2018年11月

2018年11月14日

一回しか行かないで味の良し悪しや一回しかやらないで女性との相性を判断するべきではない(笑)

 昨日、食べ歩きの件で「一回しか行かないで味の良し悪しを判断するべきではない」ということを書いた。これは女性との付き合い方でも言えることで、一回しかやらないで相手との相性なんて分かる訳がない(笑)

 格式のある茶屋とか銀座の高級クラブというのは「一見(いちげん)さんお断り」。つまり、初めての客は常連と一緒か紹介がないと入れない。馴染みの芸者や担当のホステスを持つというのは一流を目指すなら必要不可欠なことでもある。

 その昔は吉原で花魁と一席を持つとなれば「初回」は飲んで遊ぶだけ。二度目の「裏返し」も同じく、気風良く飲んで楽しむだけ。そして三度目からは「馴染み」となり「今夜は泊って行ってくんなまし」となる(笑)

 芸者には「自前」といって「看板」(営業権)を持って独立している妓と「抱っ子」と呼ばれる使用人の妓がいる。東京では「芸者」、関西では「芸子(げいこ)」。「芸妓(げいぎ)」は明治以降の法令文書等に使われていた言葉だ。

「半玉(はんぎょく)」とは芸子(芸妓)の見習いで修行段階の者を指し、東京や関東地域での年少芸妓の呼称。京都では「舞妓(まいこ)」と呼ぶ。

「お座つき(おざつき)」「お座敷をつける」とは宴席に入っている芸者衆が、お座敷の途中で披露する季節の踊りや小唄振りなどの踊りのこと。で、演目の予約を受けて特別に見せる出し物は「余興」と言われる。

 芸者が寝泊まりしている家を「芸者屋」といい、芸者が寝泊まりしないで籍だけを置いて通って来る店を「置屋(おきや)」と呼ぶ。

 京都などの確りした土地には「見番(けんばん)」という組合事務所が在り、芸者も出先きも、その進退や「玉代」の精算などはこの見番を通す仕組みになっていて、芸者が出先きでトラブルがあると「籍止め」される。

「玉代(ぎょくだい)」とは芸者を呼ぶのにかかる料金で「花代(はなだい)」ともいう。 江戸時代に「線香何本分」と、線香の燃える時間を目安にした名残から今でも「線香代」と言うこともある様だ。

「出」の着物というのは芸者の正装で、裾を引いてるものがそうだ。その裾を広げて上に載せての性行為が「孔雀の舞い」といい、帯を締めたまま行為に及ぶのが「コブ巻き」というらしく、茶屋遊びには色々な隠語がある。

 座敷で直ぐに転ぶ(寝る)芸者は「不見転(みずてん)芸者」といって、良い玉ではないと言われている。銀座でも「特攻隊」などと呼ばれているホステスがいるが、まぁ愚生的にはそういうホステスは嫌いじゃない(笑)

「お茶っ挽(ぴ)き」とはよく飲み屋で聞くが、暇な時には芸者がよくお茶の葉を臼で挽かされたことが語源で「暇な事」を意味する。

「幇間(ほうかん)」とは宴席で主や客の機嫌を取り、自ら芸を見せ、更に芸者(半玉、舞妓)を助けて場を盛り上げる専門職。所謂、太鼓持ちのこと。まあ、政治の世界で言うと取分け安倍晋三はトランプ大統領の太鼓持ちだわな(笑)

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2018年11月09日

自分の子供も他人の子供もどんな子もみんな日本の大事な子

 愚生の場合、この政治批評を始めブログを4つ綴ってるが、その中の食べ歩きブログに人格を否定する様な腐したコメントが寄せられた。

 日本語の解釈が出来ない馬鹿なのか、ブログを炎上させたいのか。メールアドレスを記してるのだからメールをくれりゃ好いのにそんな肝魂はない。

 要は、匿名だからやってるだけでそんな便所の落書きに一喜一憂してる暇もない。ってか、実名だとバレるから知ってるヤツだったりして(笑)

 人への批判というのは、往往にして嫉妬から出てることが多く、身近な者が出世したり、優れていればヤキモチを焼くのは人間の性というものだろう。見方を変えれば、批判や嫉妬というものは実力を認めてる裏返しでもある(笑)

 閑話休題。タレントの熊田曜子が子供3人を連れて墨田区の児童館を訪れた際に、施設の係員から「大人1人につき子供は2人まで」として断られたという経緯をブログに綴ったところ賛否両論渦巻きブログが炎上してるという。

 反対の意見を見ると「安全面を考えると一理ある」と施設の対応に理解を示すのが多いが、タレントの坂上忍に至っては「施設の名前を出す必要はない」と熊田の対応を批判している。本末転倒とはこのことで、こんなのが常識派ぶって偉そうに司会なんぞしてることに嫌悪感を覚えるのは愚生だけではあるまい。

「安全面を考慮しているから」というが、就学前の子供がその「すくすくルーム」で遊んでいたとしてそれほどの危険のある遊び場だとは思えないのだが。

 監視員もいるし、熊田本人は4ヶ月の乳幼児が施設で遊びまわる訳でもなし、本人も「抱っこする」と申し出ている訳だし、長男が下の子の面倒を見れる年だし、杓子定規に「ダメ」「規則だから」というのは如何にも御役所仕事らしい。

 大体、怪我を心配するのは役人の責任を問われた場合のことを考えてのことだろうが、子供というのは遊びにしても何にしても失敗して学ぶことの方が多く、親も周りも過保護過ぎては情操教育の上でもマイナス面が大きい。

 昭和時代、子供というのは親が忙しいということもあって子供同士で遊び、時にはケンカをし、走って転んでは膝を擦り剥き、ぶつけて頭から血を流そうとも別にそれはそれで楽しかったし、親も別に怪我をしようが御構い無しだった。かといって放任主義や親の責任を放棄していた訳でもない。

 小学校2年の時、近所の友達と遊んでたら、いきなり「チャンバラごっこ」だといって振り向き様に丸太ん棒で顔面を殴られた。友達は恐らく丸太を持って振りかぶったが重くて止められなかったのだろう。瞼の上が割れて大出血。家に帰ると親は相手を責める訳でもなし、赤チン塗って終わり(笑)

 翌日、その血だらけの膨れ上がった顔で学校に行ったら友達よりも先生が驚いてたっけ。今でも左瞼の上にはその時の傷がある。

 今は何やかんやと責任論ばかりが強過ぎて行動するのも何をするのでも大人の顔色を窺って委縮してしまってる。未だ起こりもしない危険な行動を気にし過ぎていては子供が大らかに育つことはないだろう。

 3人だろうが5人だろうが10人だろうが、子供らが一緒に遊ぶ光景を施設の係員だけじゃなく一緒にいる大人が皆で見守ってあげれば好いことだ。

 子供達は日本の宝だ。自分の子供も他人の子供も、大人達が優しい目で、そして時には厳しく、慈愛を持って育んでいかねばなりません。

 その昔、右翼現役時代「日教組撲滅」のビラを都内中や大会会場周辺に貼った。そのビラの一つに「どんな子も みんな日本の 大事な子!」というものがあった。今見ても中々センスが好いビラだと思う。呵々大笑。

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2018年11月05日

「女性宮家」創設を謀る反天皇派とそれに与するインチキ保守

 女性皇族が御成婚後も皇籍を保持したまま公的行事に参加させる為の「女性宮家」創設について、衆院本会議で野田佳彦前首相が、女性宮家の創設を急ぐ様に求めたのに対し、政府は結論を急がない方針を固めた。

 こうした判断に野党からは批判が続出している。日頃、天皇を軽々しく扱っている野党が女性宮家創設に躍起になっていることでも、如何に女性宮家論が胡散臭げで危険なものか分かるというものだろう。

 野田は、昨年6月に成立した「退位特例法」の付帯決議を念頭に質問していることでも、先の付帯決議が我が国體と皇統の歴史に汚点を遺すことになった。

 女性宮家創設に躍起な連中は「皇位を安定的に継承する為に」と如何にも皇統の危機的状況を慮っているが、皇位を安定的に継承させるなら、戦後、GHQにより強制的に臣籍硬化させられた旧皇族の皇籍復帰こそ検討すべきだろう。

 野田の女性宮家論というのは、その国家観は共産党が「皇室を守る」といってるソレと同じであり、こういうインチキ保守が国民を惑わす。

 こんなのが保守を自任してるのだから厭きれてしまうが、要は「皇位を安定的に」などというキレイゴトは、根底にある左翼思想を捨て切れない無自覚左翼であり、野党が共産党と共闘出来るのもその売国性が共通しているからである。

 抑々「女性宮家」論は「天皇制廃止運動」の枢要な柱として、昭和40年(1970年)代半ば頃に、共産主義者らが発案したもので、1932年に出されたソ連共産党から日本共産党への「命令書(コミュンテルンテーゼ)」の命令遂行である。

「男子皇族の数が少ないから」「皇位を安定的にする」との理由は付けたりに過ぎず、保守を自任するなら断固として反対せなばならない愚論である。

 男系男子に限定する皇位継承や宮家を「女性が天皇になれないのは可笑しい」だとか、「女性宮家がないのは女性差別」だと絶叫しているのは、天下の愚策でもある「男女共同参画社会」を成立させた名うてのキチガイ共だ。

「男女共同参画社会」は、その名の通り「共産(共参)社会」の実現であるが、「女性宮家」や「女系天皇」論は、その性的的変態共らが煽動している所謂「天皇制廃止運動」の一環であり、畢竟、それこそが日本解体工作である。

「女系天皇問題」が活発に論議されていた平成17年、女系天皇容認論に対して、故三笠宮寛仁親王殿下は、自らが会長を勤める福祉団体「柏朋会」の会報「ざ・とど」で「公なものではない私的な見解」と前置きした上で、女系天皇に明確に反対し旧皇族の皇籍復帰などを求めている。

 故寛仁親王殿下は「世界に類の見ない我が国固有の歴史と伝統を平成の御世でいとも簡単に変更して良いのか」と当時の女系天皇論を批判し、「万世一系、125代の天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代神武天皇から連綿として一度の例外も無く、『男系』で続いて来ているという厳然たる事実」と主張した。

 その上で、男系継承を維持する為の方法として、皇室典範を改正して、歴史上の幾つかの方法論を提起している

1.臣下降下された皇籍離脱した旧皇族の皇籍復帰。

2.現在の女性皇族(内親王)に旧皇族(男系)から養子を取れる様にし、その方に皇位継承権を与える。(差当たり内廷皇族と直宮のみに留める)

3.元皇族に廃絶になった宮家(秩父宮・高松宮)の祭祀を継承して戴き、宮家を再興する。(将来の常陸宮家・三笠宮家もこの範疇に入る)

4・嘗ての様に「側室」を置くという手も有りますが、国内外共に今の世相からは少々難しいかと思うと述べられている。

 最後に殿下は、「陛下や皇太子様は、御自分達の家系の事ですから御自身で、発言される事はお出来になりませんから、民主主義の世であるならば、国民一人一人が、我が国を形成する『民草』の一員として、2665年(当時)歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴かなければ、いつの日か、『天皇』はいらないという議論にまで発展するでしょう」と結んでいる。

 正に殿下の意見は隻眼を有するもので、国民はこれに倣うべきであろう。

 多くの国民は陛下の御公務の御負担を「女性宮家創設で軽減する」と思っているが、天皇が重んずべき「祭祀」の代行は名代として掌典長のみが許され、「国事行為」の代行は憲法第4条の第2項よる委任か摂政のみ可能であり、つまりは「公務」の代行は皇太子殿下しか成し得ない。

 要は、女性皇族は国事行為も公務も代行出来ることはなく、公務の御負担を「女性宮家創設で軽減する」という理屈は国民を誑かす詭弁であり、女性宮家論は皇統断絶を謀り祖国日本の解体を目論む反天皇運動並びに左翼革命運動である。

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2018年11月03日

「文化の日」は現憲法を絶対不可侵なものとする休日でしかない。

 本日11月3日は「文化の日」。「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨として制定された記念日である。だがその実は、昭和21年同日、日本国憲法が公布された日であり、第二の「憲法記念日」と言うのが正しい。

 現在の日本国憲法は、表面上は新憲法(日本国憲法)の制定とはなってはいるが、建前上は大日本帝国憲法(欽定憲法)第七十三条の改正で日本人自身が制定したことになっている。第七十三条。」の条文は次の通り。」

「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スル必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス」

 昭和21年11月3日の帝国議会に於いて昭和天皇は次の様に下賜された。 

「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。御名御璽」

 これが示す通りであるが、当時、我が国は連合国の占領下に在り、当時の政府にしてみれば不本意ではあるが、米国の様々な条件を呑まざるを得なかったというのが真相であり、現憲法が米国からの押し付け憲法と言うのはこういうことだ。

 11月3日は、戦前には明治天皇の御生誕を祝い、明治大帝の御遺徳を偲び「明治節」であり、国民挙って奉祝した日である。敢えてこの11月3日に現憲法を公布させたということに米国の如何わしい意図が窺える。

 占領統治時代には多くの策謀が実行されている。例えば「東京裁判」でも、所謂「A級戦犯」28名が起訴されたのは同年4月29日の「天長節」で、当時の皇太子殿下の誕生日である12月23日に東条英機閣下以下7名の絞首刑が執行された。

 現憲法の発布を、明治天皇の誕生日という記念日を選んだという事実は、日本人に対し、贖罪意識を植え付ける為のものであることは言うを俟たない。

 こうした事実を知るだけでも、米英を始めとした連合国が如何に非情で無慈悲な、日本人矯正を実行したかが理解出来よう。

 教育勅語を下賜され、教育・文化を重んじた明治天皇の御遺徳を偲び、我が国の文化を奨めることが目的の「文化の日」ならいざ知らず、「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」とは現憲法を絶対不可侵なものとしての強要である。

 現憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し・・・」という記述があるが、「平和を愛する」という感情と、現実的に平和を守るというのは違う次元だ。今こそ戦後のあらゆる不条理を検証せねばならない。

 また、保守派や愛国団体の中には本日を「明治節」として、明治神宮を参拝し、明治天皇の御遺徳を啓蒙するという行動も見受けられる。

「明治節復活」は異論はないが、果して明治神宮がそれに相応しいかといえばそれもまた疑問である。明治神宮は周知の通り、国民の総意により、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社である。

 平成16年、明治神宮は突如として神社本庁から離脱し一宗教法人となった。神社庁からの離脱の理由として、平成16年4月の陛下御親拝の案内状に「陛下」を「殿下」と誤記してしまった責任を取って離脱したとしている。

 然し乍ら、それは詭弁であり、見苦しい言い訳に過ぎず、その実は神社庁での主導権争いや確執の末の離脱というのが真相である。

 これ即ち、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶという本分を忘れ、神社を私物化し、営利至上主義に奔っている証左であり、こうした現状は正に憂慮すべき事態である。保守派並びに愛国団体は明治神宮のこうした姿勢も糺さねばならない。

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2018年11月02日

大君に 仕えまつれる 若人は 今も昔も 心変わらじ(山口二矢)

 11月2日は、日本社会党党首・浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢の命日である。生きていれば75歳、麻生太郎財務相より3歳も若い。現在の右翼陣営の低迷を鑑みれば、山口烈士の様な指導者がいないことが悔やまれる。

 天皇国日本を盤石の安きに導く使命を有するのは右翼陣営であり、活動家らを導くカリスマ右翼指導者の出現を待望して止まない。

 二矢は、昭和十八年二月二十二日東京生まれ。二男で、二月二十二日生まれと「二」の字が続いたことから、父は「二矢(おとや)」と命名した。崇拝している人物はアドルフ・ヒットラー、児島高徳、西郷隆盛、山鹿素行、吉田松陰。

 昭和34年、二矢は憂国の念捨て難く、大日本愛国党に入党。だが赤尾総裁のパフォーマンス的愛国運動方針に疑義を感じ、翌年5月に同党先輩だった吉村法俊、中堂利夫らと愛国党を脱党。防共挺身隊総隊長の福田進を頼り、身を寄せる。

 福田は以前、防共挺身隊を率いながら大日本愛国党の城南支部長も兼任していたが、やはり「赤尾は完全な資本主義者だ」として袂を分かった活動家。

 後に、銀座の鳩居堂の2階に吉村、中堂らと「結成した全アジア反共青年連盟」の事務所を構える。団体の後見人として福田進が資金面などを支援した。

 因みに、浅沼稲次郎刺殺事件後は、吉村・中堂の二人は右翼を退き著述業に転身し、後に共に人気作家となり2時間ドラマの原作なども多数残した。

 同年10月12日、ニ矢は日比谷公会堂で演説中の浅沼稲次郎を刺殺、現行犯逮捕された。二矢が携行した檄文にはこう認めてあった。

「汝、浅沼稲次郎は日本赤化を謀っている。自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接の煽動者としての責任からして、汝を許しておくことは出来ない。此処に於て我、汝に対し天誅を下す。皇紀二千六百二十年十月十二日 山口二矢」

 逮捕された二矢は供述録取書にも素直に応じた。

「私の人生観は大義に生きることです。人間必ずや死というものが訪れるものであります。その時、富や権力を信義に恥ずるような方法で得たよりも、たとえ富や権力を得なくても、自己の信念に基づいて生きてきた人生である方が、より有意義であると信じています」

「浅沼委員長を倒すことは日本の為と堅く信じ殺害したのですから、行為については法に触れることではありますが今何も悔いる処はありません。しかし、浅沼委員長は最早故人となった人ですから生前の罪悪を追及する考えは毛頭なく、唯故人の冥福を祈る気持ちであります。又浅沼委員長の家族に対しては、如何なる父、夫であっても情愛に変わりなく、殺害されたことによって悲しい想いで生活をし迷惑を掛けたことは事実ですので、心から家族の方に申し訳ないと思っています」 

 供述調書を取り終えた11月2日未明、東京少年鑑別所の個室で、支給された歯磨き粉で壁に「七生報国 天皇陛下万才」と記し、従容として死に就いた。

《辞世》

【国の為 神州男子晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅路】
【大君に 仕えまつれる 若人は 今も昔も 心変わらじ】
【千早ぶる 神の御世代とこしえに 仕えまつらん 大和男子は】
【国の為 たふれし人ぞあるこそを 今の若人 育ち来らん】
【しきしまの 大和男子と生まれなば 進まん道ぞ 一ツなりける】

 テロ行為を否定するが、若し、二矢が警鐘を鳴らさねば日本社会党の勢いは止むことなく、多くの国民が浅沼らの美辞麗句に騙され、社会主義の犠牲者になってただろう。今や日本社会党は消え去り、残党である社民党も風前の灯火。

 この現実こそが、二矢の憂国の至情が間違いで無かったことの証でもある。

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時には常軌を逸した行動が生まれる。この行動こそが正に正気の狂気である。すめらみこといやさか。

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2018年11月01日

「韓国徴用工訴訟」で韓国最高裁が新日鉄住金に賠償命令

 韓国最高裁は植民地時代に元徴用工が強制労働させられたとして、新日鉄住金(旧日本製鉄)に対し4億ウオンの支払いを命じる判決を下した。

「日本軍に連れ去られ従軍慰安婦にされた朝鮮人女性」に続いて「強制連された朝鮮人徴用工」が新たなタカリのキーワードとして使われだろう。

 以前、元朝鮮女子勤労挺身隊に訴えられた不二越は和解金を支払った。更には三菱重工業でも厚生年金の脱退手当金を支払った。要は、こういう事勿れ主義的温情措置が仇となったといえる訳で、今後は更に同様の判決が下されるだろう。

 既に73年以上が過ぎ、1965年には日韓請求権協定を締結し解決済みの問題を蒸し返す国が文明国家だと言えるのだろうか。尤も、国際的に忌み嫌われる事後法が当たり前の韓国に国際的常識を求めるのは犬に言葉を喋らせる様なものだ。

 日本に因る統治時代を「悪逆非道の日帝36年」と決め付ける韓国の主張の根源は、日本統治時代、海外に逃亡し反日運動をしていた活動家であり、米国の傀儡で初代韓国大統領に就いた李承晩の「反日」政策が大きく影響している。

 李承晩は、韓国国民を纏めようと「反共」「反日」政策を徹底し、これを「国是」とした。こうした一部の少数派が創り上げた歴史を未だに信じているのだが、韓国も我が国の珍左翼と同じく米国の術中に嵌っているだけ。

 韓国を併合するに至る歴史はペリーの来航に始まる近隣アジア情勢などアジアの近代史を知る必要があろう。我が国の先人達は世界の流暢を敏感に感じ取り、明治維新を成し遂げ、欧米に対抗すべく近代国家を目指すこととなった。

 その後に起こった日清戦争。我が国が勝利すると空き地となった清の領土が蚕食されていく。ロシアが南下政策を採ると朝鮮半島の併呑を企む。だが、韓国は目覚めることはなく、我が国が立ち上が他なく、ロシアとの一戦にも勝利した。

 当時、韓国独自での巨大軍事国家であるロシアを近隣から排除するなど到底不可能で、況してや近代国家建設の道は日本の助力なしでは在り得ず、寧ろ、日本による韓国保護の必要性を認め、日本と一体となった上で民族の自立発展の道を模索しようとした「日韓合邦派」の主張こそが現実的だった。

 無論、その合邦派も最後は韓国併合の現実に一切沈黙せざるを得なかったのだ。この悲劇の現実こそが、日韓関係の日韓関係たる所以なのである。にも拘らず、韓国は「過去史整理基本法」や「親日分子取締法」なる事後法を成立させ、日韓合法派などの親日派を糾弾し、財産を没収、国賊として汚名を着せ続けている。

 事後法は文明の原則である、法の「不遡及の原則」に反しており、まともな国際社会では許されるものではない。「親日派・反民族分子」と断罪されている方々こそ韓国の将来を憂いて戦った真の愛国者だったのだ。

 韓国人は、事大思想から物事を冷静に判断出来ない。「韓国併合」もまた西洋列強の植民地支配とは違うとホザく。要するに西洋の植民地支配は先進国が後進国を支配したのであって「韓国併合」は後進国の日本が、先進国の韓国を支配したのであって、ナチスドイツのフランス侵略と同じだという発想なのだ(苦笑)

「徴用」も強制連行ではない。「国民徴用令」は昭和13年の「国家総動員法」に拠るもので、翌年7月に実施された。朝鮮への適用は差し控え、戦中、日本本土では中高年、婦人、学生に至るまで工場他に動員され生産に従事した。

 朝鮮人徴用労務者が対象になったのは昭和19年9月で、奉仕期間は翌年3月の下関~釜山間の運航が止るまでの僅か7ヶ月間しかない。今回の当事者も当時は20歳そこそこの若者で、被害者ぶってるが単なる勤労奉仕者に過ぎない。

「徴用例」は、日本人、朝鮮人、台湾人が一律に負っていた労務提供の国民的な義務であり、韓国併合に因って多大な恩恵を受けていた朝鮮人も当時は日本国民であった以上、国の法律に協力する義務があったことは言う迄もない。 

 今回の判決を受け、安倍首相は「あり得ない判決だ」と憤然と批判し、河野外相も「極めて遺憾。断じて受け入れられない」と韓国駐日大使に抗議したが、韓国人の事大思想と妄想と被害者意識にはホトホト呆れるばかり。

 戦ってもいない中共や韓国と平和条約や善隣友好条約を結んでいるというのは嗤うしかないが、その締結した平和条約には、「両締結国は善隣友好の精神に基づき且つ平和及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い両国民の交流促進のため努力する」と踏襲されている。

 また「近隣諸国条項」は国際法でも正式な法令でもない。優先すべきは「近隣諸国条項」よりも「平和条約」であり、韓国や中共には平和条約に違反しているということを認識させるべきだが不可能。ならば、相手国の国際条約の不履行を理由に国交を断絶すればやっと気付くかもよ。呵々大笑。

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