかりでこうした国體や皇統の意味を論じられることはない。

 正統の保守であれば国防とは領土の防衛だけではなく、こうした「それが無くなってしまえば日本ではなくなることを死守する」ことに在る。畢竟、それは皇統を死守することこそ真の国防なのだ。

 皇統断絶勢力に与する宮内庁は、陛下の御負担の軽減というまやかしの大義名分を振り翳し、重要な祭事である「暁の儀」などの祭祀の取り止めや代拝や拝礼のみという簡素化を謀っている。

 大嘗祭や皇位継承に伴う儀式の簡素化こそ現憲法護持を規定化するものでしかない。畏れ多くも天皇は憲法以前の御存在であらせられる。

 陛下の高齢や体調を慮った様な世論誘導による「退位」が謀られ、それが神武肇国から続く万世一系の皇統の悪しき前例となりつつある。平成の世の共産主義者らの策謀に因って断絶の危機の序章となっていることを赦してはならない。

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2018年11月21日

カルロス・ゴーンに見るまでもなく吝嗇家の経済人が多過ぎる

「がんばれ日産!」と永ちゃんのCMが流れてたが、その裏でユーザーを裏切り私服を肥やしていたカルロス・ゴーンが逮捕された。

 容疑は金融取引法違反容疑だが、頂いた報酬をまともに申告せず、約50億円の報酬を過少申告せず、海外などで贅沢三昧な生活とは呆れ甚し。

「資本主義」とは簡単に言えば「カネ主義」のこと。だが、金を儲けることという意味ではなく、その儲かった「カネ=資本」を投入することでそれ以上の収入(税収)を生み国に税金という形で還元することが資本主義の目的でもある。

「赤字国債の発行はケシカラン」「公共投資はダメ」「国民一人当たり830万円の借金」と言った尤もらしい意見を耳にする。

 こうした意見は前述した「資本」の単純な意味も分かっていないから罷り通ってることで、これはマスコミの報道の弊害の一つでもある。

 資本を投入する意味を意味を知らない国民は実に多い。資本主義国に甘んじながら、そうした単純な仕組みすらも理解していない。

 資本を、人間の欲と努力で段々と大きな資本として発展させるところに、事業としても、国家としても繁栄に繋がるという目的が資本主義なのだが、現在の資本家、事業家にそうした国(社稷)を想う心は皆無だ。

 逮捕されたカルロス・ゴーンなどはその象徴だろう。自分の利益になれば良いというのは吝嗇家の考えであり、大型リストラなどで浮いたカネを自分の回りだけで使ってしまったのでは資本主義の意味が無い。

 質素倹約を重んじた経済人というと経団連元会長の土光敏夫だろう。また社稷を重んじた経済人というと出光佐三や山下太郎を思い浮かべる。

 百田尚樹の「海賊とよばれた男」に登場する主人公・国岡鐡造は出光興産創業者の出光佐三がモデル。「出光興産」や出光佐三を知っていても「アラビア石油」や山下太郎という名前を知ってる人は少ないだろう。

 山下太郎は「アラビア太郎」と呼ばれた男だ。アラビア石油は別名「日の丸石油」と呼ばれ、社旗は日の丸に「A」の文字。日本の自主開発油田で、我が国の石油の安定供給に貢献した会社である。

 山下は、「日本の石油危機を救うには日本人の手によって、アラビアで石油を掘るのが一番の得策だ」と固く信じアラビア石油を創設。資金面や現地での困難や危機を乗り切り、漸く油田を掘り当てる。

 だが、その吉報の一方で大きな災難が襲った。1号井戸を掘ってた際にガス層に突き当たってガスが噴出し引火、忽ち猛火が母艦を包んだ。

 山下は刻々と入る悲報を前にして、「火事は災難だが、これで石油の出ることがはっきりした。火災は問題ではない。まぁ、大学入試に合格した途端、ちょいと風邪をひいた様なものさ。油は出る。必ず出る!」と平然と言い切った。

 しかし、大事故はそれで終わった訳ではなかった。タンカーに続いて開発作業に従事していた150トンの大型クレーンが倒れてしまう。そんなこともあり資金は底を突く。当時50億円の資本金を100億円に倍増増資しても足りなかった。

 普通の人ならここで退散だろうが、山下は違った。流石は「アラビア太郎」、火災事故から5か月後、待望の石油を掘り当てた。山下の禍を転じて福と成す信念があってこそ、我が国のエネルギー危機を救ったのだ。

 その後、昭和48(1973)年10月、第4次中東戦争(十月戦争)が勃発。石油輸出国機構(OPEC)が石油価格を大幅に引き上げたことにより,世界経済全体が大きな混乱を招くこととなり、「第1次石油危機(オイルショック)」が起きる。

 昭和54(1979)年には第2次オイルショックが起き、石油消費国はインフレ、景気後退、国際収支赤字の三重苦(トリレンマ)に悩まされた。

 我が国ではこうした経験から、石油に頼らない原子力発電の開発を推進することとなって行く。反原発も結構だが、日本経済は原発無くしては語れない。

 今はこうした我が国の将来を見据える経済人を見ることはなく、自分の会社だけが儲かりさえすりゃ好いという営利至上主義が蔓延している。我が国の景気低迷の一因は、経済人の心の乏しさに起因していると言っても過言ではない。

 江戸時代、商人は「士農工商」の最下位に置かれ「金儲け=賤しい」と軽蔑の対象にあった。今でも営利主義は卑しい思想に変わりはない。

 江戸時代の思想家・石田梅岩は、そんな商人の役割について「余ったものを足りない所に送り、社会全体を過不足なくすることだ」と教え、商人の倹約の重要性と、倹約によって生まれる公共的な経済効果を打ち出した。

 それが会社にはリストラや倹約を強要させて自分で贅沢三昧では経済人の資格なし。青年日本の歌に「財閥富を誇れども、社稷を想う心なし」との一節があるが、社稷を重んじる経済人を育むことが日本再建の鍵となろう。

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2018年11月18日

歯舞群島と色丹島の二島返還は更なる譲歩を生むだろう

 ロシアとの平和条約交渉が水面下で進んでいる。歯舞群島と色丹島の二島返還を先行し国後島と択捉島は条約締結で決着を図るという。

「戻るなら二島返還でも」という声は多いが、北方領土問題は我が国の軟弱外交の象徴であり、二島先行返還論はロシア外交に屈した結果でもある。

 北方領土は「樺太・千島交換条約」及び「ポーツマス条約」の締結により、歯舞、色丹、国後、択捉の四島を含む、北は占守(シュムシュ)島から得撫(ウルップ)島の全千島列島と南樺太が我が国固有の領土となった。

 先人達の外交努力を無視し、全千島と南樺太の主権が在るにも拘らず四島のみ、然も二島返還とは何事か。二島先行返還後、国後島と択捉島は確実に戻るとも思えない。安易な譲歩は未来に禍根を残し、更なる譲歩を生むだろう。

 安政元年(1855年)2月7日、江戸幕府は下田で「日露和親条約」が締結され、四島と千島の間に境界線が引かれ、樺太を混住の地と決めた。

 その後、明治新政府は、明治8年(1875年)5月7日にロシアと「樺太・千島交換条約」を交わし、南樺太と全千島が日本に帰属した。

 プーチン大統領は「米軍基地を置かないという約束」を要求したという。これが事実ならば北方領土問題はかなり進んでいると見ていいだろう。

 だが、抑々、平和条約というのは如何だろう。中華人民共和国や韓国と平和条約や基本条約を締結しているが両国とは戦争はしていない。

 安倍首相は「我々の世代で解決を図る」という意思は認めるが、平和条約締結には領土問題を含め終戦間際の蛮行と国際条約の蹂躙を謝罪させなくてはならない。

 ロシアが引き継いだ旧ソ連は、終戦間近に中立条約を破棄して一方的に侵略行為や蛮行を繰り返し、その蛮行は筆舌に尽くし難い。

 昭和20年8月15日、終戦の詔勅が発せられ武装解除が進められた。だが、18日の早暁午前1時頃、千島列島最北端の占守島の日本軍に対しソ連軍が奇襲上陸。

 武装解除準備を始めていた守備隊は武装を整え直し、ソ連に対して自衛戦闘を開始した。占守島での戦闘は日本軍の死傷者約600名、ソ連軍の死傷者約3000名に及んだ。日本軍の圧倒的勝利の中で、8月21日に武装解除に応じ戦闘が終結。

 日本軍が武装解除を終えたのは3日後の24日だった。 この戦いによりソ連軍の千島列島の占領は遅滞され、その間に米軍の北海道進駐が完了した。

 米軍の北海道駐留に拠り、ドイツや朝鮮半島の様な北海道の分割統治は避けられた。そういう意味でも「占守島の戦い」は大きな意義があったのだ。

 この後、占守島で自衛戦闘を戦った日本軍の兵士のみならず、中千島や南千島に駐留していた兵士全てがシベリアに強制連行されることとなった。

 理不尽な終戦後の戦争を勇敢に戦った兵士達は、こうした理不尽な仕打ちさえも我が国が受諾した無条件降伏の無条件の内だと信じて、飢えも寒さも、その結果としての知れ切った死すらも潔く受容した。

 ソ連は、その他の地域からも軍人、軍属、そして一般人を含む80万人以上をシベリアへ強制連行し不当に抑留し、実にこの半数以上の同胞が酷寒の地で凍死や餓死で亡くなられている。

 シベリヤに抑留された日本人同胞は、国内では一般には約60万人と言われているが、この数字は軍属だけの数字で、民間人を含めると更に多く、ロシアの資料では約70万人、米国の資料では約90万人とされている。

 シベリア抑留で亡くなられた日本人同胞は実際にどれ程に上るのか、平和条約の締結を図るなら正式な被害者数を調査し発表するべきだ。

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2018年11月15日

11月15日は坂本龍馬の命日。「わしゃ脳をやられちゅうきダメじゃ」という演出(笑)

11月15日、坂本 龍馬が京都の醤油商・近江屋で暗殺された。龍馬は天保6年11月15日生まれ。暗殺された日は慶応3年11月15日。11月15日は、坂本龍馬にとっても龍馬ファンにとっても思い出深い日でもある。

 龍馬暗殺の謎について「北辰一刀流免許皆伝の龍馬を一刀両断するとは」とか「龍馬はピストルを持っていたのに一発も発砲されていないのは何故か」「中岡の暗殺に、龍馬が巻き込まれたのではないか」など謎は多い。

 こうした暗殺の謎が謎を生み、そして歪曲され、また想像され、龍馬のカリスマ性と偶像が誇張されていったのではなかろうか。

 坂本龍馬は、幕末にはそれほど有名な人物ではなかった。維新後、数十年が経ち、四国の新聞に「坂本龍馬特集」が連載されてから、その生き様が日本人の嗜好に合致し、人気に火を点け全国に拡がったというのが真相だ。

 坂本龍馬暗殺の実行犯説というのも歴史家によって意見も様々だが、大凡「京都見廻組」と「新撰組」説に分かれている。

「京都見廻組説」では、明治時代に入り、元隊士だった今井信郎と渡辺篤が、佐々木只三郎らと実行したとの証言を理由に挙げる。

「新撰組説」では刺客が「こなくそ」と伊予弁を話していたとされ、伊予出身の原田左之助刀の鞘や隊士の下駄が近江屋に残されていたとの説を挙げる。この「こなくそ」説は、西軍の谷干城の独り言に過ぎない。

 龍馬は近江屋に脱出することが出来る隠れ家を土蔵に造っていた。暗殺された日は、風邪で龍馬は土蔵ではなく、来訪した中岡慎太郎と近江屋のニ階で、好物の鳥彌三の鶏の水炊きを食らいながら歓談していた。

 部屋には二人の他に、龍馬の護衛をしていた元・力士の山田藤吉。するとその時に、南大和の「十津川郷土」と名乗る男らが訪ねて来る。

 山田がその客人らを疑わずに通した。部屋へ向かう途中に山田は後ろから斬られ、続いて龍馬と中岡が襲撃され、龍馬は即死に近く、中岡はこの襲撃からニ日後に亡くなった。

 竜馬のドラマなどで仄聞されている様な「わしゃ脳をやられちゅうきダメじゃ」という台詞を吐く間もなかっただろう。

 龍馬は北辰一刀流の免許皆伝というのが歴史的に語られているが、事実は北辰一刀流の「長刀」の使い手、つまりは「薙刀」の名手で剣術ではない。

 西洋流砲術も学びはしたが、実際には剣の腕前はそれほどではなかったというのが真実だろうと愚生は思っている。

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 画像の龍馬の拳銃を懐に仕舞って立つ姿は、刀がだらしなく下げられて如何にも弱そうで、どうみても剣の達人には見えない。

「寺田屋事件」でも龍馬は短銃で応戦はしたが、弾丸が切れたにも拘らず刀で応戦せず、不様に短銃を振り回して、両手に数か所の深手を負った。こうしたことをしても北辰一刀流剣術免許皆伝の応対とは思えはない。

 寺田屋事件での傷を癒す為に妻のお龍さんと共に薩摩の温泉に行くのだが、歴史的にはこれが新婚旅行の最初とされている。

 だが、これもまた根拠の無いもので、薩摩の家老・小松帯刀がそれより十年早く、霧島へ新婚旅行へ行ってるそうだ。

 歴史が物語として語られる時、必ずしもその人物の真実を伝えているとは限らない。書き手や読み方一つでその生き様も変わってしまうものだ。坂本龍馬が歴史教科書から消えるというが何となく分かる気がする。

 暗殺の謎が謎を生み、て薩長連合の立役者と持て囃され、そして歪曲され、また想像されて龍馬のカリスマ性と偶像が誇張されていった。そんな龍馬とは何者なのかといえば単に武器商人に他ならない。

 龍馬から学ぶものがあるとすれば、幕閣とも勤王の志士とも通じ、薩長連合の仕掛け人足り得たのは説得の技術、つまりは言葉がずば抜けていたことだ。

 大衆の心を引き付けるのは「言葉」を以て他に無い。龍馬は正に「言葉の達人」だった。更にもう一つは、彼が「歩く人」だったことだ。交通の不便だった時代に、龍馬は実に驚くほどの距離を行き来している。

 多くの人と顔を突き合わせ話し合う。こうした出会いと邂逅こそが自己確立に繋がり、延いては混濁した時代をも変える原動力ともなる。

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2018年11月14日

一回しか行かないで味の良し悪しや一回しかやらないで女性との相性を判断するべきではない(笑)

 昨日、食べ歩きの件で「一回しか行かないで味の良し悪しを判断するべきではない」ということを書いた。これは女性との付き合い方でも言えることで、一回しかやらないで相手との相性なんて分かる訳がない(笑)

 格式のある茶屋とか銀座の高級クラブというのは「一見(いちげん)さんお断り」。つまり、初めての客は常連と一緒か紹介がないと入れない。馴染みの芸者や担当のホステスを持つというのは一流を目指すなら必要不可欠なことでもある。

 その昔は吉原で花魁と一席を持つとなれば「初回」は飲んで遊ぶだけ。二度目の「裏返し」も同じく、気風良く飲んで楽しむだけ。そして三度目からは「馴染み」となり「今夜は泊って行ってくんなまし」となる(笑)

 芸者には「自前」といって「看板」(営業権)を持って独立している妓と「抱っ子」と呼ばれる使用人の妓がいる。東京では「芸者」、関西では「芸子(げいこ)」。「芸妓(げいぎ)」は明治以降の法令文書等に使われていた言葉だ。

「半玉(はんぎょく)」とは芸子(芸妓)の見習いで修行段階の者を指し、東京や関東地域での年少芸妓の呼称。京都では「舞妓(まいこ)」と呼ぶ。

「お座つき(おざつき)」「お座敷をつける」とは宴席に入っている芸者衆が、お座敷の途中で披露する季節の踊りや小唄振りなどの踊りのこと。で、演目の予約を受けて特別に見せる出し物は「余興」と言われる。

 芸者が寝泊まりしている家を「芸者屋」といい、芸者が寝泊まりしないで籍だけを置いて通って来る店を「置屋(おきや)」と呼ぶ。

 京都などの確りした土地には「見番(けんばん)」という組合事務所が在り、芸者も出先きも、その進退や「玉代」の精算などはこの見番を通す仕組みになっていて、芸者が出先きでトラブルがあると「籍止め」される。

「玉代(ぎょくだい)」とは芸者を呼ぶのにかかる料金で「花代(はなだい)」ともいう。 江戸時代に「線香何本分」と、線香の燃える時間を目安にした名残から今でも「線香代」と言うこともある様だ。

「出」の着物というのは芸者の正装で、裾を引いてるものがそうだ。その裾を広げて上に載せての性行為が「孔雀の舞い」といい、帯を締めたまま行為に及ぶのが「コブ巻き」というらしく、茶屋遊びには色々な隠語がある。

 座敷で直ぐに転ぶ(寝る)芸者は「不見転(みずてん)芸者」といって、良い玉ではないと言われている。銀座でも「特攻隊」などと呼ばれているホステスがいるが、まぁ愚生的にはそういうホステスは嫌いじゃない(笑)

「お茶っ挽(ぴ)き」とはよく飲み屋で聞くが、暇な時には芸者がよくお茶の葉を臼で挽かされたことが語源で「暇な事」を意味する。

「幇間(ほうかん)」とは宴席で主や客の機嫌を取り、自ら芸を見せ、更に芸者(半玉、舞妓)を助けて場を盛り上げる専門職。所謂、太鼓持ちのこと。まあ、政治の世界で言うと取分け安倍晋三はトランプ大統領の太鼓持ちだわな(笑)

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2018年11月09日

自分の子供も他人の子供もどんな子もみんな日本の大事な子

 愚生の場合、この政治批評を始めブログを4つ綴ってるが、その中の食べ歩きブログに人格を否定する様な腐したコメントが寄せられた。

 日本語の解釈が出来ない馬鹿なのか、ブログを炎上させたいのか。メールアドレスを記してるのだからメールをくれりゃ好いのにそんな肝魂はない。

 要は、匿名だからやってるだけでそんな便所の落書きに一喜一憂してる暇もない。ってか、実名だとバレるから知ってるヤツだったりして(笑)

 人への批判というのは、往往にして嫉妬から出てることが多く、身近な者が出世したり、優れていればヤキモチを焼くのは人間の性というものだろう。見方を変えれば、批判や嫉妬というものは実力を認めてる裏返しでもある(笑)

 閑話休題。タレントの熊田曜子が子供3人を連れて墨田区の児童館を訪れた際に、施設の係員から「大人1人につき子供は2人まで」として断られたという経緯をブログに綴ったところ賛否両論渦巻きブログが炎上してるという。

 反対の意見を見ると「安全面を考えると一理ある」と施設の対応に理解を示すのが多いが、タレントの坂上忍に至っては「施設の名前を出す必要はない」と熊田の対応を批判している。本末転倒とはこのことで、こんなのが常識派ぶって偉そうに司会なんぞしてることに嫌悪感を覚えるのは愚生だけではあるまい。

「安全面を考慮しているから」というが、就学前の子供がその「すくすくルーム」で遊んでいたとしてそれほどの危険のある遊び場だとは思えないのだが。

 監視員もいるし、熊田本人は4ヶ月の乳幼児が施設で遊びまわる訳でもなし、本人も「抱っこする」と申し出ている訳だし、長男が下の子の面倒を見れる年だし、杓子定規に「ダメ」「規則だから」というのは如何にも御役所仕事らしい。

 大体、怪我を心配するのは役人の責任を問われた場合のことを考えてのことだろうが、子供というのは遊びにしても何にしても失敗して学ぶことの方が多く、親も周りも過保護過ぎては情操教育の上でもマイナス面が大きい。

 昭和時代、子供というのは親が忙しいということもあって子供同士で遊び、時にはケンカをし、走って転んでは膝を擦り剥き、ぶつけて頭から血を流そうとも別にそれはそれで楽しかったし、親も別に怪我をしようが御構い無しだった。かといって放任主義や親の責任を放棄していた訳でもない。

 小学校2年の時、近所の友達と遊んでたら、いきなり「チャンバラごっこ」だといって振り向き様に丸太ん棒で顔面を殴られた。友達は恐らく丸太を持って振りかぶったが重くて止められなかったのだろう。瞼の上が割れて大出血。家に帰ると親は相手を責める訳でもなし、赤チン塗って終わり(笑)

 翌日、その血だらけの膨れ上がった顔で学校に行ったら友達よりも先生が驚いてたっけ。今でも左瞼の上にはその時の傷がある。

 今は何やかんやと責任論ばかりが強過ぎて行動するのも何をするのでも大人の顔色を窺って委縮してしまってる。未だ起こりもしない危険な行動を気にし過ぎていては子供が大らかに育つことはないだろう。

 3人だろうが5人だろうが10人だろうが、子供らが一緒に遊ぶ光景を施設の係員だけじゃなく一緒にいる大人が皆で見守ってあげれば好いことだ。

 子供達は日本の宝だ。自分の子供も他人の子供も、大人達が優しい目で、そして時には厳しく、慈愛を持って育んでいかねばなりません。

 その昔、右翼現役時代「日教組撲滅」のビラを都内中や大会会場周辺に貼った。そのビラの一つに「どんな子も みんな日本の 大事な子!」というものがあった。今見ても中々センスが好いビラだと思う。呵々大笑。

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2018年11月05日

「女性宮家」創設を謀る反天皇派とそれに与するインチキ保守

 女性皇族が御成婚後も皇籍を保持したまま公的行事に参加させる為の「女性宮家」創設について、衆院本会議で野田佳彦前首相が、女性宮家の創設を急ぐ様に求めたのに対し、政府は結論を急がない方針を固めた。

 こうした判断に野党からは批判が続出している。日頃、天皇を軽々しく扱っている野党が女性宮家創設に躍起になっていることでも、如何に女性宮家論が胡散臭げで危険なものか分かるというものだろう。

 野田は、昨年6月に成立した「退位特例法」の付帯決議を念頭に質問していることでも、先の付帯決議が我が国體と皇統の歴史に汚点を遺すことになった。

 女性宮家創設に躍起な連中は「皇位を安定的に継承する為に」と如何にも皇統の危機的状況を慮っているが、皇位を安定的に継承させるなら、戦後、GHQにより強制的に臣籍硬化させられた旧皇族の皇籍復帰こそ検討すべきだろう。

 野田の女性宮家論というのは、その国家観は共産党が「皇室を守る」といってるソレと同じであり、こういうインチキ保守が国民を惑わす。

 こんなのが保守を自任してるのだから厭きれてしまうが、要は「皇位を安定的に」などというキレイゴトは、根底にある左翼思想を捨て切れない無自覚左翼であり、野党が共産党と共闘出来るのもその売国性が共通しているからである。

 抑々「女性宮家」論は「天皇制廃止運動」の枢要な柱として、昭和40年(1970年)代半ば頃に、共産主義者らが発案したもので、1932年に出されたソ連共産党から日本共産党への「命令書(コミュンテルンテーゼ)」の命令遂行である。

「男子皇族の数が少ないから」「皇位を安定的にする」との理由は付けたりに過ぎず、保守を自任するなら断固として反対せなばならない愚論である。

 男系男子に限定する皇位継承や宮家を「女性が天皇になれないのは可笑しい」だとか、「女性宮家がないのは女性差別」だと絶叫しているのは、天下の愚策でもある「男女共同参画社会」を成立させた名うてのキチガイ共だ。

「男女共同参画社会」は、その名の通り「共産(共参)社会」の実現であるが、「女性宮家」や「女系天皇」論は、その性的的変態共らが煽動している所謂「天皇制廃止運動」の一環であり、畢竟、それこそが日本解体工作である。

「女系天皇問題」が活発に論議されていた平成17年、女系天皇容認論に対して、故三笠宮寛仁親王殿下は、自らが会長を勤める福祉団体「柏朋会」の会報「ざ・とど」で「公なものではない私的な見解」と前置きした上で、女系天皇に明確に反対し旧皇族の皇籍復帰などを求めている。

 故寛仁親王殿下は「世界に類の見ない我が国固有の歴史と伝統を平成の御世でいとも簡単に変更して良いのか」と当時の女系天皇論を批判し、「万世一系、125代の天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代神武天皇から連綿として一度の例外も無く、『男系』で続いて来ているという厳然たる事実」と主張した。

 その上で、男系継承を維持する為の方法として、皇室典範を改正して、歴史上の幾つかの方法論を提起している

1.臣下降下された皇籍離脱した旧皇族の皇籍復帰。

2.現在の女性皇族(内親王)に旧皇族(男系)から養子を取れる様にし、その方に皇位継承権を与える。(差当たり内廷皇族と直宮のみに留める)

3.元皇族に廃絶になった宮家(秩父宮・高松宮)の祭祀を継承して戴き、宮家を再興する。(将来の常陸宮家・三笠宮家もこの範疇に入る)

4・嘗ての様に「側室」を置くという手も有りますが、国内外共に今の世相からは少々難しいかと思うと述べられている。

 最後に殿下は、「陛下や皇太子様は、御自分達の家系の事ですから御自身で、発言される事はお出来になりませんから、民主主義の世であるならば、国民一人一人が、我が国を形成する『民草』の一員として、2665年(当時)歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴かなければ、いつの日か、『天皇』はいらないという議論にまで発展するでしょう」と結んでいる。

 正に殿下の意見は隻眼を有するもので、国民はこれに倣うべきであろう。

 多くの国民は陛下の御公務の御負担を「女性宮家創設で軽減する」と思っているが、天皇が重んずべき「祭祀」の代行は名代として掌典長のみが許され、「国事行為」の代行は憲法第4条の第2項よる委任か摂政のみ可能であり、つまりは「公務」の代行は皇太子殿下しか成し得ない。

 要は、女性皇族は国事行為も公務も代行出来ることはなく、公務の御負担を「女性宮家創設で軽減する」という理屈は国民を誑かす詭弁であり、女性宮家論は皇統断絶を謀り祖国日本の解体を目論む反天皇運動並びに左翼革命運動である。

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2018年11月03日

「文化の日」は現憲法を絶対不可侵なものとする休日でしかない。

 本日11月3日は「文化の日」。「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨として制定された記念日である。だがその実は、昭和21年同日、日本国憲法が公布された日であり、第二の「憲法記念日」と言うのが正しい。

 現在の日本国憲法は、表面上は新憲法(日本国憲法)の制定とはなってはいるが、建前上は大日本帝国憲法(欽定憲法)第七十三条の改正で日本人自身が制定したことになっている。第七十三条。」の条文は次の通り。」

「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スル必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス」

 昭和21年11月3日の帝国議会に於いて昭和天皇は次の様に下賜された。 

「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。御名御璽」

 これが示す通りであるが、当時、我が国は連合国の占領下に在り、当時の政府にしてみれば不本意ではあるが、米国の様々な条件を呑まざるを得なかったというのが真相であり、現憲法が米国からの押し付け憲法と言うのはこういうことだ。

 11月3日は、戦前には明治天皇の御生誕を祝い、明治大帝の御遺徳を偲び「明治節」であり、国民挙って奉祝した日である。敢えてこの11月3日に現憲法を公布させたということに米国の如何わしい意図が窺える。

 占領統治時代には多くの策謀が実行されている。例えば「東京裁判」でも、所謂「A級戦犯」28名が起訴されたのは同年4月29日の「天長節」で、当時の皇太子殿下の誕生日である12月23日に東条英機閣下以下7名の絞首刑が執行された。

 現憲法の発布を、明治天皇の誕生日という記念日を選んだという事実は、日本人に対し、贖罪意識を植え付ける為のものであることは言うを俟たない。

 こうした事実を知るだけでも、米英を始めとした連合国が如何に非情で無慈悲な、日本人矯正を実行したかが理解出来よう。

 教育勅語を下賜され、教育・文化を重んじた明治天皇の御遺徳を偲び、我が国の文化を奨めることが目的の「文化の日」ならいざ知らず、「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」とは現憲法を絶対不可侵なものとしての強要である。

 現憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し・・・」という記述があるが、「平和を愛する」という感情と、現実的に平和を守るというのは違う次元だ。今こそ戦後のあらゆる不条理を検証せねばならない。

 また、保守派や愛国団体の中には本日を「明治節」として、明治神宮を参拝し、明治天皇の御遺徳を啓蒙するという行動も見受けられる。

「明治節復活」は異論はないが、果して明治神宮がそれに相応しいかといえばそれもまた疑問である。明治神宮は周知の通り、国民の総意により、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社である。

 平成16年、明治神宮は突如として神社本庁から離脱し一宗教法人となった。神社庁からの離脱の理由として、平成16年4月の陛下御親拝の案内状に「陛下」を「殿下」と誤記してしまった責任を取って離脱したとしている。

 然し乍ら、それは詭弁であり、見苦しい言い訳に過ぎず、その実は神社庁での主導権争いや確執の末の離脱というのが真相である。

 これ即ち、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶという本分を忘れ、神社を私物化し、営利至上主義に奔っている証左であり、こうした現状は正に憂慮すべき事態である。保守派並びに愛国団体は明治神宮のこうした姿勢も糺さねばならない。

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2018年11月02日

大君に 仕えまつれる 若人は 今も昔も 心変わらじ(山口二矢)

 11月2日は、日本社会党党首・浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢の命日である。生きていれば75歳、麻生太郎財務相より3歳も若い。現在の右翼陣営の低迷を鑑みれば、山口烈士の様な指導者がいないことが悔やまれる。

 天皇国日本を盤石の安きに導く使命を有するのは右翼陣営であり、活動家らを導くカリスマ右翼指導者の出現を待望して止まない。

 二矢は、昭和十八年二月二十二日東京生まれ。二男で、二月二十二日生まれと「二」の字が続いたことから、父は「二矢(おとや)」と命名した。崇拝している人物はアドルフ・ヒットラー、児島高徳、西郷隆盛、山鹿素行、吉田松陰。

 昭和34年、二矢は憂国の念捨て難く、大日本愛国党に入党。だが赤尾総裁のパフォーマンス的愛国運動方針に疑義を感じ、翌年5月に同党先輩だった吉村法俊、中堂利夫らと愛国党を脱党。防共挺身隊総隊長の福田進を頼り、身を寄せる。

 福田は以前、防共挺身隊を率いながら大日本愛国党の城南支部長も兼任していたが、やはり「赤尾は完全な資本主義者だ」として袂を分かった活動家。

 後に、銀座の鳩居堂の2階に吉村、中堂らと「結成した全アジア反共青年連盟」の事務所を構える。団体の後見人として福田進が資金面などを支援した。

 因みに、浅沼稲次郎刺殺事件後は、吉村・中堂の二人は右翼を退き著述業に転身し、後に共に人気作家となり2時間ドラマの原作なども多数残した。

 同年10月12日、ニ矢は日比谷公会堂で演説中の浅沼稲次郎を刺殺、現行犯逮捕された。二矢が携行した檄文にはこう認めてあった。

「汝、浅沼稲次郎は日本赤化を謀っている。自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接の煽動者としての責任からして、汝を許しておくことは出来ない。此処に於て我、汝に対し天誅を下す。皇紀二千六百二十年十月十二日 山口二矢」

 逮捕された二矢は供述録取書にも素直に応じた。

「私の人生観は大義に生きることです。人間必ずや死というものが訪れるものであります。その時、富や権力を信義に恥ずるような方法で得たよりも、たとえ富や権力を得なくても、自己の信念に基づいて生きてきた人生である方が、より有意義であると信じています」

「浅沼委員長を倒すことは日本の為と堅く信じ殺害したのですから、行為については法に触れることではありますが今何も悔いる処はありません。しかし、浅沼委員長は最早故人となった人ですから生前の罪悪を追及する考えは毛頭なく、唯故人の冥福を祈る気持ちであります。又浅沼委員長の家族に対しては、如何なる父、夫であっても情愛に変わりなく、殺害されたことによって悲しい想いで生活をし迷惑を掛けたことは事実ですので、心から家族の方に申し訳ないと思っています」 

 供述調書を取り終えた11月2日未明、東京少年鑑別所の個室で、支給された歯磨き粉で壁に「七生報国 天皇陛下万才」と記し、従容として死に就いた。

《辞世》

【国の為 神州男子晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅路】
【大君に 仕えまつれる 若人は 今も昔も 心変わらじ】
【千早ぶる 神の御世代とこしえに 仕えまつらん 大和男子は】
【国の為 たふれし人ぞあるこそを 今の若人 育ち来らん】
【しきしまの 大和男子と生まれなば 進まん道ぞ 一ツなりける】

 テロ行為を否定するが、若し、二矢が警鐘を鳴らさねば日本社会党の勢いは止むことなく、多くの国民が浅沼らの美辞麗句に騙され、社会主義の犠牲者になってただろう。今や日本社会党は消え去り、残党である社民党も風前の灯火。

 この現実こそが、二矢の憂国の至情が間違いで無かったことの証でもある。

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時には常軌を逸した行動が生まれる。この行動こそが正に正気の狂気である。すめらみこといやさか。

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2018年11月01日

「韓国徴用工訴訟」で韓国最高裁が新日鉄住金に賠償命令

 韓国最高裁は植民地時代に元徴用工が強制労働させられたとして、新日鉄住金(旧日本製鉄)に対し4億ウオンの支払いを命じる判決を下した。

「日本軍に連れ去られ従軍慰安婦にされた朝鮮人女性」に続いて「強制連された朝鮮人徴用工」が新たなタカリのキーワードとして使われだろう。

 以前、元朝鮮女子勤労挺身隊に訴えられた不二越は和解金を支払った。更には三菱重工業でも厚生年金の脱退手当金を支払った。要は、こういう事勿れ主義的温情措置が仇となったといえる訳で、今後は更に同様の判決が下されるだろう。

 既に73年以上が過ぎ、1965年には日韓請求権協定を締結し解決済みの問題を蒸し返す国が文明国家だと言えるのだろうか。尤も、国際的に忌み嫌われる事後法が当たり前の韓国に国際的常識を求めるのは犬に言葉を喋らせる様なものだ。

 日本に因る統治時代を「悪逆非道の日帝36年」と決め付ける韓国の主張の根源は、日本統治時代、海外に逃亡し反日運動をしていた活動家であり、米国の傀儡で初代韓国大統領に就いた李承晩の「反日」政策が大きく影響している。

 李承晩は、韓国国民を纏めようと「反共」「反日」政策を徹底し、これを「国是」とした。こうした一部の少数派が創り上げた歴史を未だに信じているのだが、韓国も我が国の珍左翼と同じく米国の術中に嵌っているだけ。

 韓国を併合するに至る歴史はペリーの来航に始まる近隣アジア情勢などアジアの近代史を知る必要があろう。我が国の先人達は世界の流暢を敏感に感じ取り、明治維新を成し遂げ、欧米に対抗すべく近代国家を目指すこととなった。

 その後に起こった日清戦争。我が国が勝利すると空き地となった清の領土が蚕食されていく。ロシアが南下政策を採ると朝鮮半島の併呑を企む。だが、韓国は目覚めることはなく、我が国が立ち上が他なく、ロシアとの一戦にも勝利した。

 当時、韓国独自での巨大軍事国家であるロシアを近隣から排除するなど到底不可能で、況してや近代国家建設の道は日本の助力なしでは在り得ず、寧ろ、日本による韓国保護の必要性を認め、日本と一体となった上で民族の自立発展の道を模索しようとした「日韓合邦派」の主張こそが現実的だった。

 無論、その合邦派も最後は韓国併合の現実に一切沈黙せざるを得なかったのだ。この悲劇の現実こそが、日韓関係の日韓関係たる所以なのである。にも拘らず、韓国は「過去史整理基本法」や「親日分子取締法」なる事後法を成立させ、日韓合法派などの親日派を糾弾し、財産を没収、国賊として汚名を着せ続けている。

 事後法は文明の原則である、法の「不遡及の原則」に反しており、まともな国際社会では許されるものではない。「親日派・反民族分子」と断罪されている方々こそ韓国の将来を憂いて戦った真の愛国者だったのだ。

 韓国人は、事大思想から物事を冷静に判断出来ない。「韓国併合」もまた西洋列強の植民地支配とは違うとホザく。要するに西洋の植民地支配は先進国が後進国を支配したのであって「韓国併合」は後進国の日本が、先進国の韓国を支配したのであって、ナチスドイツのフランス侵略と同じだという発想なのだ(苦笑)

「徴用」も強制連行ではない。「国民徴用令」は昭和13年の「国家総動員法」に拠るもので、翌年7月に実施された。朝鮮への適用は差し控え、戦中、日本本土では中高年、婦人、学生に至るまで工場他に動員され生産に従事した。

 朝鮮人徴用労務者が対象になったのは昭和19年9月で、奉仕期間は翌年3月の下関~釜山間の運航が止るまでの僅か7ヶ月間しかない。今回の当事者も当時は20歳そこそこの若者で、被害者ぶってるが単なる勤労奉仕者に過ぎない。

「徴用例」は、日本人、朝鮮人、台湾人が一律に負っていた労務提供の国民的な義務であり、韓国併合に因って多大な恩恵を受けていた朝鮮人も当時は日本国民であった以上、国の法律に協力する義務があったことは言う迄もない。 

 今回の判決を受け、安倍首相は「あり得ない判決だ」と憤然と批判し、河野外相も「極めて遺憾。断じて受け入れられない」と韓国駐日大使に抗議したが、韓国人の事大思想と妄想と被害者意識にはホトホト呆れるばかり。

 戦ってもいない中共や韓国と平和条約や善隣友好条約を結んでいるというのは嗤うしかないが、その締結した平和条約には、「両締結国は善隣友好の精神に基づき且つ平和及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い両国民の交流促進のため努力する」と踏襲されている。

 また「近隣諸国条項」は国際法でも正式な法令でもない。優先すべきは「近隣諸国条項」よりも「平和条約」であり、韓国や中共には平和条約に違反しているということを認識させるべきだが不可能。ならば、相手国の国際条約の不履行を理由に国交を断絶すればやっと気付くかもよ。呵々大笑。

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