2018年01月

2018年01月18日

自衛隊諸君は批判の声に怯むことなく、勇気と自信を持って職務に精励し前進せよ!

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 平成7年1月17日午前5時46分、淡路島北部沖の明石海峡を震源として、マグニチュード7.3の兵庫県南部地震(後に阪神淡路大震災)が発生し、自衛隊に批判的且つ無能な村山政権だったこともあり多くの犠牲者を出した。

 大都市の直下型地震は我が国では初めてのことで多くの教訓を残したが、残念ながらその後に起こった東日本大震災を始めとした災害を見る限り、危機管理や防災に関し万全な体制を執って来たとは思えない。

 遡れば我が国は、敗戦の汚辱を払拭せずに戦後の経済的繁栄だけに現を抜かし、国の大本を忘れ国民精神を失ひ、本を正さずして末に奔り、国家百年の大計を米国に依存し、それが当たり前だと思ってきた。

 大東亜戦争の教訓を活かすことなく、唯々反省と謝罪を繰り返してきたことで、国家としての大義を忘却してしまったことこそが、我が国が主権国家として体を成さない元凶でもある。

 阪神淡路そして東日本大震災等で被災された多くの方々の犠牲を無駄にすることなく、今後の我が国の危機管理と防災と国防が万全なものとなる様に、更なる高度な対策を構築しなければならないのは言うまでもない。

 自衛隊への批判の根底には憲法下での自衛隊の存在は違憲であるという認識から、軍事優先の結果がこうした事故が起きる原因であるとガナリ立てる。

 自衛隊に批判的な勢力は「反戦平和」を訴え、自衛隊に対する国民の反感を盛り上げようと躍起となってはいるが、今や国民の自衛隊に対する見方はひと昔前とは明らかに変わって来ているのも確かだ。

 東日本大震災での自衛隊の活躍は誰もが頼もしく感じただろう。国防と領土保全、更には防災、救援、復興と日々休み無く行動している自衛隊を心強く思い、また頼もしく思うのは国民として当然のことだ。

 国際環境やアジア情勢が大きく動いている今、政府がやるべきことは、自衛隊への感謝の念が高まっている今こそ、自衛隊を正式な軍隊として、その存在と必要性を明確にすることだ。

 昭和25年8月9日の警察予備隊発足以来、自衛隊では実に1840名以上の自衛官が「殉職」されており、一昨年も31柱が合祀された。我々はそうした犠牲者の上で生活が成り立っているのを忘れてはいまいか。

 阪神淡路や東日本大震災を始め、災害派遣や我が国の平和と独立、国民の生命財産を守る為に日夜行われている訓練などで、1870名以上の自衛官が殉職されていることを果たして国民の何人が知っているのだろうか。

 確かに、軍隊とは任務の為なら死をも厭わぬ集団である。だが、国民もまた国家の危機の要請に応じ、然と戦場に赴いて戦い散って逝った英霊に対し感謝の誠を捧げ、慰霊し顕彰することは義務でもある。

 ところが残念なことに我が国では国の礎となった方々は国家から顧みられることが少ない。このことがどれだけ国民精神の頽廃を招いているのか、我が国の政治指導者は考えたことがあるのだろうか。

 全ての捩れは日本国憲法が元凶であり、自衛隊をこのまま違憲の状態で放置することがあってはならないし、自らの国家の防衛をも否定する亡国憲法の破棄なくして「積極的平和主義」も「平和国家建設」も単なる画餅に帰す。

 今こそ日本人自らの手で日本人の為の憲法を制定するなり、先人の智慧でもある明治欽定憲法を復元・改正するなり、国民の生命財産と安全を守る為に日夜活躍している自衛隊を、国軍として、その存在と必要性を須く明確にすべし。

 姑息な現憲法の改正だけは阻止せねばならない。自衛隊諸君は批判の声に怯むことなく、勇気と自信を持って職務に益々精励せよ!

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2018年01月17日

主権恢復は祝祭日を本来の在るべき姿に戻すことから始めよ!

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 本来の成人式は1月15日。その年の初めての満月を祝う小正月に一家の行く末を託す男子の「元服」を行っていたというのが成人式の由来だ。

 だが「男子の元服」というのが性差だとして、ジェンダーフリーを叫ぶキチガイや左翼らの怒りに触れ、平成11年所謂「ハッピーマンデー」なる摩訶不思議な祝日が誕生するに至った。

「成人の日」や「体育の日」「敬老の日」「海の日」を「ハッピーマンデー」としたのは、国體破壊を謀る左翼陣営の悪知恵だが、保守を標榜する自民党や似非保守政治家らがこれに同調し施行されたことは実に御粗末と言う他はない。

「海の日」をハッピーマンデーとしながら、何故か「山の日」は8月11日と固定化されている。ならば「海の日」をハッピーマンデーから簡択し、7月20日に固定することに何を憚っているのか。

「体育の日」は、アジアで初の然も有色人種の国が初めてオリンピックを開催したという歴史的偉業である10月10日だったからで、この日以外に何の意味があるというのか。

「ハッピーマンデー」とは、祭日の意味を薄れさせ国柄を見失わせることで国體破壊を目指していることは明らかで、最終的には11月23日の「勤労感謝の日」と、2月11日の「建国記念日」をハッピーマンデーにすることが狙いである。

 左翼陣営はこうした既成事実を積み重ねることによって、我が国の歴史や伝統、文化を否定する論拠とするのは常套手段である。

 祝祭日が単なる休日となってることをして何が「ハッピー」なのかさっぱり分からんが、彼奴等の狙いは鯔のつまり「宮中祭祀」の妨害にあることは明らか。正に「ハッピーマンデー」なんぞ百害有って一利無し。

 宮中祭祀で特に重要なものは正月、元旦に執り行われる「四方拝」と、11月の2回目の「卯の月」に行われる「新嘗祭」であり、歴代天皇にとって最も大事なものは代々受け継がれてきた「祭事」である。

 事実、祭祀縮小を目指す宮内庁は、陛下の高齢を理由にして、陛下の負担軽減の一環であるとして、祭事の中でも重要とされている新嘗祭の未明に執り行われる「暁の儀」の拝礼や元旦の四方拝の一部を取り止めた。

 陛下の高齢を理由に負担軽減を図るなら祭事を優先し、国事行為や公的行為は皇太子殿下と秋篠宮殿下が輔佐すれば好かっただけのことで、祭事の採り止めは陛下を利用した国體破壊の序章であり、天皇の政治利用である。

 祭祀こそ決められた日の決められた時間にすべきものであり、国民が共に祝うべき祝日は単なる休日ではないのだ。

 諸外国に比べ、日本の祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はない。だが、多くの日本人が、祝祭日をただの休みとしか考えていないのは昨今の日本人の精神的貧困を顕している。

 祝祭日を本来の在るべき姿に見直すことは喫緊の課題であり、国民に祝祭日の意義を教えて行かねばならないと痛感する。

 建国記念の日を「紀元節」。春分の日を「春季皇霊祭」。秋分の日を「秋季皇霊祭」。勤労感謝の日を「新嘗祭」と本来の名称に戻さねばならない。

 同時に「憲法記念日」や「山の日」意味の無い祝日を廃止し、4月3日を「神武天皇祭」。10月17日を「神嘗祭」として復活させることは、戦後体制(ヤルタポツダム体制)からの脱却と主権恢復の意味からも重要である。

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2018年01月14日

尖閣諸島周辺に石油・天然ガスが埋没している可能性を報告すると中共や台湾は唐突に領有権を主張し始めた

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 本日1月14日は、沖縄県石垣市が条例により尖閣諸島の主権の正当性を定めた「尖閣諸島開拓の日」「尖閣の日」の記念日である。

 だが、悲しい哉、尖閣諸島の問題に限らず、竹島や北方領土が不法に強奪され、占領されたという歴史的経緯を知る国民は限りなく少ない。

 国際環境が激変する際に動くものが領土問題であり、つまりそれは北方領土や竹島を取り戻す好機であると同時に、尖閣列島や対馬、或いは沖縄本土をも奪われる危機も孕んでいるということでもある。

 領土問題が解決の兆しすら見えないのは、国家主権の甘さと事勿れ主義が招いた結果で、領土主権への重要さが啓蒙されていないことも要因に挙げられる。

 現在も、世界の各地で民族争いの中で国境紛争が頻繁に起きているが、世界では寸土たりとも主権確立には戦いをしてまで死守しているのが世界の常識。

「奪われた領土は奪い返す」ことでしか解決を見ない。我が国もそうした気概を持たなくてはダメだ。

 尖閣諸島とは、「魚釣島」「南小島」「北小島」「久場島」「大正島」と岩礁からなる領土をいう。

 国際法上、「無主地先占」(持ち主のいない土地を占有した国に、その領有権を与えるという考え方)に基いて、10年に及ぶ現地調査の結果、明治28年1月14日の閣議決定に拠って沖縄県に編入された。

 尖閣諸島は世界各地の地図の上でも、支那や台湾の教科書でも日本の領土として公式に認められている。

 だが、昭和43(1968)年6月、国連アジア極東委員会が、尖閣諸島周辺の東シナ海大陸棚に石油・天然ガスが埋没している可能性を報告した。

 すると、中共や台湾は唐突に尖閣諸島の領有権を主張し、国際法上の手続きも無しに地図を書き換え、1992年に自国領に組み入れた。

 そんな中で、昭和47(1972)年に日中正常化交渉が行われ、当時の首相だった田中角栄が、こともあろうに尖閣諸島の領有権に関して「棚上げ合意」した。

 明治政府の閣議決定を無視した、田中のこうした容共姿勢と腰抜け外交が、我が国の国益を大きく損なう結果となっているのはいうまでもない。 

 我が国を取り巻く環境は決して好ましいものではなく、南シナ海の西沙諸島(英語名パラセル)を中共は1974年以降、実効支配すると共に人工島を建設、フィリピンやベトナムとの間でも緊張が高まっているのは周知の通り。

 我が国では尖閣諸島の問題はそれ相応に報道し、国民の認識も広がってはいるが、南シナ海の紛争となるとマスコミは中共に気遣って作為的な記事を垂れ流し、国民も所詮は対岸の火事だ。

 そんな中で、安倍総理は、アジアにおける最も古い海洋民主国家たる我が国は、両地域の共通利益を維持する上でより大きな役割を果たすべきであると、「セキュリティダイヤモンド構想」を提唱した。

「南シナ海は北京の湖となって行くかの様に見える。アナリスト達が、オホーツク海がソ連の内海となったと同じく南シナ海も中国の内海となるだろうと言う様に」と、南シナ海の現状を嘆いている。

 更に安倍は、「南シナ海は、核弾頭搭載ミサイルを発射可能な中国海軍の原潜が基地とするに十分な深さがあり、隣国を恐れさせるに十分である」と危惧した。

 この認識こそが重要であり、東シナ海や南シナ海での中共の覇権主義に我が国が屈してはならない最大の理由がそこに在る。

 我が国が中共に屈することになれば、南シナ海は更に要塞化され、周辺諸国に脅威となるばかりか、我が国へ運ぶ石油ルートも中共の思いのまま、石油ルートの閉鎖は我が国の運命すら握っていると言っても過言ではない。

 東シナ海の浙江省・南麂列島(南キ列島)は、尖閣諸島奪還を狙い、着々と軍事基地が整えられいる。習近平はこの島を「宝島」と評するが、この「宝」とは何を意味するのか。

 この島から尖閣諸島まで約300キロ。「釣魚島奪還」を狙う人民軍にとって格好の立地であり、習近平にとっては正しく「宝島」なのだ。

 因みに、この南麂島は先の大戦では日本軍が上陸した島であり、支那での国共戦争に於いては、劣勢になった国民党軍が「反共」の拠点を構えた島でもある。

 碧く澄んだ海に囲まれ、海の幸のも恵まれたこの島はユネスコのエコパーク(生物圏保存地域)に登録されている。

 ここを観光開発を奨める様に指示したのは習近平だった。だが、主席に上り詰めた習は、新たな野望を果すべく、この島を領土防衛の最前線として要塞化を進めているとは厭きれるばかり。

 こうしたことを看過してるユネスコもユネスコだが、エコパークさえも利用する精神性の異常さは共産主義者ならではのものだろう。

 領土は国の主権であり、尖閣に於いては奪われる前に自衛隊の駐留や住民への上陸を許可し、実効支配は勿論のこと、オスプレイなどの最新防衛設備を充実させ、想定される様々な安全保障上の対策を講じるべし!

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2018年01月12日

義理などは夢にも思ふ事勿れ。身を縛らるゝもの也(英将秘訣)

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 元FBFのタイムラインを覗いたら某政治家と愛国ビジネスが頓挫して逮捕された例のおっさん夫婦の写真がアップされ「昔は友達だったのに掌を返して批判するとは。そういうのを卑怯者や裏切り者という」という様な記事が載っていた。

 この元評論家と元理事長の関係は友達というより別に持ちつ持たれつの関係で、況してや義理なんぞ考える様な関係でもない。相手に問題があれば批判して当たり前。真の友達だったのなら刺し違えて然り(笑)

 愚生も世話になってる支援者もいれば、兄弟分や盟友という様な仲間もいたが、相手に問題があれば苦言して、袂を分かって来たし、また今迄どれだけ裏切られて来たことか。未来永劫、友達の関係が続くなんてことは有り得ない。

 友達だから、友達だったからと義理なんぞ微塵も感じない。要は愚生も「卑怯者」とか「裏切り者」とか呼ばれているのかも知れないが、世話したことはあっても、別に世話になったということも無いから別にどうでもいい(笑)

 愚生の座右の書というか「英将秘訣」には「義理などは夢にも思ふ事勿れ。身を縛らるゝもの也」と訓えているが、正論だと思っている。

 支援金などにしても、英将秘訣には「俸禄などいふは鳥に与ふる餌の如きもの也。天道豈(あに)無禄の人を生ぜん。予が心に叶はねば、やぶれたる草鞋を捨つるが如くせよ」と在る。この実践が支援者が減る要因だろうか(笑)

 友達の多さを自慢するヤツがいる。そういう輩に限って実際には心から分かち合える友はいない。そうしたものはその人の立派そうな肩書や立場に寄って来てるだけで、それは友達という代物じゃなく単なる仲間や知り合いでしかない。

 盟友とか兄弟分とか言ってるのに限って裏切るのも早い。斯くいう愚生の場合も、相手に問題があれば苦言を呈してハイさようなら。真の友達なんぞそうはいないし、自分を誤魔化して付き合ってやるほど人間が出来ていない(笑)

 実社会の人間模様を見渡せば、善友、必ずしも善友ではなく、悪友、必ずしも悪友とは限らない。「毒を以て毒を制す」ではないが、悪友の方が、結果として善友以上の働きを示すことの方が多いのも確かだろう。

 畳にこぼれた水を拭き取るには、乾いたタオルでは綺麗に拭き取れない。タオルを充分に水に浸し、これをキリリと絞り上げてから使うのがいい。タオルの水気が畳の水を綺麗に吸い上げるのだ。

 新しいタオルが殆ど水を吸わないのと一緒で、日頃、キレイゴトを言ってるヤツなどは、いざという時にはあっちにフラフラ、こっちにフラフラと、クソの役にも立たないものだ(笑)

 今どきの安っぽい愛国ブームに流され、請け売りの政治学を偉そうに語るヤツより、政治のことは全く分からなくても、酒を愛し、趣味や惚れた女やスケベな話しを懸命に話してるヤツの方が信用出来る(笑)

 相手の主体性を重んじることを「君子の交わり」というが、見て見ぬふりより、相手がどう捉えるかは別にして苦言を呈すべきだと思う。

 それとは逆に「君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し」という言葉もある。

 物事をよく弁えた人の付き合いというものは水の様に自然なものなのであるが、つまらぬ小人物の交際というのは、まるで甘酒の様にベタべタした関係であり、一時的には濃密のように見えても、長続きせず、破綻を招き易いものでもある。

 facebookやSNSなどでの遣り取りを見ているとキレイゴトを並べ、ベタベタとした上辺だけのコメントが実に多い。互いに抑揚を抑え、大人の遣り取りをしているつもりなのだろうが、そんな付き合いなどに意味があるとは思えない。

 バーチャルなSNSの世界を勘違いしていませんか(笑)

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2018年01月11日

「日本が心から謝罪するなどして被害者達が許すことが出来た時が本当の解決だ」との謗言を嗤う

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 文在寅は年頭会見で、慰安婦問題を巡る日韓合意について「日本が心から謝罪するなどして、被害者達が許すことが出来た時が本当の解決だ」と述べた。

 要は、過去の日本政府の謝罪は「心から」ではなく、売春婦(自称被害者)が金のなる木を放棄することはなく解決されることはないということだ。

 韓国側が「慰安婦問題」で強請りタカリに奔るのは、朝鮮人の人品の低さも然ること乍ら、歴代日本政府の無知と事勿れ主義が元凶であり、譲歩が更なる譲歩を生んでしまった我が国外交史上の最大の失敗でもある。

 朝日新聞が捏造した慰安婦問題を、自民党の宮沢内閣下で加藤紘一官房長官が事実を認め、次の官房長官に就いた河野洋平が「談話」を発表したことで韓国人慰安婦を付け上がらせる原因を作った。

 更に「村山談話」で火に油を注ぎ、その後の自民党政権下でもこれらを撤回せず黙認し、民主党売国政権誕生で、鳩山由紀夫が総理大臣として「国家補償」を約束し、当時の前原誠司幹事長もまた「戦後賠償支援」を言及した。

 慰安婦問題は、日本側が国家として「謝罪」も「約束」もしている訳だから、韓国にしてみたら賠償請求するのは当然であり、単なる強請り、タカリと言ってもいられない現実が厳然と存在してしまったのだ。

「戦争」とは相手を征服することであり「征服」とは掠奪である。7世紀に興ったイスラムでは「略奪」は正しいと教え、中でも最高の戦利品は「女」だった。

 女を奪い犯すことは、その国家、民族の純粋性を奪い、征服者の血を入れることで征服が完結する。征服の定義とは、正に「掠奪」と「強姦」の歴史なのだ。斯くて世界中の民族、国家は万古不偏、この定義に従って戦争して来た。

 例えばロシア人は第二次世界大戦末にベルリンに侵攻し、僅か半年の間に13万人のドイツ女性を強姦し、うち1万人を孕ませた。8千人は堕児出来たが、2千人は「目が寄った額の狭いロシア人顔」の混血児を生んだ。

 13世紀、欧州迄攻め込んだ蒙古人はイランやロシアに混血児を残し、生まれた子供に蒙古系の血が出るとその子は社会から排斥された。

 米国人もロシア人と同じで、第二次世界大戦に参戦すると英国で400件の強姦を働き、欧州戦線では1万4千件の強姦を記録している。

 現在も、チベットやウイグル、内蒙古で漢民族が相手民族に対し「民族浄化」という陵辱の限りを尽しているのは周知の事実だ。

 無条件降伏した日本国内でも、米国人もロシア人ももっと残酷に振舞い、民家に押し入り妻や娘を強姦し、抵抗すれば殺した。調達庁の記録では実に2600人を超える日本人同胞が殺されている。

 だが、こうした世界とは違った国が存在した。それが日本である。

 我が国だけは日清戦争の昔から、「掠奪」と「強姦」を軍律で厳しく規定し、規定を破った者は厳しく処罰された。

 しかし、生きるか死ぬかの戦場で、若い兵士に生理的なものにまで我慢を強いるのは逆に統率を失うと、街に在る「遊郭」で息抜きをさせた。

 その遊郭で働いていたのが慰安婦であって、売春婦が戦場迄出張ることは当時は当り前のことだったのだ。

 戦場に遊郭を建て兵士に息抜きをさせるのは肝心で、これはまた当地での性犯罪を防ぎ、相手民族の尊厳を最低限保つことでもあったのだ。

 こうした日本人の配慮を知らずして、高給に集った売春婦を「従軍慰安婦」と称し、恰も軍が関与し、朝鮮人の女性を強制連行し名誉を傷付け「性奴隷」にしたとは言語道断という他は無い。

 1964年、ベトナム戦争が激化すると韓国は、米国への忠誠と資金援助を得る為に、ベトナムに韓国軍を派兵した。

 この戦争に於いて、韓国軍兵士は十万人単位のベトナム人女性を凌辱し強姦、その一部を虐殺、結果、約3万人のライダイハンが生まれ放置された。

 韓国側がひた隠す「ライダイハン(韓国人とベトナム人の混血児)」の「ライ」とは、ベトナム語で「雑種」の意味で、「ダイハン」は「大韓」のベトナム語読み。つまり、韓国人男性とベトナム人女性の間に生まれた子供のことだ。

 統一後のベトナムでは、ライダイハンは「敵国の子」とされ迫害の対象となった。1987年に米国政府は戦争責任からか混血児とその家族の移住を受け入れ始めた。だが、韓国側は謝罪もせず沈黙を続けた儘だ。

 ベトナムのクァンアイソン・ビンホア村には「韓国軍憎悪碑」というものが建っており、次の様に刻まれている。

「天をつく罪悪、万代に記憶するだろう!この虐殺で犠牲になった者の数は合計430人、そのうち268人は女性、109人は50才から80才まで老人、82人は子供、7人は妊婦だった。2人は生きたまま火に投げこまれ、1人は首を切られ、1人は腹を割かれ、2人は強姦された。2世帯は一人残らず抹殺された」

 文在寅は親日派と言われた朴正熙政権に反対する学生運動の首謀者的存在で投獄されたこともある確信的左翼闘士であり、名うての反日活動家である。ならば何故に、朴正煕政権下で行われたベトナムでのこうした蛮行を検証しないのか。

 ベトナム女性への陵虐や惨殺は犯罪ではなく、「反共」を国是とする韓国の英雄的行為とされたことを間違いだったと猛省すべきだろう。

 ベトナム共産主義者との戦いと弾圧は熾烈さを増した厳しいもので、女性子供であろうが情けは無用との認識だったが、そうした過去の過ちに向き合ってこそ成熟した国家といえるが、反日ばかりで己らの歴史を直視することはない。

「ライダイハン問題」を抱えながら、ベトナムに対して謝罪も補償もしない韓国に慰安婦問題や歴史問題で我が国を責める資格など無い。

 1951年から61年にかけて「東亜日報」にUN軍相手の慰安婦募集の記事が載っている。韓国に駐留する国連軍に、韓国が国家として慰安婦の提供をしていた事実を報じたものだ。

 韓国こそ、こうした国ぐるみで他国の軍隊に慰安婦を斡旋していた事実には口を噤み、ライダイハン問題には謝罪どころか沈黙し、我が国の慰安婦問題だけを騒ぎ立てることに矛盾と羞恥心は感じないのか。

「従軍慰安婦」や「強制連行」が嘘だということは最早、朝鮮人自身でさえも判っているのに、何故か我が国の政治家やマスコミだけは知ってか知らずか、懲りもせずにその嘘に付き合い続けている。

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2018年01月10日

選択的夫婦別姓に見られる世論の怪しい動きに騙されてはならない

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 どこぞの性的変質者の社長らが「選択的夫婦別姓」を認めない戸籍法の不備で精神的苦痛を受けたとして、国に計220万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。日本人になれただけでも十分なのに何を勘違いしてるの(笑)

 民法第750条には「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と明記されている。つまり夫となる人、または妻となる人の何れか一方の「氏」を夫婦の氏とするということ。

 この規定を大半の人は「片方が氏を変える」と理解しているが、「氏は自分個人の名前の一部」という誤解が混乱を招いているのも確かだろう。

 抑々「氏」というものは、個人を表す名称ではなく、明治維新以前には武士や大店(おおだな)の商人以外は「氏」を使う必要もなく、氏自体が意味を持たなかった。明治維新により新政府が樹立すると、戸籍を整える為に全ての国民に「氏」を与え、戸籍を整え、家族の絆の重要性を教えた。

 戸籍抄本や謄本を見れば分かるが、戸籍の筆頭者のみが「氏」と「名」で書かれており、その他の家族は「続柄」と「名」しか書かれていない。つまり、「氏」は家族を表す名称であり、個人名ではない。

 日本人の日本人らしさの根幹を成すのが「戸籍制度」であり、個人だけでなく、親兄弟や子といった歴史の縦軸の中に生きるという制度である。正に我が国の「戸籍制度」は世界に誇れる制度である。

 欧米の教育は個人が生存権に勝つ為のものであり、辺り構わぬ闘争が行われ、働く目的は金と享楽の追求のみ。それ故、家族の絆は緩み道徳の深さは生活から離れ、結果、唯物主義の考え方が支配的となり、人々の心を孤独化している。

 我が国の個人主義は極僅かで、世代に亘る家族の絆は固く、互いの助け合いによって人間本来の善良な姿と優しい心が保たれている。

 だが、夫婦別姓制は家族の一体感を損ない、子供に与える精神的影響も大きく、事実婚を増加させ、離婚の増加や婚姻制度の崩壊を齎すのは明らか。

 抑々、婚姻に際し氏を変える者で職業上不都合が生じる人にとって、通称名で旧姓を使用することが一般化しており、婚姻に際し氏を変更するも、関係者知人に告知することにより何の問題も生じない。

「夫婦別姓が男女平等の理想」とか「別姓は仕事上の不都合を生む」といった胡散臭げな理由を不審に思う国民が多くなり、「夫婦別姓」運動は廃れたが、夫婦別姓推進派はそれでも執拗に「選択的夫婦別姓」という新たな戦略を模索している。

 平成10年以来「民法の一部を改正する法律案」が国会に十数回提出され、選択的夫婦別姓制度について議論がなされているが、我が国には馴染まない為か国民的合意には至っていない。だが油断してはならない。

 自民党議員が十年以上騙された「夫婦別姓」運動と同じ騙され方をしているのが「選択的夫婦別姓」や「女性宮家」問題であり、こうした巧妙にカタチを替えた共産主義の策謀に騙されてはならない。

「選択的夫婦別姓制度」を導入した、イタリア、オーストリア、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、ハンガリー、フランス、スペインなど欧州の国々では婚姻率が4割以上も減り、離婚率が2倍となり、婚外子の割合が5割も増加した。

 北欧、フランスでは婚外子が5割を超え、従来の家族制度が崩壊している。これは「選択的夫婦別姓制度」の導入が最大要因だったのは言わずもがな。

「氏を変えることにより自己喪失感を覚える」という様な意見もある様だが、これは「氏(姓)は個人名ではない」ということを理解していない典型で、同姓が嫌なら、同棲という事実婚でいいだけのことだろう。

 だが、そうした変態的な意見より、結婚に際し同じ姓となり、これから新たな家庭を築くという喜びを持つ夫婦の方が圧倒的多数であり、それが極めて一般的な普通の感覚ではあるまいか。

 夫婦同姓は、普通の日本人にとって極めて自然な制度であり、現代社会で家族とその絆を支えているのが「戸籍」であり、戸籍は、国民の出生・結婚・死亡などの身分の変動を「夫婦と未婚の子」を単位として登録するシステムである。

 戸籍制度は結婚や相続など家族生活を営む上で極めて重要な役割を担うと同時に、実は家族の一体感を維持する機能も有している。

 ところが、別姓推進派の中には「別姓導入は戸籍制度改廃への一里塚だ」とする考え方が根強く存在するのは事実。

 別姓するくらいなら結婚などしなきゃいいと思うのが普通だが、夫婦別姓は世界に誇る「戸籍法」の解体こそがその目的である。

 別姓推進派は、現在の戸籍制度が家族単位である点を、戦前の「家父長制度」の残滓と捉え、戸籍を個人単位の「個籍」や、欧米諸国を模した「個人登録制」に改めることを求めている。

 夫婦別姓を導入すれば我が国の戸籍制度や家族制度は瓦解し、祖先と家族・親と子を結ぶ連帯意識や地域の一体感、延いては日本人の倫理道徳観にまで悪影響を及ぼすのは必至。だが、彼らの目的が日本的家族制度の破壊、畢竟、国體破壊に在るとすれば合点がいくというものだろう。

 夫婦別姓に限らず、突き詰めた議論が無いまま、安っぽいムードだけで、やれこれが世界の流れだとか、グローバル時代の到来だとか、そんな曖昧な次元でもって賛同者が広がってるが、こうした世論の怪しい動きに騙されてはならない。

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2018年01月06日

天皇にとって最も大事な祭事の簡略化が謀られている

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 畏くも陛下の一年は「四方拝」で始まる。年初の未明から、陛下は潔斎し、古式に則った黄櫨染御袍の装束を身に纏い、伊勢神宮や陵墓、四方の神々に拝し、国の安寧や豊作を祈るのが歴代天皇が行ってきた秘儀である。

 近年は陛下の負担軽減を理由に黄櫨染御袍正装ではなく、元旦の新年祝賀の儀を優先してモーニングを着ての拝礼で済まし、年始の祭典である「歳旦祭」もまた同じ理由から掌典職が代拝している。

 負担軽減とは単なる屁理屈に過ぎず、天皇にとって最も大事な祭事は天皇の私事であり、元旦に行われる新年祝賀の儀は憲法で規定されている「国事行為」である為にそれを最優先しているからに他ならない。

 正月三日には、国と国民の繁栄を祈る「元始祭」、四日は「奏事始め」、七日は「昭和天皇祭」など、宮中祭祀は年に二十件前後斎行されるが、現在は代拝や短縮など更なる簡略化が謀られている。

 11月23日は、その年に収穫した穀物を神嘉殿に供え神に感謝する「新嘗祭」が行われる。新嘗祭は四方拝に並び宮中祭祀でも最も重要な祭事。

 午後6時から「夕(よい)の儀」、午後11時からは「暁の儀」が斎行されるのだが、平成24年からは陛下の高齢を理由に行われなくなった。

「暁の儀」の取り止めは、皇極元年(642年)より受け継いできた祭祀に、今後何らかの結果と影響を齎すのは明らか。天皇にとって大事なものは国事行為に非ず「祭事」であり、国事行為より優先されるべきものでなくてはならないのだ。

 陛下の負担軽減とは聞こえはいいが、こうした祭事の簡素化を実行した宮内庁は正に獅子身中の虫であり、皇統断絶を謀る国賊と断じて好かろう。

 歴代天皇が司ってきた祭事を最優先し、国事行為や公的行為こそ軽減すべきであり、陛下の負担軽減というのであれば、祭事は本より、国事行為や公的行事も皇太子殿下や秋篠宮親王殿下が輔佐する環境こそ整えるべきであった。

 だが、あろうことか安倍亡国内閣は皇室典範に退位を附帯して実質的な皇室典範の改悪を謀り、畏れ多くも陛下の譲位を強行した。

「女性宮家」の創設議論に見られる様に、平成の御世で宮内庁や共産主義者、無自覚左翼によって過去に例のない高等断絶が謀られていることに危機感を抱いている保守派や愛国者というのは限りなく少ない。

 以前、高松宮寛仁親王殿下が「国民一人一人が、我が国を形成する『民草』の一員として、2665年(当時)歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴かなければ、いつの日か『天皇』はいらないという議論にまで発展するでしょう」と憂いていたが、正に「開かれた皇室」の名の下に陛下の尊厳が軽んじられ、天皇廃止運動は着々と進められている。

 来年は陛下は譲位遊ばされる。確かに天皇には憲法遵守の規定はあるが余りにも憲法に拘り過ぎではあるまいか。

 現憲法は歴史的な国家としての継続された「祭祀」に関する天皇の役割を否定し、天皇の「国事行為」のみで「公的行為」は明文化されていない。だが然し、天皇は憲法以前の御存在であらせられるのだ。

 神武肇国から続く万世一系の皇統が、平成の世を境に崩れて行くのを拱手傍観してる訳には参らない。皇統断絶を謀ってる元凶は獅子身中の虫である宮内庁か、それとも皇統を軽んじる安倍晋三なのか。剔抉粛正せねばならない。

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cordial8317 at 07:16|PermalinkComments(0)

2018年01月03日

父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました(円谷幸吉)

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 愚生の住む福島県内を始めとする東北や北関東の一部では、正月の3日にとろろメシ(汁)を食べる風習がある。

「三日とろろ」を食べるとその年は風邪をひかないと言われているが、まぁ風邪をひかない様にというより「七草粥」の様に、年末年始で飲み過ぎた胃腸を労わるという優しさから食べられる様になったのだと思う。

「三日とろろ」でいつも思い出すのは、福島県須賀川市出身で東京五輪マラソン銅メダリストの円谷幸吉選手のことだ。

 円谷選手の遺書の最初には「父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました」と認められ、家族皆への感謝が綴られている。

 そして「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」で結ばれ、中でも「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい」の言葉はトップ選手故の苦悩の現れであり衝撃的でもある。

 円谷選手が遺書は、世話になった方々から頂いた美味しい食べ物への感謝の言葉で綴られ、人となりが十分伝わってくる内容だ。(以下、遺書の全文)

「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました。干し柿、もちも美味しうございました。敏雄兄姉上様、おすし美味しうございました。勝美兄姉上様、ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。巌兄姉上様、しそめし南ばんづけ美味しうございました。喜久造兄姉上様 ブドウ液養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。幸造兄姉上様、往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。正男兄姉上様、お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になってください。父上様母上様、幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮しとうございました」

 アジアで最初、有色人種国として初めて開催された東京オリンピックで3位という快挙を成し遂げた幸吉はレース後にこう語った。

「私1人が走っているのではなく、日本国民全部の人が後ろから私を押していてくれるという感じを受けました」。正しく幸吉は国士だったのだ。

 遺書というのはその人の人物像が現れる。中でも特攻隊員や靖國に眠る英霊の遺書は正しく「神」そのものの渾身の叫びであり、その言葉には言霊が宿り、その精神は日本人の心の奥に響き、時空を超えて明らかに現代に感応している。

 右翼人の愚生には左翼という生き方はどんなものかは知らないが、28歳で自裁した連合赤軍中央委員会委員長・森恒夫の遺書には「自己の責任の重さに絶望し、自らに死刑を下す」と綴られていた。内容は次の様なものだった。

「御遺族のみなさん、十二名の同志はぼくのブルジョア的反マルクス的専制と戦い、階級性、革命性を守ろうとした革命的同志であった。責任はひとえにぼくにある。同志のみなさん、常に心から励まして下さってありがとう。お元気で。父上、ぼくはあなたの強い意志を学びとるべきだった。強い意志のない正義感は薄っぺらなものとなり、変質したのである。お元気で。愛する人へ、希望をもって生きて下さい。さようなら。荷物は坂東君に」

 森は逮捕されてからはキリスト教に関心を示していたというが、自ら行った罪を悔い改めている遺書からも、キリスト教に縋り、革命家を気取りながらも幼稚だった正義感を恥じている心境が伝わってくるが、遺族への謝罪は全くないこれをしても左翼というのは自分勝手の様に思えてならない。

 一方で、浅沼稲次郎社会党委員長を刺殺した右翼の山口二矢は、供述調書を取り終えると移送された練馬鑑別所で自裁する。その調書の中で遺族に対して心境を吐露している。

「浅沼委員長を倒すことは日本の為と堅く信じ殺害したのですから、行為については法に触れることではありますが今何も悔いる処はありません。しかし、浅沼委員長は最早故人となった人ですから、生前の罪悪を追及する考えは毛頭なく唯故人の冥福を祈る気持ちであります。又浅沼委員長の家族に対しては、如何なる父、夫であっても情愛に変わりなく、殺害されたことによって悲しい想いで生活をし迷惑を掛けたことは事実ですので、心から家族の方に申し訳ないと思っています」

 二矢は練馬鑑別所に於いて、「國のため 神洲男児晴れやかに ほほえみ行かん 死出の旅へ」「大君に 仕えまつれる 若人は 今も昔も 心かわらじ」の辞世を遺し、「天皇陛下万歳」と従容として死に就いた。

 二矢は、「私には日本人の血が流れており唯物論では到底割り切れない。持って生まれた日本精神という唯心論的なものが滾っており、天性からこういう人生観、思想などが形成されたと思っています。尚、本当の日本人であれば、私の様な人生観、思想というものが心の奥底には必ず在ると思います」と述べているが、右翼と極左暴力団との違いはこういうことだろう。

 17歳の二矢と27歳の円谷幸吉の遺書に日本人としての惻隠の情を犇々と感じ、人というのはどれだけ生きたかという人生の長さではなく、どう生きたか、どう生きるかが大事だと痛感する。合掌再拝。

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cordial8317 at 05:01|PermalinkComments(0)

2018年01月01日

大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス

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 皇紀2678年、平成30年を迎えるに当り、謹んで陛下と皇室の弥栄を寿ぎ奉り、併而心願成就を祈念する。扨て今年もどうなるものぞ。

「わが民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない」(西晋一郎)

 心ある国民は日本に生まれた者としてその日本を憂い、心中密かに期するものがあるだろう。それは一体何か、何であらねばならないのか。

 これを一言にして表現するならば、天皇国日本の真姿開顕に奮励前進、捨身奉公するということに尽きよう。

 畏くも、皇祖天照大御神が垂示し給うところの、「豊葦原の千五百秋の瑞穂国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり、宜しく爾皇孫就いて治せ、行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ」との天孫降臨の御神勅を心魂に刻んで日々奉拝することである。

 明治22年2月11日の紀元節、畏くも明治天皇は、大日本帝国憲法施行の際に下し給える憲法発布勅語の中でこう思召し遊ばされた。

「惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テ無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ」

 この御神勅こそ正に天孫降臨の御神勅の精神の継承である。「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と在る様に我が国は「天皇国日本」なのである。

 これこそが日本国民たるものとして肝に銘じ、忘れてはならない万古不磨の大原理大原則であることを知るべきなのだ。

 北畠親房卿は「皇統正統記」の冒頭でこう記す。

「大日本者神国也。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を傳へ給ふ。我國のみ此事あり。異朝には其たぐひ なし。此故に神國と云ふ也。神明の皇統を傳へ給へる國也」

 これもまた日本国民が矜持すべき信念であり、日本人としての信仰であらねばならないと断言して憚らない。

 この民族の精神と、道統を受け継ぎ、これを護持し、これを宣布し、そして子孫に伝えるところの責任と使命を有する者は、今を生きる我々日本人であることは言うを俟たないところであろう。

 然るに、この万邦無比の国體、尊厳崇高なる祖国日本の歴史と道統に目を覆い、或いは西洋物質文明に被れ、或いは共産主義反逆思想に随喜して、日本人の本質を自ら喪失し、無機質な人種が増殖する傾向は由々しき一大事と言わざるを得ない。

 本居宣長は自著「うひ山ふみ」の中でこう教示している。

「やまと魂だによく堅固(かた)まりて、動くことなければ、昼夜からぶみをのみよむといへども、かれに惑はされるうれひはなきなり」

「からぶみ」とは「洋風かぶれ」「米国追随」ということだが、多くの国民も悲しいかな「やまと魂だによく堅固まりて」どころではないのだ。

 国内には未だ米国の占領政策の洗脳から目覚めることなく、米国や中共の走狗となった不逞の徒輩により大和魂の基盤そのものが逐次掘削され、国家の大本を忘却し経済至上主義に奔り、我が国體の精華が穢され続けている。

 この迫り来る祖国日本の危機に対処し、天皇国日本を盤石の安きに置く使命を有するものは我ら日本人である。

 正にその存在の意義を示す神機は近付きつつあるのだ。さあ、全国の愛国者よ、草莽の志士よ、その一旦緩急に備え遺憾無きを期そうではないか。

 念頭に当り、右翼浪人として、そして一維新者として、貧すと雖も志士の覚悟を忘れることなく草莽の道を歩んで往こうと思っておりますれば、本年も何卒御付き合いの程宜しく御願い申し上げます。すめらぎいやさか。

 皇紀2678年 平成30年 歳旦 佐久間五郎拝

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cordial8317 at 07:13|PermalinkComments(0)