2018年02月

2018年02月27日

「神国思想」を政治的に利用した長州閥中心の専制政治の矛盾と不条理

 今日も地元紙では「象徴考」という天皇否定、神道否定のクソ記事が載っている。紙面に登場する歴史学や考古学先行のメンバーを見れば、成城大の外池昇や名古屋市立大の吉田一彦、奈良女子大の小路田泰直など名うての反天皇活動家ら。

 吉田は「日本書紀は天皇制を根拠付ける為に書かれており、神武天皇も創作された」と宣い、皇紀も「神武創業」の単なるスローガンだと腐す。彼らの好きな「天皇制」は共産党用語だが、残念ながら天皇は天皇であり制度に非ず。

「神武肇国」ではなく、敢えて「創業」との言葉を使用していることにこの輩の反日思想が込められている。小路田は「神武陵は天皇の権威を高めるだけではなく、国民のアイデンティティを創り上げるのに決定的な役割を果たした」と強調し、日中戦争が激化する中で、国民を結束させる役割を果たしたと指摘している。

「日中戦争」にしてもそうだが、日本の立場からすれば「支那事変(日華事変・日支事変)」と呼ぶべきである。反日派というのは、「日中戦争は侵略戦争だ」という認識から、そのきっかけとなった盧溝橋事件も日本悪玉論を信奉している。

「盧溝橋事件」は中国共産党が起こした謀略であり、共産党が盧溝橋事件を起こしたことは今や歴史的事実である。「日中戦争は日本の侵略だった」などというのは、共産主義者らのプロパガンダであり、神武天皇陵の否定も同列である。

 外池は日本書紀に書かれた事実を否定し、「天皇中心の体制を国内外にアピールする為に神武天皇の陵は格好の象徴となった。このことは国民を戦争に動員するのに利用された」と指摘している。日清・日露戦争と大東亜戦争を一緒くたにしてはいないか。戦争は政治や外交の延長であり、天皇が起こす訳ではない。

 大学教授という己の生業や売文から、日清戦争や日露戦争を否定するのも結構だが、日清・日露戦争で我が国が勝利しなかったら現在の日本国そのものが存在していなかったし、己も生まれて無かったということを理解した方が好いと思うがなぁ。

 彼奴等は日本否定派であり、敗戦していれば天皇の存在も無くなってただろうし、その方が好かったと思っているのだろう。御陵や陵墓というのは確かにシンボル的な意味合いがあるが、天皇が尊いのはその教えであり、思召しである。

 天皇を頂く我が国こそが世界の中心であり、日本こそが特別な神の国と信じることは日本人として真剣な感情でもある。仏教に「須弥山思想」がある。須弥山とは世界の中心に聳え立つ高山で、その頂上には帝釈天が住むという世界観である。

 輪廻にかかわる世界全体を表す「三界」と呼ばれる世界の最も上位にある「無色界」の更に最上位の非想非非想天と呼ばれる領域を「有頂天」という。我が国の「神国思想」は、この空想的な世界観である須弥山思想を日本に当て嵌めることに拠って「天皇を頂く我が国こそが世界の中心である」という教えを導き出した。

 鎌倉時代末期、当時、全世界規模で支配力を強めていたモンゴル帝国が日本に襲来した際も、二度の台風に拠ってモンゴル軍を敗走に導いたのは台風を「神の吹かせた風(神風)」と解釈したことで一層流布し、人々はその教えを自然に受け入れた。

「神国思想」では、国土を「神州」、国民を「神裔=神の子孫」、国権を「神授=神から委託された権利」というが、国民は神の子として「子が親に孝養を尽くす様に、国民が国に尽くすのは真剣な感情である」との教えに辿り着く。

「日本は神の国」とする思想は、古来より伝統的なもので「古事記」や「日本書紀」でもこの点を事実として強調している。教育勅語も然り。左翼勢力や反皇室活動家らはこうした神国思想を否定し、日本人としての根本的な教えも拒絶する。

 何故に拒絶するのかといえば先の大戦と神国思想を結び付けてるからだが、これは戦後民主主義教育という洗脳が大きく影響している。未だ天皇否定、神道否定の勢力が存在するのは、戦後民主主義教育や共産主義の弊害も然ることながら、長州閥の明治新政府が、殊更に天皇と「神国思想」を政治的に利用した反動だろうか。

 明治政府の政治的利用が「天皇制」であり、天皇を軽んじた故に現代になって矛盾が生じてしまっている。ヤルタ・ポツダム体制の検証然り、明治開国後の長州閥中心の専制政治が強行した様々な矛盾や不条理を一つ一つ検証しなければならない。

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2018年02月25日

「御陵を世界遺産にしよう」などという戯言

 政府は国連教育科学文化機構(ユネスコ)に「百舌鳥・古市古墳群」を世界文化遺産に推薦する際に、国内最大の大山(だいせん)古墳を「仁徳天皇陵古墳」と天皇の名前を冠する名称を採用した。この決定に学匪から異論や批判が強まっている。

「仁徳天皇陵古墳」との名称は、歴史や考古学では未だ証明されていないとの認識からのものであろう。学匪らは、文化調査という言葉を持ち出してはいるが「科学的証拠」として巧みに利用し天皇の歴史を批判、誹謗するかが目的である。

 学匪らは天皇陵の発掘調査を「史跡」だとして、然もその研究が研究者として当然の権利の如く主張しているが、御陵や墳墓発掘の真の狙いは、天皇の歴史の否定と皇室の解体そのものに在る。宮内庁こそがその実は皇室解体を目指す最大勢力なのだが、尊皇精神皆無の政府もそれを疑いもせずに手助けする。

 抑々「御陵を世界遺産にしよう」との戯言を掲げ、実行しようなどというのは日本人の精神的幼稚さを示す最たるものだ。宮内庁は全国約900の陵墓を非公開で管理している。平成19年に内規を改め、畏れ多いことに研究者側からの要望に応じて陵墓の立ち入りを認めるに至り、既に計14件の陵墓が許可され調査されている。

 陵墓への立ち入り調査というのは、宮内庁が我が国の国柄と不可分の「天皇陵の尊厳」ということを全く理解しない証左である。陵墓への立ち入りは明らかに刑法で定められている、「礼拝所及び墳墓に関する罪 」に抵触する犯罪行為である。

 学匪らは、エジプトのピラミッドや支那の兵馬俑などの王の墓と同様に、「天皇陵も発掘の対象にすべきだ」というが、御陵や墳丘の発掘までもが許される事態となれば、尊厳は完全に損ねられることは必至であり、断じて許してはならない。

 エジプトや支那の場合は滅亡した王朝の墓だが、天皇陵は現存する皇室が守るべきもので、祭祀の場であり、その背景はピラミッドや兵馬俑などとは全く異なる。

 学匪らは、「御陵の周辺部が史跡に指定されてない為に、宅地造成で埋め立てられたり、破壊されたり危機的状況であり、国が直接保護するべきだ」と、如何にも御陵の荒廃を嘆くかの様な意見を振り翳してはいるが、全くの詭弁である。

 そのトリックが「史跡」という言葉にあり、「史跡」になれば発掘は可能になるのを承知しての確信犯であり、学匪どものあれやこれやの尤もらしい屁理屈も単なる奸智奸策に過ぎない。 彼奴等の発掘の真の狙いは、皇室の否定と解体そのものに在り、左翼が目指す、所謂「天皇制廃止運動」の一環に他ならない。

 地元紙の今日の記事「象徴考・陵(みささぎ)に吹く風」の中で、「象徴天皇制となった現代、新たな陵の在り方も模索が進んだ」とあるが、天皇は天皇であり別に天皇制ではない。況してや「象徴天皇制」とは共産党の造語である。

 その記事の隣には「剣璽等継承の儀」に際して、男性成年皇族のみの参列に疑問を呈し「今の時代に合わない」と女性皇族や未成年である秋篠宮悠仁親王殿下の出席を認めるべきとの作為的な記事が躍っている。「今の時代」とは何なのか、現代こそ絶対と言わんばかりではないか。正に現代日本人の傲りそのものである。

 神武肇国から続く皇紀2678年の歴史と伝統に裏付けられた意見を出し合って話し合うなら未だしも、現代の価値観で論ずれば「天皇はいらない」という議論にまで発展するだろう。だが、反天皇運動を謀る連中の狙いはそこにあるのだ。

 有識者会議に出席した女性教授は、「天皇を巡る儀式で女性の参画を禁忌とする原則は無かった」と説明しているのも厭きれる。神事では生理は「穢れ」と捉えられ、皇室の重要な神事の一つ「皇霊祭」でも生理中は参加出来ないのは当たり前。

 生理中、女性というのは情緒不安定になるというし、そうした女性の体調を気遣うのは当たり前のことで、これは別に女性差別ではなく、女性の身体を気遣ってのことでもある。こうした伝統はイスラム教でもユダヤ教でも同じことである。

 皇統の歴史には8人10代の女性天皇が存在している。ローマ法王には女性は就いたことはないし、法王を選ぶ枢機卿にさえ女性が選ばれた歴史は無い。日本より女性差別、女性蔑視ではないか。レディファーストの国でも歴史とはそんなものだ。

 我が国の最高神は天照大御神であり、女性である神に仕えるのは、やはり男の方が好ましい。何でもかんでも「男女平等」を都合好く解釈するなっての。

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2018年02月23日

宮内庁は別な形での国民への御発露の方法を考えよ!

 本日、皇太子殿下の御誕生日に当り謹んで御祝詞を申し上げます。

 恒例の皇太子殿下への会見の全文が掲載されている。相変わらず「時代に即した新しい御公務」だとか「二重権威を危惧する意見も聞かれる」などの悪意に満ちた質問が目に留まるが、皇太子殿下はそれを無難に熟していた様だ。

「二重権威」だとかいうが、その危惧する声は何処から聞こえてくるのか。抑々、退位後に正式な「太上天皇」と称さないで「上皇」と「上皇后」呼称することが問題で、国民が危惧するのはこうした現世での皇統の歴史の改竄である。

 況してや皇太子殿下となるべき秋篠宮殿下を、皇統の歴史にも無い「皇嗣(こうし)殿下」とするとは何事か。早々に「皇太子」と名称を戻すべきだ。要は「秋篠宮家」を残して女性宮家にしようという宮内庁や反天皇活動家らの策謀に他ならない。

 女性宮家を創設したところで出来るのは皇室外交くらいなもので、女性皇族が陛下の国事行為や祭祀を代行することは不可能。女性宮家創設は、男系男子の皇統の歴史に楔を打ち込み、現憲法第二条に拠る世襲を強行し、愛子内親王殿下を即位させ皇統断絶を完遂しようという共産主義者に因る反天皇運動の実行である。

 女性宮家は、減少する男系男子皇族の減少を食い止めるという理由を挙げているが、皇統を盤石の安きに置くというのなら、占領下、昭和天皇が最後まで反対なされた皇籍離脱させられた旧皇族の皇籍復帰こそ我が国が執るべき道である。

 陛下を始め、皇太子殿下や秋篠宮殿下に於かれては立場上、私見を語ることは許されず、また選挙権も有していない。それを好いことに、記者諸侯は悪意に満ちた無礼千万な不敬不遜な質問を投げ掛け、失言を引き出そうとする。

 マスコミは「開かれた皇室」を翳して、如何にも国民と皇室の垣根を外そうと必死だが、こうした形式だけの会見は、皇国臣民として抵抗を感じざるを得ない。

 抑々、象徴天皇や御公務などというの現日本国憲法下での決め事に過ぎない。悲しい哉、現憲法下では都合の好い傀儡とされてしまっているのだ。天皇陛下というのは憲法以前の存在であらせられ、憲法が在って存在せられるものではない。

 我が国は、天皇即日本、日本即天皇の国體である。天皇の存在せられない日本国は在り得ない。これ即ち、明治天皇が教育勅語の中で御諭しなされた「世々その美を済せる国體の精華」であり、万邦類い無き天皇国日本の真姿なのである。

 欽定明治憲法第一条の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とは、この歴史的事実であると同時に我が国の本来在るべき姿を明示されたものと勤解する。

 陛下皇后両陛下や皇太子殿下の御言葉はその影響するところは大であり、正に「綸言汗の如し」。それを承知で一問一答形式に拠って御言葉を引き出し、世論誘導を企んでるのは火を見るより明らか。陛下や皇太子殿下、秋篠宮殿下というのは政治家とは違い口先で誤魔化し、その場を逃れ様ということをなさる方々ではない。

 御地位、御立場と崇高な御人格がそれを許さないのである。ところが、相手の記者団といえば海千山千の強か者ばかり。恰も皇室を理解している様に取り繕うが、多くは皇室に批判的で、尊皇絶対の大義を弁えている記者はいない。

 今では当たり前となった記者会見によって、言葉尻を捉えて政治問題にしようという記者が存在しているのは確かで、こういう会見は断固拒絶するのが妥当であり、宮内庁は別な形での国民への御発露の方法を考えるべきである。

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2018年02月21日

飯館村の102歳男性自殺訴訟で東電に1520円の支払い命令

 東京電力福島原発事故に因る強制避難を前に自殺した、当時102歳だった飯館村の男性の遺族3人が東電に約6000万円の損害賠償を求めた訴訟で、福島地裁の金沢秀樹裁判長が高齢男性の自殺と福島第一原発原発事故の因果関係を認め、東電に1520万円の支払いを命じた。福島県人として恥ずかしいやら醜いやら。

 福島県人はいつからこんな卑しくなってしまったのか。遺族は「無念を晴らせた」と目を潤ませていたが、賠償請求をすることが故人の苦悩を晴らすものだったとは到底思えない。こうした被災者の被害者意識を煽り、多くの訴訟が行われている裏側で、法テラスや弁護士らが被災者に入れ知恵し、あくまでも「原発事故は東電の責任である」との既成事実を積み上げて反原発に利用しているに過ぎない。

 震災後「絆」という言葉が合言葉になり、畏くも陛下は「国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共に夫々の地域の復興の道のりを見守り続けて行くことを心より願っています」と思し召し遊ばされた。

 だが、そうしたことを好いことに県内の被災者は少し甘え過ぎてはいないだろうか。被災者は仮設住宅での生活の不満を口にし、逸早く県内から逃亡した自称・被災者らは何かと理由を吐けては帰還を拒み、生活苦を訴える。

 今回の訴訟も東電に全ての責任を押しつけているが、原発事故が「人災」だったというのは事故調査委員会で既に明らか​になっている。ならば東電だけではなく、その人災の原因を作った当時の最高責任者だった菅直人も訴えるべきだろう。

 要らぬ被災者を出し、反原発派という精神異常者らが住民や国民を煽り放射線ヒステ​リーを齎し、福島への風評被害と福島県民への差別を生んだ主犯は菅直人でありながら、東電や東電幹部のみにその責任を負わせるのは如何なものか。

 当時の政府の不作為が後々の事故処理にも大きな課題を残した。史上最悪の事故は史上最悪の政権が起こした人災だったのだが、張本人の菅は自分の責任に頬被りして反原発を訴えてる始末。此奴こそ業務上過失致死傷で逮捕するべきだ。

 福島県の被災者は東電からの補償もあり、宮城や岩手県の被災者に比べて恵まれている方だと思うが、その限りのない無心は収まることはない。原発事故の被害は原発周辺者に限らず県民なら誰もが同じこと。偶偶、原発周辺20㌔以内に住んでたからこそ補償の対象になっているだけのことで、こうした現状を理解しているが故に、被災者や自主避難者らは菅直人や旧民主党政権には寛大なのか(苦笑)

 第一原発北側に在る浪江町や飯館村、葛尾村の放射線量が多いのを知っていな​がら、既に発表した「20キロ圏内避難指示」を撤回する​ことに躊躇し、科学的放射線の数値が出されたSPEEDIの情報を隠蔽した責任は重い。20㌔圏内でも、川内村や楢葉町、双葉町、富岡町といった放射線の低い地域にも避難命令が出された。

 被災者となった彼らには過分な生活費と賠償金など、事故前よりも裕福となりこの世の春を謳歌している。因みに、川内村の住民は郡山市に避難することになったが、「川内村の放射線量は郡山市より低いのに何故に非難する必要があるのか」と糺したマスコミは無く、放射線の真実を伝えようとしたジャーナリストもいなかった。

 被災者や自主避難者らは口々に「帰りたくても帰れない」という。だが、原発周辺の住民の多くは東電関連の仕事に従事していた方が多く、あの周辺に戻っても昔の様な仕事に在り付けないということを知っている。「帰りたくても帰れない」とは「帰っても仕事が無い」し、生活補償費や賠償金で暮らした方が楽だもの。

 被災者らが集団訴訟を起こした「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ」がその無心の最たるもの。ならば反原発じゃなく「生業の為に福島第二原発の再稼働を急げ」と訴えるべきだが、言ってることとやってることが真逆(苦笑)

 それらのホンネを直隠し、未だに「我々は被害者だから優遇されるのが当然だ」と言わんばかりに権利ばかりを主張し、止まることのない無心を繰り返しているのは同じ福島県人としてホントみっともない。被災者はいい加減、被害者意識を棄てよ!

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2018年02月20日

古い日本語が差別用語として規制されてるのは逆差別にも感じてしまう

 田村正和主演の「眠狂四郎」が好きだ。中々見応えのある内容で、眠狂四郎は今は亡き市川雷蔵のあのドSぶりが堪らない。昔の日本映画や落語などには、盲(めくら)、唖(おし)、吃(ども)り、跛(びっこ)、聾(つんぼ)などの放送禁止用語がバンバン飛び交ってて実に面白く、台詞そのものが実に興味深い。

 古い映画や古典落語には差別用語だけではなく、懐かしくも美しい日本語が処処に溢れていて、日本の原風景が浮かんできそうだ。こうしたことを気にしながら、観たり聴いたりすることこそ生きた耳学問であり、実践した教育でもある。

「憚(はばか)り様でした」(ご苦労様です。恐れ入ります)
「傍杖(そばづえ)を食う」(思わぬ災難に遭う)
「荷が勝つ」(責任・負担が重過ぎる)
「武士は相身互い」(同じ立場の者は助け合うべし)
「罪業の深さ」(罪の原因となる行為)
「浮世に拗(す)ねる」(世の中に逆らう)
「卒爾(そつじ)ながら」(人に声をかける時に言う語)

 その他にも「阿漕(あこぎ)な奴」「お為倒し(おためごかし)」「朝未(ま)だき」「足元から鳥が立つ」など、現代では余り馴染みのない言葉や台詞のオンパレード。映画や落語は娯楽や趣味だから、こうした難解な言葉を四六時中考え、気にしている観ている訳ではないが、それはそれで楽しいもの。

「四六時中」という言葉も昔は「二六時中」と言ってたそうだ。一日を十二刻で数えていた時代には「二六時中」だったが、二十四時間になって「四六時中」に変わったというから面白い。言葉は時代と共に移ろうものだが、時代時代でどういう風に使っているのかを知れば、また違った世界観を知ることが出来るというもの。

 外国語に比べ日本語というのは実に素晴らしい。現代の思想家でもある新崎智こと呉智英(くれ ともふさ、ご・ちえい)は、「差別は正しい、差別と闘うのが正しいのと同じぐらい正しい。人類が目指すべきは『差別もある明るい社会』である。差別さえない暗黒社会にしてはならない」と逆説的に述べている。

 哲学的ではあるが実に示唆に富んでいる。くだらない倫理観やキレイゴトに因って、古い日本語が差別用語として規制されてるのは逆差別にも感じてしまう。

 保守陣営などからは、「教育勅語」を道徳教育の指導原理と成し、また戦前の「修身」復活の声も聞こえる。だがどうだろう。修身では、例えば「おたけがめくらのてをひいて」と、幼少のおたけの障碍者への労りや優しさを教えている。

 だが「めくら」は現代では差別用語でもあり、放送禁止用語でもある。これを現代風に「視覚障碍者の手を引いて横断歩道を渡りました」などと表したとしても、真意は伝わらない気がする。放送禁止用語や差別用語は撤廃させるのが先決だ。

 差別用語が羅列されてる「修身」の復活は、現代の教育に使うことは不可能に近い。「差別用語を使用しなければ良いだろう」というが、眠狂四郎や他の時代劇のリメイク版の様にリアル感が無くなり、相手(子供や学生)の心にに響くものが無ければ実践することもなく、実践の伴わない修身や道徳教育なんぞに意味は無い。

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2018年02月12日

地元の「開成大神宮」が「岩代大神宮」となっていたら・・・

 例年、紀元節には明治神宮や靖國神社で奉祝行事に参加してたが、団体を辞してからは地元の開成山大神宮で、神武肇国の精神を偲び、陛下の弥栄を祈念している。 

 開成山大神宮の御祭神は、「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」「豊受大神(とようけのおおかみ)」「神倭伊波禮彦命(かむやまといわれひこのみこと:神武天皇)」。伊勢神宮や橿原神宮と同じ神を祀る、東北人には有難い社である。

 安積開拓民の精神的な拠り所にと、福島県の典事・中條政恒が伊勢神宮の分霊の奉遷を神宮司庁へ働きかけた創建された神社である。本来は、福島県が「岩代の国」と呼ばれていたということもあり「岩代大神宮」を希望したが、伊勢神宮」と同じく、旧国名を冠することに明治新政府が難色を示し「開成山大神宮」となった。

 こうした経緯は余り知られてはいないが、若し「岩代大神宮」だったらと思うと旧岩代町出身の愚生としては惜しい哉。安積(郡山)の地というのは、明治以降、地元の二本松藩を始め、会津、棚倉。近県からは米沢藩。四国からは土佐と松山藩。山陰からは岡山、鳥取藩。九州から久留米藩の方々が入植して開拓した地だ。

 一番多かったのは九州久留米藩で、郡山では「そうだばい」とか言葉尻に「ばい」が使われるのはそうした名残だ。今の様に交通の便が無い時代、九州や中国・四国地方から徒歩で数百、千数百キロを歩いて来たことを思うと実に感慨深い。

 防共挺身隊初代総隊長・福田進が、明治神宮での紀元節を重んじていたこともあり参拝は欠かさなかった。平成16年、陛下の御親拝の関係者への案内状のミスを理由に神社本庁から離脱し「宗教法人」となって以降、明治神宮参拝は中止した。

 明治神宮は周知の通り、国民の総意に由り明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社である。それを神官の一部や神社側の幹部が私物化し、営利至上主義に奔っている現状は正に憂慮すべき事態である。神職に携わる者が営利に奔り、神社庁の主導権争いから「神社庁に属さなくても独立採算出来る」というその姿勢は実に賤しく、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ神社としては不謹慎過ぎる。

 明治神宮が神社本庁から離脱し一宗教法人となったことは、明治神宮が創建された趣旨から鑑みても逸脱するものであり、況してやGHQが実行した「神道指令」を容認している蛮行とも言える。右翼陣営が苦言も呈さず明治神宮に参拝することは、明治神宮の愚行とGHQの戦後政策を赦すことでもあると思うが如何か。

 宗教法人とは「教祖・経典・布教活動」の三条件が必要であるが、神社=神道はそれに該当せず、宗教ではない。神道とは日本人の心に清む惟神(かんながら)の道である。靖國神社や全国の護国神社が「宗教法人」となっているのは、「神道指令」を免れる為に御祭神を別にしたり、存続の為に已む無く採った先人の智慧だ。

 本来ならば、靖國神社も護国神社も、昭和27年4月28日の主権快復の折に、宗教法人格を解除し国が護持すべきだったのだが、未だに宗教法人として放置され続けていることは、政治家の怠慢と不作為以外の何ものでもない。

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2018年02月10日

朝鮮半島の非核化より金王朝を崩壊させ南北統一を実現させたら面白い

 安倍首相は平昌オリンピック開会式出席の為に訪韓し、文在寅大統領と会談、日韓合意の履行を要求。更にはペンス米副大統領らと共に北朝鮮への最大圧力を高める方針を確認した。南北統一チームで臨むオリンピックに抗議もせずに「最大圧力」とは嗤うしかないが、こういう在り来たりの会談に意味が在るとも思えない。

 何より、核兵器を保持した国が放棄したということは聞いたことがないし、北朝鮮だけを批判するのも如何なものか。朝鮮半島が北朝鮮の核によって脅かされるというが、元々は同じ民族。南北統一は民族の悲願であることは間違いない。

 ただ、統一後に米国が仕切るか、ロシアや中共が仕切るのでは大きな違いがあるというだけのこと。北朝鮮の金正恩さえいなくなれば、南北統一が成されたとしても脅威ではない。要は、あの肥えた首領の扱い方次第ということでもある。

 北朝鮮が異常且つ極めて危険な国だと言うことは誰もが認めるところだ。正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」というのだが、民主主義でも人民の国でもなく、単なる「金一族」の個人独裁の世襲全体主義国家というのが正しい。

 日本人を拉致し、ニセ紙幣を偽造し、覚醒剤を密売し、ミサイルを製造し輸出し、旧社会主義に内在した悪の本質が体制化したチンピラ国家。何百万の餓死者が出ても歯牙にもかけず弾道ミサイルを開発し、核開発に狂奔している。

 この三代目金正恩の存在が鍵となろう。金正恩体制を存続した儘では南北統一は難しく、金正恩失脚無き統一は韓国が北朝鮮に併呑されたことを意味する。米国が金正恩の暗殺を企てているとも聞くが、貧困に喘ぎ痩せ細った人民とは対照的に、膨よかな肥えた「最も貧しい国に最も富裕な王がいる」時代は未だ未だ続きそうだ。

 韓国では、朝鮮半島分断は日本の責任だとするが、分断に至ったのはソ連の参戦が原因である。昭和20年(1945年)8月9日未明、ソ連が参戦すると3日後の12日には朝鮮半島北部にまで侵攻。朝鮮への侵攻準備が出来ていなかった米国はこれに慌て、急遽、朝鮮占領の協議が行われ所謂「38度線」で分割することで合意。  

 5年後の1950(昭和25)年6月25日、北朝鮮の突然の侵攻で同じ民族同士が相討つ戦争となり、数百万人が犠牲となる大惨事となった。「朝鮮戦争」である。

 日本は未だGHQの占領下。朝鮮戦争の勃発も朝鮮の南北分断も我が国に責任は無いが、若しその責任が在るのだとすれば、大東亜戦争に敗北し、戦後、共産主義の跋扈と驕逸を許したことだ。その償いは、その共産主義を滅ぼす以外にはない。

 習近平率いる中国共産党なんぞ北朝鮮と同じく恐れるに足らないヤクザ国家であり、尖閣列島で紛争になれば一気に共産主義体制を崩壊させる好機でもある。

 中国人民軍と自衛隊が干戈を交えれることになり我が国が勝利することになれば、ロシアは沈黙し、共産党一党独裁の習近平体制は崩壊し、朝鮮の南北統一も実現可能となり、中共の圧政に呻吟してる国々を始め世界から称賛されることだろう。

 日韓併合の二の舞だけは勘弁願いたい。南北統一後は、米国が米韓強化の為に沖縄を始めとした在日米軍を全て撤退させ朝鮮半島に移設することを望むばかり。

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2018年02月09日

相撲協会VS貴乃花親方の構図を作り大相撲批判を繰り返すマスコミ

 マスコミは、相撲協会VS貴乃花親方の構図を作り、恰も貴乃花親方が相撲協会の陋習を打ち破ろうとしている改革者であるかの様に作為的に報道し、国民もまた貴乃花親方を支持する。だが、本当に貴乃花親方は改革者なのだろうか。

 貴乃花が理事長に就いたら相撲協会が変わるのか。イベントや興行的には好いかも知れないが、熱烈な相撲ファンである愚生からすればそうは思えない。

 現役時代、若貴ブームを作り、歴代横綱の中でも記録より記憶に残る力士だったのは間違いない。北の湖と共に一代年寄となったのはそうした功績の賜物だ。

 だが、プライベートでは女優でタレントの宮沢りえとの交際と婚約破棄、兄・若乃花との絶縁など、自分に厳しい結果だとマスコミは好意的に捉え持ち上げるが、貴乃花には心の余裕を感じられない。あの窮屈さは観ている此方も窮屈になる。

 白鵬のかち上げや張り手は頂けないが、相撲の技にあるのだから一概に批判は出来ない。あくまでも姑息な技は、横綱らしくないというだけのこと。

 貴乃花と若乃花の同部屋決戦では、若乃花が勝利し優勝を飾ったことは記憶に新しいが、あの一番は明らかに兄に花を持たそうとした八百長だった。

 また、怪我を押して武蔵丸との決戦に挑み勝利し、鬼の形相で勝ち名乗りを受け、表彰式で小泉純一郎総理が放った「感動した」は記憶に残る一言だろう。

 相手の武蔵丸にしてみれば、怪我をしてる相手に本気で勝負するなど出来ない性格だし、試合後に語った「取り難いよ」との言葉にその思いが込められている。怪我を押して強行出場した貴乃花は、相手に失礼だとは思わなかったのだろうか。

 そうした何気ないことにも貴乃花の相手を思う気持ちや、横綱としての慈愛の心の乏しさが現れていると感じている。相撲協会との拗れや蟠りも、己が正しいと言わんばかりに自我を通しているだけで、これが改革者である筈がなかろう。

 人間というのは、クルマのハンドルに「遊び」がある様に、心に余裕が無いと窮屈になるものだ。貴乃花を見ていると、自分自身に厳しいというより、その偏狭過ぎる厳しさが相手にも息苦しくさせるということも知るべきだろう。

 身内やマスコミ向けに笑顔を見せるが、あの顔にしても政治家が選挙の時などに有権者に見せる取り繕った笑顔にしか見えないし、どこかぎこちない。憮然としながらも慈愛に満ちた器の大きな故北の湖の様な親方を目指して欲しいものだ。

 最近の大相撲はスポーツとしてイベント化してしまったが、明治維新で「断髪令」が発せられても丁髷の伝統を貫き、戦後もずっと表彰式で国歌「君が代」を斉唱し、日本の「国技」を自称して来た保守の牙城とも言うべき組織でもある。

 その大相撲を目の仇にし、歴史・伝統・文化を否定する左翼や無自覚左翼の連中が、賭博やら八百長やらを執拗に煽り立て糾弾したことは記憶に新しい。

 事在る毎に大相撲批判を目にすると、大相撲の存続にも影響しかねないし、貴乃花は改革者の名の下にそうした反大相撲勢力に利用されてる様にも感じる。

「角を矯めて牛を殺す」という言葉がある。少々の欠点を直そうとして、反ってそのもの自体を駄目にすることも無きにしも非ず。相撲協会VS貴乃花親方の報道を目にする度に相撲ファンを落胆させる。この儘では大相撲も廃れてしまうだろう。

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2018年02月08日

靖國神社御創立百五十年記念事業に思う

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 画像は靖國神社のパンフレットの表紙。今年平成30(2018)年は明治改元(1868年)から150年を迎える。江戸徳川幕府に対する倒幕運動から天皇親政体制への転換と、それに伴う一連の改革を明治維新という。だが、長州藩を中心に動いた一連の動きは尊王攘夷とは名ばかりでその実は尊皇開国だったのではあるまいか。

 維新後、西洋を模倣した長州閥が中央官制を始め、地方行政、文化、教育、思想政策など多岐に亘り影響を及ぼすこととなる。中でも、靖國神社は改元後の明治2年、明治天皇の思召しに由り「東京招魂社」として建立された神社である。

 靖國神社の合祀対象は、三条実美の祭文に明示されている様に、「皇軍に役立ちして、賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩」に限られている。

 この三条公の祭文の原則がある限り、また見直さない限り、会津藩や我が二本松藩、或いは西南の役での西郷軍関係者などが祀られることはなく、未来永劫 「賊軍」の儘で汚名が雪がれることは無い。明治天皇の思召しを何と心得る。

 戊辰の役(戦争)では「西軍」と「東軍」は干戈を交えたが、「皇軍」という名の「官軍」と「賊軍」が戦った訳ではないし、東軍は断じて「賊徒」ではない。「賊軍」とは、維新後、長州閥の明治新政府に因って作られた造語である。

 明治改元前年にあたる慶応3年(1867年)、徳川十五代将軍であった徳川慶喜が征夷大将軍の職を辞し政権を朝廷に返上した。この大政奉還を以て明治維新は成立したと考えるが、王政復古に拠って慶喜の辞官納地を決し、鳥羽伏見の戦いを経て戊辰戦争に突入して行った。何故に江戸城開城後も会津や函館を攻め入ったのか。

 何のことはない西軍、中でも長州藩は「蛤御門の変(禁門の変)」で敗れたことへの恨みつらみというのが正しく、長州が掲げた錦の御旗も大義も贋物であったのだ。東北への北上に大義は無く、単なる盗賊の如きの所業であったのは紛れもない事実。

 歴史に「もし」は無いが、「もし」勝海舟が西郷隆盛との会談で江戸城の無血開城を諒としたことを以て徳川幕府が崩壊したのだから維新はこの時に成立している訳で、その後の東北や会津での戦いに意味があったとは思えない。

 幕府唯一の神道であった会津が何故に朝敵として責められなければなかったのか。長州藩の単なる蛤御門の変での敗戦の遺恨でしかなかった。

 会津戦争を止められなかった西郷が明治新政府に干されるのも想像するに難い。明治維新とは尊王攘夷という大義ある代物とも思えないのだ。

 靖國神社には未だ三条実美の祭文が効力を発揮し、東軍戦死者は賊軍として本殿に祀られることはなく「鎮霊社」に分霊されている。

 だが、靖國神社が戦没者の顕彰を重んじる神社であるなら、鎮霊社という別なカタチで祀ることと、本殿に祀ることと、そのどちらが時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのか言わずとも分かるだろう。

 死者の選別を続けることは日本人の死生観にもそぐわないし、明治天皇の思召しにより創建された社としては如何なものか。西軍東軍の分け隔てなく、戊辰戦争などで斃れた全ての戦没者の合祀を図るこそ天皇顕現の道である。

 靖國神社御創立百五十年記念事業のパンフレットを見ると、戊辰戦争や明治維新のことには一切書かれていない。大東亜戦争での戦没者の御遺族や戦友の減少に伴い賛同者が減っっていることを案じているだけ。

 その上で「国を思い、祖国を愛し、家族を慈しみつつ散華された英霊の御心を次の世代へ伝えて行くことこそ、戦後に生きる私共の責務」と施設への支援を訴えているが、靖國神社が大東亜戦争戦没者施設になってしまった様だ。

 明治維新や明治天皇思し召しで創建されたことにも触れることなく、唐突に、先の大戦で散華された英霊を持ち出すことに違和感を覚える。靖國神社は大東亜戦争の英霊だけの施設になってしまったのか。

 これでは反靖國派に批判される材料を与えている様なもので、靖國神社が戦没者の顕彰を重んじるなら、明治維新の過程で勃発した戊辰戦争や西南の役などで散華された東軍を含めた全戦没者の功労も顕彰すべきであろう。

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2018年02月07日

2月7日の「北方領土の日」に政府や国会のやる気の無さが現れている

 本日2月7日は「北方領土の日」。地元紙のトップは女性週刊誌の様な秋篠宮真子内親王の御成婚に関する記事が踊っているだけで、新聞を見てもテレビのニュースでも、北方領土問題に関する記事は全く見当たらないのは何故だろう。

 抑々、2月7日が「北方領土の日」だと認識している国民はどれ程いるのだろう。北方領土は、「樺太・千島交換条約」及び「ポーツマス条約」の締結に拠って、南樺太と歯舞、色丹、国後、択捉の四島を含む、北は占守(シュムシュ)島から得撫(ウルップ)島の全千島列島と南樺太が固有の領土となった。

 領土問題では日本共産党でさえ「全千島、南樺太の主権」を訴えている。この認識が正しく、国会で採択された「四島返還決議」の返還要求こそ事勿れ主義であり軟弱土下座外交そのものである。先人達の外交努力を無視し、全千島と南樺太の主権が在るのに四島のみの領有権主張を明記し、権利を放棄するとは理解に苦しむ。

 安政元年(1855年)2月7日、下田で「日露和親条約」が締結され、四島と千島の間に境界線が引かれ、樺太を混住の地と決めた。だが、日本政府としてではなく江戸幕府時代であり、下田での条約締結を四島返還論の論拠とするのは無理がある。

 歴史には続きがある。その後、江戸幕府を解体させ明治維新を成し遂げ、新政府を発足させた我が国は、明治8年(1875年)5月7日に「樺太・千島交換条約」を交わし、樺太の北側を千島列島と交換したことで、南樺太と全千島が日本に帰属した。

「北方領土の日」は2月7日より、旧ソ連が日ソ不可侵中立条約を蹂躙するに至った8月9日にしろとは言わない迄も、南樺太・全千島が国際法的に我が国に帰属した5月7日が相応しい。2月7日の北方領土の日に政府や国会のやる気の無さの現れである。

 北方領土問題解決には、北方領土に関する歴史的経緯と事実。更には領土主権の重要性を国民に分かり易く説明すべきだが、日本政府は4島に拘るが故に「日露和親条約」を論拠にし、御粗末で御座なりな返還運動を繰り返すばかり。

 日露和親条約ではなく「樺太・千島交換条約」並びに「ロシアは樺太の北緯50度以南の領土を永久に日本へ譲渡する」とした「ポーツマス条約(日露講和条約)」を論拠に領土の主権を主張をすべきであって、四島のみの返還要求など言語道断。

 政府は昭和56(1981)年、北方領土問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層の推進を図るという理由で2月7日を「北方領土の日」と制定したが、この2月7日こそまやかしの返還運動と断じざるを得ない。

 余談だが、国士舘大学在学中だった昭和56(1981)年2月7日、防共挺身隊の一員として「北方領土の日」を粉砕すべく霞ヶ関の式典会場に向かった。

 会場手前から隊列を組み押し入ろうとするも機動隊と揉み合いになった。当時は幟は竹竿で作ってあり、振り回すと竹竿が機動隊員に当る。数人が機動隊員に連れ去られるも、乱闘の末に隊員を奪還したことも今では懐かしい想い出である(笑)

 世界各地で民族争いの中で国境紛争が頻繁に起きている。寸土たりとも主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識。我が国も、奪われたものは奪い返すことでしか解決を見ないことを自覚し、領土奪還の気概と覚悟を持つべし。

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2018年02月04日

ジャイアンツの宮崎神宮への参拝取り止めは創価学会員の選手の影響か

 プロ野球12球団は今月1日に一斉にキャンプインした。ジャイアンツは例年同様に宮崎県でキャンプイン。今年は何故か、東京巨人軍草創期から58年間も続けてきたキャンプイン前日の恒例行事である宮崎神宮への必勝祈願参拝を取り止めた。

 宮崎神宮は神武天皇(神日本磐余彦尊 かむやまといわれひこのみこと)を祀る神社である。神武天皇は初代天皇として、大理想である「八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむ)」を天高く掲げ日本国を統一した肇国の神である。

 神社側には球団から、「選手の意向で参拝に行かない」との連絡があり、その後、神社に出向いた球団幹部から改めて説明を受けたという。新選手会長に就任した菅野智之投手がナインの意向を代表して球団側に伝え見送りに至ったという。

 だが、恐らくは信教の自由を理由に神社への参拝に難色を示した選手らに譲歩した結果ではあるまいか。内海哲也投手や球団職員の野間口貴彦元投手らは熱烈な創価学会信者でもある。神社への参拝拒否は創価学会の教えでもあり、池田創価学会に忠誠を誓うジャイアンツ内部のこうした現状が大きな要因だろう。

 野球が当たり前にやれなかった時代があった。先の大東亜戦争時代である。先の戦争では、特攻作戦などで多くのプロ野球選手も尊い命を投げ出されている。この事実をプロ野球ファンならずとも国民は知っているのだろうか。

 当たり前に自分の好きな野球をやれるということを再認識する為にも、キャンプインやオープン戦前の地元神社は勿論のこと、開幕前にはプロ野球選手団は靖國神社に参拝し、大戦で犠牲となられた先輩方に感謝の誠を捧げるべきだと思っている。

 先の大戦で亡くなられたプロ野球選手は想像している以上に多く、試合の途中で出征した方や、幾度かの戦火を潜り抜けて帰還するも再び出征して終には戦場に斃れた方など実に69名もいる。中でも有名なのは「東京巨人軍」の澤村榮治投手だろう。

 どんなに凄い選手かは説明するまでもないが、年間最優秀投手に与えられる「沢村賞」はプロ野球選手の最高の名誉である。昨年は最多勝を取った菅野智之投手が受賞しているが、学会員でもある内海らは、靖國の英霊でもある澤村選手の賞など要らないと思ってるのではあるまいか。巨人ファンとしては実にもの悲しい。

 プロ野球に限らず、今やカルト宗教・池田創価学会は政治、経済、文化、教育、司法などあらゆる分野に蚕食し、日本と日本人を蝕み続けている。

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2018年02月01日

「天岩戸」こそ太陽神の天照大御神を信仰する我が国らしい神話である

 月日の経つのは早いものであっという間に2月となった。先月は、インフルエンザAに続いてB型にも感染してしまい散々な1月となってしまった。今日は朔日ということで身を清め、神饌を新しくして、畏れ多くも陛下の弥栄を祈願した。

 昨日は、皆既月食、然も貴重なスーパーブルーブラッドムーンだったこともあり、俄か天体ファンがカメラやスマートフォン片手に天体ショーを楽しんだ。

 古来日本では、日食と月食の日は「穢れの日」として、月や太陽から放たれる光は「妖光」として忌み嫌われた。幕末までは、日食や月食の日は不吉な兆候とされて、天皇の祭祀と政務を一切取り止めたという。当時は、天変地異や疫病などが起きると本気で信じられ、この妖光から天皇の玉体を護って来たことが伝えられている。

 こうした「不吉」は別に我が国の神道だけに限ったことではなく、ヒンズー教なども皆既月食や皆既日食を「災いが起こる前兆」として恐れ、祈りを捧げる。

 天皇を、何故に日食・月食の妖光から護るのか。その理由は、玉体を護ることが、日本国の自然と社会の秩序を維持する為に枢要なことだったからだ。

 天皇とはそうした秩序を体現している御立場であり、その玉体安寧を維持することが、政治の核心の一つだったのである。神話の「天岩戸(あまのいわと)」では、天照大御神が天の岩戸に篭ってしまい世界が真っ暗闇になり悪神が蔓延ったという話があるが、この話も皆既月食や皆既日食の出来事を喩えた話しだろう。

 伊邪那岐神(いざなぎのかみ)は「天上界を天照大御神が、夜の国を月読命(つきよみのみこと)が、海原を須佐之男命(すさのおのみこと)が治めよ」と命じた。

 ところが、須佐之男命だけは任務を果たさず、その為悪神が蔓延り、諸々の禍が彼方此方で湧き起こる始末だった。伊佐那岐神は酷く怒り、「お前の様な者に用は無い!」と追放した。須佐之男命は姉の天照大御神を頼り、暫くは大人しくしていたが元々気性の荒い須佐之男命は、程なく種々の乱暴を働く様になった。

 天照大御神の耕す田を壊しては、御殿に糞を撒き散らしたりして手の付けようがない。それでも天照大御神は、そんな様子を大目に見ていたが、服屋(はたや)で神聖な衣装を織っていると、皮を剥いだ馬が屋根を打ち抜いて投げ込まれ、服織女(はたおりめ)が死んでしまう事件が起きた。犯人は勿論、須佐之男命である。

 これには流石の天照大御神も激怒し「天の岩戸」に隠れ篭ってしまった。その為、世界は暗闇となり、悪神達が蔓延り始めたのである。

 そこで高天原の諸神である八百万の神々は、天の河原に集い策を取ることになり、思金神(おもいがねのかみ)の提案で、先ず岩戸の前に常世の長鳴鳥を集め鳴かせることに。次に伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に八尺鏡(やたのかがみ)、玉祖命(たまおやのみこと)に八尺勾玉(やさかのまがたま)を作らせた。
 布刀玉命(ふとだまのみこと)には御幣(みてぐら)を持たせ、天児屋命(あめのこやねのみこと)には祝詞を奉れせた。こうしておいて、岩戸の真ん中で天宇受売命(あめのうずめのみこと)が乳房や女陰を露に神憑りの踊りを大乱舞した。

 八百万の神々がどっと笑うと、天照大御神は気になり岩戸をそっと開ける。

「何事か?」

「あなた様より貴い神が現れたので皆喜んで騒いでいるのです」

 差し出された八尺鏡を見た天照大御神は、そこに映った自分の姿をその貴い神と勘違いし、猶もよく見ようと身を乗り出したところを、怪力の天宇受売命が岩を投げ飛ばした。そして、天照大御神が外に出ると漸く世界に再び光明が戻ったという話しだが、この「天岩戸」こそ太陽神の天照大御神を信仰する我が国らしい神話である。

「皆既月食」の昨日は、自然現象に多くの子供達も興味を持って観察した。科学万能の時代に於いて、日本人として生を享けたからには、「天岩戸」の神話を始め、古来の日本人の考え方や教えも伝承して行かなければならないと感ずる。

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